SDカードがない!

 私はいつもヤマダ電機でデジカメ用に「キオクシア」SDカードを買っていました。去年の暮れぐらいから値段が高くなったなあ、と感じていました。それが先日行ったら、全部「品切れ中」とありました。他社のものも全部品切れで買うことができません。現在デジカメのSDカードが品薄になり、価格が以前の2〜3倍(一部の高性能モデルはそれ以上)に高騰している背景には、一時的なトラブルではなく世界的な半導体の「構造変化」があります。店員さんに伺うと、主な理由は、「SDカードそのものの需要増」ではなく、SDカードに使われるNANDフラッシュメモリーが世界的に不足しているためです。

▲エディオンの売り場にて

(1) 生成AIブームによる「メモリの奪い合い」

 現在、SDカードが品薄になっている最大の原因は生成AI(人工知能)の爆発的な普及です。AIを動かす巨大なデータセンターでは、膨大なデータを高速で処理・蓄積するために、エンタープライズ向けの超高性能なメモリチップ(NANDフラッシュやDRAM)が大量に必要とされています。半導体メーカー各社は、利益率が非常に高い「AIデータセンター向け」の生産を最優先にしているため、カメラやスマホ、ゲーム機などに使われる民生用メモリの生産ラインが後回しにされ、供給量が激減しています。現在のSDカード・メモリー不足の最大の原因は、AIへの大規模投資です。ChatGPTに代表されるAIサービスの急成長により、データサーバーやスーパーコンピューター向けのメモリー需要が爆発的に増加しています。メーカー各社は、より利益率の高いAI・企業向け製品の製造にリソースを集中させており、一般向けのSDカードの製造を停止・減産すると発表する企業も現れています。メーカーが一般向けSDカードの生産を維持できず、価格高騰と品薄が同時に起きているのです。

(2)メモリメーカーの減産と民生向けからの撤退

 2022年〜2023年頃、世界的なメモリの供給過剰により、各メーカーは大赤字を出していました。その経営改善のため、各社は生産量をあえて落とす「協調減産」を行いました。さらに、大手半導体メーカーが利益の出にくい民生用NANDビジネスから事実上撤退したり、主要ブランド(サンディスクなど)がAI投資の原資確保のために一斉に値上げ・供給調整を行ったりしたことで、一般の市場に出回るSDカードの絶対数が不足する事態となっています。象徴的なのがソニーで、2026年3月に日本国内でSDカードの注文受付を一時停止しました。理由として「世界的な半導体(メモリ)不足」を公式に説明しています。この動きは他社にも波及する可能性が高く、市場全体の品薄をさらに悪化させる要因になています。

(3) 日本特有の「円安」のダブルパンチ

 SDカードに使われるフラッシュメモリチップは、そのほぼすべてが海外で製造されています。そのため、ドル建ての原価そのものが「AI需要」で上がっているところに記録的な円安が重なり、日本国内での価格高騰や品薄感をさらに加速させています。円安で日本国内価格が更に上昇しているのです。一部のSDカードは3~4倍に値上がりしており、「今のうちに買っておこう」と考えることで、在庫が一気に消える駆け込み需要が発生しています。

 専門家の予測では、このAI需要に伴う需給の逼迫は2026年中は続くとみられており、短期的に改善する見込みは薄く、価格や在庫が落ち着くまでには早くて2027年〜2028年以降にかかるという「長期戦」の見立てが強まっています。

 この3ヶ月間で、一部のSDカード・メモリーカードは3〜4倍の価格上昇を記録しています。単純な10〜20%の値上げではなく、異常なレベルの高騰です。メーカーからも正式に値上げが発表されており、今後も価格が下がる見込みは薄い状況のようです。♥♥♥

▲値上がりと品切れ状態

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

ニデック永守さんにガッカリ

 モーター大手のニデックの国内外の幅広い拠点で蔓延していた不適切会計の問題(売れる見込みのない製品の評価損を放置する、錆びた古い金型を新品と偽って資産に計上する、取引先から値引きがあったと捏造し利益を水増しする、売り上げを二重計上して虚偽の説明、販売見込み数量を売り上げとして架空計上するなど数々の不正が横行し、目標達成のために数字が書き換えられていました)が起こりましたが、非現実的な業績目標を掲げ、達成に向け過度なプレッシャーをかけていた創業者の永守重信(ながもりしげのぶ)の存在が大きく、「最も責めを負うべきなのは永守氏であると言わざるを得ない」と報じられています。永守氏は、1973年に日本電産を立ち上げ、プレハブ小屋で創業した町工場を、一代で精密モーター分野では従業員数10万人超、売上高2兆円超の世界トップの企業にまで育て上げた人物です。それほどの業績を出した上に、「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」をモットーに、がむしゃらに前に進む性格もあり、周りの誰もが異論をはさむことが許されなかったという社風が出来上がってしまったのでしょう。上場企業でありながら、ガバナンスが全く利かない状態に陥っていたとしか言いようがありません。

 ガバナンスとは、本来議論されないといけないことが議論されていることだと思います。実力者の鶴の一声で、あとは何も議論されずに物事が決せられているのは、ガバナンスが機能しているとは言えません。どんなに優秀な人でも必ず間違います。その場はそれでいいかもしれませんが、結局は、その会社や働く人のためにはならず、社会にも迷惑をかけることとなりかねません。本来、ガバナンスは手間のかかるものですが、丹念な深い議論が忌憚なくできるようになれば、逆に経営の失敗は少なくなり、また、それを行える人が増えれば、企業の寿命も延びるものです。

 なかなか実力者の意見に異を唱えるのは、それでも難しいことです。一人の独断から組織を守るためには、「考え方」を求心力にする必要があります。人を求心力にするのではなく、組織の目的やあるべき姿を求心力にすることが大切です。宗教団体が何千年にもわたって長続きするのは、考え方を求心力にしているからだと考えられています。リーダーは自分を求心力にするのではなく、「正しい考え方」の宣教師となるべきです。教祖ではありません。

◎「どいつもこいつもやる気なしの無責任野郎ばかりそろいやがって! 経営音痴の数字づくりではどんどん目線が下がっていく。却下だ。全員辞めてくれや! こんな人物と一緒に仕事は出来ぬ!」
◎「却下。計画未達皆んなで渡ればこわくない!か。誰一人結果責任を担える人物がいないのか。怒りがこみ上げてくる!」
◎「赤字は罪悪、事業計画未達は悪、規則違反は犯罪である」
◎「対外公表値は断固として上方修正を最低2回は実施しないといけない」
◎「大きなチャンスをもらっておきながら、そのチャンスを掴めず問題ばかり発生させている現在の君の醜態は君の怠慢たる人間性が主因だと思うがな! 恥を知るべきだ!」

◎「君が日本電産に入社してからの2年半で、君が会社に与えた損失または、得るべき利益の機会損失も含めて、本日現在800億円を超える金額になっている。まさに『君は日本電産(現ニデック)を潰すために来たのか?』私の元から損害だけ残して敵前逃亡していくのか、それとも死ぬ気で働いて損失を埋めてくれるのか?」

◎「赤字は罪悪、事業計画未達は悪、規則違反は犯罪である。」

 上記のように、永守氏が、業績目標未達の幹部を大勢の面前で一方的に罵倒することが日常化していたといいます。社外から転職してきた元経営幹部が、不正への加担に苦しみ、「もはや、日本では受け入れられないことであり、強い憤りと反発を感じた」と供述するその内容は、永守氏自身が、過去の自らの指導を「犬や猫のように罵倒叱責」していたと表現していた通り、上のような人格否定に近い言葉が並んでいます。また、永守氏はこうした暴言を頻繁にメールやチャットを送っていて、メールのCCには他の多数の経営幹部が含まれていることも少なくなかったといいます。そうした際に、解雇や降格の人事権をちらつかせては幹部を追い込んでいたことも指摘されていて、第三者委員会は、これらが単なる「言葉の綾」ではなく、実際に降格や退職が繰り返された事実に基づく「恫喝」であったと評価していました。社長すらも簡単に解任してしまう強力な人事権を握る永守さんのこうしたプレッシャーの結果、グループ内の多くの拠点で不正会計が蔓延し、経営の健全性が著しく損なわれていた実態が浮き彫りとなりました。創業者が残した大きすぎる“負の遺産”を今後払拭することができるのか――。

 私は若い時分から永守さんの数々の書籍を読んで、その哲学・考え方に共鳴していただけに、今回の事件は本当に残念・ショックでした。何よりも永守さんは不正発覚以降、代表取締役名誉会長の辞任を発表しただけで、公の場で一度も説明をしておられません。ガッカリです。「企業風土でご心配をおかけしたことを申し訳なく思う。しっかり再生できると信じている」(12月19日) 「不正経理の疑義で、世の中を騒がせたことは慚愧の至り、これまで会社を引っ張ってきた私自身が潔く道を譲り、率先して範を示すことが最後にして最大の責務」(2月26日) 東京証券取引所は昨年10月にニデック株を上場廃止の恐れがある「特別注意銘柄」に指定しました。今秋以降に、上場を維持するかどうかの審査を受ける予定です。信頼回復への道のりは険しいと感じています。

 この会計不正問題に続き、家電や自動車などに使われる製品の品質面に関する不正まで行っていた疑いが露呈しました。今度は顧客に無断で部材や工程、設計を変更する、基準を超えるデータを適正と判断するなど、品質不正に関わる不適切行為の疑いが1,000件超判明しました。上場企業では極めて異例の事態です。あまりにもコストダウンを追求しすぎた結果で、ここでも永守さんによる「苛烈なプレッシャー」が原因であり、不正会計と根は同じだと見られます。ものづくりへの信頼が揺らいでいます。

 地上22階建て、高さ100.6メートルの京都市で最も高いニデック本社ビルは、永守さんの執念の象徴でした。ライバル視した稲盛和夫さんの京セラ本社よりも5メートル高く作らせた、というエピソードがその性格を物語っています。あまりにも結果の数字を追い求め過ぎたことが、今回の不祥事を招いたとも言えるでしょう。数字はあくまでも結果であり、やはり、ドラッカー先生「成果と実績や結果の違い」を理解することや、藤本幸邦老師「お金を追うな、仕事を追え」といった考え方が必要だったと考えます。

 ここで思い出されるのが、ナショナルの創業者・松下幸之助さんです。松下さんは、「素直」ということをとても大切にされていたことで有名で、衆知を集めることの重要さをご存じでした。そして、同時に自分の力が強くなり過ぎることにも注意を払っておられました。働く人が意見を言いにくいからと、自らが促して「組合」を作らせたと言われています。門真市にあるパナソニックミュージアム松下幸之助歴史館」の前には、松下さんの大きな銅像が置かれていますが、それを寄贈したのは組合でした。組合結成25周年事業として創業者の銅像を建てたのです。ここが永守さんとの大きな違いです。

 永守さんは、私財100億円を投じて京都先端科学大学(旧京都学園大学)の経営に乗り出しましたが、果たしてこちらはどうなるのでしょうかね?学生募集にとっては大きな痛手です。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「ラーメン大戦争」

◎週末はグルメ情報!!今週は変わったラーメン屋さん

 2025年5月3日、松江市上乃木に新しくオープンした「ラーメン大戦争」(THE RAMEN WAR)は、大阪市淀川区西中島にある行列必至のラーメン店「人類みな麺類」の創業者・松村 貴大氏が代表を務める「UNCHI株式会社」系列のフランチャイズ店舗です。これまでもさまざまなラーメンブランドをプロデュースして成功を収めてきた同社。この店名には「ラーメン激戦区のなかで勝ち抜いていくために」という意味が込められています。松江の開店以来大人気で行列になっていると聞いていた私は、午後3時前にお邪魔してみました。昼の部の営業は11時から15時までですから、閉店間際の15時前なら少しは空いているだろうとの目論見からでした。しかし米子帰りに自転車を飛ばしていざ行って見るとこれは大誤算でハズレ。すでに満席で、入り口の椅子で待つことになりました。

 10分くらい待って、カウンター席に案内されました。こちらの店舗は厨房のまわりを囲むようにカウンター席があり、テーブル席を併せた内装です。席の間隔は広めにとってあり、席の下にはバッグや荷物を置くかごが用意されていて、一人でもゆっくりとラーメンを味わうことができるようになっています。さらに丁寧な接客のスタッフからは「紙エプロンを使われますか?」と聞かれ、細やかな心遣いに感動です。

▲店内中央にド~ンと置かれた自動車

▲印象的な「クアトロガッツ」の外観

▲お隣の自動車販売会社

 この店舗は、地元でお隣にある自動車販売会社が運営しており、店内中央には車がど~んとディスプレイされ、内装はどこかSF「宇宙戦争」のような世界観です(写真上)。さまざまな自動車の部品が内装にも使われています。こうしたストーリー性が話題となり、地元メディアにも大きく取り上げられました。店内はとても活気がありラーメン屋とは思えないくらい内観がおしゃれでした。二年前󠄂に松江の中心街に「クアトロガッツ」というレストランがオープンしてその独特の外観と内装が話題となりました(⇒私の紹介記事はコチラです)が、そのリノベーションを手掛けたのが、アートディレクターの松尾謙太郎(まつおけんたろう)さんでした。松尾さんは松江市出身で、以前は首都圏に拠点を置き、有名テーマパークのデザインなど第一線で活躍し、国内の商業施設などの内装やディスプレイ設計などを手掛けていました。「本来テーマパークでよく登場するテクニックなんですが、エイジング技術があれば、材料は基本選ぶのではない。古いものに合わせることで古いものが生かせる」エイジングとは、アンティークのような古めかしい風合いに仕上げる工法です。店内には、自転車の部品や漬物桶や鍋蓋など予想外の廃材がエイジングされ、デザインの一部となっていました。今回の「ラーメン大戦争」の内観のデザインも松尾さんによるものです。地元に戻ってからは、こうした店舗のプロデュースを手掛けていて、今回の「ラーメン大戦争」の店の内観のデザインで6軒目です。宇宙戦争をイメージした遊び心あふれる異次元空間の店内にはデモカーも設置されています。

   机上のメニュー(写真上)には、「ピストル」「平和」「錆びた刀」「自由」「衝動」といったユニークで独創的なラーメンの名前がズラリと並んでいます(写真上メニュー)。私はこの日は、一番人気の「ピストル」を注文しました。注文はQRコードをスマホで読み取り(スマホを持たない私はどうすればいい?最近どこのお店に行っても不自由になってきました)、その場で選ぶセルフ方式(会計は現金のみでレジであと精算)です。チャーシューは無料で最大5枚まで選べるため、当然迷わず5枚でオーダーします。麺の大盛り無料、替玉(半玉)1回無料など嬉しいサービスも説明がありました。スープは、ほんのり甘みのある醤油ベースに、貝柱由来のコハク酸の旨味が前面に出た味わい。コクうまスープは関西風のしょうゆ味。名古屋コーチンの鶏がらと貝柱をブレンドして作られています。口に入れると最初にしょうゆと鶏がらのやさしい味わいが伝わり、あとから貝柱の余韻が残りますよ。スープ単体でいくらでも飲めそうな奥深い味です。下支えするのはクリアな鶏の旨味です。自家製の太ストレート麺は、提供に多少時間がかかっても弛れることなく、しっかりとした仕上がりで納得のクオリティです。全粒粉入りの太めのストレート麺でスープとのからみが抜群です。もちもち食感で口当たりもよいので一気に食べてしまいそうですが、チャーシュー白髪ねぎと一緒に食べて風味の変化を楽しむのがお勧めです。にんにくや背脂を追加してもいいですね。チャーシューはレアで極薄スライスされ、口当たりが良く食べやすいものでした。どんぶりのまわりにびっしりとかけられたピンク色のレアチャーシューのビジュアルのよさに注目です(写真下)。このレアチャーシュー松村氏が、ヨーロッパで食べた時に一目惚れしたという逸品で、産地で瞬間冷凍して仕入れているのだとか。薄くスライスされていてやわらかく、あっさりとした旨味が感じられます。極太のメンマでチャーシューに負けない存在感を放っています。こりこりとした食感が心地よいですよ。麺はすべて自家製。今や作り手の技術が上がり、「ラーメンが美味しいのは当たり前」で、店主やお店が持つストーリーや世界観が成功のカギを握る時代になっています。
いよいよ松江でも、本格的な「ラーメン大戦争」の幕が上がる予感がします〔笑〕。♥♥♥

 

▲このレアチャーシューが何とも言えず美しい!!

 

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「あげそげばけ」広告大賞プリント部門賞に!

 松江ゆかりの文豪・小泉八雲の妻・セツをモデルにしたNHK連続テレビ小説「ばけばけ」。舞台となった松江をPRするため、「小泉八雲・セツのドラマをイカしてバケる松江推進協議会」が作成した公式ロゴマークキャッチコピーが、全日本広告連盟が主催する第5回鈴木三郎助全広連地域広告大賞「プリント部門賞」に輝きました。

 プリント部門には34作品の応募がありました。ロゴマークは、挿絵画家ウェルドンが描いた「ニューヨークを旅立つ八雲」の後ろ姿をモチーフに、松江で出会い心の旅をともにする八雲・セツ夫妻の後ろ姿をデザイン。出雲弁「あげ、そげ、ばけ。」キャッチコピーにつけました。出雲弁「あれも、それも、ばけるよ」という思いが込められています。「松江をアゲて、不要なものをそいで、ばけていく」という意味を込めました。日本語の音の持つ響きを愛した八雲にちなみ「音の面白さを感じてくれれば」(松江市観光振興課)という狙いでした。

 「ばけばけ」という言葉は、一般的にはあまり使われない表現ですが、「ばける(化ける)」という動詞から派生した表現と考えられます。「ばける」は、日本語で「変身する」や「姿を変える」という意味です。このため、「ばけばけ」は「次々に変身する」や「頻繁に姿を変える」といった意味合いを持つ可能性があります。ドラマのタイトルの「ばけばけ」には、“化ける”という意味が込められており、NHKは「このドラマは『化ける』物語です。急速に近代化が進む明治の日本は、人々の暮らしや価値観がどんどん『化けて』いきます。その中で取り残された人々の思いは、時に怪談という物語に形を変え語り継がれてきました。それと同じように、うらめしかったトキの世界も、いつしか、かけがえのないすばらしいものに『化けて』いくのです」と説明しています。

 「ばけばけ」は、2025年9月末~2026年3月末にテレビ放送されました。同協議会は2024年12月、官民で設立され、放送開始前から松江の魅力発信に取り組んできました。ロゴマークは使用料を無償とし、イベントや多くの看板や広告、土産品などに活用され、使用申請は2026年3月31日現在で365件にのぼります。

 広告大賞では、島根県外の人に音として印象に残る言葉を用いることで、自然な興味と会話のきっかけを創出したことや、ロゴマークを無償で開放した結果、学校給食や金融商品、伝統行事、行政の施策など多様な分野でデザインが活用され、地域内外で統一感のある観光振興に寄与したことが高い評価を受けました。「方言とビジュアルを起点に地域の物語性を可視化し、ロゴマークを開かれた資産として開放することで広告を参加型の仕組みに転換し、地域内外に自走的な広がりを生んだ」とされました。

 受賞にあたり、「小泉八雲・セツのドラマをイカしてバケる松江推進協議会」の会長である上定昭仁松江市長のコメントです。♥♥♥

 このたび、栄えある第5回鈴木三郎助全広連地域広告大賞の部門賞(プリント部門)を受賞したことは、誠に光栄であり大変嬉しく存じます。
 受賞したロゴマーク及びキャッチコピー(以下:ロゴマーク等)は、松江市がNHKの連続テレビ小説「ばけばけ」の舞台となったのをきっかけに、「小泉八雲とセツが出会ったまち」であることを多くの方にお伝えすべく、本協議会が制作いたしました。
 これまで松江に馴染みがなかった方には、その認知度の向上を図り観光に訪れていただけるよう、市民のみなさんには、松江で暮らすことへの誇りと愛着が育まれるよう、親しみの持てるデザインとしました。
 また、このロゴマーク等をみなさんに幅広く使っていただきたいとの思いから、版権使用料を無償にしたことで、数多くの看板やイベント広告やお土産品などに活用されています。今回の受賞の喜びを、ロゴマーク等を利用してくださっているすべてのみなさんと分かち合い喜びたいと考えています。
 松江市では、「ばけばけ」による盛り上がりを一過性のものにせず、「小泉八雲とセツが出会ったまち」の魅力をさらに多くの方に知っていただけるよう、今回の受賞を励みとして、ロゴマーク等を生かした小泉八雲・セツの顕彰と観光振興に引き続き取り組んでまいります。
 みなさんのご支援とご協力をよろしくお願いいたします。
 
                     松江市長 上定 昭仁

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「竹林の小径」で落書き

 美しい竹林が広がり、国内外から観光客が訪れる京都・嵐山「竹林の 小径こみち 」(京都市右京区)で、昨年、竹を傷つける落書きが深刻化して大騒ぎになりました。京都で私の大好きな観光スポットです。大勢の観光客でにぎわう「竹林の小径」を歩くと、道の両脇に植わる竹の表面に名前やイニシャルとみられるアルファベット、ハートマーク、平仮名、漢字が複数、刻まれているのが確認されました。あちこちに落書きが刻まれている竹があって、景観が台無しになっていました。春頃から被害が拡大し、京都市の調査では約350本で確認され、市では近く、被害を受けた一部の竹(30㎡)を試験的に伐採するなどの対策を講じると報じられました。

 市風致保全課によると、小径沿いには約2.3ヘクタールの市有地があり、推計で7000本の竹が自生しています。担当者が10月6日、小径に接する竹を調べたところ、約350本で被害が確認されました。京都府警によると、竹への落書きは、器物損壊罪にあたる可能性があります。京都府立植物園によると、竹は表面を傷つけられて枯れたり、倒れたりする可能性は低いものの、傷は一度つけられるとずっと残り続けるといいます。被害の深刻化を受け、商店街などの地元団体は10月、竹の傷を緑色の養生テープで隠しました。10月以降、小径の柵や人力車約50台に、日本語、英語、中国語、韓国語の4か国語で「竹林を壊さないで!!落書きは犯罪です」と記したポスターを掲げ、警告を発しています。こうした行為は単なる「いたずら」ではなく、器物損壊罪に該当する可能性もあり、悪質な場合は処罰の対象になります。

 「竹林の小径」を含む嵯峨嵐山区域は、多くの和歌に詠まれた景観が評価され、古都保存法で歴史的風土特別保存地区に指定されています。木や竹も伐採は、原則認められていないのですが、景観維持のための特別な措置で、観光客の手が物理的に届かないところまで竹林を後退させるのが狙いだといいます。

 竹林の落書き被害は、過去にもありました。私が訪れた2016年にも、この目で落書きを確認しています(写真下)。2018年には、日付と名前が刻まれるなど約100本の竹で被害が確認され、市では柵を設置したり、注意喚起の看板を設置したり、巡回の強化などを行いました。コロナ禍で人出自体が減り、一時、被害は減りましたが、にぎわいの回復とともに昨春から一気に落書きが目立つようになったといいます。

dsc00332

   京都・嵯峨野に広がる「竹林の道」(ちくりんのみち)。それは大切な人と一緒にゆっくり歩いてみたい名所の1つです。青竹に囲まれた狭い道は、風はひんやりと涼しく、訪れる人々を静かに迎えてくれます。嵐山の北東に広がる嵯峨野は、平安時代から貴族の別荘や庵が開かれた土地です。かつて貴族が愛したこの場所は、1000年を経た今も、多くの人々に愛され続けています。時代が変わっても変わらない、そんな普遍的な美しさを持った場所なのかもしれませんね。嵯峨野の竹林の中で最も有名なのが、野宮神社」から「大河内山荘」へと至る200メートルほどの道です。いつもよりゆっくりと歩く事で、風が運ぶ竹の香り、隙間から注ぐ日差しが感じられます。時間の経つのを忘れ、ただ目の前を歩く。澄んだ空気と情緒ある景色を満喫して、それだけで自然に溶け込む心地よさが味わえます。

dsc00326 平安時代、平清盛に寵愛された祗王(ぎおう)という白拍子の女性は、新たな女性の登場とともに寵愛を失い、世の無情を嘆き、尼となり嵯峨野に住んだそうです。この時、祗王はわずか21歳。一生を仏門に捧げ、嵯峨野で静かに生涯を終えたと言います。嵯峨野竹林の道」は休日期間中になると多くの観光の人々が訪れます。平日にゆっくりと巡るのがおすすめですが、休日の場合は早い時間帯が良いでしょうね。秋に開催される京都花灯路では、美しくライトアップされた竹林の中を歩く事もできます。

 私は、当時の京都訪問で、渡月橋→天龍寺と天龍寺庭園の見学→北門から竹林の小径へ→大河内山荘庭園方面へ →竹林の小径を引き返す→野宮神社 といった行程で観光しました。緩い上り坂になっているところもあります。竹林がどんどん深くなっていき、道がくねくねし出しました。竹が天に向かって真っすぐに伸びています。いったいどこまで伸びていくんだろうか?と思いました。無数の竹の中を歩くと、空気は澄みきっており、見方によっては、非常に力強さすら感じることでした。竹林に感謝しながら大きな道に戻りました。その竹林がひどく傷つけられているというニュースには心が痛みましたね。

dsc00328

 今度は、京都市伏見区にある伏見稲荷大社で被害が広がっています。鳥居がトンネルのように連なる幻想的な参道「千本鳥居」が有名で、常に多くの観光客でにぎわうこれまた人気スポットです。そこから近くにあるハイキングコースは、千本鳥居につながることから国内外からの観光客にも人気となっています。ここでも今、深刻な問題が起きています。それが、竹への心無い落書きです。竹林にはたくさんの落書きがあり、上の部分から下の部分まで文字が刻まれているものもあります。訪れた時期を示したのでしょうか、西暦とみられる数字も。アルファベットのイニシャルのような落書きが多く、鋭利な硬いもので刻まれたとみられています。一度傷つけられた竹は樹木と違い、自力で再生することはなく、倒壊の恐れがあるなどとして、市が一部の竹を伐採する事態にもなりました。伏見の竹林は私有地で、所有者は憤りを感じています。「こんなにあると思わなかった。困ったもんや、モラルの問題」被害は少なくとも100本以上に及ぶといいます。竹林の周囲には柵を設置していますが、乗り越えて刻んだと思われる落書きも。伏見稲荷周辺の山々は個人所有の土地が多く、一律に補修や看板設置などの対策を進めることが難しいといいます。思い出は竹ではなく、ぜひ心に刻んでほしいものです。♥♥♥

 現在、SNS上において、境内の竹に落書きを行う画像および動画が拡散されております。境内は神聖な神域であり祈りの場です。境内における落書き等の行為は、他の参拝者のご迷惑となるほか、境内景観を損なう行為であり、大社禁止事項にも掲げております。皆様におかれましては、マナーを守ってご参拝くださいますようお願い申し上げます。  (伏見稲荷大社ホームページより)

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

新星・平山功太!

育成出身の22歳、巨人・平山功太は「顔もいい」…超絶美技に技あり打「坂本勇人を彷彿」「本当に天才」 image

 巨人の若手にいきのいい選手が出てきました。運も持っており、攻守に大活躍しています。巨人の平山功太(ひらやまこうた)外野手(22歳、登録は内野手)です。瀬戸内高校から進学した環太平洋大学で、1年生からレギュラーに抜てきされ、いきなり3試合連続本塁打を放つなど結果を残しましたが、チームになじめず、1年生で中退した経験を持ちます。当時19歳。ここで野球を辞めることも考えましたが、「親に“後悔するで”って。その一言で」翻意します。「結構渋ったんですけど。自分の野球人生は20歳までって決めてたので」野球をするのもあと1年と決めて、独立リーグ・千葉スカイセイラーズへ。そこでチームメートの取材にきた野球専門チャンネルのユーチューバーが、“ついでに”と取り上げた映像が巨人スカウトの目に留まり、大学中退の1年後に育成ドラフト7位指名で巨人入りが決まりました。驚きのシンデレラストーリーですが、入団後は「ケガが多くて、2年間。あんまり試合にも出てないというか」。いつクビになってもおかしくないと覚悟していましたが、プロ3年目の今季は1軍のオープン戦で2試合連続本塁打を放つなど結果を残し、開幕直後に念願の支配下契約を結びました。現在は1軍の試合で外野手として活躍しています。ここまで飛躍的に打撃が向上したきっかけについて聞かれると、「石井琢朗さんと大田泰示さんに指導してもらいまして。足の上げ方であったり、ヘッドの使い方。全てを教わってウインターリーグに行って。いい結果が自分の中でも出たので。それがターニングポイントになってくれたかなと思います」と、恩師との出会いに感謝していました。

 開幕2軍となりましたが、ファームで打率.316を記録。4月5日に支配下登録されるとすぐに8日の広島戦で初出場。徐々に出場機会を増やし、4月25日のDeNA戦ではプロ初アーチも記録しました。外野の一角をつかみつつあります。5月12日、岐阜で行われた広島戦に「1番・右翼」で先発出場すると、2回の守備で美技を見せ(床田の右翼線への飛球を全力で追いかけ最後はダイビングキャッチ。グラブからボールが飛び出しそうになりましたが、こぼすことなく先発・戸郷を好守でもり立てました)、打撃でも3安打を放って5-3の勝利に貢献しました。まだ入団3年目で日に日に存在感を増す22歳です。この日はプロ入り初の猛打賞。成長著しいイケメンの若武者に、ファンからは「使い続けてほしい」「楽しみ過ぎる」「マジでよくやってる」「新人王を争って」「さすがに固定して」「ナイスすぎ」「執念を感じる」「お試し状態から今や貴重な戦力」「本当に天才」「本物すぎる」「何かやってくれそうな感じ」「顔もいい」「坂本勇人の若い頃を彷彿させる」など興奮気味のコメントが並びました。

 平山選手は5月16日のDeNA戦、3-3の7回無死走者なしでセンター前安打で出塁すると、続く泉口友汰が初球空振りをするも、スタートを切っており、二塁盗塁に成功。ヒットエンドランというのは、ランナーが走ってバッターが必ず打ってくれるのが条件です。牽制でたとえばエンドランじゃないかと、ウエストされたりランナーは悟られちゃダメなんですよ(佐々木はその餌食に)。遅れることもあるんです、スタートが。平山選手のエンドランの時のスチールは盗塁と同じような良いスタートが切れています。準備がものすごくできています。平山は一死後、吉川尚輝のセンター前に弱い当たりの安打で三塁に進むと(本当はこれで本塁に帰ってきて欲しかった)、ダルベックの高く弾んだピッチャーへのゴロで快足を飛ばして決勝のホームを踏みました。ホームベース近くにあったバットを右手で弾き飛ばしながら顔面から突っ込むようにして闘志溢れるヘッドスライディングで生還です。「走っても速い、すごい彼の強み」阿部監督。打った瞬間はピッチャーゴロだと思うんですよね。躊躇しないで、しっかりホーム突入してきたのでセーフになったと思いますね。最近ジャイアンツは、足で掻き回すことが多くなってきているので、非常に良い点の取り方だなと思います。一死一、三塁なので、もしかしたらゴロゴーのサインだったのかもしれません。油断していたらアウトになるんです。やるべきことをやっているからこそセーフになる。見事な走塁でした。

 走塁と言えば、4月29日の東京ドームでも、彼は「神走塁」で魅せました。貴重な追加点をもぎ取った「神の手」ヘッドスライディングの真相を試合後に明かしました。2回裏に自身の遊ゴロの間に巨人が1点を先取。なおも1死二、三塁となってから、竹丸投手のスクイズで三塁から思い切りよくスタートを切ると頭から本塁へ滑り込みました。スクイズ自体は投前へ転がり、広島の森下投手が素早く処理して持丸捕手へトス。判定はアウトとなりました。悔しそうな表情を浮かべベンチに戻ろうとしましたが、阿部監督がリクエストを要求しました。「まあタイミングもタイミングだったんでちょっと信用してもらえないかなって思って。自分もホーム行った時に騒がれてないなっていうのがあったんで、スライディングの後はセーフセーフって言ったんですけど。それで2回だったんで、リクエストを1回使うのもなっていうのもあったので自分からは言えなかったです」平山選手。育成から支配下を勝ち取ったその手で、今度は貴重な1点をもぎ取ってみせました。スローで映像を確認すると、一度、左手で滑り込みに行くかと見せかけた平山が、その手を引っ込め、捕手の後ろ側へ回り込みながら右手で伸ばしてタッチをかいくぐり、ホームベースを触っていました。球場のバックスクリーンにその映像が映し出されると、スタンドから大歓声が沸き上がりました。 「2軍のキャンプ中に左手をおとりにして、右手を出すっていうのを練習でやってたんで、それがとっさの判断に出たのが良かったかな」 その後、審判が判定を覆してセーフのジェスチャーを見せると、観客席からはこの日一番の大歓声。ベンチに座って最終判定を待っていた平山は、仲間たちから頭の髪の毛をぐしゃぐしゃくされる手洗い祝福を受け、笑顔がはじけました。その近くで阿部監督も、表情を緩めたが、試合後は「もうちょい本人がアピールしてほしかったんですけど(笑)」と苦笑いで注文を付けました。平山「スイム」と呼ばれる水泳のクロールのような動きでタッチをかいくぐりました。1度はアウト判定もリクエスト成功でセーフに。平山「2軍のキャンプ中に左手をおとりに右手を出す練習を鈴木尚広コーチとやっていた。とっさに出て良かった」と特訓を実らせました。

 5月19日のヤクルト戦、新切り込み隊長としてプレーボールからわずか30秒で、初回先頭バッターホームランで戸郷投手の初勝利を援護しました。勝利打点は4度目。大城・岸田の3度を抑えてチームナンバーワンです。いつも思うことですが、初球から全力で振りにいっていることが他の選手には見られない闘志だと感じています。「必死にバットを振った結果がいい結果になってくれたので良かった」と。球団の育成ドラフト出身では2021年の松原聖弥(いつの間にか消えてしまった!)以来2人目の先頭打者弾でした。

 わずか2ヶ月で人生が変わりました。支配下昇格となって年俸(育成は420万)もアップして、5月にはマイカーを購入し、これまでは休養日の外出は少なかったのが「ちょっとだけ出かけられるようになった」と、ジャイアンツ寮の仲間達と焼き肉屋に足を運ぶのが野球漬けの日々を癒やすいこいのひとときとなっているそうです。今も育成時代の「033」のアンダーシャツを使い続けている新星が、チームを上昇気流に乗せています。

 最近の巨人は7連勝と絶好調です。八幡なりの分析では、(1)平山を始めとする、ワークマン・浦田佐々木など若手選手の活躍が光り、チーム内に勢いが生じている、必死にプレーする若手選手の闘志はチームにも活力を与えます、(2)9-4、5-3のサヨナラ、4-2のサヨナラ、2-0、4-3、1-0、2-0と1点差、2点差の僅差の接戦を拾っている投手陣の頑張り(特にリリーフ陣)、(3)足を使ったプレー、盗塁が光る、が好調の理由だと思います。足には好不調はありませんからね。ただ、もう少し点を取ってあげないと、ピッチャーが疲弊してしまいます。打線を固定できていないのも気になります。

 名遊撃手としてV9巨人の礎を築いた球界の御意見番の広岡達朗さんは、そんな今の巨人に対しても手厳しい見方をしています。「阿部は“オレがこういうチームを作る”“こういう野球をするんだ”と考えるうえでの勉強をしていない。本来、そんな人間が巨人の監督をやったらダメなんです。目の前のシーズンを勝つことも大事ですが、監督としてより重要なのはどれだけ人を育てるか。人を育て、残すことがチームの伝統につながります。特に問題なのは、巨人の監督として生え抜きを育てようとしていないことです」♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

JR出雲市駅待合室

 山陰地方と岡山を結ぶ特急「やくも」新型車両の運行が2024年4月6日から始まったのに伴い、山陰側の発着駅となる島根県出雲市駅待合室がリニューアルされました。ガラス張りの一見カフェっぽいラウンジ。島根県産木材を使い、イスや長テーブルに雲をモチーフとしたデザインを配し、愛称を「やくもラウンジ」としています。佐伯祥一・山陰支社長は記者会見で「出雲市駅はお帰りになる方が多い駅。最後まで山陰の良さや新型やくもの世界観を感じてもらいたい」と話しました。またホームには、「やくも」「雲」をモチーフにした駅名標ベンチを設置し、「やくも」の旅を盛り上げます。

 出雲市駅のコンコース待合室がリニューアルされました。出発までのひとときをより快適にお過ごしいただけるよう、ゆったりとした空間に地元山陰の木材を使用した家具・インテリアを設置して温かなひとときを演出します。家具のひとつひとつが新型「やくも」を連想させるデザインとなっています。待合室の中には大型テーブルやカウンター、ベンチがたくさんあります。よーく見ると背もたれにまで雲の絵が描かれていてかわいい。座面も雲!もちろん机も雲!校正作業やテレワークやお弁当を食べたい時にも使えそうです。

 「やくも」が停車する駅のホームに「やくも」「雲」をモチーフにした駅名標とベンチを設置します。乗車前や到着後の憩いの場やフォトスポットとして利用することができ、「やくも」の旅を盛り上げます。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

『英語青年』

 私は故・外山滋比古(とやましげひこ)先生(お茶の水女子大学名誉教授)のエッセイが大好きで、東大・京大で最も読まれたというベストセラー本『思考の整理学』(筑摩書房)以来、大ファンになって、全ての著作を読むようにしています。この本の冒頭に出てくるグライダー人間」「飛行機人間」の比喩は 、講演のネタにもよく使わせて頂いています。何よりも文章に味があって、こんな文章を書きたいものだ、と常日頃感じているんです。当時、日本で一番エッセイが上手かった人は、外山先生だと私は思っていて、生徒たちにもこの本を読むように薦めています。私が外山先生の名前を初めて聞いたのは、かつて「日本エッセイスト大賞」を受賞された愛読書、木村治美(きむらはるみ)先生の『黄昏のロンドンから』(文藝春秋)という本が、ロンドンから恩師の外山先生に宛てた書簡であったと聞いた時です。木村先生のお師匠さんとはどんな文章を書かれる人なんだろう?と思って読んだのがきっかけでした。私は若い頃、木村先生の美しい文章を書き写しては、一生懸命に真似る練習をしていた時期があるんです。

 以前、研究社から発行されていた英語雑誌『英語青年』の編集を一人でなさっていたのも外山先生でした。先生の『「長生き」に負けない生き方』(講談社α文庫、2016年)の中には、次のような実に衝撃的な下りがあります。

 若いとき、私はK出版社の嘱託をして、英文学の月刊誌の編集に当たっていた。いろいろ人に言えない苦労もして十二年、その雑誌のために汗をかいた。会社の経営方針がおもしろくないが、嘱託の分際でできることはなにもない。編集の仕事には未練があったが、思い切って辞めることにした。そのとき、いまにして思うとよけいな憎まれ口だったが、「十年もすればこの会社はおかしくなる」と幹部社員の何人かを前にして予言した。
 忘れているうちに十年がたって、K社が本当におかしくなってしまい、私の予言は不幸にしてまぐれ当たりをしたのである。その直前に、もう一度、社へ戻って仕事をしないかと誘いを受けたけれども、もちろん問題にならない。いまさらあらわれたらお化け幽霊であろう。私にはK社に対する温かい気持ちはほんのわずかも残っていなかった。ザマを見ろ、とまではいかないが、老舗が斜いたのを遠くから眺めていた。
 K社はメガバンクS銀行によって命をつないだ。社長としてS銀行の支店長が乗り込んできたという風の便りにもなんの興味もなかった。銀行屋に出版がわかるはずがない、結局失敗するだろうと無責任なことを考えた。(pp.128-129) 

 上の文章に出てくるK出版社」というのは老舗の「研究社」のことで、「月刊誌」というのは『英語青年』のことです。その研究社の凋落を予言しておられたのでした。先生が雑誌英語青年の編集に携わっておられたのは、1951年から1963年頃までで、当時まだ20代の後半から40歳頃で、最も精力と創意に満ちていた時期です。ご本人がこの時代を回想している文章はいくつかありますが、特にまとまって読むことができるのは、研究社から出た日本の英語、英文学です。そこでは「『英語青年』編集長時代の裏話」がかなり語られています。先生は、編集者とは著者同士・読者との間に科学反応を起こす存在だと考えておられました。「触媒としての編集者」「読者との対話」「雑誌を“生きた場”にする工夫」を貫かれていました。先生自身、「編集という行為が自分の著作の発想の中心にあった」と語っておられ、『英語青年』はまさに外山滋比古という思想家・編集者の土台を形作った原点でした。これが後の『思考の整理学』に通じたのでした。

 印象的な思い出話をいくつか挙げると――

●戦後まもない時代で、英文学界そのものがまだ「サロン」のように小さく、編集部には大学の先生や翻訳家たちが気軽に出入りしていました。

●原稿依頼も今のような事務的なものではなく、編集者が直接会いに行き、雑談の延長のようにして頼んでいました。

●若い編集者だった外山先生は、当時の大家たちの原稿を扱いながら、「学問」と「読みもの」の両立をどうするかに苦心しました。

『英語青年』は単なる英語学習誌ではなく、英文学・翻訳・外国文化の知的サロンの役割を持っており、そこには独特の自由闊達な空気がありました。

外山先生自身、「編集」という仕事を通して、後年の『思考の整理学』につながる「知識の編集」「発想の熟成」の感覚を学びました。

●座談会記事を多用した「対話の雑誌」という特徴があり、論文中心の学術誌とは異例とも言えるほど「話し言葉の論理」を誌面に持ち込み、筆者と読者の心理的距離を縮めようとしました。「書き言葉の論理では越えられない断層を埋めるため」と述べておられます。

●アイデアマンとしても知られ、「並行講座」「クリスマス号」「英語青年賞」後に『英語年鑑』として独立する「英語英文学研究一覧」などの革新的な企画を生み出しました。

●編集で一番力を入れたのは「片々録」埋め草でした。読者が難しい記事で立ち止まらないように、その近くにすぐ読める短文を置きました(英文学記事の横には英語学の埋め草、英語学の横には英文学の埋め草)。執筆者も豪華で大御所が500字の短文を書くという贅沢さでした。

 また、外山先生は編集者時代について、「編集者は黒子であるが、実は文化を動かす仕事だ」という趣旨のことをたびたび書いておられます。これは、後の代表作エディターシップにもつながっています。当時の『英語青年』編集部については、英語教師、英文学者、翻訳家、学生たちが雑誌を媒介にゆるくつながっており、「英語を学ぶ」というより、「英語文化に参加する」感覚があった、などと書いておられました。

 私が教員になった当時は、『英語青年』『時事英語研究』『現代英語教育』(いずれも研究社)、『ENGLISH JOURNAL』(アルク)、『英語教育』(大修館)、『言語』(大修館)、『言語生活』(筑摩書房)など数多くの言語雑誌が出ており、これらを全て読むことでずいぶん勉強になったものでした。ところが、英語教師が雑誌を全く読まなくなり、今ではこれらが廃刊になり、現在残っているのは『英語教育』(大修館)一誌だけです。これら数ある雑誌の中でも、最も権威があり格調が高かったのが『英語青年』で、月の始めの勉強はこの雑誌から始まるのでした。しかしどんどん発行部数が落ち込んでいき、松江北高出入りの今井書店の担当者から、「松江で『英語青年』を定期購読しておられるのは島根大学の先生一人と八幡先生の二人だけです」と聞いた時には、衝撃を受けたものでした。そしてまもなく廃刊になりました。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

渡部昇一先生のエピソード(46)~奥様から見た渡部昇一

 尊敬する故・渡部昇一先生の奥様・迪子(みちこ)さんが、『終生 知的生活の方法~生涯、現役のままでいるために』(扶桑社新書、2018年)の中で、在りし日の渡部先生の想い出を語っておられました。次のようなものです。

 「口より実行」。渡部昇一の知的生活のコツといえば、この一言に尽きるのではないでしょうか。たとえば健康法。主人は真向法という柔軟体操と、英語の原書を音読する発声を日課にしていましたが、毎日厳密にやるのではなく、「できない日があっても構わない」くらいの調子でやっていました。「これとこれはきっちりやる」と決めてしまうと、できなかったときにイヤになってプツンとやめてしまう。だから二、三日やらなくても気にしない。そのほうが、「しばらくやっていないなあ」と気軽に戻って来られる。いい加減にやったほうが長続きすると言うんです。

 子供たちに対しても、理詰めで接することはありませんでした。学校の成績が悪くても気にしませんし、忘れ物をしても叱りません。子供が忘れ物をするのは普通のこと。子供の頃の成績が人生を決めるわけじゃない。そう言って、テストで悪い点を取っても担任に何を言われても、涼しい顔をしていました。

 長男が音楽の道に進もうしたときも、「好きなことをすればいい」と背中を押してやっていました。 音楽家のような不安定な仕事に就くのを反対される親御さんもいますが、主人は「うまくいかなかったら、トラックの運転手でもなんでもすればいい。今の日本では食いっぱぐれて死ぬようなことはない。やりたいようにやりなさい」と。子供の将来も、あれこれ言うより実行することを重視していたのだと思います。

 主人は最後、自宅で亡くなりました。病院に通うのを嫌ったので、お医者様に来ていただいていました。我慢できないほどの痛みがあったようですが、痛み止めのモルヒネは最小限に抑えていました。モルヒネを使うと頭が朦朧としてしまい、時間もわからなくなるし、何も考えられなくなってしまう。不覚なことはしたくない。責任の取れない言動はしたくない。そう考えていたからです。

 少しでも痛みが和らげばと、私と娘が主人のふくらはぎをさすっているとき、主人は「俺は世界一幸せな男だ。家族にこんなにしてもらって本当にありがたい」と何度も言っていました。家族に感謝の言葉を伝えることも、主人らしい「口より実行」だったのかもしれません。

                               渡部迪子

 先生にはずいぶん子供っぽいところもあったそうで、人を驚かせるのが大好きで、陰から突然「わっ!」と言って現れびっくりさせたりしました。新婚の頃は、わざわざ風呂桶の中に隠れてふたをしておいて、奥様が開けたら「わっ!」てやる。奥様が驚くと、「いつも悪いことをしている人間が驚く」と言われました〔笑〕。奥様も仕返しに驚かそうと思っていろいろやってみられましたが、先生は確かに驚かれませんでした。エレベーターから降りてきた時、陰から「わっ!」ってやっても全然驚かれませんでした。子どもを驚かせる時は本当に楽しそうだったとのことでした。

 先生はそれこそ大変な読書量でしたが、マンガもよく読んでおられました。好きだったのが「ゴルゴ13」「ドラえもん」でした。「ドラえもん」は、のび太クンのかわりになんでもドラえもんがやってくれるので教育上よくないと言う人もいましたが、先生は「ムシのいいことを考えることは、すごくいいことだ」と言われます。ムシのいいことを考える人のほうが絶対いいことが起こる、という信念を持っておられたので、面白かったのかもしれません。テレビドラマも、『相棒』のようなパターンが決まっているものが好きで、喜んで観ておられました。松本清張も好きでした。全集を揃えておられ、ドラマや映画もだいぶ観ておられました。「松本清張はサスペンスの骨組みが緻密で『違う』んだ」とよく言っておられました。横山秀夫の警察小説も好んで読んでおられましたし、楽しいことは決して嫌いではありませんでした。

 雑誌『WiLL』2017年7月増刊「歴史通」『追悼「知の巨人」渡部昇一まるごと一冊永久保存版』(ワック)の中でも、奥様が「30回目のお見合いも結婚」と題して先生の想い出を語っておられます。それによれば、先生がなんと30回目のお見合いで奥様とお会いした時、「おれは見合いをするのは30回目だ。断った女は見る目がない」と言われたそうで、なんて自信のある人だろうと呆れたと言われます。しかも奥さんにする女性のチェック項目のようなものを持っておられて、「英語ができる人」とかいろいろな条件が書いてあって、自分はそれに全部当てはまらなかったから、どこが気に入られたのか分からない、と回想しておられます〔笑〕。デートの時も、普通は男性が支払いをするものなのに、家計簿をつける癖をつけさせようと思われたらしく、奥様と千円ずつ出して、収入が二千円、支出が二人でコーヒー百円とか、「このノートに書きなさい」といった変わったデートだったそうですよ。

 あまり身なりを気にするとか、背広を何着も仕立てるとかいうことはありませんでしたが、ベレー帽が大好きでいっぱい持っておられたといいます。いつも構わないでいる髪の毛を隠せるからなのかどうか分かりませんけれど、おしゃれのためだったかもしれません。自分なりの哲学というほど大げさなものではありませんが、服装に関しても、自分のスタイルというものがあったようです。散歩に行く時はこのズボンをはいてベレー帽をかぶってステッキを持って……というように。家では褞袍(どてら)を着ておられました。もうずっと同じ格好です。歩き方が独特で面白かったといいます。ちょっとO脚で、お義父さんと同じ歩き方をする人でした。先生と義父が話をしていると、鶴岡の方言でしゃべられるものですから、何を話しているか奥様にはさっぱり分かりませんでした。しかも、耳が遠いから、喧嘩しているのかと思うほど大声で話されました。そう言えば、二人は脱いだ靴の並び方も同じだったんですよ。そういうことを思い出すと、やはり寂しくなると、振り返っておられましたね。貴重な証言です。

 迪子(みちこ)さんは、先生の勉強の「後押し」をされる女性でした。奥様のお父様は学問が好きで、本を大切にする人で、娘の頃からそのような父親の姿を見てきて、本は重んじるべきものであると考える感性を育んでこられたのでしょう。奥様は、渡部先生「本を買うな」と言われたことはただの一度もありませんでした。先生が若い頃、こんなことがありました。結婚して間もない頃、先生はDNB『大英人名辞典』Dictionary of National Biography、英国人で顕著な功績を残した故人についての詳しい伝記を事典形式に編集したもの、22巻)を買うか買わないかで、迷っていたことがありました。当時、新刊で買うと月給よりもずっと高かったので、ずいぶん購入を迷っておられました。そうしたら、奥様が「あなた、何を悩んでいるんですか」と言われます。「DNBという事典を買いたいんだが高くてね」と言いますと、「それは勉強に必要なものですか?」と聞いてこられました。「そりゃあ、あればうんと助かると思う」と答えると、「おかしな人だ。男が自分の役に立つことが分かっている本を、買うか買うまいか迷うとは、おかしな人」と笑われてしまいました。そうまで言われて、DNBを買わないでいると奥様に軽蔑されそうだったものですから、すぐに買いました。こんなふうに、奥様は本については非常に寛容でした。以来先生は、欲しい本を買うのに躊躇したら奥様に軽蔑されるのではないか、という学者にとってはまたとない幸せ(?)に浴することになるのです。どんどん本を買っていかれて、書庫に個人の蔵書としてはとんでもない量の本を所有されることとなりました(15万冊、個人の蔵書としては世界一)。さすがに、本がだんだん増えすぎて、書庫に積み上げるだけでなく、ついには応接室にまで本が溢れ出した時には、居住地を侵された奥様は、本が増えることに警戒感を示されるようになりました。本のせいで、友人たちを呼んだりホームパーティの開催も不便になってしまったものですから、奥様は「この家には本権はあるけれども人権がありません」などとこぼされるようになります。奥様の主張ももっともなものでした。しかし結果的には、それがさらに大きな書庫を備えた現在の家を構えるきっかけになったのですから(77歳で2億円を超える借金をして新築!)、やはり奥様は渡部先生の背中を押す人だったのです。再び本に対して寛大な姿勢を見せておられました。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「洋菓子kocon」

◎週末はグルメ情報!!今週はタルト

  「洋菓子店kocon(ココン)」は、2018年5月30日にオープンした8年目のお店です。場所は、鳥取県米子市長砂町です。オープン以来、その可愛らしい見た目とこだわりの食感で、自分のご褒美や手土産として親しまれています。国道181号線沿い。近くには米子南高校、ガソリンスタンド、隣は美容室grisがあります。店内は色とりどりのタルトが陳列されているショーケースと焼菓子の陳列棚があり、甘い香りが心地よい空間となっています。店内には焼き菓子の他、タルト、プリン、ガトーショコラなどが置いてありました。店内左側のスペースには地元の作家さんのアクセサリーなどが陳列されていて購入することができます。店名の由来は『古今東西』(ここんとうざい)=昔があって今がある。繋がりを大切にしたい。との意味が込められているそうです。人気が高く、平日の14時頃にはタルトが完売・品薄になることも珍しくはありません。

 「木苺とチョコチップのタルト」「りごのタルト」「洋なしのタルト」等、数々のタルトが並んでいます。美味しそうですね。季節のフルーツをふんだんに使ったタルトの専門店のようです。私が今日買ったのは「木苺とチョコチップのタルト」(530円)「マロンクリームのタルト」(600円)の二つです。

 タルトは生地の外はサクサク感のあるパートシュクレと中はアーモンドの風味のクレームダマンドを焼き上げた生地になっています。アーモンドをたっぷりと使用したタルト台は厚みがあって、ボリューム満点で。サクサクだけど固すぎず、中はしっとりとした絶妙な食感が評判です。今日お邪魔した時に店主さんとお話したことですが、このお店では地元の岸田牧場さん(琴浦町)の牛乳を使用しています(ここの牛乳「牛乳便り」は最高に美味しい。⇒私の紹介記事はコチラです)。とにかくタルト生地が絶品。タルト台は分厚くボリュームあり、食べ応え抜群でした。タルト台だけでも無限に、永遠に食べていられそうでした。果物もみずみずしく、クリームもたっぷり!!

 中でも、「木苺とチョコチップのタルト」(530円)は木苺の甘酸っぱさとチョコチップの甘さのバランスが絶妙です。これは美味しかった。今日は「りんごのタルト」(500円)をいただきました。

 お店の左右にはナッツを贅沢に載せた「ナッツタイル」などの焼き菓子や、地元作家さんのアクセサリーなどの雑貨もたくさん陳列されていました。温かみのある雰囲気の店内です。駐車場は店前に2台分と限られており、面している道路(181号線)も交通量が多いため注意が必要です。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする