渡部昇一先生のエピソード(24)~学生にマンションを

 故・渡部昇一先生は、研究論集の編集や読書会に自由に使ってよいと、信頼のおける大学院生2~3名に、上智大学のご自分の研究室の合鍵を渡しておられました。先生がおられないはずの時間帯に、部屋から声が聞こえてくるので、他の教授から怪しまれたこともあったそうです。これでは保安上よろしくないとお感じになったのでしょう、ある日、ふと先生が、江藤裕之先生(現・東北大学大学院教授)にお尋ねになります。「江藤君、高円寺あたりでワンルームマンションを借りるとだいたいいくらくらいになりますか?」と。江藤先生はびっくり仰天されます。エーッ、まさか先生が寂しく一人暮らしをされようというのか?不動産投資か?などと考えをめぐらせていると、「諸君らが集まって読書会をしたり、自由にだべったりする、そういう空間があればよいと思うのですが」と、大学院のゼミ学生のために部屋を借りてくださろうというのです。大学にももちろん英文科の学生用に研究室はあるにはあったのですが、共同使用で授業もそこで行われるため、自分達だけで使うことはできませんでした。学生がしっかり勉強するためには、専用のスペースが必要だと思われたのでしょう。その頃、先生の三番目のお子さんが留学を終えられる時期で、もう一人子どもがあったものと考えて部屋を借りられたのでした。部屋を探して来い、ということになり、ゼミの仲間たちといろいろと当たって、四ツ谷の大学から歩いて10分くらいのところにマンションを借りていただきました。当時で10万円(!)ほどしたそうです。大学院生が自由に研究・議論する場です。その部屋で、古英語やドイツ語そしてラテン語の読書会や勉強会を主催して、多くの後進たちを育てました。なにしろ学生たちが自発的に、かつ自由に集まって開く読書会・研究会ですから、力もどんどんつきます。渡部先生ご自身は、一度もその部屋には来られることはありませんでしたが、かたく禁じたことが二つだけありました。「タバコと麻薬は厳禁です。それ以外のことは酒もビールも含めて何をやってもかまいません」との訓示でした。

 この先生の訓示を厳格に守って、マンションは、その後もずっと勉強会に使われましたが、2000(平成12)年に渡部先生がいよいよ上智大学を去られる時に、その「事務所」も閉じられました。それまでずっと、先生は数ヶ月に一度、家賃・光熱費として小切手を切っておられたのです。ここら辺の事情については、渡部昇一『人生の出発点は低いほどいい』(PHP出版、2007年)や、江藤裕之(編)『学問こそが教養である』(育鵬社、2019年)に詳しく書かれています。渡部先生がこのような弟子思いの師であったことは、あまり語られることはありませんでした。♥♥♥

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