当たり前のことを当たり前にやる

 私の大好きな巨人軍は敵地・甲子園球場で3連敗(9ゲーム差)。いろいろなことを感じさせてもらった3試合でした。この3連戦は、阪神は先発全員に白星がつき、七回に全部勝ち越しています。今日はそれについて書きます。まずは敵将・岡田監督の言葉が全てを物語っています。

 まあ勢いだけじゃ勝たれへんで(笑)。きっちりと自分らの野球ができてるいうことちゃう?先発が頑張って、バントとか決めたり。普通のセオリー通りに、そんな奇襲なんかしてないわけだから。当たり前のことを当たり前にできてるっていうことやろな

 先発は疲れてくる。ブルペン陣も勝ちパターンでそんないいピッチャーはあの七回にはいけないとか、いろいろ。だから七回ってそういうふうに何か起きるんじゃないかな。(岡田談)

 印象的だったのは、第2戦。大竹グリフィンの行き詰まるような投手戦。七回裏阪神に先制打が飛び出した直後、大竹は一塁ベンチ最前列で力強いガッツポーズを見せてほえると、後方のベンチに腰掛けると一目もはばからず大号泣です。タオルで懸命に涙を拭っています。「感動しました。一人はみんなのために、みんなは一人のためというか…。チームプレーを感じたので思わず泣きました。」とヒーローインタビューで大竹投手。ベンチで泣いている野球選手なんて初めて見ました。これで負けなしの6連勝です。ソフトバンクでは使ってもらえず、現役ドラフトで阪神に移ってきた苦労人です。残念だったのは、あれだけいいピッチングをしていたグリフィン投手を1点取られたらすぐに交代させてしまった原監督。あそこはグリフィンを信じて最後まで投げさせてやらなければいけません。なのに途中交代させて大江が打たれて3点目を献上しました(この3試合は、全部送ったリリーフが打ち込まれて敗戦)。9回にブリンソンの2ランホームランが出たのは皮肉でした。岡田監督は、ピッチャーもバッターも辛抱強く信じて最後まで使い続けました。選手が意気に感じない訳がありません。「阪神のピッチャーを打てなかった」原監督は嘆きますが、巨人の先発ピッチャーも頑張っていました。ボール球をくるくる振っていた巨人に対して、阪神はちゃんと見極めて4ボールを選んでいます。それが全部得点に絡んできました。送りバントができない巨人に対して、阪神はきちんと送るところでは送っていました。肝心な所でエラーが出たのも巨人です。ミスをした方が負けるのが野球。「当たり前のことを当たり前にできてる」という、岡田監督の言葉が響きます(英語の世界でも、私はたり前のことをカになってゃんとやる(ABC)」ことで結果がついてくると強調しています)。

 呆れ果てたコメントもありました。初戦1点リードで迎えた七回裏、巨人の鈴木康(オリックスからトレード)が連続ヒットをくらってKOされて逆転された試合後、「甲子園に飲み込まれた」とコメントを出しました。違うだろう!こんなプロの談話を初めて聞きました。力がないから打ち込まれるのであって、オカシナ言い訳です。

 秋広優人松井 颯(まついはやて)などは新人にもかかわらず、「飲み込まれる」ことなく堂々と渡り合っていました。秋広は己の打力で3番のクリーンアップを勝ち取りました。4月18日に一軍昇格し、29試合で打率3割4分7厘、4本塁打、16打点、6試合連続安打中です。松井は前回の登板で初登板・初勝利を挙げましたが、育成ドラフト選手です。支度金わずか290万円、年俸400万円(推定)の選手です。よくもまあこんないいピッチャーが「育成枠」で残っていたものです。他球団は何を見ていたんでしょう?明星大学の4年間で球速が13キロアップして、最速154キロになったといいます。同期生に150キロの谷井一郎(22歳)さんがいました。ブルペンではその剛速球の隣で投げるたびに、力の差を痛感して、軸足の使い方や体重移動の感覚などを聞いて吸収したそうです。昨年10月20日のドラフト会議で、松井は育成指名されましたが、一方、谷井は名前を呼ばれず指名漏れしました。彼は松井「早く1軍で活躍できるように頑張れよ!」と気丈に背中を押してくれましたが、部屋に一人戻って涙を流しました。約3週間後、谷井は引退を決断します。女手一つで育ててくれたお母さんを支えるためにも、ユニフォームを脱ぎ、スーツを着ることを選んだといいます。「自分の分もプロで頑張って」と夢を託されたのが松井でした。親友でもあり、ライバルの思いを胸に腕を振り続けています。今回も5回1失点で先発の仕事を見事にこなしました。

 今の巨人と阪神を比べると、ピッチャーの守りが大きく異なります。今日からの交流戦、もう一度一から立て直しです。今日は平内が先発。オープナーでしのぐつもりのようです。頼りになるのは戸郷だけという感じです。早く菅野が戻ってこないかな。♥♥♥

     【先発】   【リリーフ】 【7回以降の失点】  【チーム防御率】
巨人   3.56   4.79    84点       4.01
阪神   2.91   2.06    47点       2.64

 

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「ベルサイユの鯉」

 ニュージーランドにいるキーウィー」という愛くるしい鳥は、鳥であるにもかかわらず、翼が退化して飛ぶことができません。キーウィーは、ニュージーランドの国鳥なのですが、7千万年以上も前の太古の昔、この鳥は食肉性の哺乳類が発生した他の地域とは隔絶されてしまいました。そのため天敵がいないのです。食われる心配がないから羽根も徐々に退化して、尻尾も退化してしまいました。天敵に食われる心配がなく、逃げ回る必要がないので、空を飛べなくても十分生きていけるのです。要するに生存競争をする必要のない、まったくぬくぬくとした環境の中で住んでいたのです。ところがこの環境の中に突如白人が現れて、犬や猫やその他いろいろな動物が入ってくるようになると、キーウィーは飛べないために簡単に食べられてしまうようになります。じきに、放っておくと絶滅するという状況(1日に20羽ずつ減っている)にまで追い詰められてしまったこともあります。今は政府や保護団体が協力して、「バードサンクチュアリ」と呼ばれる保護区域を作って保護されているので、生きていますが、羽が退化するまでになってしまったことは何を意味するのでしょうか?それは、「競争」がなければあらゆるものは弱くなってしまう、機能が退化してしまい、新たな競争者が出てきたときには絶滅してしまうということです。自由な競争こそがバイタリティーと成功を生むということです。「健全な競争」の重要性を認めないわけにはいきません。故・渡部昇一先生は、日本の銀行で最も根深かった根本問題の「護送船団方式」の問題点を、この飛べない鳥キーウィーに喩えて講じておられました。

 皆さんは「ヴェルサイユの鯉」(こい)の話を知っておられますか?その昔、ベルサイユ宮殿の庭の池で美しい鯉が飼われていました。人々はその美しく泳ぐ姿を見て楽しんでいましたが、ある時、鳥が鯉を食べているのを発見してしまいました。人間は柵などのガードを設置し、大切な鯉を守ろうとしました。鯉が安心して泳げる環境を整えていったのです。すると、それまで優雅に泳いでいた鯉たちは泳ぐことをやめ、いつも岩陰で放り込まれるエサをじっと待つだけで、あっという間にブクブクと太っていきました。昔の優雅な姿を偲んで、「最近の鯉は…」と囁かれていたそうです。どうすればかつての美しい優雅な姿を取り戻せるか?あれこれと試行錯誤を繰り返して人間が思いついたのは、鯉の天敵であるナマズ一匹を一緒の池に入れることでした。そうすると、鯉たちは天敵であるナマズを警戒してまた必死で泳ぎ始め、かつての美しい姿を取り戻した、というお話です。

 似たような話もあります。ノルウェーのある漁師は、獲ったイワシが港に戻ってくるまでにすべて死んでしまうことに頭を痛めていました。そんなある日、1人の漁師の獲ったイワシが1匹残らず生きたまま港に戻ってきたのです。その生け簀を見ると、イワシの群れの中に1匹のナマズが混じっていました。イワシの群れが同類だけで生け簀にいるときは、何の緊張感もないため生きるためのスイッチはオフのままで、時間が経つにしたがって弱ってしまいます。ところが、異質なナマズが混じることで、イワシは緊張感を覚え、そこから活性度が高まったのです。

 天敵と呼ばれる存在は出来る限り少ない方が、一見良いように見えるかもしれません。しかし、実際はそういったものの存在によって刺激を受け、それが自らの行動に反映されることで良い結果が導かれることは少なくありません。刺激がなくなれば、それと同時に積極的な姿勢も失われてしまいます。過剰な天敵は身を滅ぼしてしまいますが、適度な天敵の存在は、意外と重要なのかもしれません。「ヴェルサイユの鯉」の訓話はそのことを教えてくれます。

 私が尊敬する永守重信さん(日本電産会長、現ニデック)もこの「ナマズ役」を務めておられます。130億円の私財を投じて設立した京都先端科学大学(2019年)の前身・京都学園大学のキャンパスに初めて視察に訪れた際に、そこでの講義風景を見て衝撃を受けたと言います。講義中にもかかわらず、学生は寝ているか、私語をしているか、もしくはスマホを見ているかでした。そこで教員を呼び、なぜ学生が寝ているのかと問うと、「学生のレベルが低いから」という返事が返ってきました(Fランクの大学でした)。永守さんは「それは違う。先生の教え方が悪い。20年も前の古い資料を持って来て、ただ板書して教える。講義がつまらないからだ」と応えます。三流の状態でいるのは、学生ではなく、教える側、運営する側に問題がある、と断言します。上に立つ人間、教える人間に最も高い意識を求めるのです。永守さんは以来、理事長として足しげく大学に通っておられます。お忍びで大学に行ったら必ず教室を回ります。それも大学スタッフが案内する一部の“いい教室”ではなく、知らない教室にサッと入って、一番後ろの席に座ります。まさにお忍びです。永守さんの大学視察の日程は一部の幹部しか知りません。そしてどこの教室に来るかも分かりません。まさに神出鬼没!池の中に放されたナマズ役である永守さんを意識することで、常に緊張感が保たれるというわけです。これは学生の意識に訴えかけるだけでなく、教員陣に対してもメッセージを含んでいます。「1000匹の鯉がいても、1匹でいいんです。いつ来るか分からないから、一生懸命泳ぐしかない」 数多くの破綻寸前の企業を買収しては見事に再生させてきた永守さんの手腕に期待がかかります。同大では1つの科目で半期に3回無断欠席するとイエローカード、5回でレッドカードとなり単位を与えない制度を導入するなど、永守さんらしい改革も着々と進んでいます。♥♥♥

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「中華そば熊猫」

◎週末はグルメ情報!!今週は中華そば

 別府駅から徒歩5分の場所に、2022年6月20日に新しくオープンした「別府中華そば 熊猫」中華そば」が美味しい、という噂を聞きつけ、歩いてもよかったのですが、足のまだ不自由な私は、JR別府駅からタクシーを利用しました。このタクシーが実にひどかった!駅に隣接する「観光案内所」で道案内の地図を書いてもらい、それを高齢の運転手さんに差し出して、連れて行ってもらうようにお願いしました。「なんだ、駅のすぐそこじゃないか!」と不機嫌そうな顔で、老眼鏡で地図を見ておられます。タクシーは小さな路地に何度も入っていくのですが、見つかりません。ぐるぐると駅周辺を回っておられますが、一向に辿り着く様子がありません。しまいには、「こんな小さな地図では分からん!」とキレる有様。歩いた方がよっぽどよかった、とつくづく後悔しました。ノロノロ運転でようやく着いた場所が、さっき通ったばかりのところでした。何分かかったんだ!?こんな素人運転手さんにあたったら、別府の印象が非常に悪くなってしまうところでした。ただ翌日、宿泊先の「杉乃井ホテル」から別府駅までお願いしたタクシーの運転手さんは、非常に丁寧で至れり尽くせりの案内で、初日の悪印象は払拭されましたが。「別府のことを何にも知らない運転手が多いんですよ」という言葉に、大きくうなずく私でした。

 こちらのお店「別府中華そば 熊猫」は、豊後高田市に店舗を構える大人気な「中華そば 山猫」さんがプロデュースをしています。「山猫」は、鶏や豚、煮干しをメインとするスープが特徴の本格中華そばを振る舞う人気店です。「熊猫」はフランチャイズ1号店で、同場所でもんじゃ焼き店「味もんじゃ」を営む長尾道代さんが、「山猫」店主・塩崎繁さんの力を借り、ラーメン店ののれんも出すことにしました。看板メニューの「中華そば」(790円)は、豚骨と数種類の魚介類からだしを取り、しょうゆ味に仕立てたものです。麺はしこしこした食感の中太麺です。

 店内は小上りとカウンター席のいたって小さな小さなお店でした。

 いい香りを漂わせながら目の前に到着しました。食欲を掻き立てる香りと見た目にうっとりの「中華そば」です。一口スープをすすると、魚介の香りが口の中にじんわりと広がります。

 まずは、スープを一口飲みます。 魚介のおダシがたっぷりと堪能できるスープは旨味が凝縮しています。後味はあっさりとしていて飲み干してしまいそうになります。スープと共に口に入る玉ねぎがアクセントでしょうか。

 のど越しの良い中太麺は、つるっとモチっとした喉越しがよく、中華スープとよく絡み相性が◎。チャーシューを持ち上げようとしたところ、想像以上の大きさ・厚さにビックリです。こんなにも厚みがあるのにホロホロです。そして、チャーシューがスープの旨味も吸っていて絶品です。チャーシュー麺にしたらとんでもないことになるところでした。正解、正解!肉厚のメンマも美味しい。♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(24)~学生にマンションを

 故・渡部昇一先生は、研究論集の編集や読書会に自由に使ってよいと、信頼のおける大学院生2~3名に、上智大学のご自分の研究室の合鍵を渡しておられました。先生がおられないはずの時間帯に、部屋から声が聞こえてくるので、他の教授から怪しまれたこともあったそうです。これでは保安上よろしくないとお感じになったのでしょう、ある日、ふと先生が、江藤裕之先生(現・東北大学大学院教授)にお尋ねになります。「江藤君、高円寺あたりでワンルームマンションを借りるとだいたいいくらくらいになりますか?」と。江藤先生はびっくり仰天されます。エーッ、まさか先生が寂しく一人暮らしをされようというのか?不動産投資か?などと考えをめぐらせていると、「諸君らが集まって読書会をしたり、自由にだべったりする、そういう空間があればよいと思うのですが」と、大学院のゼミ学生のために部屋を借りてくださろうというのです。大学にももちろん英文科の学生用に研究室はあるにはあったのですが、共同使用で授業もそこで行われるため、自分達だけで使うことはできませんでした。学生がしっかり勉強するためには、専用のスペースが必要だと思われたのでしょう。その頃、先生の三番目のお子さんが留学を終えられる時期で、もう一人子どもがあったものと考えて部屋を借りられたのでした。部屋を探して来い、ということになり、ゼミの仲間たちといろいろと当たって、四ツ谷の大学から歩いて10分くらいのところにマンションを借りていただきました。当時で10万円(!)ほどしたそうです。大学院生が自由に研究・議論する場です。その部屋で、古英語やドイツ語そしてラテン語の読書会や勉強会を主催して、多くの後進たちを育てました。なにしろ学生たちが自発的に、かつ自由に集まって開く読書会・研究会ですから、力もどんどんつきます。渡部先生ご自身は、一度もその部屋には来られることはありませんでしたが、かたく禁じたことが二つだけありました。「タバコと麻薬は厳禁です。それ以外のことは酒もビールも含めて何をやってもかまいません」との訓示でした。

 この先生の訓示を厳格に守って、マンションは、その後もずっと勉強会に使われましたが、2000(平成12)年に渡部先生がいよいよ上智大学を去られる時に、その「事務所」も閉じられました。それまでずっと、先生は数ヶ月に一度、家賃・光熱費として小切手を切っておられたのです。ここら辺の事情については、渡部昇一『人生の出発点は低いほどいい』(PHP出版、2007年)や、江藤裕之(編)『学問こそが教養である』(育鵬社、2019年)に詳しく書かれています。渡部先生がこのような弟子思いの師であったことは、あまり語られることはありませんでした。♥♥♥

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快速「マリンライナー」のマリンパノラマ席

 岡山駅高松駅を瀬戸大橋経由で結ぶ「快速マリンライナー」(5100系)。通勤・通学客で混雑するのに加え、出張客や旅行客なども利用するので、5両編成の列車はいつも大混雑しています。この瀬戸大橋線は、JR西日本のドル箱路線なんですね。「快速マリンライナー」は、特急列車並みの時速130キロで運行されているため、岡山駅から高松駅までの71.8㎞の距離を約55分で結んでいます。およそ30分に1本の運行なので、待てば座ることはできますが、4両ある普通車自由席は、関西地方を走る新快速と同じシートの配列で、悪くはないのですが、混雑時は結構窮屈です(写真下)。先頭車は二階建て車両のグリーン車です。


 1号車は指定席とグリーン席となっていて、2号車から5号車が自由席となっています。2階建て車両の1号車1階部分が通常の指定席となっていて、2階部分と運転席のすぐ後ろにあたるパノラマ席がグリーン席となっています。2階のグリーン席に行くには螺旋階段を少し上がっていきます。車内はカーペット敷きで落ち着いた雰囲気です。青を基調としていますから、海(マリン)を意識しているのでしょう。やはり2階は眺めがいいですね。座席配置は2+2人の横4列構造で、全部で8列あります。テーブルは、座席背面式の大きめのテーブルです。座席背面には、コートフックや網状マガジンラックもあります。マリンパノラマと呼ばれる、運転席のすぐ後ろの4つの座席が特に眺めが抜群です。私もこのマリンパノラマ席を取って、瀬戸内海の眺めを堪能しました。瀬戸大橋」を渡っている時間は、約10分ほどです。

 この席は運転席のすぐ後にあるため、前面展望も広がっていますし、横の窓も大きくとられていて、瀬戸内の海や四国島内ののどかな風景を眺めることができますよ。パノラマグリーン席は通常の乗車券とは別にグリーン料金がかかります。他のグリーン席とは隔離されており、荷物を置くスペースも完備されているので、スーツケースや大きな荷物も存分に置くことができます。ブランケットがシートポケットに完備されているので、エアコンが苦手な人にも優しい配慮がなされています。

 「瀬戸大橋」の上を渡る際には、幾分スピードを落として走ってくれるので、瀬戸内海と瀬戸の島々の景色を楽しむのには絶好の列車だと思います。

 この車両、2004年、鉄道友の会回選定の「ブルーリボン賞」、(財)日本産業デザイン振興会の「グッドデザイン賞」をダブル受賞しています。地域の象徴として誇れるデザインを目指した外観の形状、「瀬戸内海の深い紺」「夕日に輝く茜」をベースに美しく変化する彩りを外板、室内にアレンジ、香川県と岡山県が「桃太郎経済圏」にあることを表す桃太郎のワンポイント、などが受賞理由となりました。♥♥♥

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「おりづるタワー」で次世代サミット

 5月19日に開幕した先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)では、各国首脳の配偶者も〝外交〟に一役買いました。岸田文雄首相裕子夫人が案内役を務める「パートナーズ・プログラム」。19日は首脳とともに平和記念公園の慰霊碑に献花。その後はシンポジウムに参加し、地元の学生100名以上と交流しました。その舞台となったのは、原爆ドームにほど近い「おりづるタワー」(広島市中区)です。平成28年にオープンしたこの新たな観光名所には、地元企業の平和への願いが込められています。私は先週G7サミットの直前に、生徒達にこの場所を紹介し、ぜひこの場所を訪れてもらいたいと話していただけに、夢が実現しました。私は広島を訪れる度に、原爆ドームに手を合わせ、お隣にあるこの建物に登って、広島の街を見渡しています。

 5月19日、岸田裕子内閣総理大臣夫人は、G7首脳配偶者と共に、「おりづるタワー」で開催された次世代シンポジウム第2部に参加しました。この行事には、ジル・バイデン米国大統領夫人、ブリッタ・エルンスト・ドイツ連邦首相夫人、アクシャタ・マーティ英国首相夫人及びハイコ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長夫君が参加しました。シンポジウムでは、裕子夫人が挨拶を行い、G7首脳やその配偶者のみならず、皆が等しく平和を目指す大事なプレイヤーであり、広島の若い世代から世界中に平和の祈りの輪が広がっていくことを願うとともに、参加者自身と平和との関わり方に新たな気づきを得て、平和に向けた歩みを更に進めていただききたい旨を述べました。続いて、G7首脳の配偶者は、登壇者やシンポジウムに参加した広島の若者と平和構築について対話を行っています。G7首脳配偶者から平和の意味について問われた参加者からは、多くの手が挙がり、「互いの幸せを願うこと」「自分らしく生きていけること」等、自らの言葉で次々と意見を述べ、活気あふれる交流の場となりました。シンポジウムでは、ユニセフボランティアとして“Lasting Peace”プロジェクトを展開している歌手のAIさんがサプライズで登場して、G7首脳の配偶者を含む参加者と共に「Lean on Me」をアカペラで歌唱し、会場は温かい一体感に包まれました。なお、裕子夫人は、この行事に参加するに当たって、次世代と創るサステイナブルな未来へのメッセージを込めて、ペットボトル由来の100%再生素材の糸を使って編み上げた、CO2排出量が少なく、環境にやさしい日本のサステイナブル・ファッションを着用しました。

▲おりづるタワー最上階から原爆ドームを見下ろす

▲原爆の子の像

 「平和というのは、隣と隣の間に壁を立てないことだ」19日夕に開かれた「次世代シンポジウム」で、裕子夫人ら配偶者5人にそう語りかけたのは、被爆して12歳で亡くなり、平和記念公園内の「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(ささきさだこ)さんの兄、雅弘さんでした。禎子さんは白血病を発症し、回復を願って病床で折り鶴を折り続けたことで知られます。いつしか、広島には世界中から折り鶴が寄せられるようになり、平和を願う広島のシンボルとなりました。「おりづるタワー」の名称も、そんな背景に由来しています。

▲おりづるタワー最上階の展望台

 タワーを運営するのは、自動車販売などを行う広島マツダです。元々は、昭和53年に建てられたオフィスビルでしたが、原爆の爪痕を象徴する原爆ドームと復興した広島の街並みを同時に見渡せる立地を生かそうとマツダが買い取り、展望台などを備えた施設としてリニューアルしました。昭和8年にタワー近くで創業した同社も、原爆で社屋が倒壊し、社員全員が死亡したという歴史があります。シンポジウムで登壇した同社の松田哲也会長は、「広島の街の景色や、廃虚から立ち上がった人たちの強さを示したい」と、タワーに込めた思いを語りました。これまでに約67万人が来場しており、「広島の地だからこそ伝えられる悲惨さ、感じられる平和がある」と言います。

 首脳の配偶者5人は、広島で生産されたビーズ540個で作られた折り鶴のブローチ(1個6時間かけて手作りされた)を身につけてシンポジウムに参加しました。「おりづるタワー」で、平和について地元の若者100名以上と意見を交わしました。広島県出身の裕子夫人は、ブローチの材料となったビーズはアングロサクソン語で「祈り」の意味がある言葉が語源だと紹介し、「一つ一つは小さな祈りだが、集まると世界を動かす力になる」と平和への思いを語りました(5月22日・広島ホームテレビ「ピタニュー」による)。裕子夫人はまだ独身時代、マツダの秘書室に勤務しておられました。通訳養成学校において、当時の彼女が抜群に英語ができたことを、先生であった田邉祐司先生(専修大学教授)が思い出を記しておられます。⇒「田邉祐司ブログ 常時英心言葉の森から2.0」コチラです

 G7首脳の配偶者は、おもてなしや、平和・友情・希望といった意味が込められた装花で彩られたテーブルを囲みながら、地元広島の旬の食材に加え味噌など用い「発酵」をテーマにしたフランス料理を楽しみつつ、事前に参加した次世代シンポジウムの感想を述べ合うなど、交流を深めました。♥♥♥

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スキマ時間の使い方

 故・竹内 均(たけうち ひとし)先生(東京大学名誉教授)から教えてもらったことの一つに、「15分活用法」というのがあります。チョットした「スキマ時間」を上手に使うことで、結構なことができる、ということを竹内先生は自らの行動で実践しておられました。東京大学の地球物理学の教授、雑誌『ニュートン』の編集長、代々木ゼミナールの校長、休日は全国を講演に飛び歩かれる中で、TVやCM(メガネの三城)にも出演、さらにはあれだけの膨大な論文・著作(500冊以上)を残されるには、皆に平等に与えられた24時間を上手に使うしかないのでしょう。竹内先生は夜8時に寝て、朝4時に起き勉強する、というスタイルを終生変えることがありませんでした。そして、それを支え続けたのは竹内先生の奥様でした。研究に講演会にTV出演にと多忙な先生のために、毎朝4時に起床し朝御飯を作り続けたそうです。さすがに、先生も夫人には頭が上がらなかったようです。

 辞典の仕事というのは、根気の要る時間のかかる作業ですが、私はスキマ時間を使って、英字新聞をカードに貼り付けたり、読書、教材の活字化、メール、などを手際よくこなしています。「先生、忙しいのに、よくこれだけ毎日のようにブログの更新ができますね」と言って頂く先生が結構おられるんですが、実は、チョット暇のある時間を利用しては、パソコンに向かいメモ感覚で打っておくんです。今確認したら1,515本の下書き原稿が登録してありました。約4年分(!)の記事が出来上がっていることになります。それにタイムリーな話題を時々はさんでいるだけなんです。私が「リスニングのコツ」でよく話す、「先へ、先へ 前へ、前へ」の精神です。私は朝は6時半に北高に登校して、始業時の8時過ぎまでの2時間あまりを、今日の授業の準備やら、添削の用意、指導資料の作成、質問にやってくる生徒の対応、などに充てています。どうせ家にいても大したことはできないので、それなら少しでも朝の時間を有効に使おうと、このようなことをもう長年続けています。先人の言う「チリも積もれば山となる」チョットしたことでも、長年続ければ大きな成果が得られるものです。かつて英語科の若い先生の中にも、私よりも早く来る新規採用の女先生が現れ始めました。とても頼もしく感じていました。彼女は私よりも早く登校して研究室でコーヒーを入れて私を待ってくれていました。私も持てる知恵を惜しみなく彼女に提供します。そんな生活が2年間続きました。そして私は定年退職を迎えます。以降の仕事は一切お断りして、悠々自適の生活を3ヶ月ほど送りましたが、彼女が6月からアメリカの大学院で学びたいというので、彼女のお留守番を引き受けたのが、私が北高に復帰した理由です。他の人なら絶対に引き受けることはありませんでした。なにせ2年間のコーヒーの恩がありますからね〔笑〕。

 私は週に3日米子東高校に通っていますが、バス・電車の中のスキマ時間も貴重な時間です。新聞を四紙読んで気になる記事はビリビリに破いておき、家に帰ってからスクラップします。トランプは常にカバンの中に入れてあって、腕がなまらないように、カウントの練習やファンの訓練、パケット・トリックの手順確認を欠かしません。電車に乗る前は、少し早めに行って、松江駅の「ドト-ル」「スターバックス」で、コーヒーを飲みながら、ブログ記事の原稿や模試の「見直しプリント」の校正を行っています。

▲喫茶「ドトール」でブログ記事の校正を

▲模試の度に配布する「見直しプリント」の校正もここで

竹内先生の本はどれも勉強になりますが、1冊だけと言われれば、『勉強術・仕事術 私の方法』(知的生き方文庫)をお薦めしておきます。「頭をよくする特効薬」「忙しい人の時間の有効な使い方」「頭を鍛える本の読み方」「頭の疲れをとる3つの方法」など、具体例をふんだんに使いながら、アドバイスが分かりやすく書いてありますよ。竹内先生には、若い頃本当に多くのことを教えてもらいました。感謝です。

 よく「時間が無い…」「忙しくてできない…」「時間が足りない…」と、言い訳にグチばかりこぼす人がいます。上の竹内先生の生き方「15分活用法」を参考にされるといいと思います。時間はひねり出すのです。「ミスター講道館」と言われた日本柔道の創始者・オリンピック競技の功労者でもあった嘉納治五郎先生は、学生に対して常にこんなたとえ話をしていたそうです。時間は工夫して作るもの、という教えです。♥♥♥

 よく時間がない、時間が足りぬとかこつける人があるが、時間というものは、たとえば泉の水のように、いくらでも出て来るものである。たとえばここに一升枡があるとして、その中に粟を一升入れたら、もう何も入らないかといえば、決してそうでなく、その粟の間に豆粒を入れれば、まだ大分入るわけだ。もうそれで入らないかといえば、その間に粟粒を入れたらまだ相当入る。それに水を入れたらまだまだ入るだろう。そのように時間の活用には、上には上があるもので、それをもっとも有効に利用したものに、もっとも立派な仕事ができるものだ。

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兵庫県立美術館

 「兵庫県立美術館」は、兵庫県神戸市にある平成14年(2002年)創立の美術館です(前身は「兵庫県立近代美術館)。阪神・淡路大震災」後の、文化の復興のシンボルとして開設されました。国内外の美術作品などを幅広く収蔵・展示しています(収蔵品は1万点以上)。震災からの神戸市復興計画の中核プロジェクトとして開発された神戸東部新都心(HAT神戸)に、文化復興のシンボルとして建設されたものです。建物の設計は、建築家の安藤忠雄(あんどうただお)さんで、私は安藤さんの建築にとっても興味があるので、2017年の12月頃、夕方の「ハバーランド」からタクシーを飛ばして見に行ってきました。

▲兵庫県立美術館円形テラス

 1〜2階外壁は「震災前の阪神間」をイメージした割肌調御影石、3〜4階は「復興の未来」をイメージしたガラスカーテンウォールで、カーテンウォール越しにコンクリート化粧打放し壁が配置されています。施設全体が、隣接する水際公園やハーバーウォークなどの周辺環境と一体となった開かれた空間となっているんです。延床面積27,461㎡の、西日本最大規模を誇るこの美術館の特徴は免震装置。積層ゴムアイソレーター190台、鋼棒ダンパー173台、鉛ダンパー76台からなる免震装置により、建物と収蔵品を阪神・淡路大震災級の地震から守ることができる構造となっており、美術館としてはもちろん、すべての免震構造建物の中でもトップクラスの規模です。海を間近に臨むユニークな外観は、周囲に設置された彫刻と共に屋外からも楽しむことができます。

 設計者である安藤忠雄さんの、こだわりと妥協を許さない姿勢は圧倒的で、その勢いに応えるだけの準備と心構えが施工側に求められました。外壁の石(御影石)決定までに約1年間の検討期間を要したほか、自然光を取り込んだ展示室のトップライトでは、工場を借りてモックアップによる実験を実施しました。安藤作品ならではの打放しコンクリートの品質を上げるために、コンクリート打設は、JV職員も全員参加。その甲斐あって、外部にある円形テラスの出来映えに対し、安藤氏から、「世界に誇れる技術である」との評価を受けました。海外からの見学者も増えています。作品を見た後は、美術館の外へ出て、運河とその向こうに見える神戸港を見つめるが最高の景色です。作品を見た後の最高のデザートになると思います。

 「地域に開かれた現場づくり」を方針として掲げ、仕事はやる気と熱意、苦労した現場は肌で感じる」をモットーに、平均年齢31歳という若い職員たちがアイデアを出し合って、さまざまな取り組みを行いました。仮囲いに工事のイメージイラストを描き、一部を透明にして施工状況がわかるようにしたり、朝礼後には隣接する公園の清掃や夏場の散水を行い、散歩に訪れた地域住民とのコミュニケーションを図りました。さらに設計のラフスケッチや模型、免震装置の概要などを展示した資料スペースは、国内外からの見学者に好評を得ています。2001年9月30日、引き渡しを完了。翌年4月6日に開館を迎え、一般公開が始まりました。館内には、工事に携わったすべての人が記名した巻紙が収められているそうです。館内には、企画展示室や常設展示室、海がのぞめるレストラン、講演などで使われるミュージアムホールやレクチャールームなどがあります。

 1703年ピョートル大帝によって建設され1712年から1918年までロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルクにある世界3大美術館の一つと言われる「エルミタージュ美術館」には、歴代皇帝達による素晴らしい絵画のコレクションがあります。今回は、兵庫県立美術館」でその素晴らしい名画85点が展示される「大エルミタージュ美術館展オールドマスター西洋絵画の巨匠たち」が開催されていました。流石にロシアの皇帝達が収集した絵ということで展示されていた絵はどれも素晴らしいものばかりでした。観覧料は一般¥1,600、大学生¥1,200で、高校生以下は無料とのことでしたので、いかに若い世代を優遇し、若 い世代にも沢山観てもらおうという意図も感じられましたが、70歳以上は¥800という高齢者にもとても優しい料金体系でした。休館日は基本的には月曜日で、開館時間は10時から午後6時まで、又金曜日と土曜日は午後8時までとのことでした。♥♥♥

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ペッパーミルパーフォーマンス

     侍ジャパンの塁上でのあのポーズが注目されました。両手を上げてひねる動作は、まるで塩コショウを回しながら出すあの動きに似ていますよね。「ペッパーミルポーズ」と言われているそのパーフォーマンスは、WBCが始まるまでは日本では全く無名であったラーズ・ヌートバー選手が、大活躍して侍ジャパンのメンバーに広めたものです。全国のお店では、業務用のペッパーミル(こしょうひき)が爆発的に売れているといいます。お店の便乗商法も報道されていますね。大分県高崎山自然動物園で、今年最初の赤ちゃんザル(雄)が「ペッパーミル」と命名されたことが新聞に載っていました〔笑〕。何だかその意味も分からずに全国に広まってしまい、真似をする子どもたちも多いようです。その真の意味を考えておきましょう。

 「ペッパーミルポーズ」の意味には、実は3つの説があります。

①「バッター(ランナー)をどんどん回してつなげていこう!」 

ペッパーミルを回す動作から、「バッターやランナーをどんどん回していこう!」という意味だとされている説。


②「ランナーや点を“絞り出して”いこう!」 

ペッパーミルが別名『ペッパーグラインダー』とも呼ばれていて、グラインド(grind)とは「絞り出す」という意味があるため、「ランナーや得点を絞り出していこう!」あるいは「持ってる力を絞り出そう(常に最善を尽くそう)!」という意味だとされている説。


③「身を粉にして働こう!」 

グラインド(grind)が「すりつぶす・粉にする」という意味もあるため、「身を粉にして働こう!」という意味だとされている説。

それを野球の塁上で行うポーズであることを踏まえると、上の3つを総合して「どんどん回していこーぜ!!」「どんな手を使っても頑張って粘り強くつなげていくぞ!」というニュアンスだと考えるのが自然かなと思っています。

 実はこの「ペッパーグラインダーポーズ」は、アメリカメジャーリーグのカージナルス独自のパフォーマンスであり、メジャーリーグやアメリカ全体に浸透しているものではありません。あくまでもやっているのはカージナルスの選手だけで、完全にカージナルス発祥のパフォーマンスです。この「ペッパーグラインダーポーズ」は、2022年にキャッチャーのキズナーが、「We are grinding.(粘り強くいくぞ)」と声をかけたことから生まれたと言われています。このカージナルス由来の「ペッパーミルポーズ」が、どのようにして侍ジャパンで浸透するようになったのか?それは大谷翔平選手とヌートバー選手の何気ない会話から始まったといいます。ヌートバー「そうですね。翔平と色々話して、エンゼルスでチームセレブレーションの時どんな事やっていたの?」と聞いたら、「あまりエンゼルスはセレブレーションがないんだよね、カージナルスはどうなの?」といった会話をしたと言います。侍ジャパンで一緒になったのを機に共有しようと。そんな感じの流れから、いつの間にかチーム全体に「ペッパーミルポーズ」が浸透していったものです。

 この「ペッパーミルポーズ」が、最近、選抜高校野球大会でも波紋を広げました。1回戦初回に東北高校の選手が相手チームのエラーで出塁した際に、ベンチに向かってこのパーフォーマンスを行いました。ベンチ内の数選手もこのポーズをしました。攻撃後に一塁塁審がベンチに来て「パーフォーマンスはダメです」と注意を受けたといいます。東北高校の佐藤洋監督が試合後に、問題提起を行いました。佐藤監督「これだけ野球界が盛り上がっているのに。なんでこんなことで、子どもたちが楽しんでいる野球を大人が止めるのかな。ちょっと嫌というか。変えた方がいんじゃないのかなと。ちょっと思いましたね」と残念そうに話しました。「ちょっと違う高校野球のスタイルをやっていかないと。野球を選択する子がいないし、ああいうパーフォーマンス、日本中が盛り上がっているパーフォーマンスを審判の方から注意される。ぜひ書いてください。私が言っていたでいいです。私に火の粉が飛んできていいので。それは僕は大反対なので。もう少し子どもたちに自由に野球を楽しむということを、もうちょっと考えてもらいたいと思います」と願いました。大会本部は「高校野球としては、不要なパーフォーマンスやジェスチャーは、従来より慎むようにお願いしてきた。試合を楽しみたいという選手の気持ちは理解できますが、プレーで楽しんでほしい」と見解を発表しました。その後甲子園ではこういったパーフォーマンスは見られなくなりました。

 青山学院大学の駅伝部原 晋監督も、この件を報じたニュースを取り上げ、「いまだにこんな管理者(審判)いるんだ!?」と驚いた様子。そして「世の中個性を大切にしようと言っているのに、他者を侮辱行為してないパフォーマンスに対して制限するなんて不思議でならない」と持論をつづり、「負けるな高校球児!高校野球は君たちの為にあるのだから!」とメッセージを記しました。はたしてそうでしょうか?

 「子どもたちは楽しんでやっているのになぜ大人が止めるのか」というのが反論の主旨のようですが、高校野球は教育の一環であり、相手選手への敬意、スポーツマンシップは一番大切な伝統です。今回は、相手のエラーで出塁した際に、このパーフォーマンスをやったことが問題です。楽しくやろうという気持ちは分からないでもありませんが、相手のミスでやってはいけません。メジャーリーグでこんなことをやろうものなら、侮辱と受け取られてすぐに報復を受けます。さらにはその意味するところも知らずに、ただブームに便乗して形だけを真似するのもいただけません。♥♥♥

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「古民家バル」

◎週末はグルメ情報!!今週はイタリアン

▲「古民家バル 旧藤本亭」

 倉敷駅から徒歩5分ほどのところにある古民家イタリアンのお店「古民家バル 旧本藤亭」(ほんどうてい)にお邪魔しました。「共通テスト」の講演にお邪魔した笠岡高校の英語科の先生方とご一緒です。私は股関節のリハビリを兼ねて、地図を片手にホテルから歩いてみたんですが、名前の通りまるで普通の民家のような店構え(写真上)なので、探すのに一苦労しました。通りで町の方に聞くと、目の前の民家を指さされました。分からないはずです〔笑〕。

 店舗は「最低でも築60年はたっている」という古民家を改装したもので、カウンター席や個室も備え、大きなガラス張りの窓からライトアップされた庭園が見渡せる造りで、実におしゃれなイタリアンのお店です。

 英語科(+国語+体育)の先生方と教育について語り明かしながら、とっても美味しい料理をいただきました。お肉もピザも絶品でした。帰りもホテルまで歩こうとしたんですが、道に迷ってとんでもない方向へ出てしまい、グルグルと歩き回っていました。タクシーはつかまらないし、途方に暮れましたが、親切なセブンイレブンの店員さんがタクシーを呼んで下さり、ホッと一安心しました。ホテルで大浴場に浸り、しっかりと休んで、翌日の講演に備えました。♥♥♥

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『多読多聴マガジン』

    (株)コスモピアから隔月で出ている語学雑誌『多読多聴マガジン』の6月号が、AI特集「無料AIツールを英語力強化に使い倒す」を組んでいます。今話題のChatGPT、 New Bing、 DeepLなどのAIアプリを、英語力強化に利用しようという特集です。参考にできるところは、活用したく思います。

 最近のAIの進化はすさまじく、もはやお金さえ出せば大抵のことはできそうです。しかし、まずは無料でどこまでできるのかチャレンジしてみようというのがこの特集の主旨です。英語学習に役立てるには、自分はどこが弱くて、どこを強化したいのか、そのためにどのAIツールをどう使えばいいのかを知ることからスタートです。うまく使いこなすにはコツも必要です。たとえば今話題のChatGPTであれば、「TOEICテストで800点を超える鍵となる単語50をリストアップしてください」→「最初の1文字を小文字にしてください」→「品詞を付け加えてください」→「日本語訳を付けてください」のように対話を重ねていくことで、自分の理想の語彙リストに近づけることができることが紹介されています。Grammarly、Chat.D-ID、Otter、Eleven LabなどのAIツールの特性をつかんで、「自分仕様の英語力強化コーチ」として存分に活用することができます。次のような記事が見られます。

[記事1]  9つのAIツールの機能と始め方
[記事2]  最新 無料AIツール徹底活用法(岡本茂紀)
[記事3]  AIを活用して英語ライティングからスピーキングにつなぐ(門田修平)
[記事4]  ChatGPTで効果的なプロンプトを作るための3つのポイント

 何かと話題のチャットGTPに代表される生成AIを巡っては、文部科学省が、学校現場での取り扱いを示す活用ガイドライン(指針)を、できるだけ早期に(今夏?)公表するとしています。中央教育審議会の特別委員会(5月16日)で議論が始まったところです。

・生成AIの仕組みについての説明
・年齢制限や著作権・個人情報の留意点
・活用が考えられる場面
・禁止すべきと考えられる場面
・生成AI自体を学ぶ授業アイデアなど

 今年の名古屋大学の卒業式では、杉山直総長がチャットGTPで作成した祝辞を披露して、「もっともらしいけど空虚。皆さんは人間らしく失敗を繰り返しながら、勇気ある知識人として活躍してほしい」と結びました。また京都大学の入学式で、湊長博総長が、AIで書いたリポートは、サーチ(検索)はあってもリサーチ(研究)がなく誤情報が含まれる危険性がある、と警鐘を鳴らしています。おっしゃる通りです。座布団2枚!!♥♥♥

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(新)伸びる生徒

 私は松江北高で現役時代からずっと、生徒をじっくり観察していて、英語の学力が飛躍的に伸びる生徒には「共通点」があることに気づきました。全国の講演の度に、いたるところでお話してきたことですが、次の6つでした

①自分なりの「勉強の仕方」を確立している生徒 (これが最も重要)

②「基礎・基本」を大切にしている生徒 (基本の「キ」)

③「英単語力」のある生徒 (英語学習の8割までは単語!)

④「時間の使い方」のうまい生徒 (24時間は誰にも平等!)

⑤「素直な」生徒 (先生の雑談を面白そうに聞く、アドバイスに耳を傾ける)

⑥「読書好き」な生徒 (図書館の常連)

 「~でした」と過去形で話したのには訳があるんです。今までずっとこのように生徒たちに話していたんですが、去年の苦い経験から「⑦「休まない」生徒」を付け加える必要を感じたのです。昨年の松江北高補習科の生徒たちは、それはもうよく休みました。その休んだ生徒たちがことごとく志望校の受験に失敗しています。勝田ケ丘志学館の生徒たちも、設立当初は休む生徒などはほとんどいませんでした。当然高い志望校を掲げ、それに見事に合格していきました。しかし昨年はひどかった。まともに全員が揃った授業はほとんどありません。毎回3人~5人の欠席が目立ちました。これで難関大学が通るほど世の中は甘くありません。かなりの生徒が不合格になりました。やはり休まないで、「1時間の授業を大切にする」ことの重要性をひしひしと感じたことでした。コロナの影響もあって、休むことに対する抵抗が少なくなっているのも要因の一つだと思いますが、「家でやった方がはかどるので」などという信じられない考え方の生徒が目につきました。そこで今年度はを付け加えて、授業の冒頭で「休まずに1時間の授業を大切にしよう!」と呼びかけることから指導を始めています。が、残念ながらもうすでにこれは崩れ始めています。

 

 4番目に「時間の使い方のうまい生徒」というのがありますね。かつて、東京市ヶ谷・茨城土浦市の研究会「「不易な英語指導と徹底した分析で英語力をつける」研究会~英語は絶対に裏切らない~」(2018年6月16日・6月23日、ラーンズ主催)で、松江北高の卒業生の小川綾音(おがわあやね)さん(当時早稲田大学・文学部二回生)にスペシャル・ゲストで来てもらって、先生方に話をしてもらったんです。実にいい話でした。彼女は松江北高時代、通学に車で往復2時間、卓球部、ESS部、生徒会執行部、理数科の勉強、課外では数々のスピーチコンテスト優勝などと、充実した毎日を送っていました。彼女は「時間の使い方」が非常に上手だったということです。1日24時間は皆に平等に与えられています。「忙しい」と称して、ただ言われた決まり切ったことだけを淡々とこなしている人と、自分からいろいろなことに挑戦して自分の限界に挑んでみる人と、どちらが充実した生活になるかは明らかでしょう。⇒彼女のプレゼン報告はコチラをご覧ください

▲小川さんは高校時代手元の手帳で時間管理をしていた

 この研究会では、私が「勉強の仕方」について思うところを詳しく述べています。ラーンズの営業編集の方が、私の講演を要領よくまとめてくれていますのでご覧ください。当時私が重要だと思っていたことがびっしりと書き込まれています。まだ対面で私が全国を飛び回っていた頃の懐かしい思い出です。⇒コチラで読むことができます ❤❤❤

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あたりまえに感謝

 私は今から17年前に、心臓の手術を経験しました。学校の定期健康診断で見つかった心電図の異常から、日赤で診てもらうと、「無自覚性心筋梗塞」と診断され、即入院で翌日手術台に上がったんです。生まれて初めての入院生活でした。それをきっかけに次々と病気が発覚して、今では7軒の病院通い、11種類もの薬を毎日服用する身です。それ以来というもの、朝目が覚めると、「今日も目覚めることが出来ました。ありがとうございます。」と神様にお礼を言います。そして1日が無事に終わり、深夜ベッドの中でうとうと眠りに落ちる前には、「今日も1日無事に過ごすことができました。ありがとうございました。」と感謝の気持ちを捧げています。

 常日頃、私たちは心臓が動いてくれていることを、ごく当たりまえだと思っています。そのことをありがたいと思うことなどなく、感謝の思いを向けることもないのが私たちの日常です。心臓は1分間に約65回脈打ってくれます。1時間で3,900回、1日で93,600回です。1年では34,164,000回となります。途方もない回数、休むことなく心臓が働き続けてくれることで、私たちの毎日の生活は支えられているのです。なにげなく1年と言いますが、1年を「秒・分・時間・日」の単位で見つめてみるとどうでしょう?1年は365日8,760時間です。これは525,600分31,536,000秒にあたります。こうした具体的な数字に触れると、1年が何と愛おしく有り難いものであるかが実感できると思います。

▲心臓の手術に続いて天国の母が守ってくれました 毛糸の袋は叔母が作ってくれました

 昨年12月7日に、股関節人工関節を入れる手術を受けました。丸々1ヶ月病院での入院生活を余儀なくされました。ストレッチャーで手術室に運ばれて、いよいよ手術が始まるというそのとき、全身麻酔を担当していただく先生(偶然にも私が通っている米子東高校のご卒業でした)に、手術中にお守りをそばに置いておいて欲しいとお願いをしました。亡き母からもらったお守り(岡山最上稲荷)で、長年大切に肌身離さず身につけているものです。すると枕の下に入れておくからと言っていただき、手術が始まりました。それから後のことは全く記憶がありません。目が覚めると執刀医の先生の顔がボーっと浮かんできて、「八幡さん、無事に終わりましたよ。出血も500ccほどで輸血もせずにすみました」とのお言葉。枕元のお守りをギュッと握りしめて感謝しました。さて、個室に帰ってからが大変です。全く動くことが出来ません。紙オムツの生活です。自分一人では何一つできないのです。それが毎日のリハビリのおかげで、少しずつ少しずつ動かせるようになり、何とか車椅子で移動ができるようになり、しまいには杖に頼りながらでも何とか歩くことができるようになりました。今も週に一度、リハビリに通っていますが、「歩ける」ことは決して当たり前のことではないことに気づかされました。今では感謝感謝です。

 あらゆるものに支えられながら、支えられている、生かされている、願われている、のが私たちの生命です。いつ終わっても不思議ではない中で(「生命」は平等ではありません)、今こうして恵まれている命の驚きを、当たりまえではなく「おかげさま」と感謝しながら精一杯生きたい思っています。私は病気をすることで、そのことに気づかされました。若い頃は病気一つしたことのない健康体で、ありがたいと思うこともなく、感謝の思いを向けることもありませんでした。ごく当たりまえだと思っていました。今ではその不遜さを思い知らされ、健康のありがたみを実感する毎日です。

 今回入院するにあたって、執刀医の先生には、何とか「共通テスト」の本番前までに退院させていただきたいということをお願いしていました。幸い何とか「共通テスト」間際に復帰することができ、2時間ほど授業をすることができました。教室で生徒たちにまず伝えたのは、「当たりまえは当たりまえじゃない」ということでした。歩けるということも、目が見えることも、耳が聞こえることも、決して当たりまえじゃありません。かつて私は松江北高で、全く耳が聞こえない生徒を3年間指導しましたが、彼の日々のたゆまぬ努力を思い出していました。彼は一番前に座って、私の唇の動きを読んで授業を理解していました。彼は大阪大学を出て、現在、朝日新聞東京本社で活躍しています。生徒達に伝えたかったのは感謝の気持ちを忘れないようにしようということでした。毎日自分

▲親指と小指の向きに注目!

のことを心配してくれる両親・祖父母も当たりまえではありません。ここでちょっと手で親指と小指を立ててもらえますか?親指が「親」です。小指が「子ども」です。親は子どもが心配で心配で子どもの方を見つめて見守っています。それに対し、子どもはそっぽを向いて知らん顔ですね。これが普通の親子関係です。でも親元を離れて一人暮らしを始めると、初めてその有り難みに気がつきます。両親は有り難いものです。日頃からちょっとでもいいので感謝の言葉を伝えようという話をしました。おじいちゃん・おばあちゃんも、経験・知恵に裏打ちされた貴重な話をしてくださいます。ありがたく感謝しましょう。先人たちは、昔からそのことを諺にしてきました。「老婆は一日にしてならず!」〔笑〕。❤❤❤

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先輩のお話

 松江北高理数科の4月25日(火)の私の授業には、高校時代に英語を教えた二人の卒業生が訪ねてくれました。一人は仲井慧悟(なかいけいご)くん。京都大学大学院修士課程を終了し、今年から松江北高で「学校アシスタント」を務めています。仲井くんは京都大学の修士課程時代に「第4回西周(にしあまね)賞」(2021年)を受賞しています(⇒コチラをご覧ください)。もう一人は金井貴佳子(かないたかこ)さん、現在慶応大学環境情報学部(SFC)修士課程の2年生です。私は前回の授業でたまたま慶応SFCを話題にしていたところで、実にタイムリーな訪問でした。二人は高校時代の勉強法や大学生活について、後輩たちにメッセージを送ってくれました。二人共が強調してくれていたことは、大学に行っても「英語の勉強の大切さ」ということでした。特に理系に進む生徒諸君は論文や発表など、英語とは縁が切れないので、頑張るようにとのことでした。卒業生の言葉は、年齢が近いこともあって、八幡の話とはまた違い、生徒たちの心に響くものとなります。

▲仲井慧悟くん

▲金井貴佳子さん

 さて、今年度最初の「あむーる」(5月号)に、卒業生の北山あいさん(大阪大学人間科学部)が文章を寄せてくれました。彼女は「自己採点」の重要性について、自分の体験を踏まえて後輩たちに熱いメッセージを送ってくれています。「自己採点」については全国の8割以上の受験生が間違えており、それが合否に直結していることからも、私は毎年こんこんと話しているところです。ぜひお読みください。❤❤❤


・「あむーる」5月号 ⇒コチラで読むことができます

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commitが覚えられない!

▲私が手に持っているものに注目して下さい

 さて、昨日の続きです。岡山県立笠岡高等学校の講演で、私は「単語の暗記」に関して、丸暗記ではなく、「語根」を利用することで、忘れにくくなるし、応用力もつくことを解説しました。例として、capital①首都、②資本金、③大文字、④重要な、⑤死刑のといった多くの意味がある多義語」です。このことは、語根のcap-「頭」を考慮に入れておくとよくわかります。頭に立つ都市で「首都」、会社にとって最初に必要なお金で「資本」、頭にくるような「重要な」、文章の頭にくる文字で「大文字」、頭をはねられるような刑(ギロチン)で「死刑の」というように、語義の流れを理解することが可能になりますね。さらには、cap-で始まる単語にはいろいろありますcap(帽子) captain(主将)cape(岬) capture(捕獲する)など、すべて「頭」に関係する単語ですね。 さらにはcapable(能力がある)  cattle(牛) cabbage(キャベツ)captive(捕虜)escape(逃げる) chapter(章)などへと発展しそうです。私たちの『ライトハウス英和辞典』に載っている「語義の展開」図をご覧ください。これは島根県・津和野町出身の中尾啓介先生(電通大学名誉教授)の手になる労作で、高校現場の語彙指導にはずいぶん役に立つはずです。語彙の応用力にもつながるのが、このような学習法なんです。こういった話をさせてもらいました。すると講演終了後、司会の先生が質問を募ったところ、一番前に座っていた理系の男子生徒がこんな質問をしてくれました。

 「自分はcommitという動詞がなかなか覚えられなくて困っている。たくさんの意味があってそれが暗記できないのが悩みです。どのように理解したらよいのですか?」という、いい質問でした。確かにcommitは難しい動詞でいろいろな意味がありますね。

①犯す commit a crime/suicide(犯罪を犯す/自殺する)
②委ねる commit a child to him(子どもを彼に託す)
③収容する commit him to prison(彼を刑務所に送る)
④覚える commit a poem to memory(詩を記憶する)
⑤決意する、誓う commit myself to helping him(彼を助けようと決意する)

 丸暗記ではすぐに忘れそうですね。私は、commitは、com(一緒に、しっかりと)mit(送る)に分解することができるから、そこからこれらの意味を導き出すことができるんだよ、と回答しました。具体的には、こう考えれば、犯罪という行為の中に自分をしっかりと送り込む→犯罪を犯す()、子どもをしっかりと彼に対して送り込む→子どもを彼に託す()、彼を牢獄に送り込む()、詩を記憶に送り込む→詩を覚える()、自分自身を彼を助けることに送り込む→彼を助けようと決意する()、といった具合に、「一緒に送り込む」のイメージで全部がつながってきます。さらにはここから発展したcommittee(委員会)という単語は、(法案などを審議するために)一緒に送り込まれたグループのことをいうのです。「(法案を)委(託された人)員(による)会(合)」ということです。commissionも同様の意味です。多義語」はこのように必ずどこかでつながっているのです。ここが重要なポイントです。

 もう一つ具体例を挙げておきましょう。claimという動詞もいろいろな意味を持った多義語」です。①~だと主張する、②自分のものだと権利を主張する、③~を手に入れる、④(命など)を奪う、などの意味が辞典には出ています。これはclaimの元々の意味「大声で叫ぶ」を知れば、それぞれの意味が理解できます。「大声で叫ぶ」→「主張する」→「権利を主張する」→「自分のものにする」→「手に入れる、勝ち取る」→「(特に命を)奪う」という意味が出てきたのです。「大声で叫ぶ」という語源を知ることで、幅広いそれぞれの意味を頭の中で整理することができます。

 多義語を理解する際に重要な点は、デタラメにこれらの意味が出てくるのではなく、必ずどこかでつながっていることを意識するということなんですよ。♥♥♥

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笠岡高校に講演に行ってきました

 岡山県立笠岡高等学校「共通テスト」の講演に行ってきました。今回で3回目の訪問です。午前中(文系)と午後(理系)に分けて90分ずつお話をしてきました。どうやってやる気を出してもらうかに焦点を絞って、あらゆる角度からお話をさせていただきました。かつて笠岡高校を訪れたとき、一番前で私の話を聞いてくれていた女生徒が、単語集に極小の付箋(初めて見るもので、100均のダイソーに売れていると聞きました)を百枚以上貼り付けて勉強していたのを覚えています。私は松江に帰ってすぐ松江北高の生徒たちにこのやり方を紹介したものです。数年後偶然、松江市内の横断歩道で信号待ちをしているときに、「八幡先生ですか」と声をかけられました。「あ、あの付箋の子?」――「そうです」あの時の付箋の女生徒でした。聞けば、来月からアメリカに留学すると言います。それならと、料亭「みな美」で送別会をしてあげました(⇒詳しくはコチラをご覧ください)。こんな偶然の縁ってあるんですね。そんな笠岡高校の思い出話に始まって、「1.01と0.99の生き方」の話へと続きます。たった0.01(1%)の違いでも、一年続けるととんでもない差が付くことを見てもらいました。1%は1日にすれば、わずか14分です。「微差は大差を生む」のです。受験に失敗する人には共通点があります。「まあいいか、その一言でもう一年」なのです(⇒私の資料はコチラで見ることができます)。中でも一番大きいものが、「基礎・基本の大切さ」です。曜日名と月名を書いてもらいましたが、なかなか完答というわけにはいきませんでした。私は毎年授業の1時間目に浪人生にこれらを書いてもらいますが、ほぼ全滅状態です。あの駿台予備校で東大・京大・医学部を目指す受験生でも2割が間違えるといいます(竹岡広信先生談)。授業を大切にして、「練習は本番のように、本番は練習のように」臨むのが大切であることを強調しました。「当たり前のことをバカになってちゃんとやる」ことで「英語は絶対に裏切らない」ことを、数多くの実例で見てもらいました。正しい努力は報われるのです。そして努力には速効性はないので、コツコツと正しい努力を積み上げるしかないのです。

 「共通テスト」に関しては、全国の受験生で最も多い悩みの、①最後まで行かない、②単語が覚えられない、③リスニングが苦手、の三つについて、それぞれの対処法を具体例を挙げながら説明しました。最後に、「単語の覚え方」に関して理系の生徒から面白い質問が出ました。それは明日のブログでお話しします。熱心に一生懸命聞いてもらい、気持ちよく学校を後にしました。少しでも何かの参考にしてもらえたなら嬉しく思います。指導教諭の定藤先生にはお世話になりました。ありがとうございました。♥♥♥

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「黒チャーハン」

◎週末はグルメ情報!!今週はチャーハン

 私は永谷園「チャーハンの素シリーズ」(えび、かに味、焼豚、五目、あらびき黒胡椒ガーリック、にんにく)は大好きで、自分でもよく作って食べています。これは、1978年の発売以来、卵とご飯さえあれば、パラッと簡単においしいチャーハンが作れることから、重宝しているんです。昨年から頻繁に流れるテレビCMでは、出川哲朗(でがわてつろう)「黒チャーハン出た!!」と宣伝しているので、一度買って食べてみたいと思っていたんですが、商品がどこにも売っていないんです。松江日吉津イオンにも、みしまやにもHOKにもありません。なぜかどこにも置いていないんです。ゴールデン連休中に遠出して、山代HOK(ホック)をのぞいてみました。なんとここにあったんです!

 「黒チャーハンの素 香ばししょうゆ味」(税抜138円)です(2022年3月7日より全国で新発売)。家の調味料ではなかなか出せないお店の味わいを、家庭で手軽に作ることができる商品です。家で食事をする機会が増えた今、家族みんなで楽しむことのできる新メニューをシリーズに加えることで、市場の更なる活性化を図っています。

■商品特長
・卵とご飯を用意してフライパンで3分炒めるだけで、パラッとした本格的なチャーハンができあがる粉末のチャーハンの素です。手間いらずがいいですね。
・ポークエキスで肉感のある味わいを、ロースト感のある醤油で強い火力で炒めたような香ばしい醤油感を表現しました。
・レタスや白ネギ、焼豚等、お好みの具材を加えてもおいしく召し上がることができます。

 そこいらの変なお店のチャーハンよりも、ずっと美味しいインスタント製品ですよ。♥♥♥

▲こんな感じになります

 

 

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「ちゃんく」

◎週末はグルメ情報!!今週はシューマイ

 南殿町商店街に焼売テイクアウト専門店「手作り焼売 ちゃんく」が、2023年4月18日にオープンしました。場所は松江市殿町の南殿町商店街。大手前通りとの交差点そば、「サイクルショップおおくぼ」さんの道路を挟んで向かい側になります。最近自転車でこの前を通ることが多く、「一体何のお店だろう??」と、気になっていたところでした。お店を外からのぞいても誰もおられないので、余計に興味が湧きます。

 手作り焼売 ちゃんくは、新規オープンの焼売(しゅうまい)テイクアウト専門店でした。シューマイの専門店って松江では珍しいですよね。島根県産ブランド豚「石見ポーク」を100%使用したシューマイです。あっさりしていながらもタレが無くても美味しく食べられる、そして何よりもこだわったのは家庭料理のような安心と優しい味です。だから手仕込み、そして手作りで一つ一つ丁寧に作っておられます。

 お店の名前は響きが可愛らしいので「ちゃんく」(chank)にしたそうです。英語ではchunk(肉のかたまり)ですが、あえてaの綴りにされたそうです。焼売は「にくしゅうまい」をはじめ「えびしゅうまい」「コーンしゅうまい」「イカしゅうまい」「麻辣しゅうまい」などいろいろの種類があります。平日に限り、数量限定のお弁当もあるそうですよ。私は試しに「にくしゅうまい」を4個買って帰りました。ここでは4個、6個、10個単位で購入します。早速食べてみますが、おしょうゆもからしも何もつけなくても味が濃く美味しいです。これはいろいろな種類を試してみたくなります。翌日には「エビシューマイ」、翌々日には「麻辣シューマイ」にチャレンジしました。実に美味しい!ご飯が進みます。休業日は日曜日と祝日。営業時間は午前11時~午後6時ですが、売り切れ次第閉店します。口コミでお客さんが増えています。私は全種類一通り試しましたが、「にくしゅうまい」が一番のお気に入りです。♥♥♥

 はじめまして、手作り焼売ちゃんくです。ご来店ありがとうございます。ちゃんくの焼売は、何も付けずそのままお召し上がり頂ける味付です。タレを入れる小皿も要らないので用意や後片付けをするお母さんの手間も省きたい、そんな思いからそのまま食べても美味しい焼売を作りました。々な味をご用意しておりますのでこれからも末永くよろしくお願いします。   手作り焼売 ちゃんく

▲にくしゅうまい 肉汁たっぷりでそのまま食べて美味しい!!今までで一番好き!

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渡部昇一先生のエピソード(23)~気前がいい

 故・渡部昇一先生のお弟子さんの江藤裕之先生(東北大学教授)が、先生のお人柄を回想しておられました(『学問こそが教養である』(育鵬社、2019年))。渡部先生は人一倍優しく、そして気前のよい方でした。先生は、ご自身が学生時代に経済的に苦労されたこともあり、大学院の教え子の学生たちの経済状況を慮ってか、よくアルバイトをさせてくださったそうです。ちょっとした資料の整理だとか、翻訳、書庫の片づけ、学部の授業の試験監督などでした。小一時間の試験監督が終わった後、解答用紙の整理、簡単な答案のチェックをして、渡部先生の待つ「ルノアール」(東京で私の大好きな老舗喫茶店です)に行くと、先生は奥の方で静かに本を読んでおられます。「先生、終わりました」と告げると、「ご苦労さま、好きなものを注文してください」となり、活発な歓談が始まります。先生は授業の正規の演習に対して、こうしたざっくばらんとしただべり会を「裏ゼミ」と称して、談論風発となることをとても楽しみにしておられたようです。そして帰り際に、おもむろに財布の中から、手の切れるような一万円札を、「それでは、これが交通費」と一枚、「これが試験監督代」と一枚、「これが解答用紙のチェックと整理代」と一枚取り出します。その大枚を、裏面に先生の住所と名前の印刷されているきれいな茶封筒に入れて、「はい、アルバイト料」と言ってくださいました。お金を渡すときには決してはだかではなく、ピン札をまっさらの封筒に入れてくださるのでした。渡部先生は、謝礼などをむき出しのまま手渡すのではなく、のし袋や封筒に入れて渡すといったことに気がつくのが「気くばり」だとして(英語のconsiderate)、知を補う「気くばり」の大切さを説いておられましたね(『人生を「知的」に生きる方法』(青春文庫))。ある時には「じゃ、ベースアップしましょう」と、一回の監督に四万円もの報酬をくださったこともありました。学期に二~三回だとはいえ、多いときには週に三回の監督をしたこともあり、かなりの金額になります。先生は「どうせ、君のことですから、このバイト料で本を買うでしょ。だから惜しくはありません」とおっしゃいます。こうやって気前よく学生の面倒をみておられたのでした。

 先生は大学院の演習が終わると、決まって学生と食事に行かれるのでした。こうしたお昼ご飯やその後のコーヒーでは、そしてたまに飲みに行ったりしても、必ず先生がご馳走されるのでした。学生にメシをおごるというのは、先生の一つの信条だったようで、それは先生が若い貧乏学生の頃、恩師の先生の家を訪ねては、食事をご馳走になった有り難い思い出があったからでしょう。

 私も学生時代、高校時代に教えて頂いた先生方が定期的に集まられる宴席にいつも呼んでいただいて、豪勢な料理をご馳走になりました。大学での生活(勉強?)ぶりを話すのが会費だと言われて、いつもご馳走になったものです。今でも有り難く思い出します。休日には、英語を教えていただいた故・大谷静夫先生(米子)三島房夫先生(荒島)のご自宅に押しかけては、本を借りたり、美味しいものをご馳走になりました。私にもそんな楽しい思い出があるもので、教えている生徒達には惜しみなく驕ることにしています。何(十)年も経った今でも、当時のことを覚えている教え子達が、そんな想い出を語ってくれます。順送りですね。♥♥♥

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「ナガサキピースミュージアム」

 長崎市出身のシンガー・ソングライター、さだまさし(71歳)さんの提唱で2003年に開館した「ナガサキピースミュージアム」(同市松が枝町)が20周年を迎え、地元の「長崎新聞」で特集記事が組まれました。ここに何度も足を運んでいる私は、興味深く読みました。

▲「ナガサキピースミュージアム」

▲入り口

 「政治や思想の枠を超え、これからの50年、100年に向けて市民運動を展開したい」被爆50周年の1995年8月、当時「貝の火」運動と銘打った企画を発表した長崎市での会見で、さださんは、過去を振り返るのではなく、これから50年、100年に向かって発信を続けて行きたい、と述べられました。当初は巨大な世界地図に紛争地域を赤い光で表示し、赤い色が消えることを願うモニュメントを建設する構想でした。モニュメントの名称は「ピース・スフィア(平和な球体)」「貝の火」は、優しさや慈しみの大切さを描いた宮沢賢治の童話の題名に由来しています。1995年から募金活動が開始。県内では官民がこれに協力し、長崎県は建設地として県有地である松が枝埠頭(ふとう)の一角の無償貸与を決定。モニュメント建設の計画はその後、紆余曲折を経て、現在の平和発信施設「ピースミュージアム」の建設計画となっていきます。さださんは全国各地でのコンサートや、長崎市の稲佐山で毎年8月6日に開いていた無料の平和コンサート「夏・長崎から」の会場などで募金を呼びかけ。活動には、全国のファンがボランティアとして参加しました。2億円を目標に進められた募金は、8年間で約1億円に到達。2002年起工にこぎ着けました。私も、そして私の教え子たちも基金に協力しました。

▲「ピースミュージアム」五線譜のモニュメントの前で 後には豪華客船が

 さださんの幅広い人脈から、計画の趣旨に賛同した多くの著名人が協力しました。建物の設計は建築家の古市徹雄さん、照明は照明デザイナー石井幹子さん、屋外の五線のモニュメントはデザイナーの福田繁雄さんが担当。名誉館長には画家・グラフィックデザイナーの原田泰治(昨年3月死去)さんが就き、2003年4月19日の開館を迎えました。ミュージアムは鉄筋2階建て、建築面積約82平方メートル。国道に面した入り口側は箱型の外観。海側に三角形の建物がつながり、屋外の庭に五線譜を模した高さ9メートルのモニュメントがそびえています。展示室では「文化的側面から平和を考える」として開館以来、NPO法人「ナガサキピーススフィア貝の火運動」の自主企画や、外部の持ち込み企画による展示を、芸術・文科・平和・環境・人権・教育・医療・福祉・災害支援の分野まで、ほぼ途切れることなく開催してきました(企画展はこれまで304回)。使用料、入場料はいずれも無料で、今では自由な平和発信の場として定着しています。
 
 市民に身近で手軽な平和活動も展開しています。「戦争放棄」の願いを込めたフェルト製のミニアクセサリー「みどりのせんそうほうき」の作製は、湾岸戦争が始まった1991年、東京の女性が提起した活動が起源です。できる範囲で平和を願う気持ちを具体的に、行動に移すことを呼びかけています。ミュージアム開館後、ボランティアの発案で来館者への贈り物として作るようになり、市民向けの作製会なども開いています。私も何個かいただきました。

▲「みどりのせんそうほうき」私もピースミュジアムで何個かいただきました。

 貝の火運動の“成功”は、さださんの次の活動にもつながりました。2015年、海外の邦人医師らを支援する一般財団法人「風に立つライオン基金」を設立。同基金では高校生の社会貢献を顕彰するなど、ボランティアの裾野を広げる活動も展開しています(「高校生ボランティアアウォード」2016年~)。以下は、さださんの「ナガサキピースミュージアム」への思いです。 

 1994年8月の「夏・長崎から」の前夜に長崎の新聞記者さんたちと食事会をしていたのですが、ある新聞社の記者から「長崎被爆50周年を長崎人はどのように迎えるのでしょうか?」と聞かれました。それがきっかけで、長崎から世界に向けて「平和」について発信できるミュージアムを作ることを提案しました。
 「核時計」ではありませんが、今世界でどのような紛争が起き、誰がどのように困っているかをすぐに理解できる施設を「長崎」に作りたいと思ったのでした。それも被爆地長崎をきちんと理解して来てくださる県外の方は「平和ゾーン」に行ってくださいますが、被爆地長崎を気にとめない人たちのために、平和のゾーンへの小さなお勝手口を作りたかったので、市内の「観光ゾーン」に作ることにこだわりました。
 当時の高田勇知事が極めて強い理解を示してくださり、現在の松が枝埠頭(ふとう)の土地をお貸しくださったのでした。でも当時は公衆便所があり、バスの駐車場になっていてほこりだらけで、現在のように美しい場所になるとは思わない頃でした(笑)。「しばらく我慢してください、きっときれいになります」と言われましたが、最初は信じられませんでした。
 建設資金も当初は2億円を夢見ていましたが、なかなか大変でした。でも名誉館長だった故・原田泰治さんのお力で、設計を古市徹雄先生、モニュメントを福田繁雄先生、ライトアップを石井幹子先生という超一流の皆さんが、ほぼボランティアでお引き受けくださって、思っていたよりも安く、早く完成しました。ありがたくて涙が出ました。
 小さなミュージアムですが毎月企画を立てて平和のための啓発活動を行ってきました。およそ20年の間、途切れることなく発信を続けてきたことは、とても素晴らしいと思います。
 貝の火運動も途切れることなく続いており、「平和を心から願う」人々はたくさんおられるのだと心から思います。問題は長崎という土地柄や人々の性質もあって、なかなかどんどん参加して自ら広げたり、改善していこうという方は少ないです。しかし、潜在的にはかなりたくさんの若い方が興味を持ってくださっていますので、そこに働きかけていきたいと思います。
 NPO法人の活動としても、東日本大震災被災地の福島県南相馬市の小中学生たちを長崎市内や五島列島に招待してきましたが、これも素晴らしい活動でした。もちろん、まだまだやってゆかねばならないこともありますが、かなり頑張っていると思います。
 20周年はこういう活動にとって一つのけじめになる年です。僕も「夏・長崎から」は20年でやめました。しかし、ナガサキピースミュージアムは世界で一番小さなピースミュージアムとして認められています。被爆地長崎から、たとえ小さな声であっても平和を発信し続けることができるということは、とても素晴らしいことです。
 ボランティアの高齢化については何もピースミュージアムに限ったことではありません。できるだけ若い方に参加していただくためには、より多くの広報活動を行い、メディアの皆さんにもお力をお借りして、この運動が続くように頑張りたいと思います。(さだまさし談)

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ゴロ合わせ

 「どうすれば英単語を楽に覚えられるか?」「どうしたら一度覚えた英単語を忘れなくできるか?」「初めて会った英単語でも意味を読み取れるか?」といった、生徒たちが日頃最も苦労している「英単語記憶法」に関して、できる限りのヒントを授業中に与えるように心がけています。クラスの雰囲気をなごませる時に私が時々利用しているのが、「ゴロ合わせ」です。教室で紹介する傑作をいくつか挙げてみましょう。

 dictionary字引く書なりです。これはめちゃ受けます。kennel犬寝る」(ケンネル)は「犬小屋」です。調子が出てきたら、denyは「そうでない」から「否定する」と覚えます。あ、結構面白いぞ、となってきたらしめたものです。killは人を切るから「殺す」です。quarrelは人間関係がコワレルから「けんか、口論」です。lawyer牢屋に出入りするに関係がある「弁護士」ですね。その昔、ベストセラーになった『英単語連想記憶術』(青春出版)なる本には、これでもかというぐらい例が挙げられていました。続編・続々編が出たくらいです。barnという結構レベルの高い単語を、「納屋でね」といった意味深な語呂合わせで紹介した同僚がいましたが、この単語がセンター試験の長文読解問題に出た時には、狂喜乱舞したことでした。私が高く評価する単語集『LEAP』(数研出版)でも、所々に竹岡流のギャグが登場していますね。私は「語根」を活用した勉強法を強く薦めているのですが、単語の記憶に使えるものは何でも使おうというスタンスです。♥♥

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走るな!走れ!

 私は若い頃からずっと熱狂的な巨人ファンですから、どんなに仕事が忙しくても巨人の試合だけはテレビ中継を見ています。ただ今年はあまりに頭に来る試合運びに、スイッチを切りたくなることが度々あります。一番得点を取っていて、一番ホームラン数を記録しているチームでありながら、中日と最下位争いをしています。すべては「守り」にほころびが目立つからです。先発陣もリリーフ陣も防御率はダントツで最低です。今首位を走っている横浜阪神とは投手陣が全く違います。

 そんな中、目に余るプレーをするのがルイス・ブリンソン(28歳)という助っ人外国人です。5月3日、5点を追う3回1死、ヤクルト高梨から左翼線への二塁打でチーム初安打を放ちます。ところが、代打門脇の平凡なセンターフライに、ハーフウエーではなく、三塁ベースを回ってしまいます。三塁コーチの川相総合コーチの指示で慌てて帰塁。それでも間に合わず悠々アウトでチャンスを手放す形となりました。ブリンソンは二塁ベースで頭をかかえてうなだれるように倒れ込み、ゆっくりとベンチに戻っていきました。原監督も驚いたような表情で、思わず帽子をとって頭をかいていました。信じられないボーンヘッドです。アウトカウントを間違えたのでしょう。

 ところがこのブリンソン、前にも4月6日のDeNA戦(横浜)でアウトカウントを間違える凡ミスを犯しています。2回1死一塁、左中間を真っ二つに割る長打を打ち、一走・岡本和が三塁を回ったところでストップ(本来なら本塁まで帰ってこないといけません。足が遅いんです)、しかし、前のランナーを見ていないブリンソンは三塁めがけて走り続けて、岡本和は本塁へ再びスタートを切らざるを得なくなり、本塁憤死となってしまいました。ここまでならまだ許せる。三塁に進塁したにもかかわらず、アウトカウントを間違え、チェンジだと勘違いして、ヘルメットを脱ぎベースを離れて天を仰いでいます。その間に、DeNA三塁・宮崎にタッチアウトされました。万事休す。走塁で止まっていれば、1死二、三塁のビッグチャンスが一転、併殺に終わり先制の機会を逸してしまいました。明らかに初歩的ミスで、もうこうなれば、欠陥商品と言われてもおかしくありません。『走るな!!』と、相当お灸をすえられたに違いありません。これがまた大チョンボへの引き金となるのです。

 5月4日ヤクルト戦、6-6の同点で迎えた七回、1死一、二塁で代打・大城が左翼手・青木の頭上を大きく越える勝ち越し打を放ちました。必死で走らないといけません。普通なら二塁打で、なお1死二、三塁の好機になるところが(他チームだったら間違いなく本塁まで帰ってきます。巨人には走力が欠けている)、オイオイ、なぜか一塁走者のブリンソンは、一塁に戻ろうとしてタッチアップしようとしています。何を見ているんでしょうか?前回『走るな!!』とお灸をすえられていたのがこたえていたのか、じっと見ています。信じられないプレーです。普通に走ってさえいれば、あの鈍足の大城の足でもツーベースとなっていて、1死一、二塁となり、続く門脇の二遊間へのゴロは、ヤクルトが前進守備を敷いていれば抜けて2点タイムリーになっているところでした。一塁コーチが英語で大声で『走れ!!』と言っていれば、何の問題もないプレーでした。ここら辺の当たり前のことができていないチームだから弱いのです。送りバントができない。ピッチャーがストライクが入らない。無駄な四球を出す。盗塁数はリーグ最低。ヒットを打っても帰ってこれない。「勝負の神は細部に宿る」のです。

 巨人にやって来る外国人選手はほとんど当たりがいません。活躍したのはマイコラスぐらいしか思いつきません(彼はアメリカに帰ってからも主力ピッチャーとして大活躍しています)。去年のあのウォーカーの守備は一体何だ!!高校生以下でしたよね。駐米スカウトの見る目がないということでしょう。♥♥♥

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杉乃井ホテル(5)~噴水ショー

▲「アクアガーデン」

 別府温泉杉乃井ホテル」には、水着を着て入ることのできる温水プール「アクアガーデン」という施設があります。温水プールなので、冬の期間でも利用することができます。温水プールというよりは、屋外の温泉プールですね(食事会場のシーダパレスからこのプールにたどり着くまでが、複雑な道筋で困り果てましたが。係員の人に尋ねながら何とか来ることができました。もう少し案内表示を工夫すればいいのに)。この「アクアガーデン」では、新たなプログラム「AQUA DREAMS 湯街夢夜(アクアドリームズ ゆのまちゆめや)」をプロデュースし、立体音響による音楽コンテンツとプロジェクションマッピングによる映像コンテンツからなるナイトエンタメショーが、2022年12月より始まっています(ソニーマーケティング株式会社)。

 噴水ショー「AQUA DREAMS 湯街夢夜」は、10本の大噴水とパネルに投影する大規模なプロジェクションマッピングの映像、そして14個のスピーカーによる立体音響で実現した、約10分間のナイトエンタメショーです。ソニーの立体音響技術とサウンド・エンジンを活用した立体的な音響空間でショーを演出することで、左右だけではなく、「アクアガーデン」の会場全体を縦横無尽に音が駆け巡るような体験を実現しています。別府温泉に古くから伝わる伝説や温泉をモチーフに、温泉の神である龍がさまざまな時代をめぐる全4部構成の壮大なストーリーとなっており、子供から大人まで年齢を問わずに楽しめるエンターテインメントを念頭に企画した、光と音のスペクタクルなショーです。地底から湧き出る温泉や別府の自然、街、近未来的なモチーフが、躍動感あふれるサウンドと共に表現されています。映像コンテンツでは、新たに「アクアガーデン」に設置された幅約19m、高さ約3mの巨大な投射パネルと、高さ約10mの噴水にプロジェクションマッピングするほか、演出効果としてライティングされた迫力ある噴水の水の動きと映像がシンクロし、音楽と相まって多彩な色彩による幻想的なショー体験を楽しむことができます。

 音楽コンテンツでは、ソニーが独自に研究開発をしている立体音響技術を活用しています。従来の位置固定型のサラウンドと違い、自由な位置にスピーカーの設置が可能で、今回設置した14個のスピーカー位置の座標に応じて、劇中の効果音をさまざまな箇所から聞こえるように演出的に配置しています。音が飛び交うような、空間全体で楽しめる音響体験でショーをさらに盛り上げます。これらの映像・噴水・音響などの微細な制御と信号同期を、独自で開発したショーコントロールシステムで一括管理しています。拡張性まで考慮された統合システムとなっており、ショー運用の負荷軽減に貢献することを目標に設計しました。

 この噴水ショーは、ウォータースクリーンを使って映し出される立体映像です。光と音で演出しながら幻想的な噴水ショーが行われ、見る人を魅了します。すごく綺麗で、この噴水ショーを見るためだけに、「アクアガーデン」に入る人もいます。棚湯のある階にテラスがあるので、そこから見ることができます。噴水ショーの序盤はレーザーと音楽による演出から始まります。噴水ショーの前に前に準備された霧にレーザーの光を当てることで、さまざまな模様が出現。光のベールが間近で見られるので「触れるんじゃないか」と錯覚するほど立体的です。噴水ショー中盤以降は噴水とライトの調和映像が展開します。

 レーザーによる演出が終わると、噴水と光と音楽を融合した演出が始まります。人の何倍もの高さまで上がる噴水がいろんな色にライトアップされてとっても綺麗です。音楽に合わせて噴水の形がどんどん変化するので目で追いかけるのに必死です。約10分の短いショーですが、目の保養になりました。満足!♥♥♥

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杉乃井ホテル(4)~シーダパレス

▲レストラン会場の入り口も素敵

▲会場中央に大きな水槽が 種々の魚が泳いでいます

 現在、別府温泉の老舗「杉乃井ホテル」には「シーダパレス」「TERRACE & DINING SORA」の2つの大きなバイキング・レストランがあります。今回は新しくオープンしたばかりの「宙館」に泊まったのですが、利用人数が満杯となっていて、食事は1階の「ソラ」ではなく、別棟の「シーダパレス」になりました。ここだけが今回の宿泊で残念な点でしたが、それでも十分に満足のいくレストラン会場でした。移動は「宙館」の玄関先からシャトルバスが往復しています。

 「シーダパレス」に入店すると、円形状の広いバイキング・レストランが現れます。円の外側には各バイキングブース、内側に客席が並んでいます。天井は色つきのライトで照らされていて、ヨーロッパの街並をイメージした雰囲気で、会場に一歩足を踏み入れると海外にトリップしたようなワクワク感を味わうことができます。レストランの中にいるのに、街中にいるような面白い作りになっており、目でも楽しむことができます。小さい子供から大人まであらゆる世代の方に喜んでもらえるように演出、設備、料理のすべてにこだわっていて、ネットでも口コミがすごくいいんですよ!ビュッフェ形式でありながら、ワンランク上のお料理を味わうことができます。

 「シーダパレス」店内中央には大きなアクアリウムが鎮座。アクアリウムの中にはいろんな種類の魚が悠々自適に泳いでいます。バイキングは真ん中の水槽を中心にぐる~っと円状にブースがあり、どこもかっこいいコックさんが目の前で熱々の料理を作ってくれます。もう和洋折衷、なんでもござれ状態です。しかも一つ一つがめちゃ美味しそうなので、ついついたくさん取ってしまいます。お皿に好きなものを入れたら、後は豪快に口に放り込むのみ。「シーダパレス」のバイキングブースはバラエティに富んでいます:和食ブース、サラダブース、ピザ&パスタブース、メインキッチン、グリルブース、スープ&ライスブース、デザートブース。広い会場をぐるりと回りながら料理を取っていくので、みなさんカートを引きながら料理を乗せていっておられました。

 お刺身などの和食が置いてあるブース。割烹着を着たスタッフさんが複数いて、日本料亭のような雰囲気。お刺身は絶品でした。寿司職人がその場でにぎってくれるお寿司も最高でした。

 できたてのパスタやピザがもらえるブース。パスタもピザも数種類から選べるのでいろんな味が楽しめます。人気は石窯で焼き上げる本格ナポリピッツァです。

  ステーキなどのグリル料理があるブース。メインキッチンの次くらいに行列ができています。その場で焼いてくれるので、熱々のお肉が食べられます。柔らかくて味のしっかりしたお肉でした。

 「シーダパレス」店内の中央(アクアリウム前)には飲み物やデザートが置いてあるブースがあります。デザートの種類も豊富なのでいっぱい食べた後でも別腹が発動。デザートは少量ずつキレイに盛り付けられているのでいろんな味を少しずつ楽しむことができます。ついついたくさん取ってしまいます。

 翌日の朝食も「シーダパレス」でいただきました。これまた豊富な和洋バイキングメニューから好きな物だけ選んで食べます。朝からぜんざいが最高でした〔笑〕。今度来るときには、「宙館」1階の「ソラ」のテラスで食事をしてみたいです。♥♥♥

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杉乃井ホテル宙館(3)~「ソラニワ」

 大分県「別府温泉 杉乃井ホテル」の、新棟「宙館(そらかん)」は、2023年1月26日にオープンしたばかりの新しいホテルです。ホテル敷地内で最も高い場所に位置し、天空の絶景が見渡せることから、“大空の上に広がる果てしない宙(そら)”をイメージして命名された「宙館」です。足のリハビリを兼ねてここに泊まってきました。

 館内にはたくさんのおすすめのスポットがある「宙館」の中で、印象に残ったのは季節ごとに表情を変える庭園「ソラニワ」です。ホテルのフロントから階段で下に降りて出た庭園に広がっています。大分の名産である、「シイタケ」「カボス」「アサギマダラ」の白いモニュメントがユニークで、別府の地を感じさせてくれる憩いの場になっています。子どもが上がって遊べる「ふわふわドーム」は2つあり、対象年齢を3~6歳と7~12歳で年齢を分けているので、子どもたちが安心して遊べます。端っこの方にある「SUGINOI」の文字モニュメントの前は、思い出作りのフォトスポットとしても最適でしょう。この庭園からの別府の街の眺めも最高でしたよ。♥♥♥

▲ここでみんな記念撮影を


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杉乃井ホテル宙館(2)~宙湯

▲そびえ立つ「宙館」

 リハビリを兼ねて別府温泉に行ってきました。小倉駅から私の好きな「特急ソニック」で約1時間の旅。別府駅に到着です。大分県の老舗旅館「別府温泉 杉乃井ホテル」(1944年~)の、新棟「宙館(そらかん)」は、2023年1月26日に開業したばかりの新しいホテルです。広大な杉乃井ホテルの敷地内でも最も高い場所に位置し(地上14階、地下1階建て)、天空の絶景が見渡せることから、“大空の上に広がる果てしない宙(そら)”をイメージして命名されたのが「宙館」です。杉乃井ホテルの中でもワンランク上の特別なひとときを提供しています。その最上階13階に位置し、海抜約250mから望む大パノラマの眺望を楽しめる展望露天風呂「宙湯」(そらゆ)が最高でした。

▲「宙湯」の入り口

 「宙湯」は、「宙館」に宿泊のお客さんだけが利用できる展望露天風呂で、海抜約250mからの大パノラマの絶景とともに湯浴みを楽しめます。市街地をはじめ、別府湾鶴見岳のほか鉄輪温泉で立ちのぼる湯けむりなど、季節や時間によってさまざまな表情を見せる別府を体感することができます。開放的な景色が見えるよう壁面をガラス張りにしたサウナも完備しています。

 別府温泉は「別府八湯」と呼ばれる8つの温泉郷からなり、「杉乃井ホテル」がある観海寺温泉は、高台にあって見晴らしの良さが特長。その地の利を最大限に生かしたのが、「宙館」の最上階にある展望露天風呂、その名も「宙湯(そらゆ)」です(写真下、公式HPより拝借)。 

展望露天風呂「宙湯」

展望露天風呂「宙湯」

  

展望露天風呂「宙湯」

▲内風呂でも壮大な別府の景色が

 高さは海抜約250m。眼下には別府の町並みや別府湾、鶴見岳などが見えます。幻想的な夕景や神々しい朝日など、時間によって光や風が変わり、時間を忘れてしまいます。泉質はナトリウム塩化物・硫酸塩温泉。無色透明で、メタケイ酸を含む美肌の湯です。お湯で肌が潤い、絶景で心が潤う贅沢な湯浴みは、宙館ならでは。男湯にはドライサウナ、女湯にはミストサウナがついているので、さらに“ととのう”ことも可能です。内風呂も壁面がガラス張りで広々としていました。

▲湯上がりスペースでくつろぐことも

 大浴場の混雑状況が分かる案内板がロビーに設置されているので(お部屋のタブレットからも)空いている時間帯を狙って行くことができます。私は夜2回(12時まで)、朝風呂(朝5時~)と計三回の温泉を楽しみました。お湯に浸かると、視界に入るのは別府市内の絶景と温泉の水面だけ、いいリハビリになりました。硬直したお尻の筋肉をゆっくりともみほぐします。昼は爽快な景色が、そして夜は煌めくような夜景を楽しむことができます。大浴場フロアには「湯上がりスペース」が設けられていて、飲み物でも飲みながら別府の街並みを眺めることができます。♥♥♥

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杉乃井ホテル「宙館」(1)

 温泉の源泉数・湧出量ともに日本一を誇り、「おんせん県」を名乗っている大分県で、人気の温泉地の1つが、別府温泉です。別府には、日本の源泉の約1割にあたる2,200の源泉があり、あちらこちらから湯煙が立ち上る風情たっぷりの街です。ちなみに、別府の湧出量は毎日およそ5万トン。一般的なバスタブを200リットルとすると25万個分。別府市の人口が12万人弱ですから、1人2回お風呂に入れる計算になりますね。私はJR小倉駅から大好きな「特急ソニック」に乗って別府駅を目指しました。

▲「宙館」の正面

▲「宙館」のフロント

 そんな別府温泉を代表するホテルの1つが、1944年(昭和19年)開業の老舗のお宿「別府温泉 杉乃井ホテル」です。長年にわたり、さまざまな施設をオープンさせながら、少しずつ規模を拡大し、西日本を代表する大型温泉リゾートへと成長しました。山の上の広大な敷地に、数々の宿泊棟がそびえ立っています。そして今は、2025年に完了する大規模リニューアル(星館」)の真っただ中です。2021年に「虹館」がオープンしたのに続き、2023年1月にはワンクラス上の滞在が叶うフラッグシップ棟「宙館(そらかん)」が誕生しました。別府の風をイメージしたという外観の意匠が目を引く「宙館」は、336室と大規模なので、外観も堂々とした佇まい。それでいて、ゲストを穏やかに迎え入れてくれるような親しみやすさも感じます。今回私は、股関節手術のリハビリ温泉湯治目的として、この「宙館」に泊まってきました。

 「宙館」の大きな特徴が、館内に温泉と巨大レストランがあること。すでに「杉乃井ホテル」には、大展望露天風呂「棚湯」やワールドダイニング「シーダパレス」などの自慢の温泉やレストランがあるのですが、施設の広さゆえにそれぞれ独立していたのです。施設間はシャトルバスが走っていますが、1つの館内で食事や温泉を楽しみたいというお客様もいらっしゃったことから、この「宙館」はそうした声にも応えたものです。

 「杉乃井ホテル」の敷地内でもっとも高い場所に位置し、天空の絶景が見渡せることから、“大空の上に広がる果てしない宙(そら)”をイメージして命名した「宙館(そらかん)

 洗練されたデザインでくつろぎの時間を過ごすことができる客室や、海抜約250mから望む大パノラマの展望露天風呂、地元食材を使用した多彩な料理が並ぶレストランなど、別府の魅力を壮観な眺めとともに楽しむことができます。


 別府の海と山に囲まれた豊かな自然を表現したデザインと、雄大な景色を望める大きな窓が特徴のくつろぎと開放感のある客室は、リゾートならではの解放感あふれる空間です。

▲広々としたお部屋

それぞれの客室には3つのテーマカラーを用意しています。
・別府湾からのインスピレーションを受けた深いブルーの色調を重ねた「青海」
・鶴見岳など別府を囲む山々にある豊潤なグリーンをイメージした「森林」
・波が穏やかな夕暮れ時のゆったりとした様子を捉えた「夕凪」

会話を楽しんだり、ゆったりとくつろいだり、思い思いに過ごすことのできる設備を整えた、大切な人達との思い出づくりに最適な空間です。

▲海側のお部屋を予約した 山側よりもお値段高し!

 館内施設の混雑状況表示や事前精算機能などが付いた客室タブレットを全客室に設置しており、ストレスフリーで快適な滞在を提供。また、館内の随所にアートが飾られ、上質感を演出しています。

 ホテルのインテリア・デザインは、豊かな別府の海と山を象徴したデザインです。エントランスからロビーに至る壮大な壁面は、世界で活躍する左官職人である久住有生氏のアート作品です。高さ約4m・長さ約25mのこのアートは「風土」をテーマに掲げ、別府の山々から吹き下ろす風が別府湾にたなびくイメージを具現化したものだそうです。窓を大きく取り、ペンダントライトやハンギングチェアなどを配したフロントは、リゾート感のある雰囲気ですが、華美にならず落ち着いたラグジュアリー感が心地よかったです。

▲素敵なフロント

 別府市にゆかりのある工芸品やアーティストの作品もあります。ロビーに飾られた花台は、代別府在住の陶芸作家・坂本和歌子さんの作品。テーマは「水面」。別府湾の水面が朝日に照らされてやわらかに輝いていることからインスピレーションを受けたと言います。このほかレストランや大浴場の脱衣所など、館内各所で竹細工や小鹿田焼などの地元のアートを見かけます。♥♥♥

▲広々としたロビー


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丸善さんすて岡山店

 「丸善 さんすて岡山店」は、JR岡山駅「さんすて改札口」(10:00~20:00)からすぐのところに位置し、岡山駅を利用するお客さんにとっては非常に利便性の高い店舗です。2020年の9月にオープンしました。約220坪の売場に約20万冊の蔵書を揃え、文庫や実用書、コミックなどの一般書を中心とした品揃えです。私がよくお邪魔する市内近隣の「丸善 岡山シンフォニービル店」では、約50万冊もの蔵書があり、専門書や洋書の品揃えが充実しています。ここから在庫を取り寄せて、「さんすて岡山店」で受け取ることもできるなど、岡山市内2店舗の連携により、便利に本を選ぶことができます。文具売場は、駅を利用するオフィスワーカーや学生に求められる一般文具を中心とした品揃えを用意しています。

 駅を利用する通勤客や学生さんにとっては実に便利なお店だと思います。

 松江市では書店がどんどん潰れていき、今では「今井書店グループ」を残すのみになっています。私が学生時代には、大学の正面に「園山書店」があって、洋書も充実していたものですが(私はそこでアガサ・クリスティのペーパーバックを全冊揃えましたし、D.ボリンジャー博士の著書にも、ここで出会いました)、今は都会の大型書店でも洋書を求めるのは不可能な時代になりました。売れないからです。そもそも学生が本を読みませんものね。したがってアマゾンが急速に繁栄することになります。♥♥♥

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「勝田ケ丘志学館」創設時の目標

▲米子東高校の同窓会館内にある「勝田ケ丘志学館」

 鳥取県立米子東高等学校には、1960年から「専攻科」という浪人生のクラスがあったのですが、「官から民へ」の流れの中で、2012年度末に廃止されていました。浪人者数は、横ばい状態であるにもかかわらず、同校では、県外の予備校や自宅浪人を選択する生徒が年々増加していたといいます。これらの生徒たちを支援し、保護者の経済的な負担を軽減し、高い学びへの志を持って大学進学へ立ち向かうことができる環境を整備しよう、という目的で準備・計画されたのが、NPO法人「勝田ケ丘志学館」(かんだがおかしがくかん)です。元米子東高校の校長・山根孝正(やまねたかまさ)館長が、私財を投じて、さらには1,700人にものぼる米子東高OBの方々の温かい寄付金・協力を仰ぎながら、2019年に創立されたのでした。設立当時「日本海新聞」の取材に応えて、「高校と同じリズムで通え、地域の仲間と支え合いながら目標に向かって進める環境が整う。質の高い授業も提供できる」と、設立の主旨を話されました。私も設立当初からお手伝いをさせていただいています。山根館長が設立時に考えておられた目的は次の通りです。

▲勝田ケ丘志学館・山根孝正館長

1.県外予備校に比較して授業料、生活費等が低額で、家計の経済的負担が減少する。

2.高校時代と同じリズムで生活、学習できるため、規則正しい生活を送り安心して学習に打ち込むことができる。

3.現役時代と同様に複数の模擬試験を受験することができる。

4.高校在学中に指導を受けた先生にも気軽に相談できやすい。(米子東校出身者)

5.鳥取県西部地区出身者同士が切磋琢磨することで、連帯感や地域への感謝の気持ちが育まれる。

6.現役時に、部活動や探究的な学習、ボランティア活動その他様々な活動に取り組むとともに、より高い目標に向けてのチャレンジが可能となりうる。

7.現役生が、受験に向けて真摯に取り組む補習科生の姿勢から多くを学ぶことができる。

8.自宅浪人生の模擬試験受験が補習科において可能となる。

9.単位制を活用しての授業の受講が可能であることから、在校生、補習科生ともに刺激し合うことができる。

10.高校教員が補習科で行われる高いレベルの講義を参観することができ、これにより教員の力量の向上が図られる。

11.鳥取県西部地区出身者が、浪人生活という人生の中で苦しい一時期を、仲間とともに支え合いながら苦楽を共にし、また切磋琢磨しながら、地域や同窓生、家族のもとで学ぶことにより、進学後ふるさとを離れても感謝の念を持ち続けてくれることが期待できる。

 かつて、代々木ゼミナールの小論文のカリスマ・藤井健志(ふじいたけし)先生が、2018年の鳥取大学の後期の小論文入試問題「現代社会では、経済的格差や社会的孤立の広がりの中で、様々な形で社会的に排除された人々が生み出されている。そこで、地域社会において実際に生じている社会的排除の事例をひとつ取り上げるとともに、その問題の克服に向けて求められる社会的包摂のあり方について論じなさい。(800字以内)」に対する「模範解答・解説」を、『代ゼミ新小論文ノート2020』(代々木ゼミナール、2019年7月)に書いておられます。その中でこの「勝田ケ丘志学館」を取り上げていただきました。

(中略) このような問題の克服のヒントになるのがこの春から鳥取県に開学した「校内予備校」だ。自分の財を原資にしてでもという情熱を持った元教員を中心に協力者や寄付金を募り、県立米子東高校敷地内の同窓会館を利用して、地域の高卒生ならば誰でも学べる、画期的な学びの場を創り出したという事例だ。隣県島根県の教員OBの方々も協力することになったらしい。一つの高校の同窓会やPTAが主体になりながらもその枠組みに縛られず、都道府県の境さえも越えて連帯するかたちは行政に押し付けられるのとは違う新しい公共の姿である。官・民といった区別を越えて地域の人間が共に主体となって考え、行動するところにこそ、特定の人間を排除することのない重層的で懐の深い社会的包摂が実現するのだと私は考える。

 地元紙でも大きく取り上げてくださっています。♥♥♥

▲「日本海新聞」2022年11月10日付

▲「山陰中央新報」2023年3月15日付

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「勝てば官軍」

 ハンバーガー・ショップマクドナルド」をアメリカから日本に持って来たのは、松江北高の大先輩である伝説の起業家・藤田 田(ふじたでん)さんでした。私は藤田さんの生き方をその数ある著書で詳しく調べてみて、たくさんのことを学びました。とってもいいことをいっぱい言っておられ、ずいぶんと勉強になる生き方です。あのソフトバンクの孫 正義(そんまさよし)さんが、高校生の時に、電話で何度も断られたにもかかわらず、佐賀県からはるばる東京の会社まで出向き、藤田さんにアドバイスを受け(「これからはコンピューターの時代だ!」)、アメリカ留学に向かったことは有名な話ですね。

 しかしただ一つだけ、私には同意できない点がありました。それが「勝てば官軍」という哲学です。これは「勝てば官軍 負ければ賊軍」という言葉から来ていて、何事も強い者や最終的に勝ったものが正義とされることのたとえです。藤田さんは、ビジネスの世界には「勝てば官軍」の論理しかない、「勝てば官軍、負ければ倒産」食うか食われるかの修羅場なのだとして、「人生はすべて金だ、金だ」と主張しました。ただし、その儲けたお金を自分のためだけにため込むのではなく、社員たちの給料や福祉・医療に還元しておられたことは名誉のために言っておかねばなりませんが。

▲藤田 田『勝てば官軍』

 この哲学に従い、日本全国で「価格破壊」を引き起こすなど、経済感覚、会社経営に長けたカリスマ的人物でしたが、晩年は、日本マクドナルド」の業績が迷走するなど、それらに翳りが見え始めます。2000年(平成12年)2月からは「平日半額セール」などの大胆な新戦略を展開。適正利益を度外視するようなコストすれすれの、競合他社が悲鳴を上げお手上げになるほどの超低価格路線を実践しました。デフレ下でも業績を一段と伸ばして、2001(平成13)年7月26日にはジャスダック市場に上場を果たし、日本マクドナルドは「デフレ時代の勝ち組」、社長の藤田さん

▲藤田 田さん

「ハンバーガー王」と謳われました。しかし、インフレ時代が来ると、半額セールの打ち切りで、客数が減り、再び値下げするなど価格政策の迷走で、経営が悪化したことや、悪夢であったBSE(狂牛病)の影響により客離れを引き起こし、同2001年(平成13年)に創業以来初の赤字に転落します。2002年(平成14年)7月、日本マクドナルドの不振や、自らの体調不良などにより社長を辞任せざるを得なくなります。2002年3月、会長兼CEOに就任しますが、連結決算で創業以来の最終赤字になったことから、2003年3月28日の株式総会後、会長の退任を余儀なくされました。日本マクドナルドの経営から退いた後は、公の場に出る事は少なくなり、2004年(平成16年)4月21日、心不全のため東京都内の病院で死去されました。78歳でした。桜の花が散るように静かに退きたい」というご本人の思いとは裏腹に、毀誉褒貶の相半ばする人生でした。いわば晩節を汚し、失意のうちにお亡くなりになり、一時は成功したように見えましたが、結局は自滅してしまった印象です。マクドナルドは今ではV字回復を遂げて、大人気を博していますけどね。

 松下幸之助さんの薫陶を受けた私の尊敬する江口克彦(元PHP社長)さんは、ここら辺の藤田さんの姿勢を手厳しく批判しておられました。私も同感です。

 私自身の思い出を振り返っても、あるとき一世を風靡した経営者が「勝てば官軍」という言葉をタイトルにつけて単行本を発刊したことがあります。私は非常な違和感を感じ、そのような考え方は間違っていると私は自らの著書でしばしば批判してきました。すると、やはり、数年後にその経営者の会社は、赤字転落してしまったのです。マスコミがよく持て囃した経営者でしたが、私の考えからすれば、その経営者の凋落は至極とうぜんのこと、私の予想通りになりました。そして、「勝てば官軍」と表明していただけに、まさに自らの経営人生の晩節を自ら汚してしまったという無念を、この経営者は死に際に後悔したことだろうと思います。     ―江口克彦『ほんとうの生き方』(PHP出版)

 さて、ここからは私の考えです。法律に触れなければ何をしてもよい、という姿勢で経営して莫大な利益をあげていくというのは、明らかに間違っています。人間的に正しい道というものを歩んでこその成果であって、法律に触れなければ何をしてもよいではなくて、あの松下幸之助さんが重視したように、勝ち方に美しさがなくてはいけません。藤田さんが唯一道を間違えた点がそこだったと思います。結果さえよければそれでよいというのではなく、よりよい成果をあげることが大事であると同時に、そのプロセスも大事にする、という姿勢が大切だと思うのです。結果を大事にする以上に、それを生むまでの過程も大切にしたいというのが、私の哲学です。損得」ではなく、尊徳」で生きるということですね。私は英語の指導も、そんな思いで40年間以上やってきました。点さえ取ればそれでいい」ではダメなんです。人間力に裏打ちされた本物の英語の力をつけないといけない。賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク、私の好きな言葉です。彼は実際には「余は歴史に学ぶ」と言ったそうですがの姿勢で、藤田さんの失敗例を心に刻んでおきたいですね。♥♥♥

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「炭焼牛たん東山」

◎週末はグルメ情報!!今週は牛タン

  2021年4月9日(金)、仙台の「炭火焼牛たん東山」が、松江駅シャミネ店にオープンしました。山陰初出店です。昔ながらの製法で、職人が一枚一枚丁寧に手仕込みをした牛たんを三日三晩熟成。炭火でじっくり焼き上げる、厚切りでも柔らかくジューシーな本場「仙台牛たん」。仙台名物の誇りとまごころを込めて。厚く、熱い本場仙台の牛たんの味を心ゆくまで楽しむことができます。オープン当初はお客さんでかなり混んでいましたが、今は普通に入れます。

 「牛たん東山」の牛たんは、牛たん1本からわずか3~4割しか取れない、たん元に近く、霜降りの美しい柔らかい部位のみ。成分は低脂肪・高たんぱくで、ほかの肉に比べてカロリーは半分以下。 熱く、厚い東山の牛たんをご堪能ください。昔ながらの製法で熟成させた自慢の厚切り「仙台牛たん」で、やわらかさが違うとの触れ込みです。

①炭火で焼き上げる本格牛たん焼き

炭火には、約1,000度の高温で天然の遠赤外線を多く含む放射熱で均一に熱が伝わり、美味しさを内部に閉じこめると同時に、程よく脂分が落ち、 それが炭火に焼けて燻蒸効果を高めます。炭火の放射熱に含まれる遠赤外線は3~100ミクロンの光線で、肉の表面だけではなく、奥深く浸透する特殊な性質を用いるため芯から一気に振動加熱し、 肉質を柔らかく焼き上げ、肉本来の旨さを引き出します。ちょっとレアな感じで、牛タンの歯ごたえがしっかりと、外はカリッと芳ばしく、中はしっとり柔らか仕上げで食が進みます。

②霜降りの入った、たん元に近い部位のみを使用

「牛たん東山」の提供する牛タンは、1本からわずか3~4割しか取れない、たん元に近く、霜降りの美しい柔らかい部位のみ。成分は低脂肪・高たんぱくで、ほかの肉に比べてカロリーは半分以下。昔から健康食として親しまれてきた“牛たん”に、相性のいい麦飯とじっくり煮込んだテールスープを添えて、提供しています。

秘伝のテールスープ

③牛テールをじっくりと煮込んだ秘伝スープ

味わい深く透明なテールスープは、沸騰させないように温度を調節しながら、一昼夜煮込んで完成させます。スープに溶け出したコラーゲンには美肌効果の他、肉の約3倍もある鉄分が含まれていて、貧血や冷え症などに効果的です。これは美味しかったです。

牛たん定食のこだわり

④ひとめぼれと大麦をブレンドした、ふっくら麦めし

宮城県産の「ひとめぼれ」に大麦を加え、ふっくらと炊き上げた「麦めし」と低カロリー・高タンパクの柔らかい霜降り「牛たん」、一昼夜煮込んだ、秘伝の「テールスープ」。“仙台牛たん”の昔ながらの製法で熟成させた牛たんに食肉ノウハウを生かし、より厚みと柔らかさが自慢の本格的な“牛たん焼き”を提供しています。

 2回目の訪問となる今日は、「仙台とんたん定食」(¥1,078)をいただきました。麦飯にはとろろ汁をかけて食べます。牛タンの油で口の中が油っぽくなっても、箸休めにお漬物でさっぱりとして、またお肉に向かいます。ただ、焼きすぎているのか、タンがかたい。二回ほどお邪魔した私の印象です。♥♥♥

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勝田神社例祭

 勝田ケ丘志学館の授業が終わり、JR博労町駅へ歩いていると、道路上に屋台がたくさん出て活発なにぎわいを見せていました。勝田神社(かんだじんじゃ)のお祭りのようです。江戸時代には米子城の北の守りとして重んじられ、昔から米子の総鎮守として、「かんださん」の名で市民に親しまれている勝田神社。商売繁盛をはじめご利益全般とされており、市民定番の初詣スポットとして毎年多くの参拝客が足を運びます。例年春と秋に行われる例祭は、参道から続く道に多数の露店が並び、たくさんの参拝者で賑わいます。「勝田神社例祭」は、毎年4月14日・15日と10月14日・15日に行われているお祭りです。 勝田神社は米子市で最も古い神社の一つとして知られており、「かんださん」の愛称で地元の方々に非常に大切にされてきました。 春の例祭では、今年一年の五穀豊穣を祈願して神事が執り行われ、秋の例祭では、一年の豊かな実りへの感謝を捧げます。 盛大に露店なども数多く立ち並ぶので、毎年たくさんの人々が参拝に訪れます。路上も神社内も出店でにぎわっていました。名物の「でこまん」を買って帰るといいよとアドバイスを受けました。♥♥♥

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「グローバルタワー」

▲別府国際コンベンションセンター「ビーコンプラザ」

▲「グローバルタワー」

 別府市の「グローバルタワー」(300円)に上がってきました。国際会議、イベント、コンサートなどに使われる別府国際コンベンションセンター「ビーコンプラザ」に隣接した観光スポットです。大分県出身の世界的建築家、磯崎 新(いそざきあらた)さんの設計による、シンボルタワー2本の支柱とそれを支える弧状の柱がユニークなデザインのシンボルタワーです。外観が特徴的ですね。地上100mに位置するガラスの箱のような印象の展望台から別府市内を一望することができます。昼間は別府温泉の立ち上がる湯気、青く広大な海、標高1,375mの鶴見岳などの大パノラマが、夜には「日本夜景遺産」に認定されたムード満点な街の煌めきが眼前に広がります。「グローバルタワー」っていうよりも、「ビーコンプラザ」のタワーと言った方が分かりやすいと思います。また、未来的なタワーで別府を代表する建物で、2009年には日本夜景遺産に認定されています。

 「グローバルタワー」の身長は125メートルなんです!高速エレベーターで、アッという間に地上100メートルの展望デッキ(長方形のガラス張り)まで上がります。エレベーターは、丸い鉄柱の中にあります。入り口で入場料を払って、エレベーターに乗って上がります。

 このタワーは強風や強雨の時には営業中止になるそうですが、最初はどうして?と思っていましたが天井を見て納得できました。写真では分かりにくいのですが、屋根がなく雨や風が容赦なく入ってきます。別府市の条例で高い所に部屋を作ることができなかったので、苦肉の策で屋根を作らなかったそうです。

 展望デッキからの景色はやっぱり圧巻でした。このタワーの良いところは、何といっても雄大な景色が観られるところにあります。正面に別府市街、右には高崎山、左には別府タワーが望めます。別府湾の向こうには、大分の新日鉄が観えますね。また、市街地側から左を向けば明礬温泉(みょうばんおんせん)でしょうか?湯けむりを観ることができます。別府といえば、湯けむりですよね。それに、日本夜景遺産に認定されているだけあって、夜景は絶対にお勧めできるスポットでとても綺麗で一見の価値があるそうですよ。

 ただ、ここは景色だけであとは何も観光するところがなく、お土産屋さんも何にもありません。別府の街を見る他には何もすることがないのです。正面が別府美術館でしたが休館中でした。駅方面に帰りたくてもタクシーも通っておらず、仕方がないので、バスで帰りました。

▲磯崎 新さん

 この「グローバルタワー」の設計者で、世界的な建築家としてその名が知られる磯崎 新さんが昨年12月28日、老衰のためお亡くなりになりました。91歳でした。磯崎さんは1931年大分県生まれ。1954年に東京大学工学部建築学科を卒業し、丹下健三の指導のもとで建築家としてのキャリアをスタートさせました。1963年には建築事務所「Arata Isozaki & Associates」を設立し、約60年にわたってアジアやヨーロッパ、北アメリカ、中東、オーストラリアなど、世界各地で100以上の作品を手がけました。重要作としては、北九州市立美術館(1972〜74、福岡)、水戸芸術館(1986〜90、茨城)、アリアンツタワー(2003〜14、ミラノ)、カタール国立コンベンションセンター(2004〜11、ドーハ)、上海シンフォニーホール(2008〜14、上海)などが挙げられ、このほか、ロサンゼルス現代美術館やバルセロナオリンピックの屋内競技場など世界各地で作品を手がけ、国際的に高い評価を得ました。2019年には、建築界で最も権威ある賞で「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるアメリカのプリツカー賞に選ばれ、「東洋が西洋文明の影響を強く受けていた時代に海外に出て、みずからの建築術を確立した真に国際的な建築家だ」と評価されました。丹下健三槇文彦安藤忠雄妹島和世+西沢立衛伊東豊雄坂茂に続き、8人目の日本人受賞者となりました。私の大好きなJR由布院駅を設計したのも磯崎さんでした。♥♥♥

▲私の大好きなJR由布院駅

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アーサー・ヘイリー

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親切が身に染みる

▲私の日赤の病室です

 昨年の12月に股関節人工関節を埋め込む手術を受けました。術後一週間は全く動けません。紙オムツでの生活です。看護師さんたちが夜中でも嫌な顔一つせずに献身的にお世話をしてくださいました。夜勤の看護師さんたちの激務を間近で見ることになり、本当に大変だなあと実感しました。真夜中に奇声を上げる人、罵倒する人、訳の分からないことを口走る人、怒りまくる人、いろいろな人がいます。冷静沈着に対応される姿には頭が下がりました。手術のもう翌日からすぐにリハビリが始まるのにも驚きました。毎日、理学療法士作業療法士の担当の若い方たちが入れ替わり立ち替わりやって来られ指導を受けます。マッサージをしてもらい、体や患部を動かしたり、少し良くなってくると歩行訓練です。お医者さんだけでなく、本当に数多くの人にお世話になり感謝しています。その方々のおかげで今では何とか歩けるようになってきました。退院時には感謝の手紙を残してきました。先生には何とか「共通テスト」本番には間に合うように退院させてもらいたい、と希望を伝えていましたが、入院は一ヶ月にも及びました。先生の前で杖をついて歩く姿を見てもらい、これなら何とか日常生活を送ることができるだろうというご判断をいただき、無事に日赤を退院することができました。おかげで「共通テスト」本番前に、松江北高勝田ケ丘志学館で2時間ほど授業をすることができました。家に帰ってからが大変でした。

 今年は松江市は何年かぶりの大雪に見舞われました。半端な雪ではありませんでした。まともに歩くこともできず、運転免許を持たない私はどこへ行くにもタクシー利用です。そのタクシーが全然捕まりません。朝一番で北高へ行くのに一畑タクシーをお願いするのですが、雪が降ると断られます。コロナ禍でタクシーの台数がものすごく減っているのと、鹿島の原発への送迎でほとんどの車が朝からフル稼働していることを知りました。幸いご近所の方が、北高に車で送ってくださり、なんとか急場をしのぎました。大雪の積もる中、早朝の6時半から軽トラまで出してくださり北高の坂道を登っていただいたこともありました。感謝感謝です。北高での授業が終わるとタクシーで松江駅に移動です。もうこの時間になると何とか来てくれます。米子駅―志学館志学館山根館長さんが2ヶ月間ずっと送り迎えをしてくださり本当に助かりました。松江駅に戻ってきてからが大変です。駅にタクシーが全くいないんです。本当に困り果てました。一番辛かったのは、北高の授業を終え、山口整形外科にリハビリに向かうタクシーの中でホワイトアウト現象で、運転席から前が雪で全く見えません。これは帰りが大変なことになるなと直感しました。病院に着くとすぐに帰りのタクシーの手配を受付の方にお願いしました。リハビリを終え受付に戻ってくると、「全部のタクシー会社に電話しましたが、全部運転手さんが帰ってしまっていて手配ができませんでした」と、案の定です。吹雪の中を歩いて帰ることなどできません。そこにおられた事務員の方たちが、いろいろと案を練って調べてくださり、一畑バスが動いていることを電話をかけて確認してくださって、一畑バスの本社前から松江駅への便がすぐにあることを教えてくださいました。駅まで行けば、何とか車がつかまるかもしれないとのことでした。この親切なお世話にも感謝しました。病院前のバス停で雪が吹きつける中を待っていましたが、15分遅れでバスがやってきました。何とか乗ることができ、松江駅までやって来ました。タクシーは一台もいません。やって来る気配もありません。仕方がないので、覚悟を決めて市内の循環バスを待つことにしました。1時間半近く待って遅れてきた市営バスに乗ることはできましたが、大雪のためノロノロ運転で一向に進みません。普段なら30分で着く距離が1時間半かかりました。後で聞いたところではこのバスの後、運行ストップになったそうですから危ないところでした。バス停から家まで痛む足を引きずりながら歩いて自宅にたどり着いたときには、もう寒さと疲労とでグッタリでした。このときが一番辛かったです。

 1月28日(土)に岡山・ベネッセ本社で頼まれていた「共通テスト」の講演も、前々日まで大雪のためにJRが運休になっており、気が気でありませんでしたが、前日は何とか運行するということで、バスで松江駅に向かいました。大雪のため迂回してノロノロ運転のために大幅に遅れます。これはまずいと思い、この日の志学館の授業をキャンセルして、松江駅でそのまま「特急やくも」に飛び乗って岡山に向かいました。午後からJRは運休になり、講演当日も朝から全面運休でしたから、危ないところでした。何とか前日に入っていたおかげで、当日に穴をあけずにすみました。講演が終わった翌日も、JRがストップしたために松江に帰ることができません。ラーンズの若手社員の方が、高速バスは動いていることを調べてくださって、チケットまで取ってきてくださり、何とか松江に帰ることができました。有り難かったです。2月に入っても大雪が続き、タクシーでは本当に苦労しました。

 もう一つ困ったことは、大雪で毎日寒さが厳しくて、石油ファンヒーターの灯油がすぐになくなってしまうことでした。今まではご近所にガソリンスタンドがあって、そこへ自転車で灯油を買いに行っていました。そのスタンドが昨年閉店してしまい、ずいぶん遠くまで灯油を買いに行かなければなりません。それもセルフ給油です。配達してもらえばいいのですが、時間指定ができないので、自宅にいることが少ない私には利用できません。大雪で自転車にも乗れませんし、そもそもまだ医者から自転車の許可は出ていません。どこへ行くにもタクシーです。米子の帰りに松江駅から乗った日光タクシーの運転手さんに相談したところ、自分も足を痛めたことがあって辛いのはよく分かるから、自分が全部やってあげる、と言ってくださって、家からポリタンクを運んでくださり、ガソリンスタンドまで連れて行ってもらい、私がタンクを持って降りようとすると、「じっとしててください、自分が入れてきてあげるから」とタンクを持ってセルフ給油で機械を操作して灯油を汲んできて、運転席の横にタンクを置いて自宅まで送ってくださいました。家に着いてからも重たいポリタンクを自宅の玄関まで運び入れてくださいました。地獄で神様に会ったような思いでした。感謝を申し上げてチップをはずんでおきました。この運転手さんには、偶然その後も3回ほど乗せてもらうことになります。「あー、あのときの運転手さん。どうもその節はありがとうございました。」 他の運転手さんには灯油を買いに行きたい、とお願いしても断られました。運転席がくさくなる、トランクにはタイヤが積んであり場所がないとのことでした。あの時の親切な運転手さんが思い起こされました。

 松江北高の補習科は2階にあって、足の不自由な私には階段の上り降りが辛かったんです。授業を終えて階段を一段一段踏み外さないようにゆっくりと降りようとしている私にいつも、「先生、荷物を持ちましょう」と言って声をかけてくれる女生徒がいました。これも有り難い言葉でした。この生徒が九州大学に合格したことを報告に来てくれた際に、感謝の言葉を伝え、大学に行っても人に親切にしてあげてね、と託しました。

 辛い闘病生活の中、人に親切にしていただくことがどれほど有り難かったか、を身に染みて感じたことでした。❤❤❤

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洋服がブカブカ

 昨年の7月から股関節の激痛に苦しみ、整形外科から痛み止めの薬をいただいて飲んでいました。これを飲み始めてから、食欲がバタンとなくなり、1日に2食食べれば十分、全然お腹がすきません。食欲不振です。外食も一切なし。どんどん体重が落ちていきました。12月上旬に人工関節の手術を受け、1ヶ月ほど入院生活を送る中で、規則正しい病院食のみの模範的な生活でおやつ類は一切なし。8時、12時、18時の定時に薄味の病院食、1日4回の血糖値の測定、21時消灯・就寝という規則正しい生活を送っていたので、さらに体重が落ちていきます。結局、今現在なんと17キロもやせました。今まで着ていた洋服や背広、ズボンがブカブカです〔笑〕。みなさんから「痩せたね、別人みたい」と言っていただきます。おかげで糖尿病の数値も正常値になりました。

 昨年12月に手術した股関節ですが、毎週の整形外科リハビリ通院のおかげで、杖なしでも大分スムーズに歩けるようになってきました。お医者さんから自転車に乗る許可も出ました。ただまだお尻の筋肉の力が元の状態に戻っていないので、多少違和感を感じながら歩いています。椅子には座れますが、床に座ることができません。筋力がないので、床から自力で立ち上がることができないからです。昨年は激痛のあまり右足をかばって左足に重心をかけながら歩いていたせいか、左膝が痛くて(変形性膝関節症)、階段の上がり降りには苦労していますが(一段一段踏みしめながら)、レーザーや電気治療に痛み止めの注射を打ってもらい、ごまかしながら生活しています。

 大変だったのは洋服を全部買い換えなければいけないことです。洋服の買い換えに行ってきました。私の大好きな「ラコステ」「ブルックスブラザーズ」でまとめ買いをしました。これで4月からの新生活は何とかなりそうです。♥♥♥

▲私のお気に入り「ラコステ」

▲学生時代からの憧れ「ブルックスブラザーズ」

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ジタバタするな!

 もう最近の巨人軍の泥沼・ていたらくを見るに堪えない八幡です。誰がどう見ても、戦力はセリーグではナンバーワンです。なのに連敗が続き惨敗を喫しています。巨人が開幕15試合以内で10敗もしたのは最速タイです(1975年には最下位に沈んでいます)。ぶっちぎりの最下位です。どうしてこんなことになってしまったんでしょうか??

▲巨人OBの広岡さんは手厳しい

 私は間違い無く『上司の問題』であると感じています。どんな職場でもそうですが、勢いのある集団は、部下たちが「この人のために」という強い思いを持って働いています。私のいる教育現場でも、「この校長のために頑張ろう!」と思って働いていました。ところがひどい校長になると、みんなが「誰がこんな人間のために身を粉にして働くか!バカバカしい!」ということになってきます。私も今までこういうことをたくさん経験してきました。野球評論家の伊原春樹さんが、かつて巨人を評して、「すべては原監督の責任だ」と断じていました。監督通算勝利数で〝神様(=川上哲治監督)超え〟を果たして、巨人軍全権監督となった原監督の我慢が足りない、という指摘です。「すっかりワンマンとなってしまった原監督には誰も言ってくれないだろうから、あえて言わせてもらった。」伊原さん。読みながら、そうそう、と頷いていた八幡です。

 まあ、とにかくよく動きます。毎試合コロコロとオーダーが変わります(19試合で17通り)。これでは選手は落ち着いて試合に臨むことなどできないでしょう。結果が出ないとすぐに二軍行きです。とっかえひっかえピッチャーもつぎ込みます。勝ちゲームも負けゲームも出てくる中継ぎは同じ人間です。結果が悪ければ即刻二軍送り。このツケは必ず返ってきます。これに対して、ヤクルトの高津監督は、たとえ打ち込まれても、ピッチャーを信じてローテーションを崩すことはしません。野球はピッチャーが一番ですから。ヤクルトは巨人よりも打率はぶっちぎりで悪いのですが、守り勝つ野球で首位にいます。

 坂本選手丸選手の扱いにしたってそうです。あれだけの実績のある打者なんだから、何試合か打てなくたって、黙って信じて試合に出しておけばいいんです。そのうち打ってくれますよ。それをちょっと打てないとすぐに引っ込めてしまいます。我慢が足りません。あれでは、選手本人だってプレッシャーを感じて余計におかしくなっってしまうし、ベンチがドタバタしているから周りの選手も不安だらけになってきます。昨年、阪神の佐藤輝明なんか60打席近くノーヒットでも、矢野監督は信じて使い続けました。選手はこれで意気に感じて頑張るんです。WBCの栗山監督が、主砲の村上宗隆選手が打てなくてもじっと我慢して使い続けました。意気に感じた村上選手は最後の最後でよみがえりましたね。

 我慢して使おうでは話にならない。ずっと使えという人も中にはいるかもしれないけど、そんな安直なことを言ってもね。戦闘態勢の中で悔しい思いをしながら、いつまでも同じようなことをずっとできない。座禅でも組んでいるわけじゃないんだから。(原監督談)

 とにかく、今季の原監督は動きすぎです。「もがいている」とインタビューには答えておられますが、もうちょっとどっしりと構えていられないものでしょうか?「スポーツ報知」までもが「もがけ!」とあおります。外から見ていてベンチの落ち着きのなさがとにかく気になってしまいます。ジタバタせずにもっとどっしり構えてやることです。力はあるんですから。若手を使うのは理解できますが、記録には現れない守備のほころびが目立ちます。守り負けています。

 名著・鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)を震えながら読みました。落合監督は、中日を率いた8年間ですべてAクラス入りを果たし、リーグ優勝4回、日本シリーズ出場5回(優勝1回)は見事のひと言です。それでも嫌われてクビにされました。監督になったとき、落合監督は選手たちにこう言ったそうです。こういうブレない監督に、巨人軍を率いてもらいたいと思いました。あの辛口の故・野村克也監督が、ただ一人敬愛していた監督が落合さんでした。

 「球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。自分のために野球をやれ。勝敗の責任はオレがとる。おまえらは仕事の責任をとれ」

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「ゆめや」

◎週末はグルメ情報!!今週はラーメン 

 「らーめん専門店ゆめや」は、米子「イオン日吉津店」の一階レストランコーナーの端っこにあります。お得なセットメニューなどもあり、味だけではなくボリュームや価格帯などにも大変満足でき人気店です。店内には飲食店が沢山あるので迷った時はオススメです。私が松江に帰ってきた頃には、松江市の学園通りにも「ゆめや」の店舗があったんですが、潰れてしまいました。今は、鳥取、倉吉、米子、津山に6店舗展開です。

 オススメは、「しょうゆラーメン」です!実にあっさりしたスープなので、食べやすいです!安さが支持されているセット・メニューも充実しているので、オススメです!ここの「しょうゆラーメン」「こってり」「さっぱり」の二種類があり、背油の量が選べます。私は「さっぱり」を選びます。オリジナルの麺は細いストレート麺で茹で加減がグッドで、スープを引き立てます。いずれのラーメンにも、肉自体の美味しさを感じるチャーシューが3枚も乗っかってきます!嬉しいですね。ネギは鉄分、カルシウム等のミネラルや、食物繊維を多く含む鳥取名産の白ねぎにこだわって、毎日地元農家より直送されたものを100%使用しています。小さい子どもからお年寄りまで満足してもらえるように、鶏ガラや香味野菜などを使い、旨みや風味のバランスが絶妙な親しみやすいスープとなっています。病みつきになるくらい飽きの来ないラーメンでした。日本海の幸を使ったあっさりスープです。このスープにははまってしまいそうです。一緒に頼んだ「チャーハン」も実にシンプルで美味しかったです。また行こう!♥♥♥

▲ラーメンに「酢の物」?これが意外と結構いけるんですよ

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「萌黄の館」

▲「萌黄の館」

 「風見鶏の館」(かざみどりのやかた)のお隣をちょっと降りた西の奥に、大きな楠の木に囲まれた「萌黄の館」(もえぎのやかた)があります。まるでおとぎ話でも登場しそうな淡いグリーン(もえぎ色)の壁の家です。ミドリの木々に包まれたうぐいす色のおうちです。多くのドラマや映画のロケ地にもなっています(例:NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」)。正式には「小林家住宅(旧シャープ住宅)」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。この建物は明治36年(1903年)アメリカ総領事ハンター・シャープ氏(明治19年から明治41年まで神戸総領事班館勤務)の邸宅として建築されました。木造2階建て、下見板張りの異人館で、2つの異なった形のベイ・ウインドー(張り出し窓)を始め、煉瓦積の煙突、アラベスク風模様が施された階段、重厚なマントルピースなど、贅沢な意匠が随所に見られます。17―18世紀のイギリスの植民地に多く見られたコロニアル建築様式(イギリス人建築家A.N.ハンセル設計)です。その後、昭和19年(1944年)に小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅となりました。 昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定され、長らく「白い異人館」と呼ばれていましたが、昭和62年(1987年)からの修理で建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されて、この名が名付けられました。明るく開放感たっぷりの2階のベランダからは、海や神戸港まで見渡せる素晴らしい眺望が広がります。昭和62年の改修工事で建設当時の淡いグリーンの外壁となりました。平成7年の阪神・淡路大震災で大きく壊れましたが、一年をかけて修復されました。落ちた西の煙突は落下した当時のまま庭に残されていました。当時の震災のひどさを想起させる貴重な資料です。

  食堂に置かれたピアノは、かつて20世紀半ばまでフランスを代表するピアノ製造会社だったエラール製の、現代ではとても珍しいものだそうです。優雅な雰囲気の応接室は、付言したオリジナルのバラの壁紙がみどころでした。2階に上がって、子供部屋・寝室・化粧室と部屋ごとに壁紙の色が異なっていました。暖炉も部屋ごとに模様の異なるものでした。幾何学模様のフレームが美しい開放的なベランダでは、多くの人が写真を撮っておられました。美しいベイ・ウィンドウ(張り出し窓)から、神戸の市街地が見渡せる素晴らしい眺望が広がっています。細部まで整った外観や、各部屋ごとの暖炉のマントルピースなど、格調高い意匠が豊かな空間を生み出しています。素敵な異人館でした。❤❤❤

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母の教え

 雑誌『ゆうゆう』5月号(主婦の友社)には、シンガーソングライターのさだまさしさんと女優・山村紅葉さんが、「母が教えてくれたこと」と題してエッセイを寄せておられます。これは面白かった。中学生になり、本格的なバイオリンレッスンを受けるために単身上京して下宿生活を始めたさだ少年に、週に一度長崎のお母さんから手紙が届きます。最後に一行「お前を信頼しています 母より」と毎回この言葉が必ず書いてありました。これが結構重たかったと振り返っておられます。山村紅葉さんのお母さん山村美紗さんの言葉で一番思い出されるのは、「死んでも約束は守る」だそうです。その他に「金儲けに楽はない」「一流のものに触れなさい」「英語はちゃんと勉強しておきなさい」がよく言われた言葉だそうです。

 私の場合、亡くなった母から教わったことで印象に残っているのは、一度も「勉強しろ」と言われなかったことです。生前母の口から「勉強しなさい」という言葉は一度も聞いたことがありませんでした。夜机に向かって勉強していると、「テレビの水戸黄門を見よう」と言って誘いに来るのでした(母は勧善懲悪のドラマ「水戸黄門」が大好きでした)。私がそれでも動かないと、机の蛍光灯のスイッチを切って「電気代がもったいない!」とか言って〔笑〕、手をひっぱってテレビのところまで連れて行くのでした。仕方なしに一緒にテレビを見て、すぐに机に戻ったものです。そんな母親でした。教員になって以来、保護者のみなさんには、子どもに「勉強しなさい」と言ってもムダです。自分でその気になれば放っておいても勉強しますから、と言ってきましたが、母親になると分かってはいても、やはりこれは至難の業のようです。「だまされても、だます人間には絶対になるな!」も母の教えでした。正直に正直に生きることを教えこまれました。

 私の母の祖父の遺言は、「絶対に保証人になるな!」でした。なんでも保証人になったばかりに自分までひどい目にあったことが原因で、そのような遺言を遺した、と母から聞きました。母は私にも、「絶対に保証人にだけはならないように、お金の貸し借りは一切するな」と言い残しました。どうしても人にお金を貸すときには、あげたものと思って貸しなさいと言われました。日本の林業の父と謳われる本多静六博士も、そのことをこんこんと戒めておられました。


なお金を貸したり、儲け口に出資したりする以上に気をつけなければならぬことは、金融上の保証人となり、連帯の印を押したり、裏書の判を引き受けたりすることである。親戚知友などの懇意な間柄では、よく、ちょっと君が一ト判請け負ってくれさえすれば僕の事業も助かり、数日内に金も返せるから君にも決して迷惑はかけないと持ち掛けられることがあるが、うっかり請け判をしたためにとんだ目にあい、ついに一生涯それで苦しめられる人が少なくない。私の友人である知名の大学教授(W博士)のごときは、この手にかかり僅か数百円の借用証文に保証人の判を捺したばかりに、その証書が高利貸しの手に渡って転々とし、僅か五年そこそこのうちに数万円の巨額となり、その利息を払うだけに、生涯月給の差し押さえを食いつづけていたが、恐るべきは正にこの請け判である。だから、たとえ事情やむを得ず、自分の持ち物を売り払って金を出すことがあっても、決して他人の借用証書などに判を捺すべきではない。


 私は今まで母の教えを忠実に守って、お金の貸し借りは一切せず、保証人にもならずにこれまでやってきました。正解でした。♥♥♥

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多義語otherwise

 仮定法の学習でよく出てくるotherwiseという単語があります。「もしそうでなければ」という意味ですね。ところが、難関大学の入試問題を演習していると、読解問題ではこれ以外に、「その他の点では」とか、「別の方法で」という意味も出てきますから厄介です。丸暗記組はすぐに忘れてしまうことでしょう。力のない生徒はいつでも「もしそうでなければ」と訳して、つじつまがあわなくなって困り果ててしまいます。

  「その他の点では」「別の方法で」という意味のotherwiseがよく出てくるんです。そうです、otherwiseには、①「もしそうでなければ」(=if …not)、②「その他の点では」(= in other ways)、③「別の方法で」(= in a different way)、という三つの意味があることを頭に入れておく必要があるんです。ここで生徒に尋ねます。「何でこんな意味が出てくると思う?丸暗記する?」 以前毎年3月に実施されていた、松江北高の伝統的な「学問探求講座」で、私はこういった問題を数多く取り上げて、生徒と一緒に考えていました。他校には見られない松江北高の長い伝統に裏打ちされたユニークな行事でしたが、受験に関係ないということで廃止されてしまいました。最後まで反対したのは私を含めてわずか二人でした。⇒詳しくはコチラです

 otherwise は、歴史的にother + ways  ← other + way + sから派生した単語です。最後の-s副詞の状態を表す語尾の-sで、英語にはかなり見られます。always, sometimes, nowadays, besides, towards, indoors, upstairs, downstairs, perhapsなど、みなそうですね。そこで、wayがいろいろな意味を持つ(「状態」「点」「方法」)ことに着目すれば、「他の状態では」⇒もしそうでなければ、「他のでは」⇒、「他の方法」⇒、と考えれば一目瞭然ですね。このように元の成り立ちを理解することで、これらはスーッと頭に入ってきて、そして忘れません。私はこのことを説明した後で、忘れないように「別の 点 なければ」と、ゴロ合わせで覚えておくように指導しています。ちょっとしたことなんですが、otherwiseのこの知識が大きく物を言うことがあるんです。副詞clockwise(時計回りに) crosswise(斜めに)が出た時にも応用できますね。

 「なぜだろう?」とよく分からずに悶々としていたことが、ダダダーと崩壊して、「あー、そうだったのか!」と納得できたことは絶対に忘れません。私はこれを「あー、そうだったのか体験」と呼んで(作家の梨木香歩さんにヒントをもらいました)授業の中で強調しています。♥♥♥

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「風見鶏の館」

 明治元年に開港した神戸の高台にある北野町には、明治~昭和初期にかけて、外国人たちが住むコロニアル様式の洋館(異人館)が一時は200棟を超えて建てられたそうです。今残っているのは30棟あまりですが、中でも「風見鶏の館」(かざみどりのやかた)は、一番人気の歴史的建造物です。北野異人館で一番有名な建物で、色鮮やかなレンガの外壁と、屋根に付いている尖塔の風見鶏が特徴的な建物です。1904年(明治37年)にドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマス(Gottfried Thomas 1871―1871)の住宅として建てられた西洋館(異人館)で、重厚な煉瓦造りの外観と、屋根上の風見鶏を特徴とするネオ・バロック様式を基調とした建物です。屋根の風見鶏により「風見鶏の館」と呼ばれ、また当初の居住者の名から旧トーマス邸、旧トーマス住宅とも呼ばれています。国の重要文化財に指定されています。北野地区になる現存する数ある異人館の中で、レンガ外壁の建物としては唯一のもので、色鮮やかなれんがの色調、石積みの玄関ポーチ、2階部分の木骨構造、など他の異人館とは異なった重厚な雰囲気を持っています。まるで高貴なお屋敷にお邪魔する感じですね。また尖塔の上に立つ風見鶏はよく知られ(魔除けだとか)、今では北野町の象徴として欠かせない存在になっています。ドイツの伝統様式を取り入れた、内部の重厚な意匠の数々も見応えがあります。外国の技術力の高さには脱帽です。

 施主のトーマスは、この家を「ハウス・レナニア(ラインの館)」と呼び、ドイツ風の重厚なデザインの中に、内装には随所に世紀末のアール・ヌーヴォー様式を取り入れています(ドアノブにまで)。落ち着いた品のあるインテリアの数々です。 トーマス家では1914年(大正3年)、一人娘のエルゼ・トーマスをドイツ本国の上級学校に進学させるために、休暇を兼ねて一家三人でドイツへ一時帰国中に、突然勃発した、日独戦争により、日独が戦争状態に陥り、その結果、一家は神戸の自邸への帰還ができなくなるという悲劇が起きました。トーマス家では、館は敵性資産として没収されたと伝えられていたのですが、登記簿上では、戦争中に、売買された形にされていました。1977年10月から放送が始まったNHK連続テレビ小説「風見鶏」で全国的に知名度が上がり、北野町山本通周辺にある異人館群のシンボル的存在であるこの建物の文化財としての価値にも、注目が集まるに至りました。ただし、異人館風見鶏の館の住人だったトーマス家の歴史と、テレビドラマ「風見鶏」のストーリーは全く関係がなく、ドラマの時代設定自体が、トーマス家の在日時期とは異なるため、ドラマのモデルではありません。1978年1月に「旧トーマス住宅」の名称で国の重要文化財に指定されました。同年、神戸中華同文学校学生寮となっていたこの建物を、神戸市が文化事業の一環として買い上げ、整備した後に一般公開を行いました。平成7年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」では、ほぼ全壊するという甚大な被害を受けています。レンガにステンレス線でネットに結束させる技術を採用して修理、外壁のレンガの修理は36,000枚以上にわたったそうです。1年8か月かけて修復工事が行われました。元の建材を70%以上使用して再建されたことで、重要文化財指定は取り消されずに済みました。 歴史的にも重要な建物の修復には、相当の技術と費用がかかっています。

 建物東側、階段を上ったところに「玄関ポーチ」があり、角柱で支えられたポーチの上は「バルコニー」となっています。1階は中央北側をホール、南側をアルコーブ付きの「居間」とし、東側は玄関を挟んで北側が「書斎」、南側が「応接間」となっていました。居間東側のアルコーブと書斎の東側は床高が一段高くなっており、書斎東北側には八角形の張り出しを設けています。1階の西側は「食堂」、その南に「ベランダ」が。2階の間仕切りは1階と同様で、居間の上が「子供部屋」、「応接間」の上が「朝食の間」、書斎の上が「客用寝室」、食堂の上が「夫婦寝室」となっており、夫婦寝室の南にも1階と同様に「ベランダ」を設けています。建物の東南隅には「塔屋」を設け、この屋上に「風見鶏」があります。2011年の塗装塗り替えの際に、深緑色に戻すべきではないか?との指摘があったことが報じられていました。

 1階には、トーマス夫妻と14歳まで神戸で暮らしていた令嬢のエルザさんの当時の暮らしぶりが写真展示で紹介されていました。建設当時を再現した室内には洋家具、トーマス家の写真、西洋アンティークの人形などが展示されています。萌黄の館(もえぎのやかた)と2館セットで650円の割引入館料でした。高校生以下は無料です。ノスタルジックな世界へと誘われた気分でしたよ。♥♥♥

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「地獄めぐり」

▲「地獄めぐり」定期観光バス

 別府観光といえば「地獄めぐり」ですね。今まで何回か別府を訪れたことはあったんですが、なかなか時間が取れなくて、今回初めて「地獄めぐり」を体験してきました(約3時間)。「亀の井定期観光バス」で巡ったんですが、「海地獄」の駐車場に降りてから、そのままぐるーっと5つの地獄を巡り60分も歩かされました(最後は急な坂道!)。足の不自由な私にはこちらの方が「地獄」でした〔笑〕。千年以上も昔から噴気・熱泥・熱湯が地中深くから噴出する様子はまさに地獄そのものです。その迫力に惹かれるものがありました。

 「別府地獄めぐり」といえば、「海地獄」「鬼坊主地獄」「かまど地獄」「白池地獄」「鬼山地獄」「血の池地獄」「龍巻地獄」の7つを巡るコースをいいます(もう一つの重要な地獄がある、と帰りのタクシーの運転手はおっしゃっておられましたが)。

①「海地獄」からスタート

 まず地獄めぐりのおすすめコースは「海地獄」からスタートします。「海地獄」は別府の地獄の中でも最大規模を誇る地獄で、その池の色はコバルトブルーをしています。まるで絵の具を流し込んだかのようなこのコバルトブルーの色は、温泉に硫酸鉄が溶け出ているからです。温度はなんと98℃もあり、お湯が湧き出る泉脈までの深さは200mとも言われています。今から1200年前に鶴見岳が爆発したことを起因にできたものです。「海地獄」のもう一つのおすすめのスポットは、園内にある熱帯性睡蓮です。

②坊主頭に似てる?「鬼石坊主地獄」

 次のコースは「坊主地獄」として明治時代より親しまれてきた「鬼石坊主地獄」です。灰色の熱泥がグツグツと沸騰する様子が坊主頭に似ていることから名付けられました。源泉はナトリウム、一塩化物泉です。1950年代後半にいったん閉鎖されましたが、復活を願う声に応えて、2002年にリニューアル・オープンしています。派手さはありませんが、絶え間なくボコボコと湧いてくる灰色の泥を見ていると、自然と心が落ち着きます。

③噴気でご飯を炊いた歴史も!「かまど地獄」

 別府「地獄めぐり」のコースにある「かまど地獄」は源泉90℃で古来より氏神の竈門八幡宮の大祭に、地獄からの噴気で供養飯を炊いたことがその名の由来となっています。「かまど地獄」は敷地内に1丁目から6丁目までそれぞれ特徴のある湯の池があります。その特徴は3丁目は乳白色、4丁目はトロトロの泥、5丁目はお湯の色がグリーンやブルーに変化するお湯です。

④別名ワニ地獄「鬼山地獄」

 「地獄めぐり」のコースの中では異色の「鬼山地獄」は別名「ワニ地獄」とも呼ばれて親しまれています。その歴史は古く、大正12年に日本で初めて温泉熱を利用してワニの飼育を始めたのです。土・日曜には餌付けが行われ、肉塊めがけて、水しぶきをあげながらワニたちが一斉に飛びついてくる様子には圧倒されます。

 

 

 

 

⑤色が変わる「白池地獄」

 地獄めぐりのコースの中で「白池地獄」は、和風庭園が特徴で青みがかった池がたたずみます。噴出時透明な湯が池に落ちた瞬間に、温度と圧力の低下で青白く変色し、この美しい光景が生み出されるのだそうです。おすすめは園内の熱帯魚館やピラルク館で、アマゾンに生息する珍しい魚など約20種類を観察することができます。趣たっぷりの美しい庭園と獰猛な巨大魚たちが暮らす熱帯魚館。相反する魅力がそこにはあります。

⑥由来は色から「血の池地獄」

 「血の池地獄」は日本最古の天然地獄です。なんと1300年以上前から存在しています。泉温78℃で化学反応した酸化鉄や酸化マグネシウムなどが含まれた赤い熱泥が地層から噴出、堆積して池一面が真っ赤に染まるのです。「血の池地獄」はかつてはたびたび爆発を繰り返し周囲に被害を及ぼしていました。その後、爆発を防ぐために池のかくはん作業を行うことで爆発が治ったのです。

 ガイドさんのおすすめは「血の池地獄」から湧き出る粘土から作られた、皮膚病に効能があるとされる「血の池軟膏」でした。そしてここ「血の池地獄」には、「地獄めぐり」で最も大きなみやげものショップがあります。みなさんここでたくさんのお土産を買っていかれます。

▲最大のお土産ショップ

⑦間欠泉が名物「龍巻地獄」

 「龍巻地獄」は別府の地獄として国の名称にも指定された間欠泉です。「地獄めぐり」のコースの中で雄大な温泉ともいえます。地中では150℃にもなる高温の温泉ですが、噴き出す瞬間は105℃になります。現在は安全性を考えて噴き出す熱湯を遮る屋根や石垣がありますが、その昔は50mも高く噴き上げていたそうです。噴出する間隔は30~40分に1回、約5分間程度です。吹き出しのタイミングはスタッフが教えてくれるので、先にお隣の「血の池地獄」を見学して時間調整をすると効率的です。♥♥♥

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オススメ単語本&指導法

 「単語力をつけるのに何かいい参考書はありませんか?」と先生方から聞かれることが多いんですが、私が使ってみて自信を持ってお薦めできるものが二つほどあります。私が教えております勝田ケ丘志学館では、初年度から全員の生徒に持たせて一年間を通して演習を積んできました。一つは、竹岡広信先生の単語集『LEAP』(数研出版)です。『LEAP』という書名はLearn English Vocabulary, both Active and Passive”(英語の発信語彙と受信語彙の両方を学ぶ)の頭文字を並べたものですが、同時に四技能の英語世界へ「飛翔」してほしいという竹岡先生の熱い願いが込められています。(1)「発信語彙」と「受信語彙」を区別したのが大きな特徴です。さらには、各語に(2)CEFRレベルを掲載して語彙難易度を明示してあることも、従来の単語集にはなかった特徴です。「共通テスト」で使われる単語レベルは、CEFRのA1、A2、B1で基本単語が中心です。ただし竹岡先生の長年の指導の成果から、敢えて取り上げられている難語も幾つか見られます。(3)単語の正確なニュアンスに徹底的にこだわっています。これは、竹岡先生の深い学識を至る所に感じることができる単語集です。一例を挙げますと、relativeという単語を単に「親戚、親類」としている単語集は全部ボツにするという判断基準を私は持っています。『LEAP』では「(家族も含めて)親戚」としているのは素晴らしいと思います。(4)類義語の正確な記述も魅力です。(5)用法への的確な指示も忘れてはなりません。(6)訳語にかなりこだわって作られていることも見逃せません。(7)丸暗記によらない単語記憶のさまざまな工夫が盛り込まれている点(「語源」だけでなく「語呂合わせ」までも)を、私は高く評価します。生徒が単語を覚えやすくするために使えるものは何でも使おう、それでいて学識の香りが隅々まで感じられる「学問的単語集」だと感じています。この本には『活用ノート』なる補助教材(1,2,3)が3冊用意されていて、アウトプットの英作文練習までできるようになっています。私は勝田ケ丘志学館で初年度からこの『活用ノート』も採用して、英作文の指導に充ててきました。低学年用には『Basic』版も発刊されています(松江北高の一年生はここからスタート。この本は親本の『LEAP』の語彙を少なくして編集し直しただけのBasic版ではありません。全く新しい単語集です)。私は今ある単語集の中では、これが最高のものと確信しています。

  もう一つは清水建二通称シミケン先生の『英単語の語源図鑑』(かんき出版)です。可愛らしいイラストと共に、単語の成り立ちを分かりやすく教えてくれます。異例のベストセラー(シリーズ累計100万部突破)に なった本です。私たちに馴染み深いカタカナ語を使って楽しみながら、芋づる式に英単語が身につくアプローチの清水先生の手になる『英語の語源大全』という本も新しく出ています。ここでみなさんにご紹介しておきます。

 私は授業の冒頭5分間で、口頭で次のような単語演習をやっています。まず全員を起立させます。そして私が単語をどんどん出題していきます。正しい意味が日本語で言えたら次々と座っていきます。答えられない生徒はそのまま立ったままです。dignity―「威厳」、はい座って。efficient―「効率的な」、OK。chemistry―「化学」、はいOK。次artificial―「人工」、ダメ。ハイ次。opposite, negotiate, deserve, minority, investigate, generous, frighten, worship, virtue, ultimate, significant, reluctant……と、こんなふうに全員が座ることができるまで続けます。5分もあれば二周以上こなし全員が座れますし、時々珍答が出たりして大受けします。最後の総まとめの段階ではこれの逆バージョン。日本語を出題して英単語を言ってもらいます。テンポ良くやると、結構盛り上がっていい演習になりますよ。

 単語 を定着させるために現場でよくやるのが、紙の単語テストですね。短い数頁を範囲に指定して、10個程度単語テストで確認、そして相互採点をして行くというやり方です。私も現役時代にはこれをずっとやっていましたが、最後の方は、紙を止めて全て口頭で、しかも範囲を多くして(100語~200語程度)、何度も何度も繰り返す手法をとっていました。始めのうちは「鬼だ、悪魔だ」と言われていましたが、これのほうが圧倒的に力がつきました。先日、岡山県の笠岡高校で講演をさせていただいた際に、前夜、英語科の先生方の会食に招かれました。そこで若い先生方から出た質問が、「口頭による単語テストについてもっと教えて欲しい」というものでした。口頭が紙の小テストに勝るメリットとしてはこんなものが挙げられます。

①音声を確認することができます。「読めない単語は覚えられない」(例:name, psychology, dangerous)のですから、何よりも発音できるということが大切です。口頭でやることでこれを確認しながら進むことができます。

②単語数を稼げます。紙の小テストでは聞くのはせいぜい10個か20個ですね。口頭でやることで、何度も反復練習を重ねることができます。5分もあれば100個以上確認することができます。

③カバーする語数の割に時間もかかりません。私は毎時間テンポよく5分程度でやっています。

④時々盛り上がります。正しく答えられないと座ることができませんから、緊張感が張り詰めます。しかしその中にも、珍解答が出たりして笑いも起こります。私は単語に限らず、授業の中で「笑い」を大切にしているんです。

 ぜひ単語テストを口頭でやってみてください。♥♥♥

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「PEP」

◎週末はグルメ情報!!今週はハンバーグ 

  JR松江駅近くの寺町に最近オープンした洋食屋「PEP(ペップ)」に行ってきました。岡山県出身の店主が、イタリアンなどに約25年携わったのちにオープンしたお店です。「しまね和牛」「飯南ポーク」といった、地元食材を活かした洋食を味わうことができます。温かみを感じる外装で、「PEP」と書かれた丸い看板がオシャレな雰囲気ですね。ランチとディナーが楽しめるお店です。今回5回目の訪問にして、ようやく食べることができました。1回目は満員で断られ、2回目は金曜日のランチはお休みで空振り、3回目は予約客でいっぱいで断られ、4回目に行ったときには月曜日で定休日でした。

 ランチのラインナップは、「ハンバーグランチ」「パスタランチ」の2種類のみとシンプルです(各1,600円)。いずれも化学調味料は不使用。出汁や素材を活かした手作りのランチです。私は「ハンバーグランチ」をいただきます。「ハンバーグランチ」のメインは、「しまね和牛」で作る贅沢なハンバーグ! サラダ、本日のスープのほか、ライスorバケット、ドリンクもセットになっています。今日のスープは、ほうれん草のスープでした。注目は、ハンバーグにかかっている自家製のデミグラスソース。日々継ぎ足すソースを、とろ火で1日8時間かけてじっくり煮込んでおり、7日後にやっと完成するそうで、深みのあるまろやかな味わいに仕上がっています。

島根県のJR松江駅近くにある洋食屋『PEP』のランチ


 店内はカウンター席とテーブル席。店主が一人でやっておられることもあり、料理が出てくるまでの時間がちょっと長いかなと感じましたが、味の方は文句なしでした。久々にお腹いっぱいになり満足でした。♥♥♥

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週休3日制

 パナソニック楠見雄規社長は、多様な働き方の実現に向けて、社員が希望すれば週に3日休むことのできる「選択的週休3日制」の導入、原則在宅でいいフルリモートでの勤務、他社に雇われる形での副業、を目指すことを明らかにしました。週末に加えて、月曜日や金曜日など好きな日を選んで休むことができます。多様な働き方の実現に向けて、社員が希望すれば週3日休める「選択的週休3日制」の導入を目指すとしたうえで、増やした分の休日は、副業や自己学習などの時間に充ててもらうことを想定しているとのことです。全面的な週休3日制への移行ではなく、あくまでも選択的です。2022年度内に予定する週休3日制の試験導入について、選択できる従業員は、約5,000人になると明らかにしました。パナソニックグループの日本国内の従業員は約6万人で、今回の試行対象となる5,000人は8%強に相当します。ただ、全員が週休3日を選ぶわけではなく、具体的な人数の目標も未定だといいます。今回のパナソニック「週休3日制」は、賃金をそのままに休みを増やすのではなく、休んだ分だけは賃金が減る形だと見られています。10月から試験的に導入を始めており、令和5年2月に本格導入します。

週休3日、4日・・・週休3日は間接部門の社員などの場合、勤務日の働く時間を増やして給与の維持可能。

フルリモートでの勤務・・・通勤圏外で可能に。親の介護や家族の転勤でも続けて働いてもらう。

他社に雇われる形での社会副業・・・週休3日で増えた休日なんどの副業で知見を広げてもらう。

法律で定めた期間を超える育児休業・・・子育てを支援し、ワーク・ライフ・バランスの実現を後押しする。

 そもそも、1965年、日本で初めて週休2日制を導入したのが、松下電器産業パナソニックの当時の社名)でした(ご存じない方もおられるので、詳しい事情を下に調べてみました)。それをきっかけに、日本人のライフスタイルが大きく変化したのでした。当時の松下幸之助さんは、松下の社員に「一日休養・一日教養」と呼びかけ、生涯学習を提案したのでした。今回のパナソニックは、「一日休養・一日教養・一日副業」を求めています。最近の『朝日新聞』の主要100社の調査によれば、副業OKという会社は、約8割にのぼります。

 2021年の厚生労働省の調査によれば、企業の休み制度の現在の状況は、週休3日制(8.5%)、完全週休2日制(48.4%)、1ヶ月のうち一部が週休2日制(35.0%)、週休1日制または週休1日半制(8.0%)と、週休3日制を選べる企業の割合は少しずつ増えてはいますが、まだ少数派です。企業によっては毎週1日しか休めないところもあるんですね。休みたくても休めない人もたくさんいるんです。飲食業界では、週末も営業しているお店も目立ちます。医療や介護の世界では、深刻な人手不足のために、交代で休むことも難しいとも聞きます。

 コロナ禍で働き方を見直す動きに伴って、週休を3日以上とする企業は増えていて、政府も去年決定した「骨太の方針」「選択的週休3日制」の導入を促す考えを盛り込んでいます。人事院も国家公務員の「週休3日制」を今夏勧告する予定と言います。現在、週休3日を選べる企業の中では、パナソニックと同じように「選択的週休3日制」の制度を設けている企業が多くあります。塩野義製薬(従業員の学び直しを後押し)、みずほフィナンシャルグループ、ヤフーなどが代表例です。これらの企業は、総労働時間を減らすのに比例して、給与も減らして対応しています。日立製作所(本社などの約1万5千人が対象)のように「給与を変えず、他の日に多く働く」ことで「週休3日」を選べる制度を導入した企業には、佐川急便や、ファーストリテイリング傘下のユニクロがあります。佐川急便はドライバーが対象、ユニクロは転勤のない「地域正社員」が対象と、どちらも職種を限定し、その中での希望者のみに適用する形で実施しているようです。

 パナソニックの試みは、日立製作所の制度と比べると、メリットを享受できる人はそう多くはないでしょう。給与や評価・昇進などへの影響がなくならない限り、「選択的週休3日制」という、他の社員よりも総労働時間が減るコースを選ぶ人は、限定的だと考えられます。「週休3日制」とはいえ、課題もあります。労働時間が減れば、当然給料も下がってしまいます。時間を維持しようとすれば、1日あたりの働く時間が延びてしまいます。なかなかな難しい問題です。

<◎メリット> 会社

・社員のモチベーションと生産性の向上  ・離職の防止  ・優秀な人材の確保・人手不足の解消  ・光熱費・コストの削減  ・残業時間の削減  ・感染症対策

<◎メリット> 従業員

・私生活の充実によるモチベーションアップ  ・働き方の選択肢の増加     ・通勤ストレス・コストの削減  ・感染症対策

<×デメリット> 会社

・労働時間の減少による業績量をこなせない  ・勤怠管理・給与体系が複雑化  ・取引先との対応・コミュニケーション不足

<×デメリット> 従業員

・1日あたりの業務量の増加  ・残業の増加

 なお、労働者の理想の週休3日は、言わずもがな「給与は維持し、総労働時間は減る」形式でしょう。ベンチャー企業などではこの形式を採用している企業もありますが、全社員がその分パフォーマンスを向上して仕事に取り組むとは想定しづらく、人件費当たりの生産性の低下が懸念されるため、大手企業での導入は難しいと考えられています。週休3日の制度の詳細には、企業ごとの働き方改革の方向性が表れていると言ってよいでしょう。週休3日により、日立パナソニックはどう変わるのか、これからどのような制度の企業が増え、どのような成果をもたらすのか──今後の動向を注視したいと思います。まさに新しい時代が来ようとしています。♥♥♥

◎そもそも「週5日制」は松下から始まった!

 松下幸之助さんは、昭和35年度の経営方針発表会で、5年後の昭和40年から画期的な「週5日制」を始めることを発表しました。「今後、自由競争で海外メーカーとの競争に勝つためには、能率を飛躍的に向上させなければならない。そのためには、休日は週2日にして、十分な休養で心身の疲労を回復し、一方では文化生活を楽しむことが必要になってきます。これで、給与も他の同業メーカーより多くても少なくならないようにもっていくところに経営の方針をもたなければならない」というのが、その趣旨で、この方針策定によって、福利厚生、健康保健対策も新しい観点から検討を加えることになってだけでなく、松下電器のすべての部門が、この週5日制の実現を、一つの大きな目標として努力することになったのでした。

 昭和40年4月16日、松下電器は5年前からの目標であった「週5日制」を実施。アメリカ並みに毎週2日の休日、週40時間の勤務体制に移行しました。従業員が休日を単なる遊びに終わらせることのないようにと、経済人、社会人として向上するために役立たせることを要望しました。松下さんは言います。「何の進歩なしに、ただ週2日休めば、それだけコストが上がり、コストが上がれば物価も上がる。これでは、会社の成績は上がらないし、世の模範ともならない。会社のためにも、個人のためにも、世の模範にもならないものは、断固として排することが大事だと思う。しかし5日制は、決してそんなものではない。一番早く5日制に踏み切ったアメリカが繁栄していることを考えると、週2日休みというものは、基本的に間違っていないと思う」

 この週5日制に対する従業員の誇りと責任感は、勤労意欲と能率の向上となって現れ、新販売体制の成功とともに、週5日制は順調に軌道に乗りました。週2日の休日を、従業員の心身の向上に役立てる面では、社員研究所で、休日に従業員のために趣味や教養の催しを始めたのでした。♥♥♥

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SANADAが勝った!

 私は若い頃から熱狂的なプロレスファンです。4月8日(土)の新日本プロレス・両国決戦を生中継で見ていました。メインイベントのIWGP世界ヘビー級王座戦で、春の最強シングル決定トーナメント「NEW JAPAN CUP」(NJC)の覇者・SANADA(35歳)が3度目の防衛を狙ったオカダ・カズチカ(35歳)を26分58秒、新技「デッドフォール」(変形DDT)からの体固めで撃破し、新王者に輝き、新日移籍7年目にして最強のベルト初戴冠を果たしました。新日本参戦から丸7年。悲願のベルトをつかみ取り「やっと、やっと、IWGP世界ヘビー級のチャンピオンになりました」と感慨を込めました。

 彼は2005年11月に、新日本プロレスの入門テストで不合格になっています。翌年1月の「武藤塾」に合格、2007年3月に全日本プロレスでデビューしました。新日本マット初登場は2016年4月で、キャリア初となる団体最高のベルトを取るまでには、さらに7年もの月日を要したことになります。潜在能力の高さは周りから評価されていたものの、IWGP挑戦に4度失敗しています。肝心なところで結果を残せない日々が続いていました。

 SANADAは昨年、暗闇のスランプ状態に陥り連戦連敗を喫し、もがき苦しんでいました。新日本プロレスの「NEW JAPAN CUP」(NJC)のトーナメント開催中に、「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を電撃脱退し、髪も金髪から黒く染め直し「Just 5 Guys」に加入しました。クラシカルな技を好み、「頭から落とすだけがプロレスじゃない」との哲学を持っていたSANADAが、殻を破りあえて相手を頭から突き刺す技(変形DDT)を開発して(昨年から考えていた技だそうです)、1回戦の初公開から猛威を振るい、トーナメント全5試合をこの技で勝利しNJCを制覇しての挑戦でした。NJCの決勝戦が行われた長岡大会の会場に観戦に訪れた人気バンド「Hi-STANDARD」「NAMBA69」難波章浩は、新潟の同郷で親交の深い間柄です。試合後バックステージで対面したSANADA「新技の名前をつけてもらえませんか?」と直訴します。突然の命名依頼に驚いた難波さんでしたが、快諾。実際に技のかけ方を教わりながら考案したのが「デッドフォール」でした。上から丸太などが落ちてきて、大きな野獣を捕らえる落とし罠で、かかったら最後、その獣は一巻の終わり、という意味を込めました。 

 この日は入場曲も変更。ブルーとシルバーのショートタイツという新コスチュームで登場し、場内を埋めた観客からは大きなどよめきが起こりました。「オカダさんを倒して景色を変える」と宣言していました。過去の対戦成績1勝8敗と圧倒されてきた同い年の絶対王者相手に、高角度のバックドロップ、場外での厳しい首への攻めを披露。オカダのDDT、打ち上げ式のドロップキック、場外でマットをはいだ床へのDDTの反撃を受けますが、トップロープからのドロップキック、場外へのプランチャーで追い込むと、耳に手を当て、観客に「SANADA」コールを求めます(WWEのハルク・ホーガンがやっていたポーズです)。TKOからのSkull Endで絞め上げたSANADA。コーナートップからのラウンディングボディプレスはひざを立てて迎撃され、マネークリップで首を攻められましたが、掟破りのレインメーカーを初披露し、ダブルKO状態に。TKOからラウンディングボディプレスを2連発、オコーナーブリッジ(私の好きな技です)も共にカウント2・5で返されましたが、最後は全日本時代の師匠で今年引退した武藤敬司譲りのシャイニングウィザードをたたき込むと、最後はオカダの必殺・レインメーカーをかわし、新必殺技の「デッドフォール」で3カウントを奪いました。

 リング上でマイクを持つと、「やっと、やっと、IWGPチャンピオンになりました」と叫んだSANADA。若手の肩を借りて引き上げていくオカダの背中に「あなたが同世代でいたから、ここまでになれました。ありがとうございました。また、やろう!」と呼びかけました。「苦しい時期も、一番好きなことで中途半端に終わってしまったら、何をやってもダメだろうと思ってて。やめようにもやめられなかったですね。諦めなければ、こういう日が来るんだなと思いました」と胸を張りました。

 バックステージでタイチらJ5Gの仲間たちに頭からビールをかけて祝われると、「このリングに来て7年なんですけど、ちょうど7年前の4月の両国で、しかもIWGP戦の乱入で、その時リングにいたのがオカダと内藤で。なんか対戦相手が、その時いた人に勝ったっていうのが、なんかストーリーあるなと思ってて。ここまで獲れなかったのも全部意味があったのかなと、今日獲るために今まで獲れなかったのかなと。まぁ一番の理由はこの「Just 5 Guys」のメンバーと組んで取れたっていうことが凄く嬉しいです。まず自分がチャンピオンになったことで景色が変わると思うんで。で、こうやってヒロムさんとかチャレンジャーで来るっていうこと自体がもう新しい景色で、こういうことが増えて、今までないものが今後実現していくんじゃないかと。それが新しい景色に繋がるなと思います」と語り、新日本プロレスの新境地を拓いていく覚悟を語りました。「ここまで獲れなかったのも意味があるのかなって。J5Gのメンバーと獲れたのが一番うれしいです」と続けると「ここで負けたら後がないと、ずっと思ってました。やっと、獲れてうれしいです。まだ、35(歳)なんで、まだまだ行けるんじゃないですか」とニヤリ。「景色を変える」と言い続けてきたことについては「自分がチャンピオンになったことで景色は変わると思う。今までにないものをこれから実現していく。それが新しい景色なんじゃないですかね」と返答。試合前も、「一番思っていることは『マンネリ打破』ですね。SANADAがベルトを巻くと一番景色が変わるのかなと。他の人が巻いても想定内かなと思っちゃうんですよね。このマンネリ打破がないと、人気が出ないと思うんですよ。そこに加われたらいいなと思ってます」と述べていました。10年以上にもわたり業界のトップに君臨する同い年のオカダからベルトを奪い、新たな風を吹き込んだSANADAでした。試合直前に「新しい景色、新しい景色」とテレビで流れる度に、この結果になることは予想されたことでした。

 師匠の武藤敬司引退の年に最高峰のベルトを初めて巻いたことについては「狙っていたわけでもないし、たまたまだと思います」とクールに答えると、群がる記者たちに「言いたいことは言ったんで、皆さん、帰ってもらっていいですか」とこれまたクールに言い放って引き上げていきました。

 今の姿を、2012年彼がまだ24歳の時に、肺がんで亡くなったお母さんに見せたかったと言います。危険きわまりない職業にずっと反対していたと言います。「今でも生きていたら、どう思ってくれているのかな。この姿を見ていたら、うれしくなってくれていたかもしれないですね。見てくれているのかな。近いうちにお墓参りに行ってこようと思います。」SANADA♥♥♥

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最後まで終わらない!

 「共通テスト」の指導をしてきて、受験生たちの最も大きな悩みは、圧倒的に「最後まで終わらない!」という時間不足です。当然高得点は取れません。その原因の大きなものは四つあると思います。一つは「語彙力不足」です。英文を読む際に、知らない単語が出てきたら目線がそこで止まってしまうんです。知らない単語の度に止まっていたら、どうしても読むスピードは落ちてしまいますね。二番目は「文法力不足」です。単語と同様に基本的な文法事項が分かっていないと、英文を読む際に時間が多くかかってしまいます。正確に英文を読み解くためにも、基本的な文法の知識は不可欠なんです。三番目が「問題形式への慣れ不足」です。ありとあらゆるジャンルの英文が出題され、設問形式もさまざまです。「事実」と「意見」の区別、複数の情報を統合して答える問題、タイトル付けなど今までになかったタイプの問題も多いですから、これに慣れておく必要があるのです。四番目は「時間配分の意識の希薄さ」です。80分という制限時間は変わらないのに、「センター試験」の時よりも長文2題分は分量が増えている(約3,000語→約6,000語)のですから、スピード感を持って読まないと最後までは終わりません。それには各大問をおよそ何分くらいで処理すればよいかを大雑把に頭に入れておく必要があると思います。全体のペース配分が重要なんです。さらには、「共通テスト」の問題は、問1が簡単で問5に進むにつれて難易度が上がっていく、というふうにはなっていません。問1が一番難しく、問4の方が割と簡単だということもざらにあります(私は出題者が意図的にやっていると思っています)。こうなると問1に深入りして時間を使い過ぎると、最後の方にしわ寄せがきてしまいます。

 「センター試験」時代は、「大問を解く順番を変えれば何とかなる」などという小手先のテクニックがアドバイスされたこともありました。「共通テスト」ではそんな姑息なやり方は全く通用しません。今述べた四つのポイントを克服しない限り、最後まで行くことはないでしょう。本物の英語力が試されているのです。

 語彙力、文法力、問題形式への慣れ、時間配分、この四つです。❤❤❤

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大村崑さん

 3月17日放送の「赤い霊柩車」シリーズの最終回をじっくりと見ました。みなさんずいぶん年をとったことが見て取れ、打ち切りになるのもうなずけたことでした。中でも若林 豪さんの狩屋警部の老け顔にはビックリしました。神田正樹さんも年を取った印象です。ところがです。91歳と一番高齢であるはずの大村 崑(おおむらこん)さんのお元気そうなこと。ハツラツとしておられましたね。今日は大村 崑さんについてです。

 大村さんは、オロナミンC(大塚製薬)のコマーシャル「元気ハツラツ!」のキャラクターで一斉を風靡しました。私は若い頃は、オロナミンCを箱ごと常備していました。お風呂上がりによく飲んだものです。尊敬する故・渡部昇一先生オロナミンCの大ファンだったとお聞きし、親しみをおぼえたものです。大村さんは 幅広い世代に親しまれ、2017年には旭日小綬章を受章しておられます。

 生まれは神戸の下町新開地。お父さんは電気屋と写真館を経営しておられ、経済的にはそこそこ豊かな家庭に育ちました。ところが、昭和15年クリスマスの当日に体調を崩した父親が、入院後に腸チフスの感染が判明しました。すぐに保健所の人たちがやって来て、そこらじゅうを消毒し、家の中も外も真っ白な粉だらけになりました。年が明けた元日に父親が亡くなります。長男の大村さんは子どもがいない叔父夫婦の家に、妹や弟たちも親戚の家にバラバラに引き取られます。お母さんは籍を抜かれ、まだ赤ん坊だった下の妹と共に家を出されてしまいます。一家離散状態です。

 19歳で肺結核になり、片方の肺をとったので極端に体力がありませんでした。当時結核は恐ろしい病気で、1年1ヶ月間も隔離されています。小学校1年生のときに、目にボールがあたったせいで左目が弱視になりました。左耳は、継母に反抗して毎日殴られ続けたせいで難聴です。今でも左目はほとんど見えないし、左耳もほとんど聞こえません。片肺はないし、目も耳も悪いということで、医者から「障害者手帳を申請しなさい」と言われたほどです。「40歳までは生きられないだろう」と宣告されています。「元気ハツラツ」とはおよそ縁遠い状態です。以来健康管理には人一倍気をつけるようになりました。

 若い時から、7~8時間は必ず睡眠をとるようにしました。どんなに大切な打ち上げの時でも、「あ、睡眠が足りなくなる」と思ったら、トイレに行くふりをして帰ってしまいました。「ドロンの崑」とあだ名がついたのはこの頃です。付き合いが悪いので、酒飲みと賭け事をする友達はいません。結果的には、それが健康によかったのだと回想しておられます。

 食事は若い時から1日2食。朝昼兼用のブランチと夕食です。食事は「孫はやさしい」(め、ま、かめ、さい、かな、いたけ、も)を意識して食べてきました。今でも家でのおやつは芋です。どれもよく噛んで食べるので、今でもすべて自分の歯です。

 歳をとるにつれてお腹だけがぽっこりと出るようになりました。身体は細身なのにウェストが92もあり、ウェストに合わせてズボンを選ぶと、他がぶかぶかで変な恰好になってしまいます。そこで86歳から奥さんと一緒にジムに通い、週2回みっちり筋トレをし始めました。最近もライザップのCMで筋トレをしておられる大村さんが有名になりましたね。「歳をとっても筋肉は鍛えられる」と、ムキムキの筋トレに夢中になっておられます。50センチほどの歩幅でスタスタと、けっこうな速足で歩くこともできます。しかも、駅やデパート、ショッピングセンターでは、エレベーターやエスカレーターも原則、使わない。手すりをしっかり持って、階段を一段一段、上って、下っておられます。背中はピーンと伸びており、腰も曲がっていません。背中と肩が丸まった「猫背」とは無縁の、実にいい姿勢をしておられます。膝も伸びていて、胸を張り、背すじをピーンと伸ばして、大股でさっそうと歩いていると、気分もハレバレしてくる、ふと見上げて、青空が広がっていたりすれば、幸せな気分になります。ああ、長生きしてよかった、と思うのもそんなときだそうです。今が人生で一番調子がいいそうですよ。

 肺結核のため右の肺を切除しておられます。それ以来、「片肺飛行」の大村さんはひどい息切れに悩まされ続けてきました。少し歩くだけで、すぐに息切れがするのです。70年間以上も苦しめられてきた息切れから、筋トレが解放してくれました。筋トレでは深い呼吸が大切になります。息を深く吸って、ゆっくりと吐き出す。これをくりかえしながら、体を動かすわけです。つまり、筋トレのたびに何百回も深い呼吸をくりかえすことで、呼吸で使う筋肉が鍛えられたんだと言っておられます。そのため、肺活量が増えて、息切れもしづらくなったのでしょう。筋トレによって、肺を動かす「呼吸筋」という一連の筋肉群も鍛えられ、肺の周囲全体が発達して、機能が上がったのではないかということでした。まだまだお元気で活躍していただきたいと願っています。♥♥♥

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生徒の心に火を付ける

 私は大学に入れるために英語を教えているのではありません。英語の面白さ・難しさ・奥深さを生徒に伝えて、大学へ行ってからも、そして社会人となってからも英語の勉強を続けてもらうために必要な基礎・基本をしっかりと教え、本物の英語の力をつけるために毎日の授業をしています。決して「分かりやすい授業」とか「面白い授業」が目標ではありません。「生徒の心に火を付ける」のが私の仕事だと思ってやっています。そのためには、成績が目に見えて上がった、模試の得点が飛躍的に伸びた、というのが一番の薬になるようです。「結果」にもこだわりたいと思っています。そのために毎日の反省・分析を怠りません。私の授業の目標は「分かりやすい授業」ではなく、「あ~、英語の勉強って面白いな」「ワクワク、ドキドキ」を伝えて、「もっと勉強してみよう!」と励ます授業こそが、私の目標なんです。生徒一人でも、二人でもそういう気持ちを体験してもらえる授業こそが、私にとって「良い授業」です。毎日の授業を私は、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」をモットーにしてやっています。これは作家の井上ひさしさんの言葉です。そんな私は、1時間の授業の中に「笑い」が必ず出ることも心がけています。

 生徒の心に火を付けるために、私は教え子たちに協力してもらって、学校案内やパンフレットでは知ることのできない大学生活の生のレポートを送ってもらい、それを「あむーる」という通信に掲載して生徒に配布してきました。もう何十年も続けていることです。先日は大阪大学・人間科学部に進学した卒業生から詳細なレポートが届きました。今編集しているところです。大田高校で進路部長を務めていたときには、「進路だより」と形を変えて毎週発行しました。高校時代に担任した生徒の保護者が楽しみにしてくださって、今でも全部保存してあります、と言っていただいたこともあります。ちなみに「あむーる」というのは私の大好きなピアニスト・リチャード・クレーダーマンのアルバムのタイトルからいただきました。これは生徒たちに大変好評で、これを読んで、その大学を志した例も少なくありません。この「あむーる」のバックナンバーは、このサイトの右側にある「ダウンロードサイト」(閲覧自由)から読むことができますので、参考にしてください。♥♥♥

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