渡部昇一先生のエピソード(18)~願えば叶う

 故・渡部昇一先生(2017年4月17日にご逝去)には、小さい頃から「池が欲しい」という根強い願いがありました。子どもの頃に毎夏、よく祖母の生まれた家に遊びに行くことがありました。そこは最上川の支流が流れる朝日山系の山奥で、どこの家も山から水を引いていて、池があり、そこで鯉を飼っている家もありました。アユを獲るのが巧い祖母の姉の旦那は、アユを獲ってくると、庭の小さい家の池に放しておきます。夏休みに遊びに行った時には、そこからちょっとすくい上げて、串に刺して炉端で焼いてくれました。川魚は山村の貴重な蛋白資源だったのです。それを見て渡部先生は、「ああ、池っていいなあ、自分の家にも池があったらいいな!」と強く思われました。しかし、渡部先生一家が住んでいた鶴岡市で池のある家は、旧藩主邸や高級料亭など、ごくごく稀でした。いつも池が欲しい、池が欲しいと、戦争中もずっと思い続けておられました。一度だけ池らしきものを持てたのは、戦争中のことでした。防空壕を堀り、土を盛り上げるために庭にかなり大きな穴を掘ったのですが、そこに雨が降り、否応なしに小さな池になってしまったのです。そこに捕まえてきたフナだとかドジョウを飼って、しばらく楽しんだことがありました。しかし戦争が終わると、防空壕を壊して埋め、庭で野菜を作ったので、ダメになってしまいました。食料優先は当然のことで文句を言える筋合いではありません。こうして先生の池は半年くらいで消えてしまったのですが、心の中の「あらまほしきイメージ」(=池の夢)はなくなりませんでした。子ども心に「池が欲しい、池のある家に住みたい!」と思い続けておられたのでした。東京に出てからも、なんとなくいつも池が欲しいのです。東京で池を持つなんていうことは、普通では考えられないことです。ところが、池、池、池と思っているうちに、練馬に住んでおられた時も、なんとなく池ができちゃいました。その後引っ越して、書斎を新築された時も、今度はその7,8倍も大きな鯉の池になりました。30歳以上の鯉が20匹くらい泳いでいます。どうしてそうなったかと問われても「イメージがあったから」としか答えようがありません。普通、東京で池を持ちたいなどといったら、周囲の人は「虫がいいな」と思われることでしょう。でもこの望みを持ち続けると、世の中にはいろいろな偶然が重なって、実現する可能性があるのです。いろいろなことが人生の中で起こっているうちに、そのイメージに向かって、無数の無意識の決断が重なった結果であろう、としか説明のしようがありません。

 スポーツの世界にもイメージトレーニングというものがあり、これをしっかりやると上達が早いそうです。もちろんフィジカルなトレーニングとは車の両輪なのでしょうが、たとえば、怪我をして身体を動かせない時でも、イメージトレーニングだけをしていても、快復後には上達していると言います。これと同じですね。

 他の人から見れば虫がいいようなことでも、イメージとして欲しいなと、70~80年思い続けると、池ができるのです。渡部先生は高校卒業の時に、恩師・英語の佐藤順太先生の家を訪ねてお話を伺う中で、多くの本に囲まれて和服姿で書斎に座っている老人が良いな、と本当に尊敬されました。大学生の時もしばしば先生の書斎にお伺いして、「よし、オレもこういう書斎に入って、先生のように老いたい」と強く願いました。先生の書斎には、天井まで書棚があり、数々の和綴じの本や『小泉八雲全集』の初版、イギリスの百科事典24巻などが所蔵されていました。とても山形県の田舎の一教師の書斎とは思えませんでした。若かりし渡部先生の瞼に、この恩師の姿と書斎が強烈なイメージとして焼き付けられました。実際、先生は年をとってみたら、書斎の中におられました。練馬の前の家では書斎も書庫も本が溢れ出ている状態だったので、喜寿(77歳)を目前に大きな借金(2億円)までして、百坪の新しい書庫を建てられました。世界でもナンバーワンのプライベート・ライブラリーです(15万冊)。このように、他の人、周囲の人が「そんなのできるわけがないよ」「なんて虫のいい話だ」というものでも、その虫の良さを「あらまほしきイメージ」として抱き続けることこそが、人生にとっては大切なことなのです。私自身の実感でもあります。97才まで生きた詩人の坂村真民(さかむらしんみん)さんは「念ずれば花ひらく」(Pray, And Any Flower of Yours Will Come Out)と言っておられますね。いくら努力しても、その時は成果が上がらなくても、長い間あきらめずにコツコツやっていると、やがて大きな実りになって返ってくることを言っています。念じ続けていると花ひらく。ある日、ふと気がつくと願望が達成されているということが起こります。若いうちに何になりたいかという強い意志を持つこと、その願望を思い描き、頭の中で鮮明に映像化し、信念にまで高めることが重要です。脊髄の奥で、沸々と願望を燃やしていると、天の一角からロープが下りてくるのです。

 渡部先生は、あることをやりたいと思った時に、その手段を考える必要はない、とおっしゃいます。手段を考えると、たいていは袋小路に入ってしまいます。希望が達せられる手段がそう簡単に分かれば、誰も苦労はしません。どうやって実現するかは、潜在意識に任せておけばよいのです。この言葉は参考になりますね。♥♥♥

▲渡部先生の最新作 面白かった!お亡くなりになってからも次々と新作が

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