当たり前のことを当たり前にやる

 私の大好きな巨人軍は敵地・甲子園球場で3連敗(9ゲーム差)。いろいろなことを感じさせてもらった3試合でした。この3連戦は、阪神は先発全員に白星がつき、七回に全部勝ち越しています。今日はそれについて書きます。まずは敵将・岡田監督の言葉が全てを物語っています。

 まあ勢いだけじゃ勝たれへんで(笑)。きっちりと自分らの野球ができてるいうことちゃう?先発が頑張って、バントとか決めたり。普通のセオリー通りに、そんな奇襲なんかしてないわけだから。当たり前のことを当たり前にできてるっていうことやろな

 先発は疲れてくる。ブルペン陣も勝ちパターンでそんないいピッチャーはあの七回にはいけないとか、いろいろ。だから七回ってそういうふうに何か起きるんじゃないかな。(岡田談)

 印象的だったのは、第2戦。大竹グリフィンの行き詰まるような投手戦。七回裏阪神に先制打が飛び出した直後、大竹は一塁ベンチ最前列で力強いガッツポーズを見せてほえると、後方のベンチに腰掛けると一目もはばからず大号泣です。タオルで懸命に涙を拭っています。「感動しました。一人はみんなのために、みんなは一人のためというか…。チームプレーを感じたので思わず泣きました。」とヒーローインタビューで大竹投手。ベンチで泣いている野球選手なんて初めて見ました。これで負けなしの6連勝です。ソフトバンクでは使ってもらえず、現役ドラフトで阪神に移ってきた苦労人です。残念だったのは、あれだけいいピッチングをしていたグリフィン投手を1点取られたらすぐに交代させてしまった原監督。あそこはグリフィンを信じて最後まで投げさせてやらなければいけません。なのに途中交代させて大江が打たれて3点目を献上しました(この3試合は、全部送ったリリーフが打ち込まれて敗戦)。9回にブリンソンの2ランホームランが出たのは皮肉でした。岡田監督は、ピッチャーもバッターも辛抱強く信じて最後まで使い続けました。選手が意気に感じない訳がありません。「阪神のピッチャーを打てなかった」原監督は嘆きますが、巨人の先発ピッチャーも頑張っていました。ボール球をくるくる振っていた巨人に対して、阪神はちゃんと見極めて4ボールを選んでいます。それが全部得点に絡んできました。送りバントができない巨人に対して、阪神はきちんと送るところでは送っていました。肝心な所でエラーが出たのも巨人です。ミスをした方が負けるのが野球。「当たり前のことを当たり前にできてる」という、岡田監督の言葉が響きます(英語の世界でも、私はたり前のことをカになってゃんとやる(ABC)」ことで結果がついてくると強調しています)。

 呆れ果てたコメントもありました。初戦1点リードで迎えた七回裏、巨人の鈴木康(オリックスからトレード)が連続ヒットをくらってKOされて逆転された試合後、「甲子園に飲み込まれた」とコメントを出しました。違うだろう!こんなプロの談話を初めて聞きました。力がないから打ち込まれるのであって、オカシナ言い訳です。

 秋広優人松井 颯(まついはやて)などは新人にもかかわらず、「飲み込まれる」ことなく堂々と渡り合っていました。秋広は己の打力で3番のクリーンアップを勝ち取りました。4月18日に一軍昇格し、29試合で打率3割4分7厘、4本塁打、16打点、6試合連続安打中です。松井は前回の登板で初登板・初勝利を挙げましたが、育成ドラフト選手です。支度金わずか290万円、年俸400万円(推定)の選手です。よくもまあこんないいピッチャーが「育成枠」で残っていたものです。他球団は何を見ていたんでしょう?明星大学の4年間で球速が13キロアップして、最速154キロになったといいます。同期生に150キロの谷井一郎(22歳)さんがいました。ブルペンではその剛速球の隣で投げるたびに、力の差を痛感して、軸足の使い方や体重移動の感覚などを聞いて吸収したそうです。昨年10月20日のドラフト会議で、松井は育成指名されましたが、一方、谷井は名前を呼ばれず指名漏れしました。彼は松井「早く1軍で活躍できるように頑張れよ!」と気丈に背中を押してくれましたが、部屋に一人戻って涙を流しました。約3週間後、谷井は引退を決断します。女手一つで育ててくれたお母さんを支えるためにも、ユニフォームを脱ぎ、スーツを着ることを選んだといいます。「自分の分もプロで頑張って」と夢を託されたのが松井でした。親友でもあり、ライバルの思いを胸に腕を振り続けています。今回も5回1失点で先発の仕事を見事にこなしました。

 今の巨人と阪神を比べると、ピッチャーの守りが大きく異なります。今日からの交流戦、もう一度一から立て直しです。今日は平内が先発。オープナーでしのぐつもりのようです。頼りになるのは戸郷だけという感じです。早く菅野が戻ってこないかな。♥♥♥

     【先発】   【リリーフ】 【7回以降の失点】  【チーム防御率】
巨人   3.56   4.79    84点       4.01
阪神   2.91   2.06    47点       2.64

 

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「ベルサイユの鯉」

 ニュージーランドにいるキーウィー」という愛くるしい鳥は、鳥であるにもかかわらず、翼が退化して飛ぶことができません。キーウィーは、ニュージーランドの国鳥なのですが、7千万年以上も前の太古の昔、この鳥は食肉性の哺乳類が発生した他の地域とは隔絶されてしまいました。そのため天敵がいないのです。食われる心配がないから羽根も徐々に退化して、尻尾も退化してしまいました。天敵に食われる心配がなく、逃げ回る必要がないので、空を飛べなくても十分生きていけるのです。要するに生存競争をする必要のない、まったくぬくぬくとした環境の中で住んでいたのです。ところがこの環境の中に突如白人が現れて、犬や猫やその他いろいろな動物が入ってくるようになると、キーウィーは飛べないために簡単に食べられてしまうようになります。じきに、放っておくと絶滅するという状況(1日に20羽ずつ減っている)にまで追い詰められてしまったこともあります。今は政府や保護団体が協力して、「バードサンクチュアリ」と呼ばれる保護区域を作って保護されているので、生きていますが、羽が退化するまでになってしまったことは何を意味するのでしょうか?それは、「競争」がなければあらゆるものは弱くなってしまう、機能が退化してしまい、新たな競争者が出てきたときには絶滅してしまうということです。自由な競争こそがバイタリティーと成功を生むということです。「健全な競争」の重要性を認めないわけにはいきません。故・渡部昇一先生は、日本の銀行で最も根深かった根本問題の「護送船団方式」の問題点を、この飛べない鳥キーウィーに喩えて講じておられました。

 皆さんは「ヴェルサイユの鯉」(こい)の話を知っておられますか?その昔、ベルサイユ宮殿の庭の池で美しい鯉が飼われていました。人々はその美しく泳ぐ姿を見て楽しんでいましたが、ある時、鳥が鯉を食べているのを発見してしまいました。人間は柵などのガードを設置し、大切な鯉を守ろうとしました。鯉が安心して泳げる環境を整えていったのです。すると、それまで優雅に泳いでいた鯉たちは泳ぐことをやめ、いつも岩陰で放り込まれるエサをじっと待つだけで、あっという間にブクブクと太っていきました。昔の優雅な姿を偲んで、「最近の鯉は…」と囁かれていたそうです。どうすればかつての美しい優雅な姿を取り戻せるか?あれこれと試行錯誤を繰り返して人間が思いついたのは、鯉の天敵であるナマズ一匹を一緒の池に入れることでした。そうすると、鯉たちは天敵であるナマズを警戒してまた必死で泳ぎ始め、かつての美しい姿を取り戻した、というお話です。

 似たような話もあります。ノルウェーのある漁師は、獲ったイワシが港に戻ってくるまでにすべて死んでしまうことに頭を痛めていました。そんなある日、1人の漁師の獲ったイワシが1匹残らず生きたまま港に戻ってきたのです。その生け簀を見ると、イワシの群れの中に1匹のナマズが混じっていました。イワシの群れが同類だけで生け簀にいるときは、何の緊張感もないため生きるためのスイッチはオフのままで、時間が経つにしたがって弱ってしまいます。ところが、異質なナマズが混じることで、イワシは緊張感を覚え、そこから活性度が高まったのです。

 天敵と呼ばれる存在は出来る限り少ない方が、一見良いように見えるかもしれません。しかし、実際はそういったものの存在によって刺激を受け、それが自らの行動に反映されることで良い結果が導かれることは少なくありません。刺激がなくなれば、それと同時に積極的な姿勢も失われてしまいます。過剰な天敵は身を滅ぼしてしまいますが、適度な天敵の存在は、意外と重要なのかもしれません。「ヴェルサイユの鯉」の訓話はそのことを教えてくれます。

 私が尊敬する永守重信さん(日本電産会長、現ニデック)もこの「ナマズ役」を務めておられます。130億円の私財を投じて設立した京都先端科学大学(2019年)の前身・京都学園大学のキャンパスに初めて視察に訪れた際に、そこでの講義風景を見て衝撃を受けたと言います。講義中にもかかわらず、学生は寝ているか、私語をしているか、もしくはスマホを見ているかでした。そこで教員を呼び、なぜ学生が寝ているのかと問うと、「学生のレベルが低いから」という返事が返ってきました(Fランクの大学でした)。永守さんは「それは違う。先生の教え方が悪い。20年も前の古い資料を持って来て、ただ板書して教える。講義がつまらないからだ」と応えます。三流の状態でいるのは、学生ではなく、教える側、運営する側に問題がある、と断言します。上に立つ人間、教える人間に最も高い意識を求めるのです。永守さんは以来、理事長として足しげく大学に通っておられます。お忍びで大学に行ったら必ず教室を回ります。それも大学スタッフが案内する一部の“いい教室”ではなく、知らない教室にサッと入って、一番後ろの席に座ります。まさにお忍びです。永守さんの大学視察の日程は一部の幹部しか知りません。そしてどこの教室に来るかも分かりません。まさに神出鬼没!池の中に放されたナマズ役である永守さんを意識することで、常に緊張感が保たれるというわけです。これは学生の意識に訴えかけるだけでなく、教員陣に対してもメッセージを含んでいます。「1000匹の鯉がいても、1匹でいいんです。いつ来るか分からないから、一生懸命泳ぐしかない」 数多くの破綻寸前の企業を買収しては見事に再生させてきた永守さんの手腕に期待がかかります。同大では1つの科目で半期に3回無断欠席するとイエローカード、5回でレッドカードとなり単位を与えない制度を導入するなど、永守さんらしい改革も着々と進んでいます。♥♥♥

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「中華そば熊猫」

◎週末はグルメ情報!!今週は中華そば

 別府駅から徒歩5分の場所に、2022年6月20日に新しくオープンした「別府中華そば 熊猫」中華そば」が美味しい、という噂を聞きつけ、歩いてもよかったのですが、足のまだ不自由な私は、JR別府駅からタクシーを利用しました。このタクシーが実にひどかった!駅に隣接する「観光案内所」で道案内の地図を書いてもらい、それを高齢の運転手さんに差し出して、連れて行ってもらうようにお願いしました。「なんだ、駅のすぐそこじゃないか!」と不機嫌そうな顔で、老眼鏡で地図を見ておられます。タクシーは小さな路地に何度も入っていくのですが、見つかりません。ぐるぐると駅周辺を回っておられますが、一向に辿り着く様子がありません。しまいには、「こんな小さな地図では分からん!」とキレる有様。歩いた方がよっぽどよかった、とつくづく後悔しました。ノロノロ運転でようやく着いた場所が、さっき通ったばかりのところでした。何分かかったんだ!?こんな素人運転手さんにあたったら、別府の印象が非常に悪くなってしまうところでした。ただ翌日、宿泊先の「杉乃井ホテル」から別府駅までお願いしたタクシーの運転手さんは、非常に丁寧で至れり尽くせりの案内で、初日の悪印象は払拭されましたが。「別府のことを何にも知らない運転手が多いんですよ」という言葉に、大きくうなずく私でした。

 こちらのお店「別府中華そば 熊猫」は、豊後高田市に店舗を構える大人気な「中華そば 山猫」さんがプロデュースをしています。「山猫」は、鶏や豚、煮干しをメインとするスープが特徴の本格中華そばを振る舞う人気店です。「熊猫」はフランチャイズ1号店で、同場所でもんじゃ焼き店「味もんじゃ」を営む長尾道代さんが、「山猫」店主・塩崎繁さんの力を借り、ラーメン店ののれんも出すことにしました。看板メニューの「中華そば」(790円)は、豚骨と数種類の魚介類からだしを取り、しょうゆ味に仕立てたものです。麺はしこしこした食感の中太麺です。

 店内は小上りとカウンター席のいたって小さな小さなお店でした。

 いい香りを漂わせながら目の前に到着しました。食欲を掻き立てる香りと見た目にうっとりの「中華そば」です。一口スープをすすると、魚介の香りが口の中にじんわりと広がります。

 まずは、スープを一口飲みます。 魚介のおダシがたっぷりと堪能できるスープは旨味が凝縮しています。後味はあっさりとしていて飲み干してしまいそうになります。スープと共に口に入る玉ねぎがアクセントでしょうか。

 のど越しの良い中太麺は、つるっとモチっとした喉越しがよく、中華スープとよく絡み相性が◎。チャーシューを持ち上げようとしたところ、想像以上の大きさ・厚さにビックリです。こんなにも厚みがあるのにホロホロです。そして、チャーシューがスープの旨味も吸っていて絶品です。チャーシュー麺にしたらとんでもないことになるところでした。正解、正解!肉厚のメンマも美味しい。♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(24)~学生にマンションを

 故・渡部昇一先生は、研究論集の編集や読書会に自由に使ってよいと、信頼のおける大学院生2~3名に、上智大学のご自分の研究室の合鍵を渡しておられました。先生がおられないはずの時間帯に、部屋から声が聞こえてくるので、他の教授から怪しまれたこともあったそうです。これでは保安上よろしくないとお感じになったのでしょう、ある日、ふと先生が、江藤裕之先生(現・東北大学大学院教授)にお尋ねになります。「江藤君、高円寺あたりでワンルームマンションを借りるとだいたいいくらくらいになりますか?」と。江藤先生はびっくり仰天されます。エーッ、まさか先生が寂しく一人暮らしをされようというのか?不動産投資か?などと考えをめぐらせていると、「諸君らが集まって読書会をしたり、自由にだべったりする、そういう空間があればよいと思うのですが」と、大学院のゼミ学生のために部屋を借りてくださろうというのです。大学にももちろん英文科の学生用に研究室はあるにはあったのですが、共同使用で授業もそこで行われるため、自分達だけで使うことはできませんでした。学生がしっかり勉強するためには、専用のスペースが必要だと思われたのでしょう。その頃、先生の三番目のお子さんが留学を終えられる時期で、もう一人子どもがあったものと考えて部屋を借りられたのでした。部屋を探して来い、ということになり、ゼミの仲間たちといろいろと当たって、四ツ谷の大学から歩いて10分くらいのところにマンションを借りていただきました。当時で10万円(!)ほどしたそうです。大学院生が自由に研究・議論する場です。その部屋で、古英語やドイツ語そしてラテン語の読書会や勉強会を主催して、多くの後進たちを育てました。なにしろ学生たちが自発的に、かつ自由に集まって開く読書会・研究会ですから、力もどんどんつきます。渡部先生ご自身は、一度もその部屋には来られることはありませんでしたが、かたく禁じたことが二つだけありました。「タバコと麻薬は厳禁です。それ以外のことは酒もビールも含めて何をやってもかまいません」との訓示でした。

 この先生の訓示を厳格に守って、マンションは、その後もずっと勉強会に使われましたが、2000(平成12)年に渡部先生がいよいよ上智大学を去られる時に、その「事務所」も閉じられました。それまでずっと、先生は数ヶ月に一度、家賃・光熱費として小切手を切っておられたのです。ここら辺の事情については、渡部昇一『人生の出発点は低いほどいい』(PHP出版、2007年)や、江藤裕之(編)『学問こそが教養である』(育鵬社、2019年)に詳しく書かれています。渡部先生がこのような弟子思いの師であったことは、あまり語られることはありませんでした。♥♥♥

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快速「マリンライナー」のマリンパノラマ席

 岡山駅高松駅を瀬戸大橋経由で結ぶ「快速マリンライナー」(5100系)。通勤・通学客で混雑するのに加え、出張客や旅行客なども利用するので、5両編成の列車はいつも大混雑しています。この瀬戸大橋線は、JR西日本のドル箱路線なんですね。「快速マリンライナー」は、特急列車並みの時速130キロで運行されているため、岡山駅から高松駅までの71.8㎞の距離を約55分で結んでいます。およそ30分に1本の運行なので、待てば座ることはできますが、4両ある普通車自由席は、関西地方を走る新快速と同じシートの配列で、悪くはないのですが、混雑時は結構窮屈です(写真下)。先頭車は二階建て車両のグリーン車です。


 1号車は指定席とグリーン席となっていて、2号車から5号車が自由席となっています。2階建て車両の1号車1階部分が通常の指定席となっていて、2階部分と運転席のすぐ後ろにあたるパノラマ席がグリーン席となっています。2階のグリーン席に行くには螺旋階段を少し上がっていきます。車内はカーペット敷きで落ち着いた雰囲気です。青を基調としていますから、海(マリン)を意識しているのでしょう。やはり2階は眺めがいいですね。座席配置は2+2人の横4列構造で、全部で8列あります。テーブルは、座席背面式の大きめのテーブルです。座席背面には、コートフックや網状マガジンラックもあります。マリンパノラマと呼ばれる、運転席のすぐ後ろの4つの座席が特に眺めが抜群です。私もこのマリンパノラマ席を取って、瀬戸内海の眺めを堪能しました。瀬戸大橋」を渡っている時間は、約10分ほどです。

 この席は運転席のすぐ後にあるため、前面展望も広がっていますし、横の窓も大きくとられていて、瀬戸内の海や四国島内ののどかな風景を眺めることができますよ。パノラマグリーン席は通常の乗車券とは別にグリーン料金がかかります。他のグリーン席とは隔離されており、荷物を置くスペースも完備されているので、スーツケースや大きな荷物も存分に置くことができます。ブランケットがシートポケットに完備されているので、エアコンが苦手な人にも優しい配慮がなされています。

 「瀬戸大橋」の上を渡る際には、幾分スピードを落として走ってくれるので、瀬戸内海と瀬戸の島々の景色を楽しむのには絶好の列車だと思います。

 この車両、2004年、鉄道友の会回選定の「ブルーリボン賞」、(財)日本産業デザイン振興会の「グッドデザイン賞」をダブル受賞しています。地域の象徴として誇れるデザインを目指した外観の形状、「瀬戸内海の深い紺」「夕日に輝く茜」をベースに美しく変化する彩りを外板、室内にアレンジ、香川県と岡山県が「桃太郎経済圏」にあることを表す桃太郎のワンポイント、などが受賞理由となりました。♥♥♥

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「おりづるタワー」で次世代サミット

 5月19日に開幕した先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)では、各国首脳の配偶者も〝外交〟に一役買いました。岸田文雄首相裕子夫人が案内役を務める「パートナーズ・プログラム」。19日は首脳とともに平和記念公園の慰霊碑に献花。その後はシンポジウムに参加し、地元の学生100名以上と交流しました。その舞台となったのは、原爆ドームにほど近い「おりづるタワー」(広島市中区)です。平成28年にオープンしたこの新たな観光名所には、地元企業の平和への願いが込められています。私は先週G7サミットの直前に、生徒達にこの場所を紹介し、ぜひこの場所を訪れてもらいたいと話していただけに、夢が実現しました。私は広島を訪れる度に、原爆ドームに手を合わせ、お隣にあるこの建物に登って、広島の街を見渡しています。

 5月19日、岸田裕子内閣総理大臣夫人は、G7首脳配偶者と共に、「おりづるタワー」で開催された次世代シンポジウム第2部に参加しました。この行事には、ジル・バイデン米国大統領夫人、ブリッタ・エルンスト・ドイツ連邦首相夫人、アクシャタ・マーティ英国首相夫人及びハイコ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長夫君が参加しました。シンポジウムでは、裕子夫人が挨拶を行い、G7首脳やその配偶者のみならず、皆が等しく平和を目指す大事なプレイヤーであり、広島の若い世代から世界中に平和の祈りの輪が広がっていくことを願うとともに、参加者自身と平和との関わり方に新たな気づきを得て、平和に向けた歩みを更に進めていただききたい旨を述べました。続いて、G7首脳の配偶者は、登壇者やシンポジウムに参加した広島の若者と平和構築について対話を行っています。G7首脳配偶者から平和の意味について問われた参加者からは、多くの手が挙がり、「互いの幸せを願うこと」「自分らしく生きていけること」等、自らの言葉で次々と意見を述べ、活気あふれる交流の場となりました。シンポジウムでは、ユニセフボランティアとして“Lasting Peace”プロジェクトを展開している歌手のAIさんがサプライズで登場して、G7首脳の配偶者を含む参加者と共に「Lean on Me」をアカペラで歌唱し、会場は温かい一体感に包まれました。なお、裕子夫人は、この行事に参加するに当たって、次世代と創るサステイナブルな未来へのメッセージを込めて、ペットボトル由来の100%再生素材の糸を使って編み上げた、CO2排出量が少なく、環境にやさしい日本のサステイナブル・ファッションを着用しました。

▲おりづるタワー最上階から原爆ドームを見下ろす

▲原爆の子の像

 「平和というのは、隣と隣の間に壁を立てないことだ」19日夕に開かれた「次世代シンポジウム」で、裕子夫人ら配偶者5人にそう語りかけたのは、被爆して12歳で亡くなり、平和記念公園内の「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(ささきさだこ)さんの兄、雅弘さんでした。禎子さんは白血病を発症し、回復を願って病床で折り鶴を折り続けたことで知られます。いつしか、広島には世界中から折り鶴が寄せられるようになり、平和を願う広島のシンボルとなりました。「おりづるタワー」の名称も、そんな背景に由来しています。

▲おりづるタワー最上階の展望台

 タワーを運営するのは、自動車販売などを行う広島マツダです。元々は、昭和53年に建てられたオフィスビルでしたが、原爆の爪痕を象徴する原爆ドームと復興した広島の街並みを同時に見渡せる立地を生かそうとマツダが買い取り、展望台などを備えた施設としてリニューアルしました。昭和8年にタワー近くで創業した同社も、原爆で社屋が倒壊し、社員全員が死亡したという歴史があります。シンポジウムで登壇した同社の松田哲也会長は、「広島の街の景色や、廃虚から立ち上がった人たちの強さを示したい」と、タワーに込めた思いを語りました。これまでに約67万人が来場しており、「広島の地だからこそ伝えられる悲惨さ、感じられる平和がある」と言います。

 首脳の配偶者5人は、広島で生産されたビーズ540個で作られた折り鶴のブローチ(1個6時間かけて手作りされた)を身につけてシンポジウムに参加しました。「おりづるタワー」で、平和について地元の若者100名以上と意見を交わしました。広島県出身の裕子夫人は、ブローチの材料となったビーズはアングロサクソン語で「祈り」の意味がある言葉が語源だと紹介し、「一つ一つは小さな祈りだが、集まると世界を動かす力になる」と平和への思いを語りました(5月22日・広島ホームテレビ「ピタニュー」による)。裕子夫人はまだ独身時代、マツダの秘書室に勤務しておられました。通訳養成学校において、当時の彼女が抜群に英語ができたことを、先生であった田邉祐司先生(専修大学教授)が思い出を記しておられます。⇒「田邉祐司ブログ 常時英心言葉の森から2.0」コチラです

 G7首脳の配偶者は、おもてなしや、平和・友情・希望といった意味が込められた装花で彩られたテーブルを囲みながら、地元広島の旬の食材に加え味噌など用い「発酵」をテーマにしたフランス料理を楽しみつつ、事前に参加した次世代シンポジウムの感想を述べ合うなど、交流を深めました。♥♥♥

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スキマ時間の使い方

 故・竹内 均(たけうち ひとし)先生(東京大学名誉教授)から教えてもらったことの一つに、「15分活用法」というのがあります。チョットした「スキマ時間」を上手に使うことで、結構なことができる、ということを竹内先生は自らの行動で実践しておられました。東京大学の地球物理学の教授、雑誌『ニュートン』の編集長、代々木ゼミナールの校長、休日は全国を講演に飛び歩かれる中で、TVやCM(メガネの三城)にも出演、さらにはあれだけの膨大な論文・著作(500冊以上)を残されるには、皆に平等に与えられた24時間を上手に使うしかないのでしょう。竹内先生は夜8時に寝て、朝4時に起き勉強する、というスタイルを終生変えることがありませんでした。そして、それを支え続けたのは竹内先生の奥様でした。研究に講演会にTV出演にと多忙な先生のために、毎朝4時に起床し朝御飯を作り続けたそうです。さすがに、先生も夫人には頭が上がらなかったようです。

 辞典の仕事というのは、根気の要る時間のかかる作業ですが、私はスキマ時間を使って、英字新聞をカードに貼り付けたり、読書、教材の活字化、メール、などを手際よくこなしています。「先生、忙しいのに、よくこれだけ毎日のようにブログの更新ができますね」と言って頂く先生が結構おられるんですが、実は、チョット暇のある時間を利用しては、パソコンに向かいメモ感覚で打っておくんです。今確認したら1,515本の下書き原稿が登録してありました。約4年分(!)の記事が出来上がっていることになります。それにタイムリーな話題を時々はさんでいるだけなんです。私が「リスニングのコツ」でよく話す、「先へ、先へ 前へ、前へ」の精神です。私は朝は6時半に北高に登校して、始業時の8時過ぎまでの2時間あまりを、今日の授業の準備やら、添削の用意、指導資料の作成、質問にやってくる生徒の対応、などに充てています。どうせ家にいても大したことはできないので、それなら少しでも朝の時間を有効に使おうと、このようなことをもう長年続けています。先人の言う「チリも積もれば山となる」チョットしたことでも、長年続ければ大きな成果が得られるものです。かつて英語科の若い先生の中にも、私よりも早く来る新規採用の女先生が現れ始めました。とても頼もしく感じていました。彼女は私よりも早く登校して研究室でコーヒーを入れて私を待ってくれていました。私も持てる知恵を惜しみなく彼女に提供します。そんな生活が2年間続きました。そして私は定年退職を迎えます。以降の仕事は一切お断りして、悠々自適の生活を3ヶ月ほど送りましたが、彼女が6月からアメリカの大学院で学びたいというので、彼女のお留守番を引き受けたのが、私が北高に復帰した理由です。他の人なら絶対に引き受けることはありませんでした。なにせ2年間のコーヒーの恩がありますからね〔笑〕。

 私は週に3日米子東高校に通っていますが、バス・電車の中のスキマ時間も貴重な時間です。新聞を四紙読んで気になる記事はビリビリに破いておき、家に帰ってからスクラップします。トランプは常にカバンの中に入れてあって、腕がなまらないように、カウントの練習やファンの訓練、パケット・トリックの手順確認を欠かしません。電車に乗る前は、少し早めに行って、松江駅の「ドト-ル」「スターバックス」で、コーヒーを飲みながら、ブログ記事の原稿や模試の「見直しプリント」の校正を行っています。

▲喫茶「ドトール」でブログ記事の校正を

▲模試の度に配布する「見直しプリント」の校正もここで

竹内先生の本はどれも勉強になりますが、1冊だけと言われれば、『勉強術・仕事術 私の方法』(知的生き方文庫)をお薦めしておきます。「頭をよくする特効薬」「忙しい人の時間の有効な使い方」「頭を鍛える本の読み方」「頭の疲れをとる3つの方法」など、具体例をふんだんに使いながら、アドバイスが分かりやすく書いてありますよ。竹内先生には、若い頃本当に多くのことを教えてもらいました。感謝です。

 よく「時間が無い…」「忙しくてできない…」「時間が足りない…」と、言い訳にグチばかりこぼす人がいます。上の竹内先生の生き方「15分活用法」を参考にされるといいと思います。時間はひねり出すのです。「ミスター講道館」と言われた日本柔道の創始者・オリンピック競技の功労者でもあった嘉納治五郎先生は、学生に対して常にこんなたとえ話をしていたそうです。時間は工夫して作るもの、という教えです。♥♥♥

 よく時間がない、時間が足りぬとかこつける人があるが、時間というものは、たとえば泉の水のように、いくらでも出て来るものである。たとえばここに一升枡があるとして、その中に粟を一升入れたら、もう何も入らないかといえば、決してそうでなく、その粟の間に豆粒を入れれば、まだ大分入るわけだ。もうそれで入らないかといえば、その間に粟粒を入れたらまだ相当入る。それに水を入れたらまだまだ入るだろう。そのように時間の活用には、上には上があるもので、それをもっとも有効に利用したものに、もっとも立派な仕事ができるものだ。

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兵庫県立美術館

 「兵庫県立美術館」は、兵庫県神戸市にある平成14年(2002年)創立の美術館です(前身は「兵庫県立近代美術館)。阪神・淡路大震災」後の、文化の復興のシンボルとして開設されました。国内外の美術作品などを幅広く収蔵・展示しています(収蔵品は1万点以上)。震災からの神戸市復興計画の中核プロジェクトとして開発された神戸東部新都心(HAT神戸)に、文化復興のシンボルとして建設されたものです。建物の設計は、建築家の安藤忠雄(あんどうただお)さんで、私は安藤さんの建築にとっても興味があるので、2017年の12月頃、夕方の「ハバーランド」からタクシーを飛ばして見に行ってきました。

▲兵庫県立美術館円形テラス

 1〜2階外壁は「震災前の阪神間」をイメージした割肌調御影石、3〜4階は「復興の未来」をイメージしたガラスカーテンウォールで、カーテンウォール越しにコンクリート化粧打放し壁が配置されています。施設全体が、隣接する水際公園やハーバーウォークなどの周辺環境と一体となった開かれた空間となっているんです。延床面積27,461㎡の、西日本最大規模を誇るこの美術館の特徴は免震装置。積層ゴムアイソレーター190台、鋼棒ダンパー173台、鉛ダンパー76台からなる免震装置により、建物と収蔵品を阪神・淡路大震災級の地震から守ることができる構造となっており、美術館としてはもちろん、すべての免震構造建物の中でもトップクラスの規模です。海を間近に臨むユニークな外観は、周囲に設置された彫刻と共に屋外からも楽しむことができます。

 設計者である安藤忠雄さんの、こだわりと妥協を許さない姿勢は圧倒的で、その勢いに応えるだけの準備と心構えが施工側に求められました。外壁の石(御影石)決定までに約1年間の検討期間を要したほか、自然光を取り込んだ展示室のトップライトでは、工場を借りてモックアップによる実験を実施しました。安藤作品ならではの打放しコンクリートの品質を上げるために、コンクリート打設は、JV職員も全員参加。その甲斐あって、外部にある円形テラスの出来映えに対し、安藤氏から、「世界に誇れる技術である」との評価を受けました。海外からの見学者も増えています。作品を見た後は、美術館の外へ出て、運河とその向こうに見える神戸港を見つめるが最高の景色です。作品を見た後の最高のデザートになると思います。

 「地域に開かれた現場づくり」を方針として掲げ、仕事はやる気と熱意、苦労した現場は肌で感じる」をモットーに、平均年齢31歳という若い職員たちがアイデアを出し合って、さまざまな取り組みを行いました。仮囲いに工事のイメージイラストを描き、一部を透明にして施工状況がわかるようにしたり、朝礼後には隣接する公園の清掃や夏場の散水を行い、散歩に訪れた地域住民とのコミュニケーションを図りました。さらに設計のラフスケッチや模型、免震装置の概要などを展示した資料スペースは、国内外からの見学者に好評を得ています。2001年9月30日、引き渡しを完了。翌年4月6日に開館を迎え、一般公開が始まりました。館内には、工事に携わったすべての人が記名した巻紙が収められているそうです。館内には、企画展示室や常設展示室、海がのぞめるレストラン、講演などで使われるミュージアムホールやレクチャールームなどがあります。

 1703年ピョートル大帝によって建設され1712年から1918年までロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルクにある世界3大美術館の一つと言われる「エルミタージュ美術館」には、歴代皇帝達による素晴らしい絵画のコレクションがあります。今回は、兵庫県立美術館」でその素晴らしい名画85点が展示される「大エルミタージュ美術館展オールドマスター西洋絵画の巨匠たち」が開催されていました。流石にロシアの皇帝達が収集した絵ということで展示されていた絵はどれも素晴らしいものばかりでした。観覧料は一般¥1,600、大学生¥1,200で、高校生以下は無料とのことでしたので、いかに若い世代を優遇し、若 い世代にも沢山観てもらおうという意図も感じられましたが、70歳以上は¥800という高齢者にもとても優しい料金体系でした。休館日は基本的には月曜日で、開館時間は10時から午後6時まで、又金曜日と土曜日は午後8時までとのことでした。♥♥♥

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ペッパーミルパーフォーマンス

     侍ジャパンの塁上でのあのポーズが注目されました。両手を上げてひねる動作は、まるで塩コショウを回しながら出すあの動きに似ていますよね。「ペッパーミルポーズ」と言われているそのパーフォーマンスは、WBCが始まるまでは日本では全く無名であったラーズ・ヌートバー選手が、大活躍して侍ジャパンのメンバーに広めたものです。全国のお店では、業務用のペッパーミル(こしょうひき)が爆発的に売れているといいます。お店の便乗商法も報道されていますね。大分県高崎山自然動物園で、今年最初の赤ちゃんザル(雄)が「ペッパーミル」と命名されたことが新聞に載っていました〔笑〕。何だかその意味も分からずに全国に広まってしまい、真似をする子どもたちも多いようです。その真の意味を考えておきましょう。

 「ペッパーミルポーズ」の意味には、実は3つの説があります。

①「バッター(ランナー)をどんどん回してつなげていこう!」 

ペッパーミルを回す動作から、「バッターやランナーをどんどん回していこう!」という意味だとされている説。


②「ランナーや点を“絞り出して”いこう!」 

ペッパーミルが別名『ペッパーグラインダー』とも呼ばれていて、グラインド(grind)とは「絞り出す」という意味があるため、「ランナーや得点を絞り出していこう!」あるいは「持ってる力を絞り出そう(常に最善を尽くそう)!」という意味だとされている説。


③「身を粉にして働こう!」 

グラインド(grind)が「すりつぶす・粉にする」という意味もあるため、「身を粉にして働こう!」という意味だとされている説。

それを野球の塁上で行うポーズであることを踏まえると、上の3つを総合して「どんどん回していこーぜ!!」「どんな手を使っても頑張って粘り強くつなげていくぞ!」というニュアンスだと考えるのが自然かなと思っています。

 実はこの「ペッパーグラインダーポーズ」は、アメリカメジャーリーグのカージナルス独自のパフォーマンスであり、メジャーリーグやアメリカ全体に浸透しているものではありません。あくまでもやっているのはカージナルスの選手だけで、完全にカージナルス発祥のパフォーマンスです。この「ペッパーグラインダーポーズ」は、2022年にキャッチャーのキズナーが、「We are grinding.(粘り強くいくぞ)」と声をかけたことから生まれたと言われています。このカージナルス由来の「ペッパーミルポーズ」が、どのようにして侍ジャパンで浸透するようになったのか?それは大谷翔平選手とヌートバー選手の何気ない会話から始まったといいます。ヌートバー「そうですね。翔平と色々話して、エンゼルスでチームセレブレーションの時どんな事やっていたの?」と聞いたら、「あまりエンゼルスはセレブレーションがないんだよね、カージナルスはどうなの?」といった会話をしたと言います。侍ジャパンで一緒になったのを機に共有しようと。そんな感じの流れから、いつの間にかチーム全体に「ペッパーミルポーズ」が浸透していったものです。

 この「ペッパーミルポーズ」が、最近、選抜高校野球大会でも波紋を広げました。1回戦初回に東北高校の選手が相手チームのエラーで出塁した際に、ベンチに向かってこのパーフォーマンスを行いました。ベンチ内の数選手もこのポーズをしました。攻撃後に一塁塁審がベンチに来て「パーフォーマンスはダメです」と注意を受けたといいます。東北高校の佐藤洋監督が試合後に、問題提起を行いました。佐藤監督「これだけ野球界が盛り上がっているのに。なんでこんなことで、子どもたちが楽しんでいる野球を大人が止めるのかな。ちょっと嫌というか。変えた方がいんじゃないのかなと。ちょっと思いましたね」と残念そうに話しました。「ちょっと違う高校野球のスタイルをやっていかないと。野球を選択する子がいないし、ああいうパーフォーマンス、日本中が盛り上がっているパーフォーマンスを審判の方から注意される。ぜひ書いてください。私が言っていたでいいです。私に火の粉が飛んできていいので。それは僕は大反対なので。もう少し子どもたちに自由に野球を楽しむということを、もうちょっと考えてもらいたいと思います」と願いました。大会本部は「高校野球としては、不要なパーフォーマンスやジェスチャーは、従来より慎むようにお願いしてきた。試合を楽しみたいという選手の気持ちは理解できますが、プレーで楽しんでほしい」と見解を発表しました。その後甲子園ではこういったパーフォーマンスは見られなくなりました。

 青山学院大学の駅伝部原 晋監督も、この件を報じたニュースを取り上げ、「いまだにこんな管理者(審判)いるんだ!?」と驚いた様子。そして「世の中個性を大切にしようと言っているのに、他者を侮辱行為してないパフォーマンスに対して制限するなんて不思議でならない」と持論をつづり、「負けるな高校球児!高校野球は君たちの為にあるのだから!」とメッセージを記しました。はたしてそうでしょうか?

 「子どもたちは楽しんでやっているのになぜ大人が止めるのか」というのが反論の主旨のようですが、高校野球は教育の一環であり、相手選手への敬意、スポーツマンシップは一番大切な伝統です。今回は、相手のエラーで出塁した際に、このパーフォーマンスをやったことが問題です。楽しくやろうという気持ちは分からないでもありませんが、相手のミスでやってはいけません。メジャーリーグでこんなことをやろうものなら、侮辱と受け取られてすぐに報復を受けます。さらにはその意味するところも知らずに、ただブームに便乗して形だけを真似するのもいただけません。♥♥♥

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「古民家バル」

◎週末はグルメ情報!!今週はイタリアン

▲「古民家バル 旧藤本亭」

 倉敷駅から徒歩5分ほどのところにある古民家イタリアンのお店「古民家バル 旧本藤亭」(ほんどうてい)にお邪魔しました。「共通テスト」の講演にお邪魔した笠岡高校の英語科の先生方とご一緒です。私は股関節のリハビリを兼ねて、地図を片手にホテルから歩いてみたんですが、名前の通りまるで普通の民家のような店構え(写真上)なので、探すのに一苦労しました。通りで町の方に聞くと、目の前の民家を指さされました。分からないはずです〔笑〕。

 店舗は「最低でも築60年はたっている」という古民家を改装したもので、カウンター席や個室も備え、大きなガラス張りの窓からライトアップされた庭園が見渡せる造りで、実におしゃれなイタリアンのお店です。

 英語科(+国語+体育)の先生方と教育について語り明かしながら、とっても美味しい料理をいただきました。お肉もピザも絶品でした。帰りもホテルまで歩こうとしたんですが、道に迷ってとんでもない方向へ出てしまい、グルグルと歩き回っていました。タクシーはつかまらないし、途方に暮れましたが、親切なセブンイレブンの店員さんがタクシーを呼んで下さり、ホッと一安心しました。ホテルで大浴場に浸り、しっかりと休んで、翌日の講演に備えました。♥♥♥

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