大好きな故・西村京太郎先生の『十津川警部シリーズ 伊豆箱根殺人回廊』(ノンノベル)を読んでいると、「同床異夢」(どうしょういむ)という言葉が出て来ました。現在日常生活ではあまり使わない慣用句ですが……。
「管野愼一郎と久間征信。それに、木村更三の三人だと思います。相手は、看板
を盗まれた六人というか、六企業です」
「最初の頃は、一緒になってマネーゲームを楽しんでいたんじゃないんですか
?そんなふうに見えましたが」
十津川が、いうと、三浦は電話の向こうで、笑った。
「正しくいえば、同床異夢(どうしょういむ)でしょうね。うまくいってる時
は、笑顔で手を握りあっていたが、まずくなってくると、一斉に逃げ出すという
か、損を押しつけ合うというわけです」(pp.208-209)
尊敬する経営コンサルタント・新 将命(あたらしまさみ)さんの新著『伝説のプロ経営者が教える30歳からのリーダーの教科書』(日本実業社、2021年)にも、この言葉が出てきます。
相手と波長(Wavelength)を合わせることが重要なのは、コミュニケーションには、常に同床異夢の危険があるからだ。人は自分の関心のあることに意識が向かう。例えば初対面の相手と商談をしているとき、一方は商品の品質に関心があり、一方は低価格が重要と考えていれば、「よい商品」と言ったときの意味合いは、すこしずつズレることになる。
この言葉の意味するところは、同じ床に寝ながら異なる夢を見ることです。寝起きをともにしていながらも別々のことを考えていることを指します。転じて、同じ立場や、仲間同士であっても、目的や考え方・意見が違うということです。一緒に仕事をしていたとしても、意見が一致しないことを意味します。
これは、同じ寝床に寝ていても、それぞれ違った夢を見ることから来ています。中国の書物陳亮「乙巳春(いつしはる)朱元晦秘書(しゅげんかいひしょ)に答(こた)うるの書(しょ)」より生まれました。これは寝床を共にしながらもそれぞれが違った夢を見る、という意味になります。共同して1つのことをしていたとしても、意見や目的などは異なるものですよね。これは中国の南宋時代に陳亮という人物が書き記したものであり、ここに「同じ寝床であったとしても別の夢を見れば、周公且でもお互いの考えや意見は理解できない」という表現がなされたのです。
例えば、職場ではチームと協力しながら仕事をしますよね。しかし、それぞれやり方は異なりますし、個々の主張も違ってくるでしょう。たとえ同じ目標を持っていたとしても、個々のやり方は違いますし、人によっては理解ができない、周りの人の考え方についていけない、などということも多いかもしれません。このような場合に「同床異夢」という表現を使うんです。同じ屋根の下で生活しながら協力して何かをする時、それぞれが違った考え方を抱いている、という意味にもなります。良い意味でも悪い意味でも使われます。
「同じチームであったとしても、同床異夢ですから、誰かを蹴落とそうとしている人がいるかもしれません」たとえチーム一丸となって努力をしていたとしても、中にはお互いをライバル視している人がいるかもしれません。協力して何かを達成しようとしていても、中には相手のあら探しをして、できる限り自分が上に立ちたいと思っている人もいるでしょう。このように、「同床異夢」という表現は悪い意味でも使えるのです。
「合コンに参加をするにしても、友達を作りたい人もいれば恋人を見つけたい人もいますし、ただ単に人数合わせの人もいますから、まさに同床異夢でしょう」合コンに参加する場合、あわよくば恋人を見つけたいと考えている人もいれば、もしも友達ができたら嬉しい程度に考えている人もいるかもしれません。その一方で、人数合わせのために嫌々参加する人もいるかもしれないですね。人数合わせのために参加する場合、ただそこにいるだけで良いわけですから、ただ料理を楽しむということもあるかもしれません。同じ合コンに参加していたとしても、目的はそれぞれ異なるのです。しかしこれは悪い意味では無いですよね。「同床異夢」という表現は悪い意味で使われるとは限らないのです。♥♥♥