「成功は成功の母」

 「失敗は成功の母」、「失敗は成功のもと」という言葉が古くから日本にはありますね。何度チャレンジして失敗しても、その経験自体は自分の成長になるのだから決して無駄になることはない、という意味の言葉ですよね。確かに失敗を恐れていては成功することはできません。1回や2回の失敗は、人生において大きな糧となることも事実です。私はこのことの意味は十分認めながらも、成功は成功の母」を提唱しています。

 私の尊敬するパナソニック創業主・松下幸之助(まつしたこうのすけ)さんは、「七転び八起き」という言葉が大嫌いだったそうですよ。どうして七回も失敗を繰り返すのか?!一回転んだら、同じ転び方を二度とするな、という気持ちからでしょう。もちろん人生には失敗もつきものですから、失敗したらそれを糧にすればよい。でも、失敗する前から、失敗して経験を積もうとするのは大きな間違いです。勝負はいつも一回限りの真剣勝負。その心構えで臨まなければ、何度も同じ失敗を繰り返すだけでしょう。松下さんが「真剣勝負」という言葉を好まれたのは、こういった気持ちからだったと思われます。

 ちなみに、私の仕事は「教員」です。教員は自分が成功するのではなく、生徒たちにいい結果を残してもらって、なんぼの世界です。そのために、日々の授業を苦心惨憺して積み上げていきます。「共通テスト」で、「二次試験」で最高の結果を残してくれることが、教員の何よりの喜びとなります(そして何よりも、立派な社会人として成長してくれることが)。生徒が「成功」してくれることが、私の「成功」なんです。人に「成功」してもらうのが私たち教員の仕事です。関わった生徒たちが「成功」することが、自分の「成功」に直結する。何よりも生徒が「成功」するのを見るのは嬉しいことです。人に喜んでもらうのが楽しいと思える人は、もうそれだけで「成功」と言えるのかもしれません。

     以前に私が勤めていた学校は、中規模校で、国公立大学の合格者がだいたい40人~50人の学校でした。私の進路部長一年目に、それが一気に103人にまで伸びました。生徒たちが最後の最後まで粘って頑張ってくれた成果です。ものすごく嬉しかったのを覚えています。すると、全国各地の高等学校から、「どうしたらこんなに伸びるのか?」と、学校訪問が相次ぎました。実は、管理職だけでなく、たくさんの先生方の支えがあって可能になった数字だったんです。子どもたちが自分の行きたい大学・専門学校に進んでくれたことが、何よりの喜びでした。この自信が契機となって、私が進路部長を務めた3年間は、飛躍的な伸びを記録しました。新しい取り組みをどんどんとやっていきました。進路指導シラバス」という、あの当時では画期的な、高校入学1年生4月から卒業する3年生3月までの担任の動きを、1ヶ月ごとに克明にまとめた資料を作成しました。遠方から学校訪問に見えた先生方にお土産として渡して一番喜んでくださったのが、この冊子でした。まさに「成功は成功の母」なんですね。その一部分1年生編(4月~3月)は、ダウンロードサイト」に登録してあります。⇒コチラです  今でも多くの先生方が欲しいと言って下さる資料です。「成功」は大きな自信を生み、さらなる飛躍への起爆剤となります。♥♥♥

▲懐かしい資料です。尊敬する先輩教師の一言一句の観察メモから生まれました

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「エアポート2014」

 今から4年前、2017年のちょうど今頃の想い出です。たまたまWOWOWでやっていた「エアポート2014(原題は”Airplane vs Volcano”)を見ました。恒例の航空パニックシリーズは、さらに火山パニックまで加えての、アサイラム社作品です。この会社は低予算B級映画を専門とする会社です。大量に噴き上がる溶岩と、飛び交う火山弾の間を、縫うように飛ぶ旅客機の運命をテーマとしていて、これでもかというぐらい用意されたピンチの連続に、ドキドキハラハラさせられてしまうサービス精神満点のスカイ・パニック映画でした。計器がシャット・ダウンした中で火山地帯を飛行する、というだけでも大トラブルなのに、さらには機長と副機長までもが命を落とし、あげくはパニックに陥った乗客の一人が銃を奪って暴れ出すという、これはもう絶体絶命の極限状態でのサバイバル戦争が見ものです。主演はディーン・ケイン、ロビン・ギヴンズ。ハワイ沖で眠っていた死火山が突如として目覚め、大噴火を始めます。余りにも突然の出来事に、その空域に入ったばかりの旅客機は、身動きが取れず、さらには、正副両操縦士まで死んでしまい、この後は、小型機の操縦経験のある乗客(ディーン・ケイン)が操縦桿を握るものの、自動操縦に切り替わっていて、火山が噴火している空域からの脱出は不可能! この状況を知った米軍が救助に向かおうとするのですが、ことごとく失敗します。とにかく、噴火の勢いが半端でなく、噴石の量が多過ぎです! そんな中で、自動操縦になっているから、ディーン・ケインはハンドルを握っても、ウーンウーンと唸るだけという絶体絶命の状況!旅客機は思うように動かないはずなのに、途中でもの凄く細かい操縦をしちゃって、そんな事が出来るのならさっさと脱出したらいいのに。また救助に来た米軍も、既に複数の火山がドッカンドッカンいっていて噴煙だらけの場所なのに、天候が悪化してきた!?とビックリしたり。このように、意味不明な箇所がいくつかありますよね? 「リック」と言う男は最後まで正体が不明、なぜ、大佐は乗客の救助に反対していたのかが不明?しかもコロリと態度を変えてしまうし、飛行機の天井に穴をあけて救助するのは、かなり無理があると思うのですが。

 その昔、アーサー・ヘイリーの内幕小説(次回作を楽しみに待ったものです)にのぼせて読んでいた時期があって、彼のAirportという作品も面白く読みました。するとこの作品が、『大空港』として映画化されて大ヒットしました。ドキドキハラハラの連続で、こういうスカイパニック物の映画が続いて何本も作られ、私も映画やビデオでのぼせて見ていた時期(大田高校・津和野高校時代)があります。最近はとんとご無沙汰だったんですが、この『エアポート2014』があまりにも面白かったので、アマゾンから一連のシリーズを購入しておいたんです。エアポート2010』『エアポート2011』『エアポート2012』『エアポート2013』『エアポート2015』です。ちょうどこの年の三連休に台風がやってきて、運動会も中止(私は町内の組長をやっていたもので、準備と当日で2日間は潰れる予定だった)となって、雨・風のためにどこにも出ることができないので、これはいい機会と、溜めてあったDVDを1本1本、八幡家の65インチのプラズマテレビで時代順に見ていきました。一作(ドイツ語)を除いて、いい英語の勉強にはなりました。

▲この大型テレビも壊れて今では東芝製の新しいテレビが…

◆『エアポート2010』・・・ドイツ航空111便は、インド洋上を飛行中、突如容態のすぐれない乗客が続出する。未知のウィルスによるもので、パイロットに緊急着陸を要請するが、ウィルスの拡散を恐れた各国に拒否される。巨大な生物兵器と化した機体は、ドイツへの着陸を強行。かたや首相官邸では郡部での爆破命令を下す。

◆『エアポート2011』・・・最先端のコンピューター制御システムを搭載したジャンボジェット機。乗客に紛れ込んでいたテロ組織のメンバーにより、機体はハイジャックされてしまう。彼らの要求は刑務所にいる仲間の解放。機長は大統領の弟であった。燃料タンクの故障によりコントロールを失った機体は、市街地に向けて急降下を始め、ついに戦闘機による追撃命令が下される。

◆『エアポート2012』・・・航空管制でミスの急増を重く見た連邦航空局は、衛星システムを使い自動的に危険を回避するACAT装置を設置。未だ実験段階である装置の設置に非難の声も上がる中、ジェット旅客機アメリカーナブルー23便が落雷を受け、通信機能が遮断。一方で、大統領の乗ったエアフォースワンはACATが暴走し、救助に現れたF16戦闘機に攻撃を仕掛ける。さらにこの2機は同じ高度で飛行しており、数分後には航空機の正面衝突という絶体絶命の危機を回避できるのか?

◆『エアポート2013』・・・アメリカ空軍から作家に転身したケイトは、システムの不具合で、乗るはずだった搭乗機がすでに飛び立ってしまうが、航空会社副社長の計らいで新たに用意されたコンテック108便に乗り込む。離陸したのも束の間、最大規模の太陽フレアから発生した電磁パルスの影響で機長はショック死、さらに電気系統機器が全滅してしまう。他に上空を飛び交う機体は約7,000機。地上もパルスの影響を受け、管制塔との交信もつながらない。あらゆる所で飛行機の衝突が続出。果たして無事に着陸できるのか?

◆『エアポート2015』・・・ダラス発IA42便は、ロンドンに向けて飛行中、機体は雷雲の中に突っ込んで行く。凄まじい乱気流を抜けると、タイムスリップ、そこは1940年6月17日のヨーロッパの上空だった。時はヒトラーが進撃する第二次世界大戦中、そして複数の爆撃機が機体を取り囲んでいた。機長は無線で助けを求めるが、繋がった先は連合国軍の伍長を名乗る男だった。タイムスリップした中で、ジェット旅客機対ドイツ爆撃機の運命はいかに?荒唐無稽な設定!

 もう全作で、それは機体に穴が空いたり、ミサイルが飛んできたり、エンジンが吹き飛ばされたり、機長が突然死んだり、ハイジャックありと、およそあり得ないような荒唐無稽な出来事の連続に、飛行機嫌い」の私は、ますます飛行機に乗るのが怖くなったのでありました(今度の東京行きも新幹線で行こう…)〔笑〕。♥♥♥

(追記)その後、『エアポート2017』、最新作『エアポート2021』という作品が出たみたいです。また取り寄せて見ようと思っています。

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「神田神社」

 プロ野球も最後の追い込みに来て、巨人の絶不調、泥沼の連敗があまりにも続くものだから(原監督の言葉によれば、「今、打線がトンネルの中に入っているからね。早く抜けるように、みんなでして、抜けた後が楽しみよ。以上!」)、今抱えている進行中の仕事がなかなかはかどりません〔笑〕。追い打ちをかけるように、助っ人外国人ハイネマン選手が、体調不良で帰国してしまいました(今年入団した3人の外国人助っ人は全員が途中帰国じゃないか!一体どうなっているんだ!)。チーム内にも不穏な空気・不協和音・暗さが渦巻いていることが予想できます。「なんとかしてくれ!」という思いで、今日は、勝田ケ丘志学館の授業帰りに(事務長さんから「お参りに行っては?」と示唆を受けたものですから)、途中「勝田神社」(かんだじんじゃ)にお参りして、お祈りしてきました。お賽銭をあげて、何とか巨人がこの泥沼から一日も早く脱することができますように、とお願いしてきました。もう神頼みしかありません〔笑〕。しかも名前が「勝田」ですから縁起がいいでしょ。その御利益でしょうか、今日(10月1日)は横浜ベイスターズに何とか辛勝することができました。ああ、よかった。

 鳥取県立米子東高等学校のある勝田町(かんだちょう)には、例年多くの初詣客が訪れる“かんださん”こと、「勝田神社」(かんだじんじゃ)があります。「勝田」の文字が入る町や村は全国で14カ所。その中でも「かんだ」と読むのは米子市だけです。その由来は所説あるものの、有力なのは2つ。一つは、「勝田神社」に祭られる勝田四郎に由来するというもの。もう一つは、その勝田一族が整備した荘園「勝田庄」(かんだのしょう)の地名に由来するというものです。“商人の街”として発展してきた米子にふさわしく、ご利益はまず「商売繁盛」。どんな願い事でもご利益があるとされており、米子市民の定番初詣スポットとして、毎年多くの参拝客で賑わいます。今回の巨人の連勝&引き分けで御利益が証明されましたね〔笑〕。

 「賀茂神社」「天満宮」「祇園社」とともに、米子で最も古い神社の一つで、背景に勝田山が広がる社殿はとても壮厳です。室町時代の天文年間(1532~1554)この場所に鎮座し、江戸時代には米子城の北の守りとして重んじられ、昔から米子の総鎮守として、人々の間で“かんださん”の名で親しまれてきた、由緒ある神社です。ご祭神の名前が「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」と、3回も“勝”が入っていることから縁起がいいと言われます。受験前になると、多くの受験生が訪れます。

 私は週に3日、米子東高校内の予備校「勝田ケ丘志学館」に通っているので、ここを通ることになります。JR「博労町」の駅(通称コロボックル駅)を降りて、すぐの所にこの神社があります。信心深い私は、時々お参りしているんです。♥♥♥

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「田丸屋」のわさび漬け

◎週末はグルメ情報!!今週はわさび漬け

 室町時代(1751〜1763年)に開発されたと言われているわさび漬け。安倍川上流のワサビの産地の漬物は、ワサビの茎を味噌漬けにしたものでした。そこで行商品が工夫して塩漬けしたワサビに酒粕を混ぜました。そこから商品化し「わさび漬」と命名して販売したのが始まりと言われています。現在でもわさびの産出額は静岡県が日本一、農林水産省の「生産農業所得統計」によると、2019年は41億円。長野県(7億円)、岩手県(2億円)を大きく引き離しています。私はもう長年、「田丸屋」「わさび漬け」を取り寄せて食べています。

 「田丸屋本店」の名が、全国へと広まったのは、明治二十二年。東海道本線が開通した直後のことです。明治八年から、静岡市新通りに漬物屋を開業していた、田丸屋初代望月虎吉は、文明開化の先端を行く陸蒸気に着目し、幾多の苦労を重ねた末に、静岡駅構内でのわさび漬販売権を獲得したのです。そして、それまでの大八車によるわさび漬の計り売りをやめ、サワラで造った丸い円形の化粧樽にわさび漬を詰め、列車の窓から旅人に売り込むという、今までに無い新しい販売スタイルを試みました。このユニークな「樽詰めわさび漬」は旅人たちに大好評を博し、「静岡名産田丸屋のわさび漬」の名は、たちまち全国に広まったのです。以来百年余り。田丸屋のわさび漬けは、静岡大火や戦災などいくつもの危機を乗り越え、その味わい、品質ともに、全国に誇れるトップブランドへと成長を遂げました。一億総グルメと言われる豊かな現代においても、本物のおいしさを伝える、日本ならではの香辛料“わさび”の人気、そして「わさび漬」の人気は、今後ますます広がっていくでしょう。静岡県民なら知らない人がいないという、140年近く続く老舗のわさび漬け屋さんが、この「田丸屋」なんです。

 「田丸屋」「わさび漬」、わさび色の包装紙に包まれています。香りと味と鮮度にこだわるから、「田丸屋」が使うわさびは、すべて国内産。きれいな水が豊富に湧き出す山間の渓谷で栽培されています。山の湧き水の養分だけで11~18ヶ月かけてじっくり育つわさびは、森と清流のおくりものです。蓋をあけると、このような感じになっています。色はクリーム色で中にはつぶつぶが入っているのがわかりますね。これがワサビの茎でしょうか。お箸で少しすくってみます。ひとくち食べるとコリコリとした食感。わさびのツーンとした味が口の中に広がります。さっぱりとしたわさびの辛さが、なんとも言えない癖になるお味で、美味しいです。

▲このつぶつぶがコリコリとしてツーン!

 私が初めて「田丸屋」「わさび漬け」を買ったのは、羽田空港ターミナルの土産物屋さんだったと思います。家に帰って食べてみると、ピリッとして実に美味しかったのを覚えています。ご飯に無性に合うんです。それからは、東京に行くたびに、新幹線の車中で買って帰っていました(私は飛行機嫌いで通っています)。以来、「田丸屋」さんから直接送ってもらうようになっていて、もう長いお付き合いです。私の中では、「わさび漬け」といえば、もう「田丸屋」一本です。

 最近は、「金印わさび漬」という最高級の物を送ってもらっています。わさびは、品質、色、形状を基準に、特に『金印用』として田丸屋熟練の職人の目で選別した物を使用。 他のわさび漬けより特に根の配合を多くし、風味、辛みが強く、わさびそのものの味をより堪能できる商品です。 酒粕も最上級のものを十分熟成させ、丁寧に作り上げた、田丸屋最上級のわさび漬です。裏には、原材料や保存方法、賞味期限が書かれています。原材料は、わさび。漬け原材料は、酒粕、砂糖、食塩、還元水飴、香辛料とのこと。熟成した琥珀色の酒粕を使用しており、白色の新粕と違い味はまろやかです。包装紙を開けると、金印の田丸屋のわさび漬けが現れます。蓋をあけると、このような感じになっています。色はクリーム色で中にはつぶつぶが入っているのがわかります。これがワサビの茎でしょうか。お箸で少しすくってみます。暖かいご飯のお供にも相性抜群で、あるいは熱いお茶漬けに混ぜて香りを楽しむこともできます。おにぎりの種に、ステーキやサンドイッチやクラッカーにもつけて食べると、格別な風味を発見することになります。

 残念なことに、主力商品の「わさび漬け」は、バブル崩壊後の1990年代初頭をピークに、販売量は減少の一途をたどり、ピーク時の40%にまで落ち込んでいます。購入者の高齢化も進んでいます。さらには、コロナ禍が追い打ちをかけます。売り上げ全体で、観光関連での販売が4割弱を占めますが、この1年で観光販路による売り上げは、前年の半分もいかないそうです。頑張ってほしいお店です。❤❤❤

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前説

 去る9月9日(木)、鳥取県・米子ビッグシップで行われた4,493回目のさだまさしコンサート「さだ丼~新自分風土記Ⅲ」におけるステージ・トークで、さださんはとても面白いことを言っておられました。⇒私のこのコンサート・レポートはコチラです  9月15日に大きな会場・東京ガーデンシアターで「ほぼ4500回ぐらい記念コンサート」をやるんだけど、「前説」をやるつもりだ、お客さんが来る前にやってしまいたい、とおっしゃっておられました。「前説」(まえせつ)というのは、劇場での公演、またはテレビ番組の公開放送などにおいて、本番前に観客に行う説明のことです。日本のテレビ番組では、萩本欽一さんが自身の「欽ドン」シリーズで、関根勤小堺一機に担当させたのが初の導入と言われています。永 六輔さんがよく自分の番組でこれをやっておられました。その他、「物々交換コンサート」(20世紀梨が嬉しい)、「半券でチャンポン食べれますコンサート」などやってみたい、などと将来のユニークな夢を語っておられました。

 シンガー・ソングライターのさだまさしさん(69歳)が、9月15日、東京・有明の東京ガーデンシアターで全国ツアーの公演(4,494回目)を行いました。本来はこの日、前人未到の通算4500回コンサートの達成日となるはずだったんですが、コロナ禍で昨年、中止公演が出た影響で10月に持ち越し。そのため、この日は「ほぼ4500回ぐらい記念公演」というユーモアあふれるネーミングで、ファンの心に響く歌と、おもしろトーク、さらにはお土産付きで盛り上げました。

 さて、「開演ほぼ18時」と謳われていた通り、開演時間よりも20分も早い17時40分頃に、「ちょっとひとネタやっとこうと思って」と、前説に、フラッとステージに登場したさださんです。「この去年できたばかりの新しいコンサートホールで4,500回を迎えようと思って準備してきて、今日の公演が4,500回に足りなくなった理由は、去年コンサートを中止せざるを得なかった公演が6公演あったからなんだけど、だったらタイトルを変えてしまおう、ってことでこのタイトルで今日の日を迎えてます」と挨拶しました。「ワクチン接種率の高い(中高年の)お客さんが多いので安心です(笑)」と笑いを誘いました。バンドもいないステージ上で、上手に行ったり、下手に行ったり、時折お水を飲みながら熱弁をふるいました。コロナ禍で収容人数は約半数。達成直前記録にも合わせた満員のほぼ4,500人(定員8,000人)を、笑いに包み込みました。続いて、「今度“アオハル49.69”ってアルバムを出します。去年初めて暇な時間ってものを味わって(その時間に)“さだ丼”とこの作品を作ってました。10月25日で49年目の69歳。10月1日からは文化放送でレギュラー番組も始めます。そこではこのアルバムもたっぷり紹介していきます。」とコメントし、10月27日発売予定のアルバムから「春夏秋冬」「誰もいない海」をワンコーラスずつ弾き語りして、聴衆を大いに沸かせました。まだまだ喋り続けるさださんを遮るように、18時直前を知らせる開演のブザーが鳴ると、「それではこの後は、さだまさしさんの登場です」と、舞台袖に引っ込みました〔笑〕。改めてステージ衣装で登場し、「北の国から~遙かなる大地より~」を皮切りに幕を開けた本編ステージ(アルバム『さだ丼』通りの曲順構成)は、前説・アンコールを合わせて約2時間半に渡りました。この4,494回目のコンサートの模様は、9月16日付けの「サンケイスポーツ」で詳しく取り上げられました。

▲サンケイスポーツより

 大竹しのぶさんが『朝日新聞』(夕刊)で連載しておられるコラムでも、詳しく取り上げておられましたね。⇒コチラです

 1985年6月に1,000回公演→1993年7月に2,000回公演→2002年3月に3,000回公演→2013年7月に4,000回公演、と前人未踏の日本記録を更新してきました。関係者によると、4500回のカウントはホールコンサートが中心。ただし、1987年から2006年まで、毎年8月6日の広島・原爆の日に故郷・長崎で行った「夏 長崎から さだまさし」(無料)など野外公演も含みます。オリコンによると、当時の2位は谷村新司(72歳)の約2500回、3位はハウンドドッグの約1900回です。ダントツの日本一ですね(それだけのお客さんが来てくださったことがスゴイことです)。また、今回のこの東京ガーデンシアター公演は、12月にWOWOWで独占放送されることになっていますので楽しみです。正式な4,500回目コンサート会場は、10月11日の福島県「とうほうみんなの文化センター」です。♥♥♥

15日の公演曲順

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ニック・トロストのパケットシリーズ

▲故・ニック・トロストさん

 私の大好きなマジック・クリエーターの故・ニック・トロスト(Nick Trost)さんには、残された膨大な量の傑作オリジナル・パケット・トリックがあります。私は若い頃から、ニックさんの大ファンで、彼の作品を多数集めてきました。⇒私の「Nick Trost大好き!」コチラです  現代のパケット・トリックのクリエーターの重鎮として最も有名なイギリス人・ポール・ゴードン(Paul Gordon)さんも、ずいぶんニックさんに影響を受けておられることを告白しておられます。ニックさんの個人作品全集も出ていますが(~現在8巻まで刊行中)、私はその全部をアメリカから取り寄せて揃えています(写真下)。それぐらいにニックさんにはまっています。ニックさんの作品を全部集めてやろうと決意して、長年収集に励んできました。残念ながら、ご本人は2008年にお亡くなりになりましたが、その後もこうして作品集が出続けているのが、それこそ「マジック」と言ってよいと思います。

▲ニックさんの作品全集Nick Trost’s Subtle Card Creations.

 その昔、アメリカのL&L Publishing社から、彼のパケット作品が大量に売り出されたことがありましたっけ。当時、値段は1つが$10だったと記憶していますが、全部買い求めました。いずれもテクニック不要でありながら、特殊印刷されたギミック(ギャフ)カードを上手く活用することで、最大の驚きを演出しておられました。それらがこのたび、東京の(株)オフィス・マジックファンタジアより、7作品ディーラーズチョイス」(Dealer’s Choice)「ビッグフット」(Big Foot)「4フラッシュ」(4 Flush)「アンノウンカード」(Unknown Card)「オーストラリアンエース」(Australian Ace)「ミシシッピーモンテ」(Mississippi Monte)「マキシツイスト」(Maxi Twist)が、「傑作パケットマジックシリーズ」として、それぞれ660円という超超安価なお値段で提供されることになりました。⇒詳しくはコチラです  これぞ名作と言えるパケット・マジックを、とってもお買い得な価格で提供するシリーズで、原典の英語の解説書、使用するギミック・カード一式に加え、日本語のとっても分かりやすい演技解説のDVDまで付いています。これで日本語で練習することができますから、巨匠ニック・トロストさんの作品の敷居がずいぶん低くなったと思われます。ということで、私も記念に、もうワンセット求めることにしました(写真下)。全くのムダ遣いですね。困ったもんだ〔笑〕。♠♣♥♦

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岡本和真の打点と寄付

 このところ絶不調の巨人軍です。そんな中、セリーグのホームラン王、打点王の巨人軍四番打者・岡本和真(おかもとかずま)。頼りになる四番です。2014年のドラフト一位で巨人単独指名します。当時の各球団のスカウト陣から聞かれた声は、「岡本は一塁しかできないでしょ。だったら外国人を連れてくればいいだけの話。一塁しか守れないと現場には推しにくいよね」ということで、巨人の単独指名となります。「打球の速さ、飛距離は高校生離れしている。打球の角度がいい。アマではトップクラス。大物のホームランバッターになるのは間違いない。」「岡本のパワーは、まさに高校生離れしている。本塁打の角度がいい。将来的には三塁手として鍛えたい選手ですね。」「剛の中に柔のある金の卵」「将来のクリーンアップ候補として期待している。」「無駄な動きがない。トップクラスの選手」と、当時の巨人の関係者たちが激賞していた選手です。しかし、入団から3年間は、ファームが主戦場で鍛えられました。球団の育成能力が試される中、2軍ではスケールの大きな長距離砲として起用し続けた結果、4年目に、当時の高橋由伸監督が1軍の四番に抜擢して、才能を開花させました。その後の活躍はご存じの通りです。4年連続30本以上のホームランを打ち、2年連続100打点以上を記録しています。

 岡本和真選手は今季から、公益社団法人日本動物福祉協会を通じて、恵まれない環境で生活する動物たちを「救う・つくらない」活動を支援する「岡本和真HAPPY ANIMALプロジェクト」をスタートしました。岡本選手は、「公式戦で記録した打点数×1万円」日本動物福祉協会に寄付します。寄付金は、飼育放棄や虐待などの被害を受けた「不幸な動物を救う活動」や、望まれずに生まれてくる犬や猫などを減らすために不妊・去勢手術への助成を行う「不幸な動物をつくらない活動」に充てられます。

《岡本選手のコメント》————
「小さな頃から犬を飼っていて今も3頭の犬を飼っています。以前、テレビで保護犬についての番組を見て、僕たちの知らないところで恵まれない環境で生活している犬が多くいることを知りました。何かできることがないかと調べている中で、犬だけではなくいろんな動物が同じような状況にあることがわかりました。少しでも力になればと思い動物福祉活動を支援することにしました。この活動が広く知れ渡ることで、多くの動物たちに幸せになってほしいと思います。そのために、1点でも多く打点を挙げて、チームの勝利と日本一にも貢献していきたいと思っています。応援してください」

 巨人の原監督、菅野智之、坂本勇人、丸佳浩、 岡本和真が、医療従事者に1,000万円寄付したことも報道されました。一流スポーツ選手たちがこうやって社会貢献をしていることを、もっと報道してあげないといけません。巨人時代に内海哲也投手(現西武)が、「ランドセル基金」を行っていたことは有名です。児童養護施設の子供たちにランドセルを贈る活動で、それを引き継いだ今村信貴投手(現在は二軍調整中)は、昨季の公式戦登板数と同じ17個を出身地である大阪府の施設に寄贈しています。「内海さんの姿を見てきて、いつか僕もこういう活動がしたいと思っていた。自分も、より多くのランドセルをプレゼントしたい」「児童養護施設のみんなに、一つでも多くプレゼント出来るように頑張りたいです」と改めて活躍を誓いました。♥♥♥

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アンテナ

 成功者たちが成功の秘訣を聞かれて、「運が良かっただけです」と答えるのをよく聞きますね。ノーベル賞受賞者の話を聞いていても、「偶然」という言葉がしばしば登場します。田中耕一氏や白川英樹氏や小柴昌俊氏たちも、ニュアンスの差こそあれ、「偶然」が大きな発明や発見につながったと語っています。将棋界のニューホープ藤井聡太三冠が14歳の時に、デビュー29連勝していた頃、勝てたことを「僥倖」と語って注目を集めました。「なんだ、偶然だったのか」と嘲笑したり、偶然がめぐってきた彼らをただうらやむだけの人がいますが、そういう人たちは運」偶然」に関しての考え方が、根本から間違っていると言わねばなりません。は誰にでも身近に転がっています。ただ漫然とそこにあるのではなく、波や風と同じように、変幻自在に形を変えながら、私たちの目の前を漂っているのです。「ラジオの周波数のようなもの」と、尊敬する故・渡部昇一先生は喩えておられました。何もしなければ、チャンスは頭の上をスースーと通り過ぎるだけです。アンテナを張り巡らせて、周波数を合わせる努力をしなければ、チャンスを捕らえることはできないのです。成功した人たちは、チャンスを捕らえるアンテナを広く張り巡らせ、感度を鋭く保っていました。人一倍、いや人の百倍ほど強く願い、飽くことなく努力を続けたからこそ、彼らのアンテナの感度は常に鋭く保たれ、その結果,運を呼び込むことができたのです。

 リンゴが落ちるのを見た人はそれこそ何百万人もいますが、ニュートンの場合は、長い間天体の問題を考えていたことが大発見につながりました。数々の失敗や試行錯誤を繰り返し、それでも諦めずに強い意志で目標を追求した結果、エジソンは大発明につながりました。強い欲求や理想を持つ人と、そうでない人の違いはまさにここにあります。欲求のある人は、常にチャンスを待ち構えて、自分のアンテナを可能な限り広く張り巡らせているのです。通俗的なことわざですが、「チャンスは前髪を捕まえろ」といいます。「チャンスは前頭部に毛髪があるが、後頭部はハゲである。もしそれを捕まえたら保持せよ。一度逃げたチャンスは、ジュピターの神も捕まえることはできない」とローマ時代には言われていました。チャンスには前髪しか生えておらず、通り過ぎてしまってからいくら捕まえようとしても、もう手遅れなんです。

 さて、私のアンテナの源は、本や活字です。よく若い先生方から「どんな本・雑誌を読んでおられるのですか?」と聞かれることがあります。現在、私が定期購読しているものを挙げておきましょう。

【日刊新聞】  
『朝日新聞』
『読売新聞』
『産経新聞』
『日本経済新聞』
『スポーツ報知』
『日刊スポーツ』
『スポーツニッポン』
『大阪スポーツ』
『The Japan Times Alpha』
【雑誌】
『致知』(致知出版)
『正論』(産経新聞社)
『イングリッシュジャーナル』(アルク)
『CNN ee』(朝日出版)
『ダ・ヴィンチ』(KADOKAWA)
『英語教育』(大修館) 
『スカパー!TVガイドプログラム』(東京ニュース)
『ミステリーマガジン』(早川書房)
『デジタルTVガイド』(東京ニュース) 
『WILL』(ワック)
『HANADA』(飛鳥新社) 
『THE21』(PHP) 
『PHP』(PHP)  
『週刊ポスト』(小学館) 
『図書』(岩波書店)
『将棋講座』(NHK出版)
週刊『ザ・テレビジョン』(KADOKAWA)
『Bun2』(ステイショナー)
『鉄道ジャーナル』(成美堂)
『鉄道ファン』(交友社)
『旅と鉄道』(天夢人)
『ノジュール』(JTB)
『ザ・マジック』(ディアゴスティーニ)
『週刊プロレス』(ベースボールマガジン社) 
Genii(アメリカのマジック雑誌)
【その他】
『まさしんぐワールド』(さだまさしファンクラブ会報)
『FAR EAST CAFE PRESS』(小田和正ファンクラブ会報)

 尊敬する出版プロデューサーの川北義則(かわきたよしのり)さんは、『死ぬまで好奇心!』(海竜社、2017年12月)の中で、読書という行為は、読む人間の頭の中に「?」や「!」を芽生えさせる。「なんだこりゃ」という疑問と「なるほど」という驚きである。これこそが、知的好奇心のタネなのである。読書は、錆びつつある脳の動きを活性化する手っ取り早い方法なのだ」「そして、読書が習慣化されると、自然と新聞や雑誌などの他の活字への反応もシャープになっていくのだとおっしゃっておられましたが、まさに同感です。キーワードは、この「好奇心」「自己変革」なんです。これがある人とない人の中の一番大きな要素が、「読書」であると私は考えています。別に本を読まなくても、人間いくらでも生きていけますものね。私は、英語、小説、ミステリー、自己啓発、プロレス、野球、文房具、将棋、音楽、写真、グルメと、ありとあらゆるジャンルの本を読みまくります。松下幸之助、江口克彦、川北義則、小宮一慶、中島孝志、稲盛和夫、野村克也、渡部昇一、 西村京太郎、デイビッド・セイン、Robin Cook, Danielle Steelの熱狂的ファンで、新刊本はすべて読みます。そしてほぼ毎日のように書店に立ち寄って、面白そうな単行本・雑誌をゲットします。旅行で大きな街へ行った時は、必ず大型書店をはしごして、日頃目に止まらないような本を買い求めてきます。教員に成り立てで、安月給のため月に5,000円本を買うのがやっとだった時代には、ボーナスをもらう度に、特急「やくも」号で岡山まで出かけては、丸善・紀伊國屋で洋書を大量にまとめ買いをして帰るのが恒例でした。そうやって英語のアンテナを磨いてきました。「幸運は準備された心に味方する」(パスツール)♥♥♥

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「共通テスト」利用私大のメリット

 現場で教えていていつも思うことですが、「情報」が体系的に伝わっていない。進学校でも、生徒たちが大学のことを何も知らない、と感じることが多いんです。知名度や偏差値だけで大学選びをしてしまっている。名前だけで、中身を全く知らない。1年生の時から体系的に進路情報を発信して、生徒たちに本気で大学を考えさせる環境を作っていないのです。私が卒業生にお願いして、大学のキャンパス・レポートを「あむーる」に掲載し続けてきたのは、そんな隙間を埋めるためでした。その昔、島根県立大田高等学校の進路部長1年目に私がやったことは、一部屋を潰して、大学情報(要項・パンフレット・学校案内・入試問題・その他の資料)を北から順に大学ごとにキャビネットケースに収めて、種々の問題集・資料集の検索の便を格段によくして、生徒に開放したことでした。コピー機も生徒利用に開放しました。生徒たちが、毎日進路指導室にやって来るようになりました。たったこれだけのことで生徒の動きが随分変わってきたように思います。毎週大学情報を掲載した「進路指導部だより」を発行して情報発信に努めました。外部からさまざまな専門家に来てもらって、生徒たちがお話しを伺う機会も増やしました。この年から国公立大学の合格者数が飛躍的に増えたのも(40~50人→103人)、意味のある「情報」に触れた生徒たちの心に火が付いたためと思われます。全国各地から、山のように学校訪問が相次ぎました。以降私の在職3年間、この実績がずっと続きます。

 「共通テスト」の出願が始まりましたね。河合塾の調査によれば、国公立大学を志望する高校生数は例年並みですが、「共通テスト」の成績で合否を判断する入試方式で私立大学を志望する生徒らの割合が、前年比109%と大幅に増加しています。万が一、コロナ感染した場合などに、合否判定に使われる可能性もありますから、セ-フティーネットとしても役立ちますからね。

 近年、この「センター試験→共通テスト利用私大」が、増えてきました。私立大学入試において、個別試験ではなく、「共通テスト」の点数のみによって合否を決める入試形態です。ところが、この制度のメリット・デメリットがあまり伝わっていないんです。これは学校の指導の怠慢です。メリットとしては、次のようなものが考えられます。

①「共通テスト」を受けるだけで複数の大学・学部・学科を受験可能

②種々の負担が軽減・・・(1)肉体的負担減(旅行不要) (2)受験料の負担減 (3)旅費・ホテル代の負担なし  (4)傾向の異なる私大過去問の研究の負担なし

③自己採点での成績確認が可能

④合格で精神的負担が軽減・・・国公立大学受験前の緊張感が和らぐ

⑤合格可能性の増大

 もちろんデメリットもあります。確認しておきましょう。

①事前出願の場合は早めの志望校決定の必要性

②私大専願の人にとっては受験科目の負担増も

③入試会場独特の雰囲気を体験する事が出来ない

④高倍率・・・場合によっては数十倍になることも…

 ④の「高倍率」に関しては、定員が少ないので当然の結果なんですが、合格者も水増しして発表されるので、それほど心配はない、と私はずっと言ってきましたが、入学者人数の締め付けが強化された近年は、注意すべきかと思っています。こういうことを頭に入れた上で、共通テスト利用私大の出願を考えておきましょう。♥♥♥

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藤井聡太論

 9月13日、藤井聡太二冠(王位、棋聖)豊島将之叡王(31歳)を下し、叡王を初奪取しました。この結果、19歳1ヶ月の藤井は三冠となり、羽生善治九段(50歳)の持つ22歳3ヶ月の最年少三冠記録(1993年=棋王、王座、竜王)を3年以上も更新しました。「まだ実感はないのですが……(三冠は)偉大な棋士ばかりで光栄に思います。ただ自分自身の今後が問われる。今まで以上に(将棋に)取り組んでいく必要があると思います。」 今までに三冠を達成したのは次の十人だけです。

《三冠達成者一覧》
①藤井聡太  棋聖・王位・叡王  2021年9月13日  19歳1ヶ月
②羽生善治  棋王・王座・竜王  1993年1月6日   22歳3ヶ月
③中原 誠  十段・棋聖・名人  1972年6月8日   24歳9ヶ月
④谷川浩司  王位・棋王・名人  1988年6月14日  26歳2ヶ月
⑤渡辺 明  竜王・王将・棋王  2013年3月24日  28歳11ヶ月
⑥豊島将之  棋聖・王位・名人  2019年5月17日  29歳0ヶ月
⑦森内俊之  竜王・王将・名人  2004年6月11日  33歳8ヶ月
⑧大山康晴  王将・九段・名人  1959年6月12日  36歳2ヶ月
⑨升田幸三  王将・九段・名人  1957年7月11日  39歳3ヶ月
⑩米長邦雄  棋王・王将・棋聖  1984年1月23日  40歳7ヶ月

 今こんな本がベストセラーになっています。谷川浩司『藤井聡太論 将棋の未来』(講談社α新書、2021年)です。今井書店チェーンにはどこのお店にも在庫がありませんでした。これはもうアマゾンに頼むしかない、と思って取り寄せたところ、ベッドの上に同じ本が置いてあった!先日、東京の丸善で買ってきていたのでした〔笑〕。1冊は、勝田ケ丘志学館の「共通テスト」模擬試験で最高点を取った生徒にプレゼントしておきました。最近、ボケてきたらしく、同じ本を2冊買ったことが二度ほどありました(もう一冊はOALD第10版)。「認知症」はもうそこまでやってきていますね〔笑〕。

 中学生でプロデビューした棋士は、藤井を含めて歴代5人しかいません。全員が将棋界に名を残す超一流の棋士ばかりですね。

加藤一二三  1954年  14歳7ヶ月
谷川浩司   1976年  14歳8ヶ月
羽生善治   1985年  15氏2ヶ月
渡辺 明   2000年  15歳11ヶ月
藤井聡太   2016年  14歳2ヶ月

 「天才は天才を知る」。これまた天才と言われた谷川浩司(たにがわこうじ)九段(史上最年少21歳2ヶ月で名人就位)が、レジェンドの巨大な才能の秘密に迫ります。谷川さんは、私の大好きな加藤一二三(かとうひふみ)九段から名人を奪取した若き天才でした。AIの登場以降、大きく変貌する将棋界。そこに突如現れた若き天才・藤井聡太。14歳2ヵ月・史上最年少のプロデビュー後(デビュー初戦、加藤一二三九段に勝って連勝街道は始まりました)、衝撃の29連勝から始まり、史上最年少でのタイトル獲得など、次々と記録を塗り替えていく彼のすごさとはいったい何だ?人間はどこまで強くなるのか?その謎を、史上最年少名人位獲得の記録を持つレジェンドが、自らの経験を交えながら、さまざまな角度から掘り下げて解き明かすとともに、多士済々の頭脳集団が切磋琢磨し、進化し続ける将棋の魅力を伝えている本です。私は、北高の将棋部顧問をやっていた時に、伊勢志摩賢島で行われた「全国総文祭将棋部門」で、谷川九段にお会いしました。

 彼の将棋には華があります。ファンだけでなくプロも驚くような、意表を突く派手な手を指したり、びっくりするような捨て駒をしたり。直観力を駆使した魅せる将棋をします。メディアは当初、藤井の強さの秘密を将棋ソフト(AI)と関連付けました。しかし谷川さんは、それに異議を挟みます。「AIを使うから強いは語弊がある。いまやAIは若手だけでなくベテランも活用するからだ。彼が強くなったのは、結論が出ない局面を考え続けた探求心の積み重ね。将棋が好きで強くなりたい、将棋の真理を見極めたい。純粋な気持ちがその源泉にある」と語ります。著者が語る藤井聡太論や将棋論には、読者の実生活や仕事に役立つ真理が数多く含まれており、将棋ファンならずともきっと参考になるはずです。

 「本を手がけ始めたのは、去年の7月ごろ。ちょうど藤井さんが棋聖、王位のタイトルを取った時期だった。一番注目していたのは、『あと1勝でタイトル』という状況で勝ちが見えた時に、『本人の気持ちに揺れが生じるか、それが指し手に表れるか』というところ。昨年の棋聖戦第4局は、見事な指し回しを見せて優勢を築いた。最後、(1分未満で指さなければならない)1分将棋になって安全勝ちを目指すのかと思ったが、最短距離の勝ち方を見せた。タイトルがかかった一番ということを感じさせない勝ちっぷりだった。技術だけでなく、精神面でも大きな成長があったんだな感じた」谷川先生

 「私は38年前に名人になった。最終局で勝ちが見えた時は気持ちを落ち着かせるのに苦労した。それでも、打った銀がゆがんだ。私の先輩も後輩も、ほとんどの棋士は初タイトルの時は平常心でいられなくなる。そこで勝ち急いだり、手が伸びなくなったりする。勝つにしても紆余曲折の末、ということがほとんど。藤井さんの例は本当に珍しい」と。

 子ども時代の藤井は、負けると将棋盤にしがみついて激しく泣きました。「デビューして1、2年の頃は、ミスをしてひざをたたくということもあったが、今はそういうことはない。他の棋士に比べたら、気持ちの揺れは少ない。あったとしても、すぐに気持ちを切り替えて現在の局面の最善手を追い求めていける」

 彼の姿勢を見ていると、『将棋が好きだ』『強くなりたい』『真理を究めたい』ということが、本人にとっては全てに近いのだと感じられます。相手というより、将棋と真剣に対峙しています。記録とかタイトルよりも、『今日の対局で将棋の真理に少し近づけるか?』ということを目指しているのです。そういうことを考えているから、初タイトル獲得の時も揺れが生じなかったのだと納得できるでしょう。彼にとっては、公式戦はタイトルがかかった対局も予選も全て同じ対局。研究会の対局も同じ。全てが同じ『将棋』なんです。

 大事な場面で、リスクを負いながら堂々と指せる理由について、谷川九段はこう語っています。「将棋が好きで、最善手や将棋の真理を求める気持ちが強いのでしょう。結果や記録にはそこまで重きを置いていないから、極端に言えばタイトル戦も研究将棋も同じ姿勢で臨める。そのように解釈しないと彼の戦い方に説明がつかない」要するに、対戦相手と戦っているのではなく、将棋盤と対峙しているのです

 渡辺明三冠(名人・王将・棋王)との棋聖戦を4連勝で防衛し、史上最年少の九段を達成しました。豊島将之二冠(竜王、叡王)との王位戦も4勝1敗で王位も防衛しました。圧巻のダブル防衛でした。それでも藤井からは、おごりや慢心などは一切感じられません。藤井は、「渡辺名人、豊島竜王という、本当にトップのお二人に番勝負で対戦するという機会を得ることができて。その中で自分に足りないところが新たに見つかったという部分もあるので、それをまた生かせていければな、というふうに思っています」  すでにこれだけ強いのに、まだまだ強くなるつもりなのです。つい最近の豊島二冠との叡王戦も2勝2敗で最終局を迎え勝利し、叡王を奪取して三冠に輝きました。史上最年少の記録付きです。竜王戦の挑戦者決定戦でも、永瀬拓矢王座を下して豊島竜王への挑戦権を獲得しました。強い相手と将棋ができることが純粋に嬉しいのでしょう。将棋の真理を追求することを実現するためには、相手が強ければ強いほどいい。

 谷川さんは、「藤井さんの強さは、最善手を求める探究心と集中力、詰め将棋で培った終盤力とひらめき、局面の急所を捉える力、何事にも動じない平常心と勝負術など、極めてアナログ的なもの。将棋ソフトを使い始めたのはデビューする直前であり、彼の本質的な強さはAIとは関係がないと言っていい」と断言します。♥♥♥

 藤井聡太さんが、初の対談本で自らの19年間を語る本『考えて、考えて、考える』(講談社)が今話題です。同社へ届く本の反響が男女比5:5だそうで、将棋本としては異例です。「死ぬまで努力」の稀代の名経営者・丹羽宇一郎(にわうちろう)さんとの対話(二人は同郷つながりの年の離れた友人です)から見えてきた異次元の天才の頭の中身。勝つ楽しさ、負ける悔しさを知って強くなった少年時代。悔しさを乗り越え、負けをとことん分析することで、さらに強くなっていった奨励会時代。将棋に出会った幼少期から、学校に行くことの意味を考えながら通った高校時代、趣味の話、コロナ禍での日常生活、将棋AIの使い方、ふだんの研究方法、対局時の心構え、棋士になって変わったこと、これからの目標・・・・・。14歳2ヵ月で最年少棋士となって以来、次々と最年少記録を塗り替え、驚異的な勝率で勝ち続ける19歳の強さの根源とは?より強くなるための学び方、心の整え方、そして探究を続けることの楽しさ。とことんやってみることで見える風景があるのです。藤井さんは、この本の中ではっきりと述べていました。


 一つ上のフェーズに進むと、今までとは違った読み筋が展開できるようになるんです。すると同じ局面でも、そこから先の盤上は全く違うものになります。そういう、これまでとは違う新しい景色を見るために強くなりたいと思っているんです。(pp.201-202)

 次第に勝ち負けにこだわらず「いい勝負をしたい」と、気持ちが変化していきました。これはAIだけがきっかけというわけでもないんですけど、結果、精神的にいい影響があったかなと思います。今の自分だととくに、結果を求めるよりも、さらに実力をつける段階だと思っています。タイトルを目指すよりは、実力をつけたい。実力がつけば、タイトルという結果は後からついてくると思うからです。こういうふうに思えるようになったのは、本当にここ数年のことなんですが……。(p.180)


 今春、卒業を目の前にして寸前で高校中退を決断し、棋士に専念しています。2016年、歴代単独トップの29連勝で注目を浴びてはや5年。史上最年少で三冠に輝き、年度内に最大五冠の可能性を秘めた前途洋々の19歳。どこまで強くなるのか、藤井聡太?!楽しみです。♥♥♥

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