あたりまえに感謝

 私は今から17年前に、心臓の手術を経験しました。学校の定期健康診断で見つかった心電図の異常から、日赤で診てもらうと、「無自覚性心筋梗塞」と診断され、即入院で翌日手術台に上がったんです。生まれて初めての入院生活でした。それをきっかけに次々と病気が発覚して、今では7軒の病院通い、11種類もの薬を毎日服用する身です。それ以来というもの、朝目が覚めると、「今日も目覚めることが出来ました。ありがとうございます。」と神様にお礼を言います。そして1日が無事に終わり、深夜ベッドの中でうとうと眠りに落ちる前には、「今日も1日無事に過ごすことができました。ありがとうございました。」と感謝の気持ちを捧げています。

 常日頃、私たちは心臓が動いてくれていることを、ごく当たりまえだと思っています。そのことをありがたいと思うことなどなく、感謝の思いを向けることもないのが私たちの日常です。心臓は1分間に約65回脈打ってくれます。1時間で3,900回、1日で93,600回です。1年では34,164,000回となります。途方もない回数、休むことなく心臓が働き続けてくれることで、私たちの毎日の生活は支えられているのです。なにげなく1年と言いますが、1年を「秒・分・時間・日」の単位で見つめてみるとどうでしょう?1年は365日8,760時間です。これは525,600分31,536,000秒にあたります。こうした具体的な数字に触れると、1年が何と愛おしく有り難いものであるかが実感できると思います。

▲心臓の手術に続いて天国の母が守ってくれました 毛糸の袋は叔母が作ってくれました

 昨年12月7日に、股関節人工関節を入れる手術を受けました。丸々1ヶ月病院での入院生活を余儀なくされました。ストレッチャーで手術室に運ばれて、いよいよ手術が始まるというそのとき、全身麻酔を担当していただく先生(偶然にも私が通っている米子東高校のご卒業でした)に、手術中にお守りをそばに置いておいて欲しいとお願いをしました。亡き母からもらったお守り(岡山最上稲荷)で、長年大切に肌身離さず身につけているものです。すると枕の下に入れておくからと言っていただき、手術が始まりました。それから後のことは全く記憶がありません。目が覚めると執刀医の先生の顔がボーっと浮かんできて、「八幡さん、無事に終わりましたよ。出血も500ccほどで輸血もせずにすみました」とのお言葉。枕元のお守りをギュッと握りしめて感謝しました。さて、個室に帰ってからが大変です。全く動くことが出来ません。紙オムツの生活です。自分一人では何一つできないのです。それが毎日のリハビリのおかげで、少しずつ少しずつ動かせるようになり、何とか車椅子で移動ができるようになり、しまいには杖に頼りながらでも何とか歩くことができるようになりました。今も週に一度、リハビリに通っていますが、「歩ける」ことは決して当たり前のことではないことに気づかされました。今では感謝感謝です。

 あらゆるものに支えられながら、支えられている、生かされている、願われている、のが私たちの生命です。いつ終わっても不思議ではない中で(「生命」は平等ではありません)、今こうして恵まれている命の驚きを、当たりまえではなく「おかげさま」と感謝しながら精一杯生きたい思っています。私は病気をすることで、そのことに気づかされました。若い頃は病気一つしたことのない健康体で、ありがたいと思うこともなく、感謝の思いを向けることもありませんでした。ごく当たりまえだと思っていました。今ではその不遜さを思い知らされ、健康のありがたみを実感する毎日です。

 今回入院するにあたって、執刀医の先生には、何とか「共通テスト」の本番前までに退院させていただきたいということをお願いしていました。幸い何とか「共通テスト」間際に復帰することができ、2時間ほど授業をすることができました。教室で生徒たちにまず伝えたのは、「当たりまえは当たりまえじゃない」ということでした。歩けるということも、目が見えることも、耳が聞こえることも、決して当たりまえじゃありません。かつて私は松江北高で、全く耳が聞こえない生徒を3年間指導しましたが、彼の日々のたゆまぬ努力を思い出していました。彼は一番前に座って、私の唇の動きを読んで授業を理解していました。彼は大阪大学を出て、現在、朝日新聞東京本社で活躍しています。生徒達に伝えたかったのは感謝の気持ちを忘れないようにしようということでした。毎日自分

▲親指と小指の向きに注目!

のことを心配してくれる両親・祖父母も当たりまえではありません。ここでちょっと手で親指と小指を立ててもらえますか?親指が「親」です。小指が「子ども」です。親は子どもが心配で心配で子どもの方を見つめて見守っています。それに対し、子どもはそっぽを向いて知らん顔ですね。これが普通の親子関係です。でも親元を離れて一人暮らしを始めると、初めてその有り難みに気がつきます。両親は有り難いものです。日頃からちょっとでもいいので感謝の言葉を伝えようという話をしました。おじいちゃん・おばあちゃんも、経験・知恵に裏打ちされた貴重な話をしてくださいます。ありがたく感謝しましょう。先人たちは、昔からそのことを諺にしてきました。「老婆は一日にしてならず!」〔笑〕。❤❤❤

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