親切が身に染みる

▲私の日赤の病室です

 昨年の12月に股関節人工関節を埋め込む手術を受けました。術後一週間は全く動けません。紙オムツでの生活です。看護師さんたちが夜中でも嫌な顔一つせずに献身的にお世話をしてくださいました。夜勤の看護師さんたちの激務を間近で見ることになり、本当に大変だなあと実感しました。真夜中に奇声を上げる人、罵倒する人、訳の分からないことを口走る人、怒りまくる人、いろいろな人がいます。冷静沈着に対応される姿には頭が下がりました。手術のもう翌日からすぐにリハビリが始まるのにも驚きました。毎日、理学療法士作業療法士の担当の若い方たちが入れ替わり立ち替わりやって来られ指導を受けます。マッサージをしてもらい、体や患部を動かしたり、少し良くなってくると歩行訓練です。お医者さんだけでなく、本当に数多くの人にお世話になり感謝しています。その方々のおかげで今では何とか歩けるようになってきました。退院時には感謝の手紙を残してきました。先生には何とか「共通テスト」本番には間に合うように退院させてもらいたい、と希望を伝えていましたが、入院は一ヶ月にも及びました。先生の前で杖をついて歩く姿を見てもらい、これなら何とか日常生活を送ることができるだろうというご判断をいただき、無事に日赤を退院することができました。おかげで「共通テスト」本番前に、松江北高勝田ケ丘志学館で2時間ほど授業をすることができました。家に帰ってからが大変でした。

 今年は松江市は何年かぶりの大雪に見舞われました。半端な雪ではありませんでした。まともに歩くこともできず、運転免許を持たない私はどこへ行くにもタクシー利用です。そのタクシーが全然捕まりません。朝一番で北高へ行くのに一畑タクシーをお願いするのですが、雪が降ると断られます。コロナ禍でタクシーの台数がものすごく減っているのと、鹿島の原発への送迎でほとんどの車が朝からフル稼働していることを知りました。幸いご近所の方が、北高に車で送ってくださり、なんとか急場をしのぎました。大雪の積もる中、早朝の6時半から軽トラまで出してくださり北高の坂道を登っていただいたこともありました。感謝感謝です。北高での授業が終わるとタクシーで松江駅に移動です。もうこの時間になると何とか来てくれます。米子駅―志学館志学館山根館長さんが2ヶ月間ずっと送り迎えをしてくださり本当に助かりました。松江駅に戻ってきてからが大変です。駅にタクシーが全くいないんです。本当に困り果てました。一番辛かったのは、北高の授業を終え、山口整形外科にリハビリに向かうタクシーの中でホワイトアウト現象で、運転席から前が雪で全く見えません。これは帰りが大変なことになるなと直感しました。病院に着くとすぐに帰りのタクシーの手配を受付の方にお願いしました。リハビリを終え受付に戻ってくると、「全部のタクシー会社に電話しましたが、全部運転手さんが帰ってしまっていて手配ができませんでした」と、案の定です。吹雪の中を歩いて帰ることなどできません。そこにおられた事務員の方たちが、いろいろと案を練って調べてくださり、一畑バスが動いていることを電話をかけて確認してくださって、一畑バスの本社前から松江駅への便がすぐにあることを教えてくださいました。駅まで行けば、何とか車がつかまるかもしれないとのことでした。この親切なお世話にも感謝しました。病院前のバス停で雪が吹きつける中を待っていましたが、15分遅れでバスがやってきました。何とか乗ることができ、松江駅までやって来ました。タクシーは一台もいません。やって来る気配もありません。仕方がないので、覚悟を決めて市内の循環バスを待つことにしました。1時間半近く待って遅れてきた市営バスに乗ることはできましたが、大雪のためノロノロ運転で一向に進みません。普段なら30分で着く距離が1時間半かかりました。後で聞いたところではこのバスの後、運行ストップになったそうですから危ないところでした。バス停から家まで痛む足を引きずりながら歩いて自宅にたどり着いたときには、もう寒さと疲労とでグッタリでした。このときが一番辛かったです。

 1月28日(土)に岡山・ベネッセ本社で頼まれていた「共通テスト」の講演も、前々日まで大雪のためにJRが運休になっており、気が気でありませんでしたが、前日は何とか運行するということで、バスで松江駅に向かいました。大雪のため迂回してノロノロ運転のために大幅に遅れます。これはまずいと思い、この日の志学館の授業をキャンセルして、松江駅でそのまま「特急やくも」に飛び乗って岡山に向かいました。午後からJRは運休になり、講演当日も朝から全面運休でしたから、危ないところでした。何とか前日に入っていたおかげで、当日に穴をあけずにすみました。講演が終わった翌日も、JRがストップしたために松江に帰ることができません。ラーンズの若手社員の方が、高速バスは動いていることを調べてくださって、チケットまで取ってきてくださり、何とか松江に帰ることができました。有り難かったです。2月に入っても大雪が続き、タクシーでは本当に苦労しました。

 もう一つ困ったことは、大雪で毎日寒さが厳しくて、石油ファンヒーターの灯油がすぐになくなってしまうことでした。今まではご近所にガソリンスタンドがあって、そこへ自転車で灯油を買いに行っていました。そのスタンドが昨年閉店してしまい、ずいぶん遠くまで灯油を買いに行かなければなりません。それもセルフ給油です。配達してもらえばいいのですが、時間指定ができないので、自宅にいることが少ない私には利用できません。大雪で自転車にも乗れませんし、そもそもまだ医者から自転車の許可は出ていません。どこへ行くにもタクシーです。米子の帰りに松江駅から乗った日光タクシーの運転手さんに相談したところ、自分も足を痛めたことがあって辛いのはよく分かるから、自分が全部やってあげる、と言ってくださって、家からポリタンクを運んでくださり、ガソリンスタンドまで連れて行ってもらい、私がタンクを持って降りようとすると、「じっとしててください、自分が入れてきてあげるから」とタンクを持ってセルフ給油で機械を操作して灯油を汲んできて、運転席の横にタンクを置いて自宅まで送ってくださいました。家に着いてからも重たいポリタンクを自宅の玄関まで運び入れてくださいました。地獄で神様に会ったような思いでした。感謝を申し上げてチップをはずんでおきました。この運転手さんには、偶然その後も3回ほど乗せてもらうことになります。「あー、あのときの運転手さん。どうもその節はありがとうございました。」 他の運転手さんには灯油を買いに行きたい、とお願いしても断られました。運転席がくさくなる、トランクにはタイヤが積んであり場所がないとのことでした。あの時の親切な運転手さんが思い起こされました。

 松江北高の補習科は2階にあって、足の不自由な私には階段の上り降りが辛かったんです。授業を終えて階段を一段一段踏み外さないようにゆっくりと降りようとしている私にいつも、「先生、荷物を持ちましょう」と言って声をかけてくれる女生徒がいました。これも有り難い言葉でした。この生徒が九州大学に合格したことを報告に来てくれた際に、感謝の言葉を伝え、大学に行っても人に親切にしてあげてね、と託しました。

 辛い闘病生活の中、人に親切にしていただくことがどれほど有り難かったか、を身に染みて感じたことでした。❤❤❤

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