バナナの叩き売り発祥地の地碑

 2022年2月12日付けの『朝日新聞』で、北九州市の門司港バナナの叩き売り」が特集されており、興味を持って読みました。門司港は私の大好きな観光地で、もう何度も訪れています。⇒例えばコチラです  その度に、門司港駅を出たところにある「バナナの叩き売り発祥の地碑」の前を通って、歩いて「九州鉄道博物館」へ行くのが定番でした。碑は、門司港駅付近にあった旅館「群芳閣」の入り口横に建てられていましたが、旅館解体後は、門司港駅前広場に建てられています。

 バナナが初めて日本に輸入されたのは明治36年頃で、当時、基隆(キールン)[台湾]の商人が神戸に持ち込んだのが始まりです。それが大量輸入されるようになったのは、明治41年以降です。その頃、台湾は日本の領土であったことと、門司港が産地台湾と比較的近かった関係もあって、大量荷揚げされ、市場が設けられたのでした。このバナナ入荷は、青いままのバナナで、3~40人の仲買人[室(むろ)を持つ問屋]により競り売りが行われました。そして、引き取られた青いバナナは、仲買人の地下室で蒸されて、黄色くなってから、市場に出て行くのが通常ルートでした。ところが、輸送中に蒸れた[俗に籠熟(かごうれ)バナナと言う]ものや、加工中に傷みが生じた一部不良品等で輸送困難なものは、出来るだけ早く換金する手段として、露天商等の手を経て、口上よろしく客を集め、売りさばかれたのが、「バナナの叩き売り」の始まりというわけです。

 今も観光イベントなどでの実演が人気です。「叩き売り」の現場です。ねじり鉢巻き姿の売り手が、バナナの一房をお客に見せながら売り始めます。「さあこのバナナ、1,000円でどうだ!」客からすぐに「高い!」「けち!」と声がかかります。客との掛け合いでどんどん売値を下げていきますが、なかなか売れません。「関門橋から飛び降りて、どぼんとまけとけ、400円!」「買った!!」「持ってけ、ドロボー!」こんな調子です。「野風にさらされた、常人を超えた声」小沢昭一)で聴衆を引き込むすごさが称賛されています。

 しかし、戦争の激化でバナナの輸入が途絶え、戦後はバナナが貴重品となると、門司港の叩き売りは姿を消すことになります。物流の進化、冷凍保存技術の発達などにより「バナナの叩き売り」は廃れていきます。門司港そのものも、関門トンネル関門橋など、本州と九州を結ぶ交通網が整備されると、「通過地点」となり、街のにぎわいに陰りが出てきました。最近ではイベントや夜店で見かける程度です。「バナナの叩き売り」は、今では年齢の高い人には懐かしい響き、若い人には新鮮な響きと受け取られ、人気を呼んでいます。そこでは後継者育成のねらいから、「門司港バナナの叩き売り保存会」の協力を得て、平成9年から「バナちゃん道場」を経て、「門司港バナナ塾」の開催へとつながっています。アセチレンランプの下で、バナナを戸板に並べ、30~40人の露天商が、手拍子と名調子で競うようにバナナを売っていく様子は、門司港の風物詩として有名になりました。

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  「バナナの叩き売り」のポピュラーなスタイルは、一房のバナナを価格の高い値段から徐々に値を下げていく、「投げ売りダンピング方式」です。門司港でのバナナの「門司港バナナの叩き売り保存会」という会があり、この会によって伝統が受け継がれています。2017年(平成20年)4月には日本遺産に認定されています。技を引き継ぎ、「文化芸能」へと進化させているのです。♥♥♥

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