situation

◎今週は英語特集!! 

 今からもう30年以上も前の話です。松江の映画館にアメリカのアクション映画を見に行ったときに、警察官が非常事態に、無線で、“We have a situation here. We have a situation!”と叫んでいる場面が出てきました。話の流れから、非常[緊急]事態発生!」という意味だということは推測できたのですが、当時の英英辞典・英和辞典のsituationの項には、まだ何一つ手がかりすらありませんでした(今でも載せていない辞典も多くあります)。以来、映画やTVドラマで、何度同じような場面を見たことでしょう。 “We have a situation.“は、今なら次のように言い換えることが可能だと思います。

We have a problem./ We have some trouble./ Something is wrong./ We have to take care of this.

日本語にすると、「問題が発生した」、「困ったことになった」ということです。緊急に対応しなければならない、何らかの問題が発生した際に口にするフレーズですね。以降、テレビ映画や小説を読む際に、何度もこの表現に出くわしました。

 例えば、こんな状況で使います。会社でボスとマネージャーが激しい言い合いになり、大喧嘩を始めました。社員は皆いったん仕事を中断して、止めに入ったほうがよさそうです。

We have a situation at the head office. The boss and the manager are arguing, and having a big fight. So it is really a big situation. Everybody has stopped working. We have a situation there.

 あるいは、駅の構内でナイフをびゅんびゅん振り回している男がいます。すぐに何らかの対応が必要です。警官が同僚に言いました。

There is a man with a knife on a train platform. So one policeman says to other policemen, “we have a situation”.

ここでも、その意味するところは、 “We have a problem”, “Something is wrong”, “We have some trouble”, “It is a difficult situation”,  “We have to take care of this” といったところでしょう。

     Merriam Webster’s Advanced Learner’s English Dictionary (2008)には、”an important or sudden problem : I have a situation that I have to deal with at the moment.”とあります。英和辞典においては、situationで、「(突然生じた重要な)事態、難局、重大な局面、問題を含む状態、特筆すべき状態」という意味を押さえておかねばなりません。『ライトハウス英和辞典』『コンパスローズ英和辞典』には漏れてしまっている情報です。

 こうした警察用語や犯罪・捜査・司法にまつわる表現を調べるのに重宝する画期的辞典が(残念ながら、このsituationは収録されていませんが)、山田政美・田中芳文『犯罪・捜査の英語辞典』(三省堂、2012年)です。 拾い読みしていても楽しい特殊辞典ですよ。♥♥♥

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「稲佐山平和音楽祭2022」

 長崎は世界に2つしかない被爆地として、大きな悲しみを乗り越えてきました。長崎の地から広く平和のメッセージを発信するために、さだまさしさんが、20年間稲佐山で開催されていたコンサート「夏 長崎から」 を継承する形で、新羅慎二(若旦那)さんと共に、これからの世代へと語り継げる平和祈念音楽祭が企画されました。通販大手ジャパネットホールディングスのグループ会社、リージョナルクリエーション長崎が主催し、長崎新聞社などが後援しています。2020年8月の第1回目は、新型コロナウイルス禍のため無観客で開催・テレビ中継し、2021年は中止。今回初めて有観客で開催しました。「稲佐山平和祈念音楽祭2022~長崎から世界へ」は、8月6日(土)、8月7日(日)の長崎県稲佐山公園野外ステージにて2日間、約16時間繰り広げられました。

 集まっていただいた皆さんの想いを、世界の紛争地帯や貧困で苦しんでいる人々の平和な日常や笑顔につなげていきたいという願いから、「稲佐山平和祈念音楽祭2022」の利益はすべて「国境なき医師団」に寄付されます。総合プロデューサーを務めた、人気バンド湘南乃風(しょうなんのかぜ)のメンバー新羅慎二(にらしんじ、46歳)さん(若旦那)は、リスペクトするさだまさしさんが長年続けてきた平和コンサートの思いを引き継いでいます。「まさしさんの「夏 長崎から」というイベントは20年やられていて。それをまさしさんから受け継いだと思っているので、僕が目指すのはこの先まさしさんから受け継いで作った稲佐山音楽祭を20年続けることです。今年で被爆77年を迎え、実際に当時の記憶がある被爆1世の方たちが少なくなっている中で、稲佐山音楽祭は「これからの世代につなげていくこと」「音楽が鳴っている間は平和だ」というメッセージを継承し続けていくことを目指しています。」と。

 さだまさしさんは、個人で28億の借金(金利合わせて35億)に苦しむさなかに、広島に原爆の落ちた8月6日に平和を祈るコンサート「夏 長崎から」を自腹で1987年に始めます。なんとそれを入場料無料で始めたのです。それは、広島原爆忌の晩に長崎で歌うという「平和を願う場所」は誰でも来られる場所であるべきだ、という彼の思いです。仮に1000円でも入場料をとってしまえば、子どもや老人は留守番になる可能性があります。夕涼みがてらに、みんなでやって来て音楽を聴く、これが「平和」の姿の一つであるという思いです。そういえば、やはりさださんが8年を要してグラバー邸下に建てた「ナガサキピースミュージアム」(名誉館長 故・原田泰治で、空に高くそびえ立つ五線譜のモニュメント福田繁雄作も、平和が無くなるとまず音楽から壊される、という思いからでした。意識してあえて「平和コンサート」という表現を避けて「夏 長崎から」という名前にこだわった理由でもあります。心ない人たちは「売名行為」「ただとは何か別の意図があるのではないか?」「選挙に出る事前運動か?」と批判しました。舞台制作費、交通費、宿泊費、スタッフ費用に1回3,000万円ほどかかりました。映画「長江」の借金返済で苦しんでいた当時(28歳で金利を入れて35億円!)、この返済金額は決してたやすいものではありませんでした。周りの反対を押し切って、血の出る思いで、それでも始めたのは、どうしても伝えずにはいられないさださんなりの平和への熱い思いがあったからだと思います。徐々に理解あるスポンサーも現れ始め(パナソニックなど)、大規模になっていきます。それでも毎年費用1億円の半分近くはさださんの持ち出しでした(最後の方ではトントンになりましたが)。以降2006年まで、何と20年間も続きます。私も参加させていただきました。

▲故・原田先生が名誉館長の「ナガサキピースミュージアム」

 8月6日の広島原爆投下の日に、同じ被爆地である長崎の空から歌うことによって、声高に「平和」を叫ぶことなく、集まった人々の心の中にある平和への想いを再確認する場にして欲しい、と歌手のさだまさしさんが、1987年に始めたのがこの「夏・長崎から」です。彼は20年間毎年、コンサートが終わる前に、ステージから呼びかけます。「このコンサートが終わるまでの間に、ほんの僅かな時間でよいから、あなたの一番大切な人の笑顔を思い浮かべて欲しい。そうしてその笑顔を護るために自分に何ができるだろうか、ということを考えて欲しい。実はそれが平和へのあなた自身の第一歩なのです。」20年間続けた最後の「夏 長崎から」のコンサートが終わって、スタッフがさださんの元に駆け寄って涙ながらに伝えます。「さださん、ちゃんと伝わってますよ!」と。コンサートが終わり家路に急ぐ親子連れがいたそうです。まだ小さい子どもです。「お母さん、なんでこんなにたくさんの人が集まっているの?」――「それわね、みんなで平和を祈るためなんだよ」――「平和って何?」――「こうやってたくさんの人が集まって音楽を聞くことが平和なんだよ」――「ふ~ん」

 トップバッターは、このイベントの総合プロデューサーである新羅慎二(若旦那)さんが務め、「平和とは愛だ。愛のあるライブにしましょう」と呼びかけると、会場からは大きな拍手が。その後、コロッケのものまねメドレーや五木ロボットで会場のボルテージが一気に上がり、長崎に在住経験のあるスガ シカオや、過去に稲佐山での音楽イベントに出演していたスターダスト☆レビュー南こうせつさんなど、ゆかりのあるアーティストが稲佐山を熱気に包みました。

 1日目のトリを務めたさださんは、自身が20年間続けてきた稲佐山でのコンサート「夏 長崎から」の思い出を語り、「精霊流し」や、長崎と同じ被爆地の広島に向けて、「広島の空」などを熱唱しました。来場者に向けて「音楽はすべて反戦歌である。私は音楽家だから、音楽家の武器は音楽だけ。大切な人を守る方法はただ一つ、戦争をしないことだ」と語りかけ、陽が落ちた場内はしっとりとしたムードで平和への想いに馳せました。最後は出演者一人ひとりを紹介し、全員で「祈り」を歌い締めくくったのです。ここで歌われた「広島の空」は、NHKの「ライブエール2022」でも生中継されて感動を呼びました。私の大好きな歌です。

 8月14日(日)、このイベントの見どころを厳選し、3時間に凝縮して、BSJapanextで放映されました。レジェンド・アーティストや、長崎にゆかりのあるアーティストたちのパーフォーマンスを、代表曲を含め、また、ステージ裏での様子や、アーティストの「歌に込めた思い・平和への想い」についてのインタビュー、会場当日の様子や打ち上げられた花火もあわせて、稲佐山平和祈念音楽祭の臨場感をたっぷりと伝えてくれました(8月18日にも午後9時から再び放送があります)。「平和へのメッセージ」はしっかりと受け止められたものと感じました。♥♥♥

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housekeeping

◎今週は英語特集!! 

 英和辞典の編集委員として、また長年英語研究に携わってきた学徒として、今でも英語の使い方に関する数多くの疑問点と向き合いながら、毎日英語の新聞・雑誌・小説・放送に注意を払っています。今週はそんな英語の問題点を特集してみたいと思います。あまり他では見ることのできない事項ばかりです。

 8月2日にキャサリン・クラフト『日本人が言えそうで言えない英語表現650』(青春新書、1150円)が出ました。  「ピザ食べたいなぁ」というとき、あなたは何と言いますか?“I want to eat pizza.”ですか?実は、ネイティブはこう言わないんです。では、何と言うのでしょう?「あー、ビックリした!」ときにはどう言うんでしょうか?I am very surprised.でしょうか?このような日本人特有の表現を捉えて、その実態を解説してくれる面白い本です。ネイティブにとって、英語上手の人とは「動詞づかいがうまい人」のこと。中学英語で習う基本動詞をベースに、日常のあらゆるシーンで、シンプルに言いたいことを伝えられる英語表現650フレーズを紹介しています。長年、日本人の英語に接してきて「日本人の英語の壁」を知り尽くした著者だからこそわかる、日本人が間違えやすいポイントと、その正しい言い方、日本人の発想からはなかなか出てこない、ネイティブに通じる英語表現を伝授してくれます。これを読めば、しっかり伝わる英語表現が身につきます。クラフト先生の種々の著書は、我々英語教師必読の書で、有益な情報がいっぱい出てきます。

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 なかなか言えそうで言えない表現ということで、私が以前から気になっているものにhousekeepingという単語があります。辞書に載っているのは、次のような意味です。

1.家事全般、家政:I think housekeeping is a boring task.(家事は退屈な仕事だと思う。)

2.《主に英》家計費(housekeeping money):My father gives me housekeeping money every week.(父は毎週私に生活費をくれる。)

3.所帯:I set up housekeeping.(私は所帯を持ちました。)

4.(ホテル・病院・オフィスビルなどの)清掃係:My aunt works as a housekeeping staff.(叔母は清掃係として働いている。)

 ただ、英語にはもう一つ重要なhousekeepingの使い方があります。「事務作業、日常業務」という意味で、特にビジネスシーンでよく使われます。事務の」「事務的なという形容詞としても使う単語です。英米の辞典や英和辞典にもあまり取り上げられていないので、日本人になじみのない使い方でしょう。

 特に、“housekeeping announcement”“housekeeping issues”というコロケーションとしてよく使われています。housekeeping announcement事務的な連絡事項、伝達事項という意味のコロケーションです。これは、会議や懇親会といったビジネスシーンでの集まりの始めに、何か伝達事項があるときなどに使われます:Before we start, I have a few housekeeping announcements.(始める前に少しお知らせがあります。)のような感じでよく使われるフレーズです。例えば、会社で会議をする前に、議題とは直接関係ない事務連絡をしたいときなどに使えます。

 housekeeping issuesは「事務上の問題」という意味です。すぐに改善が必要な深刻な問題ではなく、ちょっとした問題に対して使います:First, I’d like to mention some housekeeping issues.(はじめに、ちょっとした問題について話したいと思います。)これも、何か会議をはじめる前など、直接関係はないちょっとしたことについて述べるときによく使います。

 先日、外国人特派員協会で開かれた旧統一教会の記者会見の冒頭2分30秒あたりで、モデレーターがhousekeeping matters(事務的な事項)というコロケーションを使っています。♥♥♥

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「めん宝」

◎週末はグルメ情報!!今週はラーメン

 松江市東朝日町「イオン」松江ショッピングセンター3階フードコート内に、ラーメン屋「めん宝」が、2021年8月12日にオープンしました。以前は、長崎ちゃんぽん「リンガーハット」のあった場所に開店です。最近、出雲2店(ゆめタウン&イオン)が立て続けに閉店となりましたから、これで島根県内の「リンガーハット」のお店は0店になってしまいました(私は野菜が無性に食べたくなると、ここを利用していただけに残念です!)。飲食業界はコロナ禍にあって、とても厳しい状況に置かれ、不採算店はどんどん切り捨てられていきます。松江市でも何軒の飲食店が潰れたことでしょう。

 「めん宝」は元々、黒田町の「キャスパル」以前の「アピア」時代から、1階フードコートで40年弱ラーメン屋をされていました(2021年4月18日に「キャスパル」は閉店しました)。「めん宝」は、クリアな自家製豚骨スープのラーメンがウリです。長い間松江市民から愛され続けてきたラーメン屋「めん宝」の新店舗に立ち寄ってみましょう。40年も愛されてきた老舗ラーメン店なのです。フードコートのラーメン店だからと言ってあなどってはダメ。黒田町のスーパー(というのか、大型集合店舗というのか)が、まだ「アピア」という名称の頃から、そのフードコートのラーメンが「にくめない美味しさ」とのことで気になってはいました。

▲スープを飲み干すとお医者さんに叱られるんですが……

 フードコートのラーメン店ですが、おいしいスープができるように、豚骨をたたき割って、おいしいこだわりのスープを作るなど、仕事が細かい。かくれ職人系のラーメン店なのです。友人からも、とにかく「めちゃめちゃ美味しい」と何度聞いたことでしょうか?たしかに美味しいです。「アピア」時代のオープン当初から、豚骨を叩いて割って煮出した自家製スープを使っていますが、フードコートで営業していますので既製品の仕入れたスープを使っているのではというイメージを持たれてしまうかもしれません。確かに今までもそういったイメージがあるんだろうなー、とは思っていたのですが、ネット上のブログなどでも間違った情報を見かけたりして、思っている以上にそういうお客様が多いんじゃないか、ということでちゃんと伝えたほうがいいのでは、となりました。ということで、スープ作りのほんの入り口、通称(?)「骨叩き」の動画も公開されています。

 

 通常のフードコートとは、若干システムが異なりますので、ご紹介しておきますね。券売機で食券を買うのは一緒ですが、以前ここにあった「リンガーハット」では、食券を買いカウンターに持って行って、呼び出しのブザーをもらって席に着いていました。このお店では、食券を買った時点でオーダーが入り(提出不要です)、食券に書かれた番号が、店頭の電光表示板に「調理中」と表示されます。5分ほど待っていると、「出来上がり」のところに番号が移動して、機械音声のアナウンスが流れて、取りに行くという仕組みです(写真下)。

 実にあっさりしたラーメンで、私が子どもの頃、ご近所のお店でよく食べた懐かしい味です。1杯30円だった記憶があります。母が病気をしたときなど、よく家に出前をしてもらっていました。あの時のスープの味にそっくりです。大好きなラーメンでしたが、そのお店はご主人がギャンブルにはまってしまわれ、夜逃げをされたという苦い記憶が残っています。餃子もいただきましたが、実に美味しい。

 味噌ラーメンもいただきましたが、これも美味しかったです。「唐揚げ」はイマイチというところでした。♥♥♥

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井納翔一初勝利!

 イヤー、長かった。ようやく勝ちましたね。巨人の井納翔一投手(36歳)がヤクルト戦(神宮)に3番手として登板。1回1安打無失点と好投した直後に打線が勝ち越しに成功し、DeNA時代の2020年9月18日巨人戦以来、687日ぶりとなるプロ51勝目をマークしました。2―2で迎えた7回に3番手として登板。1回を打者4人で1安打無失点に抑えました。チームは直後の8回にポランコの左犠飛で勝ち越し。ポランコは6回に起死回生の同点2ランを放っており、全3打点を叩き出して井納に移籍後初勝利をプレゼントしました。勝利目前の9回には2死一塁からウイニングボールになるはずの中飛を、増田大がグラブの土手に当ててまさかの落球。2死一、三塁と相手にサヨナラの走者も出たが、5番手左腕・クロールが踏ん張りました。試合後、敵地でのヒーローインタビューに臨んだ井納は、移籍後初勝利の気持ちを聞かれ「いやもう、あの…。去年来てから全く仕事をしてないので。ファンの人からもすごいことも言われたりしましたけど。少しずつやって、やっときょう勝てたかなと思います」と、しみじみ口にしました。

 8年間所属していたDeNAから2020年オフに巨人へFA移籍。移籍後初登板初先発となった昨年3月31日の中日戦(バンテリンD)では、2回途中4失点KOされ、翌4月1日に登録抹消。5月4日の再登録後はリリーフに回りました。だが、5月19日に行われた広島戦(東京D)で6回1死満塁という場面で登板すると、最初に打席へ迎えた鈴木誠に適時打を許した後、続くクロンに初球の真ん中フォークを左中間スタンド上段へ満塁アーチを被弾と、4試合で3本塁打を浴びるなど結果が出ず、翌20日に2度目の登録抹消。10月3日に出場選手登録されたが、登板がないまま5日に抹消となり、移籍1年目を5試合5回11安打8失点(自責8)の防御率14.40で終えていました。鳴り物入りのFAで入団しておいて(2年契約で推定2億円)、さんざんな一年目でした。

 今季も、6月22日の古巣・DeNA戦(東京D)でリリーフ登板するも、1球もストライクが入らず4球で無念の降板。悔しいマウンドが続いただけに、初勝利の言葉にも実感がこもっていましたね。 「きょうのね、先発の直江が途中まですごいいいピッチングしてくれましたし、その後の高木京介も何とか踏ん張ってきてくれたんで。個人的には負け投手にならないぞっていう気持ちで投げました」井納。強打のヤクルト打線が相手だったが「低めにだけ投げるのを意識して投げました」とし、ポランコの勝ち越し犠飛の瞬間の胸中を聞かれると「“次のイニングも行くぞ”って言われてたんで、まずは行かなくて済むかなというのが素直な気持ちです」とポツリ。味方となった巨人打線については「来る前からすごいいい打線だなっていう思いはずっと持っていたので、はい。すごい心強いです」と笑顔でした。気迫の投球で感情を爆発させました。同点の7回に登板すると2死一塁、ヤクルト塩見をフォークで空振り三振に仕留めてガッツポーズ。8回の攻撃で打線が決勝点を挙げ、ようやく移籍後初勝利をつかんだ。「去年来てからまったく仕事をしてない。ファンの人からもすごいことも言われたりした。やっと今日勝てた」とかみしめました。

 「空回りしすぎて、全然結果も出なかった」。移籍2年目の今季も、6月22日DeNA戦(東京ドーム)では、暴投を含む4球連続ボールの四球で即降板、2軍行きという悔しさも味わいました。それでも常に腐らず、明るく、若手投手に助言を求められれば、プロ10年目の経験を惜しみなく伝えました。立場も年齢も関係なく、真っすぐ向き合うのが“宇宙人”流でした。「これでファンの人に許してもらえることではないですけど、このままやっていければ」。5歳の息子に「パパを見たい」とせがまれた1軍マウンドで、“宇宙人”が進撃を始めます。

 巨人の原監督も、井納の移籍後初勝利に「続けてくれるとね。彼への期待はかなり大きなものであるわけだから。こんなことで満足してほしくはないね」 次の日も連続登板して、ピシャリと抑えました。何よりもコントロールとキレが磨かれて、今までとはちょっと違います。投壊の巨人において、期待が高まります。♥♥♥

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「N700Sアルミアイスクリームスプーン」

 一昨年、東海道新幹線の最新型車両「N700S」に初めて乗った時に(⇒私の乗車レポートはコチラです)、車内のワゴン販売員の方から新型車両の記念グッズを何点か購入したのですが、その中の一つに、ロゴや車両イラストがデザインされたアルミのアイスクリーム用のスプーン「N700Sアルミアイスクリームスプーン」がありました。2020年12月26日に発売されたこのスプーンは、東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」の車内のみで販売していました(最近はオンラインでも)。お値段は税込み600円です。JR東海の子会社で東海道新幹線の車内販売などを手掛けるジェイアール東海パッセンジャーズの商品です。発売直後から大好評で、数日で売り切れたと言いますよ(一般的な鉄道グッズと比較して10倍の売れ行き)。

 「N700Sアルミアイスクリームスプーン」は、2020年7月に13年ぶりにフルモデルチェンジして導入した新型車両「N700S」のロゴマークと車両イラストをデザインした商品で、かたいアイスクリームも少しずつ溶かしながらすくえるように、熱伝導率の高いアルミ製にして、スプーンを持つ手から体温が伝わるように工夫しました。手の熱が伝わることで、アイスクリームが溶けやすくなるのです。東海道新幹線の車内で販売している「スジャータアイスクリーム」は、スプーンが入らないほどカチカチに冷えていることで知られ、インターネット上などでは「シンカンセンスゴイカタイアイス」などと呼ばれて親しまれています。室温で溶かしてから食べる、少しずつ削って食べるなど、“食べ方”が話題になることも多いアイスクリームなんですが、今回、車内販売を行う同社自らが、食べ方の方法の一つを「特製スプーン」という形で提案した格好となりました。

 スプーンとしては小さめのサイズで、本当にアイスクリームのスプーンサイズです。白いインクで、N700Sのロゴと新幹線が描かれています。裏側には「アルミニウム」の文字とメイドインジャパンの文字が。

 新幹線の中でしか買えなかったスプーン(今はオンラインショップでも購入可能)、小さくて持ち運びはしやすいですね。車内販売で買える600円のスプーンは、お土産にピッタリかもしれません。赤・黄・オレンジ・青・黒・緑の6色が販売されています。車内で、もちろん私はを求めました。N700S3回目となる今回の乗車では、緑色も求めました。描かれている新幹線のイラストも微妙に違っていますね(写真下)。このスプーン重宝しています。

 このアルミスプーン、実現に課題があり、当初はボツになっていたそうです。車内販売でスプーンとアイスクリームを買って、スプーンに「洗ってからお使い下さい」と書いてあった場合、乗客は困ってしまいますね。2020年7月、ジェイアール東海パッセンジャーズ中村明彦社長が、SNSで友人から「東海道新幹線車内でアルミスプーンを販売したらどうか?」と提案されたそうです。改めて「洗わないでいいスプーン」を探すことにしました。そして実現したのがこのスプーンでした。暑い夏を迎えアイスクリームを食べることが多くなった今日この頃、大活躍しているのがこのスプーンです。♥♥

 

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マスクマジシャン

 アマゾン Prime Videoが、オリジナル番組『ザ・マスクド・シンガー』シーズン2を、8月4日(木)より、独占配信することがテレビCMなどで流れています。さらにスケールアップしたシーズン2の派手なパフォーマンスと、MCの大泉洋氏と豪華パネリストの推理戦が映し出された予告編映像、キービジュアル、そして個性豊かなマスクドシンガー11名が解禁となりました。『ザ・マスクド・シンガー』は、マスクで正体を隠した有名人が、実力勝負のパフォーマンスに挑み、パネリストや視聴者がその正体を推理する新発想のエンターテインメント番組です。昨年9月にシーズン1を配信開始、Amazonオリジナル作品・視聴者数歴代No.1を記録しました。個性豊かなパフォーマーたちの正体だけでなく、こだわりの詰まったコスチュームやキャラクターデザインもSNS上で話題となり、有名人たちの魂を込めたパフォーマンス・バトルは大きな興奮と感動とともに幕を閉じました。シーズン2では、新たなパフォーマーによる、豪華にスケールアップした極上のステージで、パフォーマンス・バトルが展開されます。新たな演出や難解になったヒント映像で、推理の楽しさを楽しむことのできる新感覚バラエティです。

▲マスクマジシャン

 さて、このマスクを被ったアーティストということで、1997年から1998年にかけてアメリカのフォックステレビ(Fox)で放送された特別番組『破られたマジシャンの掟!』において登場し大騒ぎとなった、謎のマジシャン「マスクマジシャン(Masked Magician)」が思い出されます。彼は、長いマジックの歴史で守られてきたトリックを明かさない禁断のルールを「Magician’s Code(マジシャンの掟)」と呼び、それを打ち破ってマジックのトリックを次々と明かしていきました。この番組の冒頭、まず案内役(ナレーション)が「今宵は〜」とか言いながら登場して、マジック界の掟を破るだの煽るところから番組は始まります。そしてマスクマジシャンが登場して、一言も喋らず淡々と演技をし、種明かしをしてしまうのです。タネを明かし終わったところで、見栄を切って終わります。彼がラスベガスで働いていた時に、フォックスからの接触があり、何らかの交渉の後に、古い奇術のタネのみを明かすことを約束して番組出演を了承しました。しかし番組内では多くのより新しい手品のタネが明かされてしまいました。多くのマジシャンがトリックを明かされることを恐れ、マジック界で大きな論争を引き起こしたのは記憶に新しいところです。持ちネタとして使っていたマジックのタネが暴露されてしまい、二度と使うことができなくなるのですから、マジシャンたちにとっては死活問題でした。業界が騒然としたのは言うまでもありません。彼はアメリカのショービジネスの世界から永久追放されてしまいます。

 シリーズ4回目の最後に、彼は覆面を取り自らの正体(=ヴァル・ヴァレンチノ)を明かしました。そして、自分がトリックを明かすのは子供達にマジックに興味を持って欲しいからである、と動機を述べました。また、マジックの腕はトリックではなくそれを「演じるマジシャンのパフォーマーとしての手腕」が重要であると強調しました。以下はその時に彼が発した言葉です。

こんばんわ。
長い間マスクの下に素顔を隠し、マジックの種を明かしてきました。
番組を続けるためには、このマスクが必要でした。
私の正体については、色々と言われています。
そこで、今夜はこのマスクを取り、皆さんの疑問にお答えしたいと思います。
私がなぜここに立っているのか、そのわけを皆さんに知ってもらいたいんです。
今になってマスクを取るのは、番組を盛り上げようという使命感でも、仲間に対する罪悪感からでもありません。
皆さんに、私がマジックを愛していることを、だからこそこういう選択をしたのだということを分かってもらいたいんです。
近頃人気を集めているのは映画やテレビゲームで、マジックは忘れられつつあります。
なんとかしたいという危機感から、この番組を作りました。
皆さんに、初めてマジックショーを見たときの驚きと興奮を思い出してほしい。もう一度あの感動を思い出してほしい。
番組が初めて放送された翌日、人々は職場や学校、家族の団欒でマジックの話をしました。
下火になっていたマジックが、再び脚光を浴びたのです。
私は13歳でプロのマジシャンになりました。
町中の学校を回ってマジックを披露したものです。
私はいつも少しだけ種明かしをしました。そうすると子供が喜んだんです。とてもね。
子供は種を知ることで、マジックをより身近に感じます。もっと好きになるんです。
マジックの仕掛けを知ったらつまらないと?そうは思いません。
この番組を見てマジックがつまらなくなったでしょうか。
いいえ。それどころか好きになったはずです。これまで以上に。あなたもきっとそうでしょう。
たとえ仕掛けを知っていても、マジックは楽しめます。
観客を惹きつけてやまないのは、マジシャンの見せるパフォーマンスだから。
たとえばデビッド・カッパーフィールドやランス・バートン、ペン&テラー、彼らはまさに、華麗なパフォーマンスで観客を魅了し、自在に笑わせ、身震いさせ、驚かせます。
マジシャンはみなそれを目指しているのです。
もちろん私も。

(ここでマスクを取る)【正体はヴァル・ヴァレンチノでした】

最後に一つだけ言っておきます。
マジックはすべての人が楽しむものです。
決してマジシャンだけのものではありません。
私たちみんなのものです。
特に子供たち、君たちがマジックの未来を担っています。
この番組をきっかけにしてありきたりになったマジックが過去のものとなり、新しいマジックが生まれてくることを願っています。
さらなるスケールをもって、マジックの新時代を築きましょう。
私も前進あるのみです。
この次は、今までにない斬新なマジックをお届けすると誓います。
スリルと感動のマジックです。
皆さんにマジックを少しでも楽しんでもらえればうれしいです。
どうか忘れないで。マジックは私たちみんなのものです。
それでは、またお会いしましょう。

 確かにこんな言葉をプロのマジシャンが公共の電波の載せようものなら、恨まれるのも仕方ありません。あまりにも良くできた台本だと思います。来日したときも、ネタをバラすことによってマジックの進化を願う(バラされたマジックはもう演じることができなくなるので淘汰され進化せざるを得ないという理屈)、という本人なりの理念が流されてはいましたが、そこは興味本位の視聴者も多く、業界の人たちからは総スカンを食らい(アメリカのショービジネス界からは追放)、命を狙われたこともあったようです。興味本位での視聴率もずいぶん高かったと記憶しています。来日した時には、SL機関車を消してしまい大きな話題となりました。下はその時の映像です。

 

 日本でも、鉄人社「テレビでやってた人気マジックのタネぜんぶバラします」というタイトルで、次々と暴露本を出して話題となったことがありました。Mr.マリック、セロ、Dr.Leon、前田知洋など、当時の売れっ子マジシャンが次々と標的にされました。このシリーズはずいぶん売れたようです。テレビでやってた人気マジックのタネぜんぶバラします プレミアム』『テレビでやってた人気マジックのタネぜんぶバラします メンタリズムスペシャル』(鉄人社、各500円)

 あのMr.マリックも、テレビ番組でネタばらしをずいぶんやって、奇術界で叩かれましたが、あれらは全て古くなったものや、比較的軽い自分のオリジナルのトリックで、マスクマジシャンのやっていたこととはずいぶん違います。♥♥♥

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「早起きは三文の徳」

 私が子どもの頃、信仰心のあつかった母(毎年最上稲荷奥之院で修行)は毎朝、神様(日蓮宗)のお勤めを5時に始めていました。鐘がチーンと鳴ると、自然とパッと目が覚めたものです。そのおかげでか、子どもの頃から、朝は毎日5時起きという習慣が身についたようです。これは実に有り難い習慣形成でした。早起きが全く苦にならない習慣が身についたのです。大人になってもこれは変わりません。人よりも早く起きて、一仕事してから学校に向かうというルーティーンが定着しています。私が朝の6時半から学校に登校して、仕事をするのは、どの時間帯よりも仕事がはかどるということを、身をもって体験しているからです。勤務開始時間ギリギリに飛び込んでくる先生もおられますが、実にもったいないことだなあと感じています。今でも始業時までの静かな約2時間を、教材作成や生徒からの質問、添削に充てるのが、私の日課となっています。私がこれまでに作成した膨大な指導資料は、全部こうしてコツコツと積み上げてできあがったものなんです。まさに「チリも積もれば山となる」ですね。

 最初の軽量高速エンジンを発明したドイツ人のゴットリープ・ダイムラーは、ある日、一人の婦人に、「私の息子もあなたのような発明家にしたい。どうしたらなれるのか?」と質問されました。「授けられる秘密などないが、私は毎朝5時から働くことにしている。息子さんが発明家になりたいのであれば、私と同じようにすればいいだろう」と答えました。アメリカ上院議員だったある女性は、早朝の時間における仕事の能率に関して、こんな観察を述べています。「朝9時前にする仕事は、日中の仕事の二倍も能率が上がることを発見したのです。早朝のわずか半時間を、ありきたりの仕事ではなく、日課以外の特別の仕事に役立てるように利用することは、最も効果的に時間を活用する方法です」 成功した日本のビジネス・パーソンが、皆早起きであったことは有名ですね。「ミスター合理化」の異名をとった故・土光敏夫さん、船井総合研究所の故・船井幸雄さん、ダイエーの故・中内 功さん等々。私の尊敬する英語学者・故・渡部昇一先生や、地球物理学者・故・竹内 均先生も早起きでした。

 英語の諺では、このことを、The early bird catches the worm.(早起き鳥は虫を捕まえる=早起きは三文の徳)と言っています。 ヨーロッパには早起きの得を讃えた格言がいくつもあります。

「早起きする人には神の助けがある」(スペイン)
「朝の時間は口に黄金をくわえている」(イタリア)
「朝の時間は儲の時間」(フランス)
「朝こそすべて」(イギリス)
「大事なことは朝のうちに」(スペイン)
「明け方の光りはパンを新しくつくる」(ドイツ)
「朝の時間は黄金、私たちに報いる」(ロシア)
「朝は夕べよりも賢い」(スラブ)
「早起き鳥はクチバシをすすぎ、遅起き鳥はただ目をこする」(バルト海地方)

 私は週に3日、米子に電車通勤していますが、電車の時間よりもかなり早く松江駅に到着して、「ドトール」「スターバックス」に入って、1時間ばかり仕事をしてから電車に乗ります。こうして幾つもの資料が完成していくのです。電車の中では4つの新聞を読んで、気になる記事を破って鞄に突っ込んでおき、家に帰ってからスクラップ帳に整理しています。

 さて、今日取り上げるのは、この「早起きは三文の徳」ということわざの成り立ちです。「早起きは健康によく、良いことが起こる」というさわやかなイメージのことわざで、仕事や勉強が効率よく進む教訓として引用されることが多いものです。しかしこのことわざの成り立ちを調べてみるに、教訓とはほど遠いものであることが分かってきます。中国の古い散文がベースになった上に、日本オリジナルのエピソードが加味されたと言われています。

 江戸時代、奈良ではシカ「神様のお使い」として大切に守られてきました。江戸時代には幕府が手厚く保護し、殺生などを厳しく取り締まったといいます。シカの死体が家の前で見つかると、家主は放置した罰金として三文を払う決まりがありました。そこで、どの家も早く起きて、シカの死体があると隣の家の前などにひそかに移動させていました。死体を置かれた家もよその家に回すので、最後には、一番遅く起きた家の前に死んだシカが放置され、三文を払うはめになりました。しかし、早起きすれば三文を払わなくてよく、得だというわけです。古典落語「鹿政談」でも語られているこうした逸話が、ことわざの元になったと言われているのです。江戸時代の「三文」は、現在の貨幣価値に換算すると、100円程度だとされます。一度なら少額ですが、毎朝ならば結構な金額になります。

 他にも、江戸時代初期に、土佐藩(高知県)で治水対策として堤防工事をした際に、堤防の土を早く固めるために、早朝に堤防を歩いた者に三文のほうびを与えるおふれが出たのを由来とする説もあるようです。これも早起きの得ですね。♥♥♥

 早起きと言えば、私の尊敬する地球物理学者・故・竹内 均先生(東京大学の学生たちにはタケキンと呼ばれていました)で、忘れられないエピソードがあります。その昔、学生が大学を封鎖したり、警察とやりあったりした「大学紛争」をご存じない先生方が増えてきました。そりゃひどかったんですよ。私の大学ではヘルメットをかぶり、タオルで顔を巻いて、竹槍を持った学生達が警察とやりあっていました。その時の話です。ある日、竹内先生の東京大学の研究室のある建物が封鎖されました。しかし、学生たちが登校(?)してきたのは朝の9時でした。もちろん朝の早い竹内先生は、7時半には研究室に入っておられたので、セッセと仕事に打ち込んでおられました。竹内先生の秘書が9時頃来て、学生たちにつかまりました。そこで先生のことが大いに問題になりました。「タケキンを引っ張り出せ!」という強硬意見も出ました。しかしネコの首に鈴をつけるネズミが出てきません。結局「先生はしょうがない」というところに落ち着いたそうです。翌日、竹内先生は学生の代表を呼んで、こうお説教をしました。「建物の封鎖をやるならもっと真面目にやりなさい。私が7時半から来ているのに、君たちが9時では遅すぎるではないか!」 この奇妙なお説教を学生達は神妙な面持ちで聞いていたそうです〔笑〕。できる男は朝で差をつけるんです。♥♥♥

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長崎と広島の原爆の違い

 今から約30年前、イギリスの小・中・高等学校を訪問して回っていた時のことです。ある小学校の授業を参観させてもらった後で、日本からやってきた先生方に聞いてみたいことはないか、と担当の先生が振られると、一人の女子児童が手を挙げて、私たちに「広島に落ちた原爆と、長崎に落ちた原爆は、どこがどう違っていたのですか?」と尋ねました。ガーン!!私も含めて誰も答えることができませんでした。教室の後ろには、平和教育をやっていて、児童達が調べた戦争や原子爆弾に関するポスターがいっぱい貼ってあります。イギリスの子どもたちが戦争や原爆にこれだけ興味を持っているのに、肝心の日本人の私が原爆のことについて全く無知であったことをとても恥ずかしく思いました。

 人類史上、実戦で核兵器が使用されたのは、1945年8月6日に広島へ投下された原子爆弾(以下、「原爆」)と、1945年8月9日に長崎へ投下された原爆だけです。広島原爆長崎原爆を比較すると、使用された燃料や爆発時の破壊力、被害状況などが異なり、破壊力の大きい原爆を使われたのが長崎原爆、被害が大きかったのが広島原爆でした。

《広島型原爆》
コードネーム:リトルボーイ
爆弾の燃料:ウラン235
爆発威力(TNT換算):約15キロトン
爆撃機:B-29(エノラ・ゲイ)
当時の人口:約35万人
死者数:約14万人

《長崎型原爆》
コードネーム:ファットマン
爆弾の燃料:プルトニウム
爆発威力(TNT換算):約22キロトン
爆撃機:B-29(ボックスカー)
当時の人口:約24万人
死者数:約7.4万人

 広島の約1.5倍の威力を持つ原爆が使われた長崎の方が被害が少なかったのは、長崎市は山で囲まれた地形で、山によって熱線や爆風が遮断されたためといわれています。 

広島/長崎原爆のメリット・デメリット

 広島長崎の反核運動や核廃絶運動などに対する姿勢の違いを、「怒りの広島、祈りの長崎」と形容されますね。これは、広島原爆の代表文学、峠 三吉の原爆詩集「にんげんをかえせ」が被爆者の怒りを表しており、一方、長崎原爆の代表文学、永井 隆『長崎の鐘』は世界平和を訴える作品であり、長崎はキリスト教信者が多く、世界平和をひたすら祈る印象があるためで、広島市民が平和を祈らないわけでも、長崎市民に怒りがないわけでもありません。世界に向けて被爆地を表す際は、地名を「ヒロシマ」「ナガサキ」とカタカナ表記することが多いため、「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」とも書かれます。その象徴である長崎の「平和祈念像」についても、詳しく調べた事があります。⇒コチラです♥♥♥

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『人生をひらく』

 「日本電産」の創業者である永守重信(ながもりしげのぶ)さんが、およそ半世紀前に同社を創業したとき、荒海に舟を漕ぎ出すがごとく、たった4人で創業を宣言しました。そして今や、日本電産」は従業員11万人を超える「世界No.1の総合モーターメーカー」として知られる大企業となりました。最高の自分をつかみ、悔いなき人生を歩むために、今最も注目される「カリスマ経営者」が語る、渾身の人生哲学書、類いまれなる経営手腕と行動力で、つねに実業界を牽引し続ける著者が23年ぶりに書き下ろした自著が『成しとげる力』(サンマーク出版、2021年11月)でした(写真上)。ベストセラーとなりました(⇒私の詳しい書評はコチラです)。

 そんな経営のカリスマ・永守重信さんの最新刊が『人生をひらく』(PHP研究所、2022年8月、1650円)です。

 本書は、その永守氏がこれまでの経営者人生の中で、幾多の困難を乗り越えることで培った不変の人生観・経営観を「50の原理原則」に集約した、まさに〝永守イズム〟を解説する決定版といえましょう。

 永守氏は本書で、これまでさまざまな失敗や挫折を乗り越えてこられたのは、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」の精神を持ち続けてきたからだと語ります。その上で、「人生というものは、8勝7敗で勝ち越せばいい」と自らが持ち続けてきた原理原則を説きます。永守氏ほどの経営者でも、すべてがうまくいったわけではなく、次は必ず成功するぞ、と自分に言い聞かせながら人生や経営の勝ち越しを目指してきたことが理解でき、困難に直面したときの心構えを教えてもらえます。

▲永守さんの好きな色・ラッキーカラーは「緑」いつもネクタイは緑です

 このような人生や経営についての原理原則を、「夢の実現」「理念と目標設定」「リーダーシップ」「決断と選択」などの7項目に分けて解説。創業時に取引先の無理難題に応えて信用を得たことや、自分のことを絶対的に信頼してくれる子分を持つことの大切さ、今も毎晩作成している「翌日やることリスト」など、具体的なエピソードや考え方がふんだんに盛り込まれ、経営者から仕事や生き方に迷う若い方々まで、役立つヒントが満載です。

 日本電産の永守重信会長兼最高経営責任者(CEO)が定義する「ハードワーキング」とは、長い時間働くことではなく、競争相手に勝てるスピードで仕事をして、結果を出すことができる働き方のこと。このハードワーキングを実践してきたことで、日本電産は今日の発展を遂げたといえる。結果を出すために求められる働き方と姿勢とは?輝く人生を切りひらくために本書をお役立てください。

 私が永守さんの生き方や著書に共鳴する理由は、決して着飾ることなく等身大の自分をそのままさらけ出している点です。周囲から評価されるためにとか、よく見られたいといった理由で、何かを抑えたり、変えたりすることはありません。この点首尾一貫しています。印象的な話を二つほどご紹介してみましょう。

 永守さんは中学2年生の時にお父さんが亡くなり、家が貧しかったので、「自転車が欲しい」と言っても、買って貰えませんでした。友達がズック靴を履いていても、永守さんは裸足でした。そんなある時、同級生の家に行ったら、ステーキとチーズケーキが出てきて、部屋の中ではスイス製の模型列車が走っている。友達に「お前のお父さん、何しとるんや?」と聞いたら、「社長や」と答えたものだから、「社長になったらこんなうまいものが食べられて、こんな立派な家に住めるのか」と子供心に思ったわけです。永守さんが社長になりたいと思った最初の動機付けは、そんなもので、「社会に貢献して、雇用を増やして……」というような立派な動機で始まったわけではなかったことを正直に告白しておられます。会社を作ったら作ったで、お金がないので、毎日毎日資金繰りに追われて、会社の理念や経営方針などについては考える余裕もなかったと言います。人生観とか理念というものは、一挙に出来上がるものではないということで、最低でも10年はかかる、と断言されます。

 永守さんは、体力をつけるために、休みになると山登りをやっておられた時期があります。もともと人に負けるのが大嫌いな方ですから、「こんな山を登るのに何をもたもたしているんだ!」という感じで、パーッと人を追い抜いていきます。しかしあまりにもスピードを出すものだから、8合目くらいで体力を使い切ってしまい、バタンと倒れてしまったことがありました。仕方がないので、身体を休ませるために横になっていると、ずいぶん前に追い抜いた人たちがゆっくりゆっくり登ってきて、リーダーの人がこう言いました。「みなさん、あそこで今寝ておられる方は、ずいぶん前に私たちをパーッと追い抜いていかれましたね。なぜ、倒れてしまったかわかりますか。あの方は体力を温存できていないんですよ。自分の山登りの実力をわかっていないんだ。山登りにおいては、ああいうことをやると失敗しますから、気をつけてくださいね」永守さんがへたって休んでおられる横で、わざわざ足を止めてそうやって説明されたのです。その時、永守さんは「ああ、なるほどな。それはそうだな」と思いました。最初は体力があるし、相手もゆっくり登っているから、簡単に追い抜ける。「なぜ、こんなところを、こんなにゆっくり歩いているのか。もうパーッと登って、上で飯を食って早く帰ろう」と思いながら、「お先!お先!お先!」と追い抜いていくことができます。「これくらいならアッという間に登れる」という感じがするのですが、実際にはそうはなりません。8合目くらいになったら、急に足が動かなくなってしまって、最後にはバタンと倒れてしまうのです。「これではいかん」と思って、次に登った時には、体力を温存しながら登ったら、頂上にたどり着いてもまだ体力が残っていました。「ああ、これだな」とそこで学ぶことになった、と回想しておられます。ここで永守さんは気がつきます。あまり慌て過ぎるのはよくないという点は、会社経営も一緒だと。山登りでも会社経営でも、自分の実力が目標に見合っているかどうかを見極めることが大切だということです。♥♥♥

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宍道湖のシジミ

◎週末はグルメ情報!!今週はシジミ

 日本に生息している代表的なシジミは、淡水にすむ(1)マシジミ、汽水域にすむ(2)ヤマトシジミ、琵琶湖にしかすんでいない(3)セタシジミの3種類ですが、市場に出回るシジミの99%以上はヤマトシジミ」です。ヤマトシジミ」は、宍道湖(全国で7番目に大きい湖)など、海水と淡水が混ざり合う汽水域に生息しています。漁獲量全国一を誇る島根県松江市の宍道湖のしじみは、特徴的な部分があって、それは栄養素の高さです。宍道湖シジミ」にはビタミンB12を初め、ミネラルや必須アミノ酸、タウリンや鉄分が豊富に含まれています。この栄養素は若返りや疲労回復などに効果があり、新陳代謝を促してくれるんです。特に肝臓や目に必要な栄養素が多く含まれていて、その上吸収されやすいので効果的に栄養を体に取り込むことができます。私は子どもの頃からシジミの味噌汁が大好きで、せっせとシジミの実を食べています。健康にもとってもいいんですよ。

1.貧血予防効果
めまい、息切れ、立ちくらみなどの症状をもたらす貧血ですが、そもそも貧血とは、血液中に含まれるヘモグロビン(体中に酸素を運ぶ働きをする)の量が減少した状態で、全身が酸素不足になることです。この貧血の原因の70%は、ヘモグロビンの重要な材料のひとつである鉄分が不足による鉄欠乏性貧血です。シジミには鉄分が非常に多く含まれており、貧血予防になります。また、赤血球の生成を助ける働きがあるビタミンB12も多く含まれているため、さらに貧血予防に高い効果を期待できることになるのです。

2.美肌作りに効果
シジミには他にもたくさんの必須アミノ酸(人の体内では生成できないアミノ酸)が含まれています。そのアミノ酸は体内でたんぱく質を合成するために使われており、様々な種類のアミノ酸をバランスよく摂ることで、キレイな肌を作れるようになります。ちなみに、特定食品にどれくらい必須アミノ酸がバランスよく含まれているかを示す「アミノ酸スコア」という指標があるのですが、100点満点中、しじみのアミノ酸スコアは「100」という結果が出ているそうですよ。さらに、これらのアミノ酸によって、睡眠の質を上げる効果も期待できます。

3種類のシジミ

 シジミの都道府県別漁獲量(水揚げ量)は、1位はわが島根県でなんとシェア43.3%、2位は青森県で同28.6です。驚くことにこの2県で全国の7割以上を占めているのです。ちなみに、島根県の主要産地は満潮時に海水が流入する汽水湖である宍道湖で、また青森県は同じく汽水湖である十三湖小川原湖です。宍道湖は日本一のヤマトシジミの産地であり「宍道湖シジミ」のブランドは全国的に有名ですね。平成 30年の宍道湖のシジミ漁獲量は 3,980トンで、全国の漁獲量の4割以上を占めています。宍道湖には約300名のシジミ漁業者がいて、シジミ漁の風景は宍道湖の風物詩となっています。漁業者は「鋤簾(ジョレン)」という漁具(写真下)を使って、湖底の砂を掘りながらシジミを漁獲し、大きさをそろえて出荷します。このジョレンは重さが平均15キログラムくらいで、長さは漁師さんの身長によってバラバラだそうです。1本「安くて14~15万くらい」だそうです。ジョレンの先は減ってくるので定期的に付け替えをするとか。また、シジミ資源が枯渇しないよう、1日の操業時間、休漁日、採捕量を定めた操業規則を守りつつ、自主的な資源管理も実施しています。

 宍道湖のシジミの栄養が豊富な理由は、冬を越えるために湖底の土に深く潜って栄養を蓄えているからです。宍道湖は広いだけでなく、下にも深く続いており、栄養素を多く蓄えることができるようです。栄養素だけでなく、粒の大きさにも特徴があります。粒の大きさがあり、肉厚のものが多いんです。

 夏季は、朝6時から約3時間宍道湖で漁をします。8mの竿の先に約10キロのジョレンを支える両手はもちろん、足腰にも力がはいります。波が高い時はバランスを保つために更に体力を使います。「ここから!」という場所に到着したら、船の左側からジョレンを湖底まで下ろし、湖底をかきながら船を走らせます。早朝に松江大橋を散策していると、数多くのしじみ船がシジミ漁をしている光景が見られます(写真下)。♥♥♥

▲ジョレンを使ったシジミ漁

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岸田総理と「折り鶴」

 核攻撃の可能性を示唆しているロシアがウクライナ侵攻を続ける中、世界の核軍縮などについて議論する「核拡散防止条約(NPT)再検討会議」が開幕しました。岸田総理は英語で見事な演説をしました。理想と現実を結び付けるロードマップとして『ヒロシマ・アクション・プラン』を示し、核保有国に核戦力の透明化を求めていくほか、世界の若者を広島、長崎に招くため1,000万ドルを拠出し新たな基金を創設すると発表しました。また “核兵器不使用の継続” を訴え、「長崎を最後の被爆地にしなければならない」と述べました。

 私は初めて岸田さんの英語を聞きましたが、なかなか上手いじゃないか!英語の発音も抑揚も見事でした。通訳の人と特訓をしたと報じられていましたが、堂々としたプレゼンでした。「私は1羽の折り鶴を折って、ここに持って参りました」 日本の総理として初めてこの会議に出席した岸田総理は、「赤い折り鶴」を手に演説し、ロシアが核の威嚇を行う今こそ「NPT体制の強化が重要だ」と訴えました。岸田総理は、演説の結びで、広島で被爆し、病床で鶴を折り続けて亡くなった佐々木禎子(ささきさだこ)さんを紹介しました。

 禎子さんは、2歳の時に爆心地から1.6㎞の距離で被爆。その後10年間元気に暮らしていましたが、12歳の時に突然白血病を発症しました。入院から亡くなるまでの8カ月あまりの間に1,500羽の鶴を折りました。借金のある親を気遣い、紙は薬の包装紙でした。当時高価だった痛み止めなども我慢していました。家族が自分の心配をしないよう、自分が不治の病であることを「知らないふり」までしていました。禎子さんは鶴を折ることに集中することで、痛みや不安を紛らわせていたのかもしれません。禎子さんのそうした人を思いやる心が、平和の基本なのだと遺族は今も訴えています。「広島平和公園」の中にある「原爆の子の像」は、この佐々木禎子さんをモデルにしたモニュメントで、1958年同級生の募金運動によって「子供の日」に建立されたものです。

 2016年5月27日、広島に4羽の「折り鶴」が舞い降りたことを覚えていらっしゃますか?ピンクと青の2色。千代紙をつかい、丁寧に折られていました。この4羽の折り鶴は、アメリカのオバマ大統領が、自ら折ったものです。オバマ大統領「広島平和記念資料館(原爆資料館)」を訪門した際、そのうちの2羽を出迎えた小・中学生2人に手渡し、残りの2羽は、直筆のメッセージに添えてそっと置いたといいます。「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」と。

 オバマ大統領は、なぜ折り鶴を贈ったのでしょうか?アメリカで折り鶴は浸透しているのでしょうか?そのヒントは「SADAKO」というキーワードにありました。アメリカの学校における平和教育の場で使われている教科書のタイトルです。オバマ大統領「広島平和記念公園」を後にする時に立ち寄った、「原爆の子の像」、そのモデル・佐々木禎子さんが、まさに「SADAKO」という教材になっていたのです。この像には、いつでも何千、何万もの折り鶴が手向けられています。この像の真下にある石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれています。この折り紙の購入先を聞いてもっと驚きました。なんと折り紙は100円均一の店で売っている商品だったのです(禎子さんは薬の包み紙で鶴を折ったことを思い出してください)。1セット24枚入りで、お値段は当然100円。つまりオバマ大統領の折り鶴は1羽4円ほどだったことになります。アメリカの大統領として口には出せないけれど、いろいろな意味が鶴に込められていたことが分かります。当然謝罪の気持ちも、です。私は「原爆資料館」に展示されているこの2羽の折り鶴を見に行ってきました。

 岸田総理が会議場で示した「赤い折り鶴」は、こうした背景の元で、登場したものだったのです。今日は77回目の「原爆の日」です。平和の祈りを捧げたいと思います。♥♥♥

 

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死んでも締め切りは守る

◎「死んでも締め切りは守る」(西村京太郎)

 生前の西村京太郎先生がよく言っておられたのが、「死んでも締め切りは守る」であったことを、女優の山村紅葉(やまむらもみじ)さんが明かしています。それが西村先生の信念でした。山村さんのお母さんの山村美紗(やまむらみさ)さんも同じでした。娘の紅葉さんも、母親譲りで仕事には絶対に穴を開けないと心に決めておられました。美紗さんが東京のホテルで仕事中に急逝された時も、紅葉さんは京都で撮影をしておられました。知らせを聞いて、すぐに東京に向かい、京都の自宅まで連れて帰ると、その足で現場に戻り、撮影を続けました。仕事が終わると、かたせ梨乃さんが黙って抱きしめてくれたそうです。

 「仕事に穴を開けない」ことは、この私もずっと信条にしてきました。仕事(授業)に穴を開けたのは、今から15年前、心筋梗塞のために日赤で手術をした1週間だけです。英語に関しても、たくさんの仕事を抱えて生活していますが、こちらの仕事の方も、絶対に締め切りは守るという信念でやってきました。仕事は信用が第一です。「好きな仕事に追われている時間が最高の幸せだよ」とは、西村京太郎先生の生前の口癖でした。

 担任をしていた頃に、「皆勤」ってそんなにすごいことなんですか?とよく聞かれたものです。すごいことです。だから「推薦入試」などでも調査書に皆勤」とあればそれだけでずいぶんのポイントを稼げるのです。休まないのだから、一時間一時間の授業の積み重ねがあり、それが学業成績につながることは自明ですね。私の現役時代に生徒たちにいつも強調していたのは「休まない」ということでした。私が担任したクラスはいつも出席率がよかったのはそういう訳です。何よりも社会に出てから、こういう基本的習慣のついている人は重宝されることが分かっているからうるさく言い続けました。残念ながら、今の高校生はちょっと頭が痛い、お腹が痛いと言ってはすぐ休む、「這ってでも出て行く」くらいの気構えでやって欲しいのですが、もう時代遅れの考えのようです。このことは生徒だけでなく教員にも言えることです。ベネトン・ジャパンという上場の会社の取締役がいいことを言っていました。これが成果をあげている会社における常識であろうと思うので紹介してみますね。


 部下にはいろいろ要求しますが、なかでも「絶対にこれだけは」というのは、朝、就業時間には必ず出社しなさいということです。上司たるもの「きょう、あの人にはこの仕事を、この人にはあの仕事を」と考えているものなんです。それが『きょうは体調不良で』とか「きょうは遠い親戚が死んで」とか言って遅れたり、休んだりする。こういう輩はあてにならないから仕事なんて頼めませんよね。だからとにかく「あてになる人材になりなさい。そのためには必ず時間通りに出社しなさい」と言っています。


 以前、大田高校理数科1年生を担任した時に、生徒達に一番強調したことがこのことです。休むな。少々えらくても出てこい。一時間の授業を大切にしよう!!」3年後にクラスの半分以上の生徒達が皆勤賞をもらい、学年では100人以上が皆勤賞の表彰を受けました。この年の進学成績が大田高校始まって以来の、国公立大学103人合格(それまでは40人~60人程度の合格者)という新記録を樹立したことも、このことと無縁ではないでしょう。最近の中学校の「無理をするな。えらければ学校を休め」という安易な指導には、納得がいかない八幡です。社会人になって一番嫌われるのが、仕事に平気で穴を開ける人たちです。

  もう一つ追加しておきましょう。私は現役時代から朝の6時半に登校して、その日の授業の準備や教材の作成、生徒からの質問を受けていました。生徒たちには、「学校には余裕を持って登校しなさい」と強調していました。長い間教員をしていて、ジッーと先輩教師を観察をしていて気がついたことは、仕事のできる先生はみんな朝が早い。今日一日やるべき仕事の割り振りや準備の計画を余裕を持って立てておられました。始業時間ギリギリに駆け込んだりは絶対にしません。前任校のある先生が、異業種体験の企業研修として、一ヶ月一般会社に派遣されて研修を積みました。研修初日に、いつものように8時30分始業時ギリギリに会社に出向いた所、社員全員がもうすでに慌ただしく働いており、恥ずかしい思いをしたといいます。上司の言うには「8時30分始業ということは、8時30分きっかりに全員が仕事に取りかかるということです。そのためにみんな早めに来てあれやこれや準備をしているんです。学校の先生には、そんな基本的なことも分からないのですか!」とたしなめられた、といいます。教訓的な話でしょう?明日からは余裕を持って早く来ましょうね。

 巨人軍のV9を達成したあの偉大な川上哲治(かわかみてつはる)監督は、練習でも、何かの会合でも、列車などに乗る時でも、必ず30分前には集合するように選手たちに厳しく教育したといいます。10時からの練習だったら9時半には集合する。旅行にしても、練習にしても、30分前に集まっていれば間違いないということで、選手たちに必ず30分前に一応揃うように癖をつけさせました。時間の中に自分の人生があるのだ、というように植え付けて、時間が命だと教育をしたといいます。当時は、この30分前集合を「ジャイアンツ時間」と呼んでいたそうですよ。団体生活では集合時間を守るというのは大切なことです。オーナーの正力さんの「巨人軍選手は紳士たれ」という言葉に象徴されるように、社会人としての訓練と教育、人としてのものの考え方をきちんと指導していたのが、当時の巨人軍だったのです。だから桁外れに強かった。今は…?♥♥♥

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「丸善ジュンク堂」でお買い物

▲「丸善ジュンク堂」が入っている岡山シンフォニーホール

 岡山市・NTTクレド2階の「紀伊國屋」にまず行ってみましたが、ここは昔のように本がありません。例に漏れず、洋書も扱いを止めてしまいました。1冊も買わずに店を出ました。足の痛い私はタクシーで、大きな円柱型のビル・岡山シンフォニービルの「丸善ジュンク堂」(地階・1階)に向かいました。ここは洋書の扱いもあり、かなりの品揃いです(約50万冊)。店内は広く、清潔感もあり、非常に居心地がいいんです。文庫本・新書・ハードカバーは豊富に取り揃えられています。店内には複数箇所に、探している本を案内してくれる機械もあります。でも昔のように私が欲しい海外の英語の研究書はほとんど置いてありません(東京でもそうです)。私の興味のある英語学の専門洋書は今はもうほとんど置いてないんです。それでも松江では見かけない和書がここにはいっぱいありました。いつものように大量にまとめ買いして、宅急便で直接送ってもらいます。その点、私が津和野高校に勤めている時に博多に出かけては立ち寄る(3年間で37回!!)福岡「ジュンク堂」では、欲しかった本がなかったことは和書・洋書を問わず一度もありませんでした。すごい品揃えでした ね。店員さんも何を聞いてもたちどころに答えが返って来る。まさにプロの仕事だなあ、といつも感心していました。もう久しく博多に行っていないなあ~。

 収穫と言えば、たまたまシンフォニーホール1階のロビーで「古本市」をやっていたことくらいでしょうか。掘り出し物が二冊ほどありました。

 さて、岡山市内にはもう一軒丸善」のお店があります。2020年9月16日に、さんすて岡山北館2階にオープンした「丸善さんすて岡山店」です。JR岡山駅さんすて改札口」からすぐのところに位置し、約220坪の売り場に約20万冊の蔵書と文房具を揃えています。駅を利用するお客さんたちにとっては、利便性の高い店舗ですね。松江のように大型書店のない町に暮らす私のような者にとっては、うらやましい限りです。♥♥♥

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児島ジーンズストリート

▲児島駅を出るとジーンズがお出迎え!

 いまやイタリアやフランスなどヨーロッパをはじめ、世界の名だたるブランドが注目するデニム産地となった岡山県。中でも、倉敷市の児島地区は古くから繊維産業が盛んなエリアで、1960年代に日本で最初のジーンズが作られた「国産ジーンズ発祥の地」であり、“ジーンズの聖地”といわれています。今回はそんな児島地区にある、およそ40ものジーンズショップが軒を連ねる「児島ジーンズストリート」をご紹介します。児島駅から観光タクシーで回ってもらいました。股関節の痛い私にとっては、車高の高いタラップ付きのタクシーで、運転手さんも股関節を痛めてタクシーの運転手に転職したという方で、実に親切に案内していただきました。

 「児島ジーンズストリート」と名付けられたその通りは、かつて児島で最も栄えた味野商店街の中にあり、旧野崎家住宅前から味野中央公園までの400mほどのストリートになっています。2010年に、シャッター商店街となっていた味野商店街を中心に、ジーンズショップが次々と入り、レトロなジーンズストリートに変身を遂げました。400mの通りに、ジーンズショップが約40店舗点在しています。一口にジーンズショップといっても、町家風の造り、北欧風の作りなど外観も店内も独自のセンスが光り、街並みに彩りを添えています。まるでジーンズの美術館で買い物をしているような、ジーンズ好きには溜まらない場所です。

▲トイレのトリックアート!

 「児島ジーンズストリート」の中心には、トイレのトリックアートが(写真上)。マンホールまでもがデニムモチーフです。デニムを使ったアートスポット。いや、ビックリ!

 「児島ジーンズストリート」は味野商店街の空き店舗を利用した町おこしの一環として2009年に誕生。約400mほどのストリートはレトロな趣があり、ジーンズショップやカフェなどが立ち並んでいます。デニム生地から縫製、デザインにいたるまでこだわり抜かれた国産ジーンズを目当てに、国内外からジーンズファンが訪れるスポットです。ストリートのいたるところに、まるでのれんのようにデニムが吊り下げられています。青空とインディゴブルーの組み合わせがフォトジェニックで、人気の撮影ポイントになっています。このジーンズアートはSNS映え抜群です。

 車で5分ほど走らせると、BETTY SMITHテーマパーク」に到着します。BETTY SMITHは、1970年日本で初めてレディース・ジーンズのブランドを販売したお店です。それまではジーンズ=男性のイメージでしたが、女性の腰回りの柔らかいラインに合うようにカーブを入れることで、女性にも受け入れられ、女性ジーンズ文化の先駆けとなりました。

 「ジーンズミュージアム」ミュージアム1」、「ミュージアム2」に分かれています。ミュージアム1」は、ジーンズのルーツ、アメリカのジーンズの歴史と、児島ジーンズの歴史、昔の製造工程などアメリカンな雰囲気の館内でパネルや展示品で紹介。2階には2003年にスタートした業界初のオーダーメイド・ジーンズの受付があり、豊富に取り揃えてあるボタンや生地を選び、世界に一つだけのオリジナル・ジーンズを注文することができます。

 1970年代に稼働していた洗い工場をリノベーションした建物ミュージアム2」では、BETTY SMITHが今までに手掛けたジーンズや、児島デニムの解説、また、ジーンズ制作初期に使われていた当時の機械や道具をそのまま展示するなど、リアルに解説しています。国産ジーンズ作りの歴史が体験できます。入り口付近には、デニム素材を使ったカバンや小物入れなども、お土産に販売しています。

 「体験工場」では、国産生地を使った国内縫製のジーンズとパーツを選び、専用の機械で自らパーツを付ける体験を楽しむことができます。職人気分が味わえるのがいいですね。♥♥♥

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手術?

 股関節の痛みが一向に取れないもので、松江南高校で担任した「やまもと整形外科クリニック」山本真人(やまもとただひと)院長に相談に行ってきました(⇒高校時代の彼の思い出はコチラに詳しく書きました)。股関節の写真を何枚か撮ってもらって、診断を受けました。完全に骨が変形してしまっており、軟骨がなくなっているとのこと。人工関節を入れるしか、この痛みを取る方法はないとのことでした。人工関節でずいぶん楽になることを教えてもらいました。ただ、入院・手術・リハビリには一ヶ月かかるといいます。夏休みでもあることだし、早い方がいいでしょう、ということで、覚悟を決めて、早速紹介状を書いてもらい、日赤に精密検査に出かけることになりました。初めてお世話になったんですが、実にきれいな病院で、受付の人も、看護師さんもとても親切にしてくださいました。処方箋を持って薬局店舗で薬の処方を受けている時に、日赤の予約が取れたからと、紹介状と予約票を持って追いかけてきてくださいました。

▲2017年、クリニックオープン内覧会にお祝いに駆けつけたときの写真です

 学校にも事情をお話しして、覚悟を決めて日赤精密検査を受けてきました。ものすごい数の患者さんであふれていました。島根県では、現在異常なくらいたくさんの感染者が毎日報告されています。診察室に呼ばれて、いよいよ宣告を受けるものと、深呼吸…、覚悟して入りました。すると、コロナの急増で、「緊急を要する手術・命に関わる手術以外は当面禁止の通達が出た」とのことで、手術の選択肢が当面消えました。先生の診断によれば、手術も一つの選択肢だけれども、画像で判断する限り、そこまでひどい変形ではないとのこと。(1)体重を減らして、(2)できるだけ歩かないようにして、(3)投薬治療、の方針で様子を見ましょう、ということになりました。勤務もありますから、歩かないわけにはいかない事情をご説明すると、できるだけ足の負担を軽くするために、松葉杖を使いましょう、ということで、10階のリハビリセンターに上がって、松葉杖の講習を受けてきました。

 こんな事情で、すっかりと覚悟を決めていただけに、良かったような悪かったような、複雑な心境です。この一週間はできるだけ歩かないようにして(夏休みで松江北高は授業無し、勝田ケ丘志学館は生徒にコロナが出たために一週間休校)、ベッドに横になって寝ていました。体重もずいぶん落ちてきました。元気な時には、あれだけ頑張っても体重が落ちなかったのに、今回限りは大きな目標もあるので、面白いように体重が減っていきます。ずいぶん足の負担も軽くなっているような気がします。しばらくは、この痛みとも仲よく付き合っていかなければいけないみたいです。♥♥♥

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「果報は練って待て」?

◎「果報は練って待て」の自画自賛

 2月(東京)と6月(岡山)の「共通テスト」のオンライン講演の中で、私は「果報は寝て待て」ということわざを引用して、「共通テスト」に関する限り、寝て待っていても点は取れるようにはならない、「果報は練って待たなければいけません」「果報は練って待て」です、というギャグを飛ばしました。このことに気付いていただけたかどうか分かりませんが、これは我ながら傑作の意味深な快心のギャグであったと自画自賛しています。今日はそのギャグの解説です。

 「寝て待て」という後半の表現から、「幸運の訪れというのは自分ではどうにもならないものだから、辛抱強く待つことが重要だ」という意味に勘違いしている人も多いんです。しかしこれはそのような消極的な意味ではありません。のんきに何もしないのではなく、自分の力でできる限りのことをしたうえで、どのような結果がもたらされようとも動じずに結果を待つ、という心境を表したことわざです。そもそも「果報」というのは、本来は「前世での行いの結果として現世で受ける報い」という仏教用語です。さまざまな縁のもとで、原因があって結果がある、という仏教の考え「因果応報」とも関係しています。幸運も不運も、縁と自分の行いのよしあしに左右されるものですが、よい行いをしてもすぐに幸運が巡ってくるとは限りません。しかし、あきらめずによい行いを続けて、幸運が巡ってくるのを待つという考え方こそ、「やれるだけのことをした後は結果を点に任せよう」「できるだけのことをして結果を待つ心境」というこのことわざの真の意味に近い態度ということができるでしょう。「人事を尽くして天命を待つ」という境地にも近いと言えるでしょう。この「果報は寝て待て」のことわざの真の意味を踏まえた上でのギャグ、「果報は練って待て」でした〔笑〕。「共通テスト」では、1分間に150語の英語を読む速読力、大問を解くための効率的な戦略、複数の情報から正解を絞り込む練習、英文を正確に読むための基礎的な文法力、時間との闘いに負けない集中力、など相当の訓練を要する要素が数多く含まれています。じっとしていてもこれらの力は身につかないのです。そこら辺を鋭く突いた、我ながら、なかなかよい出来映えのギャグでした。

 ちなみに先日(6月25日)の講演で飛ばしたギャグは、「花より単語」(←花より団子)「アクセント身につかず」(←悪銭身につかず)でしたが、松江に帰ってから、「あれは良かった」と数人の先生から、アンケートであるいは直接メールで、お褒めの言葉をいただきました〔笑〕。次回への励みになりました〔笑〕。♥♥♥

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天麩羅「神いし」にて

◎週末はグルメ情報!!今週は天麩羅

 松江市・内中原小学校校庭の前にある天麩羅「神いし」は、私の大好きな天麩羅屋さんです。板長こだわりの天ぷらは美味!今夜は、先日の岡山講演でお世話になった(株)ラーンズの営業・中村友樹(なかむらともき)さんと、夜の懐石を食べに行ってきました。2014年12月8日にオープンした「天麩羅 神いし」、天麩羅専門店です。専門店らしく、カウンター内に天麩羅鍋が置かれ、一品づつ揚げたての天麩羅を出して頂ける、揚げ出しスタイルの松江(山陰)では数少ないお店です。ご主人は、東京の専門店で20年近く経験を積まれた方で、「職人の味」をカジュアルな店舗で楽しむことが出来ます。店内もきれいでいい雰囲気ですよ。お客さんが六人を超えるとちゃんとしたものが出せなくなるから、と入店を断るプライドや、板長さんの人柄もよい。で、しかも安い。これが本物の天ぷらなんだな、といつも思います。先日もランチにお邪魔したとき、食べている間も次々とお客さんが入って来られるのですが、全部お断りしておられました。今夜も予約のお客さんだけで、営業でした。

 オープンしたときからずっと通っています。野菜も含めて全体に言えることですが、衣は油を感じず、中の素材はレアでジューシーな揚げ方です。「天つゆ」か、「ヒマラヤ岩塩」のお好きな方で頂きます。最後に出て来る小エビと野菜のかき揚げは、そのままでもいいんですが、天丼風にご飯に乗っけて頂き美味しいこと。とにかく、素材の旨味を大切にして、油を抑えた仕上がりを目指して仕事されているそうで、天紙に移る油がほとんどなく綺麗なのには驚きました。食後も全く胃にもたれることがなく、すぐにお腹がすくような感じです。ご主人(私と同じく西村京太郎ファンです)、お店の雰囲気と、敷居の高さを感じずに、美味い天麩羅が気軽に頂ける、八幡お気に入りのお店です。私のオススメのお店です。天麩羅はやっぱり揚げたてを頂くに限りますね。

 さてこの後、二次会はアポなしで、久しぶりに東本町の「小料理 ちぼ」にお邪魔しました。私はもう天麩羅のフルコースでオナカが一杯で、食べることはできません。中村さんは若いので、大丈夫です。私がオススメの「麻婆豆腐」「チャーハン」をオーダーしました。マスターも仲よくなられ、ご機嫌でしたよ。♥♥♥


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「初代千鳥岡山本店」

◎週末はグルメ情報!!今週は居酒屋

   

   先日の6月25日の岡山オンライン講演を終えて、担当の金村さん、営業の中村さん、ラーンズに今年入社したばかりの教え子の小川さんの4人で、お食事に行ってきました。岡山駅から3,4分のアクセスの良い地鶏・鮮魚「千鳥 初代岡山店」というお店でした。ゆっくりとくつろげる完全個室で、とても綺麗なお店でした。ビルの4階で、エレベーターを降りると、靴を脱いで靴箱に入れてから入室です。お部屋は堀ごたつのように足を下ろすことができます。プライベート感が強く、落ち着いて食事ができます。こんなご時世なので、個室店は重宝されますね。

 日本海を中心に、その日の内に絞めた鮮度抜群の鮮魚を提供しています。各産地の郷土料理を中心に、四季折々の食材を使用した創作料理が出てきます。

 新鮮なお料理に、舌鼓を打ちました。久しぶりに楽しいひとときを過ごしました。ごちそうさまでした。♥♥♥

 

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ノジュール

 みなさんは、「ノジュール」という雑誌をご存じでしょうか?旅行会社のJTBパブリッシングが出している月刊誌(毎月28日発売)なんですが、書店では求められませんので、直接会社から送ってもらう形です。 “50代からの旅と暮らしの情報雑誌”とPRしている雑誌です。旅行の大好きな私はもう長年定期購読して、愛読しています。旅の参考にさせてもらっているんです。

 「ノジュール」とは、鉱物学の専門用語で硬くて丸い石球(団塊)のことです。「団塊の世代」の語源にもなったもので、球の中心にアンモナイトや三葉虫などの化石が入っていることがあります。自身の中に眠っている興味・関心の発見や新しい趣味の始め方など、“50代からの自分ライフを3倍楽しく”過ごすための情報を届けてくれます。毎号美しい写真と共に、夫婦や友達との時間を贅沢に過ごすための大人の旅プラン、暮らし、健康、趣味などの役立つ情報を提案してくれています。

 その今月号は、私の大好きな鉄道特集で「「観光列車」で山へ海へ 夏の絶景!鉄道旅」というものです。島根県は新型コロナウィルス感染者が激増し(過去最高人数を更新中)、全国的な知名度になってきました。およそ長旅に出ようという雰囲気ではありません。ビクビクしながらの生活ですので、こんな雑誌の特集が実に嬉しい。⇒コチラでちょっとこの雑誌記事を立ち読みすることができます   「サフィール踊り子号」「伊予灘ものがたり」「丹後あおまつ」と、私の大好きな観光列車がいっぱい出てきます。♥♥♥

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「時分の花」と「まことの花」

●若さゆえの脚光を勘違いしていませんか?

 室町時代に世阿弥(ぜあみ)の著した『風姿花伝』(ふうしかでん)は、単なる能の古典ではありません。中には人間の本質とか考えや生き方をえぐった言葉がたくさん出てきます。あの有名な「初心忘るべからず」もその一つですね。⇒私の紹介はコチラです  現代人の生き方につながる言葉やヒントがびっしりと詰まった本です。世阿弥は、世間一般にメッセージを発するためにこの本を残したのではありません。能という芸術が100年以上続いていくように、彼が人生をかけて得た奥義を後世に残してくれているのです。舞う人がどう舞えば、人に美しさが伝わるか、能にはどういった役割があるのか?を記述することで、我々現代人に普遍的なメッセージとして強く響いてきます。あのジャパネットたかた」の創業者・高田 明(たかたあきら)さんが大好きな本でもあります。70歳を超えた今もなお、精力的に活動を続ける高田さんが大切にしてきたのは、寿命が尽きるまで「まことの花」を咲かせるということでした。詳しくは『高田明と読む世阿弥』(日経BP、2018年)をご覧ください。

 その本の中に、「時分の花」「まことの花」という言葉が出てきます。「時分の花」というのは若い人が持つ、若さゆえの鮮やかで魅力的な花のことですが、盛りが過ぎると散ってしまいます。これに対して、「まことの花」というのは、日々の鍛錬と精進によって初めて咲く花を指します。自分という木が枯れても咲き続ける本質的な花。その時限りの「時分の花」「まことの花」と思いこまずに、常に初心を忘れず精進すべし、ということを言っています。人間は修行によって本当の花となり、人に感動を与えられるようになるのです。若い時分に華やかな脚光を浴びることを、自分の本当の実力だと慢心してはダメだよ、というわけです。年齢に応じた能役者の説明の中で、50歳を超えた能役者にはその人の本質とか個性の次元で最後の花が残る。それが「まことの花」というものと重ねて、表現されています。年齢を重ねてこそ、理解が深まる物事があるというのはとても共感します。

「時分の花」・・・若いときに誰もが持つ天性の輝き。若くして脚光を浴び、活躍する人。

「まことの花」・・・長年の努力精進によって磨かれた輝き。歳をとるにつれ、ますます進化し活躍する人。

 世阿弥は、この二つの花をくれぐれも間違うな、と言っているのです。若い自分に脚光を浴びることを自分の本当の実力だと慢心するなかれ、というわけです。彼は、能という芸において、いかにして「まことの花」を咲かせるか、ということを探求しているのです。「まことの花」とは、なんとも優れた表現で、含蓄がありますね。花というものは、能という芸道における演者の放つ、ある種の佇まいというか霊気というか、そういうものだと解釈しているのです。「時分の花」というのは、若さ故に放たれる霊気のようなもので、それは、若さの衰退とともに、必ずや無くなってしまう。だから、それは「時分の花であり、まことの花ではない」というように花の考え方は展開されます。一方、「まことの花」とは、自身の芸に対する、不断の公案(問い)によって育まれるもので、一過性のものではなく長期にわたって続くものです。

 旬で咲き頃の花を「真に美しい花」と思い込む心が、自分を「真の花」から遠ざてしまいます。そして、咲き頃の花に心を奪われ、心を迷わせているうちに、「真の花」が失われてしまうことにも気づかないのです。私達が生き歩む世界、自分が構築すべき世界における「まことの花」は何か?そして、「まことの花」を探求しつづけるほどの情熱(心)は、どこにあるのか?「まことの花」を咲かせるとは、人生における最大の幸福ではないか?このように人生論としても読めるところが、『風姿花伝』の素晴らしいところだと思います。自己を更新し続ける努力を惜しんではなりません。「実るほど頭(こうべ)を垂れる」という成句もありますね。「まことの花」なら、時が経っても決してしおれることなく、より長く花を咲かせ続けることができます。

 私の尊敬する故・外山滋比古(とやましげひこ)先生が、こんなことを書いておられました。「まことの花」のヒントです。♥♥♥

 マラソンに折り返し地点があるでしょう。折り返し地点とは、そこで「折り返す」んです。マラソンで折り返し地点を過ぎて同じ方向に走り続けるバカはいないけれど、人生においては折り返し地点を過ぎても、そのまま真っ直ぐ行こうとする人がある。特に前半よかった人にそういう傾向が強いですね。その先にゴールがあると錯覚するのでしょう、きっと。折り返し地点で、思い切って今までとは違う生き方をしてみる。ある種、今までの自分を否定して、折り返した先に自分の新しい目標があると思って進んでいけば、前半より価値のある時間を過ごせると思います。

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長崎の特急

 九州新幹線は、佐賀の武雄温泉~長崎間の運行ですから、博多からはどうやって武雄温泉まで行くことになるのかな?と、関心を持って注視していました。9月に開通したら、すぐに乗りに行こうと計画をしているんです。JR九州は6月10日(金)、西九州新幹線の開業にともない、新たな特急列車「かささぎ」「リレーかもめ」を運行開始する、と発表しました。まさにこれです。

 西九州新幹線の先行区間、武雄温泉~長崎の開業は今年9月23日。新幹線最新型車両の愛称名は「かもめ」(N700S)です。山陽新幹線・九州新幹線とのアクセスを図るため、今回新たに、博多~武雄温泉をむすぶ在来線特急「リレーかもめ」が誕生します。この「リレーかもめ」は、武雄温泉で、西九州新幹線と「対面乗り換え」(リレー方式)ができるので楽チンですよね。使用車両は、885系(6両編成)、787系(8両編成)です。今までの特急「かもめ」と同じ車両ですね。私の好きな水戸岡列車です。未整備区間で在る武雄温泉~新鳥栖間をフル規格で整備することで、新大阪までの直通運行が実現します(整備方式検討中)。

▲885系 特急「かもめ」

 さらに、佐世保方面へ向かう特急「みどり」「ハウステンボス」のうち、武雄温泉で新幹線と接続する列車は、「みどり(リレーかもめ)」「ハウステンボス(リレーかもめ)」となります。使用車両は、885系(6両編成)、783系(8両編成)です。

▲783系 特急「ハウステンボス」

 また、西九州新幹線の開業で、長崎方面への在来線特急はすべて廃止。佐賀~諫早間の特急停車駅である肥前山口駅(江北に改称予定)・肥前鹿島駅を救済するため、博多から肥前鹿島までをむすぶ新たな特急「かささぎ」がデビューします。1日7往復と、佐賀発着の区間便上り2本・下り1本が設定されています。「かささぎ」に使用される車両は、885系(6両編成)、787系(6両編成)、787系(8両編成)、783系(8両編成)です。「かささぎ」の愛称名の由来は、佐賀県の県の鳥であることから、地域に愛される特急列車として活躍してほしいという願いが込められています。

 なお、西九州新幹線の開業にあわせ、長崎、熊本、鹿児島県の在来線で、車掌を廃止する方針です。運行する在来線列車に運転士でのみが乗車する「ワンマン運転」の対象を拡大する方針で、車掌を廃止する代わりに、車両にカメラを取り付けるなどして安全確認を行う考えです。ワンマン運行になると、何かと不便なことが起こるのでしょうね。

▲787系 私大好きです

 私はこの三種類の特急列車には全て乗ったことがあり(全て水戸岡鋭治作品です)、親しみを持ってこのニュースを読みました。♥♥♥

【追記】 JR九州は、新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、列車の運行に必要な運転士など乗務員の確保が難しい状況となったため、7月27日から8月5日にかけて、特急列車を120本運休すると発表しました。新型コロナに感染したり濃厚接触者となったりして、運転士と車掌合わせて38人が乗務のできない状態になっているとのことで、一部の特急列車の運休を決めました。▲博多と大分を結ぶ特急「ソニック」の上下線合わせて100本。▲博多と長崎を結ぶ特急「かもめ」の上下線合わせて20本。勝田ケ丘志学館も、生徒にコロナが発症したために、今週いっぱい休校となりました。私の家の近くのコンビニ・セブンイレブンに今日買い物に行ったら、感染のために「休業」とありました。影響は大きいのです。

 

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「多長根」

 尊敬する故・野村克也さんがワタミの創業者渡邉実樹さんとの対談集『これだけで「組織」は強くなる~戦うリーダーの作り方』(角川書店、平成22年)の中で、こんなことを言っておられました。「長期的」「多面的」「根本的」の三つがキーワードだと思うのです。

 


初めて渡邉さんとお会いしたのは、2009年秋のことでした。その時、渡邉さんは、「一流の経営者、一流のビジネスマンの条件は、長期的、多面的、根本的にものごとを考え、判断できることです」というお話をされました。しかし実際には、多くの経営者がこれと反対のことをしています。短期的なそんとくしか考えない。ものごとを一面的にしかとらえられず、自分以外の立場から見るとどうなるのか、裏側からみたらどうなるのかといった思考回路がない。枝葉末節にとらわれ、本当に重要なことを見失ってしまう。「そういう経営者が大半ではないでしょうか」と渡邉さんがつぶやいた時、私は思わず、「おっしゃるとおり。いや、野球もまったく同じなんですよ」こう言いながら身を乗り出していました。


 大局観の視点を身につけるために大切な考え方とも言われる、3つのことが「多・長・根」。この3つがあれば物事は上手くいくと言われるくらい大切なことです。問題解決のハウトゥーの中でも最も大切なポイントなんです。これは東洋哲学の大家・安岡正篤先生の言われた言葉で、物事を判断する時に、多面的、長期的、根本的に捉えろ!ということです。それでは一つ一つ見ていきましょうか。

①「多」は多面的・複眼的に物事を見ること
②「長」は短期ではなく長期で見通すこと
③「根」は根本に注意を向けること

①「多」:多面的

「多」とは、複数の視点から全体を把握すること。

 物事には表と裏があり、メリットや良い面だけを見るのではなく、裏にあるデメリットやマイナス面も把握することが重要です。表と裏の2つの視点から見て全体像を見る。例えば、大企業で表向きはすごく良い会社に見えるところでも、実は離職率が異常に高かったり、労働環境が悪かったりすることがあります。表面的な情報だけではなく、様々な角度から色々な分析をすることは重要で、そこで必要になっていくるのが多方面での情報収集力。物事を正しく理解し、本質を知るためには複数の視点から全体像を把握することが大事になってきます。人はとかく自分の視点にとらわれがちですが、少し視点を変えると違う景色が見えることも少なくありません。固定した自分の視点だけでなく、一歩ステップバックして、立場の違うさまざまな視点で考えることです。相手の視点、第三者の視点、文化的背景が違う人間の視点、年齢や性別が異なる人の視点、などで考えてみることです。

②「長」:長期的

「長」とは、短期ではなく長期のスケールで考えること。

 目の前の利益やメリットだけではなく、その先を考えることは、視野を広げるために有効で、何かを決める時に、目先のことだけを考えるだけで 判断をするのではなく、もっと先の1年後や、2年、5年、10年を考えても妥当な決断か、という視点が重要です。例えば、ベンチャー立ち上げ1年目の社長と結婚の話が出た時、目先のお金で結婚という決断をするか、数年先の安定が確保できているかを見定める視野のことです。結婚や転職はまさに長期的な判断が大切。結婚なら、愛情か?お金か?転職なら、年収か?将来性か?問題解決は、短期だけに囚われずに、長期的視点を持って判断すべきです。

③「根」:根本的

「根」とは、本質に立ち返ること。

 これが実は一番難しいことで、本質を見抜くこと。本質を見抜くためには、「木を見ずに森を見る」といった「俯瞰」の視点が必須。ただ多くの場合は、「木を見て森を見ず」の状態になってしまう。そんな時は、Why? と問いかけ続けることです。「なぜそれが必要なのか?」「なぜうまくいっているのか?」「なぜ失敗したのか?」本質を見抜くのは「なぜ?」の繰り返しです。例えば、経験も能力もある勢いが若手メンバーが揃っているのに、全く良い結果が生まれていない。その場合の「なぜ?」を考えた時、調整役になっている先輩が全く自分の意見もなく上司の顔色ばかりを伺っているようなチームだった場合、問題は上司の顔色しか見ていない先輩。そのような先輩をチームから外すと自発的な意見が生まれることがある。物事の本質を考えるということです。本質が分かれば、他に応用もできますが、現象だけを見ていては、応用もできず、根本的な改善もできません。現象が出るたびにそれに振り回されることになるでしょう。何をするにしても、何をしているときにも、自分が今それをしている目的は何か、何を目指しているのか、といった根本を意識しておきたいものです。「この問題の本質は何か?」という原点に常に立ち返れということです。

 物事に行き詰まったら、「多、長、根、多、長、根……」(たちょうこん、たちょうこん…)と呪文のように唱えてみましょう。「角度を変えてみたらどうか?」と多面的な角度からの検討を促し、「君の言っていることはよく分かった。では、それを長期的に考えたらどうなるのか?」と追求し、「本当のところではどうなんだ?本質的には何をやりたいのか?」と考え方を深掘りしていく。成功する人、伸びる人は、一面ではなく多面的に、短期に加えて長期的に、枝葉末節に囚われずに根本的に考える。この両者の差はとてつもなく大きいのです。♥♥♥

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「ハウステンボス」身売り?

 衝撃的なニュースが飛び込んできました。旅行大手のエイチ・アイ・エス(HIS)が、長崎県佐世保市の大型リゾート施設「ハウステンボス」を売却する方向で調整している模様です。「2度あることは3度ある?」「ハウステンボス」の「身売り」はこれで3回目です。このニュースの前に、「ハウステンボス」の歴史を振り返っておきましょう。私は今までに三回「ハウステンボス」を訪れています。

 「ハウステンボス」は総開発面積が152haと、国内最大の単独テーマパークです。この広大な敷地は江戸時代に干拓された新田で、太平洋戦争時に海軍が接収し、海軍兵学校分校を開設。戦後は復員兵を受け入れる厚生省佐世保引揚援護局が置かれた後、陸上自衛隊針尾駐屯地となりました。1957年に同駐屯地は廃止され、長崎県に払い下げられ、県は「針尾工業団地」として造成したものの、工業用水不足などで企業誘致が進まず、空き地のまま20年以上放置されました。そこで県は長崎オランダ村(長崎県西海市)にテーマパークの開設を依頼して、同社が受け入れて1992年3月に「ハウステンボス」を開業しました。

 2,000億円以上をかけてハリボテではない本格的な街づくりを実現したテーマパークだっただけに、バブル崩壊後の開園にもかかわらず入場者は多く、1996年度には380万人にも達しました。が、立地の悪さに加え、代わり映えしない施設内容から、その後は年々減少に転じ、2001年度の入場者は293万人と300万人を切ります。私も開業時に、松江南高校英語科のみんなと訪問していますが、あまり強い印象はありませんでした初期投資負担が重かった上に、メインバンクだった都市銀行が金融大再編前に債務処理を迫られたこともあり、ハウステンボス運営会社の資金繰りが急速に悪化して、2003年2月に2,289億円の負債を抱えて会社更生法の適用を申請し、事実上倒産しました。

 テーマパークとしての営業は継続し、野村ホールディングスのベンチャーキャピタルである野村プリンシパル・ファイナンスをスポンサーとする再生計画案が認可され、同社が「ハウステンボス」に110億円を出資して、2004年4月にリニューアルオープン、経営再建に乗り出します。当初は韓国や台湾、香港、中国などの海外旅行ブームに乗ってインバウンド集客に成功しました。しかし、2008年のリーマンショックに端を発した世界金融不況の影響で、インバウンド客が激減。テコ入れ策はいずれも起爆剤とはなり得ず、活気のないテーマパークからさらに客足が遠のくという負のスパイラルに陥り、2009年3月期には約27億円の営業赤字を計上し、2010年3月、出資分を回収できないまま、野村プリンシパル「ハウステンボス」の支援から手を引きました。

 そこに登場するのが、旅行会社HIS澤田秀雄社長です。実は、ハウステンボス」への経営支援の打診は2004年頃にもありました。しかし「ハウステンボス」のある佐世保市は、雨が多く、周辺の商圏人口も少なく、それでいて、広い園内には空中電線が1本もないほどの過剰投資がなされていて、その維持にかかる経費は多額に及びます。テーマパークとしてはきれいな街ですが、「最悪」とも言える条件下にあると思ったので、支援は断わっています。その後、2010年には、佐世保市朝長則男市長から再度、支援の要請を受けます。朝長市長は地元出身で市議や県議を務められて佐世保市長に就任した人です。それだけに、「ハウステンボス」の再建はご自身にとっても大きな課題と考えていました。とはいえ、一度断わった2004年当時同様、最新の価値評価でも苦しい状況はまったく変わっていませんでした。特に、年々老朽化が進む設備の維持・更新費用は年間20億円と推定され、財務状況を考えればやはり再建は難しいと思われました。何より本社HIS経営幹部も強硬に反対したこともあり、2度目のお断りを入れます。そして、秘書には「次のアポイントメントは絶対に受けないように」と指示しました。澤田さんは、3度頼まれるとノーと言えない」という厄介な性格があることを、十分に自覚していたからです。しかし市長は、どこからか「澤田社長は3度目は断らない」というこの“悪癖”を聞きつけたらしく、ある日突然、HIS新宿本社をアポなしで訪ねて来られて、しかも入口で澤田さんが出勤してくるのをじっと待っていました。その時も、テーマパークとしての条件が非常に厳しいと思いました。まずは過剰な設備投資です。「ハウステンボス」は東京ディズニーランドの約1.6倍の広さがあります。首都圏には3,000万人以上いますが、地元の佐世保市長崎市を足しても100万人にも満たない。市場に対して、規模が大きすぎるんです。そして長崎、特に佐世保は雨が多く、天候が悪いと入場者は3割ほど減ってしまうというのも躊躇する要因でした。

 そんな中、ついに澤田さんが重い腰を上げて、再建に乗り出します。経営再建を引き受けるにあたり、3年やってもダメだったら撤退する」と伝えていました。当初、HISの取締役全員を連れてきたときは、閑古鳥が鳴いており、人がいなくて寒々しいぐらいでした。それが見違えました。「ハウステンボス」は時代遅れの「石炭」だと思われていましたが、実は磨けば磨くほど輝く「ダイヤモンド」の原石だったのです。再建にあたり、澤田さんは、「ハウステンボス」内のホテルに住民票を移し、現場に来て、問題点を徹底的に洗い出そうと1年の半分以上は滞在していたそうです。誰が引き受けてもうまくいかなかったあの「ハウステンボス」がよみがえった要因については、澤田さんご自身が『運をつかむ技術 18年間赤字のハウステンボスを1年で黒字化した秘密』(小学館、2012年)で詳しく述べておられます。指導者のやり方一つでどうにでも変わる、という好例だと思います。(1)なぜ「万年赤字」で、誰が取り組んでもうまくいかなかった「ハウステンボス」の経営に取り組もうと考えたのか?(2)そしてどうやって立て直したのか?この2点に関して、澤田社長の解答が、『運をつかむ技術』(小学館、2012年)に見られます。

 九州財界からの強い働きかけに加え、60億円あった債務の8割を債権放棄した上で残る債務も地元企業が肩代わりして債務をなくし、佐世保市が固定資産税納付額に相当する再生支援交付金を10年間出すなどの条件で、澤田社長もようやく重い腰を上げたのでした。HISは2010年4月、集客数を増やすためにハウステンボス敷地の南側3分の1を無料で入場できる「フリーゾーン」(現「ハーバーゾーン」)として開放し、「ハウステンボス」とは無縁の企業による新規出店も受け入れました。すると開園以来18年間連続営業赤字だった「ハウステンボス」を、わずか半年で黒字転換してみせました。やはりトップが変わると、組織も激変するという好例です。澤田社長は、単なる経営再建だけでなく、約150haのおよぶ広大な敷地を“実験場”として活用し、新規事業の創出にも注力します。その代表例が、2015年7月には、HISが恐竜型ロボットが宿泊受付をする「変なホテル」1号店の開業。その他再生可能エネルギーに特化した電力販売「変なエネ」など、話題を集めました。

▲フロントは恐竜型ロボットの「変なホテル」

 そうした状況で、2020年の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)感染拡大に伴う非常事態宣言の発出などで、国内外からの観光客が激減しました。緊急事態宣言発令などに伴う56日間の休園や、人々の外出自粛などの影響を余儀なくされた2020年9月期は、入場者数138万6,000人と前年同期比で約半分にまで落ち込みました。売上高も113億2,200万円と半減したほか、営業赤字19億9,800万円、最終赤字24億3,800万円を計上し、HIS子会社となって初の赤字決算となりました。直近の2021年9月期も入場者数は127万7,000人とどまり、売上高114億4,000万円、営業赤字28億100万円、最終赤字21億4,600万円と、2期連続の赤字決算となりました。その後は新型コロナの逆風下にもかかわらず、入場者数を増やし、2022年3月中間期(2021年10月〜2022年3月)の連結営業損益は上期としては3年ぶりに黒字転換しています。

 こうしたコロナ禍の影響は、親会社・HISでも深刻です。HISの2020年10月期の連結決算は、コロナ禍での渡航制限などから、売上高は前期比46.8%減の4,302億8,400万円となり、最終赤字250億3,700万円となりました。コロナ前には売り上げの8割を占めていた海外旅行の需要が消失し、国内旅行も緊急事態宣言の長期化で大幅に落ち込んだことで、2021年10月期第3四半期連結決算では、売上高907億3,800万円(前年同期比77.4%減)、最終赤字332億1,700万円とさらなる苦境に陥っています。業績が悪化する中で、手元資金を確保して、財務基盤を安定させる一環となるのが、この「ハウステンボス」の売却です。

 これで3回目の「身売り」となる「ハウステンボス」ですが、開業から30年を経過した現在もテーマパークとしての集客力は保っています。香港の投資会社は買収後も営業を継続し、香港や中国からのインバウンド観光客誘致に取り組む見通しです。

 「ハウステンボス」の株式は、HISが3分の2、残りをJR九州などの地元企業が保有しており、各社は同時に株式を売却すると見られています。売却すると700億~800億円になると具体的な金額も明示しており、それがいよいよ現実味を浴びてきたかたちです。♥♥♥

 

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ルミエールの「ジュエリーフルーツパフェ」

◎週末はグルメ情報!!今週はパフェ

 JR岡山駅直結の「ホテルグランビア岡山」の吹き抜けになったたロビーの横にあるのが、ロビーラウンジの「ルミエール」です。季節限定のパフェやケーキを提供しています。岡山の玄関口にあるくつろぎの空間で、開放的でありながらも、優雅さを感じる店内です。アームチェアとローテーブルのゆったりとした席はくつろぐのには絶好です。ビジネスマン、家族連れ、カップル等、お客さんでいっぱいです。 

▲美味しそうなケーキも気になる

 ここでは、季節ごとに岡山のフルーツやパティシエおすすめ食材を使った「フルーツジュエリーパフェ」(5月9日~6月30日、2,000円)を提供しています。食べることができるのは、12時~18時の時間限定商品です。県産白桃のコンフィチュールや蒜山ジャージーヨーグルトのブラマンジェ、シャインマスカット、イチゴなど季節のフルーツとスイーツがベストマッチ。こだわりのパフェです。岡山の夏に欠かせない、みずみずしくもあふれんばかりの甘さをたたえた、その豊かな味わいに、今年もまた「ルミエール」で出逢えます。毎年好評なパフェグラスの中のそのハーモニーは、さらに可愛らしく彩りと味わいをバージョンアップ。パティシェの自信作が、またまたおいしい進化の扉を開きました。馥郁と香り立つ、くだもの王国・おかやまを代表する逸品果実のパフェを、ぜひホテルグランヴィアで。7月からは中身が変更になると担当の方が言っておられました。

 岡山の誇る夏果実…それが独特のとろけるような甘さと食感を誇るモモ。明治8(1875)年、日本でもいち早く栽培が始まり、多くのモモの匠たちが生育法や新品種を生み出し続けました。そのほの白さは、関東圏などでは稀有な存在ですが、岡山ではだれもがその旬を待ち望む絶果実。

 グラスの中は、季節のフルーツ、クリームシャンティ、赤い果実のムース、岡山県産白桃のコンフィチュール、季節のフルーツ。ルビーチョコレート、メレンゲ、レモンクリーム、シュトロイゼル、クレームディプロマット、ホワイトチョコレート、パイナップルとマンゴのマリネ、ライムとミントのジュレ、蒜山高原ジャージーヨーグルトのブラマンジェアレトロピカルフルーツ。上品な甘さのピーチ・ソルベや層それぞれの味わいが重なるクリーム&スイーツゾーン。クリスタルのように透き通るフルーツカクテルは、まるで夏に涼感を運んでくれるそよ風のよう。最後まで楽しいおいしい発見が笑顔にさせてくれるパフェです。倉敷の美観地区で食べた「くらしき桃子総本店」(⇒私の食レポ記事はコチラ)以来のパフェでした。実においしかった。♥♥♥

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蒜山ジャージー牛乳

◎週末はグルメ情報!!今週は牛乳

 「ホテルグランヴィア岡山」に宿泊して、朝食バイキングに出た「蒜山ジャージー牛乳」が無性に美味しかった。私は自宅では岸田牧場「牛乳だより」を飲んで満足しているんですが(⇒私の紹介はコチラ)、妙に美味しい。ということで、岡山駅ナカのスーパーまで出向き、買ってきました。「蒜山ジャージー4.2」という商品です。

 ジャージー牛とは英仏海峡に浮かぶチャネル諸島の「ジャージー島」が原産の乳用種牛です。数百年にわたり、英国王室御用達の濃厚なミルクを出すために、特別に改良されました。乳脂肪分はもとより良質なたんぱく、ビタミン、ミネラルなどの栄養価が高く、その味は英国王室のお墨付きです。欠点は、ホルスタイン種に比べ体がひと回り小さく、一頭からとれる乳量が少ないため大量生産には向かないということで、国内ではあまり飼育されていません。近年乳成分の濃厚なミルクを産する乳用種として見直され、その乳は希少価値が高く、高級品のイメージがあります。しかし、少しぐらい割高でも、手に入れたい美味しさがジャージー牛乳にはあります。蒜山高原では戦後にジャージー牛の原種を買って飼育しています。

 蒜山酪農は1956年の設立以来、一貫してジャージー種にこだわり続け、現在では国内の飼育頭数10,000頭の内、一地域では最多の約2,000頭が、蒜山で飼育されています。ジャージー牛が蒜山に導入された最大の理由は、広大な牧草地(当時は未開拓の野原)に恵まれていることです。ジャージー牛は草を乳に変える能力に優れており牧草を主体に与えることで乳脂肪分の高い濃厚なミルクを出すことが出来ます。蒜山は西日本でありながら、標高500mの高原特有の冷涼な機構にあり、作られる牧草の品種は東北以北で栽培されるイネ科の永年牧草であるチモシーなどが栽培されています。チモシーは牛の嗜好性がよくβ-カロテンを多く含む栄養価の高い牧草です。各牧場は十分な牧草地を保有しており、年間を通し飼育する全てのジャージー牛に良質な牧草を与えています。そのため蒜山のジャージー牛はジャージー本来の濃厚で淡い黄色味を帯びたミルク(黄金のミルク)を出すことが出来ます。ジャージー牛はかわいい顔立ちと小さい体、それに人へのなつき具合もよく、蒜山高原の観光資源の一つになっています。

 全ての牧場は蒜山酪農が運営する市乳工場を中心に、半径10km圏内に位置しています。鮮度の高い生乳を短時間で集乳し、製造・加工をしていますので、濃厚でありながら癖の無いさらりとした飲み口の、ジャージー乳本来の美味しい牛乳をお届けすることが出来ます。
 

ミルク

 β-カロテンは植物によって生合成されますが、動物は生合成することが出来ません。蒜山ジャージー牛は、β-カロテンを含んだ牧草を多くたべることで、絞ったばかりの生乳は光が反射するとうっすら金色に輝くことから「黄金のミルク」とも呼ばれています。一口飲めば独特の濃厚な味わいと、まるで生クリームのような深いコクが楽しめます。高タンパク、ビタミン、やミネラルなどの栄養価をそのままに絞りたての味は病みつきになりそうです。

 ミルクの基となる牧草は、土壌の質が良くなければ良質な牧草を作ることが出来ません。そのため各牧場は美味しい生乳を生産する上で「土作り」・「草作り」・「牛作り」をモットーに取り組んでいます。水と空気のきれいな蒜山の恵まれた自然のなかで、牛体の健康、搾乳機器や牛舎の衛生管理、牧場の美化に至るまで牛にストレスを感じさせない飼育管理に日々務めています。

 ホテルの係の方によれば、鳥取県は米子のスーパーに置いてありますよ、とのこと。今日勝田ケ丘志学館でその話をしたところ、山根館長さんが市内スーパーで見つけて買ってきてくださいました。再び生田事務長さんもスーパーで見つけて届けてもらいました。ありがとうございました。♥♥♥

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児島駅

  古代の児島は瀬戸内海に浮かぶ島でした。児島とその北側に位置する本州に挟まれた海域は、吉備の穴海と呼ばれ、瀬戸内海における主要航路の一つでした。近世の干拓で、児島は岡山平野と陸続きになったのです。干拓地では綿花が栽培され、繊維産業が発達。江戸時代は小倉織や真田紐、足袋の生産を手掛け、昭和時代半ばには、学生服の生産高全国一を記録します。1964(昭和40)年、国内で初めてジーンズを生産。国産ジーンズ発祥の地として全国に名を馳せています。「ジーンズの聖地」らしさを町中で体感できるのが児島の魅力です。ジーンズバスが市内を走るなど、ジーンズファンにはうれしい演出が多彩です。2009(平成21)年には、ジーンズショップなどが集まる「児島ジーンズストリート」が誕生。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋の本州側の起点になる児島駅構内の改札や階段、コインロッカーなどにジーンズ柄をあしらい、乗降客の目を楽しませています。岡山での講演を無事に終えた私は、岡山駅ら「快速マリンライナー」のマリンパノラマ席で、児島駅を目指しました。

 ちなみに児島駅は、プラットホームの両側に線路がある島式ホーム2面で、4線(乗り場が4つ)という構造です。「ジーンズストリート」が近いなど、人気観光地が周辺に充実していることもあり大きな駅って感じですね。

▲改札機のバーもジーンズ仕様に

 

▲児島駅の階段もジーンズ柄

▲コインロッカーにも巨大ジーンズが

▲自動販売機もジーンズ柄

 

▲階段の壁には巨大ジーンズが

▲エレベーターもジーンズ仕様に

 ジーンズの町というイメージ戦略が徹底しています。よく見ると、駅の自動改札機のバーがジーンズ柄になっています。みどりの窓口自動券売機の周りも、ジーンズ一色に。自動販売機は、ホームに設置されているものと同じく、ジーンズ仕様になっています。またしてもふと目をやると、ホームの降りる両壁がジーンズ柄に、さらにはには大きなジーンズが飾られていました。壁に飾る用なのか、通常のズボンより大きい気がします。エレベーターまでがジーンズ柄に。なんたる怒涛のジーンズ推し。観光地に近い駅ってことで、コインロッカーの有無が気になるところですよね。ご安心ください。児島駅のコンコースには、でっかいコインロッカーがありますよ。しかも、こちらもジーンズ推し!でっかいジーンズの絵が迫力満点で気に入ってしまい、思わず撮影してしまいました。フォトジェニックでしょ?

 駅の外に出てみれば、風で揺れている無数のジーンズ達がお出迎えしてくれます。児島駅を象徴する景色といっていいかもしれません。さあ、今から観光タクシーで児島の町に繰り出すぞ!♥♥♥

▲駅を出ると無数のジーンズがお出迎え!

 

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保証人は絶対ダメ!

 お金の貸し借りは人間関係のトラブルの元ですから、絶対に避けなければいけません。人にお金を貸すときは、全部あげるつもりで出すことにしています。私も何回か頼まれてお金を貸したことがありますが、一度も戻ってきた試しがありません。私が尊敬する故・本多静六博士(東京大学名誉教授)の名著『私の財産告白』(実業之日本社)にも、そのことがちゃんと出ています。少々長いですが、参考になるので、引用しますね。

▲本多静六博士の名著


 昔から金の貸借にはいろいろな戒めがあって、「借主となるなかれ、また貸主となるなかれ、貸主は金と友人を同時に失う」とシェクスピアなどもいっている。もちろん、借金の申し込みにはいちいちもっともな理由がある。抜き差しならぬ持ち込みがある。しかし、親戚知友に対する金銭上の融通はできるだけ避けたほうがよろしい。これはお互いのためだ。実際金の貸し借りは、その金ばかりではない、大切な友人や親類をも失うもととなるので、いかなる場合にも金を貸借しないに限る。

 私もいままでにはずいぶんこの禁を破って金を貸した。ことに友人などから困窮の事実を訴えられると、つい気の毒になって金を出したものである。ところが、気の毒だと思って貸した金で、その金が生きた例がほとんどない。いろいろな人に、いろいろな場合の申し込みをうけると、初めてのことで僅かの金高だからとか、せっかくわざわざ頼みにきたのに気の毒だからとか、最初のうちはいつも貸す気になった。そのほとんどすべてが失敗で、自他共に失うところがすこぶる大きかった。

 ともかく、一度金を借りにくるくらいの人は、必ず二度、三度と借りにくる。そのときには再び貸さねば先の分まで死ぬということになって、再三無理をして貸し出してしまう場合が多い。そうして、自分にもこれ以上、もう貸す力がなくなるという頃には、いつしか切っても切れないと言う深い関係に陥ってしまう。こうして世の中の人々の多くが、善意に始まって、ちょっと金を融通したことからついに自分までも倒産の憂き目をみるに至るものである。私もここのところに気付いたため二度目にキッパリと断り、最初の恩借を無視されたばかりでなく、かえって大いに怨まれた場合さえしばしばあった。

 いずれにしても、少し金ができるとだれにも必ずこの貸借のトラブルが起きてくる。こうした際、何人も心を鬼にして最初から一切融通に応じない方針を厳守するよう、私は私の体験からみなさんにおすすめする。またそれが本当にお互いのためでもある。


 私の母の祖父の遺言は、「絶対に保証人になるな!」でした。なんでも保証人になったばかりに自分までひどい目にあったことが原因で、そのような遺言を遺した、と母から聞きました。母は私にも、絶対に保証人にだけはならないように、お金の貸し借りは一切するな」と言い残しました。本多博士もそのことをこんこんと戒めておられました。


 なお金を貸したり、儲け口に出資したりする以上に気をつけなければならぬことは、金融上の保証人となり、連帯の印を押したり、裏書の判を引き受けたりすることである。親戚知友などの懇意な間柄では、よく、ちょっと君が一ト判請け負ってくれさえすれば僕の事業も助かり、数日内に金も返せるから君にも決して迷惑はかけないと持ち掛けられることがあるが、うっかり請け判をしたためにとんだ目にあい、ついに一生涯それで苦しめられる人が少なくない。私の友人である知名の大学教授(W博士)のごときは、この手にかかり僅か数百円の借用証文に保証人の判を捺したばかりに、その証書が高利貸しの手に渡って転々とし、僅か五年そこそこのうちに数万円の巨額となり、その利息を払うだけに、生涯月給の差し押さえを食いつづけていたが、恐るべきは正にこの請け判である。だから、たとえ事情やむを得ず、自分の持ち物を売り払って金を出すことがあっても、決して他人の借用証書などに判を捺すべきではない。


 私は今まで母の教えを忠実に守って、お金の貸し借りは一切せず、保証人にもならずにこれまでやってきました。正解でした。♥♥♥

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十津川警部シリーズは秋に延期!

 高橋英樹主演の人気ドラマ「西村京太郎トラベルミステリー 十津川警部」(テレビ朝日系)にはなぜこうも、多くの苦難が降りかかるのでしょうか?2012年、亀井刑事を演じていた愛川欽也が降板。2017年には放送していた「土曜ワイド劇場」(テレビ朝日系)そのものが終了してしまいました。そして今、コロナ禍によって2020年7月に放送された第72弾を最後に、2年も新作が登場しないままでした。原作者の西村京太郎先生が、今年3月3日91歳でお亡くなりになりました。ついでながら、同じくテレビ朝日の看板作品だった沢口靖子「鉄道捜査官」も昨年8月の放送が最後。2時間サスペンスドラマ受難の時代を迎えています。

 ところが今年6月11日、高橋英樹さんが自身のブログで、新作ドラマのロケが始まったことを報告しました。十津川シリーズ最新作とは明言していませんが、あの髪型にスーツ、高橋さんが漏らした情報(文章の最後に新幹線の先頭車両の絵文字)から、同作であることは確実です。6月12日には、あの村川透監督とのツーショットを公開しました。村川監督は十津川シリーズのメガホンを執っています。八幡も嬉しく、久しぶりの新作の登場予告に胸を撫で下ろしていたんです。

 ところがです。そんな十津川シリーズに、衝撃のニュースが高橋さんからもたらされました。高橋さんは6月15日のブログで「ありゃりゃりゃりゃ!思いがけずスタッフの健康トラブルで暫く撮影休みとなりました」と明かしたのです。その後、6月22日に「明日から撮影再開です!!!皆さんも健康でありますように」と撮影が再開することを明らかにしていました。しかしその夜10時に、「まあ仕方ないさ!今撮影中の作品が秋に持ち込むことになりました」と発表。全国のファンから悲鳴が上がりました。

 そもそも十津川シリーズの撮影はほぼ休みなしで、約18日間にわたって行われます。それが休止とは、よほどのことがあったということです。『スタッフの健康トラブル』とのことです。具体的にはどんな種類の「健康トラブル」かは発表されていませんが、この時期ドラマの撮影が中止になるのは、新型コロナウィルスの感染しか考えられませんね。コロナは思わぬところに影響を与えました。

 今年5月には、テレビ東京のドラマスタッフ13人が新型コロナウイルスに感染したことが発表され、撮影を休止したことも明らかになりました。局サイドはドラマ名を明かさなかったために、そのドラマが放送されたのかどうかは分かりません。十津川警部シリーズも場合によっては、撮影は再開されず、お蔵入りになる可能性もあるのです…。

 いやいや、「十津川警部シリーズ」はテレビ朝日の2時間サスペンスドラマの看板作品なので、そう簡単に撮影を中止することはないはずです。高橋さんも自身の代表作・分身として、このドラマを実に大切にしています。撮影のスケジュールを大幅に変更してでも、完成させることでしょう。十津川ファンは心配しなくてもいい。いや、そう願いたいものです。

 十津川警部シリーズの撮影が秋に持ち込むことになりました。放送も秋以降になりました。撮影の再開を待ちたいと思います。まずは高橋さんのブログから目が離せなくなりました。♥♥♥

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まだ歩けない

 先日、痛む足を引きずりながら、岡山ZOOMオンライン講演に出かけてきました。無事に大役を務め終えて、足を伸ばして児島まで遠征して、調子に乗って歩き回ったのが悪かったのでしょう。再び足が痛くて歩けなくなりました。「1時間の授業を大切に!」としょっちゅう力説している手前、授業に穴を開ける訳にはいきませんから、痛む足を無理して引きずりながら、米子東高松江北高に通っています。椅子に座ったり、電車の座席に座っていて、立ち上がり第一歩目をぎゅっと踏み出すときに右足に激痛が走ります。歩き出してしまえば、「びっこ」を引きながら何とか歩くことはできます。

 あ、今日は授業で、この「びっこ」という言葉は差別語で、現在は使われない、という話をしたところ、ほとんどの生徒が「びっこ」という言葉を知りませんでした。これには驚きました。世代が違うんですね。私が小さい頃は「ちんば」という言葉もありました。現在は「足が不自由な」という言葉を使います。英語でも同様に、lameという言葉は差別語で、disabledとかhandicappedといった言葉を使ったこともありましたが、今ではphyscially challengedという言葉を使います。

 先日から「だて整形」で、「タリージェ」「ボルタレン」「レバミピド」という胃薬が処方されて飲み始めました。これで私の服用する薬は全部で13種類となりました。伊達先生からは副作用として「眠くなる」ということを注意されましたが、これは本当でした。ウトウトして電車を乗り過ごしたり、乗り過ごしそうになったり、電車の待ち時間までうつらうつらしながら、ハッと気がついたら、もうとっくに時間が過ぎていたり。先日は少し早めに松江駅に入り、「ドトール」でコーヒーを飲みながらいつもの仕事をしていました。気がついたらとっくに電車は出てしまっていました。幸い特急「やくも」があったので、それで追いかけて事なきを得ました。とにかく眠い。それに急に体重が増え始めました。ここ最近かなり体重が落ちていて、管理栄養士さんからも褒められていたんですが、これはまずい。ということで、今日もう一度「だて整形」に行って相談してみました。確かに「タリージェ」には水をため込んでしまう作用があるので、体重が増える人もいるんだそうです。ということで、「ボルタレン」「レバミピド」だけになりました。痛む右足をかばって左足に力を入れて歩くものだから、以前から痛めている左膝までもが痛み出す有様です。今日はお尻に太い麻酔注射2本と、膝から水を抜いてもらい痛み止めを打ってもらいました。でも全然効かない。

 夜中ベッドに上がるのに、ベッドから降りてトイレに向かうのに、激痛です。夜中に叫び声を上げながら、行ったり来たりしている有様です。歩けることは当たり前のように思っていましたが、こうして足が不自由になってみて、決してそうではなかったんだということに気付かされました。「当たり前は当たり前」ではありませんでした。生徒達には今そのことを力説している八幡です。♠♠♠

水を飲めることに「ありがとう」
息ができることに「ありがとう」
食事ができることに「ありがとう」
仕事があることに「ありがとう」
家族がいることに「ありがとう」
友達がいることに「ありがとう」
話ができることに「ありがとう」
歩けることに「ありがとう」
生きていることに「ありがとう」

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八幡が選ぶ「十津川警部」ベスト3

 最近お亡くなりになった国民的作家・西村京太郎先生の代表作「十津川警部シリーズ」は、最も有名なキャラクターでしょう。テレビドラマにおいては、今まで、さまざまな役者さんが十津川警部を演じてきました。まず演じたのは、こんな人たちです。整理しておきましょう。

■故・三橋達也【テレビ朝日系1979年10月20日放送「ブルートレイン寝台特急殺人事件」ほか】

■故・夏八木勲【日本テレビ系1981年10月6日放送「消えたタンカー」

■故・宝田明【TBS系1982年9月4日放送「特急さくら殺人事件」

若林豪(82歳)【同1983年4月9日放送「日本一周『旅号』殺人事件」ほか】

■故・天知茂【テレビ朝日系1984年7月14日放送「東北新幹線殺人事件」

■故・石立鉄男【フジテレビ系1986年7月31日「展望車殺人事件」

小野寺昭(78歳)【フジテレビ系1987年1月9日放送「寝台特急『はやぶさ』の女」ほか】

高橋英樹(78歳)【テレビ朝日系1990年7月17日放送「十津川警部の挑戦」ほか】

■故・渡瀬恒彦【TBS系1992年4月13日放送「札幌駅殺人事件」ほか】

■故・高島忠夫【テレビ朝日系1995年10月7日放送「特急ゆふいんの森殺人事件」

■故・萩原健一【テレビ東京系2003年4月23日放送「日本一周『旅号』殺人事件」

神田正輝(71歳)【同2004年1月7日放送「寝台特急『はやぶさ』の女」ほか】

津村和幸(62歳)【旅チャンネル「西村京太郎の鉄道ミステリー」

高嶋政伸(55歳)【フジテレビ系2009年5月8日放送「人捜しゲーム」ほか】

内藤剛志(66歳)【TBS系2017年1月23日放送「伊豆・下田殺人ルート」ほか)】

船越英一郎(61歳)【テレビ東京系2020年5月25日放送「危険な賞金」ほか】

ちなみに小説版の十津川警部『黙示録殺人事件』(1983年)以降、一部作品を除き、十津川の年齢は40歳で固定されています。だが、どうしても「十津川警部は50歳前後かそれ以上」というイメージが強いですね。十津川警部を初めて演じ、成功させた三橋さんを始め、50代、60代で初演する人ばかりだったからでしょう。なお、十津川警部は「大卒」「ノンキャリア」です。このゴールデン連休中に、故・宝田 明さん演じる十津川警部(「特急さくら殺人事件」)、若林 豪さん演じる十津川警部(「四国連絡特急殺人事件」「寝台特急紀伊殺人行」)を見ましたが、それぞれに魅力的な十津川警部でした。みなさんなら、誰の十津川警部が一番お好きですか?

 さてそれでは、これらの役者さんの中から、私の独断と偏見で選ぶ「十津川警部ベスト3」を挙げてみましょうか。

【第3位】 故・三橋達也(みはしたつや)さん!

 三橋さんは、1979年にテレビ朝日系で放送がスタートした「西村京太郎トラベルミステリー」で十津川警部を好演し、以降1999年まで同シリーズの十津川警部役を務めました。テレビドラマで初めて十津川警部役を演じたことでも有名で、ベテラン刑事らしい、落ち着きと風格のある十津川警部像を確立していましたよね。ほのぼのとして、しぶ~い十津川警部でした。

 

【第2位】 高橋英樹(たかはしひでき)さん!

 2000年に放送された、テレビ朝日系の「西村京太郎トラベルミステリー」シリーズの第34作から十津川警部を演じたのが、高橋英樹さんです。三橋達也さんから高橋英樹さんに主演が交代した後も、十津川警部の相棒ともいえる亀井刑事役は長らく故・愛川欽也さんが務めていましたが、2012年の58作目からは高田純次さん(75歳)に交代しました。おとぼけイメージが強い高田さんですが、意外にも演じたカメさんはマジメを絵に描いたような実直な男でした。なお、高橋英樹さんは、1990年~1991年にテレビ朝日系の「火曜ミステリー劇場」で放送された作品でも、十津川警部を演じています。ちなみにこのときの亀井刑事役は、いかりや長介さんでした。穏やかで、部下に優しい十津川警部で、安定感がありました。あえて難点(?)を挙げるとすれば、犯人に向かって真顔で説教をしている時、「桃太郎侍」(日本テレビ)に見えてしまうこともあったことでしょうか…〔笑〕。

 さて、私の推す「十津川警部第1位」は、やはり何と言っても、ダントツで故・渡瀬恒彦さんです。作者の西村先生ご自身も、渡瀬さんの十津川警部がお気に入りだったようです。「西村京太郎ファンクラブ」の間で行われた人気投票でも、渡瀬恒彦さん67%、三橋達也さん16%、高橋英樹さん15%という投票結果でした。やはり渡瀬さんがぶっちぎりですね。

【第1位】 故・渡瀬恒彦(わたせつねひこ)さん!!

 1992年から2015年までTBS系で放送されたシリーズにおいて、十津川警部役をずっと長年務めたのが渡瀬恒彦さんです。このシリーズは、配役が原作の年齢設定に近いことなどもあって好評を博し、全54作にも及ぶ長寿シリーズとなりました。長年放送されたこともあり、十津川警部と亀井刑事といえば、渡瀬恒彦さんと伊東四朗さんのコンビを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?伊東さんご自身も、一番ピッタリのコンビだったと自負しております。」とおっしゃっておられましたね。私もこのコンビが最高だと感じています。最終作品は、島根県・出雲市を舞台にした「サンライズ出雲の女」(2015年4月)でした(⇒私の解説記事はコチラです)。勇敢で、ヤクザも外国人マフィアも恐れませんでした。ついでに上司にも平気で逆らいました。悪党以外にはやさしく、ほとんどの人間に敬語を使いました。カメさん役は伊東四朗(84歳)。事件解決後は、2人で屋台のラーメンを食べるのがお約束でしたね。みなさんそれぞれにお好きな十津川警部がおられるでしょうが、ここは渡瀬さんをNo.1に推したいと思います。渡瀬さん演じる十津川警部は、初期の頃は感情の起伏を見せる人間味あふれる刑事でしたが、時を経るにしたがい、だんだん感情を抑えて冷静沈着な人物に変化していきました。クールに見えて温かく、渋さの中に優しさがあり、時に激情人間になることも。

 BS-TBSのスペシャル番組「西村京太郎ミステリー紀行〜十津川警部が見た風景〜」(2010年2月)で、西村先生&渡瀬さんの二人の対談が実現した際、1975年に163センチと設定した十津川の身長を、2003年発行の『祭ジャック・京都祇園祭』から、渡瀬さんに合わせて173センチにしたことを明かしました(渡瀬さんは174センチ)。

 渡瀬さんは収録中は、十津川警部になりきり、私語は一切口にしなかったといいます。半面、夜になるとホテルの自室に部下役の俳優たちを集め、酒を振る舞いました。また、部下たちの俳優を交代させることを極端に嫌いました。リーダー意識が強かったのです。情の人という点でも、十津川警部と素顔の渡瀬さんは近かったと言えましょう。♥♥♥

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「叶匠壽庵」の水羊羹にメロメロ

◎週末はグルメ情報!!今週は水羊羹

 真夏の蒸し暑い季節には、みずみずしい「水羊羹」が口当たりのよいさわやかなスイーツとなりますね。私は昔から水羊羹と言えば、もう京都の「鼓月」(こげつ)のものと決めています。⇒「鼓月」の詳しい私の紹介はコチラです  今回、岡山・高島屋「鼓月」にはまだ水羊羹が出ていませんでした。残念!仕方なしにもう一つ私の好きなお店の「叶匠壽庵」(かのうしょうじゅあん)に回って水羊羹」を求めて帰りました。店員さんの男性はあまり感じがよくありません。嫌な思いをしました。「叶匠壽庵」は、1958年創業の老舗和菓子店で、総本店は滋賀県の大津市にあります。創業60年で、革命的な和菓子を次々に生み出し注目されている和菓子メーカーさんです。

▲現在の水羊羹はこんなケースに入っている

 「叶 匠壽庵の水羊羹」に使用するのは、創業百年の歴史をもつ長野県「小笠原商店」の天然糸寒天。厳選した天草と、南アルプスからの清らかな伏流水が素材のすべてです。昔ながらの製法で、凍てつく寒さの中、寒天を外気で凍らせて、日光と風で溶かし、天日乾燥することを、およそ2週間繰り返します。長野県伊那地域は、冬場の寒さが厳しく、乾燥して晴天が多いことが寒天づくりに最適なのです。寒天の国内生産量のうち流通量はわずか2%といった希少な商品です。天草100%で作られた伝統的製法の糸寒天は、粉寒天と比較して、保水性・粘弾性に優れています。寒天の成分は、水分以外の80%が食物繊維そのものであり、カロリーはゼロです。

 ここ「叶匠壽庵」の水羊羹(1個324円)は、口溶けもなめらかで、小豆の風味が広がる夏にうってつけの涼菓です。自家製餡にこだわって、小豆の粒にまでしっかりと色が移るまで炊き込む濃厚なこし餡です。いくら手間がかかろうとも、自分たちの手で製餡するのは、菓子屋としてのプライドだそうですよ。餡に合わせる寒天は、口当たりの良い糸寒天。口に含むとすーっと溶けてゆくあの感覚に糸寒天は欠かせませんね。夏は涼しく、の心が込められた一品です。実に美味しい!

▲昔の水羊羹はこんな竹のカップに入っていた

 最近の話題を。「叶 匠壽庵」は滋賀県大津市の里山の中で、菓子の素材や、季節の花々を育て、自然と共に生きる暮らしとお菓子づくりを営んでいます。近年の環境問題に対して、「我々にいまできることは?」と真摯に問いかけ、レジ袋の廃止やプラスチックスプーンの削減などを進めてきました。プラスチック使用量を82%削減。「叶 匠壽庵の水羊羹」と言えば、独自の発想から生まれた竹を模した容器がそれまで長年愛されてきました。涼感ある佇まいから好評でした。しかし、竹容器はプラスチック量の観点から環境に大きな負荷がかかります。25年続く看板商品の容器を、社内・外の惜しむ声もありましたが、プラスチック量の年間55トン削減を計画した新容器にリニューアルしました(原料となる樹脂を25gから5gに減量)。容器が大きく様変わりしており、最初は分からずに、ちょっとビックリしました。今流行のSDGSの流れですね。寒天づくりにおける氷の結晶から着想した古典柄「麻の葉」をモチーフとして形状を構築。手間を惜しまず、小豆の味を大切にしたなめらかな口あたりの味はそのままに、伝統美をベースに涼感あふれる現在のカタチとなりました。麻の葉柄には無病息災、長生きといった願いが込められているとされています。日本文化を守り、時代に寄り添うカタチで、新しい夏がやって来ます。♥♥♥

▲現在の容器です

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「GoodはGreatの敵である」

 標題は、ジェームズ・C・コリンズ『ビジョナリーカンパニー2』の冒頭に出てくる言葉で、私は小宮一慶(こみやかずよし)さんの本で知りました。そこそこ良い状態であると、そのことに満足してしまい向上心がなくなり、せっかくGreatになることができるチャンスがそこにあるにもかかわらず、Goodな状態で終わってしまうということです。このGoodGreatの差が一人前一流の差ではないかなという気がします。「一人前と一流は違う」という言い方もしますが、よく似た趣旨ですね。一人前というのは厳しい言い方をするようですが、二流です。食べるにはそこそこ困らないけれども、人からはすごいとは認められない状態です。もちろん、これは価値観の問題ですから、別に一流やGreatにならなくてもよいと考えるのもありだとは思いますが。ミスを怖がり、good(安定してできる)なプレーを選び続けると、goodな状態から抜け出せなくなってしまいます。

 器用でない人は人よりも仕事が遅いので、努力を続け、工夫したりして「もっとうまくやるのはどうすればいいだろう?」と、あれこれ試行錯誤します。自分が器用でないことを知っているので、努力を続けるのです。ところが、器用な人はこの四苦八苦がありません、早く一人前になるので、周りからもちやほやされます。自分でも「仕事なんかちょろいもんだ」と感じるからか、無意識のうちに奢りが生まれます。早く一人前にはなりますが、その後の努力をしなくなるのです。言うなれば、「GoodはGreatの敵」なのです。一人前と一流は違うのです。一人前は二流になっただけです。ここから一流になるには、さらなる努力が必要なのです。半人前は三流ですから、必死に努力をしなければなりません。多くの人が一人前(=二流)になったときに必死さを失うのです。誰も文句を言わないから、少なからぬ人がそれで十分と勘違いをしてしまうのです。だから一流にはなれません。本当に必死さが必要なのは、一人前になってからなのです。「自己実現」とは「なれる最高の自分になること」です。なれる最高の自分になろうとしないことは、本人にとってももったいないことですが、属する組織や社会全体にとってももったいないことだと思います。一人前で満足しないで、前向きになれる最高の自分を目指すことが大切だと思います。官僚的になったり、組織横断的な判断や考えができなくなったり、そこそこの売り上げや利益に満足してしまい、お客様やお得意様に対してぞんざいな態度になったり、goodで止まる原因は、満足して謙虚な気持ちがなくなった時のようです。

 「自己実現」をするためには何をしなければならないかというと、二つあると考えています。一つは、とにかく目の前にあることに一生懸命になる習慣を持つことです。ビジネスマンなら目の前の仕事にとにかく精一杯取り組むこと。そして、まだやれることがあると考えて、さらに徹底することです。中途半端なことをやっていては、実力は上がりません。全力を尽くしていれば実力は少しずつですが必ず上がっていきます。人生は今日一日の過ごし方が積み重なるだけのことです。もう一つは、目標を持つこと。短期的な目標でもよいから、目標を持って、そのために全力を尽くすとともに、オフでも自分の将来のために本質の勉強を少しずつでも積み重ねていくことが大切です。目標を持たないと、毎日が全力でもなれる最高の自分になれるかどうかは分かりません。「散歩のついでに富士山に登った人はいない」のです。必死に散歩しているだけでは、富士山には登れません。どうせ努力するなら方向性を間違わないことです。そのためには目標を持つことが大切です。私は月間目標を毎月立てることを薦めています。そして、その目標の先に「目的」、つまり自分の「存在意義」が見つけ出せれば最高です。♥♥♥

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仕事の教科書・生き方の教科書

 本の要約サービス「flier」を運営する株式会社フライヤーグロービス経営大学院が、2月15日、「読者が選ぶビジネス書グランプリ2022」の受賞作品を発表しました。今回は過去最多のエントリー数となる126冊から、全6部門とグランプリ候補から「有益だった」「実用的だった」と思うビジネス書を一般投票で決定しました。一般投票数は昨年の30%増を記録しています。コロナ禍でビジネスパーソンたちから、ビジネス書への関心が高まっていることが窺えます。総合グランプリに選出されたのは、藤尾秀昭(監修)『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』(致知出版社、2020年)でした(写真上)。本書は「自己啓発部門」も受賞しています。有名企業の経営者をはじめ、作家、デザイナー、医師、落語家、住職、哲学者、教授、スポーツ監督、指揮者や俳人に至るまで、多岐にわたる分野の著名人たちの哲理が詰まっている本で、2020年11月に発売されて以来、分厚い本ですが、今までに30万部も売り上げています。1月から12月までの365日、題名の通り1日1話形式で構成されています。今、自分の心に響いてくるものもあれば、過去にあった自分の境遇に近くて、その時の記憶がよみがえるものもあります。

 365名の方の談話が、1日1話読み切り形式で紹介されていて非常に読みやすいのですが、顔ぶれが極めて豪華です。稲盛和夫氏、佐藤可士和氏、堺屋太一氏、柳井正氏、平山郁夫氏、髙田明氏、山中伸弥氏、北方謙三氏などの著名人から、島田洋七氏、松岡修造氏、コロッケ氏、ガッツ石松氏、経済人、様々な業界のプロフェッショナルのインタビューまで、極めて多くのジャンルに富んでいます。仕事を通じて人生の秘訣をつかんだ人、悲しみの底に光るものを見つけた人、与えられた環境で精一杯に生きた人。人生を真剣に歩んだ人々が語る言葉は、一様に光を放ち続けていますね。月刊雑誌『致知』(コレ八幡オススメの雑誌です)の対談記事やインタビューがベースとなっており、「有名・無名を問わず一隅を照らす人々に照準を当てる」という編集方針で、本当に様々なジャンルの方の話が一冊に凝縮されています。経営のあり方、無名時代のエピソード、不遇の時代の過ごし方、仕事との向き合い方など、様々な角度から、「仕事・人生のあり方」を強く考えさせられるエピソードが、これでもかと詰め込まれています。ある種「経営者・プロの金言の集大成」とも言える一冊です。人生で真剣勝負をしてきた人の言葉は、まるで詩人の言葉のように光りを放ちます。

 内容全般として、仕事論・生き方など、一つ一つのテーマが1ページ読み切りにもかかわらず濃厚なものになっています。私は全体を通して読むより、傍らに置いて、その日のテーマを読む、特に感銘を受けた内容は付箋をつけたり、マーカーで塗ったりしておき、手帳に書くなり、時折読み返すという読み方をしています。やはり功をを成した方は、努力(かそれを努力と思わないくらいの没頭)・運を良くする生き方・時代の波に乗る生き方など、相当な「何か」があったことを強く想起させる内容です。

 この本の待望の第2弾が、去る3月29日に発売となりました。『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』(致知出版)です(写真下)。両書合わせて、読者の心を震わす2部作となりました。深く、熱い内容で、読んでいると心が震え、次の話を読みたくなってきます。

 先に刊行した『仕事の教科書』は、創刊から40年以上となる月刊誌『致知』の1万本以上におよぶ人物インタビューから、編集長と編集部が書籍化する365本を厳選し、1日1話形式で、1月1日から12月31日まで1年間読めるように作ってあります。400㌻以上と分厚く、定価も2585円と高めですが、刊行後は大きな反響を呼びました。新型コロナウイルス感染症の拡大で、社会に停滞感がただよう中、仕事のプロフェッショナルが残した言葉に鼓舞される読者が広がったのです。ブックレビューサイト「ブクログ」の2020年年間ランキング第1位(評価順)や、フライヤーなど主催「読者が選ぶビジネス書グランプリ2022」の総合グランプリ獲得など、高い評価も得ています。致知出版社始まって以来、最も売れている書籍となっています。その2部作目となる新刊『1日1話、読めば心が熱くなる生き方の教科書』(初版5万部)も、1日1話で読み切れるコンセプトを継承しています。表紙のデザインも統一感を持たせました。内容も月刊『致知』のインタビューや講演録などから、読んだ人の生き方を考えさせるような一流プロの言葉を厳選。瀬戸内寂聴さん、五木寛之さん、伊調馨さん、加藤一二三さん、長渕剛さん、村田諒太さんら、前作以上に、各界多様なジャンルの豪華ラインナップとなりました。本書の7つのこだわりとは、①一流プロ365人の超豪華ラインナップ、②全424頁、永久保存版、③人間力と仕事力が身につく、④1日1話形式(各1頁)で、1年間読める、⑤胸が熱くなる感動秘話も満載、⑥『致知』読者しか読めなかった記事を初公開、⑦幻の秘蔵記事も一挙集結、でした。

 両書の担当編集者であった致知出版社・小森俊司書籍編集部次長は、「『仕事の教科書』が大きな反響をいただいていた2021年3月ごろから、2部作目に取りかかった」言います。前編集長で現在主幹の藤尾秀昭氏が前作と同様、全面的に携わっているほか、小森氏が中心となり編集部でプロジェクトチームを組んで進めました。小森氏は「今回の『生き方』はもともとやりたかったテーマ。私どもは月刊『致知』で、いつの時代も変わることのない人の生き方を追求してきた。その中から前作以上に厳選された本書は、より人生訓や人生の深みを教えてくれる実話が集まっている」と自信を覗かせます。「前作を薄めるような、ただの続編には決してしないよう心がけた」と語っています。この二冊を手元に置き、時間を見つけては心が熱くなる話を拾い読みをしている八幡です。まさに全424ページにわたる人間力を高める「仕事と人生のバイブル」、ありがたい二冊です。両書の元となった月刊『致知』は毎号読み応えがあって、私はいろいろな人に薦めて歩いています。♥♥♥

▲大ベストセラーとなった二冊

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「ユニバーサルグロ-ブ」

 時を遡ること、2017年5月のゴールデン連休のさなか、私はふと思い立ってテーマパーク「USJ」に、初めて行ってきました。「USJ」⇒「万博公園」⇒「NIFREL水族館」と回って帰って来たんです。実に楽しかった。ところが、です。その時に撮した2,500枚もの写真ファイルが全~部壊れてしまい読めなくなってしまったんです。赤や青や黒の影がかかってしまい、写真が台無しです。オイオイ…!

 早速私がいつもお世話になっている福岡の腕利きのデータ復元専門業者「データ・レスキューセンター」に復元をお願いをしましたが、ほんの数枚しか復元できず、その時の写真が全~部パーになってしまいました。そこでもう一度、同じ行程を、今度は前回とは全くの逆の順でリベンジに行ってきたんです〔笑〕。今度は3,000枚ほどの写真を撮ってきて、すぐにバックアップしておきました。ずいぶん高くついた写真代でしたが〔笑〕。

 USJの入り口を入って、ドーンと構えるあのでっかい地球儀のオブジェは、名前を「ユニバーサル・グローブ」(Universal Globe)と言います。映画会社ユニバーサルスタジオのオープニング・ロゴを模しています。待ち合わせ場所や撮影スポットとしても有名ですね。

 表面中央にUNIVERSAL』と大きく表記されています。文字のフォントは特定できず、おそらくオリジナルです。このグローブは、『UNIVERSAL』の文字がこの順に読めるように、実際の地球の自転とは逆方向に回っていることでも有名です。 この「ユニバーサル・グローブ」は、世界各国(アメリカ、シンガポール、中国)のユニバーサル・スタジオによってデザインや大きさも異なりますが、日本の場合、直径はどれくらいあると思いますか?直径7.3mです!!!デカい!あれが56秒/周(中には1分/周という人もいますが)で回転するということなので、回転速度を算出(円周率は3.14とする)した結果、約1.47km/hでした。

 最近は、正面から見てキレイに『UNIVERSAL』と見えるように、止まっている光景が目立つのですが、もしも回転している場合、28秒に1度『UNIVERSAL』という文字列が見えるということになるので、写真を撮るときは回転速度も考慮して撮影してみるといいかもしれませんね。夜景もキレイでした。♥♥♥

 

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多義語term

   私の周りでは、単語集を竹岡広信先生『LEAP』(数研出版)に鞍替えする学校が目に付きます(米子東高校松江北高も。他に出雲高校・安来高校)。私は最近の講演で、繰り返し『LEAP』学問的素晴らしさに触れています(私の書評「竹岡広信『LEAP』~理想の単語集」コチラをご覧ください)。一例を挙げれば、termという単語は「多義語」でさまざまな意味があるので、教室で押さえるのに一苦労しておられる先生も多いと思いますが、竹岡先生はこんな説明を挙げておられます:「(限られた)枠」→①「(意味の枠→)用語」②「(時間の枠→)期間」③「(相手との関係の枠→)間柄」④「(取り決めの枠→)条件」 こうして意味同士の関連を押さえておいてやると、生徒たちの記憶の負担はずいぶん楽になるはずです。多義語の学習ポイントはまさにここにあるんです(参考:竹岡広信『Q&A即決英語勉強法』(教学社)pp.24-25)。それに対して『新ユメタン』では、「専門用語,言葉;期間,学期;条件」と、単に訳語を羅列するだけです。これでは生徒はただ苦痛であるだけで、嫌になってしまいます。さらに竹岡先生は、この単語を含む頻出の熟語on good terms with~「~と良好な関係にある」(*特に「仲がよい」という訳ではない)という注記を与えておられます。この*の部分が重要です。これに対して『新・ユメジュク』では「Aと仲のよい間柄で」と訳語と、We keep on good terms with each other.(われわれは互いに友好関係を保っている)という用例が示されるだけです。これは、現場でも誤解している先生がたくさんおられる熟語で、私も以前に、この句の実態を詳しく報告していますので、⇒コチラをご覧ください いずれにしても優劣は明らかだと思います。大学に合格するためだけなら『新ユメタン』『新・ユメジュク』で十分でしょうが、英語の面白さ・奥深さ・難しさまで踏み込んで指導したいのなら、やはり『LEAP』をお薦めします。両者は目指すべき目標がはっきりと違います。学問レベルが雲泥の差です。例えば、relative―「親戚」、「親戚」―relativeとクイックリスポンスをいくら繰り返しても、それが一体どこまで役に立つのか、疑問です。『LEAP』では「(家族を含めて)親戚」としています。私は生徒に一生英語を勉強し続けられる基盤をつけてやりたいですし、英語の面白さ・奥深さを伝えたいと思っています。

 termに関して、私は授業では、『限界』というコアの意味に触れた後で、termを含んだ多くの語を紹介します。terminal(鉄道・バスの終点)、terminate(終わらせる)もよく分かるでしょう。アーノルド・シュワルツェネッガー主演のアメリカ映画The Terminatorが「終わらせる+~する人」から人類抹殺用に送られた殺人アンドロイドとなる事も容易に理解できます。exterminate(根絶する)も、限界⇒境界の外に追いやるから、determine(決定する)という単語も、ハッキリと限界をつける、から来ています。将来の未知語への応用につながる学習法と言っていいと思います。

 challenge『新ユメタン』「挑戦;(やりがいのある)難題,試練」と訳語を示します。『LEAP』には、「“解決してみろ”と挑んでくるような(やりがいのある)難問」「日本語でよく使われる「(強敵など)に挑む,挑戦する」の意味はまれ」とあります。どちらが優れているかは一目瞭然です。♥♥♥

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TKP

 コロナ禍が始まる前は、私の講演会の会場はいつも「TKP」でした。きれいな会議室で、いつも気持ちよく講演をさせていただいていました(会場使用料が結構高いことを知ってビックリ!!)。都会の駅の近くには必ず赤を背景に白く「TKP」と描かれたロゴマークを見ます。直営会議室数が業界NO.1の会社です。ロゴがあるビルは全国400カ所以上あり、その中に会場となる貸し会議室があるんです。街を歩けばあちこちでテナントのいなくなった商業ビル。夜になれば下の店舗は営業しているものの、上の階は電気が消えて真っ暗になっています。そんな建物を活用できないものかと考え、2005年に「TKP」を起業したのが、河野貴輝(かわのたかてる)社長(49歳)です。慶応大学卒業後、伊藤忠商事に入社した河野さんは、為替証券部を経て、日本オンライン証券(現auカプコム証券)やイーバンク銀行(現楽天銀行)の設立に参画。執行役員営業本部長を歴任し、その後2005年、32歳の若さで、証券や金融とは全く畑違いの「TKP」を立ち上げました。東京都内の駅近にありながら使われていないビルの空間を安く借り、会議室にして企業に貸していきました。会議室をそうじする毎日。ぞうきんがけをしながら、この一拭きが100円、ふた拭き出200円、積もり積もって会議室が貸せるんだ、と自分に言い聞かせます。ビルのオーナーにとっては、金にならなかった空間がお金になるので大歓迎です。オーナー、利用企業、TKPの三者にとってメリットが生まれました。

 株式会社ティーケーピーの社名は「トータルクウカン(空間)・プロデュース」の頭文字と説明していますが、元々は、貴輝(たかてる)、河野(かわの)のパトナーズ。元々は、河野の仲間たち、という意味でした。TKPの社名の由来である「Team Kakumei with Passion」「情熱革命企業」をコンセプトに、貸会議室事業における国内ネットワークの更なる拡充と、海外へのグローバル展開を行っていきます。また、ホテルを始め、資産・事業・人材等の再生ビジネスの展開を予定しており、よりよいサービスを提供し社会に貢献する企業を目指します。「空間再生流通企業」として無から有を生み、イノベーションを通して、 空間を「楽しく」「喜んでもらえる」ように「プロデュース」しています。「貸会議室の革命を目指してきました」と語る河野社長の、「革命」の二文字が、TKPのロゴにつながっています。ロゴのモチーフは、ウジェーヌ・ドラクロワが描いた代表作「民衆を率いる自由の女神」の中で、女神が振りかざす旗をイメージしており、お客様、社会、そして社員をよりよい方向へと導く革命のシンボルを表現しています。ロゴマークの色である「赤」は、モチーフと同様、情熱と革命を象徴しています。

▲東京市ケ谷のTKP

▲札幌市のTKP アパホテルとフランチャイズ契約

▲講演会場 実に美しい

 会社設立から3年が過ぎた2008年秋、リーマンショックが襲います。大手メーカーが「社内研修」などで押さえていた予約が軒並みキャンセル。TKPは大赤字に陥ります。ビルのオーナーたちに賃料の値下げを認めてもらい、会議室のレンタル料を3割下げて何とか乗り切ります。今度は2011年3月11日、東日本大震災。再び大量のキャンセルが出ましたが、貸会議室だけでなく、宴会場も貸す、料理も出す、で単価を上げて乗り切りました。2020年、コロナ禍。3度目のピンチです。予約は全てキャンセルで赤字転落。河野社長は「冬眠しよう」と決断します。レストランなど本業に遠そうな事業から撤退します。契約している全国の施設を、一瞬にしてワクチン職域接種の接種センターに変えることができました。また貸会議室を拠点に、オンラインで社員を結ぶシステムも整えました。現在は、貸し会議室事業の他にも、ホテルリゾート事業、飲料。ケータリング事業、イベント空間のプロデュース事業、コールセンター議業、アパホテルと組みホテルのフランチャイズなど手広く事業を行っています。

 TKPは、2022年2月期第2四半期(2021年3~8月期)の決算を発表しました。売上高は219億円(前年同期比6.9%増)と増収の一方、営業損益は4.9億円の赤字(前年同期は20億円の赤字)と、コロナ禍からの回復がまだ道半ばであることを印象づけました。半年前の2021年2月期の決算説明会上、河野貴輝社長はこう意気込んでいました。「今期は赤字が出ないような体質に持って行けたと思う」。約25億円の営業赤字に沈んだ前期から一転して、今期は7億円の営業黒字に浮上する計画を立てていました。しかし、黒字化は今のところ難しそうな情勢です。10月6日にTKPは通期業績予想を下方修正。当初は春先を底に経済活動が回復に向かうシナリオを描いたが、緊急事態宣言の断続的な発出によって、本業である貸会議室の戻りが想定を下回りました。下期もコロナ禍が長引くことを前提に「ワーストシナリオを想定」(中村幸司取締役CFO)し、営業損益は19億円の赤字となる見通しです。

 貸会議室事業に占める室料収入の割合はおよそ半分。残りは懇親会でのケータリングや、宿泊研修などで使用するホテルの運営といった附帯サービスの収入です。研修シーズンを終えた夏場など貸会議室の稼働が落ち込む時期でも、利益率の高い附帯サービスにより、安定した利益を上げられていました。コロナ禍ではその独自性がかえってあだとなり、外出自粛により貸会議室の利用が減少しただけでなく、附帯サービスの需要も霧散しました。とくに稼ぎ頭だった、ケータリングなどの「料飲」部門への打撃は大きかった。コロナ禍は続きます。しかし、人が集まることができるようになり、経営は黒字基調に戻りつつあります。♥♥♥

▲私の講演風景

 

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良樹細根、大樹深根

 「良樹細根、大樹深根」(りょうじゅさいこん、たいじゅしんこん)という言葉を本で読み、印象に残りました。良樹細根」とは、「細かく根が張っている木は枝葉もよく茂る木になる」という意味で、大樹深根」とは、「根が深くまで張っている木は、その分大きな木になる」という意味だそうです。このことは、人間にたとえても確かにそうですね。正しい考え方という根をしっかりと張りめぐらせている人は、やがてたくさんの枝葉が茂る良木になると思います。立派な木には、立派な根が張りめぐらされています。立派な木になりたければ、正しい考え方という名の根を張る努力を怠ってはいけません。根を張りめぐらせていない人は、本来もっと茂るはずの枝葉も茂らないままになってしまいます。あるいは、根はたいして張っていないのに、枝葉の方が一時的に急激に茂るという場合もあるでしょう。いわゆる運が良くてある時期一気に有名になったり、急にお金が儲かった人がこれにあたります。こういった人の枝葉は現時点では見事に生い茂っていますから、そこに魅力を感じて、多くの人がすり寄ってきてちやほやしてくれることでしょう。しかし、もともとその人の根は張っていないわけですから、それがどれほど持つかは時間の問題です。遠からず、根元から倒れてしまうかもしれません。人間はどうしても枝葉に目が行きがちですが、それを支える根がないと、すぐに枝葉は枯れ落ちてしまいます。すぐに役立つことばかりしていると、根が疎かになります。何事も最初に手をつけるべきはいつも根で、葉は後なのです。

 当人が根がまだ十分に張っていないことを自覚して、努力をずっと続けることが大切です。早く立派な木になりたいからといって、無理して大きくしようとすると、支えきれなくなって倒れてしまうことがあるので注意が必要です。この状態を「高転び」と言います。自分をことさらに大きく見せようと虚勢を張る人もいます。こういう人は根を十分に張っていないため、「高転び」してしまうことがあると思います。根を張る努力をせっせと続けるうちに、自然に枝葉が茂り、いつしか立派な木になる。これが、人としても、会社としても、最も理想的な成長の形だと思います。実力がついていないうちに「たまたま」うまくいった人は、それこそ人の何倍も努力をしなければいけません。努力を怠れば、たちまち枝葉は枯れてしまうことでしょう。根をしっかりと張りめぐらせるために必要な栄養分を得るには、長年読み継がれている良書を読むことが一番だと、尊敬する経営コンサルタントの小宮一慶(こみやかずよし)さんはおっしゃいます。名経営者として名高い、松下幸之助さんや稲盛和夫さんが書かれた本を薦めておられます。私もこのお二人の本はすり切れるぐらいに読んできました。

 ただし、人には、その人に合う木の高さがある一方、その高さまでは成長することも大切です。2メートルの木になる可能性のある人が2メートル以上になることはありませんが、2メートルまでには伸びなければなりません。5メートルになる可能性のある人は、5メートルまで伸びる努力をしなければならないのです。なれる精一杯のところまでは、体を壊さない程度に目いっぱい頑張ろうという意味です。私は、「自己実現」とは、なりたい自分になるということもありますが、「なれる最高の自分になること」ではないかと思っています。そして、なれる最高の自分を目ざしているその延長線上に、なりたい自分になれるのだと考えています。そんなことを考えさせてくれるいい言葉でした。♥♥♥

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かまどパイ

◎週末はグルメ情報!!今週はパイ!

 先日、香川を代表する銘菓「かまどパイ」をお土産に頂きましたので、ここで取り上げたいと思います。「香川県民なら誰しもが口にした事のあるかまどパイ」だそうです。何と言ってもサクサクとした食感が何とも言えないあの美味しさにハマってしまいました。「かまどパイ」のパッケージは、こんな感じで波・葉っぱ・インク・ドット・月などが描かれた、非常にシンプルなデザインです。香川のデザイン製作会社FooDoo’sが、和田邦妨(わだくにぼう)さんの持つ雰囲気を踏襲しつつ、現代風にリデザインしたものです。和田さんは琴平出身で、名物かまどの包装紙やパッケージにとどまらず、広告にいたるまで、CIを企業戦略として発展させた人です。香川県の文化功労者であり、日本パッケージデザイン協会の特別賞を受賞されています。

 「かまど」は香川県坂出市の創業80有余年の和菓子・洋菓子製造販売会社であり、看板商品でもあります。食べやすいように「かまどパイ」が1枚ずつ入っています(個別包装なので、手を汚さずに食べる事が出来る点も非常に良いです。ただし薄焼きパイなので、ポロポロと生地の粉が落ちるのが少し難点です)。

 「かまどパイ」の原材料は、小麦粉、グラニュー糖、バター、マーガリン(大豆含む)、卵、くるみ。非常にシンプルです。保存料は入っていない感じです(1枚辺りのカロリーは113.6kcalです)。

 「かまどパイ」はこんな感じで円盤型をしています。こんがり焼いた薄焼き生地に、表面には沢山のザラメがまぶされています。“ぱりっ”と食べた瞬間に、バラバラに砕けてしまいますが、味は、サクサクとした香ばしい食感と、程よい甘さのパイ生地が、口の中に広がっていきました。そして注目してもらいたいのが、アクセントでくるみが入っている点です。(このクルミがパイ生地との相性抜群で、非常に食感・味ともに美味しいのです!)一折一折丹念に折り上げたパイをバターの香り豊かに焼き上げています。どこか懐かしい、優しいリーフパイ。子供から、お年寄りまで、地元讃岐で大人気!厳選したバターを使用し、ひとつひとつ手作業で練り上げた自慢のリーフパイです。サクッというよりも、バターの生地の隅々までいき渡った、しっかりとした食べ応えのあるパイ菓子で、年間500万枚を売り上げを誇る人気商品です。すべて手作り、菓子職人が丁寧に焼き上げています。バターをふんだんに使い、薄く伸ばしたパイ生地の上にクルミをのせ、ひとつひとつ手作業で巻いていきます。パイはデリケートなお菓子ですので、これでないとおいしくできません。コーヒーのお供にもピッタリです。

 今度、香川に行ったら、「かまどパイ」を、お土産に絶対買って帰りたいと思っています。ありがとう、宇野さん。♥♥♥

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「江山楼本店」が閉店!

◎あの江山楼本店が閉店!

謹啓

〝王さんのちゃんぽん〟を愛してくれてありがとう――。
お客様への感謝を胸に、江山楼中華街本店を閉店いたします。

 江山楼は1946年、長崎新地中華街の一角で創業致しました。
75年の間、この場所で本店として、皆様のご贔屓に預かってまいりました。これも変わらぬご愛顧の賜物と、深く感謝いたしております。

 先代から受け継いだ〝味と料理〟の数々、そして華僑としての矜持を糧に、 お客様にご満足戴ける味を求めて研鑽を重ね、
いつも自信をもって、江山楼の〝王さんの味〟をお届けしてまいりました。

 考えてみますと「ちゃんぽん」も大きな歴史のうねりの中で、
長崎の地に誕生し、そして各々の店が基本を大切に守りながらも少しずつ変化してきました。

〝江山楼の王さんのちゃんぽん〟時代と共に変化し、
幾多の苦難をのりこえ今日に至っております。

 今、江山楼も大きな変革の時を迎えています。
父の味、母の真心にこだわり続けてきた江山楼創業のこの地で、いつの日かまた皆様とお会いできる日を・・・と、
今はただ思いを致しております。

 現在、江山楼は中華街新館でのみ営業をおこなっております。
今日まで、大切に受け継いできた〝江山楼王さんの味〟を、是非
江山楼中華街新館でご賞味いただけたら幸甚でございます。

今後とも中華街本店同様ご愛顧の程宜しくお願い申し上げます。

                       謹白
2021年12月30日
         株式会社 江山楼
         中国菜館 江山楼 中華街本店一同

                                                          (江山楼ホームページより)

▲江山楼の「特上ちゃんぽん」

 もう信じられません。あの長崎新地中華街」の老舗中の老舗「江山楼本店」が潰れるなんて!!!私はもう何度通ったことでしょう。「特上ちゃんぽん」が絶品でした。さだまさしさんのごひいきのお店で、「夏 長崎から」の打ち上げ会場にもなったお店です(すべて王さんのおごりです)。これだけの老舗でも、新型コロナウィルスの影響には打ち勝てなかったということですかね?

 秘伝の味を今に、創業以来守り続けるおいしさづくりへのこだわり。長崎中華街の歴史とともに60余年。「父の味、 母のまごころ」 をモットーに魔法の鍋から生まれるお料理の数々。一流の味というよりは、 親しみの味、こころの味。なぜかまた食べたくなるような、そして思わず笑顔がこぼれるようなおなじみの味。それが江山楼」、王 国雄さんの味づくりです。創業以来培って来た技から生まれる秘伝の味。一品一品に、あたりまえの小さなこだわりの数々がしっかりと息づいています。先代より伝えられた味を今に生かしてこそ伝統。 その意味でスープづくりは江山楼の味の原点です。秘伝と一言でいってしまえば簡単ですが、当たり前のことを忠実に、そして、それに徹すること。もちろん、鶏ガラの色、コク、香りと、信じるおいしさを求めてじっくり煮込んで仕上げます。白湯、清湯とお料理に合わせて使い分けるのもお料理の持ち味を考えてのこと。すべてはおいしさづくりに託す心が基本です。例えばもやし。具材の中でも最初に炒めるのがこのもやしですが、強い火をIMG_9000通した後もシャキッと歯ごたえがあり、もやし本来のほのかな甘味が残るおいしさであることが江山楼の調理技術の基本です。もやしひとつとっても、おいしいちゃんぽんをつくるための大切な要素。江山楼では、ちゃんぽんをはじめすべての料理にその技と心が生きています。一度に二杯分まで、それが味へのまごころ。いつの時も最上のおいしさの状態でお出ししたい、それが江山楼のおもてなしの願い。例えば四名以上でちゃんぽんを注文しても、ひとつの鍋で作るのは二名分まで。麺の炊き加減、具の素材と火の最良の関係など、ちゃんぽんの本当のおいしい状態を考えれば、どうしても二杯分が限度なのです。いつでも作りたてのおいしさを、それが、「江山楼」のおいしさづくりのまごころです。そんな「江山楼」は、いつお邪魔してもお客さんでいっぱいでした。

 ただ一つの救いは、中華街新館はまだ営業しているようで、何とかあのチャンポンの味は体験できるようですが。♥♥♥

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「ジョーズ」

 ピーター・ベンチリー(Peter Benchley)の小説Jaws (1974)を、ペーパーバックで読んだのは大学生の頃だったでしょうか。その小気味よい英語にはまってしまい、その後、同じ著者の小説を何冊か買い求めて読んだ覚えがあります(The DeepThe Island)。そして1975年に、スティーブン・スピルバーグ監督の初期の代表作である同映画を見ました。小さなビーチで、ホオジロザメが人を襲う事件が次々と起こります。警察署長のブロディは海洋学者のフーバーらとともに退治に向かいますが、そこに現れたのは想像を絶する巨大ザメ。あの不気味な音楽とサメの凶暴性は、今でもはっきりと記憶しています。そんなわけで、映画「ジョーズ」をモチーフにしたテーマパーク・USJ「ジョーズ」は、私のお気に入りのアトラクションなんです。高い所から落ちたり絶叫系のアトラクションではないので、心臓の弱い私でも大丈夫です。 ウォーター・ワールドへ向かう道に大きな女性の看板があります。このなんとなく通り過ぎてしまうアミティ・ビレッジの看板は、映画「ジョーズ」に登場した「落書き看板」を再現したものです。アミティ・ビレッジに人食いサメが現れた事件をきっかけに、「アミティの看板に子どもたちがサメの背ビレと吹き出し「HELP!! SHARK」と落書きした」というストリーです。

 のどかな漁村アミティ・ビレッジの入り口には、巨大なサメがぶら下がっており(ハンギング・シャーク)、観客との記念撮影が行われていました。「ハイ、ジョーズ!」がお約束みたいです。無様に吊り下げられた人食いザメは、今もなお凶暴な歯をむき出しにしており、多くの犠牲者を出した、かつての惨劇や恐怖を彷彿させて、アトラクション会場へと誘っていました。

 

      ▲このボートに乗って出発します。後方の座席が少し高くなっています。

 さて会場内は凄い長蛇の行列です。私は「優待チケット」を持っていたので、長い行列の人混みを横目に見ながら、特別レーン(Express)をすいすいと歩いていきます。こんなときに、旅行会社の教え子がこのチケットを用意してくれたありがたみを感じたことでした。ほとんど待つことなく、ボート(48人乗り)に乗り込むことができました。女性船長の楽しいトークを聞きながら(くさい芝居です)、のどかなアミティ・ビレッジの美しい漁村の風景を眺めるクルーズが始まります。木製の橋を越えると、いよいよアトラクションの開始。遠近感を出すために、アトラクション内の遠くの建物は約70%のスケールで設計されているそうですよ。ハイテンションになった船長が緊急の事態を知らせる無線を受信しました。前を進んでいたはずのボートが、ぶくぶくと沈没しています。不測の事態発生に瞬く間に笑顔が消える船長。すると目の前の水面に、あの不気味な背ビレが現れます。勇敢にも巨大ザメにライフルを持って立ち向かう船長。狙いを定めるも、ライフルの流れ弾が、なんとガソリンタンクに命中・引火してしまい、爆発音とともに大炎上します。船の周りは一面火の海です。映画に出ていた体長9m、体重2.7トンもある人食いザメのジョーズが、鋭い歯をむき出しにして襲いかかり、何度もボートに体当たりしてきます。結構な迫力です。ひとまず海岸沿いの建物の中に避難するものの、そこにもジョーズの影が…。なかなかのスリルを味わえるアトラクションでした。進行方向に向かって船の左側に座ったほうが、サメを眼前に見ることができる、とガイドブックで予習しています。でもバシャと水しぶきも襲ってきて、濡れる確率が高くなっているようです。濡れたくない人は、ポンチョやカッパの用意を忘れずに。もし忘れてしまっても、アトラクションの入り口に設置してある自動販売機で購入できます。タオルも必需品でしょう。

 こんな大迫力の演出があります。

・大きな炎が出る  ・スモークが出る  ・大きな爆発音がある  ・水しぶきがかかる  ・ピストルの発砲シーンがある  ・突然巨大サメが水しぶきをあげながら襲ってくる  ・暗い部屋に入る

  ボートは無事に港に帰還を果たしてめでたし、めでたし!出口の記念のショップで、サメに関するさまざまなお土産を買います。私はサメのトランプを買い求めました。♥♥♥

▲ブロディ警察署長

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人参方の門

 「灯台もと暗し」、もう長く松江に住んでいますが、「エーッ、松江にこんなところがあったんだ!」という新発見に出くわすことが少なくありません。松江市・寺町誓願寺の南に残っている「人参方の門」(にんじんかたのもん)もそんな新発見の一つです。ここでいう人参とは、朝鮮人参のことで、文政8年(1825)に古志原村にあった人参方役所を天神川沿いにある寺町に移して 製造所と土蔵を新築し、生産と販売を行いました。このころ、藩内の人参畑8千カ所、製造高は2万斤。人夫は346人。人参方の利益で幕末には、軍艦2隻を購入(17万ドル)したそうです。ちなみに、松江藩には「鉄方」「木の実方」もありました。鉄方は、現在のカラコロ工房付近、木の実方は、日本赤十字病院横の米子町入り口付近にあったそうです。木の実方の木の実は、おもにハゼのことで、蝋や蝋燭などがつくられました。

 路地の上に和風の屋根。道の両側にある民家に挟まれ、瓦葺きの屋根だけがまるで宙に浮いているようです。これが「人参方の門」です。近くには由来を説明する看板までありました(写真上)。

 一見、長屋門のように見えますが、路地に架かっているのは屋根のみ。遠くからだと商店街のアーケードのようにも見えましたが、そうではないようです。民家と民家の間にかかる橋のように屋根だけがくっついている奇妙な姿。

 車寄せか?雨除けか?家の中を道路が貫通している?件の屋根を反対側から見ても、やっぱり屋根。謎が深まります。

 この辺りに1825(文政八)年、薬用人参の生産と販売を行う目的で「人参方」という役所が設けられました。この謎の屋根は、その人参方の門の名残だということです。藩が本格的に人参の栽培を始めたのは、7代藩主の松平治郷(はるさだ)の頃です。当時の藩士が幕府直轄の栽培地で技術を学び、それまで失敗続きだった状況が一変します。後に中国にも輸出され、莫大な収益を上げました。明治に入ると、実業家の松本観次郎らが県から事業を引継ぎ、製造を継続しました。しかし、時代の推移とともに旧役所の敷地には民家が次々と建ち、門だけが残りました。以前あった門扉や門柱も撤去されてしまいました。両サイドの家も民家ではなく、当時は役所に繋がる長屋だったようです。人参方の奉行とその家族や家臣が、職住一体の場として暮らしていたのでしょう。城下町の名残りを感じさせる珍しい景色として、松江市が管理しています。♥♥♥

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国鉄色の特急「やくも」

 プロジェクションマッピングでリニューアルした「しまね海洋館アクアス」を見学した後、JR波子駅(いつもは遠足の観光バスで玄関まで連れて行ってもらっていたので、「アクアス」から結構歩き甲斐がありました!)から2時間も(!)普通列車に揺られてやっと出雲市駅に着いたら、 クリーム色と赤色のラインが入った「国鉄色」をまとった特急「やくも」号がホームに待っていました。「やくも号」運転開始50周年(1972年~)を記念した企画で、待望の新型車両が導入される2024年春以降(⇒273系新型車両の導入についてはコチラに書きました)まで、1日2往復する電車です。私は今回偶然、この特別なリバイバルやくも」に乗ることができたんです。国鉄色になったのは、定期運行している特急車両として本州で最も古い、旧国鉄時代の381系を使った1編成(6両)です。今後、上下やくも8、9、24、25号として運行されます。

 コロナ禍でJR西日本も苦労されており、県外の観光客の方々だけでなく、地元の方も懐かしいやくも号に乗っていただき、JRを盛り上げていただきたいものです。今ある当たり前の光景が当たり前でなくなる前に、しっかり乗っておきたいものですね。車内案内の際には、懐かしい鉄道唱歌」のチャイム音が流れてきました。昔のやくも時代が懐かしく想い出されたことです。検札に来られた車掌さんと、昔の思い出を語り合っていました。

 この381系車両の塗装工程が公開されました。まずは車体全体に下地を塗り、続いて車両全体に赤色2号を塗装、赤色を残す部分のみを保護し、その上から、クリーム4号を塗装します。最後に保護していたカバーを外すと、クリーム色と赤色ラインのコントラストが美しい国鉄色塗装が完成です。

 この懐かしい国鉄色塗装の特急「やくも」リバイバル車両の貴重な写真を撮ろうと、鳥取県(特に、名峰大山」をバックに菜の花畑が重なる絶景スポット)では全国から熱心な「撮り鉄」の人たちが殺到して、特に週末などはズラーッと県外からの迷惑路上駐車が多くて、近隣住民の人たちが迷惑している、という報道もなされました。「ちょっと複雑で。来てもらうことや、写真を撮ることは悪いことじゃないですけど、節度ある行動・マナーをしてもらいたい」JRでも、社員が巡回して注意喚起をしたり、黒坂警察署にお願いしてパトロールの強化をしてもらっているそうです。行きすぎた撮影は控えたいですね。

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 特急「やくも」号は、山陽新幹線が岡山開業した昭和47年3月に、陰陽連絡のエースとして登場しました。当時伯備線はまだ非電化だったので、大出力で山岳路線に対応した181系特急型気動車が投入されました。食堂車、グリーン車を含む堂々の10両編成。外観はもちろん赤とクリーム色のツートンカラーの「国鉄特急色」です。この「やくも」の初代車両が、岡山県・JR津山駅近くの「津山まなびの鉄道館」に展示されています。私も感慨深く見学してきました。

▲「津山まなびの鉄道館」に展示される初代181系特急気動車

 昭和57年に伯備線は電化され、使用車両がカーブでも高速走行を可能にした「振り子」式の381系電車に代替わりしたものです。振り子電車である特急「やくも」(381系)が実際に導入される前と後では、所要時間が全く異なっていました。

1972年(振り子登場前、気動車時代)
岡山10時43分→出雲市14時20分(所要時間3時間43分)
出雲市14時50分→岡山18時22分(所要時間3時間32分)

2021年(381系振り子電車)
岡山11時05分→出雲市14時12分(所要時間3時間7分)
出雲市14時33分→岡山17時39分(所要時間3時間6分)

 電車と気動車の違いもありますが、ご覧のように30分近くの時間短縮になっているのです。381系電車のおかげで、半径400mのカーブでも本来の制限速度から+20km/hまで出すことが可能になり、直線でも曲線でもスピードアップが図られ

▲洗面所のエチケット袋

ています。しかし、この振り子機構には致命的な欠点がありました。とにかく乗り物酔い(=吐く)しやすいのです。振り子機構には、「振り遅れ」や「揺り戻し」と呼ばれる自然慣性では出ない不自然なローリング運動が発生します。具体的には、カーブを曲がると、中の振り子のころが一気にそっちへ傾き、ある程度まで傾いていた車両が一気に傾くのです。このことから、特急「はくも」などという不名誉な名前がつけられてしまいました。車内の洗面所には、「エチケット袋」(通称「ゲロ袋」)が常備されています〔笑〕。

 この381系「やくも」号は、製造からまだ25年程度(2006年当時)ということもあり、2007~2011年にリニューアルを実施します。国鉄型車両なのでトイレなど色々な設計が古いのですが、経年度数でいうとそこまで古い車両でもなく、まだまだ使えるので車内のリニューアルに着手しました。例えば、座席を「サンダーバード」と同じものへ交換したり、洋式トイレを新たに設置したり……その結果、「やくも」「ゆったりやくも」へと進化しました。車内は今どきの車両のように綺麗になったのですが、肝心の「振り子機構」は残念ながらそのままですので、これまでの「はくも」という俗称もそのまま引き継がれ、「ぐったりはくも」へとグレードアップしたわけです…〔笑〕。

 同じく381系を使っていた関西圏を走る特急「くろしお」は、2021年現在、全列車が新しくなっているのですが、381系がまだ在籍していた頃は、「げろしお」などという身も蓋もない名前がつけられていました〔笑〕。現在の振り子電車はそれを抑えるため、コンピュータがカーブを検知するとゆっくりと角度を変えていき、カーブが終わるとゆっくりと元に戻るようなシステムが作られています。JR九州の特急「ソニック」や、同じくJR西日本の283系「くろしお」でも、この新しい「振り子機構」が用いられていますね。♥♥♥

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アダム・ウォーカーの成長

▲写真は「スポーツ報知」より

 

「歩」のように日々コツコツと練習してきた男が、成果を見せました。守備、特に送球を苦手としてきたウォーカー選手が、矢のようなバックホームを見せたのにはビックリしました。開幕当初の守備はまさに「ザル」で、ウォーカーの前に安打が飛ぶと、相手チームは決まって三塁コーチが腕をぐるぐると回し、本塁突入を指示しました。中継に投げるボールはいつもワンバウンドを叩きつけていました。その左翼のウォーカーが、6年ぶりの山形での主催試合で中日に対し、2回に中継で来日初補殺を記録すると、4回には本塁を狙った走者をノーバウンド送球で刺すなど特訓の成果を発揮しました。 

 満面の笑みを浮かべ、ウォーカーは胸を張ってナインとタッチを交わした。同点の4回2死一、二塁。石橋の当たりが左前打となり、二塁走者の阿部は三塁ベースを回った。捕球したウォーカーが素早く返球すると、ノーバウンドで大城へストライク送球。アウトの判定に立浪監督がリクエストを要求しましたが、判定は覆らず勝ち越しを阻止し「亀井さんが指導してくれたことが今日やっとプレーでできるようになって、亀井さんを喜ばせることができたことはうれしいです」。チームを救うビッグプレーに、自然と顔がほころびました。

 2回1死一塁では、高橋周の左中間への安打でスタートを切っていたA・マルティネスが一気にホームを狙うも、ウォーカー―坂本―大城とつないでタッチアウト。来日初を含む2つの補殺を奪ってみせました。連日マンツーマン指導に当たる亀井コーチにとっても、ウォーカーの成長が見られた喜びはひとしお。「めちゃくちゃうれしかった。ちょっと涙出そうになっちゃったよ。彼の努力のたまもの」と“まな弟子”を見つめました。来日当初は中継につなぐ短い距離でも、ボールをたたきつけてしまったり、ありとあらゆる方向にボールが飛ぶなど、送球がままなりませんでした。日本の高校生以下のザル守備でした。アメリカの独立リーグで2年連続MVPも、この守備ではメジャーでは通用しません。

 「(今も)きれいな球ではないんだけど、最初を見た人は分かると思うんですよ。これが成長じゃないかなと。今の球だけ見てたら『なんだあの球』ってなるけど、最初見てる僕からしたらやっぱり感動もんやった。これが何かきっかけになればいい」と同コーチ。原監督「その(4回の)前も(2回に)あったしね。いいものを見せてもらったなという感じがしますね」と目を細めました。

 “本業”の打撃でも、初回1死一塁から左翼への二塁打で岡本和の先制犠飛をお膳立てすると、続く3回1死一塁では中前打。5回は右前へ運び、3安打の大暴れ。絶好調のバットがこの日も火を噴き、7試合連続安打と好調を維持しています。今のジャイアンツにあって3割バッターは彼一人だけです。

 試合の流れを左右しかねない場面で決めた好返球は、亀井師匠への恩返しとなりました。「攻撃の面でも守備の面でも、今まで頑張ってきたことがやっと成果として表れたのがすごくうれしいです」とはにかんだウォーカー。練習はウソをつかない。それを証明する見事なプレーでした。恐らくまだまだ成長して上手くなることでしょう。彼はハングリー精神が旺盛ですから。♥♥♥

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「ブルックスブラザーズ」でお買い物

 私は着るものは、全て「ブルックスブラザーズ」「ラコステ」だけと決めているんです。浮気はしません。もう長年着ていますが、やはり何よりも品物の質がよろしい。飽きがこないんです。「ブルックスブラザーズ」博多・広島・岡山・倉敷で買います。「ラコステ」はもう長年広島・そごうと決めているんです。その「ブルックスブラザーズ」ですが、数年前にアメリカの本社が倒産してしまいました(今は再建)。当時、店員さんに聞いた話では、「アメリカとは別組織なので心配はない」ということでした。ところが以来、私が店を覗いても気に入ったものが一向にない。間違いなく影響は出ているんじゃないですか?と東京のお店で聞くと、「やはり商品が入ってこなくなった」と、直に吐露しておられました。ちなみにネクタイは、以前はバーバリーを愛用していましたが、日本での扱い(三陽商会)がなくなったので、今はもう手に入らないので、ピエール・カルダンにお世話になっています。

 それがどうでしょう。今回お店を覗いてみると、あるわ、あるわ、私の大好きなブルー系の夏物がいっぱい目に留まりました。大分商品の入荷が回復しているようですね。ありがたい!

 

 いっぱい買って帰りました(写真下)。今回は大満足でした。♥♥♥

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「とんかつ一番」

◎週末はグルメ情報!!今週はトンカツ

 松江市西津田町、プラバホール」の裏手にある老舗のトンカツ屋さんが「とんかつ一番」です。昔私がまだ松江南高校に勤めている頃は、松江市の袖師町に店があり、同僚とよくお邪魔していました。松江でトンカツ屋と言えば、松江市民で必ず名前が挙がるのがこのお店です。松江の名店としては、「かつふじ」「でん助」「たていし」とありますが、私のお気に入りだった「でん助」は昨年閉店してしまいました(⇒私の記事はコチラ)。プラバホール前に移転してからは、毎年1回ここを訪問していました。毎年9月になると「へるんをたたえるスピーチコンテスト」という英語の暗唱大会がプラバホール」で開催されるんです。ここへ北高生を引率してくると、ゲン担ぎに(「勝つ」ように)参加生徒を連れてここで昼食を取るのが恒例だったんです。10年間訪問していましたが、実にご加護があったようです。松江北高では、プラバホールで開催されるこの本大会への出場枠をかけて、毎年学園祭で予選会を開き、上位2名のみが本大会へ出場できるという厳しいシステムを伝統的にとっていました。北高では、他校と違ってかたくなに一年生のみの出場という条件を守っていたんです。最近は参加者が少ないようで、伝統を壊して希望者ということになってしまいました。退職するまでの10年間、私はこのスピーチの指導を担当してきましたが、優秀な生徒に恵まれ、本大会では優勝5回2位が5回という結果を残しています。毎年、松徳学院坂本京子先生と優勝を争っていたのが懐かしい思い出です。

▲珍しい赤だしの豚汁

 私は開店(11時)とほぼ同時に行ったのですが、すでに席はほぼ埋まっており、人気の高さが伺えます。私が食べている間にも続々とお客さんがやって来ます。カウンター席、テーブル席、座敷席とあります。注文したのは「ロースとんかつセット」。デミグラスソースがたっぷりかかっていますね。ロースカツは、けっこう大ぶり。ソースが別添えだと、衣が湿気なくてサクサクウでいただけていいのですが……。1cm程度の厚みのカツです。デミグラスソースが美味しい。ここの豚汁は赤だし(無料で大盛りにしていただけます)です。いい味をしています。ただ個人的には豚汁には白味噌か、合わせ味噌の方がいいように思います。ご飯は何故か茶碗の中へ「ギュッ」と詰め込まれています。炊き方も良く美味しいお米です。キャベツはいかにも手切りで不揃いなキャベツにドレッシングを掛けていただきました。ただ残念ながら、お肉の柔らかさ・旨味という点では、かつふじ」たていし」には見劣りがします。私はこの2・3日前に岡山駅さんすて内の「新宿とんかつ さぼてん」のトンカツを食べましたが、そのお肉の柔らかいこと柔らかいこと、えらい違いでした!♥♥♥

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MKタクシー

 日本で「タクシー業界の風雲児」と呼ばれた兪奉植(ユ・ボンシク、日本名・青木定雄)元MKグループ会長は、2017年6月8日、88歳でお亡くなりになりました。慶尚南道南海(キョンサンナムド・ナムヘ)で生まれた兪元会長は、1943年に兄とともに玄海灘を渡り京都に定住しました。授業料を払えなくなり立命館大学を中退した後、ひょんなことからガソリンスタンドの経営を引き継ぎました。1960年にはタクシー10台、運転手24名でミナミタクシーを始め、1977年に桂タクシーを買収合併して両社の頭文字を取った「MKタクシー」を設立したのです。

 「MKタクシー」は「安くて親切なタクシー」の代名詞となりました。1976年に、運転手が「ありがとうございます」「お忘れ物ありませんか」など、4つの挨拶をきちんと言わなかったら、料金を受け取らないサービスを打ち出します。障害者を優先乗車させる制度を初めて導入した会社もMKでした。何より一時「他社より10%安い」と強調したほど価格競争力が優れていました。これを基にした「MKタクシー」の成功は、テレビ番組などを通じ韓国に紹介されたりもしました。在日同胞成功神話の象徴的人物の1人でした。1995年には米時事週刊誌「タイム」から「世界最高のサービス企業」に選ばれています。2019年には世界的な口コミサイト「tripadvisor」「エクセレンス認証」を取得しています。

 労使関係も模範的でした。「MKタクシー」は過去に日本で横行していた「神風タクシー」を防ぐために、ドライバーの生活安定を重視し、業界で初めて社宅を作り、タクシー1台ごとに収益を独自に管理する経営システムを導入したと「毎日新聞」は伝えました。彼は2003年に韓国で開かれた講演の途中で「MKタクシーが成功したのは絶えず顧客サービスと社員の福祉向上のために努力した結果」として労使共存を強調したりもしました。

 兪元会長は法廷争いまで行いながら、当局の規制に立ち向かったことでも有名です。1981年にはタクシー運賃の値上げ反対運動を起こし、翌年、運賃の値下げを申請。却下されると陸運局を相手取って大阪地方裁判所で争い、1985年に全面勝訴の判決を得ました。その後、1989年に運輸省と和解。1991年、天皇皇后両陛下に随伴する国務大臣の送迎車に選ばれています。1993年には10%の運賃値下げを断行しています。低価格タクシーの道を開いた青木氏は、「規制緩和の旗手」「タクシー業界の風雲児」と呼ばれました。この頃が、青木氏が最も輝いていた時期だったと言えるでしょう。「朝日新聞」兪元会長「国と闘争した規制緩和の旗手」と評しました。2004年には韓国政府から「国民勲章無窮花賞」を受けました。

 タクシーの運転手さんというのは、20時間も連続勤務で腰を痛める人も多い過酷な仕事です。ただ残念ながら、お客さんが乗っても、挨拶も交わさないままブスッとしたままで目的地まで連れて行く。そんな冷酷な運転手さんも多いと感じています。印象では、東京など大都市のタクシーに多いようです。そんな中で、お客様目線に立った素晴らしいサービスを提供してくれるのが「MKタクシー」です。

 既存事業者からは出てこなかったアイデアを次々と打ち出しました。また、同業のタクシーと比べて安価な運賃と、接客レベルの高さも伴い、「予約が多いタクシー会社」=「実働の乗車率が高く、効率的な経営ができている会社」と高く評価されています。しかしその一方では、独特の「社員教育などが非常に厳しいため」に(ベテラン乗務員でさえ、車のブレーキの踏み方から、荷物のトランクへの運び方、お客様の乗車のさせ方など、もう何年もやっている基本事項を繰り返しチェックされ、逐一指導される。朝から大声であいさつ、拍手する練習などかなり厳しい体制)、離職率の高さが問題となったりもしているようです。また、既存事業者や事業者統括団体などと摩擦が絶えないことから、「業界の和を乱す」というやっかみ半分の批判もあるようです。タクシー業界未経験者を採用するにあたり、研修は接客マナー中心となってしまっているため、肝心の運転技術不足、地理不案内等の指摘もあるようですね。社員が極めて長時間の労働を強いられている実態(ブラック)がある、という指摘も聞いたことがあります。また同社は、自分たちの会社をタクシー会社だと考えておらず、「一流のサービスを提供するサービス会社」と定義していて、同社経営陣への過去のインタビュー記事などでは、次のような発言が見られます:

「ありがとうございます。という言葉を言わないのは、社員側に問題があるわけではなく、経営側に問題がある。それは本人が悪いというより、それを教育しない管理側に問題がある」

「クレームに対しては管理者側がその引き起こした社員と一緒になって、一緒の血を、汗を流すというスタンスでないと、いくら表面だけ取り繕ってもダメだ」

「当社では最初の時点で、できる人とできない人をはっきりと分ける。できる人だけが次のステップに進めるようにし、自ら学んで進むという意識を身につけてもらう。なぜなら、歩合制だから。売上目標の設定であるとか、体調管理などのコントロールやマネジメントは、すべて自分でやらなければいけない」

 以前、私は札幌に講演会に出かけた際に、半日ほど時間が空いたので、札幌市内観光を思い立ちました。それでお願いしたのが「MK観光タクシー」です。地元のドライバーの方が高級車で、有名な観光名所だけでなく、穴場などもきめ細やかに案内してくれる、ということだったので、一度利用して自分で実体験してみようと思ったわけです。札幌市内外の、見所たっぷりの観光モデルコースが用意されています。もちろんお願いすればオリジナル観光コースも可能で、出発時間や希望の訪問地など自由に相談できます。この時も、私の好みや要望に合わせて、ドライバーさんが思い出に残るひとときをプロデュースしてくださいました。前日に丁寧な確認の電話、当日もホテル前までピカピカの車で迎えに来てもらい、出発しました。どうしても行きたかった場所をリクエストして、連れて行ってもらいました。本当に丁寧な接客で、時間が余ると、時間調整の訪問箇所をいろいろと便宜を図ってまでいただき、楽しい半日を過ごすことができました。穴場のお店で(北海道神宮)、ドライバーさんと一緒に美味しいお餅まで食べてしまいました。大満足でした。ありがとうございました。「さすがMK!」と感じたことでした。♥♥♥

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研究会無事に終わる!~教え子と一緒に

 ZOOMによる八幡の「共通テスト」の振り返り講演会「2023大学入学共通テストに求められるチカラとは ~大学入学共通テストの振り返りと指導事例のご講演~」(ラーンズ主催)が、6月25日午後3時30分より無事に終わりました。いつもは東京からお届けするんですが、今回は岡山ベネッセ本社でした。先生方から事前にたくさんのご質問をお寄せいただいておりましたので、できる限りそれに応える形で進めていきました。具体的にどんな授業をやっておられるのか、という要望が多くありましたので、「それでも英語は絶対に裏切らない!」と題して、日頃私が心がけていることを、できる限り具体的にご紹介してみた次第です。今年の「共通テスト」は、中でも第4問第5問が非常に難しく、取り組みにくかったという事実があります。それにもちゃんと理由がありました。時系列に並べる問題、複数解答を要求する問題、行ったり来たりと図表・グラフを絡める問題は、間違いなく受験生は苦手です。

 今回の講演をお申し込みいただいた先生方には、「参加特典」として、この「第5問の解き方」という私の最新資料をプレゼントさせていただきました。第5問のご指導をなさる際に、きっと役立つ情報が詰まった資料です。ぜひ使ってみてください。また「共通テスト」指導に参考になる資料・参考書も紹介して欲しいというご要望もございましたので、この資料ならびに講演内でご紹介しました。今までと違い、顔を出してのオンライン講演でしたので、緊張もひとしおでした(何せ内気で恥ずかしがり屋ですので)。なお関連する資料のダウンロードの頁も設けておりますので併せてご利用ください。⇒「連動企画~資料のダウンロード」コチラです

 もう一つ特筆すべき収穫は、今年入社したばかりで、英語編集課に配属された松江北高の教え子の小川歩未(おがわあゆみ)さんが、私の隣で機器のスイッチングをやってくれたことでしょう。4月に入社したばかりだというのに、言葉遣いといい、気の利いた行動といい、見違えるように立派に成長していました。教え子がこういう立派に成長した姿を見るのは嬉しいものです。小川さん、お世話になりました。また一緒に仕事ができるといいね。♥♥♥

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入試問題はメッセージ

 2022年の河合塾「第1回全統記述模試」の英作文の問題に、次のような日本文が出題されました。実に考えさせられるいい出題でした。問題文をよく読んでみてください。


 入試問題は学力を調べるためだけにあると思っていませんか。確かにそのような側面もありますが、実は入試問題にはそれぞれの学校の教育観が表れているのです。単に知識の量や情報処理能力を試しているわけではありません。大学がどんな生徒に来てほしいのかという独自のメッセージが込められているのです。そのような視点で入試問題を見るようになれば、興味深いものになるかもしれません。  (第1回全統記述模試より)


 まさにおっしゃる通りで、入試問題は大学側から受験生へ、ひいては現場の教員に向けたメッセージであることが多い(そんな意識はこれっぽっちも無い大学も多いですが)ことは、毎年入試問題を解いてきた人間として感じるところです。「試験問題」という場を借りて、大学側が「意見」を表明しているのです。例えば、今年の京都大学のⅣの自由英作文の問題は、次のようなものでした。明らかに大学側から受験生への熱いメッセージですね。大学は研究に行くところであって、遊びに行くところではありませんよ。京都大学はそのような研究者を育てたいと宣言しています。

 大学で研究をするうえであなたが最も重要と考えることを一つ挙げ、その理由を2点に絞って100語程度の英語で具体的に説明しなさい。(京都大学 2022年)

  京都大学の入試問題の英作文は、日本語との格闘を要求しているのですが、間違いなく、我々にメッセージを発していると思われます。再考すべき社会問題・価値観を取り上げていますね。英会話の重要性ばかりがクロースアップされる中で、英語の試験にもかかわらず、「日本語力」が問われています。専門性と思考を深めるための道具として「母語」の重要性を伝えようとしています。発信力はもちろん大切だけれども、「その前にもっと必要なものがあるでしょ?」というメッセージだと私は感じています。いくつか例を見てみましょう。

 女性が従来学問の世界で十分活躍できなかったのは、男性中心で作られてきた社会に原因があったことは疑う余地はありません。とくにわが国は従来年功序列の社会でありましたので、出産、育児のため女性が休むことは昇進の面で著しく不利でありました。今後は休んだ後の復職を容易にするとともに、復職後業績を上げれば速やかに昇進できる体制を作り上げて行かねばなりません。(京都大学 2005年度)

 わたしは、家具や道具はなるべく木の素材を選んでいます。木は命あるもの独特のやさしい雰囲気があるので、心地いいんです。人工的な素材は新しい時が最高の状態だけれど、木は新品の時が出発点です。年月に磨かれて、味わいも美しさも増していく。そこが一番の魅力です。(京都大学 2004年度)

 自分の仕事に妥協するようだと誰もその道のプロにはなれないと思う。私は頑固者だとよく言われるが、仕事に対する姿勢がまじめだからそう言われるのだ、というように理解している。融通がきくタイプの人間は周囲には受けがいいかもしれないが、仕事の方は何か物足りないところがあるように思われる。(京都大学 2003年度)

 私たちは、周囲にあまりにもたくさんある文化財になれっこになって、その存在を当然のように思いがちである。しかしほんとうは、一つ一つの文化財は、それを維持するために尽くしてきた数多くの人々の多年の努力の結晶なのだ。文化財をおろそかにすることは、そうした人々の努力をないがしろにすることであるという事実を忘れてはならない。(京都大学 2002年度)

 週末にキャンプを楽しむ人が増えてきました。確かに、都会生活でたまった疲れをいやすためには、自然の中でのんびりするのが一番でしょう。ただ残念なのは、木々の枝を折ったり、ゴミをそのままにして帰ったりする人がいることです。これでは、自分の疲れはとれても、自然の方はいい迷惑だと思います。(京都大学 2001年度)

 東京大学も、入試問題に社会的メッセージを込めた出題をすることで知られています。「ゆとり教育」全盛の頃、「円周率を3として教育する」といったバカげたことが決定された2003年には、「円周率が3.05より大きいことを証明せよ」という問題が出題されて、「ゆとり教育」への警鐘が鳴らされたのでした。2006年度には、小学校の運動会において、競争心をあおる種目の是非について出題しました。続いて、2007年度には英語のリスニング学習についての学び方の指針が示されています。こうやって受験生に(ひいては現場教員に)メッセージを送っているのです。東大の英語試験では、難しい知識を問う問題はほとんど出ません。どれも「基本をどれだけ柔軟に使いこなせるか」を問うものなので、英語の基本構造を本当に理解していれば解ける問題ばかりです。しかし、英語の原理について深く掘り下げて使える学生は多くないので、そこに東大入試問題の難しさがあるのです。メッセージ性の強い問題や、応用力を問う問題を出題する背景には、物事を研究したり考える人間を養成したいという目的があるのでしょう。固定観念や目先の利害にとらわれず、目で見たものを疑い掘り下げて考える学生を求めているのです。

 「詰め込み教育」に対するアンチテーゼという意味があるのかもしれません。最近の各大学の入試問題では、知識があれば解けるようなものが増えてきています。受験生に考えさせる問題が減っているのは、とても憂うべき流れです。しばらく前、自分たちで入試問題を作ることのできない大学は入試問題を外注するということが話題になりました。大学の入試問題作成を大手予備校が有料で請け負う。現実にそういうことが行われています。♥♥♥

「現在の行動にばかりかまけていては、生きるという意味が逃げてしまう」と小林秀雄は語った。それは恐らく、自分が日常生活においてすべきだと思い込んでいることをやってそれでよしとしているようでは、人生などいつのまにか終わってしまうという意味であろう。  (東京大学 2018年度)

 世界中でプラスチックごみを減らす動きが活発だ。食品などプラスチック製容器や包装をなくしたり、レジ袋を有料化したりするのはもっとも容易にできることだろう。それらを紙製品や生分解性の素材に変えたりする動きも目立つ。しかし、もっとも重要なのは、プラスチックごみによってかけがえのない自然環境を汚染しているのは私たち自身であると、私たちひとりひとりが日々の暮らしのなかで自覚することである。とはいえ、そうした意識改革が難しいことも確かで、先日もペットボトルの水を買った際に、水滴で本が濡れてはいけないと、ついレジ袋をもらってしまった。 (東京大学 2019年度)

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小田和正福島コンサート

 シンガー・ソングライターのカリスマ・小田和正(おだかずまさ)さんが6月3日、福島・郡山市ビッグパレットふくしま」で、3年(1038日)ぶりとなる全国アリーナ・ツアーの『Kazumasa Oda Tour 2022 「こんど、君と」』をスタートさせました。74歳8ヶ月でのアリーナ・ツアー開催は、国内アーティスト史上最年長となります。2019年7月31日に、愛媛県武道館で行われた前回ツアーの最終日、「また逢おうぜ!」と約束した小田さんは、有言実行で約束を果たし、3年ぶりとなるツアーの初日を迎えました。

 「ビッグパレットふくしま」を5,500人の観客が埋め尽くす中、160メートルにおよぶ花道に設けられたセンターステージに登場した白いシャツ姿の小田さんを、大歓声が迎えます。明治安田生命企業CM曲として使用されている「風を待って」からスタートし、この日を待ち焦がれた総立ちの観客の手拍子が鳴り響きました。派手な演出や特殊効果は一切なし。澄んだ高音と、ギターとピアノの音色で聴かせました。

 小田さんは「みんな、どうもありがとう!元気だったでしょうか?」と呼びかけ、「このコンサートが決まったとき、とってもうれしかったんですが、本当にこの日がこんな状況の中でできるのだろうかとずっと不安でした。今日ようやく、この日がきたんだ、みんなが集まってくれたんだと、一同ホッとしております。どうもありがとうございます」と感慨深げにあいさつをしました。

 「とにかく楽しく楽しく乗り切ると、その楽しさをこのツアーの最終日までどんどんふくらませ、大きく駆け抜ける、それがテーマであります」と伝えると、「今日はその第1日ということで、全部の日が大切ですが、特別大切であります。何とか楽しく楽しく終わりたいと思います」と、“最年長ツアー”初日を迎えた喜びを明かしました。

 中盤の“ご当地紀行”(小田さんが公演先の名所や旧跡など訪れた映像)後には、NHKドラマ10『正直不動産』主題歌「so far so good」、代表曲「ラブ・ストーリーは突然に」を歌唱。49年前のオフコース時代の楽曲「水曜日の午後」など、懐かしい曲や、誰もが聴きたい名曲、最新曲にいたるまで、約2時間半にわたって全25曲をエネルギッシュに披露しました。本ツアーは全国16ヶ所計34公演で31万人を動員予定です。11月9日に地元の横浜アリーナでファイナルを迎える予定です。

 この日は、ヒット曲「ラブ・ストーリーは突然に」をはじめ、8年ぶりのオリジナル・アルバム「early summer 2022」に収録される新曲「ナカマ」など25曲を熱唱。コロナ禍の影響で、恒例だったステージ上の客席は設置できず、客席を練り歩き、観客にマイクを向けて一緒に歌うこともできませんでした。それでも3年分の思いをぶつけました。聴き心地のいいクリアなハイトーンボイスは健在です。序盤から全長160メートルの花道を歩きながら、時には小走りし、ファンに近づいてパフォーマンス。ツアータイトル曲「こんど、君と」の歌唱中は感極まり、目頭を押さえ感極まる場面もありました。全国アリーナツアーとしては、昨年、矢沢永吉が72歳(当時)で樹立した最年長記録を塗り替え、10月の神戸での追加公演も発表されました。11月に地元・横浜でファイナルを迎える小田さんは「楽しさをツアーの最終日までどんどん膨らませていって、大きく駆け抜ける。それがテーマです」と完走を誓いました。「想う人がいる 想ってくれる人がいる」(ツアータイトルにもなった「こんど、君と」)と歌った小田さんです。自分を待ってくれている人、自分がその場所で歌えば、笑顔と拍手で迎えてくれる人たちの存在を真っ先に思っているのが、小田和正という人です。

 全国ツアーは2019年に開催して以来で、同7月の最終公演で「また会おうぜ」と約束していました。この日、10月29、30日の神戸公演が追加発表され、全国各地のアリーナ会場で34公演を開催し、計31万人の観客動員を見込んでいます。74歳8カ月でのアリーナ・ツアーは、国内では昨年、矢沢永吉(72歳)が72歳3カ月で開いたのを抜き、史上最年長となりました。

 ツアー真っただ中の9月に、75歳となります。コロナ下でもラジオ体操や、自宅周辺を走り体力づくりを欠かさないなど、元気に満ちあふれた小田さんです。今回はちょっとコンサートにはお邪魔することはできませんが、小田さんには体の続く限りいつまでも頑張ってもらいたいと念願しています。♥♥♥

▲8年ぶりの新アルバム予約受付中

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