『オックスフォード英語大辞典』

 大学時代に英文学を教えていただいた故・小林定義(こばやしさだよし)先生は、200年くらい前の古いエッセイをテキストに用いられ、全ての単語を英語資料室にある『オックスフォード英語大辞典』(OED、本体20巻、補遺3巻で引いて、語義を確認してくることを求められました。予習にはとんでもない時間がかかります。そこで我々が編み出した対処法(?)は、全員で分担を決めて、辞典を引き写し、そのノートを回して写し、次の授業に臨むというやり方でした。20巻からなるこの辞典がとてつもなく重いので、引いて棚に戻すだけでも実に大変な労力です。小林先生は全部一人で引いて準備しておられるので、腰を痛められたというエピソードがあります。先生からは英文をきちんと読むというのはどういうことなのかを、身をもって教えて頂きました。90分の授業で、ほんの数行しか進まないことも度々ありました。今の大学では考えられないような密度の濃い授業でした。学生時代にこの辞典を購入できたときにはとても嬉しかったですね。今の大学生で、OEDを引いて勉強している人がどれくらいいるんでしょうね?

 こんなすごい辞典を出したイギリスという国はすごいな、とつくづく思いました。世界中の多様な英語の用法を記述するのみならず、英語の歴史的発展をも辿っており、学者や学術研究者にとっては包括的な情報源となっています。古今東西の英語文献に現れた全ての語彙について、語形とその変化・語源・文献初出年代・文献上の用例の列挙・厳密な語義区分とその変化を記述しています。主要見出し語は291,500語です。それに比べて日本の国語辞典がいかに粗末なものだったか!国力と辞書というのは関係があるのだと、故・渡部昇一先生はおっしゃっておられました。イギリスでは『オックスフォード英語大辞典』(当時はNew English Dictionary)のAの項が出て、それが20巻で終わったのが昭和8年。東京大学の英語学教授の市河三喜(いちかわさんき)先生が、イギリス留学中に出ていた『オックスフォード英語大辞典』を買われたのです。なにしろ明治22年頃に始まった辞典ですから、新しい言葉がかなり増えています。それは「補遺」(Supplement)で出しますので、この補遺ができましたら、買った方には無料で差し上げます、と出版社は約束したのです。それで留学中に市河先生はお買いになりました。そして日本に帰国してからしばらくして忘れていた頃に、ちゃんと本当に要るかという問い合わせが来て、ただで大きな補遺の辞書を送ってきたというのです。何十年かかっても忘れないでちゃんと送ってくれる。それが戦前の大英帝国の信用というものです。当時のイギリスの信用というのは、本当に今で信じがたいほど大きかったのです。

 メル・ギブソン×ショーン・ペン共演で、異端の天才二人によるこの大辞典の編纂秘話(70年以上の歳月を要した)を描いた映画『博士と狂人』が、2020年に公開されました。♥♥♥

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