100-1=0なんです。

 極端にいえば、一軒のお得意を守り抜くことは百軒のお得意を増やすことになるのだ。また逆に、一軒のお得意を失うことは、百軒のお得意を失うことになるのだ、というような気持ちで、商売に取り組んでいくことが肝要だと思います。(松下幸之助)

 その昔、国友隆一『帝国ホテル サービスの真髄』(経済界)を読んで衝撃を受けたのを思い出します。お客様に気づかせない「おくゆかしさ」、それが感動を超える「深い満足」を生み出します。「100マイナス1はゼロ」がホテルのサービスだ、というのが犬丸元社長の哲学でした(『帝国ホテルの流儀』(集英社新書))。世界最高のホスピタリティを実体験するために、「帝国ホテル」には一度泊まってみたいとは思っていますが、まだ残念ながらそのチャンスには恵まれていません。

 今日は、勝田ケ丘志学館でこんな話をしました。その再現をしてみたいと思います。お客様対応においては、100-1=99ではありません。「100-1=0」になってしまうのです。「100回の良い接客をしても、たった1回の非常に悪い対応で、全てが台無しになることがある」という接客の心得です。これは接客業の基本です。100人のお客様のうち、99人笑顔を見せても、1人に無愛想にすれば、そのお客様にとっては笑顔0点です。100人のスタッフのうち、99人が笑顔でも、1人が無愛想ならば、そのスタッフが対応したお客様にとっては、そのお店は無愛想なお店となります。社会人では100引く1が99ではなくゼロになる場合もあるのです。一つの失敗が、会社全体のイメージダウンにつながります。100人の従業員中99人がお客様の立場に立った素晴らしいサービスを提供できたとしても、たった一人がお客様を不快にさせる行動をとってしまえば、それだけでその企業に対する評価と信頼は、がた落ちしてしまうのです。一瞬の油断や気の緩みが、99%の努力を0にしてしまうのです。それは個人の評価だけにとどまらず、お店の評価も0にしてしまいます。何とももったいない話です。1本の金属の鎖を引っ張ると、一番弱いところが切れます。たった一人の従業員のせいで、鎖が切れるごとくに、企業が存続の危機に見舞われることすらあるのです。100点のサービス-たった一つの重大な失敗=0点。そしてこのことは仕事の世界だけでなく、人生を物語る図式でもあると思います。

 俳優キアヌ・リーブスが、映画の中でアドリブで言った「洗濯に出したい。できれば帝国ホテルのランドリーに」というセリフの意味も、納得できますね。どんなシミでも抜いてみせる、ただ綺麗にするだけでなく、場合によってはシャツのボタンをあらかじめ全部取り外してから洗濯し、アイロンがけの後に縫い付け直すこともあるといいます。そのために世界中のボタン・糸を揃えておくのだとか。30分ごとに手袋を交換するベルボーイ、エレベータの中に鏡と一輪挿しが設置してあるのはなぜか?お客様の部屋のゴミを全室24時間保管しておくなど、あり得ない心遣いではないでしょうか。忘れ物をしても、決してホテルから連絡することはない、といいます。これがいかに奥の深いサービスであるかということに気づくには、少し時間がかかりました。再び国友さんの『帝国ホテル お客さまが感謝する理由』(経済界)を読んで、「感動」よりも「深い満足」の提供を目指すという、世界最高のホスピタリティーの全貌がより一層見えてきました。上には上が、ということですね。そんなサービスを体験すれば、間違いなくお客様の心をとらえて、ずーっとファンになってもらえます。

 「100-1=0」=「一度の失敗も許されない」というわけではありませんから、勘違いのないように。一生懸命な失敗はちゃんと周りにも伝わりますし、きちんと謝って訂正すれば、会社の評価がゼロになるとは限りません。事後の対応一つで、逆転満塁ホームランにもつながります。

 具体例を見てみましょう。13年間勤めた松江市から大田市に引っ越しをした27年前のことです。大田市の住宅が空くのが4月に入ってからということで、いつも利用している「日通」や「クロネコヤマト」は予約で一杯で取ることができません。仕方がないので「アート引っ越しセンター」にお願いすることにしました。当時テレビCM「0123」がバンバン流れていた会社です。ところが引っ越し当日の朝から、この会社はいい加減でした。約束の時間(8時)になっても現れません。連絡も一切ありません。結局、「渋滞」とやらで1時間遅れてやって来ました。この時点から何だか嫌な予感がしていました。何とか荷物を積み込んで(本がたくさんあるので10トン車です!)出発。私は母親と二人でタクシーで大田に向かいました。大田高校の教員住宅に着きますが、なかなかトラックはやって来ません。待てども待てどもやって来ません。こちらから電話してみると、車が大きすぎて路地に入れないので、今から小さな車を手配するので、と言います。事前に地図も渡して住所も示してあるのに、当日になってから車の手配かよ!かなりの怒りに体が震え始めました。ようやく小さなトラックでピストン輸送が始まったものの、荷物の運搬が終了したのは、なんと夜の9時です。当時母親は寝たきりで、できるだけ引っ越しはしたくなかったのですが、やむを得ず一緒に来てもらっていました。ずいぶん気をもませてしまい、病気の体には悪いことをしたと後悔しています。母はこの3ヶ月後に亡くなるのですが、この引っ越し疲れが死期を早めたのではないかと、今でも後悔することしきりです。翌日、段ボール箱の荷物をほどき始めると、ガラスが壊れていたり、陶器が割れていたりとふんだりけったりでした。私も今までに何度も引っ越しをしてきましたが、こんないい加減な業者は初めてでした。怒りが収まらないので、数日後、社長宛に抗議の手紙を出しました。なしのつぶてです。どんな会社??たまたま私が運が悪かっただけなのかもしれませんが、一言ぐらいお詫びの言葉があってもしかるべきだったと思いました。長い年月が経った今でも怒りは収まっていません。テレビで流れてくるCMを見ても、「嘘つけ!」と思ってしまいます。町中でアートのトラックを見る度に、この時のことを思い出して嫌な気分です。最近ではこの会社のCMを担当しているサンドウィッチマンまで嫌いになってしまいました〔笑〕。

 引っ越しで感動したお話も、ついでにしておきましょう。この時の引っ越しがあまりにもひどかったので、4年後、今度は大田市から島根県の西の端・津和野町に引っ越すことになった時には、業者選びは慎重にも慎重を期しました。たまたま同僚が松江市から温泉津町に引っ越す際に、「クロネコヤマト」にお願いしたら、本当に丁寧に全部お任せで何もしなくてもよくて楽だったよ、と教えてくれたので、クロネコヤマトのお任せでお願いしました。荷造りから荷ほどきまで全部やってくれると聞いたので、これは便利だと思い乗ってみたわけです。時間厳守できちんと来てくれ、手際よく家財道具や大量の本を梱包していきます。私は本当に何もしなくて、ただぶらーっとしているだけです。荷物を運び出してしまうと、その日のうちに現地に移動しておいて、翌日の朝決められた時間に津和野の住宅まで荷物を届けるというシステムでした。私は朝イチの特急列車で津和野に移動します。朝待っていると、きちんと定時にトラックがやってきました。本当にてきぱきと作業をしてもらい、私はコーヒーを飲んで指示を出して見ているだけです。この時の引っ越しで、ぶったまげたことが一つありました。大田の本棚を荷造りする際に、その時並んでいた順番通りに本を詰め、津和野で荷ほどきをする際には、その順番通りに出して並べてくれ、大田の本棚と寸分たがわずに復元してくれたのです!これにはたまげ、感動もので、忘れられない思い出になっています。お金はかなりかかりましたが、こんな楽で気持ちのいい引っ越しは初めてでした。この時に、次回引っ越しする際もクロネコヤマトにお願いしようと決めました。3年後、松江市に帰ってくる時にも、クロネコヤマトを早くから予約して、満を持して引っ越しましたが、前回のような感動的な作業ではありませんでした。やはり人によるのでしょうね。あの時のリーダーは本当にてきぱきと気持ちのよい青年でした。アルバイトの島根県立大学生を手際よく動かしながら、全部短時間に完了してくださいました。私がクロネコヤマトのファンになったのは、この時からでした。

 石川県能登町にある日本一の旅館「加賀屋」(現在震災被害で閉館中)での出来事でした。私は当時心臓の他、持病の「薬」を毎日8種類ほど服用していたんですが、七尾湾の絶景を眺めながら「朝食」をいただいている時に、あまりの料理の美味しさにうっかり薬を飲むのを忘れてテーブルの上に置き忘れたみたいです。食事を終えて、離れたところにあったエレベータまで歩いてきました。すると若い仲居さんが、全力ダッシュでエレベーターまで追いかけて来られ、笑顔で「お客様、大切なお薬をお忘れでございます!」と。この言葉が心にズシンと心に響きました。帰り際にも、若女将の絵理香(えりか)さんに、このことをお知らせして感謝の気持ちをお伝えしました。ちょっとしたことのようですが、これで私はすっかり加賀屋の大ファンになってしまいました。

 私が博多に出かけると必ず「エクセル東急」に泊まるのは(私の定宿はこことホテルニューオータニ博多)、ずいぶん昔、タクシーの中に置き忘れたロンドンで買ったお気に入りのバーバリーのセカンドバッグを、あっという間に見つけてきて、お部屋まで届けて下さった迅速な対応・親切に感激して以来です。一流ホテルのちょっとした心遣いが、お客の心をつかんで離さないんですね。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「ギャンブラーの誤謬」を考える

 授業で、毎年今頃東京大学の2002年度の「ギャンブラーの誤謬(ごびゅう)」に関する二次試験の入試問題を読んでいます。東大入試の英文は毎年本当に良く練られた質の高いもので、受験生や教育現場にメッセージを発することでも有名です。英文は、「神が世界を相手にサイコロ遊びをするなどとはとうてい思えない」というアインシュタインの有名な言葉で始まりますが、人生は理詰めで動くチェスではなく、一手ごとにサイコロを振る運任せのバックギャモン・ゲームなのだ、と展開します。次に何が起こるか分からないということです。しかし、日常生活では過去の出来事の経緯から、次に何が起こるかを予想することが有益である、という内容の英文でした。

 「ギャンブラーの誤謬(ごびゅう)」(Gambler’s fallacy)とは、「独立した偶然の出来事が起き続けると、そのうち『偏りを埋め合わせるような逆の結果』が出る確率が高まる」と誤って思い込んでしまう心理的バイアスのことです。「モンテカルロの誤謬」とも呼ばれ、日常生活やギャンブルの場面で多くの人が陥りがちな思考の罠です。具体例としては、コイン投げのケースが代表的です。

 コインを投げて5回連続で「表」が出たとします。表→表→表→表→表。この時、多くの人はこう考えてしまいます。「これだけ表が続いたんだから、次こそは裏が出る確率が高いはずだ」。これが「ギャンブラーの誤謬」の本質です。しかし、数学的な真実は「次に裏が出る確率は、何回表が続こうとも常に50%(1/2)」です。コインに「記憶」などはなく、過去の結果が未来の確率に影響を与えることはありません。

 人間の脳は、パターンを見つけ出したり、バランスを好んだりするように進化してきました。

◎大数の法則の誤解: 本来「大数の法則(試行回数を増やせば、結果は本来の確率に近づく)」という正しい法則があります。しかし、人間の脳はそれを「短期間の間でも、すぐにバランスが取れるはずだ」と勝手に勘違いしてしまいます。

◎「ランダム(偶然)」への不信: コインが5回連続で表になると、私たちは「そんな偏ったことが起きるはずがない、そろそろ調整されるはずだ」と感じてしまいます。しかし、本当のランダムの中では、時に偏りが連続することはごく普通に起こります。

 この誤謬は、カジノのルーレットや宝くじだけでなく、私たちの身近な場面でも顔を出します。例えば、

◎投資・株取引: 「この株価は連日下がり続けているから、そろそろ反発する(上がる)はずだ」と根拠なく買いに走る。

◎日常生活: 「最近、赤信号ばかりに引っかかるから、次の交差点は絶対に青信号の確率が高い」と思い込む。

◎スポーツ: 「あの選手は3回連続でシュートを外したから、次は絶対に入るはずだ(いわゆる「ホットハンド」の誤認の逆)」

 「ギャンブラーの誤謬」を防ぐための基本は、「過去の独立した結果は、未来の確率を変えない」という事実を冷静に思い出すことです。

 「ギャンブラーの誤謬」というのは、コイン投げで表、表、表と連続して表が出ると、次は裏が出そうな気がするという心理傾向です。実際には、何回表が連続して出ようとも、コイン投げは、毎回独立事象(前回の結果と次のコイン投げは無関係)ですから、次に表が出る確率は1/2なんですが。日常生活においては、過去の歴史から、パターンを読んで、次に何が起こるかを予想する(ギャンブラ-の誤謬)ことは、意味のあることですし、またそうすべきです。日常生活の多くの事象は独立ではないからです。天気・人間の行動・機械の故障などは連続性があるために、「そろそろ変わるはずだ」と言うのは合理的な推測になるのです。天気は前日の気圧配置が翌日に影響しますし、交通信号の流れにしても、制御システムが周期的に動いています。人間の行動も、疲労・習慣・心理状態が連続して影響を与えます。これらは「前の結果が次の結果に影響する」ため、流れがあると感じる直感が部分的に正しくなるのです。

 ところがそれが通用しない例外が一つだけあります。それが「ギャンブル装置」です。出来事がそのような予想過程とは無関係に起こるように設計されている機械には、今言ったような過程は通用しないのです。さてこの後に、次の英文が続きます。生徒は訳はできるのですが、その言わんとする「論理展開」を考えることができません。

If our love of patterns were not sensible because randomness is everywhere, gambling machines should be easy to build and gamblers easy to beat.(どこもかしこも行き当たりばったりのことばかりだという理由で、私たちのパターン好きは分別のある振る舞いではないとすれば、ギャンブル装置を作るのは簡単なはずであり、ギャンブラーを打ち負かすのも簡単なはずである)

 最後の結論部分の次の英文も、生徒たちは、その背後にある「論理展開」を読むことができませんでした。この論理をじっくりと考えて「あー、そうか!」と納得するのに、あーでもない、こうでもないと、1時間以上を費やしました。

Indeed, calling our intuitive predictions reliable because they fail with gambling devices is unreasonable. A gambling device is an artificially invented machine which is, by definition, designed to defeat our intuitive predictions. It is like calling our hands badly designed because their shape makes it hard to get out of handcuffs.(いやそれどころか実際のところ、ギャンブル装置でしくじったからといって、直感的な予想が当てにならないと言うのは筋が通らない。ギャンブル装置というのは人工的に考案された機械であり、明らかに直感的な予想を負かすように設計されているのだから。それはちょうど、手の形のせいで手錠をすり抜けるのが難しいからといって、手のデザインが悪いと言って非難するのと同じようなものである)

 ①「語彙」の部分でつまづいたのは、by definition(明らかに、当然のことながら=definitely)という成句でした。生徒たちは「定義によって」と単語を訳しただけでそれ以上考えようとしません。私も学生時代この成句に初めて出会った時には、はたと考え込んでしまいました。当時の辞典には載っていませんでした。今は英米の学習辞典にも、当然日本の学習英和辞典にも収録されています。分からない時には、辞書を引く手間を惜しんではなりません。両英文中に何度も出てくるbecauseも「~だからといって」の用法です。calling~部分は「SVOC」(日本人高校生が苦手な構造)となっており、ここまでが主語であり、述語部分はis unreasonableで「SVC」の構文となっています。ここら辺は、②「文法・構文」の力が必要ですね。そして一番厄介なのが、両英文が何を言わんとしているのか、その③「論理」をしっかりと把握しなければなりません。訳はしたけれど、何を言っているのか分からない、では英文を読んだことにはなりません。生徒たちの理解は、最初は2割~5割程度でしたが、いろいろな「具体例」を出して考えてもらい(パチンコ屋さんの例、ラスベガスのカジノのサイコロまで持って来て実演、モンテの実演、ドイツのカードシャーク社から出た最新の不思議なトリック・デックを実演)、最後にはようやく10割の理解にたどり着きました。先生方は、この二つの英文をどのように料理なさいますか?考えてみてください。

 かつて、「センター試験」時代に第1問A,Bの発音・アクセント問題において、過去に出た単語が繰り返し出題されている実態から、私は「お色直し」が予想される、と毎年予言していましたが、やはり過去問からの出題が毎年かなりの語数に及んでいました。そこで私は1990年以来の「センター試験」に出題された全ての英単語を自費で(「プリントパック」は今までの印刷屋と違い安くて質も良かった!)一覧表にカラー印刷して(複数回出題されたものには色をつけた)、生徒たちに事前確認をさせていました(写真下)。音声が欲しいという生徒たちの要望が多かったので、これも自費でCD化して配付していました。これも「過去の出来事の経緯から、次に何が起こるかを予想できる」好例でした。私の講演会で配布して、全国の先生方にも喜んでいただきました。

▲センター試験発音・アクセント出題語リスト 沢山の先生方にも喜んでいただきました

 私が講演会等で毎年強調してきた、(1)昨年度の追試、(2)評価委員会の3種類の報告書の二つから、次年度の問題の内容がある程度予測できる、というのも同じことでしょう。よく「なぜ予想が当たるのですか?」という質問を受けるのですが、ちゃんと立派な根拠があり、過去の出題例を分析して、「ギャンブラーの誤謬」を実践すればよいのです。来年の「共通テスト」で、(1)NOT問題(not / error / removeの形で )、(2)推測問題、(3)複数箇所を参照する問題、複数解答の問題、(4)物語文の「心温まるいい話」、(5)「事実」と「意見」を問う問題、(6)「つなぎ語」「文補充」を問う問題、(7)要約問題、タイトル付け問題、(8)出来事の並べ替え二題には4/5でダミーが1つ含まれる、(9)第4問題Aはグラフとイラストが交互に出題、などが出題されるであろうという私の予想も、これに基づいています。

 そんな内容の英文でしたが、人生において種々の決断を迫られる時にも役立つお話なので、毎年取り上げることにしています。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

らぁ麺茶山

◎週末はグルメ情報!!今週はラーメン

 松江市上乃木に、らぁ麺専門店「らぁ麺 茶山(RAMEN CHAYAMA)」が8月23日グランドオープンしました。大きな筆文字の暖簾が目を引くお店で、地元のラーメンファンから早くも注目を集めています。“淡麗系の清湯らぁ麺”を中心とした小規模専門店で、丁寧な出汁と上品な味わいを評価する声が多く、素材の旨みを丁寧に引き出したこだわりのラーメンを提供する人気の専門店です。

 かつてホック茶山店のそばにあった「あんくる」(閉店)さん跡地です。カウンター席のみでの営業となっています。私は開店の11時きっかりにお邪魔しましたが、あっという間にカウンター席はいっぱいになりました。次々と入ってこられるお客さんは、後ろのいす席でずらーっと順番待ちです。まずは券売機で食券を買います。私は券売機の左上にある「特製醤油らぁ麺」(1,350円)をお願いしました。巨大な「奥出雲ポーク」レアチャーシューが2枚付いています。味玉が実にいい味をしていました(写真下)。ご主人と奥様でされているため提供スピードは少しかかりますが、待つ価値はありますね。しっかりと出汁が効いてるストレート麺、ツルッと食べれちゃいます。こだわりのスープとトッピングで、 醤油らぁ麺や塩らぁ麺を中心に展開しており、奥出雲ポークなどの地元産銘柄豚を使用したレアチャーシューや味玉が乗った「特製醤油らぁ麺」「特製塩らぁ麺」などが人気を集めています。上質な味わいで、 出汁の旨みが引き立つ繊細で上品なスープと、厳選された具材の組み合わせが評判です。実に上品なラーメンでした。❤❤❤

・特製醤油らぁ麺 ¥1,350(チャーシュ2枚、味玉付き)
・特製塩らぁ麺 ¥1,350(チャーシュ2枚、味玉付き)
・味玉醤油らぁ麺 ¥1,150
・味玉塩らぁ麺 ¥1,150
・醤油らぁ麺 ¥1,000
・塩らぁ麺 ¥1,000

▲見た目が実に美しい!映えますね

カテゴリー: グルメ | コメントする

クロマティ事件

 熱狂的な巨人ファンの私には、絶対に忘れることのできない屈辱の事件があります。悔しくて悔しくて。まだ30代だった私が信じられなかった野球観が180度変わるプレーでした。1987年11月1日巨人対西武の日本シリーズ第6戦です。私は「クロマティ事件」と呼んでいますが、「辻発彦の伝説の走塁」です。西武球場で行われたこの一戦は、西武が3勝2敗で日本一に王手をかけていた試合でした。

https://images.openai.com/static-rsc-4/eSEhq4IAfD1igcXfFXv9rVb1V15MY0VzJy9Eh1rOtI8RKX-jJ-h2sb70cmLHwnw3Dpj8HFX_wbLVHZOdsD3Av4X5PVS38gbLp8c-DoLH70Hyye6vBgFX231EwVEMplO0BjmK2vVC4VupACyeUSwlNK4t5M3kW3TNmsGjyC5BtKfKoIGVtfPBGgbFaIOslqsi?purpose=fullsize

 8回裏、西武が2-1と1点リードの場面です。2死一塁で打席に秋山幸二。一塁走者は辻 発彦でした。辻はこの直前に三遊間を抜くヒットで出塁していました。秋山の打球は、センター前ヒット、やや左中間寄りへ。普通なら、辻が一塁 → 二塁 → 三塁、秋山が一塁という「一・三塁」になるところです。

 事前ミーティングでクロマティのところへ打球が飛んだら、二塁走者なら必ず本塁に行けるし、一塁走者はセンター前ヒットでも三塁に行くチャンスがあると聞いていた。しかも、秋山の打球は左中間寄り、クロマティは左投げで送球が投げづらかったはずだ。三塁・伊原コーチが腕を回していたので、迷うことなく三塁を蹴った。(辻  発彦)

 ところが、ここで信じられないことが起こります。秋山の打球を見た辻は、二塁へ向かって全力疾走。このとき辻の頭には、シリーズ前の西武のスカウティング情報がありました。それが、「クロマティの守備は狙える」というものです。当時の巨人のセンター、ウォーレン・クロマティは打撃では超一流でしたが、守備、特に外野から内野への返球が緩慢になることがあったのです。三塁コーチの伊原春樹も、その癖を徹底的に研究していました。伊原は後に、ランナーがいないときからクロマティの返球がいつも山なりだったことに注目していたと語っています。ランナーがいる場合でも、素早い返球になっていないことを確認し、「これは使える」と考えていたのです。

 辻は二塁を回るところで、クロマティの動きを見ています。そして、「これは三塁まで絶対に行ける」と判断。ここがポイントです。クロマティは捕球後、すぐに鋭い返球をするのではなく、ゆっくりとボールを処理してから、遊撃手の川相昌弘に山なりのボールを送ったのです。辻は二塁を回ったところで、三塁コーチャーの伊原を見ます。すると伊原は……腕をグルグル回している。「三塁で止まるな。ホームまで行け!」という合図です。普通なら、ここで一瞬ためらって「ホームまで行ったらアウトになるんじゃないか?」と考えてしまうところです。ところが辻は違いました。後に辻自身が、「伊原さんの感じを僕が受け取って」そのまま減速せずに走った、と振り返っています。しかも二塁を回った後は、クロマティの姿は見えなくなります。つまり、「クロマティが今どういう返球をしたのか」を確認できません。それでも伊原の判断を信じて、三塁を全速力で回って、そのままホームへ突っ込みます。

 実は巨人側にも「一瞬の判断ミス」があったのです。ここが非常に面白いところです。クロマティの返球は、遊撃の川相昌弘へ。ところが川相は、打者走者の秋山が二塁へ進むことを警戒していました。つまり川相の頭の中では、「秋山を二塁に進ませない」ことが優先されていたのです。一方、辻はすでに三塁を回っています。川相がボールを受けたとき、辻は川相の背後側。川相は一度、打者走者・秋山のほうを意識して体を動かすことになり、ホームへの送球が遅れたのです。辻自身も後年、この点を「巨人の失敗」と分析しています。つまり、クロマティの緩慢な返球→川相が打者走者を警戒→辻への送球が遅れる→辻がホームイン、という連鎖だったわけです。

 川相からホームへ送球。しかし、もう遅い。捕手・山倉和博が捕球したときには、辻はホームに滑り込んでいました。西武3-1 巨人。辻は立ち上がって、ガッツポーズ。これが日本シリーズ史に残る、「辻の伝説の走塁」です。そのまま9回を工藤公康が抑えて西武が日本一を決めています。『週刊ベースボール』の記事によれば、この1点を森祇晶監督が「5点に匹敵する」ダメ押しの1点と評価した、と語っていました。

 実は「偶然の好走塁」ではなかった、ここが一番重要です。このプレーは、単に「クロマティがボーッとしていた → 辻が走った」という話ではありません。西武は日本シリーズ前から、クロマティの守備を攻略ポイントとして研究していたのです。辻は後に、日本シリーズのミーティングで「クロマティが穴だから、そこは突いていくぞ」と言われた、と明かしています。つまり、スカウティング → ミーティング → 辻の判断 → 伊原の判断 → 辻の全力疾走が一本につながったプレーだったのです。だから単なる「クロマティの怠慢守備」というだけでは、このプレーの本当の凄さを説明できません。

 このプレーはクロマティにとってもかなりショッキングな出来事でした。巨人の名二塁手だった篠塚和典は後年、クロマティはこの日本シリーズで「恥をかいて」、その後、守備への意識が変わった、と語っています。実際、クロマティはこのシリーズ後、スローイング練習でも以前よりしっかり投げるようになり、守備への意識が明らかに変わったそうです。つまり、この一件は、「クロマティの守備の弱点が全国に知れ渡った事件」であると同時に、「クロマティ自身の守備意識を変えた事件」でもあったのです。

 この試合には、もう一つ有名な場面があります。9回表、工藤公康が巨人打線を抑え、西武の日本一が決まる直前、一塁を守っていた清原和博が涙を流していました。辻はその清原に近づき、肩に手を置いています。PL学園の後輩だった清原にとって、ドラフトで指名されなかった巨人との日本シリーズには特別な思いがありました。そしてそのまま西武が4年ぶり4度目の日本一。だからこの第6戦は、

清原の涙
+
辻の伝説の走塁
+
工藤の完投
+
西武黄金時代の完成

という、1980年代プロ野球を象徴するような試合になりました。

 「クロマティの緩慢な返球が原因」ですが、本質は「西武がクロマティの弱点を事前に研究し、それを辻と伊原が一瞬の判断で完璧に実行したプレー」でした。実際、西武ライオンズ自身もこの走塁について、「野球の質の違いを見せた1プレー」と位置づけています。なお、このプレーには、伊原春樹コーチが事前に作っていた「クロマティ攻略メモ」という非常に面白い裏話があります。これは今回の「伝説の走塁」を理解する上でかなり重要です。

 伊原は1987年、セ・リーグを独走していた巨人が日本シリーズの相手になると予想し、テレビで巨人戦をかなり細かく観察していました。そこでクロマティについて見抜いたのが、「クロマティの返球はいつも山なり」という特徴でした。特に、ランナーがいないときには、クロマティが外野から内野へふわっとした返球をすることが多い。ランナーがいると多少急いで投げるものの、伊原から見ると、それでも「ホワーンとした」送球だったといいます。そして伊原は、これを単なる「クロマティは肩が弱い」という話ではなく、「これは日本シリーズで使える」と考えていたのです。

 さらに、伊原が見抜いていた「川相の癖」があります。実は、クロマティだけを研究していたわけではありません。中継に入る遊撃手についても、伊原は鋭く観察していました。当時の巨人では、打者走者が二塁へ進む可能性があるため、センターからの返球を受けた遊撃手は打者走者の方を確認する動きをします。伊原が見抜いていたのは、川相昌弘が打者走者を見るために体を回すと、その瞬間、先行走者への注意が薄れる、という癖でした。このことを川相昌弘さん自身も著書『川相塾 「指導者は何を教えればいいのか」』(日本写真企画、2025年)の中で認めています(この書名、川相さんらしいギャグです)。この時のワンプレーの悔しさと反省があったからこそ、1989年からのゴールデングラブ賞6度の受賞につながったと述懐しておられました。

 ただ私の失敗は、カットマンとして厳禁の反対(右利きは右)回りをして、打者走者を見たこと。バックホームが逆モーションになって遅れてしまう。伊原コーチが指摘したポイントの2回、私はまだ試合に出ていなかった(遊撃・鴻野淳基)。しかし、クロマティさんの緩慢な送球が狙われているのは、十分私もわかっていたのだから、辻選手が三塁ストップするだろうと決めつけてはいけなかった。私のミスだ。まだレギュラーになっていなかった経験不足と、自分自身の未熟さから生まれたプレーだった。学んだのは2つ。「まず、本塁に近い走者の動きを見る」「走者に背中を向けてはならない」(p.48)

 つまり伊原の頭の中には、

クロマティの送球が遅い
+
川相の中継プレーにも隙ができる

という二段構えの攻略法があったわけです。

 実は、この第6戦では、8回の辻だけでなく、2回にも清原和博がクロマティの守備を突いてホームインしています。1死二塁で6番ブコビッチがセンター後方に深いフライ。二塁走者の清原はタッチアップで三塁を回って生還し、先制しました。つまり西武は、この試合で実際に、「クロマティの返球を狙う」という作戦を2度成功させているのです。その意味では、辻の走塁は偶然生まれた奇跡ではありませんでした。西武が相手の守備上の弱点を事前に分析し、それを試合中に徹底して突いた結果だったのです。

一般には、「クロマティがゆっくり返球したので、辻がホームまで走った」というエピソードとして知られています。しかし実際には、もっと奥が深く、

① 伊原が巨人戦をテレビで深く研究する
↓
② クロマティの返球の癖を発見
↓
③ 川相の中継プレーの癖も発見
↓
④ 西武首脳陣が走塁意識を選手に徹底
↓
⑤ 辻がクロマティの動きを見て三塁まで行く
↓
⑥ 伊原が「ホーム!」と判断
↓
⑦ 辻が迷わずホームへ
↓
⑧ 巨人が対応する前に生還

という、「情報収集→分析→作戦→実行」の見事な連鎖だったわけですね。

 実際、西武ライオンズがファン投票で選んだ「ライオンズ70年の名シーン」では、この辻の走塁が第1位になっています。そして球団自身も、首脳陣の鋭い分析と選手たちの高い走塁意識によって生まれたプレーだと語っています。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

京都賞

https://images.openai.com/static-rsc-4/uIJMYuZ_TeLKdKHsP1ppxm1C9mORJAORxlWiNWHiktC7dwjQvclKW_ibDjX2ruuGefD0ZOcYWdbUm2s58nLmbv6xgTgRUoSs7lssKeGl1nE_bATGBIk467vp3rV8pir0dLRl6CJHldeQftSv5cgufXO55gr1YI53BiKpdKu2fs9-TkoQjCIvXPqKubF3CYYH?purpose=fullsize

▲故・稲盛和夫氏

 「京都賞」(Kyoto Prize)は、京セラ創業者の故・稲盛和夫(いなもりかずお)氏が、約200億円の私財を投じて創設した、世界的に非常に評価の高い日本発の国際賞です。科学・技術だけでなく、思想や芸術まで対象にしているところが大きな特徴です。稲盛和夫氏は1984年に稲盛財団を設立し、翌1985年に第1回京都賞を実施しました。

 その背景には、「人類の未来は、科学の発展と人類の精神的深化のバランスがとれて、初めて安定したものになる」という稲盛氏の考えがありました。つまり、科学技術が進歩するだけでは、人類は本当の意味で幸福になれない。人間の精神や文化も同時に豊かにならなければならない」という発想です。稲盛氏の人生哲学です。

〇人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である。

〇科学や文明の発展と人類の精神的深化のバランスをとりながら、未来の進歩に貢献したい。

 京都賞はしばしば「日本版ノーベル賞」と紹介されます。ただし、ノーベル賞の単なる日本版ではありません。大きな違いは、京都賞が

◎先端技術

◎基礎科学

◎思想・芸術

の3部門を設けていることです。特に「思想・芸術」を科学と同じレベルで顕彰している点は、京都賞の非常にユニークなところです。稲盛財団自身も、京都賞はノーベル賞が対象としていない分野にも光を当てることを目指している、と説明しています。京都賞は3部門、それぞれ4分野、合計12分野から構成されています。選考は3段階の審査機関によって行われます。専門委員会(各分野の専門家が候補者を絞り込み)→審査委員会(より広い視点で審査)→京都賞委員会(理念に照らして総合判断)最終的には理事会が承認して受賞者が決定します。

部門 主な対象
◎先端技術部門 エレクトロニクス、材料科学、情報科学、バイオ・メディカルなど
◎基礎科学部門 生物科学、数理科学、地球・宇宙科学、生命科学など
◎思想・芸術部門 音楽、美術、映画・演劇、思想・倫理

ただし、毎年すべての分野から受賞者が出るわけではありません。毎年、各部門から1分野ずつ、計3分野が対象になります。そして4年かけて12分野を一巡します。この仕組みは非常に面白いところです。

 現在の京都賞は、各部門の受賞者に、賞金1億円+京都賞メダル(20K金製総重量約250g中央には「永遠」の象徴である「楠(くすのき)」、周囲にはエメラルド(4.56ct)とルビー(6.88ct))+ディプロマ(賞状)(臨済宗妙心寺派管長による墨書入)が贈られます。3部門ですから、毎年3人、総額3億円の賞金ということになります。ちなみに創設当初の賞金は現在よりずっと少なく、時代とともに増額されてきました。

 歴代受賞者を見ると、京都賞の「幅広さ」がよく分かります。例えば、

山中伸弥――iPS細胞研究

大隅良典――オートファジー研究

赤﨑 勇――青色LED

金出武雄――ロボット工学・コンピュータビジョン

安藤忠雄――建築

坂東玉三郎――歌舞伎

志村ふくみ――染織

アンジェイ・ワイダ――映画

ユルゲン・ハーバーマス――哲学・社会思想

などがおられます。例えば、安藤忠雄氏は2002年、坂東玉三郎氏は2011年、山中伸弥氏は2010年、大隅良典氏は2012年の京都賞受賞者です。

 京都賞は、単に「この人はこんな素晴らしい発見をした」という業績だけを表彰する賞ではありません。稲盛財団は京都賞について、「業績を成し遂げた感性や意識・人生哲学をも含めた、現代の知性ともいうべき『人を讃える』」ことを大きな特徴として説明しています。ここが、京都賞を理解する上で非常に重要です。つまり、何を成し遂げたかだけでなく、どのような人間として、それを成し遂げたのかにも注目をするわけです。これは、稲盛和夫氏自身の「人間としてどう生きるか」という思想・哲学とも深く結びついています。

 そして、2026年は第41回で、2026年6月19日に受賞者が発表されました。今回の対象分野は、

◎先端技術部門=エレクトロニクス:宮坂 力(みやさか つとむ)

◎基礎科学部門=生物科学(進化・行動・生態・環境):ファルーク・アザム(Farooq Azam) 

◎思想・芸術部門=音楽:ローリー・アンダーソン(Laurie Anderson) 

となっています。つまり、今年は特に音楽の受賞者にも注目すると、京都賞のユニークさがよく分かります。

 私は京都賞の最大の特徴は、単に「賞金が1億円」ということではなく、「科学技術」と「人間の精神・文化」を同じ視野に入れていることだと思います。ノーベル賞は非常に大きな権威を持っていますが、基本的には物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、経済学です。一方、京都賞は、科学 → 技術 → 芸術 → 哲学・倫理を一つの「人類の知」の体系として捉えようとしています。これは、稲盛和夫氏自身の「科学の発展と人類の精神的深化のバランス」という考え方そのものなのです。

 京都賞の歴代受賞者には、ノーベル賞受賞者もかなり含まれています。例えば山中伸弥、大隅良典、赤﨑勇などです。一方で、安藤忠雄、坂東玉三郎、志村ふくみ、アンジェイ・ワイダ、ハーバーマスなど、ノーベル賞では基本的に顕彰されにくい分野の巨人も選ばれています。その意味で京都賞は、「ノーベル賞の補完賞」ではなく、「ノーベル賞とは違う価値観から世界の知性を評価する賞」と考えると、その存在意義がよく分かるでしょう。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

イラク戦争デック

 私は世界中から珍しいトランプを趣味として集めていますが、こんなものまで持っています〔笑〕。 「Iraqi Most Wanted Playing Cards(イラク最重要指名手配者トランプ)」は、2003年のイラク戦争で米国防情報局(DIA)が使用した、非常に有名な軍用のトランプです。単なる記念品ではなく、サダム・フセイン政権の幹部52名を兵士が顔と名前で識別するための「人物識別カード」でした。正式名称は Personality Identification Playing Cards です。兵士が高価値標的(HUT)を現場で即座に認識できるようにするための実用的軍事ツールでした。

https://images.openai.com/static-rsc-4/ajdxSmsoeXVPThEmGlcQmAPmGq8NIRjGnWuRHNcDi7mYtY_uJadplN_ElgNbcl-WHPJOS4RDNfjXkogKVULU4TBNGEpEzBtLZS_HlRKD8He4B0gaSJYtUlml36XzeTuut2qrQS7iex7QtkCDLeXbUfSqR3b_Qph1w54293YdlsuOPXivUdvmkB3UsyCRkq4x?purpose=fullsize
https://images.openai.com/static-rsc-4/LXHKYKBQ63sB5ynYTkbroN_ii5zu6ScyeSEzK3Bn7gFSfogXXw0hrZ_HCEFEPubRjMfJB_VcKp8r0ahD1z33Dv-p5cZcphHyy7XgMm9t3Lt5dKD6v4Q0okoWgaYJDriV9uZLHOaaVmcigBiEoUvCbKukU1zKNYKMdBcgpVHkVbhqDOFaHXfj8pXVgSG1Ivnf?purpose=fullsize
https://images.openai.com/static-rsc-4/2C325ZA7lwdlnsa_GgFwK1Hu2ugFYFgda88x9dZ7nCwvBphdDnH1bOGO0M3cSigokfczYFGjKnRs9rA7RHM_EFJZv-uUKYshPCxpYA6QcBnwxN9_dMSgVR8sLriGWBJuT7oDYsQPIZM_UztSSYjVHxsqySgsIB4EdOjC0UBnpDI9C_Lj-4mIVjRUztd8MOm9?purpose=fullsize

 2003年4月、米国のDefense Intelligence Agency(DIA)などが作成し、イラクに派遣された米軍・連合軍の兵士に配布されました。1枚につき1人のイラク要人が掲載され、写真、氏名、役職、その他の識別情報が記載されています。兵士は現場で要人と遭遇しても顔を知らないことが多く、カードで記憶を補助するのが狙いです。兵士が娯楽として普段から持ち歩くトランプに情報を載せることで、自然に覚えられるように設計されました。オーストラリア戦争記念館にも実物が収蔵されており、2003年製、54枚構成として記録されています。特に面白いのが「カードの強さ」と人物の重要度です。普通のトランプでは、A > K > Q > J >10……という順位があります。このデックでは、それを利用して、重要人物ほど上位のカードに割り当てられました。例えば、

カード 人物
A♠ サダム・フセイン
A♥ ウダイ・フセイン(長男)
A♣ クサイ・フセイン(次男)
A♦ アビド・ハミド・マフムード(大統領秘書)
K♠ アリー・ハサン・アル=マジード(「ケミカル・アリー」)
8♠ ターリク・アジーズ(副首相)

という具合です。つまり、兵士がカードゲームをしているだけでも、「この顔は誰だったかな?」と自然に人物を覚えられるようになっていたわけです。スートとランクは重要度を表す階層構造となっていました。♠=最重要 ♥=第二階層 ♣=第三階層 ♦=第四階層 そして各スートのA(エース)が最重要人物です。

 これがこのデックの一番面白いところです。兵士はトランプを持っていることが多く、ゲームをして時間を過ごします。そこで米軍は、「どうせ兵士がトランプを使うなら、そこに敵の重要人物の顔を載せてしまおう」と考えました。カードゲームをしながら、顔 → 名前 → 役職を繰り返し見ることになるため、人物識別の教材として非常に便利だったのです。米軍関係者も、トランプという身近な道具なら兵士が自然に人物を覚えられると説明しています。

 「ケミカル・アリー」も入っています。例えばK♠には、サダム・フセインの従兄弟で、化学兵器使用との関連から「Chemical Ali(ケミカル・アリー)」と呼ばれたアリー・ハサン・アル=マジードが掲載されています。この人物も後に拘束され、2010年に処刑されています。

 裏面も特徴的で、カードの裏面には、砂漠用迷彩(desert camouflage)を思わせる模様が使われています。したがって、一見すると普通のトランプですが、裏返すと軍用品らしいデザインになっているのです。

 100万個デック以上が兵士に配布されました。2003年4月11日、米国中央軍の記者会見で初公開されるや、すぐに人気が出て(初期ロットは数百個のみ)、米国プレイングカード社(USPC)が大量生産しました。ゲーム化された標的リストとして批判も多く、軍事プロパガンダの象徴として議論を呼んだトランプでした。❤❤❤

カテゴリー: マジック紹介 | コメントする

9・11

 日本人24人を含む2,977人が命を落とした2001年9月11日朝の米国同時多発テロから25年が経ちました。四半世紀が経った今も、まだ1,000人以上の犠牲者の遺体が特定されていません。東海岸で旅客機4機が相次いで乗っ取られ、2機がニューヨークの世界貿易センタービルに、1機がワシントン近郊の国防総省(ペンタゴン)に突っ込みました。世界貿易センタービルには私の知り合いが勤務していたこともあって、気がきでなかったことをはっきりと覚えています(夕方に無事が確認できました)。私はその1週間後に、文科省のプログラムでイギリスに出発しました(絶対に中止になると思っていましたが)。大英航空(British Airlines)の500人以上が定員のジャンボ機がガラガラだったのを覚えています。ロンドン市内もものものしい警戒でそこら中に銃を持った警察官が警備にあたっていました。絶対にホテルから出ないことという通達が日本から来ていましたが、こちらは英語の勉強ですからそんなわけにもいきません。毎晩出歩いていました〔笑〕。

 その後「9・11」という日付とアメリカの緊急電話番号「911」(アメリカでは消防も警察も同じ番号)が一致していることから、意図的にこの日が選ばれたのだという話を聞きました。しかしながら「だからテロ実行日を9月11日に決めた」という説は、現在のところ確認されていません。むしろ、9/11委員会の調査記録を見ると、かなり慎重に考える必要があります。

 アメリカでは緊急電話番号が911(nine-one-one) です。一方、アメリカ式の日付表記では、September 11 → 9/11となります。そのため、2001年9月11日の同時多発テロ以降、「9/11」という呼び方が定着しました。ここが重要です。9/11委員会の公式報告書によると、攻撃の日付は2001年8月の第3週までには決定されていたと考えられています。テロ組織アルカイダのモハメド・アタが協力者のラムジ・ビナルシブに暗号めいた形で日付を伝え、その後、航空券が8月25日~9月5日に予約・購入されています。つまり、「9月11日という日付を選んだ」という事実は確認できますが、「911という緊急番号に合わせた」という理由は確認できないということです。9/11委員会の資料などからは、9月上旬にアメリカ議会が夏休みを終えて再開する時期だったことが、日付決定の理由の一つだった可能性が指摘されています。国立公園局のFlight 93関連資料にも、その可能性が記されています。また、攻撃計画そのものが非常に綿密に準備されていたことも分かっています。

 しかしながら、「絶対に関係なかった」とも断言できません。実際、研究者の中には、モハメド・アタがアメリカで操縦訓練を受けていたため、アメリカの「911」という緊急番号を知っており、それを意識した可能性を推測する人もいます。ただし、これは推測の域を出ません。学術的な論考でも「911を意識していた可能性はある」としながら、確証はないとされています。「緊急電話番号馬頭の911に合わせてこの日が選ばれた」というのは、後から結び付けて語られるようになった都市伝説やこじつけに過ぎないというのが実情のようです。

主張 判定
アメリカの緊急番号は911 事実
9月11日はアメリカ式に9/11と書く 事実
テロの日付は事前に8月中には決まっていた 事実
「911」に合わせて9月11日にした 証拠なし
911を意識していた可能性 否定も肯定もできない推測
議会の再開時期など、別の合理的な理由があった 有力な説明の一つ

したがって、「9・11という名称と911という緊急番号が一致するのは偶然なのか?」については、少なくとも公式調査では「911に合わせて実行した」とする証拠は見つかっていない、というのが一番正確です。

 ちなみに、この話にはもう一つ興味深い点があります。アメリカ人が「9/11」を「nine eleven」と読むのに対して、緊急番号911も「nine-one-one」と読むため、英語では両者が非常に強く結びついて感じられるんです。日本人が「9・11」と聞く場合より、アメリカ人にとっては数字の印象がずっと強烈です。

 ついでに、アメリカのこの緊急電話番号の歴史について見ておきましょう。911は短く覚えやすい(3桁で誤入力しにくい)、電話交換機の構造上、他の用途と重複しない番号(市街局番・内戦番号として使われていなかった)、迅速に全国に展開できる(AT&Tが交換機改修費用を負担する方針を採用)ところから911が選ばれました。♥♥♥

●1957年:全米消防長協会が「火災通報のための単一番号」を提言
●1967年:大統領犯罪対策委員会が「全国共通の緊急番号を設けるべき」と勧告
●1967年11月:FCCとAT&Tが協議し、9-1-1を緊急番号として提案
●1968年2月16日:アラバマ州ヘイリービルでアメリカ初の9-1-1通報が行わ
れる
●1973年:ホワイトハウスが全国導入を推奨する政策生命を発表
●1987年:レーガン大統領がEmergency Number Day(緊急番号の日)を9月11
日に制定
カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

森本レオさん亡くなる

 俳優・ナレーターとして幅広く活躍した森本レオさんが、2026年9月4日に83歳で亡くなられました。所属事務所によると、原因不明の突然死だったと発表されています。

 1943年、名古屋市生まれ。日本大学芸術学部放送学科を卒業後、1967年にNHK名古屋のドラマ『高校生時代』で俳優としてデビューしました。翌1968年からは東海ラジオの深夜放送『ミッドナイト東海』のDJとして人気を集め、一躍知られるようになります。実は、森本さんは映画・テレビ俳優になる前に「ラジオの人」として人気を得たことが重要です。 

 本名は「森本治行」なのに、なぜ「レオ」なのでしょうか?これにはかなり面白い由来があります。ラジオの仕事をしていた頃、本人が一人称として「オレ」を使いたがったことがきっかけでした。ところが「オレ」をそのまま芸名にするのは具合が悪い。そこで「オレ」をひっくり返して「レオ」とした、というのが有名な話です。つまり、オレ → レオという、ちょっとした言葉遊びから生まれた芸名なのです。

 俳優としては、いわゆる「二枚目スター」とは少し違いました。長身で、細身で、どこか飄々としていて、力の抜けた雰囲気。このため、後には森本さんのようなタイプを表す言葉として、「脱力系」という表現が使われることもありました。代表的な映画には、『オレンジロード急行』『もう頬づえはつかない』『キッズ・リターン』などがあります。テレビドラマでも、『花へんろ』『愛という名のもとに』『ロングバケーション』『あぐり』『王様のレストラン』など、非常に多くの作品に出演して、名脇役として数々のヒット作に存在感を残しました。個人的には、故・西村京太郎先生の十津川警部シリーズのテレビドラマでの、ちょっとトボけたような西本刑事役が大好きでした。

 むしろ現在の若い世代まで含めると、俳優よりナレーターとしての印象のほうが強い人も多いことでしょう。森本さんの最大の武器は、あの声です。「低く、ゆっくり、柔らかい」しかも、単純に低いだけではありません。抑揚が激しくない、急がす感じがない。少し息が混じる、語尾が柔らかい、聞き手に話しかけるような感じがある、という独特の声でした。そのため、「森本レオがナレーションすると、普通の文章でも物語のように聞こえる」という現象が起きるのです。

 森本レオさんを語る上で外せないのが、『きかんしゃトーマス』です。日本語版で長年ナレーションを担当し、トーマスを見て育った世代にとっては、「きかんしゃトーマス=森本レオの声」というほど強烈な結びつきがあります。これは非常に興味深いことで、森本さん本人が画面に出ていなくても、声だけで番組そのものの世界観を作っていたわけです。近年ではテレビ朝日系の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』などのナレーションでも知られていました。つまり森本さんは、

●1960年代 → ラジオDJ
●1970年代~ → 映画・テレビ俳優
●1980年代~ → ナレーターとしても存在感
●1990年代~2000年代 → ドラマ・映画・声の仕事
●その後 → ナレーション

という形で、半世紀以上にわたって活動してきた人なのです。

 森本レオさんの場合、実際の本人の性格とは別に、「優しい」「穏やか」「飄々としている」「怒らなそう」というイメージが非常に強く形成されました。これは俳優としての演技だけではなく、声質そのものがキャラクターになっていたからだと思います。今回の訃報を伝えた所属事務所も、森本さんについて「役者としてナレーターとして」多くの作品に携わったことへの感謝を述べています。

 森本さんは2010年に心筋梗塞で救急搬送され、入院したことがあります。その後は退院し、減塩生活などにも取り組んでいたとされています。ただし今回の死去について、所属事務所が発表した死因は「原因不明の突然死」です。過去の心筋梗塞と今回の死去を直接結びつける情報は、現時点では確認されていません。

 穏やかな人柄と唯一無二の語り口で、長年にわたり多くの人々に愛され親しまれた俳優さんでした。特に印象的なのは、普通の俳優というだけでなく、「あの独特の、ゆっくりとした柔らかい声そのものが一つの個性だった」という点でしょう。森本レオという人を一言で表すなら、私は、「俳優であると同時に、“声そのものがスターになった人”」と表現するのが一番近いと思います。例えば、顔を見なくても、「あ、この声は森本レオだ」と分かります。これは声優・ナレーターの世界でもかなり特別なことです。そして興味深いのは、『きかんしゃトーマス』のような子供向け番組から、『ロングバケーション』のような大人向けのテレビドラマ、さらにドキュメンタリーやバラエティーまで、非常に広い分野で同じ「森本レオの声」が受け入れられたことです。今回の訃報は、単なる「ベテラン俳優の死去」というより、昭和から平成、令和まで日本のテレビ・ラジオの「声」を支えた人物の一人が亡くなったという意味で、大きな出来事だと思います。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

元気と勇気

 かつて「風に立つライオン基金」のホームページに、シンガーソングライターのさだまさしさんがこんなメッセージを書き込んでおられたことがあります。

「赤ちゃんは産まれるとき誰でも両手を握りしめて生まれてきます。あれは何を握りしめてきたのかと言うお話です。実は、人は生まれてくるとき右手に「元気」を、左手には「勇気」を握りしめて生まれてくるのだと僕は信じています。この二つには共通の、奇妙で不思議な性質があります。「元気と勇気」は使わなければ使わない分ドンドン減ってゆきます。逆に「元気と勇気」は使えば使うほどドンドン増えてゆくのです。」

    小さな手
                                         さだまさし作詩 さだまさし作曲

生まれた時に僕には
その小さな小さな掌に
大切そうに握りしめてきたものがある
生まれた時に僕は
この小さな小さな体よりも
ずっと大きな宝物を抱きしめて来た
右手には永遠の未来
左手には無限の希望
心は透き通って愛は
果てしなく深くいつかしらぬ間に
僕の掌はこんなに
いつか大きく育ったけれど
握りしめたものは何故か小さくしぼんでしまった

生まれた時に誰もが

抱きしめてきた宝物がある
使えば使うほどに増えてゆく不思議で大切なもの
右手には溢れる元気
左手には強い勇気
たった一度の人生
たった一度だけの
いつかしらぬ間に
僕の掌は既に
とても汚れてしまったけれど
あと少しだけほんの一寸だけ頑張ってみようかな

仮に来年の春に僕の

生命(いのち)が尽きると判っても
その次の春に咲く花を
明日植えるように
生きてゆきたいと
生まれた時に僕には
その小さな小さな掌に
大切そうに握りしめてきたものがある 

 これは、大好きなさだまさしさんが、2002年6月に発表したアルバム『夢百合草(アルストロメリア)』に収録された「小さな手」という曲です。詩人のさださん(レコード大賞「西条八十賞」受賞)の歌らしく詩が本当に素敵な曲です。赤ちゃんは生まれるときに両手を握りしめて、お母さんのお腹から出てきます。その本当に小さな掌に何かを大切そうに握りしめて生まれてくるのです。それはお父さん・お母さん・お爺ちゃん・お婆ちゃんから代々受け継がれてきた大切な宝物を無くさないように、忘れないようにと、しっかりと掌に握りしめて生まれてくるのです。

 シンガーソング・ライターのさだまさしさんが、1990年代にコンサートの終わりによく「赤ん坊は必ず両手を握りしめて生まれてくる、あの小さな手は一体何を握りしめているのかわかりますか?」と問いかけておられました(最近この話をすることはなくなったような…)。さださんの答えは「元気」と「勇気」でした。「裸一貫」(はだかいっかん)という言葉がありますね。人は自分の身体の他には何も持たずに生まれてきます。尺貫法では、一貫がおよそ3.75キログラムになるようですから、ちょうど赤ん坊が生まれてくる時の重さくらいですね。また、「一匁」(いちもんめ)は「一貫」の千分の一、つまりは3.75グラムの重さということになります。五円玉一枚がちょうど3.75グラム、つまりは「一匁」になります。人は右手に「元気」を、左手には「勇気」を握って生まれてくるというのです。人は「裸一貫」に、およそ五円玉一枚ずつの重さの「元気」と「勇気」を握って生まれてくるのです。もちろん、これは医学的・生物学的な事実ではなく、人間が生まれながらに持っている生命力を、両手に持った「元気」と「勇気」に喩えた詩的なお話です。

 そして、この二つには普通の「物」とは違い、全く同じ性質がある、と続けます。それは「使えば使うほど増える」ものであり、「使わねば使わぬほど減ってゆく」ものなのです。例えば、「やってみようか?でも失敗したらどうしよう」と思っていたことに思い切って挑戦してみる。すると「なんだ、やってみたらできた」という経験が残ります。その経験が次の「勇気」につながります。つまり、勇気を使う→経験する→自信がつく→次の勇気が生まれる、という循環ですね。逆にいつも「怖いからやめておこう」と勇気を使わないでいると、ますます挑戦することが怖くなってきます。同様に、「元気」も面白いものです。例えば、こちらから誰かに「おはよう!今日も頑張ろう!」と明るく声をかけます。すると相手が笑顔になり、その笑顔を見て自分も元気になります。つまり、元気を与える→相手が元気になる→その元気が自分に返ってくる、という循環が生まれるのです。だぁら「元気」は使ったらなくなる財産ではなくて、人に与えることで増殖する財産なのだ、というわけです。その握りしめた「元気」と「勇気」を、千倍万倍にできるかどうかを決めるのが「志」(=その後の生き方)だ、と締めくくります。これはさださんの人生観の核心ともいえる考え方です。とてもいい話でした。私も裸一貫で「元気」と「勇気」を握りしめて生まれ、高い「志」を持って大きく育ててきました。下の写真は私がそうやって生まれた時の姿です。健康優良児だったそうですよ。

 1990年頃から、さださんはコンサートの最後には、「元気と勇気は使えば使うほど多くなる性質があります。右手に元気、左手に勇気!それではみなさん、またお会いしましょう」と締めて、3曲を歌って緞帳が下りてきたものです。さださんは、これをある時ステージで何となく言ったのですが、「この時は本当に神が降りてきて、僕の口を借りて語ったんじゃないかと思った」と回想しておられます。「自分でふと言ってみて、改めて実感した。「勇気」と「元気」は、減らないだけじゃなくて、使えば使うほど増えていくんです。他のほとんどのものは使えば使うほど減っていきます(使って増えるものといったら皺と歳くらい〔笑〕)」。

 元気と勇気と言うと、別々の二つのものみたいですが、言葉こそ違え、本質は
一つです。
 「元気」な奴は腹立つくらいいつも元気だし、どんどん元気になっていく。逆
に、元気がない奴は、会う度に元気がなくなっていくように見える。
 向かい合ってお茶を飲むだけで「元気を吸われそう」な奴もいる。
 「勇気」もそうです。「あの時あれだけの勇気を持てていたら」という切ない
後悔をすると、「あの時の勇気」を手に入れるのに七転八倒の苦しみを味わいま
す。しかし、「あの時、よくあの勇気が私にあったなあ」という自信は、更に大き
な勇気を、思いの外簡単に手に入れる力になるのです。
 僕らは赤ん坊の時、右手に「勇気」、左手に「元気」を握って生まれてきたので
す。
    ―さだまさし『本気で言いたいことがある』(新潮新書、2006年)

 そしてこの実体験を歌に仕立てたのが、冒頭の「小さな手」という曲でした。

 今からもう20年前、松江北高に転勤して初めて担任した生徒たちが卒業する際に、次のような言葉を贈ったことがあります。私の思いが伝わったでしょうかね?♥♥♥

          超一流あり
              4R担任 八 幡 成 人

 小樽に「ルタオ」という洋菓子店がある。この店のチーズケーキ「ドゥーブル・フロマージュ」を食べた時の感動を忘れない。博多の「16区」や小倉の「ビャン・ビャン・ブラシール」のアップルパイも絶品である。行きつけの博多「エクラタン」のルーロ・フリュイもそう。世の中にはこんな美味しいケーキがある。叶匠壽庵の丹波小豆を使ったぜんざいの美味しさ。「福砂屋」のもちもちのカステラ、老舗「ふくや」の明太子、「まい泉」の黒豚ポークカレー、佐賀のステーキハウス「蜂」のハンバーグとビーフシチュー、「田丸屋」のわさび漬け、北海道富良野「唯我独尊」のソーセージカレー、宮崎の「まるおか」のパリパリのギョーザ、博多に初めてトンカツを紹介した「とん喜」、薬院のトンコツラーメン店「めんくいや」、広島の行列店「すずめ」などなど。長年食べ歩いてたどりついた店が数多くある。大好きな松山千春は、人間には三流から超一流(期待以上のことをやってみせる)までいることをコンサートで話すが、食にもまさに超一流ありである。常に高い目標(夢)を持って歩め、と教室で話しているが、そのためには超一流に数多く触れることだ。そうすることで自分のハードルが少しずつ高くなっていく。
 理想の職業とは、①好きなことをやって、②それでメシが食えて、③時々人から感謝される、の3条件を満たすものだ、とは故・竹内 均氏の言葉だが、好きなこととは何だろう。堺屋太一氏によれば、やっていて疲れない、やめるとまたやりたくなるものを指す、とのこと。好きなことを早く見つけて理想の職業に向けてスタートしてもらいたい。使えば使うほど増えていく、右手に勇気、左手に元気を持って(さだまさし)、大きな夢を持て!小さな一歩をふみ出せ!(竹内均)卒業おめでとう。

カテゴリー: 私の好きな芸能人 | コメントする

「MOSORO」

◎週末はグルメ情報!!今週はホテルレストラン

▲松江エクセルホテル東急

 「レストラン モソロ」(MOSORO)はJR松江駅前にある「松江エクセルホテル東急」の1階入り口のレストランです。前身の「東急イン」時代は、松江北高の宴会でよく利用しました。改装に伴い、五感を通して島根らしさを感じることのできる空間に生まれ変わりました。店内は松江城下町の雰囲気をインテリアで表現し、個室ごとに隠岐・出雲・石見といったテーマを持たせて、レストラン全体で島根を表現しています。ホテルのテーマでもある島根の各地方の食材を「もそろもそろ」と集め、美味しい料理でお客様に満足していただくのが売りです。宿泊の方には、旅の疲れを癒し、ゆったりとした時間を過ごしていただき、地元の方には、日々の生活とは違う上質なひとときを気軽に楽しんでいただこうというレストランです。出雲国風土記に出てくる【国引き伝承(4つの国をもそろもそろと引っ張ってきて縫い付けてできたのが出雲という伝説)】の、「河船(かわふね)の毛曾呂毛曾呂(もそろもそろ)に、国來、国來(くにこ、くにこ)と引き来縫へる国は~」という一文から引用しました。「もそろもそろ」とは、静かにゆるやかにするさまを表しています。

 季節の食材と山陰の食材を使ったシェフのおまかせコース。アミューズ、オードブル、島根県で水揚げされた季節の魚のポワソンと島根県産和牛ヒレステーキを楽しむことができます。

 若い時に島根県立松江南高等学校で担任した柴田麻美子(しばたまみこ)さんと、昨年久しぶりに会って一緒にここで食事をしました。麻美ちゃん、元気ですか?♥♥♥

 

カテゴリー: グルメ | コメントする