「活字の舟」

 かつて探偵小説作家の江戸川乱歩天知茂明智小五郎シリーズが大好きでした)は、「活字の舟」ということを言いました。本を読むということは、活字という舟に乗って大きな海へ乗り出すことである、という意味です。文字だけを読んで「これは面白い」と思うのはかなり高度な作業です。抽象性の高い度合いが、絵本を見るのとは訳が違います。イメージは自分の頭の中で作らなければいけません。空想力を自由に広げることができます。読書とは、まさに乱歩が言ったように、活字という舟に乗って異次元の世界にまで漕ぎ出ることなのです。「活字の舟」、まさに卓抜な比喩ではありませんか。活字は日常生活とは全く異質な世界を開いてくれるのです。乱歩自身はそのために活字に凝って、少年時代に活字を買ってきて印刷までやっていたくらいです。

 私が活字(=読書)の面白さに芽生えたのは、小学校5年生と6年生の時に担任していただいた井塚 忠(いづかただし)先生の時でした。読書感想文コンクールで、二年連続で島根県で最優秀賞をいただき、島根県庁へ表彰式に連れて行っていただいた時に、近くの「千鳥書房」(今はもうない)で、記念に買っていただいた『西遊記』『怪盗ルパン』は、その後の読書好きな私の礎を築いてくれました。その読書感想文の指導をしていただいた「こんな先生になりたい!」と強く思った父親のような担任の井塚先生の存在が大きかったですね(私の家は母子家庭でしたから)。鼻血を出して学校を休んで寝ている私の家に、チョコレートをおみやげに(!)訪ねてこられ、締め切りが迫っている県に出す読書感想文の清書を頼まれました。ていねいに字を書くのが遅い私のために、夜中まで傍らで鉛筆を削って下さったことは、今でもハッキリと覚えています。当時は丸々と太っておられ、生徒たちからは「デカカボチャ」という愛称で慕われていた先生でした。満点を取ると「ホームラン賞」を教室の後ろに貼り出してもらったことが、勉強の大きな動機付けにもなりました。松江に帰って来てから、入院しておられると聞いて、広瀬病院にお見舞いに行ったときには、意識もなくガリガリにやせて体中にチューブがいっぱいつながれていました。その一週間後にお亡くなりになりました。お別れができたことは幸いでした。私が教員を目指すきっかけになった先生でした。先生に買っていただいてむさぼり読んだこの二冊の本は私の一生の記念に飾ってあります。中学生・高校生・大学・教員時代と本の虜になった出発点はまさにここにありました。

 私が敬愛する故・渡部昇一先生が、幼い頃からどのように「活字の舟」に乗り出されたかの詳しい経緯は、『青春の読書』(ワック出版、2015年)を読むとよく分かります。私の尊敬する経営コンサルタントの新 将命(あたらしまさみ)さんは「1日4回メシを食え」とアドバイスされます。3度のメシはコメやパンのメシ。もちろん麺類だって構いません。ただし、残りの1度は「活字のメシ」です。1日30分でもいいから本を読むようにしよう。これを続ければ自分の知識を広め教養を高めるのに大いに役立ちます。♥♥♥


 本を読むことは考えることに通じるので、読書と長寿の関係は、我田引水でなく、健康法にも関連していると言って過言でないと思う。大いに本を読むべきで、できるなら本屋や古書展へ足を運ぶことも体力作りにも頭の運動にもなると言えると思うのである。―「古本屋の手帖」

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