昭和5年生まれの渡部昇一(わたなべしょういち)先生は、高校卒業の時に、恩師の英語の佐藤順太先生の家を訪ねてお話を伺う中で、多くの本に囲まれて和服姿で書斎に座っている老人が良いな、と本当に尊敬されました。大学生の時もしばしば先生の書斎にお伺いしては、「よし、オレもこういう書斎に入って、先生のように老いたいものだ!」と強く願いました。若い渡部先生の瞼に、この恩師の姿と書斎が、強烈なイメージとして焼き付けられたのでした。実際、先生は年をとってみたら、書斎の中におられました。前の家では、書斎も書庫も本が溢れ出ている状態だったので、喜寿(77歳)を目前に、大きな借金までして、百坪の新しい書庫を建てられました。渡部先生は知る人ぞ知る、日本屈指の古書・書籍収集家でいらっしゃいました。内容的にも価格的にも価値の高い本を所蔵し、蓄積して書斎を充実させてプライベート・ライブラリーを造られたのです。世界でもナンバーワンのプライベート・ライブラリー(15万冊)と言われています(故・井上ひさしは14万冊、故・谷沢永一は13万冊)。本業にしている英語学の蔵書は、ケンブリッジ大学の図書館長から、世界一の個人蔵書と太鼓判を捺されました。先生が購入されたチョーサーの『カンタベリー物語 キャクストン絵入り初版本』(1483年)は、購入時3,600万円、現在の相場ではその倍以上の100万ドルとも査定されていますが、蔵書の質がものすごいんです。
このようなプライベート・ライブラリー実現の、大きなきっかけとなった出来事がもう一つあります。先生が海外留学から帰ってきた直後、大学院生の時に、たまたま上智大学に管理人室の付いた新しい図書館ができました。図書館司書ではなく建物の管理人ですから、宿直の仕事は大したことではありません。大学が7時に終われば、3階建ての建物の窓が全部閉まっているかをチェックし、玄関に錠をかけるだけです。するとこの建物は、全部先生の「城」となりました。当時の上智大学には、国際学部(インターナショナル・ディビジョン)という、アメリカ人の兵隊さんなどが来るコースがあって、それがある日は夜の9時頃になります。仕事はそれだけで、他には何もありません。掃除もしなくていい。タダで住めることが報酬で、給料は出ません。早速先生は申し込まれました。先生にとって、この図書館の住み込み宿直員は素晴らしい体験でした。夜になると完全な静寂が訪れます。夜中に一度か二度、シェパードを連れた警備員が回ってきて、この人に会うと挨拶するだけです。当たりたい本があったり、調べたいことがあると、図書館の書庫に行けばすぐに解決します。昼間に本を借りようと思ったら、蔵書カードで検索をして、申込書を記入してカウンターに持って行き、出庫してくれるのを待たなければなりません。挙げ句に「閲覧中」「貸し出し中」と言われることも度々ありました。図書館に住み込んでしまえば、書庫に行って自分で好きな本を取り出せばいい。誰も閲覧していないし、重要な本は「貸し出し禁止」ですから、先生が見たい本は必ずあります。しかも、同じ書棚に置かれている、もっと参考になる本が眼に入ったりすることも度々ありました。考えごとをする時は、自分の城でもある真夜中の図書館を、一人コツコツと歩くのでした。こうして先生は、プラトン全集を読み、アリストテレスの著作の相当の部分を読まれたのでした。
借り物ながら、巨大な書斎のある生活を体験した渡部先生は、見たい本がすぐに見られる―つまり自分の書斎を持つ―ことはすごい時間の節約になるのだ、と実感されたのです。そして、この図書館は全学部用の本が入っているから大きいけれど、先生が関心のある分野だけであれば、この何千分の一の大きさの図書館でいい、そういう個人の図書館を持ちたいと、先生の中で「書斎」のイメージが鮮明なものとなって具体化したのでした。貴重な本がいっぱいあって、自由に手に取って読める。「ああ、こんな図書に囲まれていたら幸せだなあ~」と、より鮮明になった書斎のイメージが頭から離れませんでした。留学されたドイツの図書館でも、オックスフォードの図書館にも感動されました。それで、簡単なものでもいいから自分の書斎が持てる状況になるまでは結婚しない、と覚悟を決められたのでした。先生が結婚されたのは、ちょうど30歳の時で、書斎を持ち、本を自分の傍に集めておけるようになってからでした。書斎のイメージが結婚のタイミングを決めたことになったわけです。
まだ学生や大学生で、空間に手が出ない人はどうするか。その場合は空間への関心を一日たりとも忘れずに、理想的な知的空間を所有している自分を夢として描き続けることだ。しかし大部分の人はそのうちそうした関心を失ってゆく。しかしその夢を持ち続けた人は、結局それを獲得する公算がすこぶる高いのである。そんなことは私の年頃になった人は誰でも知っていることだが、若い人にそれをいってくれる人はまずいない。(中略)うしろめたい気になることなく、知的空間の獲得を熱烈に、しかも長期間にわたって生き生きと願い続けるべきなのだ。「求めよ、さらば与えられん」という言葉は、キリスト教者でなくても信じたほうがよい。(『知的生活の方法』)
先生にとって一番楽しかったのは、読書をしたり、調べ物をしたり、モノを書いたりという「書斎の生活」が最も心の落ち着く場所でした。書斎より他にはなかったのです。「この本は、あの論文を書くときにお世話になった」「この本は、若い頃に読んで啓発された」などと、思い出しながら読み始めてしまいます。すると、昔読んだ時には気付かなかったことを発見したり、確かに同じ文章を読んだはずなのに、何十年かを経て再読するとまったく別の感じ方をするのです。感心して赤線を引いてあったところに感心しなくなっていたり、逆に素通りしたところに感心したりします。気がつくと「アレ、もうこんな時間か」というくらい、時を忘れて没頭している自分がいます。そういう楽園とも言える書斎を新築しようと思ったのは、古稀を迎えたころでした。当時住んでおられた家にも、独立した書斎も書庫もあったのですが、本が溢れ出し、応接間や居間を侵食し、至る所で平積みになってしまったのです。本のせいでホームパーティの開催も不便になってしまいました。先生の学究生活の背中を常に押してこられ、理解のあった奥様も、さすがにこうした状態には、「我が家には本権はあるけれども人権がありません」と、不満を抱かれたようです。それらの本が居住ス
ペースを侵食しているだけなら我慢すればいいのですが、本は平積みしにしてしまうと、下のものに手を出しにくくなってしまいます。平積みの山の手前にもう一山積んでしまったりすると、背表紙が全く見えなくなり、奥から取り出すのはもう億劫になってきます。そんなわけで、こうした積んである全ての本を書棚に並べてやりたいと願い、書斎を新築したいと思われたのでした。東京都内にそれだけの建物(収容15万冊)を造るとなれば、相当のお金が必要です。若干の蓄えを注ぎ込んでも、2億円もの借金をしなければなりません。そのお歳で蓄えを吐き出し、大きな借金をするのは、どう見てもフーリッシュ(愚か)なことです。しかし、ここで先生は考えられました。所有する本を使えない状態のまま死ぬのと、借金をしてでも活用できるように並べて死ぬのと、どっちがひどい愚かさだろうか?と。両方とも愚かではあるけれど、レス・フーリッシュ(愚劣度が多少低い)なのはどっちだろうか?と。そして、借金をして本を並べることを決意されたのです。経済的合理性あるいは経済効率といった判断基準を持ち出せば、愚かな選択でしょうが、渡部先生にとって一番大事であったのは、これから先、つまり晩年をどう生きるかということでした。この観点から考えると、どうしても「書斎の新築」となったのです。「賢明さ」より「楽しさ」に重きを置いて、「レス・フーリッシュでいい」という生き方を選択されたのでした。「過度に賢明であってはならない」というラテン語の格言もあるくらいです。
本好きな私も、渡部先生のようにはいきませんが、家を建てた時には、「書庫」と「お風呂」だけは特注して夢を叶えたものです。「自分だけの図書館」で、本に囲まれた生活です。ここに入ってお気に入りの、お目当ての本を探すのは無上の喜びでもあります。⇒★「八幡家の書庫」についてはコチラに詳しく書きましたので、ご参照ください。♥♥♥