「反省なき経験は習慣の繰り返しに終わる」

「反省なき経験は習慣の繰り返しに終わる」

 表題の言葉は、ジョン・デューイ(John Dewey)の経験論・教育論を表す重要な考え方です。デューイの趣旨は、「経験しただけでは学習や成長にはならない。経験を振り返り、考察することによって初めて経験が次の経験に生かされる」というものです。「反省なき経験は習慣の繰り返しに終わる」という表現は、デューイの考えをかなり端的にまとめたものといえます。デューイは『民主主義と教育(Democracy and Education, 1916)』や『思考の方法(How We Think, 1910/1933)』などで、経験と「反省的思考」の関係を論じています。特に教育については、単に「いろいろな経験をさせればよい」という立場ではありません。経験を意味のある学習につなげることが重要だと考えました。なお、「反省なき経験は習慣の繰り返しに終わる」という言葉は、デューイの原文そのものというより、彼のreflective thinking(反省的思考)の思想を要約した表現として理解するのがよいでしょう。デューイ自身は「人は経験そのものから学ぶのではなく、その経験を省察(reflection)することによって学ぶ」という趣旨を繰り返し述べています。

 デューイにとって「経験」はただ何かを体験することではありません。行動する→結果に出会う→なぜそうなったかを考える→次の行動を考える という循環があって初めて学びになります。ところが、振り返りをしなければ、やる→終わる→また同じようにやる というパターンになってしまいます。これは「経験」ではあっても、「学習」や「成長」にはなりません。たとえば、「授業で生徒がうまく発表できなかった」→「次も同じやり方で発表する」だけなら、単なる経験の反復です。しかし、「なぜうまくいかなかったのか?」「準備の仕方に問題があったのではないか?」「次回は何を変えればよいか?」と経験を反省的に考察(reflective thinking)すると、その経験が次の行動を変える知識になります。つまり、経験 → 反省・考察 → 次の行動 → 新たな経験という循環が重要になります。

 「経験に勝るものはない」とよく言います。確かにその通りで、仕事でも、実際にやってみなければ分からないことはたくさんあります。しかし、経験を積めば、人は必ず成長するのでしょうか?デューイは学校教育にも同じことが言えると考えます。例えば、実験をした、ボランティアをした、職場体験をした、だけでは教育になりません。その経験について、何を感じたか?なぜそう感じたか?何を学んだか?次にどうするか?を考えることで、経験が再構成され、成長につながるのです。デユーイは教育を「経験の継続的な再構成(reconstruction of experience)」と捉えました。

 経験は、私たちに多くのことを教えてくれます。一方で、「世の中とはこういうものだ」という見方も作ります。だから、時には、「この経験から何を学んだか?」だけでなく、「この経験によって、何を見なくなっているだろうか?」と考えてみることも必要なのかもしれません。経験豊富な人が多い会社には、大きな財産があります。その経験を安易な「正解」にするのではなく、次の可能性を見つけるために使いたい。経験の長さよりも、経験から何度でも学び直せること。変化の大きな時代において、これもまた会社の大切な力なのだと思います。要するに、デューイの主張は、経験の量よりも、その経験をどれだけ深く振り返るかが成長を決める。反省を伴わない経験は、単なる習慣の反復にとどまる、ということです。

 私がいつも口を酸っぱくして言っていることですが、成績の伸びない(力のつかない)生徒に共通の特徴は「やりっ放し」です。自分がなぜここを間違えたのか?ということを振り返りもせずに、そのままに放置してしまいます。当然また同じ箇所を間違えます。これに対して、成績を伸ばす生徒たちは、徹底的に繰り返し、自分の答案を見直しています(私はここら辺を、「賢者は歴史に学ぶ」というビスマルクの言葉を引用して、生徒たちに強調しています)。以前、私が松江北高で担当していた女生徒Kさんは、定期考査も模試も常に満点でしたが、「テスト直し」はそれこそ真っ赤かにしてノートを作っていました。「全問完全な自信があった訳ではない。あやふやなままに解答して、たまたま正解だった問題もある。それを自分で納得して理解しておきたい」と。センター試験本番でも当然のことながら、筆記200点満点/リスニング50点満点でした。直す箇所など全くない生徒が、これだけ徹底して反復しているのですから、力がつくはずです。東京大学の二次試験英語の得点も信じられないような高得点を取り合格しました。時を置かずして見直しをしてもらいたい(「鉄は熱いうちに打て!」)という気持ちで、私は長年、模試の翌日に「見直しプリント」を配布して、生徒に「復習」(復讐?)を迫っています。そこには解法の手順、ポイント、難易度、注意事項、勉強の仕方、などが事細かく書き込まれています。全国の先生方から見せて欲しいという要望が強かったので、講演会などではできるだけその現物を示すようにしてきました。実は、私自身も、こうやってしっかりと問題と向き合うことで、どこで生徒たちが間違えるのか、出題者の狙い所、頻出事項、難易度判定、平均点の予想など、ずいぶんと益するところがあったように思います。生徒への指導だけでなく、教員が自分の力をつけるためにも模擬試験を活用したいものです。教員の世界ではここら辺を疎かにしている人も見られます。いつも言っていることですが、「やりっ放し」にするのではなく、必ず「見直し」をして、同類の問題が出た時には、絶対に落とさないようにする姿勢が重要です。合格を勝ち取った多くの先輩たちが、後輩たちにいつもアドバイスしてくれるのもこの点です。失敗とは、つまづくことではありません。つまづいたままでいることなんです。この言葉を肝に銘じて、残り少ない演習の期間を充実させたいものです。

▲9月実施の進研・駿台マーク模試の「見直しプリント」

 「準備→本番→見直し」のサイクルを愚直に繰り返すことだけで、力がずいぶんついていきます。今日も「見直しプリント」を配りながら、「やりっ放し」にせずに、もう一度問題と向き合うように強調しました。また、マーク模試の自己採点が依然としてキチンとできないのも、「反省なき経験は習慣の繰り返しに終わる」の好例です。自己採点が正確にできないと、一体どんなことが起こるのかを知らないために、何度も間違えます。まさに“Ignorance is bliss.”(無知は幸福)です。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す