日本人の道徳心

 今年の「産経新聞」1月7日(日)付け藤原正彦先生「この国民にして、この政治あり」という論考が掲載されました。派閥裏金の病理、なぜ日本人は不正直になった、のかを厳しく徹底的に糾弾しておられます。成果主義が弱肉強食の過当競争社会を生み出し、歴史的にも世界で最も金銭崇拝から遠かった我が国が、金銭至上主義になり、正直や誠実さは隅に追いやられ、人々のやさしさや穏やかさ、思いやり、卑怯を憎む心、他者への深い共感といった、日本を日本たらしめてきた誇るべき情緒や行動規範が忘れ去られてしまいました。大人が目先の利益ばかり追い求めて、拝金主義、裏金作り、平気でウソをつく、暴言・ハラスメント行為、詐欺まがいの行為、証拠隠滅を図る政治家たちや、毎日報道される凶悪事件を見ていると本当に情けなくなってきます。私が尊敬する故・渡部昇一先生は、どうしてこのような惨状になってしまったのかを取り上げて、「今の教育の間違いは、道徳を理屈で教えようとしていること」だ、と喝破されました(『日本人の道徳心』(ベスト新書、2017年))。

 電車やバスに老人や体の不自由な人が乗ってきたら席を譲る、困っている人がいれば手助けをする、目上の人には挨拶をする、敬語を使う、こういった当たり前のことができない子どもたちがいかに多いことか(無作法なのは子どもたちに限らず、いい歳をした大人たちもそうなのですが……)。こういったことがごく当たり前のようにできていたのが日本人でした。

 京都大学会田雄次(あいだゆうじ)先生が、上甲 晃(じょうこうあきら)先生(松下政経塾)の京都大学生時代に繰り返し「君たちがこの日本の中心になる時が心配でたまらんのや。君たちが受けた教育に問題がある。こういう教育を受けた人が社会の中心になり、さらには長老的な立場に立った時に、この国の先行きが心配だと」とおっしゃっておられました。会田先生は、君たちに教えられなかったものが三つあると言われました。一つは歴史だと。日本の国に対する誇りを持つ歴史教育を受けていないと。戦争直後から日本は悪い国だということを教育されている。二番目は、道徳教育がなされていないこと。当時、道徳教育なんかやるとなったら、先生方の組合から大変な突き上げをくらって、「道徳」という言葉を使うことすらできない状態でした。そして三番目が宗教教育を受けていないこと。すなわち、人間を超える偉大な存在に対する畏敬の念を教わっていない。この三つを教育されていない人たちが大人になったら、金儲けに走るしかない、という会田先生の言葉が、今ありありと現実のものになってきています。有名企業が各種のデータを捏造したり、不正会計をしたり、詐欺まがいの営業に走ったり、とさまざまな不祥事を起こしています。「今の若者は…」という批判をよく耳にしますが、むしろ大人・年寄りの方にこそ問題がある気がします。

 この度の自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受けて、政治資金規正法違反での幹部議員たちへの立件が断念されました。このような犯罪が堂々とまかり通る日本社会に愕然とします。岸田総理「政治刷新本部」を新設して党の再生を図るとしていますが、国民が期待しているのはそんなことではありません。ましてや役員に選ばれた安部派所属(犯罪を犯した張本人じゃないか!)の議員10人のうち9人がパーティー券収入の一部を裏金に中抜きしていたといいます。こうした議員が役員に入って行う党改革議論は茶番としか言わざるを得ません。岸田総理は、ここに「排除の論理は適切でない」と言い出す始末でした。未だにまともな法案すら出てきません。腐っているとしか言い様がありません。

 私は米子に通うために、朝一番の松江市営バスに乗って松江駅まで行きます。私が乗り込むバス停では車内はもうすでに満員で、多くの人が立って乗っています。お年寄りの方も立っておられます。優先席」には、全て附属小学校の子どもたちが陣取りはしゃいでいます。確か「優先席」というのは、お年寄りや妊婦さんや障がいを持った人たちのために設けられた席だと思っていました。お年寄りが立っていようが、知らん顔です。私も昨年の冬、股関節の手術明けで杖をついて立っていましたが、子どもたちは全く意に介しません。ただ一度だけ、大雪の日に、杖をついてバスに乗り込んだところ、親切な運転手さんが「席を空けてあげてください」「誘導してあげてください」とアナウンスされました。自分のこととは思わない私がつり革につかまって立っていると、後ろから肩を叩かれ、「あなたのことですよ」と席を空けてもらい、丁寧に誘導してもらい座らせてもらいました。これは術後で足の痛む身にはとても有り難かったですね。この間も、例の附属小学校の子どもたちは知らん顔で優先席で大騒ぎです。小学校も保護者も、優先席は子どものための席という教育をやっておられるんでしょうね。

 私の自宅の隣の隣が、松江市立北小学校です。私の家の前を毎日小学生たちが集団登・下校していきます。誰一人挨拶をする子どもはいません。聞くところによれば、小学校では知らない人には口を聞いてはいけない、と指導されているそうです。近所の人も「知らない人」なんですね。それでもときどき立ち止まって「おはようございます!」と元気よく挨拶してくれる児童がごくごく稀にいます。抱きしめてやりたいくらい可愛いですね。朝、小学校の正門の前では、先生方が立って子どもたちに挨拶をしておられますが、無視して通り過ぎていく子どもを何人も目撃しました。どんなに立派な教育論をぶたれても、このような教育を私は認めたくありません。毎年小学校から寄付を集めに来ておられて協力していたんですが、数年前から一切寄付はしないことに決めました。

 電車の中でバカ騒ぎをしたり、平気で化粧をしたり、スマホを片手に前も見ずに歩く高校生や大人があふれ、日常交わす挨拶や「ありがとう」のお礼や気遣いの言葉が消えていこうとしています。大切な道徳や倫理、さらにはマナーやモラルが消えていこうとしています。子どもに善悪を教える際、そこに理屈はいりません。「ダメなものはダメ」それで十分です。

 昔、松江北高でこんな光景が見られました。真夏の暑い時期には数多くの教室の窓が開けっぱなしになっているのです(私は自分の担任の教室は帰る前に確認して帰っていましたが)。全校3階、4階のほとんどの教室の一番高い所の窓も開けっぱなしです。警備員さんが警備日誌に訴えられたのでしょう。職員朝礼で事務長さんが、各教室で注意して窓を閉めて帰るように指導して欲しい、と言われました。そのことを教室で話したときに、「そんなこと警備員の仕事だ」と言った生徒に、私は激怒しました。歳を取られた警備員さんが、夜遅く暗くなってから懐中電灯で照らしながら、高い所によじ登って窓を1枚1枚閉めておられる姿を想像してごらん。それでも君たちは心が痛まないか?と訴えました。教室を最後に出る生徒がちょっと気をつけて注意していれば、こんなことにはなりません。勉強さえできればそれでいい、という教育には私は同調できません。最近の北高では、誰一人挨拶をする生徒はいません。かつてとは隔世の感があります。早朝トイレに入ると、ゴミ箱がゴミで溢れています。毎日掃除をしていないのか?理由は簡単なことです。指導者が何も言わないのです。勉強さえしていればそれでいい、そんな学校に成り下がってしまいました。「ダメなものはダメ」それで十分です。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す