どこまで強くなる?藤井聡太

 藤井聡太、この若者はいったいどこまで強くなるのでしょうか?渡辺明棋王から3勝1敗で棋王位を奪取し、6冠となりました。1994年の羽生善治竜王(24歳2ヶ月)以来二人目の6冠で、史上最年少記録(20歳8ヶ月)も樹立しました。さらには、今年度参加資格のある一般棋戦(銀河戦、JT杯、朝日杯、NHK杯)を全制覇しました。それでも「まだまだ実力的には足りないところが多い。その立場にふさわしい将棋が指せるよう、一層頑張らないといけない」と謙虚に語っています。彼のスタンスは、棋士になったときからブレることはありません。「強くならなければ見えない景色が確実にあると思う。対局に臨む上では数字とか記録よりも、自分が強くなることでいままでと違う景色をみることができたらなと思います。」と、自分の目指すところを表現してきました。最近では、谷川浩司『藤井聡太はどこまで強くなるのか』(講談社α新書、2023年)が詳しく取り上げて、名人への道を予言をしていました。

 私は教員成り立ての頃、将棋が大好きでよく先生方に鍛えてもらいました。退職してから松江北高でも一年間だけ将棋部の顧問を務めていたこともあります。そういうわけもあって、彼の若者らしからぬ言葉にも感銘を受けることが度々です。以下は、昨年書いていた感想です。そのまま載せておきますね。

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 「森林限界の手前」初めて聞く言葉でした。史上最年少で初の王将位を獲得するとともに5冠(竜王、王位、叡王、棋聖)を達成した藤井聡太新王将(19歳)が、タイトル獲得から一夜明けた2月13日、東京都立川市パレスホテル立川で記者会見をした時の言葉です。よくこんな言葉を知っているな、と感銘を受けました。

 「第71期ALSOK杯王将戦」七番勝負(毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社主催、ALSOK特別協賛、囲碁・将棋チャンネル、立飛ホールディングス、森永製菓協賛)を4連勝で制し、藤井新王将「改めて王将獲得の喜びを、実感を持って感じている。今まで同様、実力を高めていくことを見据えて取り組んでいきたい」と、さらなる高みを目指す決意を語りました。また、ホテルから見える富士山を将棋の目標に例えて「何合目を登っているイメージか?」との質問には、「将棋はとても奥が深いゲームで、どこが頂上かは全く見えないわけで、そういう意味で、森林限界の手前というか、上の方には行けていないのかなとは思います」と答えた。森林限界とは、高山において樹木が生育できずに森林を形成できなくなる標高の上限を指し、富士山(3776メートル)では、標高2400メートル前後の五合目付近とされます。中学時代には、各地の積雪量の推移を観察したり、山岳小説で知られる新田次郎の作品を愛読する、など地理好きとして知られる藤井五冠らしい言葉でした。

 「森林限界」(しんりんげんかい)という言葉は『広辞苑』(第7版)によれば、「高緯度地方や高山の森林分布の限界。高緯度地方では亜寒帯と寒帯の境に生じ、北半球では北緯60~70度付近。高山では亜高山帯と高山帯の境に生じ、本州中部では2400~2600メートル付近にある」と出ています。抽象的な言葉なのかと思っていましたが、地理用語でした。富士山で言えば樹木が生育できる境界線である「五合目あたり」がそれにあたるようで、もしかしたら「五冠」の五とかけていたのかもしれませんね。「森林限界の手前」という表現力のすごさ。とっさにこの表現を出すのは非常にすごいことだ、とネットでも騒がれています。これは本当に噛めば噛むほど味がでる、と言いたくなるこの意味を反芻すると非常に面白いです。単純に「五合目くらいです」と返したら、「ふーん」で終わってしまうかもしれません。そこを、「森林限界の手前」と表現することで、「五」をさりげなく示し「頂上が見えない」ということも示し「これからが厳しい」「この先は森林もない荒野を孤独に歩く」というイメージさえも表現しています。まさに恐ろしいほどの表現力を感じます。さらに、「この先は樹木も生えない荒野を、一人で頂上を目指して進むことになるかもしれない」という覚悟のこもった言葉と取ることもできます。「常人よりは高い位置にいながらも、まだ道半ば」と、謙虚さと自負、そして何より将棋の奥深さに対する敬意が読み取れる、大変的確な表現だと感じました。これを即興で表せてしまう19歳。末恐ろしいです。この人は将棋で勝負に勝つことよりも、もっと遥かな先を見ているのです。「もっと強くなりたい」「将棋を極めたい」という強い野望を感じます。

 将棋界では、1957年に故・升田幸三実力制第四代名人全三冠制覇(名人・九段・王将)を達成した際に残した言葉に「たどり来て未(いま)だ山麓」という名言があります。まだ到達点には遠いという意味では、藤井五冠「森林限界の手前」という言葉に重なります。高みを目指す棋士は自然とそういう気持ちになるのでしょう。

 「僥倖としか言いようがない」「今は勝敗が偏っていて、いずれ『平均への回帰』がおこると思います」「節目(せつもく)の数字になりました」「せっかく神様がいるのなら一局、お手合わせをお願いしたい」「盤上の物語は不変。その価値を自分自身で伝えられたら」といった言葉を、中学生の頃から発してきました。同年代の子どもたちを教えている私には、およそ信じられないといったところです。

◎「雲外蒼天」という言葉も?

 昨年10月10日、都内で行われた第92期棋聖就位式に登壇しました。7月3日に、渡辺明名人をストレートで破り、初のタイトル防衛と最年少九段昇段を達成しています。就位状や賞杯を受け取った藤井棋聖は、「初めての防衛戦で、力んでしまわないよう前期と同じく挑戦者の気持ちで臨めればと思っていました。渡辺名人との五番勝負はどれもきわどい将棋で3連勝は望外の結果だったと思います。経験を生かして来期よりいい将棋をお見せできるように精進して参ります」と、緊張した面持ちで謝辞を述べました。最近私は、ブログでこの快進撃を続ける藤井聡太三冠について詳しく取り上げています。⇒コチラです  初防衛しての就位式を、「前期は実感が湧かないところもあったけど、防衛戦で前より実感が湧いてきたところがあるかなと思います」とかみしめました。扇子には「雲外蒼天」(うんがいそうてん)と揮ごうし、「強くなることで盤上で今まで見えていなかった新しい景色が見えてくるかなと思うのでそれを目指していきたい」と、この言葉に込めた思いを明かしました。彼は中学生の時に、勝てたのは僥倖(ぎょうこう)だった」とインタビューに答えて、中学生らしからぬ語彙力を披露しています。今回は「雲外蒼天」です。

 「雲外蒼天」の意味は、ある種文字通りのものです。雲の上はいつだって青空だ、ということを表しています。「雲外」とは、どんよりとした雲の上を、「蒼天」とは晴れ晴れとした青空を指しています。天候を人の心境になぞらえた言葉です。これが転じて、「困難を乗り越えれば明るい未来が待っている」という励ましの言葉として使用されることもあります。噛み砕いて表現するなら「この先にはきっといいことがあるよ」ということになりますね。「雲外蒼天」は、座右の銘とされることも多い言葉です。その際は「努力をして困難を乗り越えれば、その先にはいいことが待っている」というニュアンスで用いられます。目の前にある困難を「雲」に例え、その先二広がる輝かしい未来や報われる事を「蒼天」に例えたわけですね。「雲外蒼天」は、厚い雲の上にっも青空は広がっている、という様子から来た言葉です。これは現状を乗り越えればよい未来が待っているという励ましなどでも使用される言葉です。素敵な意味合いがあるので、座右の銘とされることが多々あります。

 人生は、お天気のように、自分の力ではどうにもならない予期せぬことだらけです。今私たちが直面しているコロナウィルス感染症拡大は、まさしくその一つですね。感染の恐怖や生活の不自由さに耐えながら、忍耐・努力・試行錯誤を重ねています。いつの日か、この努力が天に通じて、「蒼天」が広がる日々が必ずやって来ることを信じて、今を大切に生きて行きます。

 藤井聡太王将=竜王、王位、叡王、棋聖含む5冠が、3月11日、島根県大田市国民宿舎「さんべ荘」を訪れ、王将奪取の祝賀会に出席しました。渡辺明名人(37歳)=棋王含む2冠=に4連勝した「第71期ALSOK杯王将戦」7番勝負第6局が予定されていた会場です。ここでも「雲外蒼天」と揮毫しました。3月9日の名人戦順位戦の最終対局で勝利して、来期のA級昇級も決めました。最速で来年4~6月に行われる名人戦で8冠独占の可能性も出てきた藤井王将です。「自分を将棋の駒に例えると?」と聞かれ、「人間としては『歩』かな」と謙遜しつつ、「『角』は使い方次第で変わる駒なので魅力を感じる」と答えました。♥♥♥

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