最後の追い込み

     今から20年以上も前、島根県立大田高等学校で進路部長を務めていた時の話です。終業式前に3年生生徒たちの「嘆願書」が、進路指導室の私のところに届けられました。大田という所は田舎町で、各家庭ではお正月の帰省客でドンチャン大騒ぎで集中して勉強ができない、なんとか学校を開けて勉強ができるようにして貰えないだろうか、という切実な嘆願でした。何とかしてやりたいと思いましたが、職員会議では「そんなことは必要ない」という意見が大半でした。「ストーブの灯油代を誰が出すんだ?」という声までありました。当時の森山祐次校長、南場俊一教頭が理解をしてくださり、正月に帰省するところもない私が毎日出るということで、認めてもらいました。年末から正月にかけて、たくさんの生徒が登校して勉強に励みました。元日には森山校長もやって来られ、3年生の各教室を回って「合格できるみかん」(?!)を配っておられました。元日には、保護者からお寿司やお餅の差し入れをいただくなど、ずいぶんと喜んでいただいたようです。このことも効を奏してか、例年は40~50人だった国公立大学の合格者が、103人にまで増えたのは、学校始まって以来のことでした。本番試験直前のこの時期は、生徒の力は限りなく伸びるのです。若くて精力的な進路指導部の先生方や、熱心な担任の先生方の「組織の力」が結集した「団体戦」の成果だと思っています。

 まだ若い頃、島根県立松江南高校に13年間の長きにわたって勤務していました。当時、進路部長だった岩浅宏志先生(島根県立出雲高等学校校長で退職)の毎日を隣の席で観察していて、メモをとっていたんです。緻密に計算された進路指導の機微に感嘆する毎日でした。松江南高校を後に島根県立大田高校に転勤して、上記の実践の中で、そのときのメモを基に、「進路指導シラバス」なるものを一年かけて作成しました。入学してから、卒業するまでの各月各月(!)の「時期のポイント」「進路指導のポイント」「学習指導のポイント」「生徒の内面の動き」「参考にしたい資料」を明示したコンパクトな冊子です。進学実績が大幅に伸びたことも手伝って、全国から学校訪問が相次ぎ、毎日応対に大忙し。訪ねて下さった先生方に、これをおみやげに差し上げる毎日でした。若い熱心な担任の先生方には、特に喜んでいただいたようです。今では「シラバス」もごく当たり前になってきましたが、当時はとても珍しい実践だったんです。松江北高に移ってきて、学年主任を務めた際にも、毎月の学年会でこれを共有しながら、校内ランに載せて、改訂を加えていきました。今でもいろいろな先生方に使っていただいているようですし、話題にしていただいたり、問い合わせもあります。どんな感じのものか、その1年生版が「ダウンロードサイト」にアップしてあります(⇒コチラで見ることができます)。ご参考になれば幸いです。改めて岩浅先生にお礼申し上げます。以来、私が進路部長を務めていた3年間はずっと合格者100人前後を記録していました(また元の40~50人に逆戻りしたようですが…)。

▲当時は画期的だった「進路指導シラバス」

 さて、今から18年前に松江北高に帰って来ました。やはり年末・年始はギリギリまで学校に登校して勉強する体制が出来上がっていました。この時期は、センター試験マーク模試を2日間でやって、一日休んで(この日に自分で復習する)、翌日「フォロー講座」と称して、各教科で模試に見られた弱点講座を開講していました。どの教室も満員で溢れかえっていました。最後の最後までやりっ放しにしないという「組織の力」「団体戦」で勝負をしていたんです。12月31日も学校で過ごし、担任団で「年越し蕎麦」を一緒に食べて健闘を誓い合ったものです。1月も2日から学校を開けて(担任が交代制でカギを預かり校舎を開けていました)、生徒の自習体制を作り上げていました。私は退職するまで10年間松江北高に勤めましたが、年々こういう勤務は異常だということで(ブラックと言われていました。北高から移動転勤することを「脱北」などと揶揄する声もありました)、公務員のスケジュール通り、休みにするのが通例となっていきました。どんどん進学成績が右肩下がりで落ちていったのは、何ら不思議ではありません。この間「生徒の自主性」に任せると言う名目で、教員もみな休みにしてしまったのでした。するとどんなことが起こったか?年を明けて、英語の「フォロー講座」に出向いてみると、教室にはたった2人しか生徒がいません。「一体どうなっているんだ?!」怒りに震えました。その次の「フォロー講座」に行くと、教室には生徒が誰一人いません。もうこの時点で今年の進学はボロボロだな、と予測ができました。結果過去最低でした(模試の成績は良かったにもかかわらずです)。そんな苦い思い出もあり、最後に担当した3年生たちには、このことを口を酸っぱくして語り、生徒たちに訴えかけました。職員会議や判定会議でも問題提起をしました。幸い熱心な担任団で、12月31日まで学校を開けて、生徒たちの学習の便を図りました。1月1日だけ休んで、もう2日から登校して各クラスで勉強していました。まさに「集団の力」です。もちろん「フォロー講座」は、年末も年始も大盛況です。私の「英語講座」などは、教室の机・椅子が足りずに、他教室から運び込んで溢れんばかりの満員盛況でした。それこそ必死で1点を上げようとコツコツと努力を重ねていました。この年の英語の「センター試験」平均点が北高過去最高点を記録したこと(模試成績は過去最低でした!)、右肩下がりで落ち続けていた進学成績が久しぶりに持ち直したことは、この生徒たちの追い込みの頑張りと無縁ではないでしょう。最後の最後まで粘り強く指導して、やり方一つで結果が変わってくることを、この年の生徒達には教えられました。♥♥♥

▲私の作成した「センター対策本」を利用して必死で追い込む生徒達 懐かしい!

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