ミル・マスカラス叙勲

 プロレスを通じ日本とメキシコの相互理解を深めたとして昨秋、旭日双光章を受章した覆面レスラー、ミル・マスカラス(本名アーロン・ロドリゲス・アレジャノ=80歳)への叙勲伝達式が11月18日、メキシコ市にある「ルチャリブレ」(メキシコのプロレス)の殿堂アレナ・メヒコで行われました。「千の顔を持つ男」「仮面貴族」の愛称と、華麗な空中殺法を武器に数々の激闘を繰り広げ、得意技のフライング・クロスチョップやフライイング・ボディアタックなどで、国境を越え多くのプロレスファンを魅了したレスラーです。日本でも長年、愛されているマスカラス「日本デビューでの成功が、ファンから信頼や称賛を得る機会を与えてくれた」と振り返り、会場のファンに「ありがとう」と感謝しました。

 福嶌教輝・駐メキシコ大使は「日本では誰もがマスカラスさんを知っている。あなたのおかげで多くの日本人レスラーがメキシコのルチャリブレを学んだ」と功績をたたえました。マスカラスさんの叙勲は、昨年秋に決まっていましたが、新型コロナウィルス禍の影響で、叙勲伝達式の開催は実現していませんでした。僕初的人気に火をつけた入場テーマ曲「スカイハイ」で登場するや、かぶっていたオーバーマスクを客席に向かって投げ入れる、さながら正義のヒーローでした。試合も当時は珍しい空中殺法で相手をねじ伏せるというかっこよさです。日本中が歓喜の渦に巻き込まれ、絶大な人気を誇りました。ビルドアップされた逆三角形の肉体に、「千の顔を持つ男」という異名の通り、毎試合違うマスクをかぶって戦う絶対的ベビーフェイスでした。

 マスカラスは来日の度に、スーツケースを4つも5つも持って来ていました。マスクはもちろん、シューズ、トランクス、ガウンを幾つも用意してきて、2日に1回は替えて、マスカラス」というキャラクターを演じきっていました。山のようなスーツケースはプロフェッショナルの証だったのです。しかし、いくら見た目が奇抜で目を引くからと言って、それだけで人気者になれるほど甘い世界ではありません。彼は1964年の東京オリンピックに、アマチュアレスリングのメキシコ代表として出場しているくらいですから、メキシコ人特有の返し技やストレッチ、ジャベ(関節技)を極めていて、キャリアを積んでいる分だけ極め方も心得たものでした。気性が荒く、向こうっ気が強く、怒らせたら何をするかわからない恐ろしさも併せ持っていました。1983年12月5日の世界最強タッグ決定リーグ戦(福岡国際センター)で行われた、マスカラス&ドスカラスvsブロディ&ハンセンは、両者が全くかみ合わない壮絶な喧嘩マッチさながらの不穏試合となりました。ハラハラもののカードでした(試合はブロディドスカラスから3カウント)。それ以前にも、マスカラスハンセンに対してシュートを仕掛けて、腕を極めると、ロープ際だろうが、レフリーが制止しようと、どうだと言わんばかりにその腕を放さず、あのハンセンが慌てて恐れおののいたという事件も起こっています。誇り高いマスカラスのプライドを傷つけると、何をするか分からない怖さを物語るエピソードです。

 ジャイアント馬場「没後20年追善興行」において、76歳(!)のマスカラスが空を舞い、フライングボディアタックで華麗な勝利をおさめています。すごいですね。♥♥♥

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