知識・見識・胆識

 東洋古典に通じた陽明学者の安岡正篤(やすおかまさひろ)先生(「平成」の元号の発案者でもある)がよく語られた言葉に、「三識」というものがありました。識」には三つあると。「知識・見識・胆識」の三つです。この三つを意識することが大切です。

 「知識」とは、理解と記憶力の問題で、一般的に本を読んだり、人からお話を聞いたりすれば知ることのできる、大脳皮質の作用によるものです。平たく言えば、「情報の集まり」、つまり全ての学びの出発点ですね。さまざまな情報やデータを理性のレベルで知っているということです。しかし、いくら知識をたくさん持っていても、それだけでは単なる物知りというだけで、あまり意味がありません。「知識」は、その人の人格や体験あるいは直観を通じて「見識」となります。

 「見識」は、現実の複雑な事態に直面した場合、いかに判断するかという判断力の問題だと思います。「見識」を養うには、歴史や古典から学ぶことが効果的です。安岡先生に学んだ多くの政財界の要人は、『論語』や『史記』など、中国古典の教えを学びました。長年読み継がれてきた古典的な書物は、人類の知恵の宝庫です。「知識」に、自分の考え方を付加価値としてプラスしたものです。「知識」が信念にまで高まったものであり、自分が信じているということです。分かりやすく言えば、「知識」が生野菜であるのに対して、「見識」はそれを素材にしてサラダや炒め物にして美味しく食べられるようにしたもの、と言っていいと思います。

 この料理を美味しく味わい、栄養分を自分のものにするところに「胆識」が生まれます。つまり、「胆識」とは、「見識」に勇気・決断力と実行力が加わった能力です。「胆識」は、肝っ玉を伴った実践的判断力とでも言うべきものです。困難な現実の事態にぶつかった場合、あらゆる抵抗を排除して、断乎として自分の所信を実践に移していく力が「胆識」ではないかと思います。せっかく優れた「見識」を持っていても、意見を言うだけで実行力がなければ、ただの「評論家」で終わってしまいます。特にビジネスの世界では、実行力がなければ成果は上がりません。「胆識」を養うには、苦労・挫折の体験が一番の肥やしのようです。魂のレベルで固く信じているがために、何ものも恐れないという状態です。

 「知識」というのはデータそのものです。「見識」とは、「知識」プラス自分なりのものの考え方。分かりやすく言えば、生野菜としての情報を豊富に揃えると同時に、それをうまく調理して食べやすくすること。要するに知識を昇華して自分のものとすることです。限りなく「知恵」に近いものと言うことができます。最後の「胆識」とは、「見識に決断力と実行力を付け加えたもの」と定義できるでしょう。そういう意味では、集団の指導者(リーダー)に必要なのは、「知識人」「見識人」ではなく、「胆識者」であるということです。「百聞は一見にしかず。百見は一考にしかず。百考は一行にしかず」です。このような「胆識」が備わって初めて、いかなることが現れようと、正しい判断を下し、敢然と目指す方向へ組織の舵取りをすることができるのです。♥♥♥

◎《教訓》「胆識」を磨け!!

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