渡部昇一先生のエピソード(23)~気前がいい

 故・渡部昇一先生のお弟子さんの江藤裕之先生(東北大学教授)が、先生のお人柄を回想しておられました(『学問こそが教養である』(育鵬社、2019年))。渡部先生は人一倍優しく、そして気前のよい方でした。先生は、ご自身が学生時代に経済的に苦労されたこともあり、大学院の教え子の学生たちの経済状況を慮ってか、よくアルバイトをさせてくださったそうです。ちょっとした資料の整理だとか、翻訳、書庫の片づけ、学部の授業の試験監督などでした。小一時間の試験監督が終わった後、解答用紙の整理、簡単な答案のチェックをして、渡部先生の待つ「ルノアール」(東京で私の大好きな老舗喫茶店です)に行くと、先生は奥の方で静かに本を読んでおられます。「先生、終わりました」と告げると、「ご苦労さま、好きなものを注文してください」となり、活発な歓談が始まります。先生は授業の正規の演習に対して、こうしたざっくばらんとしただべり会を「裏ゼミ」と称して、談論風発となることをとても楽しみにしておられたようです。そして帰り際に、おもむろに財布の中から、手の切れるような一万円札を、「それでは、これが交通費」と一枚、「これが試験監督代」と一枚、「これが解答用紙のチェックと整理代」と一枚取り出します。その大枚を、裏面に先生の住所と名前の印刷されているきれいな茶封筒に入れて、「はい、アルバイト料」と言ってくださいました。お金を渡すときには決してはだかではなく、ピン札をまっさらの封筒に入れてくださるのでした。渡部先生は、謝礼などをむき出しのまま手渡すのではなく、のし袋や封筒に入れて渡すといったことに気がつくのが「気くばり」だとして(英語のconsiderate)、知を補う「気くばり」の大切さを説いておられましたね(『人生を「知的」に生きる方法』(青春文庫))。ある時には「じゃ、ベースアップしましょう」と、一回の監督に四万円もの報酬をくださったこともありました。学期に二~三回だとはいえ、多いときには週に三回の監督をしたこともあり、かなりの金額になります。先生は「どうせ、君のことですから、このバイト料で本を買うでしょ。だから惜しくはありません」とおっしゃいます。こうやって気前よく学生の面倒をみておられたのでした。

 先生は大学院の演習が終わると、決まって学生と食事に行かれるのでした。こうしたお昼ご飯やその後のコーヒーでは、そしてたまに飲みに行ったりしても、必ず先生がご馳走されるのでした。学生にメシをおごるというのは、先生の一つの信条だったようで、それは先生が若い貧乏学生の頃、恩師の先生の家を訪ねては、食事をご馳走になった有り難い思い出があったからでしょう。

 私も学生時代、高校時代に教えて頂いた先生方が定期的に集まられる宴席にいつも呼んでいただいて、豪勢な料理をご馳走になりました。大学での生活(勉強?)ぶりを話すのが会費だと言われて、いつもご馳走になったものです。今でも有り難く思い出します。休日には、英語を教えていただいた故・大谷静夫先生(米子)三島房夫先生(荒島)のご自宅に押しかけては、本を借りたり、美味しいものをご馳走になりました。私にもそんな楽しい思い出があるもので、教えている生徒達には惜しみなく驕ることにしています。何(十)年も経った今でも、当時のことを覚えている教え子達が、そんな想い出を語ってくれます。順送りですね。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中