「共通テスト」リーディング・リスニング雑感

 「共通テスト」リーディング・リスニングが終わりました。どちらも「大問構成」「問題形式」には昨年から大きな変化は見られませんでした。今回の試験で私が注目したのは次の点です。

◎英語は絶対に裏切らない!!

【リーデイング】 ★時間内に解ければ《易》 
           ※大学入試センター平均点中間集計 63.29点

(1)大問数や配点の変化はない。設問数が1題減少、マーク数が1つ増加し
た。
(2)総語数が約500語増加した。⇒これが一番の厄介点
(3)イラストなどのビジュアル情報が全ての問題に加わった。
(4)第1問の本文のタイプとして携帯画面→料理本、評価表→図書館の案内が
新しい変化。
(5)第2問・第3問にイギリス英語からの出題が見られた(programme,
first floor, third floor, ground floor, 2 August, organise, flat, 
summarises, learnt, realise, travelled, minibus, etc)。特に知らなく
ても対処できるのは昨年通り。
(6)昨年出題された「事実」と「意見」を区別する問題は半減した。
(7)時系列順に並べる問題は、昨年同様ダミーが1つ含まれていた。登場した
順が起こった順とは限らないというのも昨年通り。
(8)第5問は昨年は「物語文」だったが、今年は「伝記文」となった。これ
は昨年の第2日程通り。
(9)第4問の電化製品の購入では、over XはXを含まないということを知ら
ないと正解に至らないが、これは昨年の第2日程に出題されている(more 
than X)。
【リスニング】 ★得意と不得意で点差が開く出題          
           ※大学入試センター平均点中間集計 60.56点 

(1)大問構成や問題形式は昨年通り。
(2)スクリプトの総語数は昨年とほぼ同じで約1500語。設問&選択肢の
総語数は約100語増加して約800語。
(3)イギリス英語や英語を母語としない話者による読み上げが含まれていた
のは昨年通り。
(4)第4問で、試行調査で出題されていた、イラストを起こった順に並び替
える問題が復活した。
(5)昨年のような聞き取りづらい発話は見られなかった。

◎速報!「分析会」のご案内 

 今回の「大学入学共通テスト」に関する詳しい分析会のご案内です。2月26日(土)東京からオンライン報告会ラーンズ主催「2023大学入学共通テストに求められるチカラとは~2022大学入学共通テストの問題分析のご報告と指導事例~」を行います。ご参加希望の先生方は、コチラからお申し込み下さい。当日ご都合が悪い先生方は、後日録画でもご覧いただくことができます。やはり上からお申し込み下さい。♥♥♥

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飯島くんと会食

 年末に、松江北高理数科で教えた卒業生飯島 優(いいじまゆう)くんと、3年ぶりに会って、お昼ご飯を食べました。飯島くんは大阪大学・大学院修士課程を卒業した後、外資系企業P&G(プロクタ-&ギャンブル)ジャパンに就職しました。現在は同社の生産統括本部のシニアマネージャーを務めています。P&Gアリエール、ジョイ、パンパースなど世界的ブランドを有する世界的な一流企業で、「人材こそが会社の最も重要な資産だ」と考えて活動しているグローバル企業です。

 英語の非常に得意な生徒であった飯島くんは、帰省する度に自宅や学校に顔を見せてくれ、近況を報告してくれていました。高校時代に、弦楽同好会で活躍していた彼は、大阪大学のオーケストラでコンサート・マスターを務め、コンサート公演の度に招待状を頂いていたのですが、なにせ北高勤務の忙しさ(!)で行けずじまいで残念でした。私が忘れもしない思い出は、飯島くんから、就職して初任給をもらったからといって、「高級マスクメロン」が贈られてきました。「先生にたくさんのことを教えて頂き、ここまで来る事が出来ました。このご恩は絶対に忘れません。本当にありがとうございました。」とメッセージが添えられていました。教師冥利に尽きる言葉です。涙が出るくらい嬉しかったことをはっきりと覚えています。できることなら食べずにずっと飾っておきたかったんですが(笑)、口の中に広がる果汁と、とろけるような豊潤な甘さが絶品のメロンで、あっという間に美味しくいただきました。あの時は本当にありがとうね。

▲飯島くんよりいただいた高級マスクメロン 懐かしい思い出です

▲お庭の見える「皆美」のお気に入りのお部屋です

 私の大好きな末次本町の「皆美館」でお昼をいただいたんですが、あいにくこの日は年内最後の営業日で、おせち料理の準備等で、いつもいただく和食のコースができず、「鯛飯御膳」(鯛めし一式、もずく、胡麻豆腐、お造り、茶碗蒸し、カレイ煎餅揚げ、てんぷら)をいただくことになりました。きれいなお庭の見えるお部屋で、食事をしながら、日々の仕事ぶりをうかがいました。外資系の企業なので、毎日英語と格闘する日々とのことでした。大量の英語のメールを処理して、返信を英語で書くという仕事は、最初は結構きつかったとのこと。それでも高校・大学で頑張ったことが活きていると聞いて、嬉しく思いました。コロナ禍で卒業生と会う機会が激減していることもあって、久しぶりに楽しいひとときでした。♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(12)~書斎を持つ

 尊敬する故・渡部昇一先生が、練馬関町の自宅を払い、あのお年で借金までして180坪の新居、そのうち書庫は100坪!の家に移られたことは衝撃でもあり、記憶に残ることでした。会員制の「昇一塾」では、その豪勢な書斎の全貌を写真で見ることができたのですが、男の隠れ家増刊『21世紀知的経済自由人の生き方』(朝日新聞出版)と題する本が出版され、「あの人の書斎を見てみたい~渡部昇一氏を訪ねて」と銘打って、渡部先生の書斎が巻頭で大特集されました。本田 健さんとの対談なんですが、そこには先生の学問に対する真摯な姿勢や情熱が縷々語られています。このとんでもない先生の「書斎」の具体的イメージは、先生が大学院に進まれたときに出来上がったものでした。

 先生が海外留学から帰ってきた直後、大学院生の時に、たまたま上智大学に管理人室の付いた新しい図書館ができました。図書館司書ではなく建物の管理人ですから、仕事は大したことではありません。大学が7時に終われば、3階建ての建物の窓が全部閉まっているかをチェックし、玄関に錠をかけるだけです。するとこの建物は先生の「城」となりました。当時の上智大学には国際学部(インターナショナル・ディビジョン)という、アメリカ人の兵隊さんなどが来るコースがあって、それがある日は夜の9時頃になります。仕事はそれだけで、他には何もありません。掃除もしなくていい。タダで住めることが報酬で、管理料は出ません。早速先生は申し込まれました。

 先生にとって、この図書館の住み込み宿直員はすごい体験でした。夜になると完全な静寂が訪れます。夜中に一度か二度、シェパードを連れた警備員が回ってきて、この人に会うと挨拶するだけです。当たりたい本があったり、調べたいことがあると、図書館の書庫に行けばすぐに解決します。昼間に本を借りようと思ったら、蔵書カードで検索をして、申込書を記入してカウンターに持って行き、出庫してくれるのを待たなければなりません。挙げ句に「閲覧中」「貸し出し中」と言われることも度々ありました。図書館に住み込んでしまえば、書庫に行って自分で好きな本を取り出せばいい。誰も閲覧していないし、重要な本は貸し出し禁止ですから、先生が見たい本は必ずあります。しかも同じ書棚に置かれているもっと参考になる本が眼に入ったりすることも度々ありました。考えごとをする時は、自分の城でもある真夜中の図書館を一人コツコツと歩くのでした。こうして先生はプラトン全集を読み、アリストテレスの著作の相当の部分を読みました。

 借り物ながら、巨大な書斎のある生活を体験した渡部先生は、見たい本がすぐに見られる―つまり自分の書斎を持つ―ことはすごい時間の節約になるのだと実感されたのです。そして、この図書館は全学部用の本が入っているから大きいけれど、先生が関心のある分野だけであれば、この何千分の一の大きさの図書館でいい、そういう個人の図書館を持ちたいと、先生の中で「書斎」のイメージが鮮明なものとなって具体化したのでした。貴重な本がいっぱいあって、自由に手に取って読める。「ああ、こんな図書に囲まれていたら幸せだなあ」と、より鮮明になった書斎のイメージが離れませんでした。それで、書斎が持てる状況になるまでは結婚しないと覚悟を決められたのでした。先生が結婚されたのは、ちょうど30歳の時で、書斎を持ち、本を自分の傍に集めておけるようになってからでした。書斎のイメージが結婚のタイミングを決めたことになったわけです。

 私も渡部先生のようにはいきませんが、家を建てた時には、書庫」お風呂」だけは特注して夢を叶えたものです。本に囲まれた生活です。⇒「八幡家の書庫」についてはコチラに詳しく書きました。♥♥♥

▲八幡家の「書庫」です

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「道化師のソネット」

 今年ソロコンサート4500回の偉業を達成したさだまさし(69歳)さんは、自身のカウントダウンコンサートの会場(両国国技館)から生中継の特別企画枠で「紅白歌合戦」に21回目の出演を果たしました。紅白のステージでは初披露となる「道化師のソネット」を届けました。この曲は、自身が主演した映画「翔べイカロスの翼」(1980年2月公開)の主題歌で、「笑ってよ 君のために 笑ってよ 僕のために」の歌詞で始まる同曲に、コロナ禍の中にあって、笑って暮らせる日が再び来るようにとの心からの思いを込めて歌いました。さださんはこのところの無理がたたったのか、最近のどの調子が悪く、4公演を延期しました。この曲は結構高いキーの歌なので無事に歌いきれるのか?声がひっくり返ったりしないか?心配しながら見ていました(両国国技館のカウントダウンコンサートでは1回だけ声が裏返ってしまったそうですが……)。でも見事な歌唱でした。1月1日の生放送番組「年の初めはさだまさし」では、のどはほぼ9割復調しているとおっしゃっておられたので安心しました。 

    道化師のソネット    作詩・作曲 さだまさし  

笑ってよ 君のために 笑ってよ 僕のために
僕達は小さな舟に 哀しみという荷物を積んで
時の流れを下ってゆく舟人たちのようだね
君のその小さな手には 持ちきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になれるよ
笑ってよ 君のために 笑ってよ 僕のために
きっと誰もが 同じ河のほとりを歩いている
僕らは別々の山を それぞれの高さ目指して
息もつかずに登ってゆく 山びと達のようだね
君のその小さな腕に 支えきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になろう
笑ってよ 君のために 笑ってよ 僕のために
いつか真実に 笑いながら話せる日がくるから
笑ってよ 君のために 笑ってよ 僕のために
笑ってよ 君のために 笑ってよ 僕のために

 「道化師のソネット」は、映画『翔べイカロスの翼』(1980年2月公開)の主題歌で、1980年2月にリリースされました。この優しさと切なさに満ち溢れた曲は、同映画の内容から着想して書き下ろされたもので、さださんの代表作の一つです。「ソネット」というのは、14行からなる欧州の定型詩のことで、同曲も形式どおり、さださんは悩み抜いて14行にまとめた名曲です。「道化師のソネット」もソネット形式どおり十四行に歌詞がまとめられています。さださん本人は、「神様っているのかも…」などと偶然の産物のようなコメントを残していますが、博識なさださんのこと、 きっちり悩みに悩みぬいて十四行に収めたのだと思いますよ。

 さて、この「道化師のソネット」は、映画『翔べイカロスの翼』のエンディングで流れるのですが、この映画は、歌の曲調からは想像のできない衝撃的な内容の結末が待っていました。無難な人生の軌道に乗ることに背を向け、サーカスの世界に飛び込んで花形ピエロになりながら、超満員の観衆の前で綱渡り中に落下して死んだ一人の若者の姿を描いた作品です。“ピエロのクリちゃん”の愛称で親しまれた、キグレサーカスの栗山 徹の短い生涯を記録した草鹿 宏の同名のノンフィクションの映画化です。映画の中でさださんは、他者を笑わせ、楽しませるために、空中ブランコから落下した栗山くんという、実在の人物をモデルにしたピエロ役を演じました。写真家を目指す主人公は、撮影の題材に選んだサーカスのショーに魅せられ入団を決めてしまうのです。その後ピエロとして才能を発揮して活躍を重ねていきますが、人気に押されるがゆえに、幕間をつなぐピエロとしての役割を超え、難易度の高い綱渡りに挑戦… そして落下。栗山くんは若くして天に召されてしまった、というあらすじの映画です。

 美しい旋律のピアノのイントロからダイナミックにサビから入るという構成の歌です。メロディーも歌詞もドラマチックであり、そのひとつひとつの歌詞にとても考えさせられてしまいます。

 笑ってよ君のために  笑ってよ僕のために
 きっと誰もが  同じ河のほとりを歩いている

「同じ河のほとりを歩いている」という歌詞が、とても大きな人生観を感じてしまいます。「笑う」という意味は、さださんにとって流れゆく人生に差し込む細やかな幸せの灯なのでしょう。

 君のその小さな手には  持ちきれない程の哀しみを
 せめて笑顔が救うのなら  僕は道化師になれるよ

 ピエロの役割とは、とにかく笑われる存在であり続けることです。ピエロはひたすら馬鹿にされ続ける役割なのです。「自分が傷ついても周りが笑ってくれれば僕は幸せ」ということです。その馬鹿にされ続けた傷の痛みを悟らせないように演じきる… そんな深い悲しみが、あの白塗りの顔に描かれる涙なのです。だからこそ「僕は道化師になろう」という歌詞の持つ意味が大きく響くのでしょう。さださん自身もずっと道化師でした。いつも笑いの真ん中にいて、はじけていました。みんなが笑うのが大好きでした。皆の笑顔が得られたなら、嬉しくなって、もっと一生懸命に馬鹿になってしまいます。「これは仕事だ」「馬鹿馬鹿しい」などとは絶対に考えたりはしません。きっと自分が小さくて弱い存在で、誰かの笑顔がないと生きていけないのでしょう。哀しい人なのです。あるとき、ふっと道化師がとても哀しい人に見えてきます。道化師はいつでも一生懸命なのです。どんなものに対しても、どんな場合でも、必ず一生懸命です。そのひたむきさは報われることはまずありません。むしろ裏切られ、真っ向から切り捨てられてしまうことも。そこにまた笑いが起こるのです。

 映画でピエロを演じることになった時、さださんはメイクの人に頼んで、左の目の下に涙を入れてもらったそうです。「そんなピエロのメイクなんて見たことがない」と言われましたが、お願いして入れてもらいました。せめて思いだけでも形にしたかったのでしょうね。詳しくは、さだまさし『旅のさなかに』(新潮文庫、昭和57年)を読むと、撮影エピソード満載で面白いですよ。♥♥♥

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「とりそば太田」

◎週末はグルメ情報!!今週はとりそば

 年末に岡山県岡山市北区にある「とりそば太田」に行ってきました。路面電車が入っている通り沿い(県庁前)にあるお店です。2021年版「ミシュランガイド」にも選出されたお店です。「見た目が美しいこと」「女性や年配の方にも好まれること」「安心して食べられること」「毎日でも飽きられることなく食べられること」「他にはない一杯であること」これらの条件を兼ね備えていることを出店の最低限の課題として創業されました。20年になります。前に一度来た時の味が無性に思い出され、二度目の訪問になりますか。

 カウンター席のみの小さなお店です。厨房を囲むように14、5席ほどでしょうか。

 テーブルにはこしょう、粉さんしょう、一味、ヤンニンと調味料が用意されていました。カウンターには、それぞれオススメの食べ方も説明してあります。ありがたいですね。粉さんしょうと一味を少しずつ投入してみたところ、品位はそのままに少しスープにパンチが出てきました。刺激的な味わいをお求めの方には、試してみるといいかもしれないですね。

 メニューは醤油だれと塩だれ、それぞれのとりそばがメイン。各種トッピングに、塩だれのみしそ梅そばがあります。ご飯物もとりむすびやさばずし、鶏飯に焼ごはんなど気になるメニューの数々。今回は「塩とりそば」の半麺(630円)鶏飯(380円)を注文。

 こちらが「塩とりそば」「鶏飯」。どちらも彩りがよく、食欲をそそりますね。塩とりそばのトッピングはかしわと細切りキャベツ、それにネギにゴマ。

 醤油に昆布、魚介の旨味を加え、和のテイストに強く仕上げた秘伝のだれ。黄金スープと合わさることで、まろやかな甘みが感じられます。琥珀色に輝く透き通ったスープは柔らかいながらもパンチのある塩ベース。ゴマの風味がほどよく香ってきて心地よいです。焦がしネギの風味を加えた鶏油を使っています。繊細で品も感じられますが、塩ダレがよくきいてました。ダシといいますか旨みがよく出ています。あっさり系になるとは思いますが、味わい深い仕上がりとなってました。次々とススりたくなってしまうスープですね。麺はやや細めのストレート平打ち麺、少し平べったい麺となってます。ツルツルとした食感でコシがあり、まさにツルツルシコシコという表現がぴったり。喉越しも良いです。とりそばと塩とりそばの麺は別のものを使用しています。ときおりトッピングされている極細切りキャベツが絡んできましたが、それもまた相性が良かったです。初めはキャベツのほのかな甘みと、シャキシャキした食感、次第にスープを吸ってしなやかに馴染む食感まで楽しめます。かしわは細切りになっていて、ホロホロと柔らかく仕上がってます。食べやすい一品ですね。醤油のような味付けがしっかりと染み渡ってました。

 「鶏飯」(けいはん)は、かつお節のような風味がきいていて、あっさりめの味付け。食べていると次第に味が感じられるようになってくる、そんな一杯です。鶏飯は奄美の郷土料理「鶏飯」をアレンジされた一品とのこと。自慢のスープで炊き込まれてるそうです。

 

 「鶏飯」の説明にもあるように、麺をススってしまった後、「鶏飯」にとりそばの残ったスープをかけて雑炊のようにしてみました。塩ダレと鶏の旨みがつまったスープと、「鶏飯」の節系の風味が調和されます。お店がオススメしているだけはあり、相性はバッチリですね。個人的にもスープをかけて食べるのはオススメです。美味しかった!!

▲自宅でもこの味が楽しめます

 以前は、JR岡山駅の土産物売り場に、この「鳥そば太田」のお土産用が売れていて、自宅でもこの味を楽しむことができたのですが、今は見ませんね。今日はお店で持ち帰り用(820円)を一人前お願いして、自宅でも楽しむことができました。鶏と香味野菜の旨味たっぷりのストレートスープ。生野菜、柔らかい煮鶏、生麺のセットです。♥♥♥

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「大和屋本店」

 昨年たまたま土曜日早朝に、TBS系「サタディプラス」を見ていたら、あの「妄想トレイン」(⇒この番組、私は大好きで毎週見ています。私の紹介記事はコチラです)で活躍する友近(ともちか)さんが松山・道後温泉を、とびきりのおにぎりの食材を求めて歩き回る、という取材をやっていました。彼女は、老舗旅館「大和屋本店」(やまとやほんてん)に、炊飯器を抱えてご飯を炊きに入っていきました。友近さんは若い頃に、この「大和屋本店」に、仲居さんとして勤めていたんだそうです。これは知りませんでした。

 TBSテレビで放映された十津川警部シリーズ「松山・道後十七文字の殺人」においても、このお宿が舞台となっていましたね。実は、私も数年前に、この「大和屋本店」に泊まらせてもらっています。私は旅行をする際にはいつも、教え子のいる「日本旅行」で、電車のチケットや宿の手配などは全部してもらうんですが、毎回その土地一番のお宿を取ってくれます。素敵なプランでいつも大満足なんです。それが今は新型コロナウィルスの影響で、松江駅のお店は長期間閉店してしまっています。旅の相談をすることもできずに困ってしまっています。

 当時を思い出してみました。とっても印象のいい旅館(ホテルといった方がいい?)でした。「大和屋」の創業は慶応四年、明治元年で1868年と古いんだそうですが、現在の建物は平成8年8月にグランドオープンし、鉄筋10階建てと大型です。建物の壁を聚楽壁にするなど、細部にわたって和の粋を生かした内装になっています。ロビーラウンジから見た中庭も、木の柱と障子とあいまって日本情緒を醸しだしていました。「和風旅館の原点回帰」を目標に、お客さんに和の情緒とホテルの機能的な快適さを楽しんでもらえるようにと心遣いがなされているようです。繊細な日本の美意識が漂う和の空間の中で、最高のおもてなしをしていただき、私は大満足でした。仕事を忘れて(いつも原稿の締め切りに追われているんですが…)ゆっくりとくつろぐことができました。私が泊まったお部屋にはマッサージチェアまで完備されており、温泉とともに観光の疲れ(「坂の上のミュージアム」「松山城」ヒガーさんのマジックバー「Backstage」などへとめっちゃ歩いたんです)をしっかり癒やすことができました。「豪華を求めず上品に」というキャッチフレーズがまさにうってつけの旅館でしたね。お料理、接客、お風呂、お部屋すべてにおいて大満足でした。まずは玄関入り口が素敵です。中に入ると美しい緑がお出迎え。広いロビーも和の作りで本当になごみます。お部屋まで荷物を持って案内していただいた仲居さんの接客態度など、本当に好感が持てましたよ。たとえば、お部屋に置いてある「冷水ポット」の心遣い一つとっても、お風呂上がりにどれだけ有り難かったか。浴室にさりげなくかかっている正岡子規の歌の額とか。 

 楽しみにしていた夜の食事も、器やしつらえにもこだわった見栄えのする和食料理で、瀬戸内の旬の食材を使った季節感のあるものばかりでとっても美味しかったです。しかも、食事をしながら「能舞台」を楽しむことができる、という豪華さです。西日本随一と評される本格的な野外能舞台「千寿殿」は、4階に張り出した屋上部分に設けられています。その舞台を鑑賞できるようにと、能舞台に臨む食事会場のレストランと宴会場は総ガラス張りです。もちろん、野外にも鑑賞席が設けられていました。能は夕食の時間に合わせてプロの能楽師によって上演され、道後温泉の夜を幻想的な雰囲気で彩っていました。「風姿花伝」の心を現代に伝えるもっとも分かりやすい形が、この能舞台かなあ~。この能舞台を堪能しながらの夕食の献立は、養老豆腐⇒前菜⇒湯葉豆腐の吸い物⇒お造り(鯛、鮪、蛸の湯引き)⇒豆乳鍋⇒鰆のポワレクラムソース⇒牛ヒレ肉の鉄板焼き⇒鱶の湯ざらし⇒ちりめんご飯⇒伊予の裸麦味噌仕立て⇒蕪付け盛り合わせ⇒デザート、でした。

 

 有名な「道後温泉本館」のすぐ隣で、徒歩1分のロケーションにも大満足でした。宿の湯殿も風情ある日本庭園を眺めながら、それだけ見ても和の趣が感じられるように配慮されており、心ゆくまで身をゆだねることができました。風格ある湯殿で極上のくつろぎの時間が流れたことです。お風呂の広さもちょうどよく、脱衣所は清潔だし、アメニティーも充実していました。私は翌朝も5時から湯殿を独り占めして楽しんでいましたよ。朝食は和食・洋食を選ぶことができました。前夜は、和食をいただいたので、朝は、洋食をチョイスしました。お世話をしてくださる和服の女性の方が、本当に上品で丁寧な接客で、気持ちよく朝ご飯をいただきました。チョットした言葉かけ一つでずいぶん美味しくいただけるんですよね。松江に帰ってからも、周りの友人たちに、この「大和屋本店」を薦めまくったのを思い出します。私自身も、次回道後温泉を訪れるときには、必ずここに泊まりますよ。道後イチオシの宿屋でした。仲居・友近さんの接待を受けてみたかったな~。♥♥♥

 
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試験が始まったら?

◎共通テストで重要なことを述べます!

 「共通テスト」リーディングの試験問題が配られ、試験が始まりました。そのまま、やみくもに第1問題から解き始める受験生が多く見られます。これはいけません。始まったら、まず第1問題から最後の第6問題まで、パラパラとページをめくって、大きな変更がないかどうか確認することから始めましょう。私は毎年このことを、教えている生徒達に徹底しています。いつも受験している模擬試験と大きな違いはないかどうか、まず確認してから、なければそのまま第1問題から解き始めます。もし途中で見たこともないような大きな変更があった場合には、そのことを頭に入れた上で、第1問題に返ります。このことは問題を解く上で大きな影響があるので、重要なことだと思っています。確認せずに、そのまま解いてしまうと、出題パターンが大きく異なっている問題にぶつかったときに動揺が走ります。「ああ、今年はここが例年と大きく違っているんだな」と頭に入れておけば、スムーズにその問題に立ち向かうことができます。昨年度の「共通テスト」の出題者が今年も担当しますから、私は今年は大きな変更はないと踏んでいますが、本番になってみないとこればかりは分かりません。細かい変更は必ずあると思われますので、やはり最初にパラパラとページをめくって確認することから始めましょう。かつてセンター試験時代にも何回か、傾向が変わって見たこともないような問題が出題されたことがありました。私の生徒たちは、最初に確認をしていたので、動揺せずに解くことができた、と言って翌日報告に来てくれ、感謝されたことが何度もありました。解き始める前に問題傾向の変化がないかどうかを確認することを忘れないようにしましょう。そういった注意事項をまとめたのが、昨日ご紹介した「賢者は歴史に学ぶ~共通テスト先輩からのアドバイス」(B4版4ページ)でした。ぜひご覧ください。

・八幡成人(編)「賢者は歴史に学ぶ~共通テスト先輩からのアドバイス」2022年版 ⇒コチラで読むことができます

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最終確認

 昨日は勝田ケ丘志学館で、今日は松江北高補習科理系の3年生に、「共通テスト」前の最終確認をしました。一昨年、昨年の卒業生たちが、自己採点の直後に、後輩たちにぜひ伝えておきたいメッセージや注意事項を書いてくれましたので、それをまとめたプリント「賢者は歴史に学ぶ~共通テスト先輩からのアドバイス」(B4版4ページ)を使って、留意事項を私の経験を踏まえて話しました。自己採点では162点とったことになっていた生徒が、成績開示を受け取ると0点になっていたとか(科目コードをマークし忘れたのでしょう)、試験当日自転車で島根大学会場までやってきたら、後ろの荷台に積んでいたはずのカバンがまるごとなくなっていた(途中の檜山トンネルの中で発見されました)等々、試験当日はいかに緊張するものかを物語っていますね。体と心の状態を当日ピークに持ってきて、落ち着いて平常心で受験に臨み、自分の実力を全部発揮することが重要です。配布したプリントの中の太字で印刷された項目は、たくさんの生徒が同じことを書いていたという意味です。特に注意が必要ですね。「ダウンロードサイト」に登録しておきましたので、参考にしてください。♥♥♥

・八幡成人(編)「賢者は歴史に学ぶ~共通テスト先輩からのアドバイス」2022年版 ⇒コチラで読むことができます

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ストロング小林亡くなる

 伝説のプロレス団体・国際プロレスの元エースで、アントニオ猪木(78)との歴史的名勝負「昭和の巌流島」で知られる元プロレスラー、ストロング小林(すとろんぐ・こばやし、本名小林省三)さんが、昨年12月31日にお亡くなりになりました。81歳。東京都青梅市出身。現役引退後はストロング金剛の芸名で、タレントとしても活躍されました。

 ストロング小林は国際プロレスを退団後、1974年3月19日に、新日本プロレス蔵前国技館大会で、アントニオ猪木の持つNWF世界ヘビー級王座をかけて激突しました。日本人トップ同士のシングルマッチは当時のタブーを破った大一番で、プロレス界の歴史を大きく変えることになります。1万6500人超満員の観衆の前で、猪木のジャーマンスープレックスホールドに敗れたものの、日本プロレス史に残る伝説の名勝負となりました。病気療養中のアントニオ猪木さんが(年末の闘病番組はショックでしたね)、戦友の死を悼みました「ストロング小林選手のご冥福を心よりお祈り致します。小林選手との一戦は『昭和の巌流島』と呼ばれ、入り切れないほどの多くの観衆に観ていただきました。小林選手もこの試合を人生最高の試合と言ってくれ、私も格別な思いがあります。お互い、若くベストな時に勝負ができたことが走馬灯のように思い出されます。ストロング小林選手、ありがとう」と特別な思いを明かしました。

 小林さんは国鉄(現JR)勤務中にスカウトされ1966年に国際プロレスに入門。翌1967年には日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューしました。1968年から素顔に戻ると、187センチ、125キロの体格からなる驚異的なパワーを武器に団体の大黒柱として大活躍しました。車が大好きで、巡業中も移動バスに乗らずに自分で車を運転して移動していました。プライベートを守る、そういうところが団体での孤立を深めていきました。当時のマッチメーカーのグレート草津から干されて、IWA世界ヘビー級チャンピオン(同王座を1973年から25回防衛する日本記録(後にジャイアント馬場の38回に破られる)を保持)であるエースとしての扱いをされなくなったことから、確執が生まれ、突如として国際プロレスに辞表を提出しました。私は年末からちょうど福留崇広『昭和プロレス禁断の闘い 「アントニオ猪木対ストロング小林」が火をつけた日本人対決』(河出書房新社、2021年)を読んでいたので、ここら辺の確執の事情は詳しく知ることができました(病に伏せる小林、猪木と新間氏との出会い、旗揚げ直後の新日の苦悩、全日・馬場との駆け引きなどなど、試合に至るまでの経緯、情勢を、これでもかというくらい積み上げた本で、ファンにはたまらなく面白い430ページ)。国際プロレスは契約違反を主張し、告訴。戦場を失いかけたストロング小林は、極秘に動いていた東京スポーツ新聞社が仲裁に入り、違約金として1,000万円を国際プロレスに支払って(実際には1,500万円だったと上の本にはありました)、一時的に東スポ所属レスラーとして伝説の一戦を迎えました。90分1本勝負の決闘は、猪木の技と小林の力がぶつかり合い、手に汗握る死闘となりました。鉄柱で額を割り流血した猪木が、最後はバックドロップからジャーマンスープレックスホールドを浴びせ29分30秒フォール勝ちしました。フィニッシュのジャーマンでは、小林の巨体を投げきった衝撃で、猪木の両足が宙に浮いたほどだったことは有名な事件です。1954年の「力道山-木村政彦」戦以来、日本選手同士の対戦はタブーとされていた中での激突は「昭和の巌流島」と呼ばれて大きな話題になり、歴史に残る名勝負となりました。レスラーとしては、もっと大成してもよかったと思える実力者でした。

 1984年の引退後は、芸能界に転身し「ストロング金剛」という芸名で、映画やドラマ、バラエティー番組などに出演。TBS「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」の悪役として参加者を追い回し恐れられました。

 次の言葉は、生前のストロング小林が、今のプロレス界へ残した不満です。♥♥♥

 今のプロレスはね、レーザー光線とかスモークとかさ、そういう演出をしているけれど、あれはマイナスだと思うよ。フリッツ・フォン・エリックなんて試合前にリングをのし歩くだけで、何が起こるんだろう?ってお客さんに期待感を抱かせたじゃない。あれが最高の演出だよ。観客が持っていない鍛え上げた肉体を見せて、お客さんに『やっぱプロレスラーはすげぇや』と思わせる。ね、これがプロレスの本当の姿だ。その原点を忘れないでほしいね。  ―『プロレススキャンダル事件史』(宝島文庫、2009年)

【追記】 ストロング小林国際プロレスを離脱した際に、新日本プロレスの新間 寿営業本部長と相談の上、全日本プロレス馬場新日本プロレス猪木に挑戦表明を内容証明郵便で送っています。その挑戦状を猪木は受諾します。新間さんは、慎重居士の馬場は根回しなしで挑戦を受けることはまずないと踏んでいました。日本人対決を待ち望むファンは、挑戦状を勇敢に受けた猪木を支持し、馬場には失望するだろうと考え、ライバルの馬場全日本プロレスにダメージを与えることを狙っていたのです。もし予想を覆して馬場が受諾すれば、猪木・馬場・小林日本選手権という展開に持ち込めると計算していたのです。根回しなしで馬場に挑戦状をおくることは、プロレス界の不文律を破壊するルール違反でした。業界の掟を破ってでも、猪木小林の日本人対決を実現するだけでなく、ライバルの馬場全日本プロレスにダメージを与えることに執念を燃やした新間さんの先見性に脱帽します。彼はファン心理を読むことにかけても類いまれな才能を持っていました。「蔵前国技館がはち切れそうなくらい入ったんですから、通路にまで人が座って、1万6500人っていう人が入った。ストロング小林アントニオ猪木戦は私が見た中で最高の試合だった」と振り返ります。「決して人の悪口を言わない人が、6メートル44のリングに入ると吹っ切って戦う、本当に真剣で真面目な人だった」と偲びました。

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柴田先生と鞁嶋先生の対談

  故・鞁嶋弘明(かわしまひろあき)先生のことは、このブログでも何度も書かせていただいています。先生の「進路講演」の記録がコチラコチラで読むことができます。

 昭和52年に島根県の新規採用教員として島根県立平田高等学校に赴任した際に、鞁嶋先生の2年6組(平田高校で初めての進度別クラス編成をした1期生の早進度クラスでした。彼らが卒業するときにはかつてないほどの見事な進学成績を収めたことは言うまでもありません)の副担任として教員人生をスタートしました。教務部で時間割の作り方から、クラス経営、進路指導のイロハ、ひいては将棋まで教えていただきました。根っからの勝負師といった印象でした。松江北高校長をご退任になった時の「退任祝賀会」(ホテル一畑)では、当時の思い出をスピーチするように命じられ、エピソードを語ったものです。その後、東出雲町教育長をなさっておられたときには、当時勤務していた津和野高校に、進路講演や教員研修にお呼びして助けていただきました。私を今の松江北高に帰ってくるように呼んで下さったのも鞁嶋先生でした。東出雲町長になられてからも、時々北高の職員室に顔をのぞかせになっては、私の心臓の調子をお気遣いいただきました。ギリギリまでお元気だったのに、突然の急死には大きなショックを受けました。

 柴田 博(しばたひろし)先生は、私が英語教員として最も尊敬する英語指導のカリスマです。私が島根県立松江南高等学校に勤務していた30代は、「北高に追いつけ、追い越せ」で、北高南高がしのぎを削っていた時代です。当時は年に1回、北高・南高・東高の三校の英語教員が一同に会して、情報交換やら親睦を深める懇親会が企画されていました(今ではそんな会も一切ありません)。若かった私も幹事を務めてマジックを披露したりしたものです。私は、 柴田先生のところにお酒をつぎに行って、少しでも英語指導のノウハウを教えてもらおうと食らいつきましたが、「また、今度な」「そのうちにな」と教えていただくことはできませんでした(手の内をライバル校に漏らすわけがありませんね)。でもずっと可愛がっていただいて、先生が島根県立益田高等学校の校長先生になられた時分から、いろいろと心構えや指導法を教えていただくようになりました。私が松江北高に帰ってきてからも、ご自宅に呼んでいただいて、先生秘蔵の指導資料を一式お譲りいただいたこともありました。

 そんな鞁嶋先生が校長時代、柴田先生が進路部長をお務めになり、松江北高は全国の公立高等学校で国公立大学の合格者数が、373人→355人→362人と、3年連続日本一」を記録しておられます(3年目御勇退の年に「21世紀枠」甲子園出場)。今からするととうてい考えられないようなすごい数字ですが、偶然実現できた数字ではありません。「組織」の強みの中で、ちゃんとやるべきことを積み上げて、精緻な計算と指導の基に可能となった記録です。鞁嶋先生ご自身がその舞台裏を「進路だより」に語っておられました。私の「あむーる」に再録してあります。⇒コチラで読むことができます

▲写真は全てこの対談より拝借しました

 この日本一の立役者鞁嶋校長先生と(対談当時は東出雲町長)、当時の進路指導部長柴田 博(しばたひろし)先生(対談当時は島根県立益田高等学校長。この学校も柴田先生が赴任なさって飛躍的に成績が伸びた学校でした)のお二人のビッグ対談が、ベネッセ『VIEW21』(高校版)2008年6月号に掲載されて、現場ではずいぶん大きな話題となりました(私を育てたあの時代、あの出会い「志がかけがえのない出会いを生み 時を濃密にした」)。ここには進路指導の原点と、教師のあるべき姿、あるべき指導体制が余すこと無くすべて語られている貴重な記録です。私も何度も読み返しているところです。今でも全文を読むことができますので、ぜひみなさん、ご一読ください。⇒コチラです 中でも次の柴田先生のお言葉は、胸に刺さりました。今の松江北高の先生方にぜひ読んでいただきたい言葉です。

 当時の松江北高校の進路検討会は、休日も返上して、それも深夜に及ぶ密度の濃いものでした。個々の生徒の課題から各教科の指導法、更に組織の見直しを含めて学校全体をいかに効果的に動かすかまで、時間をかけて熱く意見を交わしていました。そこには「『無理』は教師がするものであり、生徒がすべきものではない」という鞁嶋先生の考えがありました。学力不振や進学実績の低迷などの事態に直面したときに、それを生徒のせいにするようになったら即座に職を辞すべきだという覚悟と信念が私たちの中にも当然のように存在していたと思います。
 生徒の可能性を伸ばせるシステムと、それを機能させる人材育成のノウハウを学びながら、自らも悩み、工夫を重ねました。私が求めていた進学指導や学校の在り方が着実に具体化されていく濃密な日々でした。

 この対談が掲載された『VIEW21』の誌面全部がコチラからPDFでダウンロードして読むこともできます。♥♥♥

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小嶺監督ご逝去

 サッカーの強豪、長崎県の国見高校を監督として率いて全国高校サッカー選手権で6回の優勝を果たした名伯楽・小嶺忠敏(こみねただとし)さんが1月7日日午前、肝不全のため長崎市内の病院でお亡くなりになりました。76歳でした。心よりご冥福をお祈りします。昨年12月上旬から体調を崩して入院しておられましたが、入院中も、病院からグランドに来て指導したこともありました。1968年、新卒の教員として母校島原商に赴任。サッカー部は部員13人からスタートしました。1984年に赴任した国見では、選手権に21年連続で出場。決勝に9度進み、戦後最多タイとなる6度の優勝を果たしました。全国高校総体などを含めた全国大会の優勝は17回。憎まれるほどの強いチームでした。

 その昔、サッカーの強豪校・国見高校小嶺総監督が、全国制覇した時のテレビ優勝インタビューで、「監督、どんな練習をしたらこんなに強いチームができるのですか?」という質問に答えて、特別のことはやっていません。ただ、①挨拶のできる子、②返事のできる子、③後始末のできる子、を作りたいと思っています。と、テレビで言っておられるのを聞いて、いっぺんでファンになりました。サッカーの「技術」に関する言葉は一言もありませんでした。授業だけでなく、当時ソフトテニスの監督を務めていた私は、部員達にもよくこの話はしてやったものです。

 もちろん「人間教育」だけで全国制覇できるほど甘くはありません。「こくみ」と呼び間違えられるほど無名の高校を常勝軍団にするには、スパルタ指導も辞しませんでした。赴任当時は、グランドがなく、ゴールは給料をはたいて買いました。家族旅行、運動会に行くことさえないほど多忙でした。「私は少しも苦労に感じない。ひとつの夢を追い求めることは何者にも代えがたい」「麦は踏めば踏むほど収穫はいい。踏まなければすぐに倒れて実が落ちてしまう」が信条でした。向こう見ずの熱い正確から「ダンプ」の愛称がつきました。私財を投じて遠征用マイクロバスを購入し、運転免許を取得して、寝る間を惜しんでマイクロバスを自ら運転して全国各地に遠征して、地方校のハンディを補いました。「生徒に『ここが頑張りどきだ』と言っても、指導者が適当にやっていてできるはずがない」と、病院を借り上げて選手寮を確保しました。選手と寮で寝泊まりし、朝練習には一度も遅刻しませんでした。座右の銘は「動」「見る者が動くことによって見えない部分が見える。正面からみた彫刻も、自分が動くと違うように見える。あそこの置きものの裏側、そこからは見えないでしょ」

 「人として生きて行く上での基本を、スポーツを通じて教えないといけない」とし、あいさつや礼儀を重んじ、勝てるチームを作り上げ、真摯な姿勢で慕われました。「自信と過信は紙一重」「言い訳はするな。何があっても正直に生きろ」「あいさつも人間の基本だ」「指導とは料理みたいなもの。材料を定めて、見抜いてやらんといかん」「優勝できたのは、父兄、関係者、OBのおかげなんだぞ。礼儀を尽くせ」「いい人間になれ」と、内面を大切にする指導でした。 

 私の後日談です。2004年、島根県でインターハイが開催された時に、この小嶺さんの国見高校チームを益田市で実際に目にしました。津和野高校の生徒がサッカー会場の補助員として駆り出されることになり、早朝津和野から益田に向かう貸し切りバスの中で、生徒たちに上の話をしてやり、よ~く見ておくように言っておいたんです。ところが残念ながら、国見の選手たちが会場に入ってきても、補助員たちの大きな声の挨拶には全く反応がありません。ところが向こうのテントの方では、サッカー関係者たち(大学のスカウトを含む)には大きな声で挨拶。話が違うじゃないか!!言っていることと、実際の行動のギャップに失望しました。世の中こんなもんですかね。いっぺんで熱が冷めたことを覚えています。以来、勝てなくなり全国の舞台から姿を消し、「やっぱりな」と納得したことでした。

 「学力をつけるためにはどうしたらいいのですか?」という質問には、私は、「まず生活から」と答えることにしています。テストの点さえ取れればそれでよし、では必ず壁にぶち当たります。礼儀を、挨拶を、マナー、日頃の生活習慣を大切にすることが学力の増進に大きなウェイトを占める、と言ったら、不思議に思われるでしょうが、実は本当なんです。長い教員生活の末、到達した結論がこれです。これを疎かにするようになった学校が……。♥♥♥

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「大手まんぢゅうカフェ」

◎週末はグルメ情報!!今週はまんぢゅう

 「大手まんぢゅう」は180年以上の歴史を誇る、岡山県の伝統銘菓。岡山の方ではなくとも、名前は聞いたことあるよ!って方も多いんじゃないでしょうか。それもそのはず。「大手まんぢゅう」は日本三大饅頭の一つにも数えられているお饅頭なんです(ちなみにほかの2つは、元祖小豆あん入り饅頭で知られる東京の『志ほせ饅頭』と、温泉饅頭のルーツ・福島の『薄皮饅頭』です)。その特徴は、白くてうすーい皮と、たっぷりのこしあん。私も大好きです。

 そんな「大手まんぢゅう」を取り扱うカフェ、「大手まんぢゅうカフェ」が、倉敷・美観地区の倉敷川沿いに2020年3月19日にオープンしました。岡山県民なら誰もが知っている「大手まんぢゅう」の直営店です。テイクアウトも可能なので、美観地区を散策しながら楽しむことができます。

 「大手まんぢゅうカフェ」では、「大手まんぢゅう」関連のお土産品はもちろん、ぜんざいやソフトクリームなど、イートイン可能なデザートもあります。まずは、お店に入ったところのカウンターで「蒸したて大手まんぢゅうセット」(大手まんぢゅう2個+ドリンク)を注文します。お店に入って最初に注文して番号札をもらって席に着きます。この番号札がデカ過ぎますね。外見は白壁の古民家風ですが、中は実にオシャレな雰囲気です。店内のイートインスペースは白を基調とした、落ち着いた雰囲気のスタイリッシュな空間で、木のテーブル、革張りのイス。真っ白い壁に吊り下げ照明と凝っています。意外と奥長くて広いです。コロナ禍だからでしょう。テーブルの間隔もかなり広めにとられていました。

 工場直送の「大手まんぢゅう」をその場でせいろ蒸しで仕上げます。蒸したての味が工場ではなくお店でも味わえるのって嬉しいですよね!蒸したての大手まんぢゅうは、普段食べているものよりも薄皮が非常に柔らかく、一口食べただけで、その味の虜になってしまいます。めっちゃ美味しい!ドリンクは「大手まんぢゅう専用焙煎珈琲」です。高品質なコーヒーのお店、さんすて岡山の「little岡山」「大手まんぢゅう」の味わいを生かすためにオリジナルでブレンドしたスペシャル・コーヒーです。「苦甘みを追求した大手まんぢゅうが止まらなくなる味わい」で、深煎りされた豆を使っていて、飲んだ後はスッキリした味わいです。備前焼の取り皿に取り分けて食べます。柔らかくて持ち上げると薄皮が破れそうなくらいです。中のこしあんは、温かくてとろけるような食感が。初めて蒸したてアツアツを食べました。店員さんは「家でレンジで温めて食べてみて下さいね」とのこと。やってみよう!

大手まんぢゅうカフェ店内

 奥に見える大きな「大手まんぢゅう」の油絵は、児島慎太郎さんの作品。児島慎太郎さんは、美観地区にある大原美術館の創立の際に、ヨーロッパを回ってモネやルノワールの絵画を集めた日本画家・児島虎次郎さんのひ孫さんです。この絵は100号サイズの大きな油絵で、実物はもっとほっこりとした温かみのある色をしています。大手まんぢゅうなんだけど、ただの大手まんぢゅうでなく、温もりのある絵画ですね~。実に味のある素晴らしい絵画です!♥♥♥

▲お土産に買って帰ります

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「エナージェル」ライムグリーン

◎最高の書き味エナージェル

 ぺんてるから出ているゲルインキボールペン「エナージェル」シリーズは、スッと書けて、サッと乾きます。「エナージェル」の特長は、インスピレーションが湧く、なめらかな書き心地 、汚れを気にせず、ストレスなく書き進められる筆跡の速乾性、クリアで鮮明な文字、濃く鮮やかな筆跡で想いをしっかり伝えられるところにあります。私のお気に入りボールペンで、0.7mmを普段使いしています。昨年は、「エナージェル」シリーズ発売20周年を記念して、インキ色を20色に大幅拡充して、 数量限定で発売されました(写真上)。私は東京・東急ハンズで20色全色セットを求めてきました。その中に、本来海外向けで、国内向けのエナージェルには無かった色である「ライムグリーン」があります。私は辞典の校閲作業に緑色のボールペンを多用するので、とっても興味を引かれ、大量に買い込んできました。売り場担当の方にお聞きすると、限定色のためにリフィルはないとのことだったので、本体を大量に購入してきたんです。以前は、この色は海外限定色で、0.5mmのみが販売になっていたものです。

▲「エナージェル ライムグリーン」

 ここでプチ情報を。あまり知られていませんが、海外で大人気を博している「日本のモノ」の一つに筆記用具、特にボールペンがあります。2020年のボールペンの総輸出数量は8億6963万7千本(財務省貿易統計)でした。これは販売数量の約6割に当たります。欧米では、日本ほど筆記具の新製品を出さないのです。世界で日本のボールペンが大人気なのは、こういった事情が絡んでいるんです。「文房具大国日本」なのです。

 「エナージェル」に関しては、国内向けに全色を通常ラインナップとして展開して欲しいなと思っていたところ、海外限定色も含めて、20色全部を発売してくれました(0.7mm&0.5mm)。感謝、感謝です。このイムグリーン」は明るくて黄色が強めな感じです。書き味はエナージェルらしくスラスラで文句なし。緑で何か書きたい!それだけ色と書き味が抜群です。このボールペン、気に入って辞典原稿の書き込みに使っています。これに続いてのエナージェル20周年記念企画の第2弾は、黒色にこだわった「エナージェルブラックカラーズコレクション」(全6色)でした。これについては先日取り上げたばかりです。⇒コチラをご覧ください♥♥♥

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圧倒的な「語彙力」を目指して

 英語の力をつけるために、とにかく辞書を引かせます。最近の英作文の授業で、Asianという単語が出てきました。Asianは、一般に辞典・単語集では「アジアの;アジア人の」という文字通りの意味しか載っていませんが(例えば『アクシスジーニアス英和辞典』『ワードパワー』)、イギリスアメリカでは、この言葉から連想される意味は異なっています。アメリカでは、日本・中国・韓国・ベトナムなどの東アジア人や東南アジア人を連想する人たちが多いようです。しかしながら、イギリス人が思い浮かべるのは、インド・パキスタン・バングラディッシュ・スリランカといった南アジアの旧植民地の人たちです。英連邦諸国出身の皮膚の色の黒い人たちです。そのことはスティーブ・モリヤマ『イギリス英語は落とし穴だらけ』(研究社、2016年)にも、はっきり出ています。授業では、『ライトハウス英和辞典』(第6版)を引かせて、「《参考》 Asianはしばしば《米》では東アジア(日本・中国・韓国など),《英》では南アジア(インド・パキスタン・バングラディッシュなど)を指して用いられることがある」という注記に注目させます。どこかでこの知識が役立つはずです。

 当時、東京外国語大学助教授であった竹林 滋(たけばやししげる)先生が中心となって、教え子たちが集まり、恩師である岩崎民平先生喜寿のお祝いにと作って差し上げたのが『ユニオン英和辞典』(研究社、1972年)でした。その後『ユニオン英和』は、1980年に『ライトハウス英和辞典』と改称して発売されました。我が国初の高校生用学習辞典ということで、初版は何と60万部も売れたんですよ。当時、私は島根県立松江南高等学校で教えていましたが、新学期の4月当初に現物が生徒の手に行き渡らず、「引換券」を発行して、その券を今井書店に持ってきた者だけに商品を渡すという人気ぶりだったことが忘れられません。以来、現在6版を重ねています(現在7版準備中)。『ライトハウス英和辞典』は、基礎の確認から入試対策まで、「発信」にも役立つ学習英和辞典です。基礎から入試までに十分な約7万の語句を収録。会話や作文に役立つ用例・成句を多数収録。重要な名詞と動詞の結びつきを「コロケーション」欄にまとめて表示。相手との関係・場面に応じて適切に英語を話すためのキーワードを解説。語源から単語の意味を覚えられる「単語の記憶」欄を強化。大学入試問題の分析に基づいた重要ポイントの表示。「語法」「用法注意」などの解説や、基本会話表現・文法解説・発音解説などの付録も充実しています。

〈主 な 特 色〉
★収録語句約7万。時代を反映する新語・新語義も積極的に収録。
★会話や作文に役立つ用例・成句を多数収録。重要な名詞と動詞の結びつきを「コロケーション」欄にまとめて表示。
★New! 「コーパスで学ぶコロケーション+1」
コーパスの分析に基づき、日本人には思いつきにくいが頻度の高い、英語発想の表われたコロケーション・フレーズを紹介。
★New! 「コミュニケーションの鍵―ポライトネス」
相手との関係や状況に応じた“丁寧で適切な英語”を使うためのヒントを、豊富な用例とともに解説。
★語源から単語の意味をまとめて覚えられる「単語の記憶」をさらに強化。
★大学入試問題の分析に基づき、重要な語法や発音・アクセント問題に頻出の語などにアイコンを表示。
★「語法」「用法注意」「日英比較」「類義語」などの解説が充実、多義語の意味が一目でわかる「語義の要約」「語義の展開」も好評。
★基本会話表現、文法解説、和英索引など、巻末付録も充実。
★発音とリスニングの基礎が身につく「つづり字と発音解説」。付属CDに実例を収録。

 この度、この『ライトハウス英和辞典』の最新のパンフレットが出来上がりましたので、ぜひご覧ください。ここには、「圧倒的な「語彙力」を目指して」という私の「共通テスト」に関する論考が特集されています(写真下)。「ダウンロードサイト」にPDFで登録しておきましたので、興味のある方はダウンロードしてお読みください。タブレットの学習(来年度から島根県・鳥取県は新入生全員がタブレットを持って学習とか)や電子辞書の普及により、紙の辞典を引く機会が激減している現場です。やはり入門期から紙の辞典に親しませるという、「英語学習の基本」を忘れないようにしたいものですね。♥♥♥

・ 八幡成人「圧倒的な「語彙力」を目指して」『ライトハウス英和辞典』(第6版)最新パンフレット ⇒コチラコチラで読むことができます

◎『ライトハウス英和辞典』最新パンフレット

▲八幡成人「圧倒的な「語彙力」を目指して」

 

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研究会の要旨を読むことができます

 昨年11月13日(土)のオンライン講演「2023大学入学共通テストに求められるチカラとは(英語)~なぜ今(3年生0学期よりも前)から指導しなければならないのか~」(ラーンズ主催)で、私は約90枚のスライドを用いて、下記のスライドにあるようなメッセージを発信しました。全国の受験生で最も多い悩みは「80分で最後まで終わらない!」ということです。センター試験以上に、時間制限に拍車がかかったのが「共通テスト」です。この点が今回の講演の大きなテーマとなりました。

 帰りましてから、たくさんの先生方からお礼やら励ましのお言葉を頂戴しております。ありがとうございました。幾つかをご紹介させていただきますね。

◎八幡先生の多くの実践経験と実績に基づく、さまざまな結果に裏打ちされたお話しは、当然のことながら大変説得力があり、一つ一つが納得いくものでした。具体的にご紹介頂いた書籍など、すぐに書庫で確認し、確保致しました。またチームハちゃんのHPから、たくさんの実践的で貴重な資料をご提供いただき感謝です。早速拝見させて頂きます。「アタマ、オナカ、シッポ」も何年も活用させていただいております。最後に、何より先生の誠実さが溢れる語り口調と内容に大いに癒され、モチベーションを頂きました。ありがとうございました。今後とも八幡先生のご活躍をお祈りしています。

◎以前より八幡先生のブログを拝見させていただいております。特に英語科教育の造詣の深さと生徒へのまなざしは日々の授業にとても参考になっています。また、授業や講演会などの資料も自由に閲覧できるようにされており、こちらも先生のお人柄を象徴するものと理解しています。
 ご講演内容に関しては、特に高校入学以降から受験まで、「当たり前のことを、バカになって、ちゃんとやる」という学習姿勢を徹底して生徒に求めていることがよくわかりました。さらに、リーディング、リスニングとも各設問にたいして具体的な取り組み方法や時間配分などもウェブサイトのリンク先資料の案内と合わせてご提示いただきました。授業を行う上でとても参考になる資料、お言葉に触れることができ感謝しております。
本日はどうもありがとうございました。

◎毎回素晴らしいご講演ありがとうございます。今後とも十分にお身体にご留意されながらさらなるご活躍をお祈りいたします。本日は頭だけでなく,心も大変あったかくなり素晴らしい週末を過ごすことができました。課題は,いかに今後に活かしていくかだと思います。生徒と共に常にありたいと改めて再考させられました。

◎久しぶりにリアルタイムでお話を聞くことができてうれしかったです。対策本をはじめ、講演資料やダウンロードサイトの資料などをいつも拝見し、勉強させていただいています。今回も、先生の共通テストに関する分析とその対策を拝聴し、たくさんの刺激をいただきました。私は現在3年生を担当しており、まさに今共通テスト対策を行っていますが、その内容や方針はすべて先生から教わったものがベースとなっています。多くの生徒が「時間内に終わらない」「最後までたどりつけない」ことを課題に感じており、中には「最後まで読めないから、最初から第5問と第6問をあきらめる」「時間のかかる第5問から解き始める」という生徒もいます。先生もお話の中で触れられていた「時間配分意識が希薄」であり、「もう少し時間をかけたら解ける」と、目の前の問題に執着しすぎて、気づけば時間をかけすぎていることが課題であると感じました。そこで、八幡先生がご提示された解答時間の目安を意識させ、自分がタイムキーパーとなって一定の時間が過ぎたら「第〇問終了、次に進んでください」とアナウンスしながら、第1問から第6問まで順番に80分で問題を解く講習を始めました。最初は慣れず、また焦りから得点が低くなる生徒がいましたが、そのような生徒には、後半に時間がかかるのなら、前半をできるだけ少ない時間で解く練習をするよう励まし、また、別の生徒には、設問を見てから本文を読む解き方に修正するよう、また「つなぎ語」に注目して、ざっくり読むか、じっくり読むかを見極めるようアドバイスしています。また、次年度は難化の予想であること、正解は本文の言い換えであることなど、先生が強調されていたことも踏まえて指導にあたっています。
 あと2カ月、最後まで全力で指導にあたっていきたいと思います。長時間にわたるご講演、ありがとうございました。

◎ご講演、大変ありがとうございました。
 今回も「明日からの授業に活かそう」とメモを取りながら、視聴させていただきました。明日へのエネルギーをたくさんいただきました。ZOOM越しにお元気なご様子を拝見してほっとしました。どうぞお体をおいといくださいますように。

◎八幡先生のブログも毎日拝見しています。対面の講演にも過去2回(市ヶ谷・新宿)参加しました。八幡先生の英語の知識・お人柄の素晴らしさにいつも敬服しております。お体を大切にこれからも全国の英語教員に的確なアドヴァイスをいただけたらと思います。ありがとうございました。

◎この「講演会」のレポートを読むことができます!

「共通テスト」が近づいておりますが、このオンライン講演の主な要点を主催者の(株)ラーンズが要領よくまとめてレポートしてくださいました。⇒コチラで読むことができますので、ぜひご覧になってください。

★1月31日(月)まで、この講演は録画で見ることができます。まだご覧になっておられない先生方は、ラーンズコチラからお申し込み下さい。

★来る1月15日(土)に行われる「共通テスト」の英語(リーディング・リスニング)を総括した「オンライン講演会」2月26日(土)に予定されています。お楽しみに。♥♥♥

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正解は奈良駅でした

 「JRの路線が市内の中心部を走っているにもかかわらず、特急列車が停車しない県庁所在地は?」という昨日のクイズの正解は、奈良市にある「奈良駅」でした。県庁所在地の多くは、その県における政治・経済・文化の中心です。したがって、那覇市を除くどの県庁所在地にもJR路線が走っているし、特急列車が停車します。埼玉県浦和市は、かつては特急列車の停車しない県庁所在地として知られていましたが、さいたま市となってほぼ全ての特急列車が停車するようになりましたから外れます。群馬県の県庁所在地・前橋駅「特急あかぎ」が停まっていましたが、2021年3月のダイヤ改正で廃止されてしまいましたから、厳密には「奈良駅」「前橋駅」ということになりますが、長年ずっと特急列車が停まらなかった駅ということで、ここでは「前橋駅」は外して考えます。

 JR路線が走っているのに、特急列車が停車しない全国で唯一の県庁所在地の駅は、奈良市にある「奈良駅」です。「奈良駅」は3面5線を有する高架駅で、関西本線、奈良線、桜井線の3線が乗り入れるJRのみの駅です。乗降客も比較的多いんです。それなのに、なぜ特急が停車しないのでしょうか?理由は簡単、そもそも「奈良駅」を通っているいずれのJR路線にも、特急列車が運行されていないからです。奈良県には、関西本線、奈良線、桜井線、和歌山線の4本のJR路線が走っています。長距離線は関西本線だけで、他の3線は特急列車を運行するほどの距離はありません。そして関西本線にも特急列車が運行されていないのです。

 奈良県に特急列車が走らないのは、

①京都や大阪などと距離が近いこと

②近鉄が鉄道輸送のシェアを大きく占めていること

の2つが主な理由として挙げられます。京都〜奈良大阪〜奈良はどちらも40kmほどで、JRが定期特急を走らせるほどではないのでしょう。かつて京都~奈良間に特急列車を走らせるという構想が持ち上がったことがありました。しかし、路線距離が短かすぎるという理由から実現には至りませんでした。一方、大手私鉄の近鉄は、奈良県の鉄道路線を網羅していて、JRとしのぎを削っていますが、JRは近鉄に太刀打ちできない状況が続いているのです。これが最大の理由だと思われます。近鉄はJRとは異なって特急列車が走り、通勤時間帯には近鉄奈良駅からも発着しています。

 「奈良駅」は2010年に高架化されました。プラットホームは3階部分、改札を含むコンコースは2階、そして1階・2階は商業施設となっています。改札外部分は天井には格天井を意識した装飾が、また柱は吉野杉で美装されており、一部柱には組物を思わせる装飾が施されていました。また、柱からは釣灯篭を思わせる照明も吊るされています。一方で、旧駅舎は曳家され、すぐお隣に現存しています。本来は解体・撤去される予定だったのですが、駅舎を残すよう求める声が非常に大きかったので保存されることになりました。この駅舎は2007年には「地域活性化の役に立つ近代産業遺産」、2011年には「土木学会選奨土木遺産」に登録されました。西洋風の駅舎内部が保存されており、「観光案内所」は赤茶色の柱で覆われています。さらにここには「スターバックス」も入っています。古都の雰囲気の中で飲んだコーヒーの美味しかったこと。私も数年前に訪れましたが、とっても素敵な駅でした。⇒詳しいレポートはコチラをご覧ください

▲保存されている旧奈良駅

 なおJR西日本は、近年臨時特急として、新大阪〜奈良間の「特急まほろば」を運行させていました(2019年・2020年)。2023年春に「うめきた(大阪)地下駅」が開業するタイミングに合わせて、奈良方面への特急列車が運行される計画が、2021年に発表されています。「関空特急はるか」特急「くろしお」「奈良駅」に停まる可能性が出てきました。♥♥♥

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あなたはどっち?

 全国の受験生にとって「共通テスト」英語(リーデイング)で最も多い悩みは、「80分で最後まで解き終わらない」ということです。センター試験以上に、時間制限に一段と拍車がかかったのが「共通テスト」です。「時間さえあれば。高得点を取れるのに…」とか「ギリギリで終わるけれど、見直しの時間がなくて不安」といった声をよく聞きます。最後まで行かない人には、実は2つのタイプがあって、そのどちらかによって対策も変わってくるんです。まず1つめのタイプは、「時間を延ばしても点数が取れない人たち」です。もう1つは、「80分ではきついけれど、もうちょっと時間さえあれば高得点を取れる人たち」です。自分がどちらに属するのかによって対策も変わってきます。最初ののタイプの人は2年生の今から始める必要があります。

 「時間をかければ高得点が取れる」というのタイプの人は、時間配分を意識した演習をこなしていきます。まずは、<試験時間+10分>⇒<試験時間+5分>⇒<試験時間ジャスト>⇒<試験時間-5分>で、徐々に「見直し時間」まで確保するという目標をクリアしていきます。そのためには、無駄のない解答手順に慣れる必要があります。本文を読み始める前に、冒頭の「場面設定」(=状況を説明する前置き的な英文)を必ず頭に入れ、「設問」を先読みして何が問われているのかを意識した上で本文を読み、該当箇所が出てきたらマークをしておく。資料問題では、グラフ・図表に目を通し、本文の主題や問われているポイントを把握してから、本文を読みます。選択肢の正誤の判定では、本文の該当箇所と取らし合わせ、解答の根拠を明確にすることです(=「原文典拠の法則」)。その際に、練習では、誤りの選択肢(=ダミー)も「なぜこの選択肢は間違いなのか?」というキズを人に説明できるレベルにまで高めておくのが効果的です。丁寧な解答のプロセスを確立しましょう。

 二年間「共通テスト」の指導をしてきて、生徒たちの最も大きな悩みは「最後までいかない」という時間不足なんです。の人たちは、当然高得点は取れません。その原因の大きなものは四つあります。一つは「語彙力不足」です。英文を読む際に、知らない単語が出てきたら目線がそこで止まってしまいます。知らない単語の度に止まっていたら、どうしても読むスピードは落ちてしまいますね。二番目は「文法力不足」です。単語と同様に基本的な文法事項が分かっていないと、英文を読む際に時間が多くかかってしまいます。十分な知識がないと,英文を正確に理解することができないのです。三番目が「形式への慣れ不足」です。複数の情報を統合して答える問題など今までになかったタイプの問題が多いですから、これに慣れておく必要があるのです。四番目は「時間配分の意識の希薄さ」です。センター試験の時よりも長文2題分は分量が増えているのですから、スピード感を持って読まないと最後までは終わりません。それには各大問をおよそ何分くらいで処理すればよいかを大雑把に頭に入れておく必要があると思います。全体のペース配分が重要なんです。

 センター試験時代は、「大問を解く順番を変えれば何とかなる」などという小手先のテクニックがアドバイスされたこともありました。「共通テスト」ではそんな姑息なやり方は通用しません。今述べた四つのポイントを克服しない限り、最後まで行くことはないでしょう。

 語彙力、文法力、形式への慣れ、時間配分、この四つです。♥♥♥

◎さてここでクイズです!

【新春宿題クイズ】 私は鉄道好きで、全国の特急列車を制覇するという野望を持ってせっせと乗っていますが、ここでクイズです。JRの路線が市内の中心部を走っているにもかかわらず、特急列車が停車しない県庁所在地が全国に1カ所だけあります。さてそれはどこでしょう??正解は明日のブログで。♠♠♠

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「笑点」のリストラ

 前回の「笑点」の最後に、来週重大な発表があるとの予告がなされていました。「一体何だろう?」と思って、今週を見ました。私はもう数十有年毎週この番組を楽しんでいます。落語家・林家三平(51歳)さんが、「笑点」(日本テレビ系)の大喜利メンバーを年内で卒業することが明らかになりました。三平さんは番組の最後で「私、2代・三平は、今年をもって、いったん笑点を離れます。勉強し直して参ります」と自ら明らかにしました。2016年5月にレギュラーに就任してから、5年7ヶ月で卒業することになります。卒業理由について「この5年半、一度も座布団10枚を取ったことがありません。ですから表に出て自分のスキルを上げて、また座布団10枚を獲得するためにも勉強し直して参ります」と説明しました。「体、心を鍛え、芸の幅を広げ、いろんな経験をして戻って参ります。本当にありがとうございました!」と頭を下げて、同番組に戻ってくることを誓いました。三平さんは、昇太桂歌丸に代わって司会になったことに伴い、番組50周年にあたる2016年5月29日の放送から出演していました。唯一の40代で最年少でした。「番組の最後に、また戻ってきますとは言ったものの、そんなに簡単なことではないのも承知しています。落語に限らず様々な経験を積み、勉強し直したいと思います」と、番組直後につぶやいています。

 今回の三平さんの降板についてネット上では、「本当申し訳ないんだけど、正直面白くはなかった」「初めから無理な人選だった。あまりにウケなくて本人も辛かったろう」「卒業っていうと自分の意思での引退っぽいけど、野球に例えるなら戦力外だよね」といった声が上がった。降板について「遅すぎた」という見方が多いようです。実際、三平さんはこの6年足らずの間に、1度も座布団10枚をとったことがありません。落語家としての力量不足は明らかでした。

 「三平さんは加入から5年を過ぎてもキャラクターを確立することができず、お節介な母や美人の嫁(女優の国分佐智子)をネタにすることくらいしかできませんでした。林家木久扇さんに『三平はつまらない』とイジられてようやく存在感が出るような状況が続き、スタッフも三平さんに頭を悩ませていました」(演芸関係者)  私が思うに三平さんには「毒」がありません。エロじじいの小遊三、バカキャラの喜久蔵、腹黒の円楽、といった強烈な個性が感じられません。「オンリーワン」の個性がないところが、一番の弱みと思います。 

 日テレが“三平おろし”の姿勢を鮮明にしたといわれているのは11月7日の放送です。この日は、いつもの演芸コーナーと大喜利ではなく、BS日テレ「笑点 特大号」に出演中の若手落語家6人が登場し、通常のメンバーと「対抗大喜利」を行い、30分の編成をこの1本のみに絞りました。日テレは視聴者のターゲット層を13歳から49歳に絞り、若返りを目指しています。異例の放送は、若手落語家の名前を覚えてもらって「笑点」の世代交代をスムーズにすると共に、三平さんの尻に火をつける意味合いもあるのではないかと囁かれていました。あの日の放送以降、「いつメンバー交代があってもおかしくない」とみられていましたが、三平さんは奮起する間もなく降板することになってしまいました。ただ、番組を一度降板した後にレギュラーに復帰した三遊亭好楽のさんの例もありますから(1979年4月~1983年10月→1988年4月)、しばらく修行した後に三平さんの復活を期待する向きも出てくるかもしれませんね。

 「笑点」出演の最後の大喜利では座布団9枚となり、出演者の中では座布団が一番多かったということで、司会の春風亭昇太師匠が他メンバーの座布団回収を指令し、一番高い所に座る三平さんの笑顔が映し出され、卒業を見送りました。三平さんは、「体と心を鍛える」第一歩として、ライザップで74.4キロあった体重を55.8キロと18.6キロの減量を果たしていますよ。♥♥♥

 

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「天外天」

◎週末はグルメ!!今週は熊本ラーメン

 東京駅の地下に名物「東京ラーメンストリート」があります(写真上)。東京駅八重洲中央口を出たら、右手側にある階段を下って行くとすぐに到着します。ちょい旅気分を味わえるエリアです。そこの「ひるがお」は私の好きな塩ラーメン専門店です。⇒私の紹介はコチラ その中の一画で、遠出をせずとも全国の名だたる名店の味を気軽に味わってもらいたいと、全国各地のご当地ラーメン有名店が、期間限定で出店することになっています。第1弾~第7弾まで総実施期間25か月にもわたり、3ヶ月ごとに店舗を入れ替えながら、東京初上陸の有名店や、ラーメン史を語る上では外すことの出来ないご当地の名店が続々と登場する予定です。全国的にはまだ知られていないけれど、地元では知らない人はいないご当地ラーメンの発掘に力を入れているのです。第1弾はあのラーメンの鬼・故・佐野 実(さのみのるさんの「志那そばや」でした。その第2弾が「天外天」(熊本県)です。グルメサイトNo.1を誇り、熊本ではシメの一杯で有名な天外天」ラーメンが東京初出店で、11月12日(木)にオープンしました。私はオープン翌日の夕方に早速お邪魔してきました。予想通り、お店の前には大行列ができていました。店頭の券売機で食券を買って行列に並びます(行列するのは好きではないんですが、今回は特別です)。頼んだのは「天外天ラーメン」ネギ増しです。

 豚骨のゲンコツのみを砕けるまで煮込んだスープをベースに、鶏ガラを合わせたスープはあっさりしている見た目からは感じられないほどの濃厚な旨味とコクのある味わいです。醤油ダレは地元熊本の薄口醬油に魚醤を加えることにより、より豚骨と鶏感からくるスープに味にひときわハッキリとした輪郭を醸し出す。麺はストレートの極細麺で、博多麺と違い丸刃で成形した丸麺です。伸びにくく、のどごしもよい特徴を持っています。今回の東京駅初出店のために、店主自らが熊本の店舗にはないアレンジをプラスしています。「佐賀一番摘み海苔」「糸島メンマ」が追加された特別バージョンです。「佐賀一番摘み海苔」は言わずと知れた海苔の一大産地である佐賀県有明産の一番摘みのみを使用。色、香り、食感が全く違う高級一番海苔を独自のルートで入手。サクサクした歯ごたえの「糸島メンマ」は、中国産麻竹が国内流通の大半を占める中、福岡県糸島でとれる孟宗竹を使用し、国内流通量はわずか1%しかない希少品。そして、「天外天」のラーメンの最大の特徴であるガーリックパウダーは、ニンニクを弱火で時間をかけてローストし、粗目に挽いた門外不出の自家製。ラーメン全体に振りかけることにより、パンチの効いた「天外天」のラーメンが完成します。熊本ラーメン=黒マー油という概念を一新させたグルメサイト県内No.1の超実力店が、九州各地の食材を追い求め追求した一杯を完成させました。東京で今だけしか食べることが出来ない熊本を代表する「天外天」のラーメンです。

 「天外天」は、1989年に熊本の飲屋街でわずか3坪の狭い店としてオープン。その後、話題となり県内の人気ナンバーワンを幾度となく獲得するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を増している有名ラーメン屋さんです。東京駅への出店に際して、店主の小田圭太郎氏はこう語ります。「東京駅という名誉ある場所からお声掛けをいただき大変光栄です。東京駅とはいえ、この店内の中は全力で熊本の色に染めていきたいと考えています」

 熊本ラーメンと言えば、豚骨スープの上に黒いマー油(ニンニクの焦がし油)のかかったものが一般的ですが、「天外天」のラーメンはそうでありません。6時間かけて豚骨のゲンコツが砕けるまで煮込んだスープに、鶏ガラと地元熊本の薄口醤油、魚醤を加えた一杯。さらにその上には、ニンニクをローストして粗めに砕いた自家製ガーリックパウダーをたっぷりかけます。「熊本といえばマー油が特徴的ですが、マー油は多少の苦味が出てしまいます。うちのスープにはマー油を合わせるのではなく、同じ熊本の“玉名ラーメン”をイメージし、ガーリックパウダーを合わせました」(小田氏)豚骨はそこまで白濁させず、すっきりと仕上げています。鶏ガラを加えることでボディーに厚みが出て、非常にコクのある絶品スープに仕上がっているんです。ここにガーリックパウダーの中毒性が加わり、唯一無二の一杯になっています。パツンとした食感の細めの丸麺や、噛むほどに旨味の広がる柔らかなチャーシューも絶品でした。青ネギがたっぷりのって、や~、美味しかった。ごちそうさまでした。2022年2月24日までの期間限定出店です(10:30~23:00)。♥♥♥

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正直に

 新年明けましておめでとうございます。昨年中はお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします。みなさんのご多幸をお祈りします。

 昔の「修身」の教科書(三年生)からの引用です。

正直
 ある呉服屋に、正直な丁稚(でっち)がおりました。
 あるとき、客の買おうとした反物に傷のあることを知らせたので、客は買うのを
やめて帰りました。主人は大層腹を立て、すぐに丁稚の父を呼んで「この子は自分
の店では使えない」と言いました。父は自分の子のしたことはほめてよいと思い、
連れて帰って他の店に奉公させました。
 この子はその後も正直であったので、大人になってから立派な商人になりました。
それにひきかえて、先の呉服屋はだんだん衰えました。

 昔はデパートのような大規模な店舗はなく、街中の商店街を庶民は利用していました。そんな小さなお店だと、中にはインチキ商品を売る店や、ボッタクリ商売をするような店もあり、大なり小なり誤魔化しのような商売が横行していたのです。上のような「反物に傷があるのでお安くしておきましょう」という店は長続きするだろうし、「まあ、このくらいの傷だから誰も気づきはしないだろう。そのまま定価で売ってしまえ」という店は、やがて客の信用を失い潰れてしまうことでしょう。正直に商売しているお店というのは、お客の立場からすれば安心して利用することができます。日本には創業200年以上も続いている「老舗」(しにせ)と呼ばれる企業・商店・料亭・旅館が、約3,100社存在しており、世界全体総数の半数以上を占めるとのことです。正直に生きていれば長く商売を続けることができます。まさに日本の正直度を表した数字として世界に誇るべきでしょう。

 私の大好きだったプロレスラー、故・ジャイアント馬場さんの誠実な人柄がいまさら偲ばれます。あの鉄人・ルー・テーズが、「馬場さんはプロモーターとしても優秀で、契約した金は必ず払ってくれる誠実な人だった。これはこの業界ではとても大切なことで尊敬に値する」という追悼コメントを『朝日新聞』に寄せていましたが、これは、お金にいい加減なこの業界の核心部分を突き、かつ経営者たる馬場さんの実像を端的に表した言葉と思っていいと思います。

 たとえば、オレの場合は、自分でできる約束しかしない。できる約束かどうかを見極めて、できない約束はしないことにしてるね。できない約束なんて約束じゃないと思うな。だから、変な話かもしれないが、人と待ち合わせの約束をしたら、絶対に相手を待たせないとかね。お金に関しても同じで、払えない金額をいくらいってもしょうがない。相手を裏切ることだし、結果的には信用をなくしてしまうからね。
 やっぱりね、人生で一番大事なのは人間関係だろうな。自分で決めたルールではないが、自分から他人をだましたことはない。だますよりだまされた方がいいよ。だますヤツには魅力はないけど、だまされるヤツには魅力がある。オレが思うには、絶対に他人にだまされないヤツって、よっぽど警戒心が強く、猜疑心が強いヤツでね。そんな人間に魅力は感じないね、オレは。これはオレの性格なんだろうね。裏切られたらオレは、その人間を許さない。性格上そんな人間とは二度と付き合いたくないからね。別に潔癖症ではないけど(笑)。さっき言ったように約束したらきちんと守るといったようにね。できない約束ならしない方が楽だとオレは思うしね。 (馬場さんインタビュー、下線部は筆者)

 私は英語の教員で、市河三喜教授(いちかわさんき、東京大学英文科)の著作にはずいぶんお世話になりました。その市河教授は、若い頃にイギリスに留学をなさいました。その時に、オックスフォード大学から20巻からなる大辞典(OED)が出版され、先生も購入なさいました。20巻という膨大な大辞典だけに編纂には何年もかかっており、辞典に掲載することが間に合わなかった単語も沢山あったために、購入した際に、「20巻を購入した人には補遺編を無料でさしあげますから」と本屋の主人に言われたのだそうです。数年経って、市河先生は日本に帰国なさいます。補遺編のことなどすっかり忘れていたそうですが、イギリスの本屋は購入者を全部追跡して、なんと日本にいる市河先生にまで補遺編を送ってきたそうです。紳士淑女の国、イギリスでは「嘘をつかない」ことが美徳とされており、文化・経済の面で世界の最先端を行っていた「古き良き時代」のイギリス(今は?)では、高い道徳観が浸透していたことが窺えます。

 「正直に」生きたいものです。私は今までにだまされたことは何度もありますが、人をだましたことはありません。「正直に」をモットーに気持ちよく生きて行きたいと思っています。「損得」ではなく、「尊徳」に生きたいと思っているんです。♥♥♥

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「恋バス」

 クリスマスシーズンになると、私には無性に聴きたくなる曲があります。矢井田瞳(やいだひとみ、ヤイコ)さんの「恋バス」という曲です。「恋バス」は、2007年に、小田和正(おだかずまさ)さんが豪華ゲスト陣と奏でるTBSテレビの音楽特番「クリスマスの約束」のために、矢井田 瞳×小田和正共作で書き下ろされた楽曲です。矢井田さんが詞を書き、小田さんが曲をつけました。2008年にCDシングルとしてリリースされて以来、初7インチレコード化となり、この度、初回生産限定盤として12月24日にリリースされました。

    恋バス
      歌:矢井田瞳&恋バスBAND with 小田和正
      作詞:矢井田 瞳
      作曲:小田 和正

ねぇ 貴方は今何をしてるんだろう?
毛布にくるまってずっと考えてる

こんなに会いたいなんて 意地悪なくらい
窓の外 素敵なクリスマスのせいかな?

これまで 気付かなかった どうして
貴方が一番 誰よりも好きよ

そっちに行っていいかなぁ? 今すぐ飛んでいきたい
心はもう決まってる きっと私会いに行く
揺るぎないこの想い 白く積もった

それでも少しためらって飛び乗った
バスは走り抜ける クリスマスの夜を

流れる 綺麗な明かりを見ていたら
突然雪が 空から舞い落ちた

バスは走っていく 夜は流れていく
貴方に近づいていく 何から話せばいいんだろう?
揺るぎないこの想い 白く積もった

Ah この雪が
Uh 積もる頃には(クリスマスの夜)
Ah 伝えられているかな
貴方が一番 誰よりも好きよ

バスは走っていく 夜は流れていく
心はもう決まってる きっと今日なら言える
どんな顔で会おうかな 待っててくれるかな
貴方に近づいていく 何から伝えればいいんだろう
バスは走っていく 夜は流れていく
期待しちゃうこの想い 貴方に溶かそう

 アップテンポのメロディーに、唯一無二の魅力的な声を持つ二人の歌声が重なり合って、印象的なサビは一度聴いただけで、目の前にその情景が浮かんでくるほど叙情感に満ちあふれた楽曲です。2007年テレビ番組での初披露が話題を呼び、翌年2008年リリースの矢井田 瞳さんの7枚目のアルバム『colorhythm』に、小田さんがコーラス参加したアコースティック・バージョンが収録され、のちに小田和正と実力派バンド「木村万作(Drums)・有賀啓雄(Bass)・稲葉政裕(Guitars)・園山光博(Saxophones)・栗尾直樹(Keyboards)」による「クリスマスバンド・バージョン」にて再レコーディングされ、シングル・リリースとなりました。今回7インチレコード化にあたり、SIDE-Aに矢井田 瞳 & 恋バスBAND with 小田和正「恋バス」、SIDE-Bにアコースティック・バージョンの「恋バス~colorhythm ver.~」を収録し、初回生産限定盤として、2021年のクリスマスの景色を鮮やかに彩るリリースとなります。矢井田さんが今回のリリースにあたり、コメントを出しています。


 誰かと共作すること自体がほぼ未経験だったので、曲を書いている最中に小田さんが発する全ての言動が新鮮で、とても勉強になりました。
 当時、ギターとメロディという平面で曲を書いていた私に対し、小田さんは、ここで伝えたい想いは何だろう、鍵盤ではどんなコードだろう、リズムはどんなだろう、はまりの良い歌詞は何だろう、と常に多面的に曲を捉えていらっしゃいました。
(一緒にスタジオに入ったその日の夜、生まれて初めて知恵熱を出したのは秘密!)
私はついていくのに必死だったけれど、その経験は、今の私にも大きな良い影響をもたらしてくれています。
 そんな、宝物のような時間を経て生まれてくれた大切な「恋バス」。クリスマスの夜、誰かの心に寄り添えるような、そんな存在の曲になってくれたら嬉しいなと思っています。

矢井田 瞳


 この曲を共作した時の小田さんのコメントです。

 「My Sweet Darlin’」を書くような矢井田くんとのコラボは一体どんなことになるんだろう、自分を押しつけてもつまらなくなってしまうし、だいいちこんなに年が離れていてちゃんと会話が成立するんかな、など、たくさんの不安を抱えて臨んだ作業でしたが、一緒に曲を書き始めると自然とふたりは同じ場所を目指して走り始めていました。与えられた短い時間の中で懸命に。そしてようやくゴールにたどり着いた時はホッとしましたが、彼女がこの曲をほんとうに気に入ってるのかな、どこか遠慮してなかったかなと別な不安が残りました。でも、ある日タイトルを「恋バスにします!」と言ってきた時、「恋バスかぁ…いいなぁ」と大いに感心して、すべてのことはかけがえのない思い出に変わりました。矢井田くんは思ってた通りステキなアーティストでした。

 当時、二人はスタジオに入ると、「クリスマスっぽく、少しアッパーな感じの曲にしよう」と小田さんが提案し、特別な夜にときめく乙女心を歌い上げた曲を、8時間で完成させました。タイトルの「恋バス」はヤイコが命名。テレビの公開収録で一緒に歌った後、CD化することになりました。レコーディング・スタジオを訪れた小田さんは、バックコーラスで参加です。矢井田さんは、「私にとって雲の上の小田さんが、ずっと隣にいてくれて、一緒に作業しながら、多くのことを学ばせていただきました」と、あこがれの大先輩に感謝感謝です。小田さんの真骨頂の「追っかけコーラス」と、このレコーディング収録の生の模様を映像で見ることができます。私は特に、最後の方のサビのコーラスが大好きで、何度も何度も繰り返し聞いています。⇒コチラでレコーディング映像を見ることができます

 あ、そうそう、私の大好きなさだまさしさんは、最新アルバム『アオハル49.69』のライナーノーツの中で、「僕は小田さんの声が日本一好きだ」と告白しておられました。 ♥♥♥

◎今年もありがとうございました!!

 今年一年、私のブログ、ならびに「チーム八ちゃん」の活動をご支援いただいたみなさん、どうもありがとうございました。ブログの方は10年間毎日欠かさず更新することができました(右側端の「アーカイブ」で全て見ることができます)。日々の記録、英語指導、文房具、芸能人、お気に入りのグルメ・マジックなど、私がその時何を考え、どんな活動に精を出していたかが記録されています。来年も体が許せば続けていきたいと思っております。みなさん、どうぞ良いお年をお迎え下さい。ありがとうございました。😊

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岡山「丸善ジュンク堂」

 今から43年も前の思い出を少し。島根県立平田高等学校で、教員なりたての頃は、8万円ちょっとの月給で、毎月5,000円ほど本を買うのがやっとでした。平田市にある「小村書店」という小さな本屋さんから、毎日学校に配達してもらっていました。ボーナスをもらうと、親戚のあった岡山市「丸善」「紀伊國屋」に出かけては、島根県では手に入らない洋書類をどっさりとまとめ買いして帰ったものです。忘れられない思い出があります。ボーナスを懐に岡山「丸善」で洋書漁りをしていました。すると棚にR.W.McCoard, The English Perfect : Tense-Choice and Pragmatic Inference. (1978, Amsterdam)という、オランダから出ている面白そうな研究書を見つけました。めちゃくちゃ値段が高くて(当時1万5千円ぐらいした)買おうか買うまいかずいぶん購入を迷いました。何度もレジに持って行こうとし、後の生活も考えて、いや高すぎる、と棚に戻したり、取り上げたりを繰り返していました。迷った挙げ句、思い切って買って帰りました。面白くて、なめるように読みました。中でも注意を引いたのが、英語の副詞recently latelyの意味上・統語上の違いについての記述でした。この本で、イリノイ大学R.Stockという教授が、この問題を深く掘り下げておられることを知り、アメリカから同大学の図書館から論文を取り寄せて勉強しました。その成果は、私の「LATELYとRECENTLYは同義か」『英語教育』2(1980年、大修館)という論文にまとめられることになりました。この二つの副詞の使い方は、実にやっかいな問題を含んでいるんです。決して、recently(最近) = lately(最近)などという安易な扱いはできません(現場の単語集の多くがそれで済ませていますが)。生徒たちにはここまで細かな区別を教える必要はありません。ただ、日本語でも「最近」「近ごろ」を使って両者がイコールではないことに気づかせておけば、recently latelyの違いがよく分かるんです。興味のある方はご覧ください。

・「LATELYとRECENTLYは同義か」八幡成人 『英語教育』2月号 1980年 ⇒コチラで読むことができます

▲丸善ジュンク堂の語学書売り場

 先日も、岡山市に出かけてきました。NTTクレド2階の「紀伊國屋」にまず行ってみましたが、ここは昔のように本がありません。洋書も扱いを止めています。1冊も買わずに店を出ました。岡電の最新車両に乗って城下前で下車して、「丸善ジュンク堂」に入りました。ここは洋書の扱いもあり、かなりの品揃いです。でも2,3の欲しい本は品切れでした。私の興味のある英語学の専門洋書は今はもうほとんど置いてありません。それでも松江では手に入らない和書がここには全部ありました。その点、私が津和野高校に勤めている時に博多に出かけて寄る(3年間で37回!!)福岡「ジュンク堂」では、欲しかった本がなかったことは和書・洋書を問わず一度もありませんでした。すごい品揃いでした ね。もう久しく博多に行っていないなあ~。♥♥♥

▲岡山「丸善ジュンク堂」で仕入れてきた本。お正月に読みます。

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虫の目 鳥の目 魚の目 コウモリの目

 物事に行き詰まった時、視点を変えることで解決へ近づくことがあります。物事を見る視点をちょっと変えてみることで、それまで見えてこなかった答えを見つけられる可能性が高まります。これが「鳥の目」「虫の目」「魚の目」です。画家・原田泰治(はらだたいじ)先生との出会いで強く意識するようになりました。

▲原田泰治先生と対面 八幡も若いね

 私が大好きな画家・原田泰治先生が(先生の絵が欲しいのですが、先生は絵を売られませんから、画集で辛抱しています)、このことを原点とおっしゃっておられました。原田先生は生まれて間もない一歳のとき、小児麻痺を患い、その後遺症で両足が不自由になりました。当時「この子は五歳くらいまでしか生きられないだろう」と医者から宣告されてもいます。そして五歳になったとき、原田先生一家は、長野の伊賀村に開拓農民として入植しています。開拓農民に与えられる土地は、村の中でも一番条件の悪い場所です。水路も無い荒れ地を、父母が一生懸命耕していきました。歩くことができない原田先生は、いつも高台にある柿の木の下に敷かれたムシロの上に座らされていました。そこから父母の働く姿を毎日眺めていたのです。そこからの眺めは最高だった、と原田先生は回想しておられます。村全体が一望出来る上に、左手には飯田線を眺めながら、四季の移り変わりを感じていたと言います。そんな高台のある畑から、全体を俯瞰する「鳥の目」をもらったのでした。父母のそばにいたくて、一生懸命這いながら必死になって父母を追いかけます。そうするうちに、杖を使って自分の足で立てるようになったのです。医師の言葉をみごとに覆し、小学生になります。時には、友達が虫取りに誘ってくれました。しかし、原田少年は山の上まで一緒に登ることはできません。友達が山に入っている間、一人きりで待っていなければなりませんでした。何もすることがないので、草むらに頬をつけるようにして寝転がります。すると草むらがまるでジャングルのように見えてきます。花の蜜を吸っている小さな虫までもが、巨大な生物みたいに見えてきた、と回想しておられます。こうして「虫の目」をもらったのでした。このようにして、幼い頃にもらった「鳥の目」「虫の目」が、原田先生が描く絵画作品の原点だとおっしゃいます。足が不自由だったおかげで、人とは違う「目」を持つことが出来たのです。

◎鳥の目

鳥たちには、細部が目に入りません。そのかわりに、広い視野を持っています。つまり「鳥の目」とは、物事の全体像を見渡す視点のことです。問題を抱えると、とかく問題そのものにばかり目が行きがちになります。しかし、全体を捉える視点が持てれば、解決のきっかけが見えるかもしれません。大きな目標を忘れずにいることで、目先の小さな問題を乗り越えていけるのに似ています。

◎虫の目

虫は地中・地表のごく狭い範囲に暮らしています。そんな虫たちは、人間の目が届くことのない細かい視点を持っています。つまり「虫の目」とは、通常よりもはるかに細かいところまで注意深く見る目のことです。全体を俯瞰する「鳥の目」と正反対の視点ですね。

◎魚の目

水の流れや潮の満ち引きに身をおく魚は、常に流れを感じながら生きています。「魚の目」とは、時代の変化をとらえて先を読む視点であり、小さくは、周囲の空気を読み、相手の都合などに配慮した視点を持つことです。

 「虫の目」は、複眼です。つまり「近づいて」さまざまな角度から物事を 見るということです。「鳥の目」とは、高い位置から「俯瞰的に全体を見回 して」見るということです。「魚の目」とは、潮の流れや干潮満潮という「流 れ」を見失うなという意味です。いずれの視点にも優れた点とそうでない点があります。つまり、問題解決に大切なのは、異なる視点を使い分けて複数の目を持つことなのです。一般的には、「情報」は近づいて、さまざまな角度から眺め、理解する必 要があります。組織で言えば、現場に出かけ、直接「情報」を仕入れるとい うことです。そのとき、一面的な見方をせず、「複眼的」に見るということ が「虫の目」です。しかしながら、接近しすぎると全体が見えなくなるので、 一度距離を取り直して、地域や業界という大きな枠からその「情報」を見直 す行為が「鳥の目」です。そして、その「情報」を理解するときに、時代や 社会の流れの中で考える必要があります。情報や事象が、どのような変化 の中で発生したのかを忘れないための「魚の目」ということになります。「虫の目」で情報を【多角的に眺め】、「鳥の目」で【判断を 下し】、「魚の目」で【決断を行う】必要があります。この「プロセス」は、 組織の大小に関わらず「統率者」(リーダー)にとっては重要なことです。

 入試問題の英文を読む演習においても、この視点は大切です。一文一文の構造を丁寧に正確に読む(虫の目」)、その段落は一体何を言っているのか(鳥の目」)、筆者が英文全体で何を主張しているのかを要約する(魚の目」)。これらを強く意識しながら日頃の指導に励んでいます。「共通テスト」で問題文量が大幅に増えたために、「速く読まねばならない」と速読ばかりがクローズアップされていますが、私は「精読無くして速読なし」という指導理念を曲げずに、(虫の目)→(鳥の目)→(魚の目)の順に従って、「要約」の練習までさせています。

▲英文の読解指導にも重要な視点です

◎コウモリの目

 さらにもう一つ、これらに「コウモリの目」を加えるとよいと思います。コウモリは洞窟の天井や木にぶら下がって停まっています。常に周りを逆さまに見ています。つまり、「コウモリの目」とは、逆の立場で見る、逆の視点から見る、さらに、発想を変えるという視点のことをいいます。アイディア出しに困った場合や、問題の解決策が出てこない場合などは、一度固定概念を外して、まるっきり逆の発想をしてみたり、反対側から物事を見て考え直すことが有効です。アイディア出しの場面だけでなく、仕事を進めたり、プロジェクトを進めたりする場合、ファシリテーターとしては、実はこのコウモリの目がかなり重要です。英語ではこういうのを、devil’s advocateと呼びます。カトリック教会において、聖人の審議を行うとき、聖人の証となる奇跡に、あえて疑義を述べる役割の人(列聖調査審問検事)がいました。この役割を担う人を“devil’s advocate”(悪魔の代弁者)と呼びました。異論、反論、疑念を挟むことで、聖人の証をより確かなものにするためです。この補完機能を果たすことを“play (the) devil’s advocate”(悪魔の代弁者を演じる)と言います。「あえて異を唱える」「わざと反対意見を述べる」という意味です。建設的な意味で使われますが、「難癖をつける」「ケチをつける」「天邪鬼である」といった少々ネガティブな意味で使われることもあるので、注意が必要です。会議などで、議論を深めるために、あえて反対意見を述べることのことです。ほとんどの人が常識と思っていることに対しても、今一度疑問の目で吟味してみる、ということが大切だと私は常々思っています。私たちが『ライトハウス英和辞典』(研究社)の編集顧問にお招きしたアメリカの大言語学者・故・Dwight Bolinger博士(元アメリカ言語学会会長)も、ご自分のことを“deveil’s advocate”と呼んでおられました(私とボリンジャー博士との出会いについては「ボジンジャー博士との出会い」に詳しく書きましたのでご覧ください⇒コチラです)。言語学のどの会派にも属さず、考察を深めるためにあえて反論・異論を述べることを常とされました。その鋭い舌鋒は、グーの根も出ないくらい鮮やかでしたね。♥♥♥

▲故・D.ボリンジャー博士 私のお気に入りの一枚です

 

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私のお気に入り「三井ガーデンホテル」

 年内の授業も全て終わり、抱えている辞典の仕事も小休止ということで、ホッと一段落、岡山「三井ガーデンホテル」に来ています。岡山駅から、徒歩約2分の好立地に位置する「三井ガーデンホテル岡山」は、岡山での私の定宿です。何よりも駅のすぐそばにあるので、どこへ行くのにも便利ですね。買い物もすぐそばに「イオンモール」「高島屋」があるので、重宝します。以前は、「グランヴィア岡山」を利用していたんですが、(株)ベネッセ(株)ラーンズのお仕事でよく泊めてもらうようになって、以来気に入って定宿にしています。決め手は、(1)ガーデン大浴場(2)地元の食材をふんだんに使った朝食、の2つです。今日もここに泊まってきました。

 なんと言っても、最上階の10階にはを使った「ガーデン浴場」があり、体と心を解きほぐすのに最適なリラグゼーションを提供してもらえます。この大浴場には、ガラス越しに緑豊かな日本庭園(「後楽」)が広がっており、最高の眺めです。檜の香りをかぎながら、手足を伸ばして日本庭園の緑を望む湯浴みが叶います。夜にライトアップされた庭園を眺めながらの入浴は、仕事疲れに最高ですね。夜は1時まで、朝は6時から開いています。まずチェックインした15時にすぐ10階に直行。私一人でお風呂を独り占めです。最高!夜も19時頃にもう一度浸かります。私は毎回誰もいない早朝一番にも朝風呂に浸かります。今日も6時前に朝風呂を目指しましたが、なんと今回は10名も先客がいました〔笑〕。スッキリとした気分で1日を始めることができます。

 また、1階のレストラン「ガーデンカフェ」では、朝食を岡山県産にこだわった新鮮な野菜を中心に、和洋食折衷メニューを品数豊富に取り揃え、ビュッフェスタイルで提供しています(6時30分~9時50分)。旬の食材の美味しさを逃さず調理した料理で、フレッシュな朝を迎えることができます。高原地域で栽培される「桃太郎トマト」や、岡山県産のキャベツや水菜など、産地仕入れの新鮮な野菜が多く提供されます。フレッシュな美味しさをそのままいただける、サラダがおすすめです。中でも私が一押しなのが、一度食べたら、病みつきになる「えび飯」です。岡山のB級グルメというものでしょうか。見た目は黒くて味が濃く見えましたが、食べてみると意外にもサッパリした感じです。他に、郷土料理「ままかりの酢漬け」「きびだんご」「ちらしずし」「桃太郎トマト」など、岡山ご当地グルメもそろっています。ドリンクの種類も豊富で、提供されるコーヒーもいい味をしています。

 お部屋からは岡山駅に出入りする新幹線も眺めることができます。また、中国地方最大級のショッピングモール「イオンモール岡山」にも、徒歩2分くらいで行くことができます。国内ホテルチェーン「ガーデンホテルズ」の第15番目のホテルです。ビジネス街にも繁華街にも至近距離にあるという好立地に位置し、353室の県内最大の客室数を誇り、レストランと大浴場を備えた宿泊主体型ホテルです。同ホテルは、既に開業している「三井ガーデンホテル広島」(平成元年7月開業)と「ホテルサンガーデン姫路」(平成2年9月開業)との間に位置しています。353の客室数は、「三井ガーデンホテル大阪」(371室)に次ぐ2番目の規模となります。

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「遙かなるクリスマス」

    遙かなるクリスマス          (作詩・作曲:さだまさし)
    
メリークリスマス 
二人のためのワインと それから君への贈り物を抱えて駅を出る
メリークリスマス 
外は雪模様気づけば ふと見知らぬ誰かが僕にそっと声をかけてくる
メリークリスマス 
振り向けば小さな箱を差し出す 助け合いの子供達に僕はポケットを探る
メリークリスマス 
携帯電話で君の弾む声に もうすぐ帰るよと告げた時のこと
メリークリスマス 
ふいに誰かの悲鳴が聞こえた 正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース
メリークリスマス 
僕には何も関係ないことだと 言い聞かせながら無言でひたすらに歩いた

メリークリスマス 
僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
メリークリスマス 
誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
メリークリスマス 
僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど
メリークリスマス 
本当は気づいている今この時も 誰かがどこかで静かに命を奪われている
メリークリスマス 
独裁者が倒されたというのに 民衆が傷つけ合う平和とは一体なんだろう
メリークリスマス 
人々はもう気づいている 裸の王様に大人達は本当が言えない

メリークリスマス 
いつの間にか大人達と子供達は 平和な戦場で殺し合うようになってしまった
メリークリスマス 
尤も僕らはやがて自分の子供を 戦場に送る契約をしたのだから同じこと
メリークリスマス 
子供の瞳は大人の胸の底を 探りながらじわりじわりと壊れてゆく
メリークリスマス 
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス 
その隣で自分の幸せばかりを 求め続けている卑劣な僕がいる
メリークリスマス 
世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

メリークリスマス 
僕は胸に抱えた小さな 君への贈り物について深く深く考えている
メリークリスマス 
僕は君の子供を戦場に送るために この贈り物を抱えているのだろうか
メリークリスマス 
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス 
本当に本当に君を愛している 永遠に永遠に君が幸せであれと叫ぶ

メリークリスマス 
凍りつく涙を拭いながら
メリー メリークリスマス 
生きてくれ生きてくれ生きてくれと叫ぶ
メリークリスマス 
雪の中で雪の中で雪の中で
メリークリスマス 
白い白い白い白い雪の中で

メリークリスマス メリークリスマス…

 クリスマスシーズンです。さだまさしさんの「遙かなるクリスマス」この歌は、発表年は2004年、ソロアルバム30作目の『恋文』(こいぶみ)の中に収められた一曲です。2004年の「第55回NHK紅白歌合戦」でも歌われました。もう今から17年前、9.11の後の理由なきイラク侵攻を、アメリカを中心とした連合国が行っていた時期に発表された曲ですね。それから十数年の年月を経て、過ぎた年月により変化した社会情勢によって歌われる言葉の鋭さは磨かれ、歌の価値が劣化するどころか、むしろより一層胸に突き刺さる鋭さを磨いてきているような気がします。一度聴いてみると分かるのですが、この歌で歌われているフレーズは、それこそ今、世界が様々な価値観が衝突する最中で混沌を極めている、2021年現在の姿を歌っているかのような錯覚さえ抱きます。さださんの詩独特の「フック」です。

●僕達のための平和と  世の中の平和とが少しずつずれ始めている

●独裁者が倒れたというのに  民衆が傷つけ合う平和とはいったいなんだろう

●いつの間にか大人達と子供達とは 平和な戦場で殺し合うようになってしまった

●世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

●僕は君の子供を戦場へ送るために この贈り物を抱えているのだろうか

 しかしこの歌は紛れもなく、2004年に作られた歌です。いかに聡明なさださんといえども、今の社会の情景を詳細に把握したうえでこの作品を作ったわけではなく、その当時に感じていた違和感や憤りというものを歌に昇華した結果、時代が不幸にも追いついてきてしまった、というのが実態なのでしょう。そして、もちろん、作り手としては、そのような時代が訪れることは希望してはいませんでした。さださんは「僕は時流の反対にカードを張りつづける」ということを、昔のコンサート・トークでよく語っていました。Aというものが流行しているのであれば、その全く反対の価値観であるB、もしくは無関係なCというものを、あえて主張してみるのだ、と。フェミニズム的な価値観が広く普及し始めてきた1980年代に向けて、「関白宣言」という、その当時古めかしい価値観になりかけていた男尊女卑的な歌を歌い上げたのも、そういった「時流に逆らう」という気概から生まれたものでした。「ニューファミリー」「核家族」といった言葉が飛び交い、親と同居しない暮らし方がどんどん広がる中、本当に家族はそれでいいの?と、故郷を離れて一人暮らしが長かったさださんは意地になったように「家族の歌」ばかり発表し続けました。世間からは「昔へ揺り戻すような価値観はけしからん!!」とずいぶん叩かれました。しかし近年、老人の孤独死が報じられる中、さださんの予言通りに世の中は動いてきたのです。数年前に映画化されて大きな話題になった名曲「風に立つライオン」も、日本がバブル景気で浮かれまくっていた時期に作られた曲で、

●やはり僕達の国は  残念だけれど  何か大切なところで  道を間違えたようですね

 というフレーズ(フック)は、当時の浮かれた世相に最大限反抗する気概の表れで、多くの人がその当時には共感するのが難しい価値観だったと思います。でも、結果はさださんの予言した通りになってしまいましたね。

 クリスマスと絡めた反戦ソングは数多くありますが、この曲はある意味、意外な展開です。「戦争反対」という掛け声で政権中枢や体制を批判しているのではないからです。今この瞬間にも戦争で死んでゆく人たちがたくさんいるというのに、何がメリークリスマスだ、平和ボケ日本人!!ここで繰り広げられているのは、他者批判ではなく、むしろ、正直で純粋な自己批判です。自分の卑劣さ、小市民ぶり、次世代への責任意識の希薄さ、世界中で奪われる命に対しての積極的無関心、クズ以外の何物でもない自分に向き合いながら、自責の念に駆られ、葛藤しながら、世界の平和を希求しているのです。自分安全地帯にも、正義の味方にも置くことなく、むしろ、潜在的な戦争の加担者、協力者たる自らに気が付き、それを認めて、悔いながらも、次世代の幸福と平和を願っていくその真実さこそ、それぞれの政治的見解を超えて共感を呼ぶのだと思います。グサリと心刺されるフレーズが満載です。心がえぐられるような歌詞の連続です。この歌は、平和のために誰かに対して怒る歌ではありません。むしろ、歌の主人公と共に、自らの心を痛めて、平和を願う歌です。プロテストの対象は、為政者や体制や世界ではないのです。この歌がプロテストしているのは、戦争の潜在的加担者、協力者となりかねない自らだからです。その意味で、この歌は「セルフ・プロテストソング」と言えるでしょう。

 <私たちの幸せ><戦場>との断絶が描かれています。この断絶ゆえに「いっそ世界中が不幸なら」と祈ります。<僕たちの平和><世界の平和>との間で引き裂かれていく葛藤、不幸な子どもたちや死んでゆく人々のニュースを前にしながら、愛する君に電話する「僕」の苦しみが消え去ることになります。子どもを戦場に送ることになるかもしれない可能性が、「僕」の幸せに影を落とします。目の前にある引き裂かれたものを放置することにより、君の子どもをいつの日か戦場へ送ることになってしまうかもしれないという不安です。「メリークリスマス、僕は君の子どもを戦場へ送るために、この贈りものを抱えているのだろうか」と。

 メロディー部分は多少なりとも単調に過ぎたり、歌詞があまりにも硬派過ぎるので、さださんは間奏にアヴェ・マリアをモチーフにしたメロディーを挟むことにより、曲全体に俯瞰性を与えることに成功しています。目の前の断絶、漠然とした未来への不安、その中でクリスマスの白い雪の中に立ち尽くす「僕」。歌われるその情景があざやかに浮かんできます。さださんは自分の楽曲を「作詞」ではなく「作詩」としているのは、こういうところからなんでしょうね。さださんが書く詩の中には、必ず上に紹介したような「フック」を忍ばせているところも魅力の一つで、さださんの歌を聞く楽しみの一つになっています。最近、授業で「利己vs利他」のテーマを扱った英語長文問題を読んだ際に、生徒と一緒にこの歌を鑑賞しました。生徒は「ビリビリきた」と感想を述べました。

 この痛切なラブソングを、作者自身が直筆歌詞で綴る感動のフォト・ストーリーが、さだまさし『遙かなるクリスマス』(講談社文庫、2007年)です。愛する人への思いと、平和への願いを歌った感動のラブソング「遙かなるクリスマス」の歌詞を作者が直筆で綴りながら、美しいフォト・ストーリーとして展開しています。「あなたの大切な人の笑顔を守るために、あなたは何をしますか?」と、さださんは問いかけてきます。熱い思いを込めたメッセージを、聖(きよ)しこの夜、愛しい人と噛みしめたいものです。歌だけでなく、本も素敵ですよ。オススメしておきますね。

 世の中が大変になると、なぜか「さださんの歌が聴きたい」という風潮が強まります(「普段から聴けよ!」と突っ込むさださん)。昨年の紅白でも歌われた「奇跡」もそんな一例です(1991年雲仙・普賢岳の大火砕流発生時に書かれた曲)。さださんがこの理由を、『毎日新聞』紙上(12月19日付け)の「池上彰のこれ聞いていいですか?」で分析しておられました。

なぜ世の中が大変になると僕の歌を聴いてくれるのかを考えました。僕は常に、命に対する不安、社会に対する不安、人生に対する不安を、歌詞に入れ込み、体温として伝わるように努力してきました。歌詞の端々に潜んでいる体温の部分に皆さんが反応してくださるのかもしれません。

 今日の「遙かなるクリスマス」も、自分に対する不安といった視点で聴いてみてください。♥♥♥

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「とんきん」

◎週末はグルメ情報!!今週はカレー

 昭和48年(1973年)創業の米子のカレーの老舗店「とんきん」に行ってきました。米子市でカレーと言えば、まずここ「とんきん」ですね。地元民に愛されている絶品カレーを出す人気店です。米子駅前(徒歩6分)で、近くに市役所があるために、お昼時は毎日満席です。コの字のカウンター席が15席ほどしかない狭いお店のため、並ぶのが当たり前状態で、米子では珍しく、行列のできるお店なのです(米子東高校のすぐそばにある人気ラーメン店「天心」も、数少ない行列のできるお店です)。12時半過ぎに行きましたが、この日はお店の前に長蛇の列、そして店内のソファー席にも順番待ちのお客さんが何人も座っておられます。ものすごい人気ですね。営業時間は16時までですが、売り切れると閉まってしまいます。広島から高速バスに乗って食べに来られる人もいるとか。

 人気の秘訣は、昔ながらの美味しさとボリュームと安さにあります。さらさらでスパイシーなカレールーは病みつきになります。学生さんにも人気だけあって、値段がめちゃくちゃ安いんです。30分くらい待って、ようやくカウンター席につくことができました。背中の曲がったおばちゃんがすぐにお水を持ってきて、手際よく注文を取られます。注文したのは「カツカレー。本当は「ハンバーグカレー」が絶品だということで、頼みたかったんですが、すでに品切れ状態でした。私の後に入って来たお客さんは、すでに全部品切れとなり、カレーだけを頼んでおられました。他にも、チキンカツなどの定食や、チキンカレー、カツカレー、玉子カレー、バーグカレーなどメニューも豊富に取りそろえています。しかもとっても大衆的な価格設定でビックリします。今どき、こんな値段って珍しいでしょ?


 大きな特徴は、一切作り置きをしないこと。全てオーダー後に調理開始です。注文してから揚げ物もハンバーグも焼いてくれるので、熱々が楽しめます。その結果、ランチタイムは結構な待ち時間とお客さんが、列を成すことになります。待ってでも食べる価値は間違いなくあります。

 「とんきん」の魅力はこれだけでなく、お店のおばちゃんが最大の魅力と見せ場なんです!姉妹二人で切り盛りしておられ、どんなに混雑しても全員のメニューと順番を完璧に暗記しておられます。何せ齢80歳を過ぎたおばちゃんお2人だけで、10時半の開店からずっと、カウンター内のオープンキッチンで目まぐるしく動きっぱなしなのです。ご飯を盛ってカレーをよそう合間に、チキンフライをカリカリに揚げて、ハンバーグをジュージューに焼き、流しではチャッチャと手際よく洗い物も済ませる。その驚異的なスピード感とエネルギッシュさは、まるでアスリートのように見えてくるほどですよ。自分には絶対に真似できません。この気迫ある姿を見ていたら、変にワガママなんて言える訳ありませんよ。手際良くカツやチキンを揚げ、ご飯を盛って、サラダの盛りつけ。また一人やグループのレジ精算もテキパキと。しかも常連さんには「毎度どうも」との嬉しい一言。「待たせてすみませんねぇ。ありがとね」と声をかけてもらいました。その流れるような俊敏な動きには、感心させられます。店内でゆったりするのではなく、食べたら次々と出るという感じですが、活気があって賑やかで、地元に愛されているのがよく伝わってきます。衣はすごいサクサク、お肉はとーってもジューシーで、最高です。カレーはサラサラルーですが、スパイスが効いていて、食べていると体がポカポカしてきます。福神漬け」は、カウンターに置いてあって、自分で取るシステムです。ウスターソースが置かれています。タマネギ、トマトなどの野菜、果実、シナモン、グローブ、胡椒が入っていて美味しい味です。お店を出たら、そこにはさらに数人の行列が。

 店名の由来は「トンキン湾っていう台湾(?)の方の地名だそうですよ。何でその地名を店の名前にしたのか私たちも分からないんです」と。♥♥♥

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「まい泉食堂」

◎週末はグルメ情報!!今週はとんかつ

  2020年8月3日に「とんかつ まい泉食堂 グランスタ東京店」がオープンしました。東京駅7番・8番ホームへの上がり口(改札内)のところにお店はあります。老舗の「とんかつ まい泉」は今年で創業55年(1965年~)を迎え、「箸で切れるやわらかなとんかつ」は、多くのお客さんに愛され続けています。私は昔からの「まい泉」の大ファンで通い続けてきました。今回オープンする「とんかつ まい泉食堂」は、とんかつを美味しく食べることのできる丼ものメニューにこだわった、かつ丼専門の新業態です。出店する「グランスタ東京」は、JR東日本が進める東京駅北通路周辺整備にともない、新たに誕生した大型エキナカ商業施設です。急いでいて時間がない時に、改札の中にあるお店はとても有り難いですね。系列の弁当・惣菜売り場は、全国デパート屋さんのあちこちで見ることができます。ここは全席カウンター席というファーストフード感覚のトンカツ屋さんです。感染症対策もきちんとなされていました。

  東京駅を利用されるお客さんに“いつでも、早く、おいしく”とんかつを楽しんでいただける丼ものとして、看板メニューの「かつ丼」はもちろん、ヒレかつやエビフライ、コロッケなど自慢の揚げ物をのせた「まい盛り丼」、夏の暑い時期にさっぱりお召し上がりになれる「塩ヒレかつ丼」、朝食としても召し上がれる「とんかつ茶漬け」など、バリエーション豊富に取り揃えました。味と品質にこだわったまい泉のとんかつを、季節食材などを取り入れたオリジナリティー溢れるかつ丼スタイルで、朝・昼・夜の食事に楽しむことができます。

  店舗の内装は、木の素材感を活かした木目調の落ち着いた雰囲気で、清潔感があります。女性やお一人のお客、移動中で時間のないサラリーマン、外国人のお客さんも利用しやすいよう、カウンター席のみとしています。 席同士はクリアパネルで仕切られて密を防いでいます。多くの人が行き交う東京駅のエキナカで、幅広いお客さんのニーズに合わせて、バリエーション豊かにかつ丼を提供しています。

 店内はカウンターのみで、カウンター席が何列か並んでいます。1つ1つの席はクリアパネルで仕切られており、1つずつ空けて座るようになっていました。「かつ丼」というと、一般的にはオジさん客が多いイメージですが、こちらは女性1人でも気楽に入れる場所だと思いますよ。電車を待つ人のための食事でもあるためか、オーダーしてから出てくるまでの時間は早いです。開店時間が朝7時と早いので、朝食をここで食べて会社や旅行へ行くのも良さそう。

 店に入った所の券売機で食券を買って、席に案内されます。11時半の訪問だったので、カウンター席は超満員。びっしりのお客さんの中でいただきます。スタッフ一押しの「かつ丼(ロース)」(980円)を注文しました。「まい泉」自慢のとんかつを特製のタレと卵でとじた定番の丼です。おしんことお味噌汁がついてきました。かつ丼は卵の黄色が輝いて見えました!ご飯の量の希望も聞いてくれます。「まい泉」のとんかつは箸で切れるやわらかなとんかつと書いてあったとおり、箸で切れる程やわらかでした。量は結構しっかりありました。ごはんもたくさん入っています。実に美味しい。玉子を複数使っているらしく、多めの玉子でとじています。ダシもいい感じ。

 翌日も、「とんかつ膳」(1250円)を食べてみることに。豚肉の中でもキメが細かく旨味の濃い高級部位のロースをいただきます。いつもは青山・表参道の本店や、東京駅「大丸」の11階レストラン街にある「まい泉」のお店でいただくんですが、値段にして1/3、1/2の「とんかつ膳」がどんな味なのかを食べ比べてみようと思って、2日間通いました。「箸で切れる柔らかなとんかつ」はウソではありませんでした。からっと揚がって、実に柔らかいとんかつです。キャベツ、きんぴら、お新香、味噌汁もまずまず。ただ豚汁ではないのと、お肉の質はやはりお値段の分だけは見劣りはします。でもこの値段で「まい泉」のとんかつが食べられるのなら、もうけものです。次回東京駅に出かけたら、また行くことになりそうです。♥♥♥

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「クリスマスの約束」の原点を語る

 オフコースが活動休止をした1982年に、小田和正(おだかずまさ)さんは、「日本にもアメリカのグラミー賞のようなものが創設できないだろうか?」と考えて、一人奮闘したことがありました。もちろん日本にも「日本レコード大賞」をはじめ、いくつかの音楽賞は存在はしていました。でも小田さんが目指したものは、それらとは全くスタンスが違うもので、彼がこだわったのは、「実際に音楽をやる者同士が、お互いを尊敬して認め合い、仲間に対して投票する」というものでした。その結果、多くの賛同を得て、全体のミーティングも実現しましたが、全ての人たちをまとめきることまでには至りませんでした。「盛り上がっているのは自分だけでは?」と、醒めた気分まで湧き上がってきました。小田さんが自ら「挫折」と呼ぶ出来事でした(ここら辺の詳しいいきさつは、『TIME CAN’T WAITというエッセイに書いておられます)。

 幻となったこの「日本グラミー賞構想」から、約40年の歳月が流れました。TBSテレビのプロデューサー阿部龍二郎(あべりゅうじろう)さんが、当時担当していた「うたばん」で、彼が大好きだった「さよなら」を歌って欲しい、と小田さんの元へ依頼に行きました。答えは「ノー。」 阿部さんは当時のことを回想します。「当初は、「出てくれそうだ」ということで、局内でも期待が高まっていたんです。美術や技術のスタッフに小田さんのファンもいた。でもだんだんあやふやになっていき、最終的に断られた。僕らと小田さんを繋いでくれた人間の事情もあったんでしょうが、こちらとしてはどうしても小田さんじゃなきゃいけないというわけではなかったのに、断られて意地になった」 それでも思いつく様々な企画を捻り出し、食い下がったところ、小田さんから『新しい形の音楽番組を作るのなら』との返答が返ってきました。「グラミー賞のような賞が日本にあったら…」という想いは依然として心の中で続いていたし、アーティスト同士が誇りを持って音楽を作っていける環境作りが番組で実現するなら、賞の創設にこだわる必要もないだろう、というのが小田さんの考えでした。

 小田さんの頭にあったのは、お互いをリスペクト(尊敬)し認め合うという趣旨で、一流のアーティストたちが一堂に会する、というライブ形式の音楽番組でした。企画会議が始まります。小田さんは「あくまで歌が主役なのだから」要らないものは一切省きたい、と考えていました。一方、テレビ局のTBS側はエンターテインメントとして楽しめるように、そこに何かを付け足そうと試みます。両者には埋められない根本的な溝があったのです。小田さんの事務所の会議室に、丁寧に作られたステージセットの模型が置かれました。「もっとシンプルでいい。色も黒で。」小田さんはそのセットを全否定します。「小田さんとはもう仕事ができない」と離れそうになるスタッフもいる中で、のたうち回るような日々が続きます。阿部さんは番組の意義よりも、視聴率が気になりました。「気難しいと言われてる人も、実際に会うときさくだったりする、でも小田和正という人は、一度もニコリとしなかった」 アーティスト同士が認め合うのが理想とはいえ、まず自分が軸になろう。7組のアーティストに出演依頼も自ら買って出て、一人一人に心を込めて自筆の手紙を送りました。阿部さんは、テレビ局がやるべき出演者のキャスティングを、小田さんが率先してやり始めたことに焦りました。「僕らがやって断られるならそれでいいけど、それを小田さんにやらせてしまった。凄く大きなリスクを背負わせてしまった」。しかし、アーティストたちからの返事は、すべて「辞退」。企画はどんどん進んでいます。出演者はいない。阿部さんは上から叱られます。NKホールのリハ初日。やおらピアノの前に座った小田さんは、挨拶代わりに「言葉にできない」を歌います。リハとは思えない、全身全霊を捧げた声で歌い上げます。「あくまでも歌が主役」「局側のステージセットを突っぱねたのも自分」「アーティストに手紙を書いたのも自分」たとえゲストが一人も来なくても、「俺が一人で歌う」リスペクトしているアーティストたちの名曲を小田さんは一人で歌い上げました。「あれでブルッと、ビビっときたって、みんな言いますからね。この番組は凄いことになるぞ」って。ファンの間で語り継がれる、2001年の第1回の「クリスマスの約束」放送は、こうして誕生したのです。今では世代が異なるアーティスト達の交流が魅力の番組へと成長しました。

★なぜ美人を大写しにしたのか?~撮るものがなかった!!

 あらかじめ観覧希望者を募った公開ライブ形式の収録で、小田さんがみんなの前に現れると、大きな拍手が沸き起こりました。やがてピアノに向かい「言葉にできない」を歌い始めます。会場はピーンと張り詰めた心地よい緊張に包まれる中、歌い終わった小田さんはマイクに向かって「結論から先に言いましょう。今日は誰も来ません!」波乱の幕開けです。「僕も散々断ってきました。オフコースの時は、何を頼まれても“出ません、出ません”って、全部断った。」(「ザ・ベストテン」という音楽番組に「さよなら」「Yes-No」「YES-YES-YES」「君が、嘘を、ついた」と4曲がランクインしましたが、一切出演しませんでした)互いの理想が激しくぶつかり合う事前ミーティングの様子、事務所やスタジオで候補曲に挑戦する小田さんの必死の練習風景も、番組内で流されました。ファーイーストクラブ・バンドの面々も、演奏で小田さんを支えます。ここで独自のテレビ演出も生まれました。演奏中にアップで観客の一人(美人の女性)が大写しされるのです。目頭を押さえながら美人が涙する姿を、カメラがアップで捉えます。大写しにするのは、一人の例外もなく美人ばかりです。阿部プロデューサーは回想します。「ゲストも来ないし、小田さんとバンドの皆さんばかり撮ってるわけにもいかない。他に撮るものがなかったともいえるけど、小田さんの歌がお客さんに伝わり、凄いことになっていったんですよ。中には泣いている人もいた」翌年、第2回の放送でもゲストは来ませんでした。第3回目で初めて、Mr.Children桜井和寿さんをはじめ、豪華ゲストがやって来ました。第1回の放送で、揉めに揉めた小田さんとTBS側は、その後も何度も揉めることになります(例えば、2014年の確執はコチラです)。毎回が筋書きのないドキュメンタリーとなっているのは、そのような制作サイドとの緊張感があるからでもありましょう。出演者たちはみんな、小田さんが求める、高いレベルに達するまで、もの凄く練習していました。そしてそこで得たものを持ち帰ることが、全体のレベルアップになる。小田さんの“目指したグラミー賞”は、まさに別の形で実を結んだわけです。

 そんな「クリスマスの約束」が、今年は二年ぶりに復活しました(12月1日舞浜アンフィシアター公開収録,12月24日TBS系24時20分より26時まで)。19回目の特番になります。昨年は12月に、「2020年、『クリスマスの約束』は、新たな収録・放送を行いません。コロナ禍の中、番組のあり方をどうすれば良いのか、小田さんと話し合いました。感染防止に配慮した上であっても、大勢のアーティスト、ミュージシャン、スタッフ、そしてお越しくださるお客様が参加する中で、完璧な方法を見つけることはできませんでした。今年は新たな番組をお届けすることはできませんが、来年、新たな『クリスマスの約束』を、小田さんと一緒にお届けしたいと考えています」発表していました。今回は、4万7000人もの応募者の中から選ばれた1,600人が見守る中での収録でした。小田さんは「いろいろな世代と演奏できることはとても幸せ」と笑顔を浮かべました。個人的には、今年1月元日にリリースされたデジタルシングル「風を待って」が初披露されるのが楽しみです。この曲はコロナが収束していくことを願って作られた一曲で、「今を大切にする」がテーマとなっています。レコ-ディングから1年半を経て、初めて歌うことができました。またすごいものを見せてもらえることを期待しつつ、クリスマスの夜を迎えたいと思います。♥♥♥

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松江テルサのイリュミネーション

 夕方、勝田ケ丘志学館の帰りに、松江駅隣りにある複合施設「松江テルサ」がきれいにイリュミネーションで飾られているのに目が止まりました(2008年から実施)。大きな窓ガラスにクリスマスツリーが美しく電飾されていて、屋外からも楽しむことができます。どれどれ、建物の中に入ってみました。1~6階までの吹き抜けのアトリウムいっぱいに、ツリー、銀河などのブルーに浮かび上がる光の空間の中で、ソリをひくトナカイや、プレゼントを届けるサンタさんが空中で出迎えてくれます。高さ16m,幅18mの巨大ツリーのイリュミネーションがライトアップされています。約3万8,000球発光ダイオード(LED)を使用したイルミネーションが幻想的に輝き、夢の世界へいざなってくれます。いよいよクリスマスですね。ぜひ立ち寄ってみてください。

★点灯期間: 11月30日(火)~12月25日(土) 

★点灯時間: 17:00~24:00

 さて、よ~く見てみると、ガラス張りの明るいアトリウムの中央の天井高くに吊された巨大な風邪薬「コンタック」のカプセルのようなもの(?)があります。一体あれは何だろう??松江市に長く住んでいますが、今日までこんなものがあるなんて全く気づきませんでした。どうやら昔からある巨大な「からくり時計」のようです。定刻になると音楽と共に動き出します。全国的にも珍しい、天井吊り下げ型のからくり時計「タイムマシンコンサート」(セイコー)です。午前10時から20時まで、定時になると、全長6.6メートルの大きなカプセルが開き、水鳥音楽隊からくり人形が、四季をテーマにした曲を奏でながら愉快に登場して踊り出します。私は今日午後6時に、米子帰りに立ち寄って鑑賞していました。憩いのひとときと安らぎを与えてくれます。こんな面白いものがあったんだ!知らなかった!!「灯台もと暗し」(The darkest place is under the candlestick.でした。♥♥♥

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「真珠湾攻撃」の真実

 よく晴れた日曜日の朝の出来事でした。1941年12月7日午前7時55分(日本時間12月8日午前3時35分)、ハワイ諸島のオアフ島の海軍基地を、日本軍の航空部隊が奇襲しました。いわゆる「真珠湾攻撃」です。今でもアメリカ人たちには「Sneak Attack」(卑劣な攻撃)として記憶されています。12月8日になると、毎年必ずといっていいほど、「卑劣な日本人」が話題になるんです。

▲日本軍機の魚雷攻撃で爆発炎上するアメリカの戦艦「アリゾナ」

  太平洋艦隊が誇る「カリフォルニア」「ウェスト・バージニア」「オクラホマ」そして「アリゾナ」といった戦艦が、日本軍機が投下した爆弾や魚雷によって、またたく間に黒煙に包まれました。犠牲者はアメリカ側の約2,400人に対し、日本側は約60人だったといいます。鮮やかな戦果でしたが、大きな問題が発生しました。「真珠湾攻撃」の狙いは、主要基地である真珠湾を攻撃することで、アメリカ人の戦意喪失を誘い、短期決戦に持ちこむことでした。しかし、それは全く逆の結果になってしまったのです。

 そもそも日本の開戦通告は、攻撃の30分前にアメリカ側に届くはずでした。しかし、駐米大使館が本国から受け取った暗号文の解読に時間がかかってしまい、実際にアメリカ側に渡ったのは攻撃の40分後になっってしまいました。真珠湾攻撃は「卑怯なだまし討ち」となり、ルーズベルト大統領率いるアメリカ政府は、「Remember Pearl Harbor(リメンバー・パールハーバー 真珠湾を忘れるな)」のスローガンを掲げて、アメリカの世論は、一気に開戦へと傾いていったのです。「日本は奇襲攻撃をしてから、のうのうと断行通知を持ってきた。これほど卑劣で狡猾で悪辣なギャングは見たことがない」ということを印象づけたのでした。

 この時、断行通知が遅れたことについては、戦後長い間、「大使館員の不慣れなタイプのために予定が遅れたのだ」とされてきました。当時の関係者が、東京裁判でそのように証言したからでありましたが、事実は全く違いました。今にも開戦となろうかという緊迫した状況下において、日本大使館の連中は一人残さず、夜になったら引き上げてしまっていました。同僚の送別会が行われることになっていたのでした。翌朝大使館に出勤してみると、重大文書が届いていました。内容を解読してみると、まさに断交の通告です。大使館員が震え上がったのは言うまでもありません。その緊張のせいか、あるいは前夜当直も置かずに送別会をやったという罪の意識からか、電文をタイプで清書しようと思っても間違いの連続でいっこうにはかどりません。そこで彼らのやったことは、最悪の判断でした。電話して「午後1時の約束を,もう1時間延ばしていただけないか」と頼んだのでした。外務省は「午後1時に渡せ」と言っているのに、独断で1時間も遅らせてしまったのでした。「外交文書はタイプで清書しなければならない」という国際法などどこにもありません。タイプが間に合わなければ、手書きの文書を持っていって、とにかく指定された午後1時に「これは断交の通知です」と口頭で渡すべきだったのです。きれいな書面が必要なら、後ほど持ってきます、とでも言えば良かったのです。いやしくもワシントン大使館にいるような外交官といえば、エリート中のエリートです。その連中がこのていたらくだったとは!そして大使館員の間では、「あの晩のことは、一生涯誰も口にしない」という暗黙の掟が出来上がったようです。誰にも真相を話しませんでした。彼らは帰国してからも、みな偉くなりました。戦後外務次官になった人もいるし、国連大使になった人もいれば、勲一等を天皇陛下からいただいた人もいます。

 長い間隠されてきたここら辺の秘密を、尊敬する故・渡部昇一先生(上智大学名誉教授)は、今から30年も前に『ニューヨーク・タイムズ』に投稿しておられます。記事の題名は「A COSTLT FAREWELL PARTY(高くついた送別会)」でした。私は当時松江南高校の生徒達に、この記事のコピーを学級通信「あむーる」で配布をしています(写真上)。

 渡部先生は、当時の大使館にいた人々の名誉を、外務省は公式に褫奪すべきだと主張しておられます。外務省に関係する人々、現職の外務大臣に会うたびに、名誉褫奪のことを力説してこられましたが、外務省にとっては「国益」よりも「省益」のほうがずっと大事なのが分かってきた、と書いておられます。「日本の外交官というのは、みんな親戚なんです。昔から、外交官になるような人は外国語ができなければなりません。そうなると、本当に外国語がうまいのは外国で育った子どもです。ところが、今日ならいざ知らず、ちょっと前までは外国で生まれ育つというのは、外交官の子ども以外にはあまりいない。それで結局、外交官の息子は外交官になり、外交官の娘は外交官に嫁ぐということになりました。だから今や、外務省というのは親戚の寄り合いのようなものなのですよ」という関係者の証言を紹介しておられます。親戚の名誉を褫奪するわけがありませんから、永遠に無理な話ということになります。そしてこの事実は、未だに知らない人が多いという状況が続いています。♥♥♥

【追記】 Pearl Harbor「真珠湾」と訳すこと自体にも、いろいろと議論のあるところです。最近、『産経新聞』(12月8日付け「産経抄」)が話題に取り上げていましたね。harborには「港」という意味しかありませんから。この問題も調べてみると面白いと思いますよ。

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試験の見直し

 今年3月に勝田ケ丘志学館を卒業した木村友梨菜(きむらゆりな)さんが、訪ねて来てくれました。彼女は現在、鳥取大学・医学部・医学科で学んでいます。ちょうど授業があったので、教室に来てもらって、生徒達に話をしてもらいました。彼女は「去年の今頃は、今までに受けた試験の見直しに一生懸命だった」と語ってくれました。私は、ずーっと12月までの模試ラッシュで、その都度「見直しプリント」を配布して、「模試の見直し」の重要性を説いてきました。昨年の彼女にもそんなことを語っていました。それを彼女はこの時期に力を入れてやっていたと、生徒達に語ってくれました。彼女はそうやって、本番の「共通テスト」で自己ベストの得点を叩きだして、第一志望の大学に合格をしてくれました。そうなんです。この時期は今までやったことの確認を徹底する時期で、新しいことに手を出す時期ではありません。木村さんは、その当時のテストの「見直しノート」も持って来てくれていたので、教室に置いて生徒達が自由に見ることができるようにしました。みんな参考にしてくれたようです。

 試験を受けてそれで終わり。これでは進歩はありません。私自身も問題を生徒たちと一緒に解きながら、いつものように「見直しプリント」を、その日のうちに徹夜してパソコンに打ち込んでいます。それを喫茶店で点検・校正をして翌日に配布しています。これが私の長年の日課です。かつて、そのプリントの冒頭には、次のように書きました。


「やりっ放し」が一番たちが悪い。「賢者は歴史に学ぶ」のだ。愚者は失敗しないとわからない…。見直しをすることにより間違いなく力がつく、と先輩達は「進路だより」で口を揃えて語っている。どれだけのことが反省できたか?これで次のステップが決まる!まず第一歩を踏み出せ!!何が足りなかったのか、何が理解不足だったのか、等「自分自身との対話」で力がつくのだ。まずは進研の「解答・解説」をじっくり読んでみよう!自分のおかした間違いを有効に活用して、進歩につなげることが大切だ。国公立大学志望者はセンター試験で5倍強の競争にさらされる、ことを忘れないで! ●「したい人10,000人、始める人100人、続ける人1人」(中谷彰宏)


 私は長年の間こうやって、模試をその都度自分で解き、問題分析をして、生徒達の答案や採点結果と照合することで、生徒たちがいったいどこで間違えるのか?、問題の難易度はどうなのか?が、手に取るように分かるようになりました。現場では「やっておきなさい!」で済ませて、自分で問題としっかり向き合おうとしない教師も数多くいます(残念ながら事実です。彼らは「忙しい」と言い訳します)。これでは生徒の力もつきませんし、自身の指導力向上にもつながらないでしょう。「やりっ放し」は、生徒だけでなく教員にも御法度なのです。かつて北高では1回の模擬試験を6度徹底的に活用していたものですが、今ではそれも遠い昔話となってしまいました(私の資料「模試の活用法~1粒で6度美味しい」をご覧ください⇒コチラです) 。毎年志望校に合格した生徒たちが、一番良かった、効果があったこととして、「試験の見直し」を挙げているのは、偽らざる実感だと思います。

 終わったテストの点はもう変えられません。でもそこから改善点を見つけたり、良かったことを見つけたりすることで、次に生かすことができるのです。解答したけれど間違っていたということは、解くプロセスのどこかが間違って組み立てられていたということを意味します。どこで間違ったのかを徹底的に分析し、正解へのプロセスを再確認します。次に、「正解だったけれど適当に解いた問題」も要注意です。次に解いた時には間違う可能性が高い問題だからです。一度攻略した問題も時間が経つと、忘れてしまっていることがあります。完全に定着させるために、忘れた頃にもう一度解き直すのが効果的です。成績が上がらないと、つい新しい参考書や問題集に手を伸ばしがちですが、最も効果が期待できるのが「テストの見直し」なんです。「重要項目」「自分の弱点分野」を同時に押さえることができますから。終わったテストを徹底的に時直して、同じ問題が出たら二度と間違わない、というレベルにまでしておくことが大切です。

 受験生はこの冬休みの間、「マーク演習」が始まることと思います。これらの試験を単なる「慣れ」のための材料だけとして扱うのはあまりにももったいないことです。徹底的に誤答を分析して、「重要項目」「自分の弱点分野」の反省材料として使いこなしましょう。♥♥♥

▲今年最後の模試の「見直しプリント」

・11月進駿共通テスト見直しプリント ⇒コチラで見ることができます

・12月全統プレ共通テスト見直しプリント ⇒コチラで見ることができます

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竹内 栖鳳

 竹内 栖鳳(たけうち せいほう、1864年―1942年)は、戦前の日本画家です。横山大観(よこやまたいかん)と並んで、日本画壇の双璧と呼ばれました。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家です。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。動物を描けば、その匂いまで描くと言われた絵の達人でした。

 その竹内の所に、京都大学のある学生が訪ねてきました。何やら真剣な顔つきで話します。「初めてお目にかかった者が、いきなり厚かましいお願いで恐縮ですが、先生の絵の描き損じでも下描きでも、一枚だけで結構ですから、いただけないでしょうか?父が事業の失敗から破産しまして、今まで通りの学費を出してもらえないことになりましたので……。」もらった絵を売って、学費のたしにしようと思ったのかもしれません。戦前は、大学生の数は今よりもはるかに少なく、世間からもチヤホヤされていたのでしょう。特に京都という街は学生を大切にする風潮が存在しました。この学生にも、世間に対する甘えがあったのかもしれません。学生の顔をじっと見つめていた竹内栖鳳は、「大事な学問をなさる費用のために描き損じなどを差し上げるのは、私の心がとがめます。」―「は……」―「新しく描いたものを差し上げましょう」―「ありがとうございます」―「しかし、すぐにはできません。三年ぐらい待ってください」―「エ?……三年経つと、卒業してしまいますが……」―「ならば,卒業祝いとして差し上げましょう」―「ア!そうですか。わかりました!」 学生は顔を赤らめて、すぐに退散したそうです。

 竹内栖鳳にしてみれば、描き損じの二枚や三枚をくれてやるぐらい、何でもないことでした。にもかかわらず、あえて、その小さな望みを拒絶したのです。学生の依存心、人に頼る心を戒めるためでした。その安易な甘え心を戒めたのです。甘え根性を持つようでは、人間は決して大成することはできません。栖鳳は、初めて会った学生への人間愛から、あえてこういう厳しい態度をとったのでありました。それをすぐに察知して退散した学生も、凡人ではありませんでしたね。独立心を奮い起こし、アルバイトによって学資を稼いで、法学部を卒業しました。卒業するとすぐに、栖鳳のところへ、絵をもらいに……ではなくて、お礼を言いにきたそうです。依存心を戒めてくれたことへのお礼を。そしてさらに努力して、一流の弁護士になったそうですよ。

 これ、いい話だな、と思って読みました。本物の教育とはこのようなものでありたいものです。何でもかんでも親切に教えたり与えたりするのではなく、ある時は冷たく突き放したり、あえて解答せずに自分で考えさせたり、教師の熱い思いによる無言の叱咤の方が効果的なこともあり、その子を思うが故の愛情表現はいろいろと考えられるでしょう。そんなことを考えさせられたエピソードでした。

 「先生の授業は分かりやすい」と言っていただくことも多いんですが、私の目指しているのはそんな事ではありません。私は「生徒の心に火をつける授業」を目指しているのであって、教師の仕事はそれに尽きるのではないかと思っています。「ああ、英語って面白いな」「もっと勉強してみよう!」「次は何に挑戦しようか」「絶対にこの英文を読み解いてやる!」と思ってくれる生徒を育てたいと思って、毎日苦労しています。そして英語の面白さを知った生徒の何人かが、英語教師の道を志してくれれば最高だなと思って取り組んできました(そんな先生が現在島根県で活躍しています)。手取り足取り世話を焼いて、人気取りをしたいとはこれぽっちも思いません。今私は、進学校に勤務していますが、決して大学に入れるために授業をしているのではありません。「英語の力」さえつけてやれば、大学合格は後から付いてくるのです。♥♥♥

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「ガトーフェスタハラダ」

◎週末はグルメ情報!!今週はラスク

 2020年8月3日、高崎市に本店を構え、ガトーラスク「グーテ・デ・ロワ」が人気の「ガトーフェスタハラダ」(GATEAU FESTA HARADA)初となるエキナカ常設店が、東京駅「グランスタ東京」(改札内)にオープンしました。白色でスタイリッシュに統一された清潔な店内の雰囲気は本館そのもの。地下1階の最も北側、グランスタ北口改札の近くに位置し、やや分かりにくく人通りも少なめの場所ですが、スペースは周辺の他テナントより広く、ゆっくり店内を眺めるには良いと思います。イートインカフェも併設されています。東京初となるカフェメニューや、手土産に嬉しいプチギフトなどを揃えたラグジュアリーなエキナカ常設店です。店舗のほとんどが、いろいろな種類のラスクの売り場になっています。(甘いラスクだけではなく、しょっぱいラスク、キャラクターのラスクなど…)普段は、贈答用に箱詰めで売られていることが多いのですが、ここの店舗では、バラで1個単位からでも買えます。広々とした明るい店内には、看板商品のガトーラスク「グーテ・デ・ロワ」をはじめとした多彩なお菓子が、ギフトや手土産にピッタリな化粧箱入りや、自宅用にピッタリな簡易包装のものなどバリエーション豊富に揃います。

   この店舗では、嬉しいことにバラ売りもされていて、好きなお菓子を1袋から気軽に買うことができるんです!出張や旅のお供に新幹線や電車移動の途中でちょっと食べたい時や、気になるお菓子の味見にも重宝しますね。さらに、選んだお菓子たちを数種類あるデザインのバッグ型の箱に詰め、オリジナルのプチギフトを作ることもできるんですよ。これは楽しいですね。新幹線の中で食べるお菓子として「ちょっと買い」にも便利です。ちなみに、プレゼント用のプチバッグもめちゃくちゃ可愛いんです。小が2-4個、大が3-10個入るらしく、選ぶお菓子によって入る個数が変わってきます。バッグのお値段は、概ね小が55円、大が66円と、意外とリーズナブルですね。まさに、プチギフトにピッタリです。もちろん、これまで通りの箱買いもできて、新幹線に乗る前に手土産として購入することもできますよ。「ガト-フェスタハラダ」と言えば、欠かせないのがガトー・ラスク「グーテ・デ・ロワ」です。芳ばしい香りのフランスパンに上質なバターなどを使用して、丁寧に仕上げたラスクです。今回お土産として渡してみなさんに喜んでもらいました。♥♥♥

▲数々のプチバッグが用意・販売されています

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『悪役レスラーのやさしい素顔』

◎私、プロレスの味方です〔笑〕

 昭和プロレスの黄金時代、「金曜8時のゴールデンタイム」時代の新日本プロレスの名物レフェリーとして活躍したミスター高橋さん。レフリーだけでなく、来日する外国人選手の世話係も務めた著者が、悪役レスラーの知られざる素顔を明かした本が『悪役レスラーのやさしい素顔』(双葉社、2015年)でした。私は週刊大衆』に連載当時から、ずっと楽しみに読んでいました。私も夢中になった黄金時代新日本プロレスの外人レスラーとの交流を綴った作品です。自宅アルバムに眠っていた悪役たちの秘蔵プライベートショット写真(3,000枚の中から)も多数掲載されており、アンドレ・ザ・ジャイアント、タイガージェット・シン、ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ダイナマイト・キッド……金曜8時の当時の記憶・興奮が甦ります!

 「プロレスとはエンターテイメント・スポーツである。観客を興奮させ、楽しませるために、レスラーは鍛え上げた肉体と技で白熱した攻防を展開し、フィニッシュへと向かっていく。誤解しないでほしいのだが、フィニッシュが決まっていると言っても、負け役はそこに至るまで自らの肉体と感性のみを頼りに臨機応変に動き続けなければならない。これがレスラーにとって最も重要な“うまさ”だ。うまい選手ほど、相手を引き立てながら、自分をアピールし、観客を納得させた上でフィニッシュへと向かっていく。人の心を動かす、などと文字にするのは簡単だが、これをリングで実現するのは並大抵のことではない」(ミスター高橋)

 プロレスは、エンターテイメント・スポーツです。観客を刺激・興奮させ、楽しませるために、レスラーは己の鍛え上げた肉体と高度な技術で白熱の攻防を見せ、あらかじめ決められた(!)フィニッシュへと向かっていきます。いわば、過程を見せるスポーツであり、決められた(!)“おおまかな流れ”に、レスラーそれぞれの感性・個性から生まれるアドリブが加わり、試合=作品が生まれるのです。

 私はレフェリーと同時にマッチメーカーも長らくやっていました。勝敗や試合の展開を、たとえば猪木さんが出る試合なら“フィニッシュを、こうしたい”といった意向を打ち合わせ、決まったら相手の外国人レスラーに伝えるんです。フィニッシュが決まっていると言っても、負けるほうも、そこまでは自分で考えて臨機応変に動かなければならない。これがレスラーに一番大切な“うまさ”なんですよ。下手なヤ?ツとは“決められたこと”しかできない。うまい選手は、猪木さんを引き立たせて、観客を納得させ、自分をアピールしたうえで、フィニッシュ技を受けて負ける。あるいは、その週のテレビ放送で完結しないなら、観客の気を引きながらドラマを次週まで引っ張っていく。シン、アンドレ、ハンセン、ディック・マードック、ダイナマイト・キッドなど、一流と言われるレスラーはこうしたアドリブがみんな天才的にうまいんです。新日本プロレス黄金時代は、そうした頭の良い、センスのある外国人レスラーたちが支えていた。あの時期、悪役と言われる彼らの素顔に触れられたことは今でも私の宝物です。リングを下りれば、多くが心優しいナイスガイばかり。悪役レスラーたちのそんな素の姿を皆さんにお伝えできれば、と思っています。

 いい本ではあるのですが、この著者、私はどうしても好きになれません「プロレスは勝敗があらかじめ決まっている」という「みんながそうなのではないか?と思ってはいたものの、そこはそーっとしておいてほしかった事実」を世間にネタバラシしてしまった人で(『流血の魔術 最強の演技』)、個人的には好きになれないんです。そもそも、それを「内部の人間」だった人が「告発」するのってどうなんだ、と。でも、あれからもうだいぶ時間も経ち、「それはそれで、プロレスという世界は、やっぱり面白かった」とようやく悟れた私には、高橋さんがこの本で紹介している、「昭和の新日本プロレスを支えた悪役外国人レスラーたちの素顔」は、とても懐かしく、そして、煌めいているのです。

 レスラーたちの身近にいた人ならではの意外・仰天の数多くの証言・エピソードが満載の本ですが、私はトンパチであった故・ディック・マードック(突然の心臓発作で49歳の若さで亡くなった)のエピソードを面白く読みました。

 彼は欲のないレスラーで、最高峰のNWAチャンピオンになるチャンスもあったが、ベルトというものにまったく興味を示さなかった。
「あんなベルトはいらねえ。チャンピオンになると試合が増えて忙しくなる。俺は忙しいのは嫌いだ」
 チャンピオンになって試合が増えたほうが、多くのカネを稼ぐことができる。だが、「カネなんかいらない」というのが彼のスタンス。カネに縛られるよりも、自由奔放に生きたい―それがマードックの人生観だったのだろう。
 マードックの実力を認めていた猪木さんがある時、私にこんなことを言った。
「一度でいいから、マードックの真剣な試合を見てみたいものだ。あいつが本気を出したら、ものすごい試合になるはずだ」
 その言葉をマードックに伝えたところ、「そうか、じゃあ、たまにはやってみよう」と、珍しく“その気”になった。
 ちょうどその日、藤波辰爾さんとのシングルが組まれていた。やる気になったマードックは、藤波さんの目の縁に黒たんができるほど生のパンチを繰り出す。関節技にしても、通常よりも深く締め上げ、文字どおり“すごい試合”をしたのだ。
 試合後、上機嫌のマードックが「ピーター、これでいいのかい?」と聞いてきたのだが、私は答えに困ってしまった。一方、藤波さんはワケがわからず、「高橋さん、何を焚きつけたんですか!」と口を尖らせていたが、無理もない。今思えば、本当に悪いことをしてしまったものだ。
 マードックにとっては、こうした試合はやろうと思えば、いつでもできるものだった。だが、彼の哲学では「そんなものはプロレスではない」。これも一つのプロ意識なのだ。

  「自分が強い」ことをただ誇示するだけではなく、「対戦相手を強く、魅力的に見せられること」こそが一流レスラーの必須条件なのです。圧倒的な実力差を見せつけ、相手を一方的に叩きのめすような「試合」は、ヘタクソのやること、なんですね。新しく出て来た大々的に売り出したい人の「顔見せ」ならともかく。全盛期のアントニオ猪木は、「ホウキ(掃除用具の)が相手でも、すごい試合ができる」と言われていましたものね。♥♥♥

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『成しとげる力』

 日本電産の創業者である永守重信(ながもりしげのぶ)さんが、およそ半世紀前に同社を創業したとき、周りの人たちは家族から親類まで含めて、ほぼ全員が反対したといいます。しかし、小さい頃から社長になることを夢見てきた永守さんは、荒海に舟を漕ぎ出すがごとく、たった4人で創業を宣言しました。そして今や、日本電産「世界No.1のモーターメーカー」として知られる大企業となりました。今もっとも勢いに乗る「経営のカリスマ」が、その経営哲学のみならず、人生を生きる上で大切なこととは何なのか、これからの「人生百年時代」をどのように生きていけばよいのかを語り尽くした渾身の一冊が、『成しとげる力』(サンマーク出版、2021年11月)で、ベストセラーとなっています。最高の自分をつかめ! 悔いなき人生を歩め!いまもっとも注目される「カリスマ経営者」が語る、渾身の人生哲学。およそ半世紀前、たった4人で立ち上げた会社は、今や従業員11万人を超える「世界一の総合モーターメーカー」に成長しました。類いまれなる経営手腕と行動力で、つねに実業界を牽引し続ける著者が23年ぶりに書き下ろした自著がついに刊行されました!種を蒔かないと花が咲かないように、成功するためには、挑戦する分母を増やす必要があります。その「種」の中身が語られ、その一つ一つが心に刺さります。

▲今井書店に平積みされた『成しとげる力』

  人生とは、苦楽が交互に織りなすものです。人生にはよいことと悪いことが同じだけやって来るのです。そして多くの苦しみを経験したあとには、必ず大きな喜びがやって来ます。そして、大きな苦難を乗り越えた人にこそ、より多くの幸せが待っています。 したがって困難や逆境の中にいるときこそが、飛躍のチャンス、だから、けっしてそこから逃げてはなりません。どんなに強い逆風であろうと、敢然と向き合い、それを乗り越えていくことです。 困難は必ず解決策を連れてやってくるという永守さんの信念が印象的でした。困難がやって来たということは、解決策も一緒にやって来るということです。だから、逃げずにその困難にしっかりと向き合い、解決策をつかみとることです。誰でも困難に真正面から対峙するのは怖い。目の前に立ちはだかる屈強な敵に丸腰で立ち向かうようなものですから。しかし、「困難さん」は必ずポケットの中に、解決策を忍ばせてやってくるものなのです。だから真正面から対峙し、がっぷり四つに組んで、ポケ ットに手を突っ込んで、解決策を奪取する必要があります。厚い壁にぶち当たったとき、その壁を打ち破るか、乗り越えるかしなければ、前に進むことはできません。しかし、一度経験した困難は確実に血肉となり糧となって、それ以降の成長を支えてくれるものなんです。

成しとげる力

 

 「神は乗り越えられない試練は与えない」と言われます。「試練」は必ず「解決策」を連れてやってくる、ということです。どんな時でも、どんな苦しい場合でも、愚痴は言わない、参ったと泣き言を言わない、何か方法はないだろうか、何か方法はあるはずだ、周囲を見回してみよう、いろんな角度から眺めてみよう、人の知恵も借りてみよう、必ず何とかなるもの 。なぜなら打つ手は常に、無限にあるるから。努力をしない人がグチを言う。試練に対し、何か解決策はあるはずだ、と思う人はとにかく行動する。動き回り、探し回り、仮説を立て、やってみる。そして、もしうまくいかなかったら、それをうまくいくまで修正し続ける。困難にあったら…「打つ手は無限」と、解決策を見つける人でありたい。

 いつぞやJR九州会長の唐池恒二(からいけこうじ)さんの本を読んでいて、参考になる話がありました。宇高連絡船の航路の経営にあたっておられた大嶋良三さんから、操船の極意について教えてもらったことがあったそうです。海で嵐に出くわした時の操船方法についてです。押し寄せる高波に対して、船首を真正面に向けると船は転覆しません。5万トンのタンカーでも10トンの漁船でも、これは変わらない鉄則です。どんな大きな波が来ても船が正面から向かっていくなら沈没はしません。高波に対し、船首を横に向けたり、波から逃げようと後ろ向きにしたりすると船は転覆します。どんな最新鋭の機器を積んだ大型船でも横波や追い波に抗する力はないのです。この教訓は人生や仕事にも通じることです。難局にも逃げずに真正面から立ち向かうと必ず解決する。いやな仕事から逃げたり、やっかいな仕事を直視しなかったり後回ししたりすると、余計に問題が大きくなって取り返しがつかなくなるのです。「難局に直面したときには、逃げずに正面から立ち向かう。」という教訓ですね。私も若い頃から、この精神で頑張ってきました。

 私は若い頃から、永守さんの本でいろいろなことを学んで来ました。⇒私の紹介記事はコチラです  常に一番を目指し、そのために人の倍以上の努力を惜しまない。永守さんといえば、朝7時前に出社し、22時過ぎに退社、元日の朝以外は365日休まないというモーレツな働き方をする経営者として有名でした。社員にもハードワークを求め、「休みたいなら辞めればいい」と発言して、日本労働組合総連合会から名指しで批判されるなど、近年の「働き方改革」重視の風潮とは真っ向から対立する存在でした。その永守さんが、今は「残業をゼロにする」と宣言し、働き方を大幅に改革しておられます。時代の要求に永守さん自身が立ち上がったのです。

 永守さんが社員に伝えている日本電産の仕事の原則「すぐやる・必ずやる・出来るまでやる」という言葉を、若い頃に著書で読み、学校教育の世界でも共通する普遍的な原則と思い、生徒たちに紹介してきました。「できない理由ではなく、どうすれば出来るかを考える」ことが大切です。しかし現実は、真逆の「後でやる・できればやる・出来なかったらあきらめて止める」になっていることが多いようです。コチラもご覧ください。日本電産がここまで大きくなった秘密がこの本には詰まっています。♥♥♥

▲この本も参考になる。永守さんの大学設立への思いが……

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ついている人

 世の中には「ついている人」がいます。あの人ラッキーだな、つきまくっているなあ、と思われている人たちです。あの経営コンサルタント・船井幸雄(ふないゆきお)さんのまとめによれば、つく人たちには、共通して持っている特性があると言います。次の10項目です。つくためには心を養わなければいけません。「ついている人」は、人相がよく、明るく、温かいのです。

プラス発想型人間……何でも良い方に考え、物事に感謝し喜べる人間である。
すなお肯定人間……何事にも決めつけたり、否定したり、嘲笑したりしない人である。
勉強好き、挑戦好き、やる気人間……新しい事、道のことに挑戦できる人である。
謙虚な笑顔人間……誰に対しても威張らず、ニコニコしている人である。
長所伸張型人間……長所に目が行き、ついている人とのつきあいが多い人である。
自助型人間……他人の力をアテにしないが、人からの支援には喜びを感じる人である。
辛抱・執念型人間……苦を苦とせず、目標達成に執念を持って努力できる人である。
着実、バランス安定人間……マクロな判断ができ、実行力に秀でている人である。
強気、負けん気、思いやり人間……成功している人はこのタイプが多い。
秩序維持型自由人……自由人だが、秩序を維持すべきことについては守る人である。

 そして幸福を引き寄せるためには、自分に与えられたは惜しんで、使い果たすことなく取っておき、独り占めしないで他人と分かち合い、次世代のために新たにを植える。それが結局は、再び我が身にをもたらすという、幸田露伴が述べた「幸福三説」なる3つの工夫を意識することが大切です。「幸福三説」は、「惜福」「分福」「植福」の三つからなっています。これを若い時に知ったことは、私の生き方の上で、大きな影響を与えました。私は今まで、努めてこれを実践するようにしてきました。

 「惜福」(せきふく)とは、文字通り福を惜しむことです。自らに与えられた福を、取り尽くし、使い尽くしてしまわずに、天に預けておく、ということ。その心掛けが、再度運にめぐり合う確率を高くする、と説かれます。露伴「幸福に遇う人を観ると、多くは「惜福」の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である」と述べています。例えば、宝くじで1億円が当たったら〔笑〕、全部使ってしまわずに、2千万円くらいは貯金に回しておこう、つまり福を大事にする精神のことですね。よそ行きのいい洋服を作ってもらったら、それまで着ていたまだ十分着れる服をさっさと捨てて、いい洋服を普段着のように着回すのではなく、ちゃんとよそ行き用にだけ着て、古い普段着はさらにブラシをかけて着る。控えめにして、自ら抑制する、いい福が来たら、それを惜しむような態度でいると、福が集まるということです。

 「分福」(ぶんぷく)とは、幸福を人に分け与えること。いい事があったら一人占めにせず、他の人にも福をお裾分けをすることです。自分一人の幸福はありえない、周囲を幸福にすることが、自らの幸福につながる、と説かれます。「恩送り」「情けは人のためならず」と近い考え方ですね。露伴「すべて人世の事は時計の振子のようなもので、右へ動かした丈は左へ動き、 左へ動いた丈は右に動くもの、自分から福を分ち与えれば人もまた自分に福を分ち与えるものだ」と述べています。露伴によれば、恵まれた福を分かつことは、春風の和らぎ、春の日の暖かみのようなものであると言います。春風はものを長ずる力であり、暖かさでは夏の風にはかなわないが、冬を和らげ、みんなを懐かしい気持ちに誘うことができる。それと同じように、福を分かつ心を抱いていると、その心を受けた者はやすらかな感情を抱くものです。分福をあえてなす者は周囲に和やかな気を与えることができるのです。どこからお土産をたくさんもらったら、それをお裾分けする。ただし、あくまでも好意で分けるのですから、「見返り」を期待してはいけません。福は天からの授かり物であって、自分に何かいいことが起こったら、それを天の一角に返す気持ちで他人に分ける、そういう気持ちが大切です。するとめぐりめぐって、いつの日か再び自分に回ってくるということです。上司に褒められた場合も、「ありがとうございます。これも、同僚や先輩の皆さんがお力を貸してくださったおかげです」と一言添えるのも一種の「分福」と言えるでしょう。商売で儲けたときに、社長が、利益を従業員に分けてあげると、儲かると自分たちにもいいことがあるんだと分かり、熱心に業務に励もうと努力する、と露伴は例を挙げています。「分福」をせずに商売で得た利益を独り占めして、社長が自分の懐を潤すだけなら、儲けようが損をしようが、自分たちには関係ないと考えて、熱心に働く気も失せ、やがてはその店はもうけのチャンスを逃すことになるだろう、と言っています。私は今まで、努めて「Give and Give」の生き方を心がけてきました。

 「植福」(しょくふく)とは、後世の人々の幸せのために「福の種」を植えることであり、3つの福の中でこれが最も大切だと露伴は言います。将来にわたって幸せであり続けるように、今から幸福の種を蒔いておくこと、精進(正しい努力)し続けることが重要です。過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分を創っている。過去を書き替えることはできないが、今から良い種を蒔き続ければ、望ましい未来につなげることが出来る、と説かれます。例えば、60歳になるおじいさんが、自分の土地に植林を始めたとしましょう。小さな苗木を1本1本と何日もかかって植えていきます。この木が成長して材木などに利用できるようになるまでには、何十年とかかります。その頃にはもうこのおじいさんは生きてはいません。あれだけ丹精を込めて育てた苗の恩恵を自分は全く受けないかもしれません。でも自分が恩恵をこうむらなくても、子孫や村、ひいてはお国のためには、福となって返ってくるのです。自分に返らないことがわかっていながら、なおかつ福を植えるという気構え、これが「植福」です。1人の「植福」が、どれだけ社会全体を幸福にするか計り知れません。「植福」において、個人と社会の福がつながってくるのです。「植福とは、自分の力・情・智をもって、人の世に幸福をもたらす物質・清趣・知識を提供することを言うのである。すなわち、人の世の慶福を増進長育するところの行為を植福と言う」と、露伴は説いています。

 「蓄財の神様」と言われた本多静六博士は、これらをリンゴの樹に喩えて、三つの福に分かりやすい説明を加えています。リンゴの樹を所有していて、その果実を全て成熟させずに、うまくまびいてその樹の安全・安定を図るのが「惜福」。また、果実のリンゴをみんなにお裾分けするのが「分福」であり、新たにリンゴの樹を植えるのが「植福」です。「ついてきたぞ」と喜んでいる段階でとどまらずに、そのつきを「惜福」、「分福」、「植福」の三つの扱いをして、さらなる「つき」の増殖をしたいものですね。

 とは天に向かって矢を放った状態だといえます。矢は必ず落ちてきます。つまり、そのままにしておいてははなくなります。をなくさないためにも、さらにはを増やすためにも、「惜福」「分福」「植福」の3つの工夫があるのです。「惜福」「分福」「植福」を地道に積み重ねることこそ大切なことだと感じています。私は若い時に、故・渡部昇一先生の薦めで、幸田露伴の本を読んで、ずいぶん生き方の参考にさせてもらっています。

 最後にもう一つ。成功するには、運と根気と、鈍いほどの粘り強さ、この3つが必要だということで「運・根・鈍」と言われます。尊敬する渡部昇一先生は、86歳の時に、ラストメッセージとして生き方を総括されて、運の良い人間になるには、「鈍・根・運」の順番で事を為すようにすると良いとアドバイスされました(『日本人の道徳心』(ベスト新書、2017年))。何事も続けていくには粘り強さを示す「鈍」が必要です。しかし「鈍」に即って粘り強くやっていたとしても、そうそういいことは簡単に起こるものではありません。周りから「あいつはバカじゃないか」と言われるくらい「根」をつめてやっていると、そのうちに少しずついいことが起こるようになり、やがて「運」がめぐってくるというのです。だから最初のうちは、結果に期待して「いいこと」をするのではなくて、ただ純粋に自分を高めるため、よくするために「いいこと」を続けるようにするとよいのです。愚鈍に物事を続けていれば、根性がある人だと言われるようになり、その後「あの人、運がいいな」と言われるようになるのです。「運・根・鈍」ではなく、「鈍・根・運」でいきましょう。♥♥♥

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「多摩センターイリュミネーション2021」

 ラーンズのオンライン講演で、新宿から京王線に乗って(先日大事件がありましたね。あの電車です)東京・多摩センターを訪れたところ、毎年恒例となっている冬の風物詩「多摩センターイルミネーション2021」(2021年10月22日~2022年2月28日)が、今年も開催されていました。友好都市の長野県富士見町より寄贈されたツリー(センターランドツリー)を中心に、色とりどりのイルミネーション約40万個が煌めきます。センターランドツリー付近では、たくさんの動物トピアリーがお出迎えするほか、「光の水族館」では、出入口に魚のアーチが設けられ、トンネル内では、たくさんの光の魚が泳ぎだします。ストリートイルミネーション(楠木58本)は「シャンパンゴールド色」で統一され、光あふれる空間が演出されます。昼間も素敵な街ですが、夜になると一層魅力的な街に変身します。

 「パルテノン大通り」にある、58本のクスノキを彩るシャンパンゴールドのイルミネーションは、2022年2月28日まで開催されます。ここ数年は年明け1月10日頃まででしたが、今シーズンは2月末までクスノキのイルミネーションが多摩センターの街を照らし続けます。実に荘厳な眺めです。

 京王線・小田急線「多摩センター駅」へと続く道では、「光の水族館」とサンリオキャラクターや動物たちのイルミネーションが実施中(2022年1月10日まで開催)です。1月10日は「成人の日」なので、成人式帰りの新成人の方もイルミネーションと記念撮影できそうですね。なお、今年も動物のイルミネーションや「光の水族館」のイルミネーションの一部がマイナーチェンジした他、太陽光発電を使った動物イルミネーションも登場します。

 「パルテノン大通り」の十字路のど真ん中に位置する「センターランドツリー」のイルミネーションは、2021年12月25日まで開催されます。今年も多摩市の友好都市「長野県富士見町」から寄贈された本物のモミの木を使用したクリスマスツリーが飾られています。ツリーの周りでは路上ライブが開催されており、若者たちが大勢集まって騒いでいました。

 雑誌『東京人』1月号が、特集「進化しつづける多摩ニュータウン」を組んでおり、この多摩の町の発展がよく分かりました。キティちゃんでおなじみの「サンリオピューロランド」ベネッセ東京本社ビルの責任者のインタビューも面白く読みました。♥♥♥

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「ルミナリエ」代替イベント

 例年だと、この時期には私はいつも神戸にいました。メリケンパークの「ホテルオークラ」に泊まって、阪神・淡路大震災の犠牲者への鎮魂を祈る「ルミナリエ」(1995年~)を見るためです。1.17の思いを忘れることなく、希望の光が今も生かされていることに感謝しながら、大行列の中を歩いておりました、

 その阪神・淡路大震災の犠牲者を追悼する光の祭典「神戸ルミナリエ」が、新型コロナウイルスの影響で、昨年に続いて中止となりました。2年連続です。その代替イベントが12月3日、神戸市中央区の東遊園地などで始まりました。イタリア語で「バラ窓」を意味する直径約3メートルの電飾作品「ロソーネ」などが点灯され、訪れた人たちは優しい鎮魂の光に見入っていました。12月12日(日)まで開催されました。今回の「ロソーネ」は、歴代25基の中から9基を、イタリアから空輸で取り寄せました。設営はいつもなら、イタリアから機材を選び、多くのイタリア職員の手によって作られます。2年連続で中止となった背景には、コロナ禍でイタリアから職人を呼ぶことができない、という事情もあります。2年連続の中止は寂しい限りですが、こんなご時世なので仕方がありませんね。来年こそは以前のような美しい光のアーチを見に行きたいものですね。

 2019年の「神戸ルミナリエ」には、約347万人が訪れましたが、会場の密集などを理由に2年連続で中止になりました。それはもうすごい人混みですからね。昨年の代替行事では、東遊園地に光の聖堂「カッサ・アルモニカ」を設置しましたが、東遊園地がリニューアル工事に入るため、今年は展示を見送り、密集を避ける分散型の行事にしました。事業費は昨年と同規模の約4,500万円で、兵庫県と神戸市で負担しました。

 今回、展示されているのは、イタリア語で「バラ窓」を意味する「ロソーネ」という作品で、直径3メートルほどで左右対称の形をしています。この「ロソーネ」は、「神戸ルミナリエ」で、長さ200メートル余りにわたって続くアーチ型のイルミネーションの「ガレリア」の最終地点、高さ10メートル余りの場所に設置されてきました。今回のイベントのために、過去25回の中から9つの作品がイタリアから空輸され、白熱電球が使われていた平成27年以前の作品をすべてLED電球に作り直したということです。市内の7つの会場に分散して展示されました。組織委員会では「コロナ禍で密を避けて市内の周遊を楽しんでもらいながら、阪神・淡路大震災のことに思いを寄せてほしい」と話しています。

 今回のイベントの7つの会場と展示された作品は、次の通りです。♥♥♥

▼東遊園地、震災が起きた平成7年の第1回の作品「希望」。
▼三宮センター街、平成9年の「南の太陽」。
▼南京町、平成18年の「繁栄」。
▼元町通1丁目のHITODE交差点、平成19年の「ダイヤモンド」。
▼メリケンパーク、東日本大震災の起きた平成23年の「四つ葉のクローバー」と平成30年の「神の目」。
▼神戸朝日ビル、平成27年と28年のいずれも「サファイア」。
▼神戸ポートミュージアムの南側緑地、令和元年の「エメラルド」。

 

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『Bird’s-eye総合英語』再び

 先日、私は鷹家秀史(たかいえひでし)先生監修の最新刊『Bird’s-eye総合英語』(エスト出版)をご紹介しました。⇒コチラです  そして11月13日(土)の私のオンライン講演会でも、この本を取り上げさせていただきました。

▲11月13日(土)の私のオンライン講演会のスライドより

 「覚えておきなさい」ではなく、「なぜそうなるのか?」にこだわった画期的な参考書です。一例を挙げてみますと、If it were not for~がなぜ「もし~がなければ」という意味になるのですか?、と生徒に質問されて、先生方はどう回答されますか?不定詞のところでよく出てくる、人の性質を表す語が使われたときは、意味上の主語はforではなく、ofで表すという事項はどう説明されていますか?こういったことを全て生徒に詳しく説明しようとは思いませんが、教師は一応解答をちゃんと用意していないといけません。そういう意味で、自分の言語観をもう一度再確認してみるには、この本は最高の学習参考書だと感じています(コラム記事「Eagle’s eye」と、特に第2部がよい)。私の紹介のブログ記事がエスト出版の目にとまり、同社のホームページで、私の紹介記事にリンクを貼っていただいています。⇒コチラです

 監修者の鷹家先生がこの本への熱い思いを語っておられる映像が二本公開されていますので、ぜひご覧ください。先生がどのような思いでこの画期的な参考書を執筆なさったかがよく分かる解説映像となっていますよ。♥♥♥

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たまご工房「風見鶏」

◎週末はグルメ情報!!今週はたまご屋さん

 今日は小川養鶏場が直営のスイーツのお店「たまご屋工房 風見鶏」(かざみどり、鳥取県西伯郡大山町)に連れて行ってもらいました。これで三回目の訪問です。木を基調とした温かみのあるお店です。無農薬のトウモロコシや無農薬米を飼料として与えた鶏「さくら」の卵を使った、まろやかなシュークリームを食べました。さくらたまご」はその名の通り、殻は淡いピンク色。純国産鶏を雛から育て、エサはトウモロコシ(遺伝子組み換えなし)、魚粉、地元鳥取産の飼料米・米ぬかなどを与えて飼育しています。卵の特徴は、卵の殻が硬く、鮮度保持力も高く、卵黄が大きい、品質が高いんです。双子の卵の確率も高いのも特徴の一つです。場所は、山陰道名和インターを下りて、道の駅「大山恵みの里」を過ぎてすぐのところにあります。この看板が目印!週末だけでなく、平日でも、閉店近くには売り切れしてしまう人気店だそうです。シュークリーム、チーズケーキ、マドレーヌ、カステラ、焼きドーナツ、ロールケーキなどなど、美味しそうなものがたくさん。たまご屋さんだからもちろん「たまご」もたくさん売っていますよ。イートインではたまごかけご飯も食べることができます。新鮮な卵を生産し、直営販売しておられることで有名で、とびきり人気なのがシュークリームなんです。

 プリン(210円)は、元サッカー日本代表の前園真聖さんも食べたプリンです。卵の味を前面に出すためにバニラビーンズなどを使用せず、卵、砂糖、牛乳だけのシンプルな味わいに仕上げています。素朴な味わいとなめらかな食感が楽しめる一品です。朝採れの新鮮なたまごを使用しています。一番人気は、なんと言っても「シュークリーム」(200円)です。まず見てびっくり。そして、何よりも大きい!握りこぶし・ソフトボールの大きさくらいはあるでしょうか。この大きさの理由は、「とにかく卵をたくさん食べてもらいたい!という一心で大きくなってしまいました。実は私、この店のスイーツをお菓子だと思っていないんです。全部卵が形を変えたものだと捉えています。ですので当然、卵を使っていないスイーツはありません」と社長。オーダーしてからその場でクリームを詰めてくれるので新鮮そのものです。一般的なシュークリームの2倍以上120グラムのクリームがぎっしりと詰まっています。食べるときには、中からカスタードクリームがこぼれ落ちてきます。サクッ、カリッとした食感と、とろけるクリームがお口の中で融合して、至福のひとときでした。これが新鮮卵の成せる技なんでしょう。

▲中からカスタードクリームがこぼれ落ちそう…

▲このラムレーズンのドーナッツが最高なんだ!

 他にも、マドレーヌ、カステラ、焼きドーナツなどスイーツがたくさん並んでいました。私はその中で、ラムレーズン」の焼きドーナツ(200円)をいただいたんですが、これが絶品。最高の味でした。

 専務の小川洋輔さんと代表取締役の小川暁洋さんが、兄弟で「小川養鶏場」と直営店の「風見鶏」を切り盛りしています。自然豊かな大山町加茂に小川養鶏場が生まれたのは、昭和35年のこと。お二人のお父様が始められました。「父は元々、岐阜で獣医をしていました。当時、境港の養鶏所に呼ばれて何度か往診をしたそうなのですが、その養鶏所の娘と父が結婚して私たちが生まれ、大山町に養鶏場を作りました。だから、一応私は3代目になりますね」幼い小川兄弟の周りにはいつも鶏や雛たちがいたそうです。「養鶏場はもう遊び場のようなものでした。ヒヨコ達を両手に乗せて輪の中に入れたりしていました。本人達は遊んでいるつもりでいましたが、今思えば移動などのお手伝いだったりしましたね」こだわっているのは鶏にストレスを与えないこと。「お客様のためになっているのかを常に考えなさい」が口癖だったお父様から養鶏場を継いだ小川兄弟。お二人の話を聞いていると「お客様」のためだけではなく、「鶏」のためになっているのかも常に考えていることがわかります。その理由の一つが飼料です。「防虫・防カビ処理をしていないトウモロコシ(NON-GMOコーン)を中心に魚粉や牡蠣殻、飼料米などを独自に配合しています。魚粉には境港のイワシを使っていますが65%という高い濃度にしています。魚粉は卵にコクを与えてくれるんです。また、牡蠣殻は広島産、飼料米は鳥取県の南部町産という具合にできるだけ地元のものを与えています」風見鶏の店内では、飼料の一部を実際に見ることができます。同時にこだわっているのは「鶏にできるだけストレスを与えないこと」暁洋さんは語ります。鶏をある程度育ってから育てるのではなく、生後すぐから育てるのも小川養鶏場流。洋輔さんは例え話を用いながら説明してくれました。「極端な話、沖縄で生まれ育った鶏を急に北海道に連れて行ったら環境の変化で弱ってしまいますよね。そうならないよう、生後2~3日からうちで面倒を見ます。こちらの気候風土に雛の頃から慣れさせることで、病気にも強くなると思います」さらに、太陽光や風といった自然や四季が感じられる開放鶏舎を採用。それによって管理の手間は増えますが、「人間だって窓のない部屋でずっと生活するのは嫌ですよね。鶏も同じだと思います」

 出荷先は基本的に県内のみ。「地元の人に喜んでもらうのが私たちの仕事です」と二人は口を揃えます。真摯に鶏と向き合い、手間暇かけて作られた卵とその卵をふんだんに使ったスイーツ、食べてみたいと思いませんか?まだの方はぜひ一度、風見鶏」を訪れてみてください!♥♥♥

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ポケモンセンター

 松江駅の「待合室」(待合室といっても椅子を数個置いただけの粗末なものですが)に、突如としてポケモンの巨大なパネルが出現しました(写真上)。「何だろう?!」と思って聞いてみると、構内の「シャミネ松江」の中に、「ポケモンセンター出張所」が期間限定で出店しているんだそうです(11月3日~12月12日)。オープン時にはそれこそ大行列ができたそうですよ。ポケモン人気ですね。

 のぞいてみました。ポケモングッズが大量に大集合しています。「Pokémon fit」をはじめ、たくさんのぬいぐるみ、文房具や雑貨など、ポケモンセンターのオリジナル商品を購入することができます。ピカチュウと一緒に記念撮影ができるフォトスポットや、館内にポケモンたちがたくさんいるので探してみてください。期間限定で終了間近なので、早めに行ってみてくださいね。お子様のクリスマスプレゼントにしてもよさそうですね。大人も子供も喜ぶこと間違いなしのお店でした。

 ちなみに英語では、Pokemonポゥキモン」と発音します。ポケモンの漫画、アニメに言及する場合には、Pokemonのままで、通じます。Pocket Monstersとは言わないようです。I’m playing Pokemon.と言いますが、場合によってはそのゲームの種類、タイトルなどを示す必要となるかもしれません。♥♥♥

(例)
 Basically, I’m playing “Pokemon Go” every day! 
 I can’t wait to play “Let’s Go, Pikachu!” in a couple of months.

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「コナン駅」

 鳥取県北栄町は、漫画「名探偵コナン」『週刊少年サンデー』連載中)の作者青山剛昌(あおやまごうしょう)先生の出身地です。そのお膝元JR由良駅「コナン駅」と命名され(2013年12月)、観光スポットしても人気を博しています。一度行ってみたいと思っていましたが、今日念願が叶いました。駅は島式2面3線のホームを持つ地上駅で、通過列車(上下本線)は1番線を通過します。単式ホームに面して駅舎があり、島式の2・3番のりばへは跨線橋で連絡しています。有人駅で、駅舎内には自動券売機を備え、一部の時間帯を除いては窓口発券も行います。

 駅の中は地方の駅らしく、人も少なめでほのぼのしているかと思いきや、ホームに降り立って、振り返ると階段がコナン仕様となっています。

プラットフォームの標識もコナン駅!

   プラットホームの標識も、コナン仕様でした。ホームの至る所にはコナンが出迎えてくれます。

 電車が入ってきても、こんな感じ。和やかな風景の中に、堂々たるコナン「待合室」。とにかく至る所にフォトスポットがいっぱいです。一度訪れたら忘れることのできない、インパクトにあふれる駅でした。

 駅舎の中に入ると、天井も見逃せません。駅舎の天井にもコナンくんがたくさんいるんです。目がチカチカしてきますね。

 JR由良駅の天井

 駅舎内のロッカーや、屋外にあるロッカーコナン仕様となっていました。

 駅舎内のすりガラスにもコナンがいました。窓に透けるコナンくんです。

 JR由良駅横には「観光案内所」があり、コナンに会うための観光マップがもらえます。コナングッズも所狭しとたくさん置かれています。絶対に立ち寄りましょう。

 JR由良駅を外から眺めると、コナン駅のほうが、文字が大きいですよ。魂をコナンに売り渡してしまったか、由良駅

 「真実はいつもひとつ!」コナン君と写真を撮りましょう。駅前正面にはコナンくんの大型オブジェが。

 こんなところにもコナンたちがいます。トイレ案内のシルエットも見逃せません。こ、これは。コナン&蘭ねーちゃん。ツノでわかっちゃいますね。「コナントレイン」の新型車両のトイレにもこの表示がありましたね。

 まるでコナンに乗っ取られたかのような駅でした〔笑〕。♥♥♥

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発刊!『重要問題演習リーディング2023』

 去る11月1日に、最新刊『2023共通テスト重要問題演習英語リーディング』『2023共通テスト重要問題演習英語リスニング』の2冊が、ラーンズより刊行されました。「共通テスト」の出題方針・出題様式を踏まえて、分野別に基礎の定着をはかり、「共通テスト」で求められる思考力・判断力・表現力の土台を養成するための教材です。「問題冊子」、「解答・解説」、「別冊ナビゲータ&チェック」の3冊から成り立っています。今年の第1日程・第2日程の問題を徹底分析した上で、最新傾向に準拠した内容になっています。分野別に基礎の定着を図り、思考力の土台を養成する教材です。もうすでに早々とご採用いただいた学校もあります。

▲最新傾向を捉えた「戦略的な解き方」を教えてくれる冊子

 「共通テスト」「勉強の仕方」を生徒たちに伝えるという点では、この冊子「ナビゲータ&チェック」(解説:八幡成人)がお役に立つと思います。各大問への迫り方・解答のポイントなどを詳しく分かりやすく解説しており、現在、全国のたくさんの生徒さんたちに使っていただいております。素材文に応じた効果的な「読み方」ができ、「設問の特徴」を知った上で、戦略的な「解き方」ができるように、2021年1月16日実施の第1日程の問題を徹底解説しています。また巻末には、「つなぎ語」「性格・心情を表す形容詞」「意外な意味を持つ単語」などのリストが掲載されており、重要表現・語彙を総復習できるようになっています。先生方からも「この冊子があるのでこの問題集を採用した」というお声を頂くことが多く、嬉しく思っております。今では各社がこのような解説冊子を作っておられますが、初めてこのような形の解説記事を載せたのは、(株)ラーンズが元祖です。心臓の手術の退院からまもない時期に、思いを込めて原稿を書いた当時が懐かしく思い出されます。主な特長を約3分の動画で解説したものを、昨年度作りましたのでぜひご覧ください。

 11月13日(土)に実施されたオンライン講演「2023大学入学共通テストに求められるチカラとは(英語)~なぜ今(3年生0学期よりも前)から指導しなければならないのか~」(ラーンズ主催)において、私は「共通テスト」で受験生の一番の悩みを取り上げました。それは「時間内に最後までいかない!」というものです。

▲後ろにあるのは「サンリオピューロランド」で描いてもらった私の似顔絵です。

 最後まで行かない人には、実は2つのタイプがあって、そのどちらかによって対策も変わってくるんです。まず1つめのタイプは、「時間を延ばしても点数が取れない人たち」です。もう1つは「80分ではきついけれど、もうちょっと時間さえあれば高得点の取れる人たち」です。自分がどちらに属するのかによって、その対策も変わってきます。最初のタイプの人は2年生の今の時期から始める必要があります。後者の人たちはメリハリをつけて英文を読む訓練を徹底するとよいと思います。

 その原因の大きなものは四つあります。一つは「語彙力不足」です。英文を読む際に、知らない単語が出てきたら目線がそこで止まってしまいます。知らない単語の度に止まっていたら、どうしても読むスピードはガタンと落ちてしまいますね。だから語彙力を磨く必要があるのです。二番目は「文法力不足」です。単語と同様に基本的な文法事項(例えば、仮定法、分詞構文、時制、前置詞など)が分かっていないと、英文を読む際に時間が多くかかってしまいます。三番目が「形式への慣れ不足」です。「事実」と「意見」を峻別する問題、複数の情報を統合して答える問題、書いてないことを推測して答える問題、複数解答、タイトル付け、要約など今までになかったタイプの問題が多いですから、これに慣れておく必要があるのです。四番目は「時間配分の意識の希薄さ」です。センター試験の時よりも長文2題分は分量が増えているのですから、スピード感を持って読まないと最後までは終わりません。それには各大問をおよそ何分くらいで処理すればよいかを、大雑把に頭に入れておく必要があると思います。全体のペース配分が重要なんです。センター試験時代は、「大問を解く順番を変えれば何とかなる」などという小手先のテクニックがアドバイスされたこともありました。「共通テスト」ではそんな姑息なやり方は通用しません。英語の力をつけて、今述べた四つのポイントを克服しない限り、最後まで行くことはないでしょう。語彙力、文法力、形式への慣れ、時間配分、この四つです。

◎2年生3学期からの「共通テスト」対策指導事例が! 

 高校2年生3学期からの「共通テスト」対策(英・数・国)の「全国の指導事例」が、このほどラーンズのウェブサイトで公開されました。指導方針、共通テストへの対応、指導の流れなどが詳しく解説されています。ご参考になる資料だと思いますので、ぜひご覧ください。⇒コチラからダウンロードして読むことができます

 なお、私の上のオンライン講演「2023大学入学共通テストに求められるチカラとは(英語)~なぜ今(3年生0学期よりも前)から指導しなければならないのか~」(ラーンズ主催)を聞き逃した先生方は、1月31日まで録画でご覧いただくことができます。この時期のご指導にお役に立つ情報が盛り込まれています。まだご覧になっていない先生方は、ラーンズのホームページ(⇒コチラ)よりお申し込み下さい。なおその際に、11月13日付けの私のブログに(⇒コチラです)ダウンロード連動企画として、講演内で触れた追加資料が利用できるようになっていますので、こちらもご参考になさってください。♥♥♥

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鬼束ちひろ逮捕

 「月光」を歌っていた頃の鬼束ちひろさんは、本当に輝いていましたね。2000年2月に「シャイン」でデビューした鬼束さんは、仲間由紀恵&阿部 寛出演のTVドラマ『TRICK』の主題歌に、「月光」が起用されたことによって、その名前が知られるようになりました。「月光」を歌っていた頃の鬼束さんからは、彼女の魂で歌い上げるようなパフォーマンスに鳥肌を立てる人も多かったものです。歌い方や歌声にも特徴があったことから(裸足だった!)インパクトがあり、歌を聞いたり、見る人を釘付けにするようなシンガー・ソングライターでしたね。初アルバム『インソムニア』は約150万枚の大ヒットとなりました。私も大好きで応援したものでした。昔はいい歌を歌っていたんです。それが…。

 2002年、『This Armor』というアルバムをリリースして、二度目の全国ツアーを行っているときのことだった。いつもの緊張、いつもの不安。その日も緊張のあまりどうにかなりそうな状態で、ステージに向かった。オープニングの音楽が鳴る。緊張感は最高潮に達する。ゆっくりと幕が開いて、深呼吸をしながら顔を上げたそのとき、目の前に広がる光景に思わず息を飲んだ。うわっ、悪魔だ!あろうことか、会場を埋め尽くしたお客さん全員の顔が、悪魔に見えてしまったのだ。わざわざ私の歌を聴きに来てくれた人たちには、本当に申し訳ないと思うんだけど。何々?いったい何が起こったの?まるでホラー映画の中に放り込まれたような気分だ。右も左も、手前もずっと後ろの方も悪魔の顔、顔、顔…。私は悪魔に囲まれて、ぽつんとステージの中央に立っていた。歌なんか歌っている場合じゃない。今すぐここから逃げ出さないと!だけど金縛りにかかったように、その場を動くことができない。私んおなかの何かが、逃げ出したい気持ちを必死に抑え込もうとしていた。じいっとコチラを見つめている大勢の悪魔を前に、生け贄にされた少女のようにおっかなびっくり歌を歌う。足がすくんで、マイクを持つ手がガタガタと小刻みに震えている。襲われる…、早く逃げなければ。だけど、こんなバカなことがあるはずない。きっと悪い夢に決まっている。そう言い聞かせて、声を絞り出す。でもやっぱり本当に襲われるかも…。思考は振り出しに戻ってしまう。歌に集中することなんて、とてもじゃないけどできやしない。早く終われと念じながら、義務的に歌い続けるしかなかった。

 結局悪魔は襲いかかってこなかった。ライブが終わって、生け贄は無事解放されたのだ。奇跡の生還!不思議なことに、周りの人たちは「良かったね」とか「おつかれさま」とか、いつも通りのことしか言わなかった。悪魔の「あ」の字も出てこない。あれはやっぱり、幻だったのだろうか。起きながら、悪魔を見てしまったってこと?普段と変わらない周りの人たちの様子を見ていると、疲弊し切っていた私は何も言い出すことができなかった。こんなことは、もう二度と起こりませんように。そう思って、自分の胸にそっとしまっておいた。   ―鬼束ちひろ『月の破片』(幻冬舎、2011年)より引用

 お客さんの顔が突如として悪魔に見え、マイクを持つ手が震え出すというような状況を何度も味わった鬼束さんは、医師から「パニック障害」と診断されました。状況は改善するどころか、周りのスタッフや友達さえも怖く感じるようになってどんどん悪化していきました。移動中の飛行機の中でパニックを起こし「今すぐ降ろして!」と泣き叫んだこともありました。2003年には声帯結節を患い活動を休止。その後、事務所をいくつか移籍しながら、2007年に活動再開しますが、休業を挟みつつ活動を続けていました。ところが、2010年8月18日、鬼束さんは自宅マンションで同棲していた男性に全治1ヶ月の暴行被害を受けます。芸能人がDV被害によって警察沙汰になったことはこれまでになかったことでした。被害状況は、流血状態にあったと言われているほどです。そのことをきっかけに自傷行為に走っていたという噂も。彼氏からのDVがきっかけで、心を病み始めたのでしょう。暴行事件の影響から精神が再び不安定な状況に陥り、体調不良での音楽活動休止や復活を繰り返していたようです。以前にも大量の薬を服用して自殺未遂をした経験がある、ということが著書にも書いてあります。その後も、「和田アキ子殺してえ」「伸介殺してえ」とネットでつぶやくなど、奇行で大騒ぎに発展したこともありましたね。

 鬼束さんは、2011年4月20日に自伝エッセイ『月の破片』(幻冬舎)を発売しています(彼女が発表したのはこの1冊だけで、在庫薄でプレミアがついています)。これを読むと、清楚なイメージの「鬼束ちひろ」を裏切るような強烈なエピソードばかりが出てきます。鬼束さん自身、清楚なイメージが大嫌いだったようです。本当は派手好きで気が狂ったかと思われるようなコーディネートが好きなのだということです。どんどん派手なメイクに変わっていったのも、これが本来の姿だったんですね。世間の認識する鬼束ちひろと、本来の自分で苦悩した鬼束ちひろが辿り着いた過程がしっかりと書き込まれていました。「自他共に認める暴れん坊」「自分のことを暴れん坊冬将軍って呼んでいる」「私に嫌な思いをさせた相手のパソコンを思い切り蹴ったら、バラバラに壊れていた」「彼氏とケンカした時はラーメンをぶっかけた」「父とケンカして傍らにあった「フマキラーを、父に向かって無言でシューッと吹きかけた」 彼女の本当の姿を理解するには、絶対の1冊です。私もここら辺から、どんどん距離を置くようになりました。

 その鬼束ちひろ(41歳)さんが、先日、東京 渋谷区の路上で救急車を蹴ったなどとして器物損壊の疑いで逮捕されました。 警視庁によりますと、11月28日午後4時半ごろ、東京 渋谷区恵比寿西の路上で救急車を蹴ってドアを破損させたとして、器物損壊の疑いが持たれています。救急隊から通報を受けた警察官が駆けつけて事情を聴いたところ、蹴ったことを認めたため、その場で逮捕しました。調べに対して「パチンコ店にいたところ、友人の体調が悪くなりけいれんを起こし倒れたため救急車を呼んだが、通行人に嫌みを言われてパニックになった」などと供述しました。救急車を蹴ったとして器物損壊の疑いで警視庁に現行犯逮捕され、その後、処分保留で釈放され、公式サイトなどで事件後初めてとなるコメントを発表しました。鬼束さんは自筆で「この度は、私の不適切な行動により、多くの皆様にご迷惑をおかけしました事を、心よりおわび申し上げます。深く反省しております 鬼束ちひろ」とコメントしました。また、事務所コメントとして、「既に報道されております通り、弊社所属の鬼束ちひろは、2021年11月28日に救急車を蹴り、器物損壊により逮捕され、その後、同月30日に釈放されました。まずは救急車を蹴るという行為によって業務への支障と多大なるご迷惑をおかけいたしました救急隊員の皆様、東京消防庁の皆様に対しまして、深くお詫び申し上げます。また、本件によって、多大なるご迷惑とご心配をおかけいたしました関係者の皆様、そして、日頃より鬼束ちひろを応援していただいております皆様に対しましても、深くお詫び申し上げます」と謝罪。「鬼束ちひろの今回の行為につきましては、弁明の余地もない行為であり、本人自身も深く反省しているところでございます。今後二度とこのようなことが起きないように、鬼束ちひろ自身、今回の件に関し、更なる反省と自覚を持つよう、弊社といたしましてもそのための対応をしていく所存です」としました。

 「昔から何かしゃくに障ると、その辺にあるものをやたらめったら蹴っていました。蹴る対象のものは何でもよくて、それこそ“けり癖”とでも言っていいようなもの。だから、今回の報道を聞いたときには、キレたときに、たまたま近くにあったのが救急車だったのだろうなと思いました」という「鬼束キック」の関係者の証言もあります。♥♥♥

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SARASA NANO

 ゼブラから、極細ジェルボールペン「サラサナノ」が、2021年11月5日より数量限定で発売になりました。「サラサ」は2000年に発売を開始した、ジェルインクの特性を活かした鮮やかな発色と、さらさらとした書き心地が特長のボールペン・シリーズで、私も愛用しています。書き味がなめらかなのが一番のポイントです。代表的な商品「サラサクリップ」は、学生から社会人まで幅広く愛用され、ジェルボールペンの中でも9年連続売上No.1であり、累計販売本数8億本(2020年9月時点ゼブラ出荷実績)を達成したボールペンです。ボールペンには、線幅の太さによってさまざまなボール径がありますが、近年、手帳の小型化などが背景となり、細く書ける極細タイプのボールペンの人気が高まっています。しかし従来の極細ペンでは、小さなペン先に筆圧が集中して、紙にペン先がめり込んでしまい、筆記時にガリガリすることが多く、インクが安定して出にくいという課題がありました。

  今回新発売された「サラサナノ」は、外からは見えませんが、ボールペンの内部にスプリングを加えた『うるふわクッション』を採用し、その課題を解決しています。これは書いているときの筆圧に伴って発生するガリガリ感を低減させるために採用されました。スプリングにより中芯を動かし筆記時のガリガリ感を吸収する。ペンの上部にスプリングを加えた機構を採用しました。筆圧に応じて中芯を上下に動くようにしたことで、筆記時のガリガリ感がスプリングで吸収されて、ペン先の紙へのひっかかりが少なくなり、インクが安定して出るようになりました。極細ペンでもさらさらとした書き心地で、くっきりキレイな線を書くことができます。さらに32種類のラインナップと豊富な色数で、さまざまな色を組み合わせて表現豊かによりカラフルに書くことができます。「サラサナノ」は細かいところにもくっきりキレイに書けて、手帳に色分けして書き込んだり、日記をかわいく装飾したり、よりカラフルに表現することができます。

 デザインでは、ジェルインクのみずみずしさを、クリップやノックの透明部分で表現しています。クリップ部分が箔押しのロゴが浮き立って奥行きを感じるところが気に入りました。また、金属製の先端部分は、書いているところが見えやすいような形状にし、ほどよい低重心を実現しています。替え芯は、黒・青・赤・ブルーブラックの四種類が用意されています。

▲つい何色も買ってしまう

 最大の注目ポイントは、新しく搭載されたバネ機構部分ではありますが、このペン、それだけではありません。一番定番であるサラサクリップのウィークポイントであったリアヘビーを解消すべく、ペン先の部分に金属製コーンが採用されていて高級感を演出し、低重心になっていて、かつ、先端が細く加工されているので筆記時に書く部分の視野が広くなっていて、ペン先が見やすくなっている点が見逃せません。グリップ部分も従来のサラサよりも改善しています。極細系のペンは筆圧が強めな人間にとってはカリカリ感が強くて苦手であったけれど、スプリングを内蔵したこの「サラサナノ」であれば、かなりカリカリせずにスラスラと書けてしまうのではないかと期待できます。私は東京の東急ハンズで買い求めてきました。最近、松江でも並んでいます。

 元になっている「サラサクリップ」(110円)からすると、2倍の価格(220円)ですが、口がねを金属にすることで、低重心と高級感を演出しており、強すぎる筆圧と振動を吸収する「うるふわクッション」というバネ機構を搭載しているスムーズな書き心地を考えれば、決してお高くはないと思います。私はつい何本も買ってしまいました。♥♥♥

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ナポレオンズパルト小石逝去!

  テレビ番組「笑点」の演芸コーナーなどに出演し、活躍していた2人組マジシャンコンビ「ナポレオンズ」パルト小石(本名:小石至誠、写真左)さんが、10月26日に肺炎のため亡くなりました。69歳でした。そういえば、最近テレビで姿を見ることがないなあー、と感じていたんですが、闘病しておられたんですね。2019年10月に、急性リンパ性白血病を発症したことを公表。昨年7月に寛解して退院しましたが、8月に再発。10月に造血幹細胞移植のため転院し、12月に臍帯血移植を受けました。今年6月に帯状疱疹を発症し、9月9日に肺炎のために緊急入院していました。訃報を受け、相方のボナ植木さん(写真右)が、公式サイトで追悼コメントを発表しました。

<ボナ植木さんのコメント>

〜相方、パルト小石への届かない手紙〜

拝啓、ご無沙汰しています。久しくお会いしてませんでしたね。2年はお目にかかっていない。たまたまコロナと重なっていたからね。だからあなたの元気な姿しか記憶にありません。しかもテレビの再放送や写真は最近までみていたし。それはともかく、長い間、ありがとう!だ。そしてお疲れ様でした。

思えばあなたをプロマジシャンの世界に誘ったのは私ですね。せっかくセールスマンの職業についていたのにね。その点は悪かったな。でも私にとってはよかったと思っている。あなたを引き入れて。私はいいカンをしていた。なぜならばあなたがいたおかげで日本でも世界でも通用するマジシャンになれたと思っている。あなたがいなければここまでやってこれなかったよ。感謝しかない。

きっと今頃は先に逝ったマジシャンたちと再会しているだろう。そしてあの得意技をみんなに久しぶりに見せてやってくれよ。あの人にもあの人にもそしてあのマジシャンにも。大ウケに違いない。

あなたとの思い出は山ほどある。ありすぎるな。。。ここでは語りつくせない。いつか私もそっちにいくだろう。。。そのときに、じっくり語り合おうぜ。一杯のみながら。それまではみんなで楽しくやっていてくれ、そしてこっちの世界を見守ってくれよ。長い間、本当にありがとう。感謝あるのみだ。そして最後にあなたにかわって。。。ナポレオンズのパルト小石ファンの皆様、長い間ありがとうございました。感謝、感謝、感謝です!


 専修大学マジック同好会の同級生だったボナ植木(69歳)とコンビを結成して、1977年に「マジック・ナポレオンズ」としてデビューしました。ナポレオンズ」の由来はブランデーの「ナポレオン」からだそうです。主に植木さんがマジックを担当し、小石さんがおとぼけトークで盛り上げるスタイルで人気を集めました。「あったまぐるぐる」「空中浮遊」などのネタで知られ、「笑点」の演芸コーナーに数多く出演しました(マギー司郎に次いで出演回数第2位)回する。こういった演技だけを見ていると、お笑いマジシャンのように思われますが、どうしてどうして、世界大会で数々の受賞歴のあるしっかりした本格派です。18番は、専用のマジック道具を小石さんの頭にかぶせてぐるぐる回し、頭がまるで360度回転しているように見える「あったまぐるぐる」のネタでした。♠♣♥♦

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東京ギフトパレット 東京ラスク

 JR東京駅の八重洲北口改札を出てすぐ目の前。仕事の手土産に、家族へのお土産に、自分へのご褒美に、どんなニーズにも応える30以上の専門店がそろう「東京ギフトパレット」の中に、私の大好きな「東京ラスク」のお店が、3月に出店しました。以前は、東京駅「大丸」デパートの地下で「東京ラスク」を買って帰っていたのですが、前回訪問した時には閉店してしまっており、不便を感じていました。充電期間を経てパワーアップした東京ギフトパレット店」には、多くのお客さんが訪れていましたよ。

 「東京ラスク」は、厳選された数種類の小麦粉を独自にブレンドし、サクサク食感にこだわって仕上げたラスク専門店です。ほかにも、芳醇な風味を出すためにバターの上澄みだけを贅沢に使用するなどこだわりが詰まっており、季節限定の味など数多くのラスクをご用意しています。

 その商品の中でも一番人気は、たっぷりのスライスアーモンドに芳醇なキャラメルをコーティングしたとっても香ばしい「プレミアム・アマンド」です。数あるラスクの中でも、私はこれが一番好きなんです。実はこの「プレミアム・アマンド」で使っているスライスのアーモンドは、これまで手作業で振りかけていましたが、機械化したことで均等に散りばめられ、より美味しさが引き立つようになりました。さらに、隠し味にフランス産の塩を使っているので、キャラメルの甘さが引き立つ一方、後味が甘すぎず男性のお客さんにも好評だそうです。幅広い年代に好評を博している「東京ラスク」でした。小分けのラスクも各種販売されており、お土産づかいに便利ですね。今回もお土産に買って帰りました。♥♥♥

 

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中島孝志の道具箱

 以前、島根県の最西端・津和野高校に勤めていた頃、福岡市「ジュンク堂書店」で見つけてきた本に(三年間で、37回も博多に通いました!)、中島孝志(なかじまたかし)さんの『仕事の道具箱』(青春出版社,2006年)があります。この著者との初めての遭遇でした。内容に感動した私は、若い先生方に、この本を配って宣伝した記憶があります。仕事に対する迫り方のイロハを、この本で教えていただきました。

 同じ仕事をしていても、人によって仕事が遅い人もいれば、効率よく処理する人もいます。仕事を進めていくうえで、自分の仕事効率をもっと良くしたいと感じることがよくあります。本書はビジネスのさまざまな場面で役立つノウハウをまとめた本で、ノウハウを「道具」に見立てて紹介しています。ノウハウを10個の“道具箱”に見立てて解説していました。箱の中には、気持ちよく仕事をするための「段取りの道具箱」や、情報収集の達人になるための「情報の道具箱」、心をリフレッシュさせるための「癒しの道具箱」などがありました。さまざまな状況に対応できるスグレモノのノウハウを集めた面白い本でした。今では文庫本(青春文庫、2006年)で安く買うことができます。以来、私はこの著者の本は、新刊が出るたびに買い求めて読んできました。期待が裏切られたことは一度もありませんでした。

 著者・中島孝志さんの『一流のプロの“頭の中”にある仕事の道具箱』(青春出版社、2015年、税別1350円)は、上の本の続編とも言うべきものです。10個ある各道具箱に、7~10個のノウハウがつまっています。見開きのページで、分かりやすい図表とセットで解説しているので、ずいぶん読みやすくなっています。書いてあることをそのまま使うもよし、自分流にカスタマイズするもよし。使い方次第で、仕事の効率はグンと変わるはずです。仕事術のカリスマ中島さんが、3万人を取材した中から、一流の仕事をする人たちに認められてきた100個のビジネスノウハウを「道具」に見立てて詰め合わせた一冊となっています。図解思考、マインドマップ、ポスト・イット術、オズボーンのチェックリスト、時間軸マトクッリクス、速読術、to do list、課題分割法、トヨタ式カイゼン、フィッシュボーン図、ゴール、ロジカルトーキング、ブルーオーシャン戦略……。あの思考法、ビジネススキルが「図解」で分かりやすく構成されています。これ1冊で仕事が劇的に速くなる!どんどんアイデアが湧いてくるすごい本です!著者・中島さんのプロフィールは次の通りです。


¶中島孝志(なかじまたかし)―
 東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。南カリフォルニア大学大学院修了。出版社編集職を経て独立。経営コンサルタント、経済評論家、ジャーナリスト、出版プロデューサー、大学・ビジネススクール講師等で活躍中。原理原則研究会、松下幸之助経営研究会、日曜読書俱楽部などセミナー・勉強会を数多く主宰。著訳書は270冊、出版プロデュースは延べ500人を超える。


 中島孝志さんのホームページ「キーマンネットワーク」は、とても参考になりますよ。⇒コチラです ♥♥♥

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エイリアンカード

 もうずいぶん前に、東京マジックから、Jim Pace & Steve Dobson「Alien Autopsy」(A-1 Multimedia)というエイリアンをテーマにしたマジックを購入しました。エイリアンが地球を侵略する!?これはかの有名なロズウェル事件」をモチーフにしたパケット・トリックで、最後にはなんと、衝撃の結末が待っていました!!ラミネートされたとても綺麗なカードで、現象もストーリー性に富んでいて素晴らしいと思えたので、若い頃にはずいぶん演じたものです。そのストーリー性地球に、宇宙人が一人また一人と侵入してくる。彼らは全員が入国許可証を持っている。でも最後には捕まって解剖実験に回されて殺されてしまうが、とても気に入ったので、カードが痛まないうちに、もう2組ほど買っておいた記憶があります。ところが、最近、これをどこにしまったのかが分からず、途方に暮れていました。間違いなく八幡家の中2階の「蔵」のどこかには眠っているはずなんですが、なにせ5,000万円以上の道具が未整理のままほったらかしてあるので、簡単に見つけることができないんです。すると先般、東京のオフィスマジックファンタジア」から「傑作パケットシリーズ」の1作「エイリアンカード」として、このマジックが廉価(880円)で販売されることになりました。私はすぐに買い求めました。こうやってムダ遣いばかりしているんです〔笑〕。

 4枚の「地球の絵」がデザインされたカードを示します。マジシャンがおまじないをかけると、シルバーのエイリアン(宇宙人)が現れます。平和な地球にエイリアンが大挙して侵略にやってきました。さらに、赤、黄色、緑の顔色のエイリアンが次々と出現します。「世界中にエイリアンが出現していますね」これら4体のエイリアンは、どうやら地球への「入国許可証」を偽造して持っていたと言い、カードの裏を示します。すると、4枚全てのカードが美しい緑色の「入国許可証」に変わっています(米国のエイリアンレギュレーションカードは、緑色の「グリーンカード」でした)。そして彼らの地球征服計画は着々と進んでいきます。果たして地球の未来は一体どうなってしまうのでしょうか?しかし、これは罠だったのです、と言い、もう一度カードの表を示します。すると、4枚の全てのエイリアンが解剖されているのです。「エイリアンたちはこうして解剖されてしまったのでした」なんと、衝撃の結末に。

 これは、あの有名な「ロズウェル事件」をモチーフとしたパケット・トリックです。「ロズウェル事件」というのは、1947年7月、米ニューメキシコ州のロズウェルから120キロほど離れた牧場に、円盤型の飛行物体が墜落した“UFO墜落事件”です。墜落した飛行物体はロズウェル陸軍飛行場の米軍に徹底的に回収されますが、墜落場所が牧場であったため、見物人も多く集まり数々の目撃談(「飛行物体の中に宇宙人が乗っていた」など)が残されてしまいます。また、米軍は7月8日のプレスリリースで、墜落物体を「空飛ぶ円盤(flying disc)」と発表しましたが、後に「気象観測用気球」であると訂正するなど、不可解な点が多く、数々のUFO研究家や陰謀論者が、米政府の隠蔽工作を疑ってきた事件でした。

 ユーモラスな絵に、起承転結のあるストーリー。観客はマジックにぐいぐいと引き込まれます。そして、最後のオチ。ノックアウト間違いなしのハード・パンチです。また、ストーリーだけでなく、手順もよく考えられており、使うテクニックはエルムズレイ・カウント」くらいなので、初心者の方でも十分にできます。「エルムズレイ・カウント」のできない人には、詳しい手の動きがDVDで解説されていますから安心です。サイエンス・フィクション(Science Fiction)、すこし不思議(Sukoshi Fushigi)、すべならいフィナーレ(Suberanai Finale)。記憶に残るSFマジックですね〔笑〕。とってもきれいなカードはプラスチック製で、耐久性に優れています。パケット・ケースも付いています。

 このマジックでは、最初に地球のカードを4枚に見せるところが原案にはなくて難しいので、自分なりにカウントを工夫して手順を組んでみました。以来ずっと演じていた私のペット・トリックです。エルムズレイ・カウント」の練習にはうってつけのトリックなんです。♠♣♥♦

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河上道生先生を偲ぶ

 9月18日に開催された「日本英語教育史学会 第284回研究例会」(オンライン)において、田邉祐司専修大学文学部教授が、「回想  英語名人 河上道生先生のこと」と題して講演をなさいました。その概要を、最近「Asahi Weekly」11月21日号に書いておられます。「同時通訳の神様」であられた 國弘正雄先生(1930―2014)が、「英語のライバルは?」と尋ねられた際に、真っ先にその名を挙げたのが、河上道生先生(1925―2012)でした。河上先生は英語学、英文法・語法を専門にされましたが、その英語力は机上に留まらず、実践でもすさまじい切れ味を誇りました。先生はどのようにして國弘氏を驚嘆させる英語運用能力を身につけられたのか。ご逝去から9年が経ち、若き英語学徒の中には先生のことを知らない世代が増えています。河上道生という英語名人の歩みと業績、そして何よりも、その英語学習法、習得の信念など、先生から直接伝授されたことを元に、個人的な思い入れを交えた回想録となっていました(写真下)。私も若い頃に河上先生に親しく教えを受けたことがあったので、興味深く読ませていただきました。

▲河上先生を偲ぶ田邉先生の想い出

 あの國弘先生がライバル視した河上先生が、その國弘先生のことを評して次のように書いておられます。互いに尊敬し合う存在であったことが分かりますね。

 この夏ある講習会で、テレビ英会話の講師であり、すぐれた通訳者でもある國弘正雄氏と一緒に数日を過ごす機会があった。同氏は講演のなかで氏自身の英語学習に言及し、中学時代の英語教科書を何千回も音読したと語り、中学のテキストをマスターすることが重要であり、ほんとうに中学の教科書を完全にものにしている日本人は、そう数多くはないだろうと述べられた。…私は昨年、語学教育振興会が行った大学生対象の集中訓練の指導教官会議の席で、氏のあいさつを聞いて深い感銘を受けていた。氏が相当期間米国に滞在していたことを考慮に入れても、なお氏の英語が抜群であることに変わりない。英語圏に住んだ年数が多くても、英語が不正確な人のほうが多いからである。何はともあれ、國弘氏の英語には文法上の誤りがない。これは日本人の英語としては珍しいことである。このことは氏が中学時代の英語を徹底的に学んだことで説明されるとわたしは思う。氏は英語を暗唱すべきだとは強調されなかったが、それほどまで音読した氏がテキストを暗記されたことは疑う余地がない。私は機会あるごとに中学テキストを暗記することが将来の基礎を作ることであることを強調している。文法も文型練習も有益な教授上の技術ではあるが、学習者が、すべての課ではないにしても、かなりの数の課を暗記するという仕上げの段階を抜いては、将来英語を書いたり、話したりするための十分な基礎は作れないというわたしの信念は、経験と、かなり多くの日本人の英語を観察したところに基づくものである。

▲河上道生先生を招いての勉強会(左から三人目が河上先生)

 河上先生は、『英語教育』(大修館)誌のQUESTION BOX欄の回答者として、長年明快な回答をお書きになっていたことで知られています。もうずいぶん前のことになりますが、松江南高校東京書籍の「ニューホライズン」の作文の教科書を使っていた時に、その「指導書」の精緻な記述に魅せられました。こんなにまで踏み込んだ指導書は他にはないと思いました。それを書いておられたのが河上先生です(広島女子大学学長)。東京書籍のご厚意で、河上先生を松江にお招きして(ホテル一畑)、松江在住の英語教員で勉強会を開催したのが、河上先生との初めての出会いでした(写真上)。私も英語の語法に興味を持っており、辞書の仕事をしていた関係で、以来、ことある度毎に丁寧にご教示をいただきました。突然、大量の資料をお送り頂いて、「これを勉強しなさい」とお手紙を頂いたことが何度もあります。河上先生の解説の背後には、これだけの資料の裏付けがあるのか~、とため息が出たことも何度もありました。先生の代表作はなんと言っても『英語参考書の誤りを正す』(大修館、1980年)ならびに『英語の参考書の誤りとその原因をつく』(大修館、1991年)ですよね(その後『英作文参考書の誤りを正す』(大修館、1992年)『これでいいのか大学入試英語(上)(下)』(大修館、1997年)を著わされました)。英語教育界に与えたインパクトはとてつもなく大きなものがありました。先生はあるとき「八幡さん、あの本を書いたのは自分の学者人生においてマイナスでした」と、ボソッと私に心情を吐露されたのが印象的でした。あの本で日本中を敵に回してしまった苦悩がおありだったのだと思います。でもあれらの本のおかげで、我が国の受験界の英語がずいぶん自然なものになり、日本の参考書はずいぶん改善されたはずです。河上先生のご功績を、今一度再評価すべきと感じています。

 河上先生は、当代きっての英語の使い手であられ、デクレヤル国連事務総長カーター米大統領マザーテレサさんが来日のときに、通訳として見事な英語を操られました。故・西山 千氏、故・國弘正雄氏と並ぶ、いや、それを凌駕するほどの英語の達人であったことを、みなさんはご存じですか。河上先生は、敗戦後、中国地方にoccupation armyが来たときの通訳者でした。民間裁判、MP裁判に立ち会われたときの裁判記録が現在もニュージーランドの公文書館に保存されていて、英語の誤り(冠詞、コロケーションなどを含む)が一切なく、言語教育の専門家の間ではもはや神格化されている先生でした。今回の田邉先生の記事の中でも、河上先生の英語の切れ味の鋭さが語られていました。♥♥♥

▲日本の英語教育界に衝撃を与えた河上先生の名著

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