目くじらを立てる

 学生時代に英文学を教えて頂き、卒業してからもなにかと可愛がっていただいたサンフォード・マロヴィッツ教授(Sanford E.Marovitz、ケント州立大学)から、日本語の「目くじらを立てる」という言葉は「鯨(くじら)」と何の関係があるのか?と聞かれて、答えに窮したことがあります。

 尊敬する故・渡部昇一先生が、高校時代の恩師・佐藤順太先生を振り返ってこんなことを書いておられました。

 何十年かあとになって、同窓会の時にのちに英語で中学校の校長になった男が「順太先生の授業の時は、先生ときみが教卓を差し挟んで禅問答みたいなことをやっていたなぁ」と言った。先生と私が、勝手に二人でやり取りしていたことが本当にしばしばあったのである。こんなことはいまの学校で赦されるはずはないが、荘内中学以来、変わった先輩がいっぱいいた学校であるのと、戦争直後の呑気な空気(大学受験ということがたいていの生徒の頭のなかになかった)のおかげで、誰も目くじらを立てず、教科書がそのため進まないので学期末テストの範囲が増えないことを歓迎しながら、ある者は小説を読んだり、ある者は弁当をこっそり食べたりしていたのである。  ―渡部昇一『青春の読書』(ワック出版) 

 この「目くじらを立てる」の意味は、「些細なことを取り立ててとがめる・他人の欠点を探してとがめる」ことです。「小さなミスにいちいち目くじらをたてる」などと、とがめる行為をする人に否定的な気持ちや軽蔑の気持ちを含めて使われます。また、他人の欠点を粗さがししてとがめる態度などに対して、行き過ぎだと感じた時には、「目くじらを立てるほどのことではない」「いちいち目くじらを立てる必要はない」などの言い方をします。「目くじらを立てる」は、それほど重大ではないような事柄を取り立ててとがめるような行為や人を、それに賛同しないとの気持ちを含めて一言で言い表すのに便利な表現です。批判的な立場に立って、他人の言動を表する時に使われる慣用句です。

 この「目くじら」というのは、顔の「目尻(めじり)」のことで、「目くじり」とも言います。「目くじら」「目くじり」がなまったものです。また、「目くじら(目尻)を立てる」の「立てる」とは、目を吊り上げている様子を表わしています。目尻、または怒った目つきという意味の「目角(めかど)」を用いて、「目角を立てる」との言い方も同じ意味です。このことからも分かるように、「目くじら」とは「目くじり(目尻)」のことであるため、「鯨(くじら)」とは何の関係もありません。そのため、漢字で「目鯨」とは書きません。その場でこれぐらいをスパッと答えたかったですが、残念ながら当時の私にはその知識がありませんでした。♥♥♥

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