運がいい人を採る

 ジャーナリストの田原総一郎さんが故・松下幸之助さんと対談された際に、社員の採用や登用の基準に関して尋ねられたことがありました。「部下を抜擢する場合、たとえば特定の人を役員や関連会社の社長などに登用するというとき、その人のどこを見て抜擢するのですか。頭のよさですか?」松下さんに質問したところ、「頭はほとんど関係ない」とお答えになりました。松下さん自身は小学校中退で、学歴のある人ではありません。大卒社員については「大学でろくでもないことばかり学んでいる」「世の中のことが分からないのに、分かったフリをするのがうまい」「近道をするとか、うまくサボるとか、そういうことにかけては要領がよい」「大卒社員から大学と同じ四年間、むしろ月謝が欲しいくらいだ」と厳しい発言をされました。頭でないとすると、「健康で丈夫な人ですか?」と尋ねると、それも関係ないと言われます。松下さん自身、20歳の頃に結核にかかっておられ、「実はまだ完治しておらず半病人の経営をやっている。元気な人間は陣頭に立って突っ走るものだが、振り返るとだれもついてきていないことが多い。陣頭に立って、自分についてこいと、独裁になる者が多い。自分は半病人的経営だから、社員たちの後ろからついていく」と。このように部下の抜擢は「頭」でも「健康」でもないというので、不思議に思った田原さんは、今度は「誠実さですか?」と尋ねました。しかし、それも関係ないと。松下さん曰く「社員が誠実になるかどうかは経営者次第」で、社員を誠実にさせるかどうかは経営者にかかっており、本質的に人間が誠実であるとかないとかは言えない、と主張されたのです。「では一体人の何を見て抜擢するのですか」とはっきり聞くと、「運」だと言われます。「松下さんは運のいい人間と悪い人間を見ただけで分かるのですか?」と聞いた所、「分かる」と言われました〔笑〕。

 松下幸之助さんは、入社試験の面接で、能力よりも「あなたはがいいですか?」と聞いて、運がよいと答えた学生を採用していた、といいます。田原総一朗さんとの対談の中でこう言っておられます。

田:「どんな人を採用されるのですか」
松:「二十一世紀のリーダーを採用します」
田:「松下幸之助さんのお眼鏡にかなう、指導者の卵といえばどんな人ですか」
松:「会うてみな分からんが、しいて言うと、運の強い人ですなあ」
田原さんはびっくりして
田:「あなたは面接をして、その人の運が強いかどうかが分かるのですか」
松:「まあ、顔と略歴を見たらだいたい分かりまんな」

 運のない人は、死なんでもいいときに死んでみたりする。なんぼ追いつめられても、徳川家康のように流れダマがそれて死なん人もいる。人為ではどうしようもない、もって生まれたものですな。ぼくは、二人のうち一人を雇おうとする場合、学力、人格に甲乙つけがたいときは、履歴書などを参考にして、運の強い人を選びますな。運のいい社員は流れダマに当たらないし、会社にも運が向いてくるわけですよ。(松下幸之助)

 日本の政治を憂いた松下さんが新しく作った「松下政経塾」の面接でも、松下さんは「運がいい人」を採るように指示を出しておられます。「運の強い人を採用する」という松下さんの哲学。実は、彼のこんな実体験から来ているんです。

 セメント会社で臨時運搬工としてアルバイトをしていた頃、毎日大阪築港の桟橋から出る小さな蒸気船で通っていました。夏のある日、いつものように船べりに腰掛けて夕日をうっとり眺めていたら、そばにいた一人の船員が足を滑らせ、その拍子に抱きついてきたので、そのままその船員と共にまっさかに転落して海に深く沈んでしまったのです。びっくりした松下さんは、もう無我夢中、もがきにもがいてようやく水面に顔を出しましたが、船はすでに遠くに行ってしまっています。「このまま沈んでしまうのか?」不安が頭をよぎりましたが、ともかく夢中でバタバタやっているうちに、事故に気づいた船が戻ってきて、ようやく引き上げてくれました。幸い夏であり多少とも泳げたので溺れずに助かったのです。冬だったら絶対に助からなかっただろう。このとき松下さんは自分は「運の強い男」だと確信したと述懐しています。

  さらにこんなこともありました。独立して松下電器器具製作所を始めたばかりの大正8年のことです。松下さんは自転車に乗って部品を積んで配達していたときに、自動車と衝突して5メートルくらいはね飛ばされ、電車道に放り出されていました。ちょうどそこへ電車が走ってきて「もうだめだ!ひかれる」と思って目を目をつぶったとき、電車は急ブレーキをかけて松下さんのすぐ手前で止まりました。積んだ荷物は辺り一面に散乱しているし、自転車は滅茶苦茶に壊れています。周囲には黒山の人だかり。立ち上がってみると、かすり傷も、打ち身も、痛みもありません。野次馬たちは、あれだけ衝突して傷一つないとは、運の強い人だなと言って、散らばった製品を拾い集めてくれました。ここでも「おれは運の強い男だ」という確信を強めたのです。

 これらの経験から松下さんは、「自分は運が強い。滅多なことでは死なないぞ」という確信を持つにいたったのです。そして「これほどの運があれば、ある程度のことはできるぞ」と、その後の仕事をする上で大きな自信になったと言います。みなさんは自分は運がいいと思いますか?もうちょっと松下さんの言葉を聞いてみましょう。彼は物事がうまく運んだときは「これは、運がよかったのだ」と考え、うまくいかなかったときは、「その原因は自分にある」と考えるようにしてきたそうです。

 だから、運命が90%だから努力しなくていいということにはならんね。けれども努力したから必ず成功すると考えてもあかんよ。しかし成功するには必ず努力が必要なんや。つまり舵となる10%での人事の尽くし方いかんによって、90%の運命の現れ方が異なってくる。生き方次第で、自分に与えられた運命をより生かし、活用できるというわけやね。

 「運」を自分のものにできるかは日々の取り組み方次第であることは明らかです。「不断の努力」がキーワードのようです。尊敬する故・野村克也監督は次のように言っておられました。

 運がめぐってきたときに、日々、取り組んできた人だけが、それをつかむことができる。日々をおろそかにしていたものは、チャンスをつかめず、「運」がめぐってきたことにさえ気づかないのではないだろか。誰にも「運」はめぐってきているのだ。成功したものは「私は運がいい」と言い、成功できなかったものは「私は運がない」と言うのはそういうことかもしれない。 ――野村克也『成功する人は、「何か」持っている』(詩想社新書、2018年)

 人生においてどうやったら「運」「ツキ」を引き寄せることができるかは、なかなか難しい問題ですが、どうやったら「運」から見放されるかは実に簡単です。大和ハウス工業樋口武男(ひぐちたけお)会長の言葉です。「人の道を守らない人間、親を大事にしない人間、恩ある人に砂をかける人間に、運はついてこない」♥♥♥

 運はつくるって言うか、育てていくものでしょうな。運というものを、じっとかみしめてみる。そしてよくその味を味わう。こういう味なら、何を加えればもっといい味にすることができるか、考えることでんな。そうすりゃ、いい運にもっと恵まれる。運というのは、人間にとってたいへんに必要な言葉ですよ。いわば自己形成の大きな原料でんな。 (松下幸之助)

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