さださんの「仕事の流儀」

 4,500回以上のコンサートの舞台に立ち(3月2日付けの『朝日新聞』の記事によれば、1272年も続く奈良の「修二会」「続けることの大切さ」を教わったと言います)、600曲以上の楽曲を生み出してきたシンガー・ソングライターのさだまさし(70歳)さんが、2月9日放送のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演し、自身の音楽へのこだわりを明かしました。さださんは現在でも毎年10曲以上制作し、年に1枚はアルバムを発売しています。これまで600を超える曲を作ってきた自身の“流儀”「自分の中に釣り糸を垂れる」と表現。「経験したり考えたりしたことが体の中にたまってるとすればね、その井戸の中に釣り糸を垂れるわけですよ。何が釣れるかなって。もうこんなの釣れたよ!!っていうのが時々あるからね。僕が思ってないところへたどり着けたら、その歌はOKなんですよね。想像外じゃないと。想像している通りに作ったってつまんないっすよ、歌は」と、そのこだわりを明かしました。今もなお活動の幅を広げ、走り続けるさださんをとことん追いかけた番組でした。

 そんな楽曲について、日本を代表する作曲家で、47年間、さださんの編曲を担ってきた渡辺俊幸(わたなべとしゆき)さんは、「メロディーは音階が連なっている部分が非常に多いんですよね。音が極端に飛ぶと、それはそれで1つの緊張とかインパクトが生まれるんですけど、そういう要素が彼の音楽には少なくて自然に心にしみ入ってくることに結びついてくる。こういった音楽はさださんしかないねっていう魅力がある」と証言しました。お二人の絆については、ルーシー原納『絆の極み さだまさしと渡辺俊幸の半世紀』(全音楽譜出版社、2022年)をご覧ください(⇒私の紹介記事はコチラ

 毎年のように新曲作りに取り掛かるさださんは、「600曲近く作ってきてますからね、大概自分のやりたいような方向にメロディーがいっちゃうんですよね。昔やったことはやりたくないし、新しいものってそう無いし。(それでも)その中で精いっぱい新しい何かを伝えていくっていうんですかね。あー難しい」と悪戦苦闘します。番組では70歳を超えても精力的な活動を続けるさださんの、曲作りからコンサートの舞台裏までを密着取材しました。そんな中、ラジオの仕事やハガキを使ったテレビの生放送からもヒントを得ているとし「あがいて、あがいて。それだけ心の中のストックがだいぶ枯渇してきてるのかな。歌にしてもカツカツの歌になる。僕はいっぱい、いーーーーっぱい背負ってないといけないんです。どれだけ背負ってるかが搾ってきたときのエッセンスになるので」と曲作りの“秘訣”を明かしました。音楽と向き合い半世紀、ステージでのコンサートはもちろん、小説の執筆やラジオDJ、助成事業や被災地支援事業(最近では登山家・野口 健さんと共に、大地震で甚大な被害が出たトルコの被災地にソーラーランタン7,000個を届けました。「明かりというのはいちばん人間の心を温めてくれる。真っ暗闇の中で、この明かりがどれだけ人の心を支えるか」)を行うなどマルチに活動するさださん。およそ6か月の間、節目となる新曲制作の舞台裏に密着した番組です。

 番組が取材を始めたのは、去年8月のことでした。独自の作詞の仕方や、創造と否定・破壊を繰り返しながらも新しいメロディーを探す姿など、さださんならではの様子。そんな中、一番驚いたのは、曲を生み出すその姿勢です。新たな曲をゼロから生み出し続けることは、私たちには想像もできないほど苦しく辛い作業だと思うのですが、さださんは、その苦しみも含めて楽しんでおられました。とはいえ、作業の時間は黙々と。なかなかお目にかかれない、“おしゃべりをしない煮詰まったさださん”は見どころの一つです。

 さださんの故郷でもある長崎で、1987年から2006年までの20年間、コンサート「夏 長崎から」を自腹で開催してきました。20年も、どうしてさださんはここで歌い続けたんでしょかか?故郷への思いにとどまらず、続けることで得た考えや力、その心の奥をたっぷり話してくださいました。さださんの音楽活動は、長崎でフォークデュオ「グレープ」でのデビューから始まりました。煮詰まる度に長崎に逃げ帰ったことも語られました。ホントに辛い時に、いつも逃げ帰って、あの空気の中で、冷静に自分を見つめ直して、何か出来ることはないかと、気持ちを切り替えるのは、全部長崎が基準だったと言います。去年、そのグレープを再結成し、46年ぶりとなる1日だけのコンサートを開催しました。そこでさださんは、新たに2曲の新曲を作ると宣言します。しかし、10日を過ぎてもテーマすらいっこうに決まらず、完成されたかのように思えた曲は、またしても創造と否定の繰り返しです。コンサート当日、自分だけの音楽を探し続けたさださんはどんな曲を届けたのか、その一部始終を追いました。

 今でこそ大人気を博していますが、彼ほど世間からひどく叩かれた歌い手も珍しいと思います(28億円の大借金は別として)。私は若い頃から、ずっとさださんを応援し続けていますから、その一部始終を目撃してきました。「精霊流し」「暗い」「無縁坂」「マザコン」「雨やどり」「軟弱」「関白宣言」「女性蔑視」と批判され叩かれました。「防人の詩」では「右翼」「好戦的」とレッテルを貼られました。「しあわせについて」「左翼」と真逆の批判を受けたこともあります。その他にも、「いい子ぶっている」とか、無料コンサート「夏・長崎」を始めた時には「選挙に出るのか!」と、さんざんの叩かれようでした。よくもまあこれだけ言われたものです。当時を振り返って、2017年の雑誌『Oriijin(オリイジン)』春号で、さださん自身が回想していました。

 絶望?いや、そりゃもういっぱいありますよ。例えば、20代のときに『さだは暗い』と言われた時期とか。右翼の街宣車が、僕の『防人の詩』を流して走り、原爆の日近くに、広島の野外コンサートに出たら、日和見って言われた。僕は真ん中に立っているだけなのに、『お前はどっちなんだ?いいかげんにしろ』って(笑)。

 世間の評価というものを理解するのに、僕は結構な時間がかかった。自分が有名になるっていう恐ろしさも経験して、3~4年かかったんじゃないかな。個人を平気で叩いて、叩いた人は叩いたことを忘れるっていうメカニズムがなかなか理解できなかった。その間、人を恨みもし、呪いもし、怒りもし、悲しみもし…最後は笑えるようになったけど。多かれ少なかれ、みんなが経験することだね。人を疑い、怒りを覚え、自分自身で悲しむ―でも、それを抜けると笑える。そこまで行けるかどうかじゃないかと、僕は思う。

 さださんを見ていると、やはり「曲を作って歌う」というのが彼の中心にあって、それを続けること自体が歌手・さだまさしとして生きる目的なのかなと思いました。そして、常々“歌い手として今何ができるのか”を考えている方です。それはエンターテインメントを追求するという意味でも、今の息苦しい時代に何を訴えるかという意味ででもです。そんな、さださんの思いが込められた曲の数々を、多くの人に堪能してもらいたいと思います。

 最後にさださんに、番組恒例の質問を問いかけます。「プロフェッショナルとは?」さださんの答えは? 今もなお全力で走り続ける理由とは? ぜひ番組で確かめてみてください。今回、なぜさださんが密着取材を受けてくれたのか。その理由は、最後の「プロフェッショナルとは?」の答えに全て集約されていると感じました。3歳からバイオリンを始めて、70歳になる今でも音楽活動を続けてこられたさださん。答えを聞いて私たち世代に「もっとできるよね、一緒に明日を諦めずに生きようね」と、温かいタスキのようなものを渡したかったのではと思ったからです。

★グレープの新アルバムが出た!!

 そんなさだまさしさんと吉田政美さんのグレープが、この度47年振り4枚目のアルバムを出しました。タイトルは『グレープセンセーション』「天人菊」(ガイラルディア)の花の種類に実際に存在するという、とても美しい名前です。同名の曲の次の詩に感銘を受けました。ズキンとくる言葉です。

世の中は一所懸命に 生きようとすればするほどに 辻褄の合わないように出来ている でももし寄り添えるならば 悲しみより希望のほうが ずっと良いと思う

 グレープ的な視線というのは、ごろんとした木の素材そのものを大事に削っていく。さだまさし的なスケールでは測れないものを落ち穂拾いみたいな形で拾っていくものだと言います。今回の『グレープセンセーション』の大切な聴きどころは、3曲収められた、かつての代表曲のセルフカバーでしょう。「縁切寺」はバンドサウンドを加えて力強く、特に後半の感情の昂ぶりは、心を打たれます。当時のライブアルバム『三年坂』のバージョンを、さらにスケールアップした印象があり、中でもドラムが実にいい感じ。続くセルフカバー第二弾「無縁坂」も母の歌です。フォークソング調でありながら、ドラムとベースが刻む現代的で重厚なリズムを聴いていると、「グレープは本当はロックをやりたかった」という逸話をふと思い出しますね。歌心ある倉田さんのピアノも素晴らしい。さださんのお母さんがまだお元気だった頃のこの歌への思いは(照れくさい)、お亡くなりになった今ではずいぶん変わってきたと証言されています。私は若い頃はカラオケでいつもこの歌を歌っていました。「母がまだ若い頃僕の手をひいてこの坂を登る度いつもため息をついた」という出だしのフレーズは、高校時代にさださんが書きかけた小説の書き出し部分だったそうです(ライナーノーツによる、この小説未完)。グレープ時代最後のアルバム『コミュニケーション』に収録されている「縁切寺」「無縁坂」「フレディもしくは三教街」「雲にらくがき」「19歳」「悲しきマリオネット」という6曲を、わずか一晩正味6時間で書いたといいますから驚きです。そしてアルバムの最後を飾るのはやはりこの曲、「精霊流し」のセルフカバー。アレンジは原曲とほぼ同じですが、ストリングスやアコースティックギターの豊かさと透明度は数段アップしています。吉田さんのトレモロは、年輪とともに説得力を増し、さださんの歌も素晴らしいのですが、それ以上にこの歌詞を20歳そこそこで書いたとは、今さらながら驚きしかありませんね。三連符に乗せるメロディの伸び縮み、転調の鮮やかさも天才的と言えます。フォークもポップスも歌謡曲も超えた、稀代の名曲でしょう。♥♥♥

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