マル子

 今から8年前に北高を卒業した理数科・補習科で英語を教えた別所麻由子(べっしょまゆこ)さんが、帰省に合わせて3年ぶりに学校に訪ねてくれました。彼女はクラスメートたちから「マル子、マル子」と呼ばれていて、私も高校時代からそう呼んでいるんです。彼女は鳥取大学獣医学科を卒業して、宇都宮動物園」に、念願叶い獣医として就職しました。高校時代に、宮崎県で口蹄疫が発生したときの獣医不足が問題になった時から、大きな動物の世話をしたいという夢を語っていた生徒です。今年で3年目になります。獣医としての仕事よりも、飼育員としての仕事の方が多く、その面白さも分かりかけてきたそうです。毎日の充実した仕事ぶりを聞くことができました。毎日午後7時半まで働いているそうです。ペンギンやホワイトタイガーの赤ちゃんの動画も見せてもらったんですが、実に可愛らしい。虜になるのも当然かもしれませんね。

 3年前の大学院時代には、鳥取大学の紹介やら、北高での想い出を「あむーる」に書いてもらっています。⇒コチラで読むことができます  せっかく来てもらったので、3年生の私の授業に来てもらって(6R)話をしてもらいました。高校3年生の時の苦労話、挫折、受験、補習科での成績の伸びなどを中心に、現役生たちにアドバイスとエールを贈ってもらいました。苦手教科の穴をいかに克服するかがカギを握っている、と強調していましたね。先日訪ねてくれた国際教養大学中西葉奈さんに引き続いて(⇒コチラです)、いい話を聞くことができました。私はよく卒業生を教室に連れて行くことが多いんですが、先輩の話は生徒たちの心に響くんです。マル子、ありがとう!おみやげも美味しくいただきました。❤❤❤

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かやちゃん

 毎朝、フジテレビの「めざましテレビ」(月~金曜)を途中まで見てから、学校に向かいます。その中の「お天気コーナー」を担当している7代目キャスター阿部華也子(あべかやこ)さん(22歳)は、美人で人気がありますね。聞いたところでは各局のお天気お姉さん」としては一番の人気だそうですよ。毎朝元気をもらっている癒やしの女神です。それでも、「阿部華也子、めざましテレビやめろ!」「阿部華也子、嫌い!」という厳しい声もネット上の一部で言われているのは、この熾烈な競争の芸能界のこと、仕方がないでしょう。批判の理由は、あざといブリッこキャラや、上から目線の言葉遣い、大きく胸元を出したファッションは、朝の情報番組には不向きでは?といったところにあるようですね。たしかにブリっ子キャラというのは、男女どちらから見ても良い印象は持たれませんし、朝からそれを見せられる視聴者にとっては不快に感じる人が一部いてもおかしくはありません。それでも私は「かやちゃん」大好きです。彼女の魅力:(1)チョット知的で、(2)何よりも品がある、(3)話し方が可愛らしい、(4)とっさのアドリブもきく。この私が、ファースト写真集『Sweet Journey』(小学館、3,000円+税)も買いました〔笑〕。

 彼女は、1996年大分県に生まれました。赤ちゃんの頃は、お相撲さんみたいに丸々と太っていたとか。3歳の時には、ママから離れるのが嫌で、「保育園に行きたくない」って駄々をこねていたそうです。大事にされた一人っ子なので家族愛がものすごく強い子だったそうですよ。運動は苦手。中学はソフトテニス部副キャプテン。高校時代からアイドルグループ「SPATIO」に所属して活動をしていました。早稲田大学在学中、2年生の時(2016年)から、お天気キャスターの仕事を始めました。今春大学を卒業して、ちょっぴり大人になりましたね。学業との両立は大変だったそうですが、空き時間に控え室で勉強したこともいい思い出だと言います。「好きな天気は曇りのち晴れ」だと言います。いいことが待っていそうだからという理由です。伸びしろのある天気が好きなんですね。『週刊ポスト』(小学館)の最新号に、「きれいなお天気お姉さんは、好きですか?」が巻頭に特集され、そのトップバッターに出てきています。かやちゃん」がお天気を伝える際に気をつけていることは、様々な職業の方を想像することだと言います。雨で被害を受けそうな場合は注意を促しますが、日照りが続いた後の雨は農家の方には恵みの雨の場合もあります。その時々の状況に応じてニュアンスを変えて話すようにしているとのこと。頑張れ!「かやちゃん」

 今日も、「さてみなさん、今日は何を着て行きますか?今日のお天気に合わせて、CanCanのスタイリストさんが選んでくれたコーディネートがこちらです。」と言って、足を組み替えるモデル・ポーズが、なんとも可愛らしくて大好きで、6時20分過ぎのこの衣装を見てから、私は学校に電動自転車で向かいます。❤❤❤

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シックス・トランスフォーメーション

▲最後は黒いカードが赤く変化して…

 東京・マジックランド小野坂トンさんの最新作品です。♠A〜4まで4枚の青裏のカードがあります。 カードを揃えて、そして広げると、♠Aだけが裏向きになってしまいます。再びカードを揃えて広げるとと、今度は♠2だけが裏向きに。またカードを揃え、広げると♠3だけが裏向きに。そしてもう一度同様に広げると、♠4だけが裏向きになってしまいます。カードを揃えてひっくり返すと、なんと♠のマークと数字、そして裏模様まですべてが赤色に変ってしまうマジックです。トンさんらしい、計6回の変化が巧妙に起こるパケット・マジックでした。気に入っています。♠♣♥♦

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似顔絵アーティスト

 門司港にある「プレミアホテル門司港」の正面玄関を左に出ると、海沿いに門司港レトロ「海峡プラザ」があります。門司港ならではのお土産物、地元の海産物、雑貨、お菓子類などバラエティに富んだ品揃えが売りです。シーフードをはじめとしたグルメなレストラン街、オルゴール・ミュージアムなどもあります。ここの2階には「トリック3Dアートミュージアム」があって、私のお気に入りの施設なので今日も行ってきました。以前来た時にはなかった新作なども見終わって入り口を出ると、正面に似顔絵のコーナーが設置されていました。店頭に飾られたたくさんの色紙を見ると、実にリアルにデフォルメされたカラフルな似顔絵(特に「ヒョッコリハン」のもの)で感心しました。似顔絵師の「未知留」(みちる)さんです。後はホテルに帰って夕食を取るだけで、時間もあったので、そこで1枚描いてもらうことにしたんです。似顔絵を描いてもらうのは、北高の卒業生の土井遼太(どいりょうた)くんに描いてもらって以来でしょうか(私のセンター本の似顔絵は彼の作品です。⇒コチラです)

    描いてもらっている間は、世間話をしながら筆が進んでいきます。絵の世界の厳しさなどを話題にしながら、数種類の色鉛筆やポスターカラーなどを巧みに使い着々と完成に近づきます。彼女はその昔、少女雑誌「なかよし」で漫画家の活動をしておられたそうです。漫画サークルの仲間から似顔絵師になることを勧められて、3年が経ちました。毎日が勉強だと言っておられましたよ。これからも、生涯現役を目指し頑張りたいとのことです。完成した私の似顔絵がこちらです。気に入ったので、チップをはずんで会場を後にしました。未知留」さんの作品の数々はコチラのホームページで見ることができます。ありがとうございました。❤❤❤

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「ぞうの食卓」

◎週末はグルメ情報です!今週はハンバーグ

 米子ビッグシップで行われた「勝田ケ丘志学館」の入学試験を終えて、国語担当の長谷 剛(はせつよし)先生に「ぞうの食卓」に連れて行ってもらいました。「ぞうの食卓」は、米子市・鳥大附属病院の近くにある創業10年の洋食屋さんです。店内の雰囲気は落ち着いていて、ファミリーからご年配の方までどのようなお客様にも利用できる親しみやすいお店です。お料理は、「創作」を用いた洋食となっています。お店は、昭和の頃からある建物です。店内に入ると、なんとも感じのよいお店で、デートに来たくなりますね〔笑〕。お昼時を過ぎた13時半でしたから、店内には先客2名のみでした。お店の方も余裕が生まれる時間帯でした。接客もよく、気持ちよく過ごせそうです。

 「おすすめハンバーグランチ」をいただきました。
・前菜
前菜が付きます。そのクオリティが高かったのです。ランチのセットはちょっとしたサラダでお茶を濁すレストランが多い中、この前菜は本格的です。(前菜と言えば米子・天満屋前の「Dac n Dac」の前菜は衝撃的です⇒コチラです)

・スープ
野菜のポタージュスープでした。苦みが抑えられながらも、風味はしっかりと感じられる好みの味でした。
・ハンバーグ
添えられている野菜も美味しかった。こんもり俵型のハンバーグをナイフでカットすると、ジュワ~~~と肉汁があふれます。箸で簡単に切れるほど柔らかいけど、しっかり肉もつまっています。つなぎを使っていないから、肉本来のおいしさを味わうことができます。良い肉を使っていないとでない味ですね。食べたときにボリューム感があります。いいですね!甘口なソースがハンバーグにマッチして、舌にコクと旨味をしっかりと感じます。味の方ももちろん美味しく満足でした。

・コーヒー

 お値段もお手頃で、ハンバーグが食べたくなったら来たいお店の1つですね。❤❤❤

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歩いて米子駅に

 最近は、米子への通勤にも大分慣れてきました。先週の金曜日、米子東志学館」の授業を終え、生徒の質問を途中で勘弁してもらって(1時間に1本しか電車がないので乗り遅れると、1時間以上待つことになるんです。米子駅での接続も悪いのでさらに時間が…)、博労町の駅に小走りで急ぎます。最近、学校への近道を食堂のおばさんに教えてもらって、ずいぶん歩く時間が短縮しました。駅に着きました。ところが、待てど暮らせど電車が一向に来ません。境港方面や米子方面へ帰る、米子東高校のたくさんの生徒たちも駅のホームで待ちぼうけです。一体どうなっているんだ?!無人駅なものですから、情報がないんです。何か放送で流れたような気がしますが、声が小さくてこもっていて何を言っているのかわかりません。さらに待っていましたが、このままでは帰ることができないと判断して、米子駅まで歩くことにしました。道も分からず初挑戦です。大体こっちの方角だろうなと思って歩き始めました。大きな道に出たところで女性に尋ねました。あっちの方です、と指示をしてもらいテクテクと歩き続けました。いつもなら電車で米子駅から博労町まではわずか2分の距離です。グルッと回り道をすることになるので、結構かかりましたね。ようやく着きました。

 米子駅の改札で、駅員の女性に「何かあったんですか?」と尋ねてみました。12時53分頃、境線の弓ヶ浜駅〜和田浜駅間の踏切で列車が軽乗用車と衝突したため、米子駅〜境港駅間で運転を見合わせているとのこと。70代の高齢者ドライバーが遮断機・警報器のない踏切に進入し、電車とぶつかって死亡したとのこと。軽自動車は衝撃で近くの畑まではね飛ばされたそうです。乗客ら54人が乗っていましたが、けが人はいませんでした。最近、高齢者ドライバーの事故が多いですね。当初の予定では、運転再開は14時30分頃と見込まれていましたが、実際に電車が動いたのは18時頃だったそうです。私は、とっさの判断で米子駅まで歩いて正解でした。帰れなくなるところでした。何が起こるかわかりませんね。いい勉強をしました。❤❤❤

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『LEAP』を採用

 竹岡広信(たけおかひろのぶ)先生の画期的な単語集『LEAP』を、私の行っている米子東高内の「志学館」で採用しました。もう一度原点に戻って、徹底的に単語を鍛えてあげようと思っています。米子東高校出身の生徒たちは『ユメタン』を使って語彙指導を受けてきたようですが、単語があまり定着していません。英語学習の8割までは語彙の学習」が持論の私としては、何とかせねばいけないと思っています。そこでこの単語集です。数研出版の営業の方のお話によれば、昨年秋に出版されたこの大部な単語集はすでに6万部が出ているとのこと。一緒に出ている『活用ノート』も含めると10万部を超える大ヒットのようです。それもそのはず、私はこの本が出たときに、すぐさまこのブログでその「理想的な単語集」としての素晴らしさを取り上げています。⇒コチラです  英語科の先生方にもすぐさま下記の回覧文書を配布しました。ダウンロードサイト」に登録しておきます。

・北高英語科に配布した『LEAP』を薦める文書  八幡成人 ⇒コチラで読むことができます

 竹岡先生には、ずいぶん喜んでいただいて、お電話をいただいたり、サイン本がたくさん送られてきましたので、早速、英語科の先生方に配っておきました。感激しておられました。何人かの先生からは「使いやすい」「勉強になる」とのコメントをいただいています。先日、ラーンズの編集会議で、この本を話題にしたところ、「どこがすごいのか、例をご紹介いただけませんか?」という質問が出たので、私は、relative(親戚、親類)という語を取り上げて説明をしたところです。興味のある先生方は、ぜひ使っておられる他の単語集と引き比べてみてください。竹岡先生の学識を感じるところです。詳しくはこのブログでも近日中に取り上げる予定です。1ページ1ページ読みながら、ずいぶん勉強をさせていただいています。音声もダウンロードできるようになっていますし、1問1答式の単語アプリも好評です。附属の『活用ノート』(1,2,3と3冊が用意)を使えば、さらに単語の記憶が強化されることでしょう。❤❤❤

▲これも効果的

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「空と雲、ときどき風」

 自宅中二階の「蔵」に久しぶりに入って(最近は全くこの部屋に入る余裕がなかった)、趣味の買い溜めたマジック道具を見ていたところ、昔買った面白いパケット・マジックを見つけてきました。年のせいか昔買ったことをすっかり忘れている場合も増えてきました。二度買いすることも度々です。これは、空と雲を使った予言のマジック「空と雲、ときどき風」(ノッチ工房)です。 最後の予想外のオチに感動したものです!?

 パケット・ケースから7枚のカードを取り出し、色々な都道府県名が書かれている青色のカードを見せます。パケット・ケースに入っている色違いの赤裏のカードも見せ、「これは、予言です。」と言って、テーブルに置いておきます。軽く混ぜ、演者は、「少し変わった方法で一枚を決めたいと思います。」と言って、そのパケットをお客様に渡し、一枚を決めてもらいます。(ここで○○県が選ばれたとします。)予言」を見ると、なぜか青い空のイラストが描かれており、一致しません。これは、失敗??マジシャンは平然と、「これは、○○県に行って、描いた空のイラストです。どうです、○○県の空に見えませんか?」という冗談を言います。当然のことながら観客は納得しませんね。でも、このカードを軽く振ると、なんと!?白い雲がひらがなで○、○、○に変化し、一致しています!さらに最後のオチ(㊙)が気に入りました…?!準備は、簡単です。パケット・ケースが付いています。ジョークなので、客受けも良いですし、難しいテクニックは、一切使っていません。演技後は、全てお客さんに渡すことができます。都道府県名のカードは、お客さんに混ぜてもらうこともできます。溶剤系のインクで印刷されているので、耐水性、耐侯性に優れています。ずいぶん前に買った商品ですが、きれいなままです。♠♣♥♦

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渡部昇一先生のエピソード(3)

◎喧嘩はしない?!

 子供の頃はよく喧嘩をします。渡部昇一先生も、幼少の頃は恐いもの知らずで、しょっちゅう喧嘩をやっておられました。ところが、小学校2年生か3年生の頃から、ピタッとやらなくなってしまいました。なぜか?眼鏡をかけ始めたことが理由です。先生は目が悪くて、眼鏡はその当時から非常に度の強いものでした。当時としてはとても高価なものだったので、へたに喧嘩でもして壊しでもしたら、両親に大変な負担をかけることになります。小学校4年生か5年生の時に、一度壊してしまったことがありました。その時はお米一斗と金10円取られたそうです。金10円はどのくらいかというと、役場に勤めていたお姉さんの月給が約25~26円でしたから、今のお金にすると7~8万円ぐらいでしょうか。相当高いものだと分かります。それに加えてお米が一斗です。戦時中で、お米がそう簡単には手には入らない時代ですから、一斗というと相当な負担です。それぐらいに眼鏡は高価なものでした。

 以来、親に迷惑をかけてはいけないと自分自身に言い聞かせて、危ないことにはなるべく近寄らないようにして、無茶な喧嘩はしないように、臆病なくらいに徹底しました。するとそれまでには気にも留めなかった自分の置かれている立場が、分かってきたと言います。先生には女の姉妹が2人とお兄さんがいましたが、お兄さんは死んでしまってもういません。自分が長男の立場にいるのです。自分が怪我をしたり死んだりすると、両親の面倒を見るものがいなくなる、ということにも気づきます。するとますます自分の行動に注意をして、臆病と言われようが何と言われようが、突拍子もないことなどできなくなるのでした。

 人生においては一人前になると同時に臆病になるという時期があります。子供の頃だと、勇気がある、勇敢だ、無茶なことをやる、というのは、自分の置かれている立場が分からないからこそできることです。渡部先生も物事が分かってくるにつれて、臆病になっていき、年と共にいろいろなことを反省して、自分の進むべき道や筋道を理性的に考えるようになっていったのです。猪突猛進や勇猛果敢だけが尊いことではないと気づき始めたんですね。いつまでも勇猛さを売りにしているのではなく、むしろ子どもの頃は臆病なくらいでいて、物心つく頃から、自分の修養によっって本物の勇気を持つような心構えでいることが重要だと、回想しておられました。❤❤❤

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これではね…

 今年の島根県の総体が終わりました。松江北高はまた今年も勝てませんでした。2016年に2年連続総合優勝して(⇒コチラ)からずいぶん遠ざかっていますね。男女完全優勝したのが懐かしい思い出になってしまいました。男女総合優勝4連覇を二回もした学校は松江北高だけです。

《男女総合》   ※大社は3年連続4度目の優勝
第1位 大 社 218点
第2位 松江北 176点
第3位 松江南 157点
第4位 出 雲 151点
第5位 明 誠 124点
第6位 松江東 121点
第7位 開 星 118点
第8位 松江商 112点

<男子総合>               <女子総合>
第1位 大 社 109点         第1位 大 社 109点
第2位 松江北  93点         第2位 松江商  88点
第3位 出 雲  90点         第3位 松江北  83点
第4位 松江工  85点         第4位 松江南  76点
第5位 松江南  81点         第4位 明 誠  76点 
第6位 出雲北陵 77点         第5位 平 田  69点

 さて総体も終わり、「さあ、これから勉強だ!」と、三年生は頭を切り替えて受験に向かう時期です。「一人では妥協してしまうことでも、みんなで一緒にやるなら頑張りぬける。これが「受験は団体戦」の意味だと思う」と、かつての生徒が名言を残してくれました。「集団(組織)の力」こそが北高パワーの源泉だということを、先輩の先生方から叩きこまれてきた八幡は、そのことを、生徒諸君・若い先生方にお伝えしておかねばと奮闘してきたのですが…。

 「学年集会」をやって生徒たちに切り替えに向けて檄を飛ばします。ところが、校門前の坂の掲示板には相も変わらず「目指せ!県総体総合優勝!!」の懸垂幕がかかったままです(写真上)。去年までなら、県総体が終わると同時に「全国大会出場」を果たした部活動のお祝いの垂れ幕に切り替わっていたものです。総体が終わって一週間以上経ってもまだこんなものを出したままです。誰も何も言わないのでしょうか?車でその前をたくさんの教員が通っていても気づかないのでしょうか?生徒に切り替えろという前に、肝心の教員が切り替わっていない。これでは、受験勉強の結果も推して知るべしです。「やりっ放し」、一事が万事、こうした小さなことを疎かにしているのが今の松江北高です(先日も時間割について苦言を述べました⇒コチラ)。♠♠♠

(補足)今朝学校に行ったら、「祝全国大会」の懸垂幕に張り替えられていました。昨日ようやく撤去したのでしょう。

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小曽根 真の「防人の詩」

 6月8日(土)のNHK「SONGS」はご覧になりましたか?日本を代表するシンガー・ソングライターさだまさしさんの特集でした。歌とともに、さださん自身の経験談を基にした軽妙なトークで、「今夜は生じゃないけどさだまさしin SONGS」と題して、SONGS責任者の大泉 洋さんとの掛け合いが実に面白かった。若くしてスターへの道を駆け上ったように見えるさださんの過酷な労働環境、28歳で背負った億単位の借金、今も抱える深刻な問題に至るまで、波瀾万丈の人生を語っておられましたね。その中で歌ったのが、「防人の詩」(⇒私の大好きなこの歌に対する思いはコチラです)、 映画『二百三高地』(1980年)の主題歌です。同映画の音楽監督の山本直純(やまもとなおずみ)さんがさださんと交流があった縁で、さださんに主題歌の依頼がありました。さださんは映画の主題を知り、「二百三高地の何を描くんですか。要するに”勝った、万歳”を猫くんですか?」と尋ねます。それに対して山本さんは「そうじゃない。戦争の勝った負けた以外の人間の小さな営みを、ちゃんと浮き彫りにしていきたい。そういう映画なんだ」と返答しました。オファーを受けたさださんは、それでもなかなか歌ができず、最後には自身の主演映画『翔へイカロスの翼』のロケ現場に、山本さんのマネージャーが控え室に押しかけ、その場で1番だけ制作、譜面に起こす時間もなかったためカセットテープに吹き込んで手渡しました。その間15分です。やはり天才ですね。

 それでもこの歌は、評論家たちからは「戦争を賛美している」「好戦的」「右翼」などと書かれてひどいバッシングを受け、ずいぶんといろいろな雑誌で叩かれたものです(前年にさださんは「関白宣言」の大ヒットで「女性蔑視論者」としてバッシングを受けました)。この歌のどこが「戦争を賛美」なんでしょうかね?さださん自身は「いまの緊迫した世界情勢の中で、日本という国を愛するたった一人の”人間”として『自分の中の万葉集』『自分の中の防人の歌』というつもりでつくりました」と述べています。「いさなとり 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ」(万葉集)という歌に触発されて作ったものです。それでも評論家の山本健吉さんは、「君、あれは挽歌だよ。日本の詩歌の基本は挽歌だ」と讃え励まして下さり、さださんの心の支えとなりました。また辻 邦生さんは、「いったいあの若さでこれほど深い宇宙的な悲しみを表すことができるものだろうか。それは本当に深い深い人間の感情の根源にぶつかることなくしては歌う事のできない詩であり、メロディであった」と最高の賛辞を贈ってくださいました。分かる人たちにはちゃんと伝わっていました。

 今回の番組では、世界的なジャズピアニストの小曽根 真(おぞねまこと)さんとのスペシャルコラボで「防人の詩」を披露しました。今の声で、今の音楽性で、かつて作った歌を歌い直したさださんの最新セルフカバーアルバム『新自分風土記Ⅰ~望郷篇~』の中で、小曽根さんのアレンジで共演しておられます。これが鳥肌が立つようなピアノなんです。さださんがセルフカバー・アルバムの選曲をするにあたって、2015年放送の特番「今夜も生でさだまさし」で、小曽根さんと初共演した時の「防人の詩」が印象深かったことから、参加を依頼し即時快諾頂く、という形で共演が実現したものです。世界の小曽根が、さださんの歌をどう料理するのかで注目されました。当時の共演の映像がコチラです。

 小曽根さんは、バークリー音楽大学を首席で卒業後、全世界にデビュー。チック・コリア、ゲイリー・バートンなど、トップ・ミュージシャンとツアーを催行する他、ソロ、ビッグバンドなど、ジャズの最前線で世界的に活躍するだけでなく、近年はクラシックでの躍進もめざましく、NYフィル、シカゴ響をはじめ欧米の主要オーケストラとも共演を重ねておられます。また、演奏のみならず舞台、映画音楽の作曲を手がけるなど、マルチな才能でボーダレスな活動を続け、注目を集めているピアニストです。平成30年度に「紫綬褒章」を受章しておられます。今回のさださんとのアルバム共演では、レコーデイング・スタジオで小一時間ほど一人でピアノと向かい合って指慣らしをした後、「じゃあ、一回やってみましょうか」と言い、その演奏が一発で本録音となりました。テイクワンで上手くいったさださんと小曽根さんは興奮して抱き合い、忘れられない一日になったそうですよ。❤❤❤

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「かしわうどん」

◎週末はグルメ情報!今週はうどん! 

 小倉駅に着いて門司港行きの電車に乗るために降りたのが、⑦・⑧番ホームでした(私の大好きな特急「ソニック」のホームです)。そのホームの中ほどに、かしわうどん」の立ち食い店(北九州弁当(株)が運営)があって、結構な人が食べていて美味しそうだったんです。九州には有名な駅うどんが2軒あり、1つが鳥栖駅「中央軒」、もう1つがこちらの小倉駅のうどん屋さんです。漫画の「クッキングパパ」でも紹介されているので、ご存知の方も多いかと思います。鳥栖駅「かしわうどん」は、歌手のさだまさしさんが大好きで有名ですね。このときは時間がなくて、食べることができなかったんですが、帰りに下関を回って小倉駅に着いたときは絶対に食べようと狙っていました小倉駅の中には、①・②番ホーム、③・④番ホームにも同様のお店があり、改札内の連絡通路にもありました。後で聞いたところでは、小倉駅の立ち食いうどんでは、この⑦・⑧番線ホームのお店が、一番人気なんだそうですよ。なんと「創業明治24年」とありますね。ということで、再び⑦・⑧番ホ-ムにてくてくと降りていきます。ホームに降りる前からとってもいい香りが漂っています。改装されたばかりできれいなお店です。

 自動販売機で食券を買います。かしわうどん」(390円)と、「いなり」(50円)です。列車のせわしい時間待ちの立ち食い店らしく、あっという間に出てきます(1分もかからなかった)。透き通ったうどんのつゆは、かつお昆布をベースに鶏もも肉でだしをとった秘伝の甘めの濃厚なつゆ。そのつゆに沈む白い麺は、コシとは縁遠い柔らかい歯触り。この麺が旨いつゆを含んでさらに柔らかになるのですが、それがまた美味しいんです。そして細かく刻んだかしわ肉を甘辛く炊き上げた自慢の『かしわ』がまた絶品でした。ネギもシャキシャキして美味しかった。「いなり」ずしもいい味出していました。電車へ持ち込みをご希望の場合は、プラス30円でプラスチック容器に入れテイクアウトもできます。甘辛く煮た鶏肉と柔らかい麺の組み合わせは絶品で、うどんつゆも最後まで飲みたくなる美味しさでした。この立ち食いうどん店、要チェックですよ。小倉に来たら必ず立ち寄ります。❤❤❤

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小倉駅新幹線口のトイレ

▲大分駅のトイレ

 JRは、お客さんへのアメニティ向上のため、中長期的な視点で新幹線の戦略的美化を推進しているようです。トイレづくりもその一環として改修を順次行っていて、九州の玄関口である新幹線小倉駅では「目指して行きたくなる楽しいトイレ」をコンセプトに、機能的で安心して使用できる空間を追及しています。私が今までに駅のトイレで一番感動したのはリニューアルされた大分駅のトイレでした(水戸岡鋭治デザイン)。キャラクターの「クロちゃん」が至る所に描かれた、実にきれいで明るい雰囲気のトイレでした。あんな綺麗なトイレを見たのはあそこだけです。⇒私の紹介記事はコチラ

 小倉駅の新幹線口のトイレ(lavatory)も実にきれいなトイレでした。男性トイレの小便器は一つ一つ仕切りがしてあって、手を洗う洗面台が実にオシャレです。素敵な観葉植物も置かれ安らぎを与えてくれます。木の香りが漂うトイレです。全身を写す鏡も便利ですね。私が進路部長をしていた頃、大学を訪問する時必ずチェックしていたのが、トイレ」図書館」でした。この二つを見れば、だいたい学校の様子が想像できました。会社でも勢いのある会社ほど、トイレには力を入れていますね。❤❤❤

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JRも英語化?

 以前このブログで、JRが現在取り組んでいる「車掌イングリッシュ」について報告しましたね。⇒コチラです  訪日外国人客が急増する中、英語での対応力を高めるのが狙いでしょうね。英語が必要だという意識は職場で高まっていたが、実際に話す機会は少なかった」「一歩ずつ英語の対応力を上げるため、車掌さんの肉声英語に踏み切ったそうです。車掌さんたちの中には、そもそも抵抗感を示す人もいたといいます。このために2015年度から社内での英語研修を開始し、職場では「英語委員会」なる組織もできているそうですよ。「カタコト英語だ」「棒読みだ」といった批判も聞かれるようですが、外国からの旅行客には、流ちょうな英語でなくても有り難いことでしょう。JR西日本でも、一部で試行しています。

 今日は「山陽新幹線」さくら号で、その肉声英語を体感してきました。例の女性のネイティブのアナウンスが流れた後、車掌さんの乗り換え案内が日本語で、そして「車掌イングリッシュ」の登場ですAttention please. The doors on the left side will open. Thank you.”というそっけないものでした。お世辞にも上手とは言えない英語です。その理由は、すべての単語を同じ大きさの音で等間隔に読んでいるためでしょう。増加する外国人観光客のために、ないよりはましかもしれませんが、もうちょっと何とかならないかな~、と感じたのも事実です。

 これとは逆に、先日、岡山県津山市から岡山市まで、JRの快速列車に乗ったときの男性の車掌さんは見事でした。実に流ちょうな英語で、アナウンスをしておられました。岡山駅で電車を降りたときに、ホームに女性の職員の方がおられたので、車内放送の車掌さんの英語は見事でした」と声をかけさせてもらいました。ホームでそんな話をしていると、当の車掌さんが降りて来られて、紹介してもらいました。実に見事な英語に感心した、と私が言うと、恐縮しておられました。「車掌さんが全員取り組んでおられるのですか?」とお聞きすると、「得意な人も苦手な人もおられる」と実態を述べられ、全員にまでは広まっていないとのことでした。でも中にはこういう立派な英語を話す人がおられることを知って、嬉しくもなりました。私が毎週利用している松江駅でも、特急列車の案内を女性職員が読み上げておられますが、下手くそです。棒読みなんです。もっと強く読むところ、飛ばすところを意識すると、ちょっとは英語らしくなるんですがね…。先日、鳥取まで乗った「スーパーまつかぜ」の英語アナウンスは、下手くそだけでなく間違いだらけでした。それにしても、JRも大変な時代に入りましたね。♠♠♠

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中西葉奈さん来校

 松江北高から初めて秋田の「国際教養大学」(AIU)に進んだ中西葉奈(なかにしはな)さんが(現3回生)、帰省して北高に訪ねてくれました。ALTのエドワード先生と二人でタッグを組んで、過去問の添削を徹底的に繰り返したのが、今から3年前です。早いものですね。その甲斐あって一発で合格を勝ち取ってくれました。⇒そのときの合格の喜びはコチラに書きました。 「国際教養大学」は、英語で各分野の勉強をしたい人には最も優れた環境を提供してくれている大学で、東大よりも入るのが難しいと言われている難関校です。⇒私の紹介はコチラ  大学での勉強の様子や環境を、以前中西さんがレポートしてくれているので(右写真)、興味のある方はご覧ください。(1)どのような生徒をAIUは求めていて、どういう生徒が実際に合格するのか?、(2)AIUの良い点、(3)AIUの悪い点、の3つの側面から、この大学の実態を報告してくれています。

・「あむーる」号外12月号 松江北高等学校  ⇒コチラです

 中西さんの話によれば、最近では都会の予備校が、この大学に入るための特別プログラムを提供しており、そこからやってくる生徒が増えているそうです。都会の裕福な生徒たちは、こうやって英語のエッセイなどを徹底的に鍛えられて模範答案を書けるように指導されているんですね。入るのが難しくなるわけだ。せっかく来てくれたので、私の理系クラスの授業に来てもらって大学の様子を話してもらいました。第一志望校にあげている生徒もいて、生徒たちは興味津々で聞いていましたね。浪人生がどうしても話を聞きたいということで、時間をとってもらった後で、お昼ご飯を一緒に食べに行きました。本当は私の大好きなフレンチの「HARA」へ行きたかったんですが、電話すると「今日は予約でいっぱいで、ごめんなさい」と申し訳なさそうにご主人。そこで急遽変更して「ろんぢん」でしゃぶしゃぶを食べることにしました。ここは松江の老舗でしたが一度閉店して復活した人気店です。⇒私の詳しい紹介記事はコチラです

 今彼女は国際教養大学からの留学で、ワシントンの「ジョージワシントン大学」で勉強しています。来週からはインターンシップで大阪の「アメリカ大使館」で働くそうです。頑張ってね!❤❤❤

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「両国駅」幻の3番ホーム

  ここ最近、メデイアで偶然に、「JR両国駅」幻の3番ホームに関するニュースを5本読みました。

(1)Tリーグ開幕戦の会場、「両国国技館」の最寄り駅「両国駅」で10月23日、記念イベントが行われた。日本ペイントの加藤美優(19)と琉球アスティーダの小沢吉大(24)がホームに特設された卓球台でプレー。加藤は「電車に乗る時しか使わない場所なので違う気分で楽しかったです」と初体験を振り返った。 週末に運行する特別列車以外では利用できない「幻の3番ホーム」での卓球には西山和弘駅長(57)も参戦。国技館での開幕戦から卓球の普及を狙う。

(2)「両国駅」3番線ホームが、10月14日の「鉄道の日」だけ、レゴ・シティ、レゴ・デュプロのトレインシリーズの世界観を体験できる「両国レゴ駅」としてオープンします。会場には日本唯一の「レゴ認定プロビルダー」である三井淳平さんの手がけた、壮大なジオラマが登場。レゴによる鉄道の世界が、幅約8メートル、奥行約1.5メートルの巨大なエリアに展開されます。

(3)昨年、両国駅の「幻の3番線」ホームで開催された「ギョーザステーション」が今年も帰ってきました(8月24日~9月5日)。前回は味の素冷凍食品の「ギョーザ」が発売45周年を迎えての特別企画として、今回は「ギョーザ」のリニューアルと、新製品「しょうがギョーザ」の発売を記念して13日間行われました。3番ホームにフライパンとコンロ、調味料が置かれたテーブルが並べられ、餃子を焼いて食べるイベントには鉄道&餃子ファンが数多く集まりました。

(4)1月17日から20日まで、「熱燗すてーしょんご当地おでん燗酒~両国駅で飲みましょう!」というイベントが、都内JR総武線両国駅3番ホームで行われました。この3番ホームは普段、臨時列車しか止まらず、“幻のホーム”と呼ばれる場所です。階段を上がってホームに入ると、そこには夢の世界が広がっていました。事前予約で購入した参加費2000円には、おでん1人前と日本酒チケット10枚、持ち帰りができるおちょこが付いています。おでんは、静岡風濃い口・名古屋風八丁味噌煮込み・鹿児島風甘口などの五種類から選べます。日本酒は全国燗酒コンテストで入賞したものが並び、宮城県や福岡県などから来た10蔵の蔵本さんが熱燗を注いでくれます。そして一番のお楽しみ!こたつが3台用意されたフォトスポットです。真冬に凍えるホームで、こたつに入って行き来する総武線の振動とガタンゴトンという音に包まれるのです。

(5)2019年2月8日、『プラレール60周年×JR東日本特別企画展 みんなあつまれ!一緒にあそぼう!「両国プラレール駅』の発表会が3番線ホームで開催されました。会場の3番線ホームでは、式典のためのプラレールのジオラマが設置され、「両国プラレール駅」の駅名標も設置されました。発表会にあわせて、3番線には幕張車両センター所属のE257形500番台が入線して、式典に華を添えました。これは東京から千葉・房総方面に走る特急用の車両なんですが、電車の正面の電光掲示部分には、3番線ホームがまだ現役で使用されていた頃に発着していた「急行」という文字が。現在では定期運行の急行列車は廃止されてしまったために、特別感が伝わる車両師でした。駅前の特設会場には、全長9メートルのガラスケースに260種類以上の列車が並ぶ車両基地がお目見えしています。高さ2メートル、31段のプラレールタワーのある巨大ジオラマも。4月7日まで開催しています。

 私が、この両国駅の幻の3番ホームに注目するようになったのは、大好きな西村京太郎先生『十津川警部 両国駅3番ホームの怪談』(講談社ノベルス、2018年10月刊)を読んだことが影響しています。こんなお話しでした。

 会社員の宮田は、普段は使われていないJR両国駅3番ホームで、深夜に二人の不審な人物を目撃する。翌日、3番ホームに入り込んだ宮田と恋人の千里はランの模様が入った指輪を拾うが、ある理由から指輪の複製を依頼した宝石店の店員が殺害された。そして優勝力士と両国から館山に向かう臨時特急に乗った千里が行方不明に。3番ホームでの怪異と指輪の謎に、十津川警部が迫る!

 両国といえば、国技館がある大相撲ゆかりの地として知られていますね。その「JR両国駅」に、普段は使われていない3番ホームがあることをご存じでしょうか? 現在、3番ホームへと続く通路は「両国ステーションギャラリー」となり、両国駅の歴史に関するパネルや写真が展示されています。その通路の30メートルほど先に、3番ホーム入り口があるのですが、普段は閉鎖され、何かの催しの時だけ、乗客に開放されるようになりました。会社員・宮田は幻のホームで、幻影を見たのか?それは過去の出来事と関わっているのか?作品の中では、大空襲の前日に両国駅3番ホームで発生した「悲劇」が、現在の事件と大きな関わりを秘めていることが分かります。読了後、思わず3番ホームを見に行きたくなる展開と、十津川警部の的確な捜査と名推理を楽しみました。

 ある鉄道雑誌には、「両国駅」について、次のように書かれている。
<両国駅は、1904年(明治37年)、私鉄の総武鉄道(現総武本線)の両国橋駅とし
て開業。1907年(明治40年)の国有化を経て、1929年(昭和4年)に現在の駅
舎が完成し、1931年(昭和6年)には、両国と改称された。
 両国駅は総武本線を通って、成田、銚子、房総方面などへの列車が頻繁に行き来する東
京の「東のターミナル」だった。地平ホーム(地下ではない)は、上野駅と同じ頭端式に
なった。夏のシーズンには、海水浴客のために、臨時列車が増発され、たくさんの列車が
ホームを埋めつくした。海水浴客を乗せて、次々に発車していった。
 ところが、1972年(昭和47年)7月、両国駅が、大きく変わることになった。
 総武本線が複々線化された時、東京―錦糸町間が地下にもぐり、両国駅を通らなくなっ
てしまったのである。一部の急行列車は両国駅の地平ホーム発着で残されたが、1982
年(昭和57年)に全廃されてしまった。それでも、東京駅の地下ホームが過密になった
ために、「すいごう」など特急6本が両国駅発着になったが、これも1988年(昭和6
3年)に、ほとんどが東京駅発着になってしまった。そのため、両国駅発着の列車は、特
急2本と、一日一往復の夕刊用の新聞輸送専用荷物列車と、臨時列車(例えば銚子行きの
「犬吠」など)のみとなり、この新聞輸送列車も2010年(平成22年)、廃止されて
しまった>  (pp.10-11)

 1907(明治37)年に、近くにかかる隅田川の橋の名前をとって「両国橋駅」として開業した「両国駅」。開業当初は千葉方面に向かう鉄道のターミナル駅で、列車はこの駅を始発・終着駅としていました。現在「両国国技館」「江戸東京博物館」になっている土地も、もともとは両国駅の貨物を取り扱う場所でした。昭和に入って、総武線が秋葉原方向に延伸して中央線とつながり、「両国駅」はターミナルから途中駅に格下げ。それでも特急や急行は「両国駅」を始発駅にしていましたが、JR東日本に移行したのちの1988(昭和63)年に、行き止まり式のホームを発着する定期旅客列車はなくなりました。現在「両国駅」に乗り入れるのは総武線各駅停車のみ。上り東京方面と下り千葉方面だけです。しかし1、2番ホームを降りると両国国技館方面に謎の3番ホームが存在します。1972年に東京駅の地下ホームが開業するまで、「両国駅」はターミナル駅の役割を担っていました。現在は2つまで減ったホームの数は20。房総方面の始発駅でした。それが「東京駅」にターミナル機能が移動し、縮小した結果残ったのが現在の3番ホーム。以来、唯一残った行き止まり式の3番線ホームは臨時列車を除いては列車が発着せず、普段は閉鎖された「幻のホーム」になったのです。❤❤❤

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渡部昇一先生のエピソード(2)

◎身なりについて

 前回に続き、尊敬する故・渡部昇一先生の「エピソード(2)」です。大学時代の渡部昇一先生は、学生服一着の着たきり雀で、履き物は破れた軍靴一足だけで、紐でしばってはき続けるような徹底した貧乏生活をしていました。学生というのはどんなオンボロを着ていても構わないんだという考えに甘えて、非常にだらしない格好をした時期があった、と反省しておられます。当時は「明治以来、書生は弊衣破帽が美徳だ」と思っておられたのです。服装というのはだらしなくした方が手がかからないし、お金もかかりません。ところが、これではいかんと思い始める出来事が起こります。大学二年生のときに、アメリカ留学選考の話が持ち上がりました。先生は、当然学内で成績トップの自分が選ばれるものと思っていました。ところがアメリカ人の先生が「渡部は社交性(ソーシャビリティ)がない」という理由で、別の学生が選ばれたのです。貧乏学生で服装はいつも着た切り雀、喫茶店などに入る余裕もなく、勉強勉強の生活です。遊んでいる暇などありませんからね。そんな様子を、アメリカ人教授は非社交的と判断したのでした。キチっとした服装のできる学生を信用したのでした。

 大学院に入ったときに、外国人の学者のオフィスでアルバイトした時に、ちょっと服装に気をつけないといけないと思って、生まれて初めてネクタイをしました。といってもちゃんとしたネクタイを買う余裕がなかったので、その年の卒業生が作った紺色のスクールタイでした。先生は無類のラーメン党です。上智大学の近くのラーメン屋さんの「五目ラーメン」大好きでした。生まれて初めてネクタイをしたその日に、ラーメンを食べたんです。それまではラーメンのスープがパチャパチャ垂れようと飛び跳ねようと全く気にもならない服を着ていたので、その日もそんな調子で食べていたのです。するとネクタイにスープの汁がついてしまい、ガックリきます。そのときにネクタイを毎日するというのは大変なことなんだ、と実感します。そんな訳で、その後も渡部先生はネクタイは余り好きではないとおっしゃっておられました。ラーメンは大好きでしたが…。

 学生時代は、オンボロでも通用するんだと甘えていたところがありましたが、広い世の中に出てみるとそれが通用しない。とくに外国に行くと服装がモノをいうということを思い知らされます。ドイツに留学されたときも、ろくな洋服は持っておられません。それまで2年間中学校で教えていましたから、いいものではないけれどあるにはありました。一緒に留学する人などは、出発前に親がいい洋服を2着ぐらい新調していましたが、渡部先生は作ろうにもお金がない、まあいいやと思ってドイツに行きます。向こうでも服装の悪いのが目立ちます。勉強だけはよくしていたので、教授や留学生を世話する人たちの間では、よく頑張っているがどうにも服装が貧相だという評判が流れます。ドイツでは正式の招待を受けたら、学生でも黒い服、銀色のネクタイを着なければいけないという決まりがありました。そこへスポンサーが現れて作ってくれました。おかげでキッチリとした服装をすることができ、外国人の中では割と好感を持たれました。服装というのは基本的には自由であっても構わないけれども、「社会」という場では変えなくてはいけません。その「場」が分からないようでは一人前とは言えません、と回想しておられます。❤❤❤

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時間割

 チョット昔の思い出を。昭和52年、島根県の教員に新規採用されて赴任したのが島根県立平田高等学校でした。教務部に配属され、隣の席には故・鞁嶋弘明(かわしまひろあき)藤井雄康(ふじいたけやす)先生がおられ、時間割を毎日担当しておられました。このお二人に時間割の動かし方を懇切丁寧に指導していただき、「よ~く見ておけ、今度はお前が時間割を担当するんだ」ということで、毎日コマの動かし方を勉強しました。当時は1人で1学期間!ずっと時間割を担当することになっており、私の担当する学期になりました。今では信じられないですね。どこの学校も1週間が限度だと思いますけど。朝早く学校に行って、急な休みが出たときが一番困ります。補充授業をお願いに行くのですが、この時の応対で「人間性」が見えてきますね。「イヤだ、なんでそんなもんやらなければいけないか!」とムベもなく断られる先生、「いいですよ」と気持ちよく引き受けていただける先生、文句を言いながらも仕方なしにOKしてくださる先生、新人の私もずいぶん勉強になりました。休みの多い先生とそうでない先生の違いなども勉強になりました。休まれるといろいろな人にこれだけ大変な迷惑をかけるのだから、絶対に休まないようにしようという心構えができたのもこの頃でした。時間割を毎日変更することで、学校のカリキュラムの理解も深まったようです。教員1年目にそういう勉強をしろという計らいだったんでしょうね。しかも当時は授業変更すると、変更黒板に書くだけでなく、先生方一人一人に連絡票を持って回ったものです。これだけでも結構な時間がかかります。今は各自変更シートをめいめいで見なさいということになっていますね。3時間連続には絶対にならないように毎晩遅くまで残って、時間割を動かしていたものです(今は平気で4時間連続とかありますよ)。私が教えていただいた二人の先生は、職人のような腕で時間割のコマを動かしておられました。「これが腕の見せ所」と教えていただきました。時代は変わりました。ポカをしては反省しながら、時間割シートと悪戦苦闘していたあの頃が懐かしく思い出されます。

 私は今、非常勤で松江北高に出ていますが、授業が動いても連絡をいただける時と全く無視の時もあります。昨年などは何度もそれがあり、非常に不愉快な思いをしながら勤めていました。学校に行ったら授業がなくなっているんです。何の連絡もなしに、朝1時間目に授業が動いていることもありましたっけ。私はいつも朝6時半に登校しているので、何とか穴を開けずに済みましたが…。ベテランの時間割担当者だと、そこまで気を遣って電話で、あるいは口頭で連絡を下さるのですが(非常勤の先生の授業を動かす場合だとそれが当たり前だと思うのですが)、若い担当者だとそこまで気が回らず、動かして終わりのようです。今日も、模擬試験のために授業がカットされてなくなっているのですが、何の連絡もありません。幸い補習科で、事務担当者からそのことを聞いていましたので、学校には行きませんけれども…。私だけでなく他の非常勤の先生も同じようなことをこぼしておられました。私が時間割を担当していた時代とは「常識」が異なってきているようです。私が北高に帰ってきた頃は「1時間の授業を大切にする!」ということを徹底していて、一部のモザイク授業をのぞいて絶対に「課題」などにはせずに、どんなに時間がかかろうが、時間割変更をして授業を最優先にしていたものです。今は平気で課題にしてしまうことも見受けます。ひどいのは「自習」です。時間割の連絡の不徹底やこういった課題の横行は、原点を疎かにしていることの裏返しと感じています。成績が落ちるのも納得です。♠♠♠

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「いきなりステーキ」の「いきなりドレッシング」

◎週末はグルメ情報です!!今週はドレッシング!

 「いきなりステーキ」のお肉には満足できなかったことを書きました。⇒コチラです  (最近の報道によれば、破竹の勢いであった「いきなりステーキ」の勢いが止まって、苦戦を強いられているとのことでした。競合となる店舗が次々と現れ、一部から成長鈍化を懸念する声も聞こえてくるとか。)でも唯一の収穫は、お店のテーブル上に用意されていた、サラダにかけるタマネギ「いきなりドレッシング」が美味しかったことです。これはずいぶん好評のようですね。ネットで販売もされているようです。今日「イオン」に寄ったついでに、買って帰りました。702円と、市販のドレッシングに比べて少々お高いですが、味は言うことなしです。タマネギをたくさん使用していますので、オニオンパワーたっぷりですよ。先週行った時には、ずいぶん値下がりして安くなっていました。

 タマネギにはたくさんの効能があります。高血圧、糖尿病、動脈硬化、脳血栓、脳梗塞などの予防や、疲労回復、精神安定、食欲増進などにも役立ちます。このような効能をもつタマネギのみじん切りをふんだんに使用し、野菜をおいしく食べてもらいたい、なおかつ皆様の健康につながればという思いで開発されたのが、この「いきなりドレッシング」です。

 このドレッシングは、タマネギのみじん切りの入ったドレッシングです。血液をサラサラにする玉ねぎの甘みがふんだんに出ており、濃厚な味わいです。特に生野菜の旨みを引き出すので、野菜を多く摂取したい方にはおススメですね。揚げたタマネギをふんだんに使用し、香ばしさと甘さを際立たせています。また、粗切りのタマネギが食べたときの歯ざわりとなり、アクセントになっています。タマネギの甘みが効いているので、野菜が苦手な方も食べやすく感じますね。さらにたくさんの効能があるので、健康志向の強い方にもおススメです。私はお医者さん&管理栄養士さんから、野菜をふんだんに摂るように言われているので、このドレッシングは有り難いですね。私はイオン松江店の「いきなりステーキ」で、ステーキは食べずに、入り口のレジで、この「いきなりドレッシング」だけ買って帰ります。❤❤❤

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ナンバープレート・プリディクション

 連休中も、私のところには毎日のように海外の新作マジックが届きました。いつも お世話になっているフェザータッチ・マジックさんから「ナンバープレート・プレディクション」(License Plate Prediction)という面白い「予言マジック」を手に入れました。Martin Andersenの手になる作品です。観客がバラバラに選んで作ったナンバープレートが、予言のナンバープレートと完全一致するという現象です。元々は英語バージョンなんですが、日本のナンバー・プレートタイプで発売開始されました。

 まずは予言」(Prediction)の入った箱を示します。すり替えたりできないように、観客の目に見える所に置いておきます。次に、ナンバープレートの数字やアルファベットがたくさん書かれたパッドを示します。パッドは複数の部分に分かれていて、各パートごとに色々な数字と文字があるのを観客にめくって見せます。まさに組み合わせは無限大ですね。一人または数人の観客に、ランダムなナンバープレートを作るために、文字や数字を全く自由にめくって選択してもらいます。これで、ランダムな数字と文字から成るナンバープレートが完成しましたね。出来上がったナンバープレートを観客に再度確認します。最初に置いておいた箱を開けると、中から観客が自由に組み合わせたはずの数字と文字の一致したナンバープレートが出てくるのです。完全に一致しています。観客はナンバープレート・パッドを自由にめくって選択したはずです。キッズ、アダルト、コメディー、メンタリズムなど、あらゆる種類のショーにうってつけのマジックではないでしょうか?サロンやステージで演じても映えるでしょう。周りを囲まれていても演技出来ます。予言のナンバープレートはアルミ製でしっかりと本物そっくりに作られていますから、重厚感も漂いますね。最近、私は各所でこれを演じています。♠♣♥♦

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写真が壊れた!

 今から2年前の2017年の5月ゴールデン連休に、私はUSJにいました。生まれて初めてのUSJ訪問です。生徒たちは「USJは八幡先生には似つかわしくない場所だ。先生の行くところではありません。きっとつまらないはずだ」とからかいます。映画「ジョーズ」のアトラクション(⇒コチラがその時の記事です)や「バックドラフト」のセット、ハリーポッターのお城などを1日かけて見て回り、2500枚ほどの写真を撮りました。オフィシャル・ホテル「ホテル京阪ユニバーサルタワー」(⇒コチラがホテル紹介)に泊まり、最上階のスパで絶景を楽しんだのもいい思い出

▲縞がかかってしまった写真

です。でもやはり生徒たちの言うことはは正しくて、もう1回来たいとは思いませんでした。ところが、です。先日写真をこのブログにあげようと思って読み込んだところ、全部の写真に黒・赤・青・黄色の縞がかかって全く写真を読むことができません。おいおい!!いくつか「SDカード」の復元ソフトを持っているので、修復を試みてみましたが、全く効果がありません。2500枚(!)ですよ。

 このままでは悔しいので、仕方なしにプロに頼むことにしました。私が以前利用して、道後温泉旅行の写真類を完璧に復元してくれた博多にある「(株)アラジン データレスキューセンター」(⇒その時の思い出はコチラです)です。SDカードを梱包して博多に発送しました。この会社は何よりもデータ復旧の正確さと、対応スピードの速さに優れています。前回も実に満足のいく結果でした。「データレスキューセンター」のデータ復旧までの流れは、「問合せ・申込み→初期調査→調査結果報告→データ復旧作業→発送→納品検収」となっています。初期調査の結果報告として「復旧可能なデータリスト」と「見積り」は、48時間以内(最短で6時間以内)に受け取ることができます。その後、軽度の論理障害(レベル1)、重度の論理障害(レベル2)、軽度の物理障害(レベル3)の復旧作業は1日程度、重度の物理障害(レベル4)の復旧作業は2~3日程度で完了。仮に復旧できないと分かった場合でも、一切料金を取られることはありません。以前に私がお願いしたある会社では、「復旧できない」という診断をされただけで、調査費用として1万円とられたこともありましたから、ここは実に良心的ですね。送ってから次の日にメールで回答と留守電が入っていました。「この度は、データ復旧初期調査をご依頼いただきありがとうございます。初期調査結果が出ましたのでご報告させていただきます。初期調査の結果、ファイル構造情報の損傷によるレベル2の論理障害が発生している状態でしたが、修復処置および、ファイルのヘッダー情報をもとにした切り出しによる追加での回収を行い、49ファイル(約102MB)のデータが確認されました。」とのこと。博多に電話して聞いてみると復元できたのはこの49枚だけで、あとは完全にデータが壊れてしまっていて、戻すことが不可能とのことでした。原因は不明なので、こまめにハードディスク等にバックアップを取る事を薦められました。2500枚のうち49枚を復元してもらってもしょうがないので、今回はそのままSDカードを送り返してもらいました。電話での応対、SDカード返送の事務など、手際よく実に好印象を持ちました。さらに「お世話になっております。データレスキューセンターでございます。データ復旧サービスをご利用いただき、誠にありがとうございます。この度は、弊社の力及ばず大変残念な結果となってしまい申し訳ございませんでした。キャンセル指示を確認致しましたので、お預かり媒体をご返却いたします。発送は、クロネコヤマトの着払いにてお送りしますので、よろしくお願いいたします。なお、発送後にクロネコヤマトのお問い合わせ番号をお知らせします。」というお詫びのメールまで送られてきました。データ復旧が不可能な場合でも、調査に一切お金を取られることはありません。今回は残念でしたが、こんなプロ集団を知っておくとまたいつかお世話になることがあるかもしれませんね。⇒コチラが同社のホームページです バックアップをこまめにとること、これが今回の教訓でした。

 そうか、もう一度USJに写真を撮りに行かなくてはいけないか?!❤❤❤

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北九州予備校

 私は、津和野高校に勤務していた時代に、新山口(昔の小郡)にある北九州予備校」に、浪人生をお世話になったことが何度もあります。ずいぶん親身になって指導していただき、みな一年間の浪人生活で志望校に合格していきました。特に、寮に入った生徒たちは、帰省する度にその生活の厳しさを報告に来てくれていました。以前、松江北高を卒業して、医学部を目指して長崎県の北予備に行った生徒に連絡を取ろうと携帯にかけるんですが、全然応答がありません。1週間ぐらい経ってから、本人から連絡が来て、携帯電話は平日は予備校に預けることになっており、帰省の時に返してもらうので、連絡があっても分からなかったと謝っていました。学力の向上を目指した、この日本一の「厳しい生活指導」こそが、北九州予備校の他にはない特徴だと思っています。結果もついてくるので、全国で注目されている予備校なんです。大野 芳『努力は実る!北予備メソッド』(2011年、講談社)で、そのことが実証されていますね。北予備では浪人生を受け入れるに当たって、三つの条件を誓約させています。真剣に受験に取り組む「普通の受験生」の姿を、北予備では見ることができるのです。

 1.茶髪禁止  2.ピアス禁止  3.寮生は携帯電話の持ち込み禁止

 このようなことを堂々と宣言している予備校は珍しいと思います。「大学受験という目的に向かって一直線に進むには、「放任」とか「まあそこそこに」ということはあり得ないわけで、寸刻の勝負になるのは当然なのです」(同書、p.188)と、北予備哲学が。きちんとした生活なくしては成績アップは望めない、という信念には共感しますね。中でも有名なのは、「北予備生の基本方針~十の鉄則」でしょうか。

¶鉄則の一  必ず授業に出ること。

¶鉄則の二  最低でも一日三時間の自習を欠かさないこと。

¶鉄則の三  テキスト中心・授業中心の学習を行うこと。

¶鉄則の四  予習・授業・復習のサイクルを守ること。特に復習は重要。不明箇所は残さないこと。先生、チューター、友人に尋ねよう。

¶鉄則の五  得意科目は予習中心、不得意科目は復習中心、習ったことは覚え込む。暗記物はカードにして持ち歩こう。

¶鉄則の六  週間計画を立てよう。復習調整日を作ること。

¶鉄則の七  模試を弱点の発見と補強の場にしよう。成績で一喜一憂しないこと。本番でできればよい。

¶鉄則の八  直前期は復習のみを行うこと。このために日頃のノート作りが重要になる。コピー、蛍光ペン(赤・黄・青)などを駆使して効率を上げること。

¶鉄則の九  遅刻・欠席、携帯電話、茶髪、ピアスなどは隣席の居眠りと同じく、クラス全体のヤル気を損ない、スキを作る。思わぬ不覚の原因となる。一人一人の自覚が全体に影響する。受験生としての自覚を忘れないこと。特に携帯電話は受験生の大敵である。志望大学と合格大学に大きな差が出る。けじめをつけて利用しよう。

¶鉄則の十  親、兄弟、友人、先生、チューター、職員などの助力と協力によって受験勉強が成り立っている。素直な心、感謝の心を忘れないこと。「おはようございます」「行ってきます」「ただいま」「ありがとうございました」など、感謝の言葉で快適環境を作ろう。

 松江北高の卒業生で、昨年度一年間この「北九州予備校」で浪人生活を送った寺本安里(てらもとあんり)さんが、一年間の「北九州予備校」での生活を詳しくレポートしてくれました。ダウンロードサイト」に登録しておきましたので、興味のある方はご覧ください。❤❤❤

・「あむーる」5月号 島根県立松江北高等学校 八幡成人 ⇒コチラで読むことができます

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石垣を思う

 「なんだ、こんな仕事」「なんだ、こんな単純な作業を」「こんな仕事をやるためにここに入ったのではないぞ」と、不満を心に抱いたことはありませんか?新任の頃は、おそらくコピー取り、書類の整理、伝票の仕分けなど雑用係や上司の使い走りのような仕事ばかりさせられます。でも「なんだ、こんな仕事を」と思う仕事を、キッチリと正確に迅速にやり遂げることが大切だと思います。大きな仕事も、そういった単純な一見小さく見えるような雑用と思われるような小さな仕事を土台にして成り立っているということを忘れてはなりません。『小さな仕事』をきちんと誠実に仕上げていく、その積み重ねによって、次のより大きな仕事につながっていくのです。あの岩國哲人(いわくにてつんど)さんが、出雲市長時代に市役所職員に口を酸っぱくして、①人より早く、②人より多く、そのどちらもできない時には、③人とは違ったやり方で、と仕事への取り組み方を訓示しておられました。これを頭に入れながら、『小さな仕事』にしっかりと意欲的に取り組みたいものです。

 お医者さんに歩きなさいと言われていることもあって、私は「松江城」へ散歩に行くことがよくあるんですが、「石垣」をよ~く観察します。どこのお城も同じだと思いますが、石垣には、大きな石もあれば、小さな石もあります。よ~く見ると、本当に小さな石も巧みにはめ込まれていますね。あの美しい堅牢で雄大なお城の石垣も、大小さまざまな石の組み合わせでできているのです。大きい石だけでもダメだし、小さい石だけでもダメです。仕事も同様です。小さな仕事」と軽く見てはなりません。松江城の石垣を見ていると、こんなことを感じます。

 松江城の石垣は「野面積み(のづらつみ)」(自然石や割石を積む方法)「打ち込み接(うちこみはぎ)」(石切り場で切り出した石の、平坦な面の角を加工し、合わせやすくした積み方、全体の6割)という石積み手法が用いられています。石垣積は、築城工事にあたって、全体の半分以上の労力を要したと云われています。松江城は5年間で完成しましたが、そのうちの3年間を石垣に費やしました。石垣積みは、穴太頭二人が、穴太衆(あのうしゅう、石垣築城集団一族)・子供衆(見習い)を従え、石工は大阪から招き石垣を構築しました。奥深いお城の石垣の詳細はコチラ❤❤❤

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8時35分と8時45分の怪?

◎10分おいて米子行きが出る!!?

 月曜日と金曜日に、米子東高校内の「勝田ケ丘志学館」に通うために私が利用する山陰線は、都会と違って1時間に1本だけしか普通列車がありません。ところが、私が利用するこの時間帯だけ珍しく、8時35分発米子行きと、8時45発米子行きの2本の列車が10分間隔で出るんです。まずローカル線にはあり得ないことです。これはどういうことかというと、出雲から松江・米子方面にやって来る通勤電車が35分発。米子から松江に通勤客を乗せてきた電車が折り返すのが45分発。35分発の電車の方が、米子に早く着くので、みんなそちらに乗ってしまいます。したがって45分発の電車はガラガラなんです。2両編成なんですが、私一人だけということもよくあります。今日も私一人のガラガラの車内で、のんびりと新聞や本を読みながら、約47分間を過ごします(普通は30分程度で着く距離なんですが、荒島駅で2本の特急列車(特急「やくも」寝台特急「サンライズ出雲」)を待ち合わせるために13分も停車するんですね)。ゆったりと過ごせて、結構充実した時間帯です。車内でゆったりと仕事がはかどります。米子駅の1番ホームに着くと、境線に乗り換えるためにそのまま直進して、0番乗り場(ねずみおとこ駅)に急ぎます(他の電車は4番ホームに着くので、ホームを上がって下りて乗り換えが面倒くさいんです。この電車はありがたい)。ここで待っている電車が「鬼太郎列車」というユニークな電車なんです(⇒私の解説はコチラ)。この電車はいつも満員です。改めて境港の人気(「水木しげるロード」?)を認識することです。❤❤❤

《補足》 JR西日本は、路線ごと・区間ごとの赤字・黒字は公表していませんが、「平均通過人員」という形で、「輸送密度」は公表しています。これによれば

鳥取~米子:4,256
米子~出雲市:6,104
出雲市~益田:1,300
益田~長門市:282

となっています。かつて国鉄時代末期、赤字ローカル線を大量廃止した頃は、輸送密度8,000人/日が損益分岐とされ、4,000人/日未満の路線を廃止対象としました。国鉄当時よりも低コスト化が進んでいるので、現在の損益分岐はもう少し下がっているはずですが、厳しい数字であることには変わりありません。このガラガラ状態では…と、心配になります。都会の満員電車は勘弁して欲しいですが、赤字ローカル線の厳しさも身に応えます。♠♠♠

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Long time no seeについて

 「お久しぶりです」の英語として知られるLong time no see.が、最近も英作文に出てきました(以前私はこの句についてブログで触れたことがあります⇒コチラ)、ピジン英語が起源と言われ、「親しい間で用いる」というのが、たいていの人の理解でしょうか。和英辞典を見ると、次のように出ています。

●くだけた言い方 ―『ジーニアス和英辞典』
●親しい間柄で用いる。これをもじってLong time no talk.ともいう ―『ウィズダ
ム和英辞典』
●親しい間柄で用いる。これをもじってLong time no talk.もよく用いる ―『グラ
ンドセンチュリー和英辞典』
●くだけた言い方ではLong time no see. ―『ライトハウス和英辞典』

 松江北高のALTジーノ先生によれば、友達同士ではよく使う、でも職場のボスにはちょっと使えない、職場の同僚にならOKだ、とのことでした。あまりにも”informal” “casual”な表現だからです。

    『日本経済新聞』の、デビッド・セイン先生「ドンマイ!イングリッシュ」(2014年5月3日付け)の同欄には、次のような記事が掲載されました。そこには、私の知らないこの句のニュアンスについて書かれていました。私はすぐにコピーを取って英語科の先生方に回覧しました。

 日本語の表現には英語にしにくいものがあります。「久しぶり」もそのひとつ。これにあたる表現としてLong time no see.という英訳があてられているのをよく見かけます。これでも通じないことはありませんが、気持ちがこもっていない社交辞令のように聞こえます。つまりこれでは「久しぶりに会った喜び」は表れていないのです。ネイティブはこの表現を単なる挨拶として、また時には皮肉にも使うことがあります。例えば数日間ずる休みをした同僚にLong time no see.などと言ったりもします。「おやおや、久しぶりですねー」と言ったニュアンスでしょうか。久しぶりに会えた喜びを伝えたいならHow have you been?という表現を使うといいでしょう。同じく、It’s been a long time.という表現もよく使われます。大事なのはスマイルとうれしいという気持ちです。

 最新刊のジェームズ・M・バーダマン『英語の処方箋―「日本人英語」を変える100のコツ』(ちくま新書、2019年5月)にも(この本オススメです)、注意が喚起されています。❤❤❤

   「お久しぶりです」という意味で、”Long time no see.”を使う人は日本人に多い。しかし、どのような場合も”Long time no see.”で良いという訳ではない。友達同士のくだけた会話ならば問題はないだろうが、年齢が離れていたり、社会的立場が異なるような場合は避けたほうが良い。学生が教授に向かって使ったら、教授のほうはちょっと不愉快に思うはずだ。 (p.16 )

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リニューアルされた「夢二郷土美術館」

 「夢二郷土美術館」の開館50周年を機に、本館を岡山後楽園そばに移設(1984年)以来、2017年に33年ぶりに初の全面リニューアルをしました。私はリニューアル前の2015年にもここを訪れて、偶然の出会いを果たしています。⇒訪問記はコチラ  今年2019年は竹久夢二生誕135年」にあたります。郷土・岡山に生まれた世界のマルチ・アーティストの竹久夢二が求め続けていた「心の詩を描く」こと、暮らしの中に芸術を」という思いを表現したのは、同じ郷土・岡山が生んだ世界的デザイナーの水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生でした。

 リニューアルのテーマは、「夢二作品鑑賞の満足度を上げる」でした。美術館の回遊性を創り、ゆっくり見ていただくことで、滞在時間を延ばし、満足度を高めようという試みです。門扉を設けて、入口から大正ロマンの夢二の雰囲気を創り上げました。以前はチェーンだけで、どこから道路でどこからが美術館かが分かりづらかったのですが、これで美術館らしく整然とした趣となりましたね。照明も全面的に交換して、作品の保存と鑑賞をしやすくなっています。これまで4室だった展示室を2室増やして6室とし、プレゼンテーションルーム(第1展示室)では夢二のふるさとを紹介する映像を見たり、企画展室(第2-4展示室)を大きなタペストリーで分け、特に大きな空間である第3展示室も区分けして各テーマ、また作品と対峙できるよう椅子も配置し、余韻を感じられる展示室となっています。水戸岡先生の作になるソファ椅子に腰掛けて作品を見ると、まるで正座して間近に夢二の作品を見ているような目線となります。これはとても印象的でした。第5展示室「お庭番ねこ〈黑の助〉ルーム」です。「黑の助」は、2016年の夢二生誕月の9月に、館員によって車に轢かれそうになっていたところを保護された黒猫です。夢二の絵によく出てくる黒猫にそっくりなことから、何かのご縁だろうということで「お庭番 黑の助」としてお客様に愛嬌を振りまいて、人気者となっています。館長が美術館に迎えることを決め、12月24日(奇遇にも初代館長松田 基の命日)正式に「夢二郷土美術館」のお庭番に就任しました。気まぐれに出勤していますが(受付の方の話による)、出勤時には中庭の見回りや、お客様へご挨拶をしています。夢二芸術の次世代への伝道がこの美術館の使命の一つですが、それには次代を担う子ども達が、この夢二の黒猫と黑の助を通して、楽しみながら自然と夢二のファンになっていくことが大事でしょう。黑の助は、最初は慣れなかった「番小屋」にも慣れて、座っていると、置物かと見間違うばかりの可愛さでしたよ。岡山駅からはこの美術館まで直通の「黑の助バス」も走っています。このバスがまた可愛いんです。⇒私の乗車レポートはコチラ また今回も、時刻表を調べてこのバスに乗ってしまいました。

 第5展示室を出てから中庭へ、そして第6展示室へとつながる回廊で、美しいしだれ梅のある庭と竹林の風情を楽しみながら進みます。第6展示室は、夢二が終生追い求めた「暮らしの中に芸術を」の夢を体感してもらうために、展示室内にカフェを併設し、紅茶と夢二が愛したヨーロッパの焼き菓子の「ガルバルジィ」や、大正ロマンを彷彿とさせる洋食などを楽しんでもらい、室内には版画や水戸岡先生のデザインされた調度品がズラッと並んでいます。本当に素敵な空間が広がっています。この場所は回を改めて、詳しく取り上げたいと思っています。そのために2回ほど足を運びました(⇒続く)。❤❤❤

▲水戸岡先生のデザインされた第6展示室&カフェ

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「江山楼」

◎週末はグルメ情報です!今週はちゃんぽん!

 5月11日(土)TBS系人気番組「人生最高レストラン」に、ゲスト出演したさだまさしさんが、「人生で最後に何を食べる?」そう聞かれたら、故郷・長崎の横浜、神戸に次ぐ“日本三大中華街”のひとつ「長崎の中華街」(長崎新地中華街)にある「江山楼」の「ちゃんぽん」しかない、とおっしゃっておられましたね。戦後、1946年に創業した名店で、さださんは幼い頃から半世紀以上通い続けています。ちゃんぽんを食べないと体がおかしくなり、『ちゃんぽん食べたか―』と叫んでしまうほどのさださんにとって、この店の「ちゃんぽん」は特別なんです。私もよく長崎は訪れていますが、必ず立ち寄るお店です。ただすごい超人気店で、いつも満員。長蛇の行列ができています。前回もあまりの行列に断念したくらいです。

 もやし、キャベツ、魚介、豚肉など10種類以上の具材を炒め、鶏ガラ100%の濃厚でクリーミーなスープで一緒に麺も炊く。「特上ちゃんぽん」(1500円)には、フカヒレも入って豪華。このお店のスープは、もともとスープは鶏ガラ100%ではなく、豚骨スープを若干使用していたというが、さださんがある取材で『江山楼のスープは鶏ガラ100%です』とコメント。それを聞いた店主の王 國雄さん(さださんは「あんちゃん」と呼んで敬愛しています)が「鶏ガラ100%のスープにせんばいかんばい」と、その通りにしてしまったのだとか。それでも以前と全く変わらない味を出す店主に、さださんは感動したといいます。骨の髄まで煮込まれた白湯鶏ガラスープ。そのコクと旨味が臨界点にまで引き出されています。

 「江山楼」のちゃんぽんは3種類ありましてね。「ちゃんぽん」(800円)、「上ちゃんぽん」(1000円)、「特上ちゃんぽん」(1500円)の3つです。「ちゃんぽん」は豚肉・アサリ・イカ・カマボコ・細切りキャベツ・もやしなど大量の野菜が入っており、始めシャキシャキの食感を味わいながら、途中からクタクタとなった野菜の甘味を堪能することができます。これにジャンボ肉団子がのっかっているのが「上ちゃんぽん」です。ショウガの香りが堪りません。「特上ちゃんぽん」は、さらにこれにフカヒレがのっかり、山海の珍味がこれでもかというぐらい入っています。フカヒレ、肉団子、魚肉団子、揚げたウズラの卵、小エビ、ベビーホタテ、イカ、カマボコ、ちくわ、アサリ、なまこ、豚肉、鶏の砂ずり、キャベツ、もやし、玉ねぎ、しいたけ、しめじ、タケノコと、もう最高です。ここには「本店」と道路を隔てた向かい側に「新館」が立っています。あ~、江山楼」のちゃんぽん食べたか~❤❤❤

《補足》 さださんの長崎夏の風物詩コンサート「夏・長崎から」は20年間続きました。始めた頃は、映画「長江」で背負った莫大な借金の返済に追われる苦しい時代です。そんな中で3,000万円も自前で持ち出すのは大変なことでした。その後、どんどん大がかりなコンサートになって、1億円の経費がかかる中、半分の5千万円はやはり彼の持ち出しでした(パナソニックがスポンサーになってくれたのは嬉しかった)。「借金しているのにお前は偉い!命懸けでみんなで応援するぞ!」 こうして真心の連鎖が起きたのです。今日ご紹介した私の大好きな中国菜館「江山楼」(こうざんろう)の社長王 國雄さんは、前夜祭、後夜祭の食事を全部おごりでもてなし続けてくれました。「まさしが無料で市民のために歌うというのに、市民が何もしないわけにはいかん。前夜祭でも後夜祭でも何人でもよか。うちの店でパーティばする。僕のおごりたい。みんな、ぜーんぶ連れて来たらよか。」  

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嫁ヶ島

 松江「宍道湖」に浮かぶ唯一の島、嫁ヶ島」(よめがしま。松江市の南、国道9号線が通る宍道湖南岸から200mほど沖合に浮かぶ全長150m、幅27mの小さな島で、今から1200万年前、第三紀中新世の火山活動により噴出した玄武岩でできたと伝えられています。天気の良い週末には、よくここを自転車でサイクリングして、ボーッと眺めるのが大好きなスポットです。

 「嫁ヶ島」のいわれには伝説があります。松江の人ならきっと幼い頃に聞かされたことがあると思います。松江に嫁いできた女性が、姑のいじめに耐え切れず郷里に帰ろうとし(松江の女性は代々厳しい良妻教育が受け継がれてきたのです)、厳冬の折、近道するために氷の張った宍道湖の上を渡り、氷を踏み抜いて命を落としてしまいます。それを哀れに思った神様が、松江の灯りがいつでも見えるようにと、彼女の亡骸ごと、一夜にして島を浮かび上がらせたという、伝説です。

 2つ目のいわれは、姑にいじめられた嫁が、湖に氷が張り詰めた寒中に、氷の上を渡って島の弁財天にお参りしたところ、小用を催し仕方なく氷の上で用を足したところ、氷が割れて湖中へ落ちて水死してしまった。人々は嫁を哀れみ、以後この島を「嫁ヶ島」と呼ぶようになった、とするものです。

 美しく信心深い、不幸せな身の上の女の水死体を乗せて、夢のように浮かび上がった島で、土地の人たちはこれを神さまの思し召しによるものとし、この島を弁天様に寄進してお宮や鳥居を建て、お宮の周りに玉垣をめぐらして女性を葬ったとされています。「嫁ヶ島」に夕日が落ちる様子は、実に美しいんです。

 大好きな西村京太郎先生『鳥取・出雲殺人ルート』(講談社ノベルス、1993年)には、この「嫁が島」を描いた箇所があります。少し上の説明とは異なりますが、大筋では同じです。アマチュアカメラマンである三谷は鳥取砂丘で女性の死体を発見。翌日、村田麻美と名乗る女と宍道湖で出会う。一目ぼれした三谷は東京に戻った後、麻美の住所を尋ねるが何とそこには亀井刑事がいた。そこは鳥取砂丘で死体となっていた女のマンションだったのだ。偽名を使った女は何者か?十津川警部と亀井刑事が向かった山陰で第二の殺人事件が起こる。そして謎の女を追う三谷にも脅迫電話が。東京と鳥取で起きた殺人事件のからくりを十津川警部が追う、という話です。この作品には、今はもう廃止となった懐かしの寝台特急「出雲」号が出てきます。❤❤❤

「あの島、どうして、嫁ヶ島というのか、ご存じ?」と声をかけられた。
 振り返ると、若い女が、夕陽を受けて、手をかざすようにして、沖を見ている。
「あの島ですか?」
「ええ」
「さっき、観光案内で、読んだんですが、出雲大社から、この土地にお嫁に来ていた女が、
里帰りする時、氷の張っていた宍道湖を渡って帰ろうとしたら、その氷が割れて、溺れて
死んでしまったそうです」
「可哀想に―」
「それを神さまが、哀れに思って、あの島を造ったんだといわれています」
「じゃあ、亡くなったお嫁さんの化身?」
「そうみたいですね」
「だから、あんなに、きれいな島なのかしら」と、女がいう。確かに、松の生い茂った
嫁ケ島は、夕映えの中で、美しい。  (pp.14-15)

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鳥取大学医学部医学科後期廃止

 国公立大学の入試は、基本的に、募集人員を「前期日程」と「後期日程」で分けて選抜を行う、分離分割方式」に統一されていましたが、2003年に国立大学協会で決定された「分離分割方式の弾力化措置」により、2006年度入試より募集人員の比率を個別大学の裁量で行えるようになったため、後期日程を廃止する大学が出てきました。廃止された後期日程での募集人員は、前期日程推薦入試AO入試などに振り分けられています。この動きが加速している背景には、1)研究中心大学の使命を果たすために入試問題作成など入学者選抜にかかる教員の負担を減らすため、(2)前期試験の「敗者復活戦」と化している現行の後期試験をやる意味が薄い、(3)早く入学者を確定したい大学側の思惑、などが考えられます。そんな中、地元鳥取大学・医学部・医学科が、来年から後期試験を廃止することを発表しました。⇒コチラです  私たち島根県・鳥取県の生徒・教員には、大きな影響を与えそうな変更です。受験生の動きが大きく変わることが予想されます。

▲鳥取大学・茶道部のお茶席で活躍する森脇さん

 松江北高理数科で3年生と、補習科で英語を教えた森脇友璃子(もりわきゆりこ)さんが、この鳥取大学・医学部・医学科の詳しいレポートを届けてくれました。ちょっといやなことがあり、しばらく休止していましたが、久し振りの「あむーる」復活です。「ダウンロードサイト」に登録しておきましたので、興味のある方はお読み下さい。医学部志望の人には非常に参考になります。森脇さん、ありがとう。❤❤❤

・《大学レポート》「あむーる」4月号  島根県立松江北高等学校 八幡成人 ⇒コチラで読むことができます

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岩國哲人さんの教え

 元島根県・出雲市長衆議院議員を務められた岩國哲人(いわくにてつんど)さんの思い出です。日本新聞協会の「新聞配達エッセーコンテスト」の大学生・社会人部門で、今から5年ほど前に、最優秀賞になりました。題して「おばあさんの新聞」。肉親愛に、読んで涙が止まりませんでした。

   『おばあさんの新聞』    岩國 哲人(当時78歳) 東京都渋谷区

 1942年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷の島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。その後、母と2歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。
小学5年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝40軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。
学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。
そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか? おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。
もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。

 岩國さんは、出雲高校から、東大・法学部を出られたあと、日興證券に入社、ニューヨーク支店、ロンドン支店などを経て、パリ支店長。同社を退社後、米国の投資銀行モルガン・スタンレー社メリル・リンチ・キャピタルマーケット米国本社上席副社長に就任されました。そんな中1989年周りから乞われ出雲市長選挙に出馬し、初当選しました。市長在任中は、「行政は最大のサービス産業」「小さな役所、大きなサービス」という持論をもとに、ショッピングセンター内の行政の土・日サービスコーナーや樹医制度の創設、総合福祉カードの導入、日本最大の木造ドームの建設など、次々と新施策を実現し全国から注目されました。出雲市はわずか2年で、トヨタ自動車ソニーなどと並び、日本で最も優れた企業として、JMA(日本能率協会)マーケティング最優秀賞を受賞しています。私の岩國さんの紹介記事は、コチラに書きました。

 岩國さんは出雲高校の生徒だった頃、ものすごい秀才で、高校1年生の時に、すでに3年生の内容を終えて、教科書などは学校の机の中に置いて帰っていたという伝説が伝わっています。数Ⅲの赤チャートを1年生の時に終わっていたとか。私がまだ若い頃、以前勤めていた島根県立松江南高等学校に、講演に来ていただいたことがあります。そこで語られた中で、印象に残っている言葉があります。それは「誇り」「情熱」ということです。岩國さんは、1週間で「これだけのことをやれ」と言われたら、3日でやりました。1週間で「10だけのことをやれ」と言われたら、15のことをやった。1週間で10だけのことしかできなかったときには、今まで誰もやったことのないやりかたでやってみせた、と言います。学ぶべき教訓は:①言われたよりも早くやる、②言われたより多くやる、③誰もがやったことのない方法でやってみせる。これは、難しいけれど、難しいからこそ挑戦のし甲斐があると、当時言っておられました。そして、若い時には、一生懸命というより、一所懸命で頑張りなさい、と高校生たちにエールを贈られました。もうずいぶん前の話ですが、今でも肝に銘じて、参考にさせていただいている生き方です。❤❤❤

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人と違うことをやれ!

 「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャーという凶悪レスラーがいました。⇒私の紹介記事はコチラです  隠し持ったフォーク五寸釘で相手をめったづきして血の海に沈める、空手の地獄突から、全体重を乗せたエルボードロップで相手をKOする巨漢ヒールでした(ジャイアント馬場さんもあれを食らったら息ができない、とおっしゃっておられました)。試合の途中で、彼が空手の「決めポーズ」を出すと会場全体が沸いて大盛り上がりです。出生時は4ポンド(約1800グラム)にも満たない小さな新生児だったと言いますから、分からないものです。両親と男女8人の兄弟姉妹に囲まれ、幼少期は貧しいながらも幸せな家庭で育ちました。ほどなくして家計を助けるため廃品リサイクル、新聞売り、靴磨き等の小遣い稼ぎを経ながら、幼い頃から独自のビジネス感覚を習得してゆきます。先日たまたまテレビ朝日2「ワールドプロレスリング 俺の激闘」という番組をスカパーで見ていましたら、偶然ブッチャーの特集をやっていて、蝶野正洋ブッチャーにインタビューをしていました。これが実に面白い。中でも家計を助けるために路上で新聞売りをしていたエピソードが印象的でした。

 ブッチャーが12歳の時、父母の家計を助けるために、新聞売りを路上で行っていました。彼は新聞を手に持ち泣いているのです。すると道行く人が「ぼうや、どうしたの?」と尋ねてきます。「この新聞が売れないと家に帰れない」と訴えます。すると新聞を買ってくれただけでなく、余分にお金を渡してくれたと言います。こうやって彼は新聞を巧みに売っていたのです。そしてまた別の道に行って同じことを繰り返す。あるとき、この作戦で新聞を売っていたところ、偶然父親が通りかかり、大人が自分の息子を泣かせていると勘違いした彼は、その通行人に怒ります。家に連れ帰られたブッチャー少年は、事情を話して許しを乞います。もう二度とこんな真似はするなと父親と約束したものの、二週間後にはまた同じことを路上でやっていたと言います。もうこの少年時代から、人と違うこと」をやってお金もうけをすることを覚えていたのでした。ブッチャー少年の「金儲け」の原点は「人と違うことをやる」でした。

 ある日たまたま、プロレス興行を見に行き、「自分もプロレスで稼げるのではないか」と考えるようになりました。そしてこの世界に入り、人とは違う」何かを考案しては、観客を喜ばせるエンターテイナーとして活躍するのでした。フォーク五寸釘も、観客を喜ばせるためのギミックだったということです。

 私は生徒たちにも、「人とは違うことをやれ!」とよく話します。かつて島根県・出雲市を日本一の都市に導いた岩國哲人(いわくにてつんど)出雲市長が、職員に仕事の心構えとして徹底していたことは、人より早く人より多く、そのどちらもできないときには、人と違ったやり方で、の三つでした。人と同じことをしていても、進歩はありません。人がやらないこと、人とは違う手法で新たなことに挑戦したいものです。最近の若い先生方を見ていて不満に思うことは、言われたことしかしない、今まで通りのことしかしない、自分で工夫して誰も気がつかない観点から取り組むことがない、でしょうか。自分独自の手法で、新しい見方を吹き込めば、斬新なものができると思うんですが。松江北高で目にするさまざまな資料を見ていても、十数年前と同じものしか出てきません。伝統を守ることも大事ですが、新しいチャレンジもそれ以上に大切です。やらない理由は簡単。前と同じことをやるのが一番手間もかからず簡単だからです。私は教科であれ、校務分掌であれ、人が作らない資料を、時間をかけて自分で工夫しながら今までやってきました。あの松下幸之助さんの側近中の側近であった江口克彦さんは、それを「プラスアルファの仕事」と呼んで、同じ単純な仕事でも、平凡な仕事でも「自分の仕事」にしていくことが大切だと述べておられます。♥♥♥

 「プラスアルファの仕事」をすれば、「与えられた仕事」が「自分の仕事」になります。
「与えられた仕事」は、必ずつまらなくなるものですが、「自分の仕事」となれば、これほど楽しいことはありません。
 与えられた仕事に、自分の工夫を加える。
 プラスアルファで、自分なりの仕事の仕方を考え、上司に言われた以上の成果を出していく。これは、将来あなたが「社内の階段」を上がっていくときに、そして何より「人生の階段」を上がっていくときに気づくと思いますが、極めて重要なことです。
 なぜなら、あなたがその上司から教えられた通りのやり方、指示された通りのやり方で、指示された通りの成果を出し続けていくとされば、いつまでたってもその上司を追い抜くことはできません。いつまでたっても、その上司のレベル以下です。
                 ―江口克彦『仕事の基本』(日本実業出版)
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ホーランエンヤ

 10年に一度、江戸時代から連綿と受け継がれる、約100隻の船が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる、絢爛豪華大船行列「ホーランエンヤ」。豊作祈願を起源とする370年の歴史を有す松江城山稲荷神社式年神幸祭の通称で、水の都松江が誇る「日本三大舟神事」の一つの船祭りが、5月18日(土)にスタートしました。9日間にわたって執り行われる神幸祭の見所は、何と言っても「渡御祭」と「中日祭」と「還御祭」。五大地と呼ばれる地域の人々が色とりどりに装飾した「櫂伝馬船」(かいでんません)に乗り組み、松江市指定無形民俗文化財「櫂伝馬踊り」を勇壮に披露しました。中日祭では陸船の上で披露されます。威勢のいい「ホーランエンヤ」の唄声に整然と揃う櫂さばき、舳先で威風堂々見得を切る歌舞伎風衣装の剣櫂、艫で艶めかしく身をくねらす女姿の采振りと、眼前では空前絶後の一大錦絵巻が繰り広げられます。18日の飾りを施した「櫂伝馬船」では、歌舞伎の影響を受けた勇壮な衣装に身を包んだ若者らが、櫂を剣に見立てた力強く華麗な踊りが披露され、一糸乱れぬ櫂の動きに、14万人の観客が壮大な歴史水上絵巻に酔いしれました。川岸や橋の上など、ものすごい観客でしたよ。

 ここでその歴史をちょっと。時は松江城築城開始から1年後の慶長13年(1608)のこと、本丸の石垣を築きますが、なぜか何度も崩落を繰り返し、人夫の中にはケガをするもの、もののけに襲われるものまで続出します。そんなとき、出雲郷(あだかえ)という村にある阿太加夜神社(あだかやじんじゃ)に八卦をよく見るという神主・松岡兵庫頭(まつおかひょうごのかみ)の評判が伝わり、祈祷を依頼することになりました。こうして二夜三日の祈祷が行われ、崩壊の原因は「荒神と首の祟り」であることが判明。現地を掘ると、出てきたのは戦国時代の刀や人間の首だったのです。それらは丁重に掘り起こされて手厚く葬られました。以来、兵庫頭は松江城の神主職を兼ねることとなり、慶長16年(1611)松江城は見事に完成します。寛永15年(1638)松平直政公(まつだいらなおまさ)がお国入り松江城主となりました。10年目の慶安元年(1648)、領地では天候不順が続き、凶作が予想される事態に心を痛めた城主は、兵庫頭を頼り大祈祷が行われることになりました。城山稲荷神社の御神霊を乗せた神輿を、兵庫頭の本務社である阿太加夜神社まで船で運び、安定した天候と五穀豊穣の大祈祷を行って、再び城山稲荷にお戻りいただくというものでした。こうして祈祷は見事に成就し、以来10年に一度の式年神幸が行われるようになったのです。そしていつの頃からか、この神事は、船の櫂をこぐ際の掛け合い言葉「ソーラ」「エンヤ」が「ホーラ」「エーヤ」になり、やがて「ホーランエンヤ」と呼ばれるようになったと伝わっています。

 午前10時過ぎから約100隻にのぼる大船団が、大橋川に架かる宍道湖大橋松江大橋新大橋などの橋の間を旋回。神輿船を先導する櫂伝馬船の舳先では、華やかな時代衣装に身を包んだ若い踊り手が「櫂伝馬踊り」を披露しました。歌舞伎役者のように見得を切ると、橋の上や川沿いに集まった約14万人の観客から拍手や大きな歓声が上がっていました。

 日本政策投資銀行の試算によれば、島根県内への経済効果は38億2,000万円とのこと。観光客の宿泊費、交通費、飲食費などの直接効果が25億6,000万円、直接効果に必要な原材料費の増加分などを含む波及効果を12億6,000万円と試算しています。❤❤❤

 

 

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不二家「松江ロール」

◎週末はグルメ情報!今週はフルーツロール

 博多・天神のデパート岩田屋」さんの地下の食品売り場に、「エクラタン」というケーキ屋さんがありましてね、私が10年以上通った美味しいケーキ屋さんです。私が津和野高校に勤めていた三年間で37回も博多を訪れたのには、このケーキ屋さんが目標でもありました。中でも中に大粒のフルーツがどっさり入った「フルーツケーキ」は絶品でして、大ファンでした。最近は売れていません。

 今日は辛島美登里さんの最新アルバムを買うために「松江イオン」を訪れました。帰ろうと思って、1階の出口に向かった所、前から入っている「不二家」のお店のド派手な看板が目に止まりました。「当店限定!松江ロール販売中」とありました。ショーウィンドウに近づいてみると、あの「エクラタン」で私が買っていた「フルーツケーキ」と外観がよく似ていますよ。新発売の「松江ロール(フルーツ)」(1200円)ありました。これは買わなくてはいけません。


食べた感想を。大粒のフルーツがいっぱい入っていて美味しかったです。味もあの「エクラタン」と似ていたような。当分は販売すると店員の方はおっしゃっていましたから、また食べることもできそうですね。「松江ロール」のご紹介でした。❤❤❤

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「Turn」

 この映像を見たときに信じられませんでした。私はパケット・マジックが大好きで世界中のものを相当数収集していますから、だいたいのカラクリは分かるんですが、これは全く同じようにカウントしているにもかかわらず、計6回も表・裏が変化していきます。何度も何度もカードがひっくり返って、さらに思わぬ変化をする様は圧巻です。最強のパケット・トリックと言ってもよいかと思います。考案者のPeter Pellikaanは、かつてAlakazam Magicから「Transcendance」という作品を購入したことがあり、この時もその奇抜性(使われているカウントの練習には長時間がかかりましたが)には驚かされていたマジシャンです。今回の最新作「Turn」にも超ビックリです!

 現象はこうです。まずは4枚の表が白いブランクカードを示します(第1段)。1枚のカードだけを裏向きにします。カードの裏の色は青色です。ここで4枚を数えると、4枚のカード全てが裏向き(青色)になってしまいます(第2段)。再び1枚のカードを表向きにするとクイーン(Q)となっています。カウントすると、4枚のカードが全て表向きになって、全てクイーン(Q)になっています(第3段)。1枚のカードを裏向きにします。すると、今度は裏の色が赤色になっています。数えてみると、4枚のカードが全て裏向きになって赤色になってしまいます(第4段)。再度1枚のカードを表向きにすると、今度はジョーカーになっています。さらに、4枚のカードが全て表向きになって、全てジョーカーになっています(第5段)。最後にカードの裏面を見てみると・・・赤、青、黄、緑のカラフルな4色に変化しているではありませんか!(第6段)。オイオイ、いったいどうなっているんだ?!添付されたカードは、フィニックス・デックのもので、実に綺麗に加工されています。これいっぺんで気に入りました。ただのっけから使っているカウントはなかなかハードなんです。今、一生懸命このマジック使われている一風変わったジョン・バノンのカウント練習をしています。マニアには受けるマジックだと思います。相手の予想を超えたリアクションの大きなトリックです。 ♠♣♥♦

 In short, this trick with four cards is an ADVENTURE. Cards change from blue to red to green to multicolored, and the faces change from blank to Queens to Jokers. But it’s the smooth-as-silk handling that sets this packet trick apart. Dare we say, it might be the most efficient, amazing packet trick we’ve ever seen. It is certainly our VERY favorite Peter Pellikaan creation to date. Usually in tricks of this kind, there are necessary adjustments. You have to change the count you do, or move a card from top to bottom, or do a secret reversal, or take a card out, or add one in. GONE! In TURN, the handling looks identical in each phase, and one phase flows seamlessly into the next.

◎コレ、たまげました!!

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「共通テスト」はこう変わる!<リーディング>

 松江北高補習科でも、現役の3年生のクラスでも、先日の岡山県立笠岡高等学校でも、勝田ケ丘志学館の授業でも、冒頭に、再来年から新しく始まる『共通テスト』の大きな変化について言及して、みんなはこれ以上浪人することはできないよ、と注意喚起をしたところです。現在、今までに2回行われた「共通テスト試行テスト」を分析しているところなんですが、リーディングリスニングも、今までにはない大きな変化が見られます(配点は100点:100点に)。詳細は別の形で公にすることになりますが、リーディングで、中でも私が特に注目している変化は、次の7つです。

①センター試験で出題されていた「発音・アクセント」「文法・語法」問題は出題されません

全ての問題は「読むこと」の力を把握する読解問題となります。些末な文法事項など、難度の高い言語材料に関する出題はありません。

②種々の文章形式が取り上げられます

「試行テスト」を見る限り、伝言メモ・ウェブサイト・ブログ・プレゼン・記事・物語・論説など、多様な文章形式が採用されています。全て身近で日常的に接する機会の多い素材ということです。現行のセンター試験の第3問B、第4問A、第4問B、第5問、第6問などによく似た長文問題が出題されています。

③「本文」の分量が多くなります

私がカウントしたところでは、従来のセンター試験の語数よりも、1,000語以上多くなっています(4,221words⇒5,314words)。限られた時間内に相当量の英文を読まなければなりません。現行の「センター試験」でも英語の苦手な人は最後まで読み切れずに途中で終わってしまうのですから、これは大変ですよ。書かれた内容をダラダラとまんべんなく読んでいくのではなく、必要な情報を素早くキャッチする「情報検索技術」が今まで以上に問われることになります。文章自体は基本的で難しくはありません(CEFR A1 ~B1レベル)。

④「思考力・判断力」が問われます

思考力判断力を問う問題が出題されます。例えば、事実(fact)であるか意見(opinion)であるかを見分ける問題や、正解が1つとは限らず、当てはまるものを全て選ぶ問題(問い方については検討中)、直接の言及はないが与えられた情報から推測する問題、情報を時系列で整理する力を問う問題、複数の情報を統合したり、整理したりする力を問う問題などです。

⑤問題指示文は全て英語で与えられます

日頃の教室の授業の中で行われている「言語活動」の反映と考えることができますね。

⑥全て選択式の問題ですが、間接的に「表現力」も問われます

ディベートプレゼンテーションレポートなどの、しゃべったり、書いたりする場面を想定した問題が見られます。実際の日常場面でのコミュニケーションが問われるのです。

⑦平均点は5割程度に

現行のセンター試験は平均点が6割になるように作られています。「共通テスト」は、平均点を5割程度に設定しています。実際に昨年11月に行われた試行テストの平均点を見ると、51.25点でした。

 これに、民間試験が課せられる大学もありますから、生徒の負担は今よりもずいぶん増大するものと思われます。しっかり対策をしたいものです。まずは、「試行テスト」の問題を、先生方がしっかりと分析することから始めないといけません。「大学入試センター」からは、この4月4日に、この試行テスト(2018年11月実施)の詳細な分析が公表されています。⇒コチラ(全体)とコチラです(科目別分析)です ♠♠♠

 そのために、私が考える対策とは次のようなものです。❤❤❤

①個々の文の内容を正確に素早く理解する力(「精読」+「速読」)を養う

②多様な素材の英語の文章をできるだけたくさん読む

③そのためにも「語彙力」を磨いておく必要

④基礎的な知識を確実に定着させる必要

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may well/ may as well/ might as well…as

 「勝田ケ丘志学館」の英作文の授業で、「君が自分の町の長い歴史を誇りに思うのももっともだ」「早めに宿題を片づけた方がいいよ」「次のバスを待つくらいなら歩いた方がましだ」という和文英訳問題が出てきました。それぞれ、You may well be proud of the long history of your own./ You may as well finish your homework as soon as possible./ We might as well walk as wait for the next bus.といった英文が書かれました。そこで、「may well Vの意味は何となく分かるんだが、may as well Vがどうしてこんな意味になるのかが分からない」という質問が発せられました。私はこういうときには、その場で答えないで、「ちょっと考えてみよう」と宿題にすることが多いんです。こうやって考える習慣を植え付けたいと思っています。さて、次の週に教室に入ると、前面の両方のホワイトボードにびっしりと書き込まれていました。might as well A as B(BするくらいならAしたほうがましだ)にまで踏み込んで、その成り立ちが解説してあります。私はすぐにカメラを持って来て、写真に撮っておきました。それが下の写真です。彼にはそれを説明してもらい、皆で納得しました。good jobでした。

 may well V(Vするのももっともだ)、may as wellV(Vしたほうがよい)、may [might] as well V1 as V2(V2するくらいならV1したほうがましだ)の3つの成句は、どの文法参考書にも助動詞のところに載っています。でもそれがなぜそんな意味になるのかは、まず書いてありません。私は単に丸暗記するのではなく、その成り立ちにまで踏み込んで考えてもらいたいと思って、長年そのような指導をしてきました。こうして「なぜ?」を意識すると、丸暗記に比べて忘れにくいだけでなく、他の分野にもよい影響が大きいと思っています。私は故・安藤貞雄先生(広島大学名誉教授)からそのような指導を受けました。単語の記憶に関しても、故・山本和夫先生(島根県立短期大学)からその面白さを手ほどきしていただきました。私がよく言う「あー、そうだったのか体験」です。

 松江北高で使っている文法参考書の小寺茂明(監修)『デュアルスコープ総合英語』(新訂版、2016年、数研出版)には、文法参考書には珍しくこのことが解説してあります。


①1) may well(~かもしれない)+well(たぶん、おそらく)→may well「たぶん~だろう」となる。推量(~かもしれない)のmayの意味がwellにより強められたもの。

①2) このwellは「道理にかなって、もっともで」の意。may(~してもよい)+well(もっともで)→may well「もっともな理由があって~してもよい」→「~するのはもっともだ」となる。 [八幡注]現代英語ではこの意味で使われることはまずありません。そのことはこのブログでも「あー、そうだったのか体験(私の授業観)」と題して明らかにしましたコチラです

② このwellも①の2)と同じ「もっともで」の意味。文末にはas notが省略されていると考える。「~しないのと同じくらい道理にかなっている」「あえて言えば~したほうがよい」といったような消極的な意味合いで「~したほうがよい」という言い方。過去形のmightを使うとより控えめな言い方になる。

③ ある不快な状況が別の不快な状況と同程度だと言うときに使う表現。「…するのと~するのは同じくらい道理にかなっている[→同じようなものだ]→「…するなら~するほうがましだ」という意味。下の例では、「彼に助言を求めること」について、彼が適切な助言をしてくれるとはとうてい思えないので、「壁と話をするほうがましだ」と言っている。

You might as well talk to the wall as ask him for some advice.(彼に助言を求めるくらいなら壁と話をしたほうがましだ/彼に何か助言を求めるのは壁と話をするのと同じようなものだ)


 ここの生徒たちからは、毎回さまざまな疑問が寄せられます。例えば今までに、「quite a fewがなぜ「たくさんの」という意味になるのか?」「仮定法で今のことを表すのに過去形を使うのはなぜか?」「plantに「植物」と「工場」という意味があるのはなぜか?」「see to it that~はなぜ「~に気をつけなさい」という意味になるのか?itは何者か?」「opportunityはなぜ「好機」の意味になるのか?」「shouldにどうして「万一~したら」という意味があるのか?」などが寄せられました。生徒たちは自分で調べて納得したと言って、報告に来てくれます。授業をしていてとっても楽しいんです。私が帰ってきたばかりの松江北高はちょうどこんな感じでした。授業中にも手を挙げて質問が出る、授業が終わっても質問攻めで次の授業に行かせてもらえない、早朝や休憩時間は職員室に質問にやって来る。それがこの5,6年くらいでしょうか、全くなくなりました。まるで別の学校の様です。学校ではアクティブ・ラーニングと称して、相当数の時間を割いて取り組んでいるにも関わらず、肝心の授業では『考える』ことがなくなっているのは、何とも皮肉な結果です。語彙力もないのにディベートをやりなさい、知識もないのに討論しなさい、では本末転倒と言わざるを得ません。♠♠♠

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「リチャード・クレーダーマン」コンサート

▲会場となった米子市公会堂

 5月13日(月)米子市公会堂で「リチャード・クレーダーマン2019 with ストリングス・トリオ&パーカッション」が開催され、私は「勝田ケ丘志学館」の授業を終えて行ってきました。彼が初めて日本でコンサートを行ってから、今年で40年目を迎えます。ツアーの回数は42回を数えます。今年のツアー初日の「茨城・つくば」公演が通算770回目だそうですよ。意外なことに、会場では「当日券」も販売されていました。クレーダーマンのコンサートに行くのは久しぶりです。私は若い頃から、彼のピアノが大好きで、辞典の仕事で毎日徹夜をする際にも、いつも仕事部屋に彼の美しいピアノの調べが流れていました。若い頃から出し続けている学級通信・進路指導部だより・学校通信・英語通信のタイトルを「あむーる」としたのも、彼のアルバムタイトルから取ったものです。

 コンサートは19時5分に開演しました。2部構成で、途中15分の休憩を挟み、終わったのが21時20分頃。サービス精神満点のコンサートでした(遅くなったので特急「やくも」で家に帰りついたのは夜の11時を回っていました)。公会堂の3階席まで見えるようにと大型スクリーンがステージ上に置かれ、彼の指の動きまでしっかりと見ることができました。演奏が終わる度に、最前列の観客に楽譜をプレゼントしたり、プレゼントするものがなくなると、椅子や楽器まであげようとする仕草を見せて観客を笑わせます。演奏の途中でピアノの上にチャイムを置いて、「チーーン」と鳴らせて笑いをとってみたり、曲の後半を自らの口笛で演奏してみたりと、随所に観客を飽きさせない工夫が凝らされていました。バイオリン・ビオラ・チェロ担当のメンバーにお花をプレゼントするも、最後の1本を観客に贈呈してしまい、落ち込むパーカッション奏者にあげる物がなくなってしまい、一生懸命プレゼントを探す様子は吉本新喜劇ばりですね。会場中全体が手拍子で盛り上がるシーンも何度もありました。公演中、何度もクレーダーマンがフランス語で話すんですが、フランス語の分からない私はチンプンカンプン。通訳が欲しかった(何回かはスクリーン上に出たことは出たんですが…)。

 私は冒頭の「鳥を夢見て」「秋のささやき」「炎のランナー」「渚のアデリーヌ」あたりで、すでにうるうるきていました。これらの曲に何度励まされて、夜中の仕事に打ち込んでいたことか!夢の中のウェディング」も懐かしく思いました。会場入り口では、コンサート・グッズの販売が行われており、私は今回の来日記念盤CD『終わりなきこの愛』と特製ハンカチを買って帰りました。❤❤❤

《演奏曲目》
<Part 1>
想い出のシンフォニー
鳥を夢見て/秋のささやき/炎のランナー/渚のアデリーヌ
オール・アイ・アスク・オブ・ユー/オペラ座の怪人
ルートビア・ラグ
タイタニック・シンフォニー
デュエット
マイ・トイ
夢の中のウェディング
ロシア・メドレー
 ―(15分休憩)―
<Part 2>
ニュー・ブルー・ロンド
ブロックバスター(超大作)映画メドレー
ウィア・オール・アローン/アメリカ
終わりなきこの愛
わたしを夢見て
パリ・メドレー
ソーダ・ポップ
ニューヨークの想い
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渡部昇一先生のエピソード(1)

 私は若いときに、故・渡部昇一先生(上智大学名誉教授)『知的生活の方法』(講談社現代新書、1976年)を読んで以来、熱狂的ファンになりました(当時の先輩にあたる教授たちの中には、この本に対して露骨に反感・嫌悪感を示す方もあったことを、先生の『発想法』新版の「まえがき」に書いておられます。まだ若僧の教師が何を言うか!生意気な、という感じだったんでしょうね)。現在でも着々と版を重ねるこのロングセラーは、当時まだ一般的でなかった書斎・エアコンの重要性を説くなど、不朽の名著となっています。渡部先生曰く、「これは自信を持って言えますが、僕はこの本に書いたことを全部実行し、おかげで世界有数の個人蔵書を持つこともできた。嘘を書くくらいなら本など書かないことです」と。渡部先生は、この本の34年後、傘寿を迎え『知的余生の方法』(新潮社、2010年)を刊行なさいます。「特に世の中は変わったな。僕は当時、多くの人を怒らせたんですよ。当時は左翼全盛ですから、個人が書庫を持つなんて贅沢だ、それより図書館を整備する方が社会のためだと、綺麗事を並べた人が何をしました?そうこうする間にネットで何でも調べられる時代になり、建前や偽善は何も生まなかった。つまり世の中がどうなんて考えても始まらない、人間は自分がやりたいことをやるのが一番で、僕は個人の財産も所有欲も否定しません」 私は、先生の著書、論文、雑誌に至るまで、手に入れられるものはそれこそ全部入手して読み漁ってきました。松江にご講演にいらっしゃった時に、知人が会わせてあげようと紹介してくださって、夢心地でホテル一畑」で初めてお会いさせていただきました。ものものしい警備の中、別室で握手していただいたときの感激は忘れられません。『ライトハウス英和辞典』(研究社)を編集委員として出版した際には、「推薦文を書いてあげよう」とおっしゃって下さり、天にも昇る思いでした。3年前に私が退職した際には、あの達筆な書で(先生は長年書を習っておられました)ねぎらいのお言葉を頂きました。私の宝物です。このブログでも、度々先生のことを取り上げています。残念ながら、先生は、2017年4月17日に86歳でお亡くなりになりました。⇒私の追悼記事はコチラです

 そんな渡部先生の余り知られていないエピソードを、不定期でご紹介してみようと思います。今日はその第1回目です。

◎健康でいる限り貧乏なんて恐くない!◎

 先生は、若い頃は非常にストイックな生活を送られました。お金がなかったせいでもあるのですが、その頃の経験が、以後の学究生活に大きな影響を与えておられます。山形県の田舎から東京の上智大学(当時はまだ私塾のような学校だった)に入学した渡部先生は、親からギリギリの仕送りをもらって授業料を払っておられたんですが、大学1年生の半ばに、お父さんが失業したために、次の年からは仕送りを受ける見込みが全くなりなります。奨学金授業料免除がなかったら、それこそ退学の絶体絶命の状況でした。授業料免除は学科で成績1番になれば取れるので、先生は全教科100点を取るべく必死で勉強されました。⇒コチラ 成績が1番とか2番とかいうと、どうしても同級生との競争になるわけで、他の人の成績を気にしながら勉強するというのは気詰まりです。そこで全科目100点を目標とすると、焦点がはっきりして、やることがくっきりと明確になったのでした。一日の授業が終わると、どこにも寄らずに真っ直ぐ寮に帰ってすぐに勉強です。進駐軍のカマボコ兵舎を転用した学生寮に住んでいました。寮の消灯時間は11時ですから、夜中に勉強するわけにはいきません。毎朝4時45分に起きて、水をかぶって気合いを入れる。これは羽黒山の修験行者のイメージがあったのかもしれない、と回想しておられました。1日の最初にしんどいことをやってしまうと、大概のことはおっくうでなくなり、後は大したことはない、どんなことでもやれるという気分になれたそうです。そして早朝2時間勉強しました。

 その一方で、必死の思いで倹約しておられます。1ヶ月の生活費が当時2,000円ぐらいでした。寮費が3食付きで1,500円ですから、小遣いや自由に使えるお金はほとんどありませんでした。遊ぶお金はありませんから、部屋に籠もって四六時中本ばかり読んでおられました。2ヶ月分くらいの奨学金がまとまって入った時には本を買いました。アルバイトはしませんでした。全科目100点を目標にしていましたから、バイトなんかやっている暇はないわけです。そんな時間があったら勉強です。東京では喫茶店に一度も足を踏み入れたことはありませんし(唯一の例外は、たった一回だけ先輩にコーヒーをおごられたことぐらい)、映画館に入ったこともないし、遊びに出かけるということもありませんでした。先生は「東京では映画は絶対にみない」という方針を立てていました。同級生に過激派の運動から逃げるために早稲田から転学してきた男がいて、「『麦秋』という映画はいいから見に行こう」と先生を誘います。先生が「俺は行かないことにしている。東京で行かないのは俺の伝統なんだ」と言うと、「伝統だなんて…」と嘲りました。以降いっさい行かなかったら、そのうちに一目置かれるようになったそうです。そんな余裕はないし、お金ももったいない。時間ももったいないという心境ですね。

 そうそう、1回だけ夏休みの2週間田舎に帰った時、恩師に「非常に優秀な子供がいる。どうしても外交官になりたいとお母さんが言っているから家庭教師をしてくれないか」と、どうしてもと頼まれて、英語の家庭教師のアルバイトをしたことがあります。夏休みだからまとめて本を読みたい先生は、その時間をアルバイトに取られるのは耐えがたいことでした。そこで先生は1日が始まる前の時間なら教えてもいいと、毎朝3時半に起きて、朝の4時から英語を教えておられます。家から15分ぐらいのところの家へ自転車で行って、1時間半ほど教えて帰ってくるというスケジュールでした。朝の6時からは自分の勉強を始めたかったのです。その少年は、将来外交官になるための受験勉強だったので、特に英語に力を入れたいということで、英文法を二週間、毎朝二時間やれば一応成果が上がるだろうということで引き受けました。先生の教え方は、英文法を教えるのに相当迫力があったようで、その少年は語学の方が好きになってしまい、その後言語学者になり、都内の某大学の教授となりました。今ではちょっと考えられないエピソードですね。1回100円のアルバイト料でした。2週間続けて1,400円もらい、これで以前から欲しいと思っていた本を買おうと思っていました。

 当時、先生の実家では、代々、真っ黒なネコを飼っていました。ところが、そのネコが病気になってしまい、放っておくわけにもいかず、獣医の所に連れて行き、注射をしてもらいます。治療代はいくらかと聞くと、1,500円だと言います。せっかくもらったバイト料がたちまちにして吹っ飛んでしまいます〔笑〕。シャクにさわってしょうがなかった、と回想しておられます。こうして先生は、お金も最小限に切り詰め、時間も切り詰めて、ご自分の勉強に打ち込んでおられたのです。でもちゃんと見てくれている人はいるもので、救いの手が差し伸べられ、鶴岡の風間家の奨学金(年3万円)、旧藩主酒井家と酒田の本間家の奨学金(2ヶ月ごとに1,400円)、地方の団体の奨学金を2つもらえるようになりました。これに日本育英会の奨学金(月2,000円)をもらい学生寮から通いました。若い頃の貧乏な生活を回想して、ストイックな生活をしていればおのずと道は開けてくるものだ、と実感しておられます。極限に近い体験が、健康でさえいる限りは、貧乏というのは最終的にはちっとも恐くないものであるということを、教えてくれたのでした。(→以下(2)に続く。お楽しみに)❤❤❤

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道具を大切に!

 松江市出身のテニスプレーヤー錦織 圭選手が、「全豪オープン」で活躍しましたね(ジョコビッチ選手に負けてベスト8止まり)。地元松江市出身の期待の選手ですから、応援したい気持ちは山々なのですが、彼には一つ悪い癖があって、以前このブログでも苦言を呈したことがあります。⇒コチラです   思うようなプレーができない自分に腹を立てて、ラケットを投げつける悪癖が未だに治っていません。ラケットが折れ曲がってしまうことも。このような精神状態でプレーする限りは、超一流プレーヤーの仲間入りをすることはまず無理でしょう、というのが私の見方です。私も長くソフトテニスの監督を務めてきましたが、試合中にそのような行動をする選手で(ラケットに八つ当たりをする、相棒に罵声を浴びせる、審判に噛みつく)、上位に君臨した選手を知りません。いくら強い選手でも、途中で取りこぼして、負けていったように記憶しています。やはり大活躍でランクキング世界1位の、全米オープンを制覇した大坂なおみ選手(祝・全豪オープン優勝!)も、以前よりは少なくなったものの、自制できずにラケットをコートに叩きつけて八つ当たりすることがよくあります。実に見苦しい。両選手とも、自分よりもはるかに格下の選手にポロポロ取りこぼしをするのは(マドリード・オープンでも)、こんな精神面に要因があると私は感じています。

 最近引退したあのスーパースターのイチロー選手が、少年野球教室などで、小さい子どもたちから「強い選手になるにはどうしたらいいですか?」と質問を受けたときに、彼は何と答えたと思いますか?

 大事なバットを芝生の上に寝かせたりしないことです。ほんのわずかな芝生の湿り気が、バットのバランスを崩すこともある。バットを地面に叩きつけるなどはもってのほかです。地面にぶつかった衝撃で、重さや木目、密度のバランスが崩れるかもしれません。バットを作る樹は自然が長い時間をかけて育てています。バットは、この自然の樹から手作りされているのです。一度バットを投げたとき、とても嫌な気持ちになりました。それ以来、自然を大切にし、バットを作ってくれた人の気持ちを考えて、僕はバットを投げることも、地面に叩きつけることもしません。もともと道具を大事に扱うのは、プロとして当然のことです。ボールを投げたり打ったりする前に、まずはそういうところに気持ちをもっていかなければダメです。

 上の発言の中でも触れているように、実は、そのイチロー選手自身もかつて、1996年7月6日、近鉄戦で左腕小池秀郎投手にふがいない三振を喫して、思わずバットを叩きつけたことが一度だけありました。あれだけのバットを作ってもらって打てなかったら自分の責任ですよ」と、イチロー選手は反省し、その後、我に返って、バットを作っていただいた名工・久保田五十一さんに、謝罪のメッセージを送っています。「何人かの選手から、自分の手掛けたバットについてお礼を言われたことは過去にもありました。でも、バットへの行為そのものを謝罪されたのはあの一度だけですね」と、伝説的なバット職人・久保田さんは語りました。道具に対する意識の高さは、イチロー流準備の特徴です。フリー打撃を終えた選手たちが、それぞれのバットを芝生の上に平気で放り投げる中、イチロー選手だけが、バットをグラブでそっと包み、まるで眠った赤ん坊をベットに横たえるように置いていました。彼は普段、特製のジュラルミンケースに入れて、バットを持ち歩いています。ケース内には乾燥剤を入れるポケットがあり、湿気による重量増を防いでいるのです。それぐらいに道具への強い愛着・こだわりがあるんですね。私は個人的にはイチロー選手は好きになれませんが(自分の成績にしか興味が無い)、この道具を大切にする姿勢だけは、みんな見習わなくてはいけないと感じて

 「道具を大切にできない人は、いつかその道具に裏切られる」とは、プロゴルファーの青木 功(あおきいさお)さんが、週刊誌に連載したコラムに書いた言葉です。錦織選手・大坂選手にも、この点をしっかりと肝に銘じて、さらなる高みを目指してもらいたいものです。あの松下幸之助さんも、次のように言っています。♠♠♠

 世間は誰ひとりとして、きみの成功を邪魔したりせんよ。出来ないというのは、外部の事情というよりも、自分自身に原因があるものなんや。外部のせいではない、理由は自分にあるんだということを、常に心しておく必要があるな。(松下幸之助)

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「大手まんぢゅう」

◎週末はグルメ情報です!今週はお饅頭

 岡山に来たときのお土産には、岡山駅のお土産売場(サンステ)で、必ず「大手まんぢゅう」を買って帰ります。みなさんに喜んでいただいています。私も大好きなお饅頭です。

 「大手饅頭」は、天保八年(1837年)弊店の初代伊部屋永吉が、いまの営業地・京橋町で創業しましたが、当時の備前藩主池田侯から特に寵愛を受け御茶会の席には 必ず伊部焼の茶器とともに愛用されてきました。「大手饅頭」の名称は、店が岡山城大手門の附近にあったため藩侯からいただいたと伝えられています。その親 しみやすい名前と風味豊かな味わいは、当時の人たちに備前名物として好評を博しまし

▲岡山路面電車にも「大手まんじゅう」の文字が

た。以来、180余年、贈答にお土産にと喜ばれています。備前岡山は古くから米処と言われています。「大手まんぢゅう」は、その良質の備前米を材料として、まず糀(こうじ)からつくり始め、もち米などを加えながらじっくり日数をかけて、成熟した甘酒を仕上げていきます。これに小麦粉を混合し発酵させて生地を調製します。この丹念に仕上げた生地で、北海道産小豆を特製の白双糖で練り上げた漉餡を、薄く包み、蒸し上げると、甘酒の豊潤な香りを漂わせながら出来上がってきます。昔から伝えられた酒饅頭の基本製法で作られているので、甘酒のコクが餡の甘さとほどよく調和して、実にまろやかな味わいとなっています。美味しい!!漱石門下の岡山市出身の小説家内田百聞(うちだひゃっけん)「大手まんぢゅう」が大好物でした。故郷の岡山への愛郷心は人一倍強く、岡山での幼少時の思い出を幾度も繰り返し書き続けました。百閒「大手まんぢゅう」について、彼の随筆で幾度となく言及しており、大手まんぢゅう」になら「押しつぶされてもいい」とまで書いています〔笑〕。❤❤❤

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「鬼太郎列車」全6両制覇!

 世間では10連休で観光に浮かれている時期に、私は「勝田ケ丘志学館」で毎日授業をしていました。これまでの私の連休体験では、どこかに必ず出かけていたのですが、今年はそれもできずひたすら米子に通勤していました。そのおかげもあって、JR境線(さかいせん/米子駅〜境港市、17.9km)で運転されている「鬼太郎列車」6種類に全部乗ることができました。「鬼太郎列車」「ねずみ男列車」「ねこ娘列車」「目玉おやじ列車」「こなきじじい列車」「砂かけばばあ列車」の6編成です(⇒私の解説はコチラです)。私がいつも通勤する際に待っているのは1両だけで満員なんですが、この10連休中は3両編成に増結されて観光客であふれかえっていましたよ。この「鬼太郎列車」に使われているのは、マニアには懐かしい国鉄キハ40系気動車です。外装だけでなく、車内の座席、天井、トイレにもイラストが描かれているのも、『ゲゲゲの鬼太郎』ファンにはたまらない魅力ですね。以下は、私が撮影したトイレに描かれているイラストです。

 実は、「JR境線」16駅には、すべて『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する妖怪の名前が、愛称として付けられているのです。私が乗る米子駅「ねずみ男駅」、2分間だけ乗車して、降りるのは博労町駅「コロポックル駅」です。❤❤❤

 

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『科捜研の女』

 「テレビ朝日開局60周年記念」として、4月18日から来年令和2年3月までの1年間にわたるロングラン放送が始まった、テレビ朝日系木曜ミステリー『科捜研の女』(毎週木曜午後8時~)は、主人公の京都府警科学捜査研究所(通称・科捜研)の法医研究員・榊マリコを演じる沢口靖子(さわぐちやすこ)さんと、京都府警捜査一課の土門薫刑事役の内藤剛志(ないとうたかし)さんが活躍する一話完結型ドラマです。科学を武器に、凶悪化・ハイテク化する犯罪に立ち向かう法医学研究員の姿を描き、1999年の放送開始から19年間で17シリーズ191話、スペシャル10本が放送され、常に2桁キープの安定した視聴率を獲得しています。ファンの間からは、“どもマリ”と親しまれている名コンビで、今回の『科捜研の女』19シーズンは、20年目に突入します。1999年(平成11年)の初回放送前の製作発表では、「専門用語が多いので、それを早口でしゃべるのが難しい」と話していましたが、この20年間難解な専門用語を独学で勉強を続け、セリフを理解する努力を積み重ねてきました。先日もこのお二人が「徹子の部屋」にゲストで呼ばれて、この番組に対する思いを語っておられましたね。テレビ朝日のプライム帯のドラマが通年で放送されるのは、1998年11月から1999年9月まで放送された『暴れん坊将軍』以来、20年ぶりのことだそうです。

 「season1」の第1話から現在まで、すべての『科捜研の女』で、主人公のマリコ役を演じてきた沢口さんは、同一人物による主演、同曜日、同時間帯放送では最長記録を更新中です。1984年デビューの沢口さんは今年で芸能生活35周年を迎えます。「頂いた使命の大きさに心が踊りました。作品を評価していただいたからこそと受け止め、心から感謝して、フルマラソンを走り抜きたい」「1年間、撮影所のある京の旬の野菜やハモを積極的に食べて体力を維持したい」と語りました。

 お二人にとって『科捜研の女』とは?

【沢口】30代半ばで出会いまして、俳優として育ててもらった作品だと思っています。

【内藤】ここまできたらライフワーク。この船がどこに行き着くのか見たいです。しかも、今年は1年もやっちゃん(沢口)とご一緒できる! 土門はマリコのことを「お前」って呼ぶんですよ。こんな役得はない。ありがたいことです。

 科学捜査はどんどん進化していますね。私は初年度からずっと追いかけて見ていますが、マリコもだいぶ変わりましたよね。初期のころは、マリコが一人で突っ走ってしまって、周りはちょっとついて行けない、といった感じもあったと思うのですが、今はマリコを中心に見事なチームワークができている感じがしますね。土門もはじめはマリコとVSの関係にあって、「科学がなんだ、捜査は人間がするものだ」というスタンスだったんですが、だんだん変わってきて、今はものすごく科捜研を信頼しています。20年もやって基本的には2人の距離感が接近しないのはえらいことだと思っているのですが、何かの事件が起きたときに急接近するかもしれませんね。どんなストーリーになるのか、楽しみです。じゃあ、事件は起きた方がいいですね(笑)。確かにマリコと土門は“男女”だけど恋愛関係ではないという良さがあります。これはプロデューサーさんや脚本家の方々、なにより視聴者のみなさんが20年間で作ってくださった関係だと思うんです。なのでこの1年間でどうなるかは視聴者の皆さんに決めていただきたいと思います、と内藤さん。前述の「徹子の部屋」黒柳徹子さんが「1年間も続いて話のネタは大丈夫なんですか?」と率直な疑問をぶつけておられましたが、科学捜査の進歩は日進月歩でどんどん進化しているので、いくらでもネタは尽きないと自信をのぞかせておられました。❤❤❤

 

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『ピアノスイッチ』

 私の大好きなピアニスト西村由紀江(にしむらゆきえ)さん(51歳)が4月24日に通算40枚目の新アルバム『ピアノスイッチ~ベストセレクション~』をリリースされました。繊細な表現力とオリジナリティあふれるメロディーに、多方面からリスペクトされ続ける孤高のピアニストです。年間60本を超えるコンサートの他、ライフワークとして「学校コンサート」(以前、大田高校にも来て頂きました)、「病院コンサート」、被災地にピアノを届ける活動(Smile Piano 500)を継続しておられます。通算40枚目となる新作は、ファン屈指の人気曲と新曲を織り交ぜた、全曲ニュー・レコーディングで臨むピアノ・ソロアルバムです。私はDVDの付いた特別盤を購入しました。彼女がまだ音大生の頃から応援しているんです。ドラマ『101回目のプロポーズ』の音楽担当になった記念のイベントに、東京・渋谷のベルコモンズまで出かけて、担任の女生徒に頼まれていた楽譜にサインをいただいたのもいい思い出です。若い頃、私の深夜の仕事部屋には、西村さんの美しいメロディーがいつも流れていました。そんな西村さんも、以前、約20年間所属した財団法人「ヤマハ音楽振興会」から思わぬリストラをつきつけられ、辛い思いを経験しておられます。なんで自分がこんな目に遭わなければいけないのか、と自問し悶々とする日々を送っておられます。そんな苦悶の様子は、以前にこのブログでも詳しく紹介しました。(→なぜ私がこんな目に~西村由紀江」コチラです)あの辛さを乗り越えたからこそ、今日の西村さんがあります。

▲セカンドアルバム  まだ音大生の頃のあどけない西村由紀江さん

 「なんで自分がこういう目に遭わなければいけないんだろう」と、悲観的に考えていたが、日ごとに、「きっと離れる時期だったんだ」と思えるようになった。急に環境が変わるときには、起こっていること一つひとつに腹を立てたりしがちだが、人生の中の大きな流れとして客観的に見てみると、必要があっての変化なんだと納得できる。―西村由紀江『私が輝くとき』(成美堂、2007年)

 「ピアノは楽しい。興味のある人が弾きたくなる、弾いて楽しくなる曲を作りたい。そんな思いから生まれたメロディーを新アルバムに収録しました」と彼女。40作目の節目を迎え原点に回帰する思いで、過去39枚のアルバムから、人気曲のリアレンジ版に、新曲を加えた全15曲に仕上げました。「弾く人が楽しくなるようなアレンジを考えました。例えば、演奏中に手を交差させてパーカッションの用に弾く場面や、黒鍵だけで弾けるように作り直しました」。これらリアレンジ版のピアノ曲集(楽譜)も、あえて楽曲ごとに難易度を提示、本人による演奏アドバイスも掲載したものを同時発売しています。「ピアノを弾く『憧れときっかけ』になれるような1枚です」と笑顔いっぱいです。

 アルバムタイトルは、昨年初めて共演したアーティストの大塚 愛さんから「8歳の頃、(西村の楽曲)『夢を追いかけて』でピアノ好きスイッチが入りました」と掛けられた言葉から名付けられたものです。昨年5月に開催された「第6回ならピ!」(Nara Piano Friends)の終了後、大塚さんから「ピアノを続けられたのは西村さんのおかげなんです」と声をかけられました。レッスンでピアノの先生から怒られて、もうピアノをやめようかと思った時に、西村さんの「夢を追いかけて」を弾いて、こんなに情景が浮かぶピアノの世界があるのか、と驚いたと言います。


西村さんは8歳の私に、ピアノが景色や人の表情、言葉を浮かばせてくれるものだと教えてくれました。「夢を追いかけて」でピアノ好きスイッチが入りました。   〜大塚  愛~


 今回のアルバムのコンセプトは、シンガーソングライター・大塚 愛さんのそんな言葉から生まれた、と西村さんは言います。「あるイベントでご一緒させていただいた時、大塚さんがピアノの弾き語りをされていました。ピアノが好きだという気持ちがひしひしと伝わってきて、素敵だなと思って見ていたんです。でも、私のことなんてご存知ないだろうと思っていたら、こんな言葉をいただいて」かねてから、ピアノの伝道師としてその楽しさを伝えていきたいと考えていた西村さんにとって、“ピアノスイッチ”という表現は言い得て妙。胸にストンと落ちたその言葉をキーワードに、アルバム制作がスタートしました。収録曲は、これまでの作品のリアレンジ版と新曲を織り交ぜた全15曲。でも過去の作品とひと口にいっても、その数はCDになっているものだけでも500曲以上に及びます。「曲の取捨選択は意外とスムーズでしたね。私がデビューしたのはディスコサウンドが流行っていた時代。ポピュラリティ―がないとか、地味、キャッチーじゃないなどと言われました。その記憶があって、耳に残る曲、口ずさめる曲をつくらなければいけないと、ずっと勝手に思い込んでいたんです。でも、今回“ピアノが弾きたくなる曲”という観点から選曲してみると、こんなに自分らしくいられるんだという発見がありました。デビュー33年目にして、新人に戻ったような気分でしたね」 すべての曲をリアレンジし、レコーディングに臨みました。私が若い頃にのぼせて聴いていた名曲がいっぱい詰まったアルバムです。ベスト盤ですが、15曲全て、弾く姿勢・向き合い方を変えて音源も録り直しています。全てが新曲の気分だとおっしゃいます。常に新しいことにチャレンジし続ける西村さんらしい試みです。最新の『月刊ピアノ』5月号には、今回のアルバムに関して、西村さんのインタビューが掲載されていて興味深く読みました。❤❤❤

《今回のアルバム収録曲目》
………………………………

1. あなたに最高のしあわせを
2. オルゴールを聴きながら
3. objet
4. 天空のワルツ
5. 夢を追いかけて〜薫のテーマ〜
6. 手紙
7. やさしさ
8. 雪の路
9. My Classic
10. 黒鍵
11. 少女がみたもの
12. 終わらない旅
13. DREAMS
14. すき
15. 時のきらめき
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DVD収録映像
「オルゴールを聴きながら」MV(新作)
「少女がみたもの」オーケストラVer. ※2016年6月放送MBSテレビ「ならピ!」より

【補足情報】

 上のCDのジャケット写真は、西村さん初めての着物姿です。大正15年に制作された日本画家 中村大三郎作・屏風「ピアノ」(京都市美術館所蔵)を参考にしています。ピアノを弾いている女性は、中村大三郎さんの奥様、都由子さんで、描かれているピアノは、チェコスロバキア製「ペトロフ」です。丁寧に描きこまれた楽譜から、演奏しているのは「トロイメライと小さなロマンス」であることがわかります。この「ペトロフ」は大正時代に京都・明倫小学校に校区の有志から寄贈されたピアノで、戦争や小学校の統廃合など、長年の間に痛みが進み京都芸術センターとなった校舎に保管されたままとなっていました。このピアノの存在を知る方々のお声がけによって、忘れられていた響きと容姿をもう一度蘇らせようと、京都芸術センターの協力のもと「明倫ペトロフの会」ができました。ピアノ修復のため2005年から15回のコンサートを開催し、その収益で屏風「ピアノ」に描かれた姿を元に、脚部や譜面台も忠実に再現した姿にピアノを蘇らせ、2008年11月15日に修復完成コンサートを開きました。現在も京都芸術センターに保存され、年に2回春秋コンサートも開かれています。2018年には100年を迎えました。

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be familiar with~を考える

  We are familiar with the song. 私たちはその歌をよく知っています

 ある参考書に出ている用例です。be familiar with~=「~をよく知っている」といった、不用意な理解をしておられる先生方がかなりおられます。私も高校時代は先生からそう習い、そのような理解をしていました。いつもは信頼のおける『ロングマン現代英語辞典』(LDCE)も(他の辞典同様)そのように書いてありますから、仕方のないところかもしれません。このことは、今でも生徒たちが使うほとんどの単語集や熟語集や参考書にも、そのように書いてあるから当然かもしれません(ユメタン』(「~に精通している」など、とんでもない理解です)しかり、システム英熟語』しかり)。しかし、これは正確な理解ではありません。この表現は、”I have heard it before and remember it”くらいの意味で、「私たちはその歌を何回か聞いたことがあります」と訳すべきものです。必ずしも「よく知っている」という意味ではありません(=a person has some knowledge about something, not necessarily that he knows it well) ネイティブの語感を捉えた正確な定義は、次のようなものです。

having some knowledge about (something) : We are familiar with the situation.(=we know about the situation)   [Merriam-Webster’s Advanced Learner’s English Dictionary]

 私たちの『ライトハウス英和辞典』(研究社)では、「必ずしも詳しく知っていることは意味しない」と注記をしていますね。私たちの最新の『コンパスローズ英和辞典』(研究社、2018年)では「この意味では1と違って必ずしも詳しく知っていることは意味しない。疑問文・否定文で使われることが多い」と記述しています。この中で、私たちが必ずしも」と断っている意味は、後に挙げる編集顧問・故・D.ボリンジャー博士のコメントの後半をお読みいただけると、お分かりになると思います。普通の理解は「~をよく知っている」ではありません。

 ところが厄介なことに、It was a familiar song.は「それはよく知っている歌だった」(=It was a song I knew very well)という意味になります。この意味をそのまま上に当てはめてしまったために起こった誤解だと思われます。英語も一筋縄ではいきませんね。念のために故・ボリンジャー博士の見解を紹介しておきます。いつもながらに、博士らしい言語観察の鋭い指摘が見られます。1つ1つの項目に関して、こうやって博士の裏付けをとって、私たちの記述を正確なものにしていきました。

    I can say that I am familiar with something if I have barely more than an indexical knowledge of it―enough to know where to turn to find out more. I believe that most Americans would agree that it does not imply intimate knowledge.  Oddly, however, when intensified with quite it does imply intimate knowledge : I’m quite familiar with that. And it does not exclude intimate knowledge : Are you familiar with that ?―Yes.―How familiar―really familiar?

    On the other hand, a familiar song is a song that is known well, just as a familiar fact is one that practically everyone knows.

 ここまでお読みいただければ、ウィズダム英和辞典』(三省堂、第4版、2018年)に見られる、次のような書き換えがナンセンスであることは自明ですね。

I’m familiar with his work. ≒ His work is familiar to me.   彼の仕事はよく知っているよ。

 さらに、be familiar with~の後に人が続く場合、単なる親しさではなく、馴れ馴れしく度を超した不快な親しさを表すこともあり(文脈に依存するところが大きいが)、tooの修飾を受けることが多い、という赤野(1985)のコーパスからの指摘も心に留めておいてよいでしょう。このように理解が不十分な表現が、現場には数多く見られるんです(In fact/ After all/ Indeed/ Actually/be willing to V/on good terms with~などをすぐに挙げることができます)。いつまでたっても負の連鎖は消えません。♠♠♠

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「ドトール」で仕事

 世間では10連休でのんびりしている人が多いと思いますが、今年の私は、毎日「勝田ケ丘志学館」で特別授業をやっています。昨日は、「4月進研記述模試」を解いてもらいました。今日は、再来年から新しく始まる「共通テスト」の試行テスト(2018年11月実施)の問題を解いてもらいました。満点を取った人が2人いたので、さだまさしさんの「あ、さだ飴」(⇒この飴の詳しい解説はコチラです)をご褒美にあげておきました。

 電車で毎日米子に通っているんですが、少し早く家を出て、時間待ちの間を、松江駅の構内にある「ドトールコーヒー」で1時間ほど仕事をしています。これまでは、松江市・殿町の「珈琲館」が仕事場だったんですが、つぶれてしまい、今は「ドトール」が仕事場代わりになりました。美味しいコーヒーを飲みながら、今抱えている仕事の原稿の手直しを行っています。私はずっと昔から「ドトールコーヒー」のファンです。全国どこへ行っても「ドトールコーヒー」を見つけては入ってしまいます。初めて「ドトール」を知ったのは、もう何十年も前、東京・銀座の「伊東屋」の開店を待つ待ち時間に、裏手にあったお店を利用した時だったと思います(今はもうありません)。以前私は、ドトールコーヒー社長の鳥羽博道(とばひろみち)さんを取り上げて、「ドトール」の歴史について詳しく述べたことがあります。⇒コチラです

 「ドトール」は、鳥羽博道(とりばひろみち)前社長が、1962年24歳の春に起こした会社です。高校中退後、レストランやコーヒー豆焙煎卸営業会社での勤務を経て、ブラジルに単身渡航。十代の頃下宿していたサンパウロの「ドトール・ピント・フェイラス通り85番地」への思い入れから採られた会社の名前です。ドトールはポルトガル語で「医者」の意味で、ブラジルの医療に貢献したピント先生の功績を讃えてつけられたIMG_1368地名だそうです。資本金50万円、従業員2名、間口たった二間の事務所兼焙煎所兼倉庫で、焙煎機1台と中古の軽四輪車からのスタートでした。彼の理想は、19歳の時の思い「一杯のコーヒーを通じて安らぎと活力を提供することこそが喫茶業の使命」でした。「願いが正しければ、時至れば必ず成就する」という徳川家康の言葉、金の貧乏をしても心の貧乏するな」という父の言葉を座右の銘としながら、どれだけ苦労されたのかは、彼の『想うことが思うようになる努力』(プレジデント社)と、その改訂文庫版『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』(日経ビジネス文庫)に詳しく出ています。やはりパナソニック創業者・松下幸之助さんの影響がここにも見られました。

 早朝の松江駅「ドトール」はいつも混み合っていますが、その割に静かで仕事がはかどるんです。毎日ここで、赤ペン片手に、原稿に朱を入れながら、どんどん完成に近づいている八幡でした。世間は連休なのにね…。❤❤❤

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サプライズ!

▲私が毎日乗って通っている「快速アクアライナー」

 今日は、ビックリすることがありました。連休中は毎日、米子東高校内にある「勝田ケ丘志学館」へ特別授業に電車で通っているんです。いつものように、松江駅構内にある「ドトールコーヒー」で1時間ばかり原稿の手直しをしてから、「快速アクアライナー」に乗り込みました。連休中で車内は混んでいます。スポーツ新聞を読みながら乗っていると、途中の荒島駅で一人の女性が乗ってきて、私の前の席に座りました。思わずふと顔を上げると、お互いに「先生!」「前田じゃないか!」と叫んでいました。松江南高校で○○年前に担任した吉岡(旧姓 前田)美保さんです。すぐ分かりました。もう卒業してからずいぶん経っていますが、覚えているんですね。大学を卒業してからは、香川県高松市に住んでいて、毎年年賀状のやりとりはしていました。一昨日、昨日のことはすぐに忘れてしまう私なんですが〔笑〕、以前の教え子のことは今でもハッキリと記憶しています。彼女の妹さんも私が南高で担任しました。まだ認知症は大丈夫そうですね。連休で実家へ里帰りだったそうです。昔の高校時代の懐かしい話をずっとしながら米子駅まで。駅で硬い握手をして別れました。お嬢さんが今年4月 、地元・高松高校の1年生に入学したそうです。英語の勉強に使ってもらうべく、私の『ライトハウス英和辞典』(第6版、研究社)をプレゼントに送っておきました。

    本当に偶然ってあるものですね。今日の「志学館」の授業では、この思いがけない出会いの話をしたついでに、accidental(思いもかけない、予期せぬ)という単語を紹介して、「4alの法則」(語尾の-alを含む4文字を囲むとその前の母音にアクセント)&「円樽上(えんたるじょう)の法則」(-entalの上にアクセント)を確認しておきました。【類例】fundamental, oriental, experimental, environmental ❤❤❤

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但馬牛リベンジを!

◎週末はグルメ情報です!!今週は但馬牛

 城崎温泉に泊まる、と決めた時から、一つ大きな目標がありました。当地特産の「但馬牛」のステーキを食べるということでした。遠く平安時代の書物に「耕運、輓車、食用に適す」と記されていた但馬牛。骨が細く、皮下脂肪が少なく、良質な筋繊維を持つ但馬牛は「赤身と脂の旨さ」の絶妙なバランスが特長です。長年、たじまの生産者によって大切に育種改良された但馬牛は、肉の味を決める食感、甘み、香りのすべてを世界中のグルメに絶賛されています。但馬牛が世界中のグルメに絶賛される理由は、「サシ」と呼ばれる霜降り部分の質の良さにあります。この「サシ」は、但馬牛のしなやかで締まりの良い筋肉が、良質で適度な脂肪を内面に留まらせることで生まれます。肉そのものとしての味が良く、そこに良質な脂肪の甘みが加わった但馬牛の「サシ」は、まさしく“とろけるような味わい”とのことです。

 教えてもらったところでは、城崎駅のすぐそばに(徒歩3分)「いろりダイニング三國」というお店があって人気店で行列ができているとのことでした。事前に電話して予約をしておこうと思ったところ、ランチは予約を受け付けていないとのことでした。開店は11時。私が城崎駅に到着するのは11時29分。電話で「食べられますか?」とお聞きすると、日曜日は開店と同時に行列ができて、30分~1時間待ちはザラです、とのことでした。この「三國」では、但馬牛の中でも、数々の共進会でチャンピオン牛を出す香美町村岡の契約牧場「上田畜産」から月2~3頭しか出荷されない厳選された「但馬玄」を直接半頭買い。環境、飼育方法、特別なエサ、全てにおいて愛情注いで育てた「但馬玄」は他の牛とは一線を画す味わいとのこと。脂の融点が低いのが特徴で、まさにとろけるような味わいとのことです。塩、米、野菜も地元の食材にこだわり但馬の味を楽しむことができると聞きました。もう何としても食べて帰りたいと思い、駅に到着すると小走りに向かいました。2階のお店に上がると、超満員です。店内はものすごい熱気です。案内の方にお聞きすると、お待ちのお客さんが多く、1時間は待ってもらわないといけません、と申し訳なさそうに言われました。ここで1時間潰してしまうと、他のスケジュールに穴が開いてしまうので、オーダーストップは午後2時と伺い、先に「城崎マリンワールド」を目指しました。水族館を堪能した後でタクシーを飛ばして、再び「三國」へ。入り口でタクシーを待たせておいて、2階に上がっていくと、今日のランチの受付は終了しました」という掲示が。おい、おい。まだ2時15分前でしたが、盛況で売り切れてしまったのでしょう。これ以上お客さんを受け入れることができない。あーあ。残念!仕方がないので、諦めて「城崎文芸館」へタクシーを走らせました。今夜のディナーを予約するという手もあったんですが、夜はカニのフルコースをすでに予約していたので、さすがの私もこの歳ではカニを食べた後で、ステーキ・ディナーはない〔笑〕。ということで今回は泣く泣く断念した次第です。今回の旅で、ただ一つ心残りだったのが、この食べ損ねた「三國」のフルコースでした。「いつかきっとリベンジするぞ!」と強く思っていたら、その機会がすぐにやってきそうです。兵庫県の近くの高等学校から、センター試験対策の授業を依頼されました。今度はどんなことをしても食べてきます。❤❤❤

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『PHP』誌に学ぶ

 現在、PHP』誌は、わずか定価190円(税込205円)で、毎月販売されています。これだけの啓発内容を盛り込んで、今の時代、この安さは驚愕ですね。私も毎月読んでいます。生きるための大きな指針・ヒントを与えてくれる記事も多く、その都度切り抜いてファイルしています。それにしても自社以外の広告もなく、この値段、安すぎです!!

 かつて、島根県大田市で、義手・義足を作っておられる「中村ブレース」の社長・中村俊郎(なかむらとしろう)さんに、故・澄田信好知事より、島根県教育委員の就任要請があります。教育委員会で中村さんは、試験の点数ではなく、本当に子どもが好きな人を教員として採用してください。心底先生になりたいと思っている人を採用してください。」と強く訴えられました。点数の高さだけで採用された教師の中には、教師として適性の疑わしい人がいる、というのが中村さんの実感だったのでしょう。島根県の全ての県立高等学校の図書館に、この雑誌『PHP』を毎月、長年(平成20年1月号―平成25年1月号)贈り続けていただいたことは、島根の生徒の心の教育を」という、中村さんの心よりの熱い想いからでした。実に有り難いことでした。中村さんに関しては、詳しくこのブログに取り上げたことがあります。⇒コチラです

 ここで、この雑誌の歴史を回顧。PHP』誌は、松下幸之助さんのPHP(Peace and Happiness through Prosperity、「繁栄によって平和と幸福を」の頭文字)の考え方を広く世に伝えるための、いわば機関誌であり、PHP研究所」設立の翌年に創刊されました。PHP』では、人間とは何か、真に豊かな人生とは何か、幸福とは何か、といった、いつの時代にも変わらぬ人類普遍のテーマである「生き方」について、様々な角度から取り上げています。多くの方々の体験にもとづく貴重な意見・提言をもとに、物の見方・考え方についてのヒントを小・中学生からお年寄りまで、多くの読者とともに考える広場となっています。

 「PHP研究所」は、松下さんが私財と思いをつぎ込んで「繁栄によって平和と幸福」を追求する社会啓蒙活動として、昭和21年11月3日に始まりました。平和」「幸福」を得るためには「物質的な繁栄」がなければならないとしたところが、松下さんの「哲学」です(渡部昇一談)。PHP研究所」を創設した翌年の昭和22年4月に、雑誌『PHP』は発刊されています。当初は発行部数1万部でした。何度も挫折・苦悩を繰り返し「もうPHPを閉じよう!」というところまでいきました。発行部数100万部にまで拡大した『PHP』誌も、ほとんどは松下電器の買い上げで、松下さんの「道楽」と見なされる始末です。創刊30年間にわたって、経営はずっと赤字続きだったのです。常に松下電器の支援が9割を占めていました。赤字になると、松下さんがポケットからポンと財布を出して補填してくれるような状況でした。そんな経営状態を見かねた周辺からは、PHP活動は、世のため人のためなのだから、財団法人にすべきです」という進言が何度も行われました。松下さんは、財団法人はあかん。資金を集めて、その資金でやっていく、あるいは、その運用でやっていくわけや。足らなくなると、資金集めや。他に頼る。そこには自主自立の気概も生まれにくい。たいてい安易しか生まれてこんわね。だから、いつまでたっても赤字や。PHP研究所を株式会社にしたのは、そういう真剣味をつくるためや。会社というのはね、生きるか死ぬか。そういう心持ちが、会社を発展させるんや。財団法人にしたらあかん」と、かたくなに拒んだと言います。側近中の側近の江口克彦さんが担当され、悪戦苦闘の末、経営が軌道に乗ったのでした。

 『PHP』の2019年1月号に掲載された、作家の江上 剛(えがみたけし)さんの「今日一日を楽しく生きる」という特集を興味深く読みました。その中に、故郷の丹波の自宅の五右衛門風呂で江上さんがまだ小さい頃、早く温まりたくて自分の方へ自分の方へとお湯を必死でかいていると、お母さんが「自分の方にかいたお湯は、おまえの脇から全部外に出て行くよ。お湯は向こうへ向こうへとかきなさい。そうすると、まわって自分のところに来る。世の中も同じで、全部自分のものにしようと欲張ると、かえって自分から離れていくよ」と、生きていく上で大切なことをいくつも教えて下さったそうです。これは今で言う「たらいの法則」ですね。⇒私の解説はコチラ

 お母さんはさらに「“のに病”になるな」と教えてくださいました。真面目に働いたのに、出世しない」「姑の言う通りにしたのに、ありがとうの一つもない」「子どもにいろいろしてあげたのに、家に帰っても来やしない」「前の会社ではこうだったのに…」など、人生では、“のに”が報われることはないし、言い始めると苦しくて仕方なくなりますね。なるほど。このように、生きる上で指針となるメッセージがいっぱい詰まった雑誌が『PHP』誌です。みなさんにオススメします。❤❤❤

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サロンカー「令和」

 連休中は毎日米子「勝田ケ丘志学館」に特別授業に行っています。今日も松江駅の「ドトール」で一仕事した後、2番ホームに上がって「快速アクアライナー」を待ちました。するとベルが鳴って見慣れない臨時列車が入って来ました。よく見ると、なんと先頭車両には「令和」のヘッドマークが!素敵なサロンカーの特別列車でした。

 家に帰って調べてみると、2019年4月30日から5月1日(夜行運転)にかけて、日本旅行主催の団体臨時列車「改元の瞬間を夜汽車で!往復サロンカーなにわで行く出雲の旅」の往路が大阪→出雲市間で「サロンカーなにわ」5両を使用して運転されたのでした。欧風客車「サロンカーなにわ」を使用して,改元の瞬間を夜汽車の車内で体験できるツアーという触れ込みです。その列車が大阪へ向けてちょうど帰る時(昼間運転)に遭遇したのでした。牽引機はDD51-1191で、特製の「サロンカー令和」と書かれたヘッドマークが掲げられて運転。ちょうどグッドタイミングで出くわしたのでした。この列車は、1983年に登場し、団体臨時列車のほか、多客時の臨時列車としても運行されるもので、「お召し列車」として利用されることもある豪華なものです。全車グリーン車です。サロンカーだけあって、ゆっくりとくつろげる素敵な車両でした。この臨時列車を見て、世の中は連休だということがしみじみと分かりました。あー、私も旅に出たいな~。❤❤❤

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「鬼太郎列車」

  境港~米子~御来屋駅間は、実は山陰初の鉄道として、明治35年11月1日に開業しました。境港が北前船の公益拠点でもあり、西日本屈指の水揚げを誇る港だったこともありますが、山陰の鉄道建設のために資材を境港に降ろし、それから鉄道建設を始めたため、最初に開業したのです。明治41年に米子~安来間が開業するに伴い、米子~境港間は、支線に格下げされました。米子駅前にはその「山陰鉄道発祥之地」の碑が誇らしげに建っています。

 

 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげる先生の故郷である境港市に、「水木しげるロード」(約800m)が整備された1993(平成5)年、車体に妖怪たちが描かれた「イラスト列車」も初めて登場しました。その後、リニューアルが重ねられ、年々ユニークなイラストにパワーアップしてきました。現在、鬼太郎、ネズミ男、ねこ娘、目玉おやじ、こなきじじい、砂かけばばあの6種類の「鬼太郎列車」が、平日は1日18往復、土・日・祝は16往復しています。使われている車両は、懐かしい国鉄「キハ40系」の気動車です。鳥取県の米子駅境港駅を結ぶ約18km程を、約45分かけてのんびりと走っています。そしてその間には16の駅があり、それぞれ愛称として「妖怪駅名」が付けられています。妖怪の町へと向かう出発地となる米子駅は、「ねずみ男駅」。妖怪の町の入口である境港駅「鬼太郎駅」です。その間の駅には全国各地に伝わる妖怪の名前がずらっと並んでいます。例えば北海道の「コロポックル」や、四国の「こなきじじい」など、全国いろんな妖怪たちを知ることができるのも楽しみの一つです。列車の外も中も妖怪に囲まれ、のんびり揺られながら、着いた先にはいよいよ「妖怪の国」が待っているというわけです。鬼太郎列車」は、外装だけでなく、車内にもイラストが描かれ、子ども達を中心に、家族連れに人気を博しています。座席、天井、トイレの側面にもびっしりとイラストが描かれていますよ。

 起点となる山陰本線、伯備線のターミナルでもある米子駅「0番線ホーム」が、鬼太郎列車」が発着する乗り場です。わざわざ「霊番線ホーム」と改めるところが芸が細かいですね。このたびの水木しげるロード」のリニューアルに併せて、この境線の車両もリニューアルをしました。2018年1月に「砂かけばばあ」「こなきじじい」が、3月3日に「鬼太郎」「ねこ娘」が、7月に「ねずみ男」「目玉おやじ」車両が、それぞれリニューアルして登場しています。私は、4月からこの列車に乗って「博労町」(コロポックル駅)まで通勤しています。この連休中も毎日「特別講座」のために、超満員の列車に揺られています。6車両全部制覇するのが当面の目標です(現在5種類制覇)。「鬼太郎列車」に乗り込むと、早速ゲゲゲの鬼太郎、ネコ娘、お父さんのアナウンスが始まります。鬼太郎「みなさん、境線へようこそ。ゲゲゲの鬼太郎です。父さんとネコ娘と一緒に終点の境港まで各駅を紹介していきます。」 ⇒ネコ娘「ここ米子駅はねずみ男駅という愛称があるのよ」⇒お父さん「これからわしらが終点まで各駅を紹介していくぞ。楽しみにしておるのじゃぞ」 帰りの列車内では、「次は終点米子、米子です」「愛称名はねずみ男です」「わしらの紹介、楽しんでもらえたかのう。また会おう!」とアナウンスがされました。実に楽しい!通勤の楽しみの一つとなっています。 ❤❤❤

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