「先義後利」

▲東京・大丸デパート 私の好きなデパートです

 日本に創業100年を超える老舗企業は、27,000社以上あるといいます(商工リサーチ調べ)。例えば、上場企業の中では、2010年に、松坂屋大丸を統合した「J・フロントリテイリング」が、長い業歴を持っています。松坂屋は400年、大丸は、300年近い歴史です。その大丸の「店是」は、「先義後利(せんぎこうり)」です。詳しく言えば、「先義後利者栄」です。「義を先にして利を後にする者は栄える」「まず正しい道を先にして、利益を後にする者は栄える」原典は、「荀子(じゅんし)」で、孔子が亡くなってから百数十年後に活躍した思想家です。大丸の創業者、京都の下村彦右衛門に伝えたのは、その時代に活躍した石門心学の石田梅岩だったのでしょう。

 下村彦右衛門正啓は江戸時代中期の商人です。1717年に京都伏見に古着商・大文字屋を開業。これが1728年大丸屋、1907年株式合資会社大丸呉服店、1920年株式会社大丸呉服店となり、1928年に株式会社大丸となりました。事業の根本理念を「先義後利」と定めたのは1736年のことでした。利益というものはお客様や社会への義を貫き、信頼を得ることでもたらされるという意味です。この言葉が単なるお題目ではなかったことを示すエピソードが残っています。1837年の「大塩平八郎の乱」の時、庶民が窮乏する中、米の買い占めなどで私服を肥やす幕府の役人や豪商を誅すべく決起して、豪商の多くが焼き討ちにあいましたが、平八郎「大丸は義商なり。犯すなかれ」と命じたことから、大丸は焼き討ちを免れたのです。実は、松坂屋にも「人の利するところにおいて、我も利する」という理念がありました。

 「相手の立場を考えて商うと、利益は自ずと後からついてくる」という考え方など、今ではもはや廃れたのではないかと思うことさえあります。己の利益追求のためならその手段を選ばないという拝金主義者は、「人をだましてでも儲けよう」という間違った道に進み、やがては破滅を迎えることになるでしょう。それに対し、道義を通し、人の役に立つ商売をする、それによって得た利益を世のため人のために使う、それが正しい商いの道であり、商売が長く続く秘訣でもあります。目先の損得や経済的合理性に踊らされることなく、人と人との約束や痛みを優先できる人が、最後に笑うことになるのです。

 上で紹介した大丸松坂屋の理念に共通するものを、現代風に言うなら、「お客様第一主義」「社会への貢献」とでもなりましょうか。この二つは大丸松坂屋グループ理念の根幹を成すものとして、今でも大切されています。「売り手よし、買い手よし、世間よし」とする、「三方よし」の経営方針が近江商人の模範理念とされました。

 この「先義後利」ということですぐに思い起こされるのは、クロネコヤマトの創業主・小倉昌男(おぐらまさお)さんです。百貨店など大口の荷物を運ぶのが物流企業の王道とされた当時、電話一本でドライバーが各家庭を回り、荷物を集めて、次の日には相手の手元に届ける宅配サービスを始めました。昭和51年1月23日のことでです。宅配事業に難色を示す社員が多くいる中、小倉さんは反対派をこう説き伏せたといいます。「これからは、箸でひとつずつ豆を移すんだね。それが宅急便だよ」「宅急便」初日に扱った荷物は、わずか11個でした。それが初年度には170万5195個もの荷物を配送しました。小倉さんは「宅急便」の事業開始にあたって「サービスが先、利益は後」というスローガンを掲げました。百貨店配送の経験から、大和運輸は地域の住所を隅々まで把握しており、サービスの良さで他社を圧倒する自信があったんですね。事業は大成功、たちまちにして全国に展開します。今や国内全体で、荷物が年間50億個に届こうとしていて、年商1兆円の大企業に成長させました。「サービスが先、利益は後」すなわち「先義後利」ということですね。私はこの話を聞いてからというもの、宅急便はクロネコヤマトひとすじです。♥♥♥

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