私が子どもの頃、信仰心のあつかった母(毎年最上稲荷奥之院で修行)は毎朝、神様(日蓮宗)のお勤めを5時に始めていました。鐘がチーンと鳴ると、自然とパッと目が覚めたものです。そのおかげでか、子どもの頃から、朝は毎日5時起きという早起き習慣が身についたようです。これは実に有り難い習慣形成でした。早起きが全く苦にならない習慣が身についたのです。大人になってもこれは変わりませんでした。人よりも早く起きて、一仕事してから学校に向かうというルーティーンが定着しています。私が朝の6時半から学校に登校して、仕事をするのは、どの時間帯よりも仕事がはかどり集中できるということを、身をもって体験しているからです。勤務開始時間ギリギリに飛び込んでくる先生もおられますが、実にもったいないことだなあと感じています。今でも北高の授業のある火・水・木は、物音一つしない始業時までの静かな約2時間を、教材作成や生徒からの質問、添削に充てるのが、私の日課となっています。今日はこんなものを作ってみよう、これをまとめておこう、と思い立ち、「すぐやる⇒必ずやる⇒できるまでやる」(永守重信)が私の信条です。私がこれまでに作成した膨大な指導資料は、全部こうして「コツコツ」と積み上げて出来上がったものなんです。まさに「チリも積もれば山となる」ですね。私はかつて、英語の諺“Virtue is its own reward.”(英和辞典には「徳はそれ自体が報いである」「徳行は自ら報いる〔報酬を求めない〕 」「善行の報いはその中にあり」「徳行はそれ自体が尊い」「美徳はそれ自身の報酬である」などと説明されていますが、その意味するところがイマイチピンときませんね)を、早起きを例に説明したことがありました。⇒コチラです
「早起きは三文の徳」ということわざがありますね。「早起きは健康によく、良いことが起こる」というさわやかなイメージのことわざで、仕事や勉強が効率よく進む教訓として引用されることが多いものです。しかしこのことわざの成り立ちを調べてみると、教訓とはほど遠いものであることが分かってきます。中国の古い散文がベースになった上に、日本オリジナルのエピソードが加味されたと言われています。
江戸時代、奈良ではシカが「神様のお使い」として大切に守られてきました。江戸時代には幕府が手厚く保護し、殺生などを厳しく取り締まったといいます。シカの死体が家の前で見つかると、家主は放置した罰金として三文を払う決まりがありました。そこで、どの家も早く起きて、シカの死体があると隣の家の前などにひそかに移動させていました。死体を置かれた家もよその家に回すので、最後には、一番遅く起きた家の前に死んだシカが放置され、三文を払うはめになりました。しかし、早起きすれば三文を払わなくてよく、得だというわけです。古典落語「鹿政談」でも語られているこうした逸話が、ことわざの元になったと言われているのです。江戸時代の「三文」は、現在の貨幣価値に換算すると、100円程度だとされます。一度なら少額ですが、毎朝ならば結構な金額になりますね。
英語の諺では、このことを、The early bird catches the worm.(早起き鳥は虫を捕まえる=早起きは三文の徳)と言っています。 ヨーロッパには早起きの得を讃えた格言がいくつもあります。
「早起きする人には神の助けがある」(スペイン)
「朝の時間は口に黄金をくわえている」(イタリア)
「朝の時間は儲の時間」(フランス)
「朝こそすべて」(イギリス)
「大事なことは朝のうちに」(スペイン)
「明け方の光りはパンを新しくつくる」(ドイツ)
「朝の時間は黄金、私たちに報いる」(ロシア)
「朝は夕べよりも賢い」(スラブ)
「早起き鳥はクチバシをすすぎ、遅起き鳥はただ目をこする」(バルト海地方)
早起きと言えば、私の尊敬する地球物理学者・故・竹内 均先生(たけうちひとし、東京大学の学生たちにはタケキンと呼ばれていました)に、忘れられないエピソードがあります。その昔、学生が大学を封鎖したり、警察とやりあったりした「大学紛争」をご存じない若い先生方が増えてきました。そりゃひどかったんですよ。私の
大学キャンパスではヘルメットをかぶり、タオルで顔を巻いて隠して、竹槍を持った学生達が警察とやりあっていました。その時の話です。ある日、竹内先生の東京大学の研究室のある建物が封鎖されました。しかし、学生たちが登校(?)してきたのは朝の9時でした。もちろん朝の早い竹内先生は、7時半には研究室に入っておられたので、セッセと仕事に打ち込んでおられました。竹内先生の秘書が9時頃やって来て、学生たちにつかまりました。そこで先生のことが大いに問題になりました。「タケキンを引っ張り出せ!」という強硬意見も出ました。しかしネコの首に鈴をつけるネズミが出てきません。結局「先生はしょうがない」というところに落ち着いたそうです。翌日、竹内先生は学生の代表を呼んで、こうお説教をしました。「建物の封鎖をやるならもっと真面目にやりなさい。私が7時半から来ているのに、君たちが9時では遅すぎるではないか!」 この奇妙なお説教を、学生達は神妙な面持ちで聞いていたそうです〔笑〕。できる男は朝で差をつけるんです。
退職時に、全てのお申し出を断って悠々自適の生活に入り、家でゴロゴロしたり、旅に出たりしてのんびりとしていました。退職前の最後の二年間私が指導した新任の若い女先生は、当時、毎日私よりも早く来て、美味しいコーヒーを入れて待っていてくれました。私の退職後、この先生が6月からアメリカの大学院でもっと勉強がしたいと言われ、彼女のためならと(二年間の朝のコーヒーの恩!)、私が「お留守番」を引き受けて6月から北高に復帰したのでした。以来、ズルズルと働くことになってしまいました〔笑〕。♥♥♥