外見も大事

 ナショナルの創業者松下幸之助さんの、社長時代のエピソードです。東京に赴いた時、時々寄っていた銀座のある理髪店で、店員が松下さんの頭を刈りながら、こう言ったのです。下さん、もっと頭髪を大事にしなければいけませんよ。常にどんな刈り方がいいか、どん なヘアースタイルがいいか、自分で研究しなければいけません。」―「ほう、そうですかね」―「ええ、そうですよ。銀座4丁目にあなたの会社のネオン広告塔がありますね。あのようにいくら宣伝をしていても、あなたの頭を見ればあなたの会社の製品は買う気がしない、というのでは困ります。やはり、常にきれいにしておいていただきたい。あなたの頭も立派な会社の広告塔だと思うんですよ」 松下さんは、すっかり意見をされてしまいました。しかし、その意見がいちいちもっともなだけに、大いに感心し、帰りにはその店員にチップをはずんだのでした。それまで松下さんは、髪の格好については全く無頓着な方でしたが、それ以来、頻繁に理髪店に通い、髪や身だしなみに気を使うようになったそうです。「外見じゃないよ、心だよ」と言う人があるかもしれません。確かにその通りではありましょうが、第一印象で判断されるのもまた事実でしょう。やはり、松下さんのように、顔も頭も、自分の会社や家庭あるいは自分白身の「広告塔」である、そのくらいの気持ちを持って、周りの人に好感を与えられるよう努力していかなければならないのではないでしょうか。(PHPより)

 前任校で、学級日誌にこんなことを書いてくれた生徒がいました(私は学級日誌は製本して取ってあります。年をとってから読み返してみると実に面白いんです):

 今日は特に変わったことはありませんでしたが、暑さにも変わりはなく、いつものように蒸し暑かったです。暑さに関してシャツを入れるということについて考えてみました。やっぱ暑い時はシャツを出したいです。僕も2年のころ「暑いから」とか「みんなが出しているから」とかでだらしなくシャツを出していました。何であの時出していたんだろう?やっぱ自分の中で何か普通の人とはかけ離れた考えを持っていたんだろうと思います。本当に未熟でした。シャツを入れるというごく普通のことが今頃になって分かり何て低レベルな人間人だったんだ自分は、と反省しています。やっぱり身だしなみは大切茫と思います。だってそれだけでどんな人間かということを決めつけられるから、いくら暑くてもいくら自分でカッコイイと思っていても、周りの人の反応は一つ「だらしない」ということだけだし、僕も2年の時おばあちゃんに「だらしないから入れんさい」と言われたことを覚えています。あの時からちゃんと入れておけばよかったと後悔もありますが、今はちゃんと入れています。それどころかシャツを入れておいた方がピシツとしていてカッコイイなとも思いますし、部活の後輩がシャツを出していたら、「シャツを入れろよ」と口うるさくまでなってしまいました。でもいくら言っても入れない後輩もいます。自分も同じじ学年の頃出していたから大きいことは言えませんが、「わかってないなあ」と心の中で思っています。これからはできるだけ後輩にシャツを入れろと言うことを口を酸っぱくして言っていきたいと思っています。そしていつの日か、津高生全員がシャツをちゃんと入れている所を思い浮かべています。(3年1組6月13日学級日誌より

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死んだ犬を蹴る者はいない

 諺に「死んだ犬を蹴る者はいない」というのがあります。人は本当にダメな人に追い打ちをかけたりはしません。思わず蹴りそうになるのは、それが反感をかうほど素晴らしいからです。何か活動をしていると、非難されたり、誹謗中傷されることもあるけれど、それはその人がアクティブに活動しているからであって、何もせずにじっとしている人は、非難されたりすることはない、ということを言ったものです。このことは、D.カーネギー『道は開ける』にも取り上げられています。何かを為そうと考えれば、必ず周りからいろんなことを言われることもあります。中には足を引っ張る者や、裏に回って陰口をたたく者も現れます。私も体験したところです。でもそれは、自分がしっかりと活動していることの裏返しであって、何もしない人にはそんなことは起こるはずもありません。そしてそういう人は、何年経っても何も成し遂げることはないのです。

 蹴飛ばされたり、非難されたりしたとき、そのような行為によって、相手は優越感を味わおうとしている場合が少なくないことを覚えておきましょう。それはしばしば、あなたが何かの業績を上げており、他人から注目されていることを意味しているのです。世間には、自分たちより高い教育を受けた人間や成功した人々を悪しざまに言って、野蛮な満足感を味わっている連中が多数います。「死んだ犬を蹴飛ばす者はいない」とは、「重要でない人を非難する奴はいない」と言い換えてもよいと思います。非難、要するに嫉妬なんです。そもそも嫉妬って、自分が得ることができないものを、人が持っていたりすると起こる感情。人を非難することで、自分の得ることのできないものを、いらないものにすり替えていく。嫉妬して満足感を味わうより、憧れを抱くほうがいいんですが。

 不当な非難の原因は、

(1)相手が自分に嫉妬しているのかもしれません。
(2)相手が自分のことを何か誤解しているのかもしれません。
(3)相手には人を非難する悪いクセがあるのかもしれません。
(4)相手には自分が知らない何か深い事情があるのかもしれません。
(5)相手がその時たまたま機嫌が悪かっただけなのかもしれません。
(6)相手が自分のことを嫌いでおとしめようとしているのかもしれません。

これらは全て「相手の問題」です。自分に非がないのなら、「相手の問題」で振り回されることなく、受け流しておけばよいでしょう。

 私たちが不当な非難に悩みそうになったときのために、ぜひこれだけは覚えておきましょう。不当な非難は、しばしば擬装された賛辞であるということなのです。誹謗中傷されているのなら、あなたが輝いている証拠です。成功へ向けて生きている証拠です。周りがあなたの事を気になって仕方のない存在になっている証拠でしかありません。素敵な人である証拠なのです。「死んだ犬を蹴飛ばす者はいない」ことを思い出しましょう。少々の困難や障害や非難が発生しても、「そんなこともあるものだ」と受け流しておけばよいのです。繰り返します。不当な非難は、しばしば擬装された賛辞であることを忘れてはなりません。♥♥♥

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諦めない

▲「ホテル一畑」(松江)で初めて渡部先生にお会いしました

 学生時代に、故・渡部昇一先生のベストセラー『知的生活の方法』(講談社現代新書)に魅せられて以来の大ファンです。私の生き方を大きく変えることになった一冊と言えます。今でも、生徒たちにはこの本を勧めているんです。「ブックオフ」などで、この本が110円で売られているのを見ると、悲しくなります。私の人生を決めた本が110円かよ、という気持ちです〔笑〕。渡部先生は、「人生で一番大切なことは何か、一つあげよ」と、問われたら躊躇なく「できない理由を探すな!と言いたい」と断言しておられます。どんなに困難なことでも、努力を絶やさない人には、不思議なことに、天の一角から「助けのロープ」が下りてくるのです。私もそんな体験を何度もしました。次は「鉄砲打ちの名人」の話です。

 鉄砲撃ちの名人に、電線の上と地面にいる鳥とどちらが簡単に撃ち落とせるか?と聞いてみる。一見、地面にいる鳥のほうが撃つのはたやすそうである。しかし彼は、電線の上にいる鳥も地面にいる鳥も、撃つには同じくらいの労力と技量が要るというのである。難しさとしては大差なく、むしろ電線の上にいる鳥を撃つほうがかえって楽かもしれないということである。つまり、一見難しそうな目標をもっても、実はそこへの到達はそれほど困難というわけではなく、逆に簡単そうな道も楽々行けるわけではないということだ。どっちみち苦労はするのであるから、ならば目標は高く掲げたほうが良い、ということになる。

 「できない理由を探さずに、目標を高く掲げて、努力せよ」と、毎日生徒には話しています。興味のある人は、先生のベストセラー本『自分の壁を破る人破れない人』(知的生き方文庫)を読むといいでしょう。

 よく言われることですが、その道で一流になっている人は、必ずその人なりの「品格」や「風格」が顔や背中ににじみ出ているのものです。またそういう人は、人から厚く信頼され、盛り立てられ、人間的にも魅力が増し、さらにいい仕事、大きな仕事をしておられます。その様な人に共通していることが一つあります。それは、自分の手に負えそうにない壁にぶつかっても、決して諦めないことです。「簡単に物事を諦めない」のです。今は難しくてすぐ実現できなくても、「いつか必ず自分にはできる!」「やるための理由、手段」を掲げて努力を絶やさず、それがいつしか品格となって顔に現れたような人には、不思議なことに、天の一角から「助けのロープ」が下りてくるのです。

 人生でいちばん大事なことは何か?「できない(やらない)理由を探すことなく、志を保ち、自分で自分を尊敬できる人間になれ」これが、故・渡部昇一先生の考える「自分の品格」でした。「天からのロープ」を味方につけて頑張りたいものです。♥♥♥

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coin locker

 駅や街中にある「コインロッカー:coin locker」は、英語では通じない和製英語」だとされます。「コインロッカー」の正しい英語としては、luggage lockerscoin-operated lockersと表現するのが基本、と各書やネットに書いてあります。はたして、本当にそうでしょうか?

  I’ll put my backpack in a luggage locker. リュックをコインロッカーに預けます。

 ただし、luggage lockerscoin-operated lockersという表現は、日常使いするには長すぎるので、現実には、単にlockersと言う人の方が多いと思われます。

 しかし最近では、日本の「コインロッカー」が海外からの旅行者を中心に世界に広まり、coin lockersという名称も一般的に通じるようになってきているようで、電車案内のナビタイムの海外旅行者向けサイトでは、[How to use coin lockers in Japan]という記事があったりします。

 私たちの『ライトハウス英和辞典』(第6版、研究社)の編集顧問のジョン・アルジオ(John Algeo)博士に、このことをお尋ねすると、興味深い答えが返ってきましたので、ご紹介してみたいと思います。コインを入れて利用するロッカーを何と呼ぶか、ジョージア大学の周りの人たちに聞いてみたところ、返ってきた答えは、storage locker, locker, coin lockerだったと言います。誰一人としてcoin-operated lockerと言う人はいませんでした。もちろん可能な表現ではありますが、長すぎて使われることはまずないでしょう。アメリカの空港にあるロッカーは、全てlockerと呼ばれています。coin lockerは決して和製英語ではなく、一般の英語です。coin-operated lockerは長すぎるので、ほとんどのネイティブスピーカーは敬遠すると思いますが、ここに出た英語は全て可能な表現なんです。

 我が国の和製英語研究で、最も信頼できる研究書である、亀田尚己・青柳由紀江・J.M.クリスチャンセン『和製英語事典』(丸善出版、2014年)の正誤判定によれば、「○(通じる)△(通じる場合もある)」でした。以下はその記述です。

▲八幡が最高の評価をする和製英語研究書

「正しい表現はこのcoin-operated lockerですが、長過ぎるため単にlockerとだけいっています。また、最近ではこの和製英語が便利だということからcoin lokcerも使われます。」「そのままでも十分使われますし、まして日本にやってくるネイティブや外国人たちは日本には多く設置されているcoin lockerの便利さを前もってよく知っていますので、そのままでも十分に伝わります」「ネイティブによるワンポイント解説  大きなバゲージをいくつも持ってやってくる外国人旅行者にとって、大きなものから小さな物まで各種のサイズがそろっている日本のコインロッカーは本当に便利なものです。」(p.59)

 Just The Wordというコロケーションを調べる際に有益なwebサイト(⇒コチラです)でも、coin lockerというコロケーションは正しい英語と判定されています。松江北高のアメリカ人ALTも「何も問題ない正しい英語」だと言っています。

 これとよく似た経緯の英語が、「コインランドリー」(coin laundry)です。和製英語とされますが、誤りで正真正銘の英語です。このことは機会を改めて取り上げます。♥♥♥

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藤田 田復刊!

 アメリカから日本に初めてマクドナルドを持って来たのは、松江北高校の大先輩である藤田 田(ふじたでん)さんでした。そんな関係もあって、私は藤田さんのことを興味を持って調べているんです。⇒コチラです  そんな中、藤田さんがお亡くなりになってから15年が経とうとする時、『ユダヤの商法』『勝てば官軍』『頭のいい奴のマネをしよう』『金持ちだけが持つ超発想』『ビジネス脳のつくりかた』『クレージーな戦略論』、かつての名著6冊が、新装版として復刊(KKベストセラーズ)されました。ユダヤの商法』などは、出版当時超ベストセラーになった本ですが(累計105万部と増刷を重ねた空前のベストセラー本です)、もう手に入らなくなった最近では、古書市場で2万円もの値がついていました。上記の本は全て私も買って持っていましたが、復刊されたこともあり、もう一度丁寧に読み返してみようと思い、全冊購入しました。

▲再刊された藤田本

 ユダヤ商法には法則があり、その法則を支えているものは宇宙の大法則なのだと言います。人間がどうあがいても曲げることのできないのが宇宙の大法則であり、ユダヤ商法がその大法則に支えられている限り、彼らは決して損をしません。それはユダヤ5000年の歴史が証明している公理だと藤田さんは述べます。「78:22の宇宙法則」「女を狙え」「口を狙え」「今日のケンカは明日に持ち越さない」「不意の客は泥棒と思え」……ユダヤの商法』を開くと、Part1の項だけでも、ドギツイ見出しがずらーっと並んでいます。例えば、宇宙の大法則が支えているユダヤの商法の基礎となる「78対22の法則」。正方形の面積と100とすると、正方形に内接する円の面積は78.5。つまり正方形の残りの面積は約22。空気の成分も窒素78に対し、酸素22の割合です。また人体の組成も水分量とその他の物質が約78対22だとされます。売り上げの8割は2割の社員に依存するという「パレートの法則」も、この割合に近いものがありますね。儲けの法則も78対22だと、藤田さんはユダヤ人から教わります。金を貸したい人78に対し、借りたい人は22の割合で成り立っています。この78を相手に商売をすればよいのです。「ユダヤ商法に商品は二つしかない。それは女と口である」。「女と口を狙え」も、藤田さんの商法の根幹でした。「第一の商品」女性。女性相手に商売すれば必ず成功する。商品の選択からセールスまで「商才」を発揮して女性相手の商売はたやすいのです。そして「第二の商品」。口に入れるものを取り扱う商売は、必ずお金が入ってくるし、儲かる商売であるとします。なぜなら、口に入れられた“商品”は刻々と消費され、数時間後には次の“商品”が必要になってくるからです。こんな調子で本は進んでいきます。

 しかし、なぜ今このタイミングで藤田さんの著作が復刊されることになったのでしょうか?KKベストセラーズ書籍編集部で復刊プロジェクトチームの統括にあたった山崎 実さんは、こう語っておられました。


 「いまの時代は中小・大企業問わず『正社員としての終身雇用』が難しい時代で、特に就職氷河期の40代以下の若者は、自分の力で厳しいビジネス社会や人生を切り開いていかなければなりません。もちろん藤田さんが活躍された時代に比べれば、いまはモノが豊かにあって新しいビジネスのアイデアを持った賢い人たちもたくさんいますが、藤田さんのように常識を打ち破り、素早く行動に移すことのできる“突破力”を持ち合わせる人はそう多くありません。新しいビジネスで世界を変えたいとか、お金持ちへの夢を貪欲に描いている人は、藤田さんの著書の中から必ず“成功のヒント”を見つけ出せると思います。露悪的な表現も多々ありますが、藤田さんには大阪生まれのユーモアや人情味もありました。その愛情溢れる言葉やノウハウの数々は、現代のビジネスマンや起業を志す若者の心にもきっと刺さると信じています」(山崎氏)


 藤田さんが2004年4月にお亡くなりになって、今年でちょうど18年になります。日本最大の外食チェーンと、巨万の富を築いた伝説の経営者の“金儲け術”に心酔して、第二の藤田 田さんの出現が待たれます。

 ソフトバンクを創業し巨万の富を築いた、孫 正義(そんまさよし)さん。その資産は2兆円を超すと言われる、誰もがうらやむ日本を代表する経営者です。その孫氏に大きな影響を与えたとされるのが藤田 田さんです。氏は高校時代、藤田田の著書『ユダヤの商法』を読んで感動して、著者に会いたいという気持ちが湧きます。高校生だった孫少年は、何度も断られながらも、執念深く連絡を続け、強引に面会の機会をとりつけます。今回KKベストセラーズが復刊した『勝てば官軍』の中で、当時のやりとりが、藤田さんの言葉で語られています。


 九州から16歳の少年がわたしに会いたいと上京してきた。わたしは、忙しくて時間がないと断ったのだが、彼は一週間、毎日会社を訪ねてきた。その熱意にほだされてわたしは彼に会った。彼は、「わたしは九州鳥栖の出身で、これからアメリカに行って勉強したいのですが、なにを勉強したらいいでしょうか。自動車とか飛行機とか石油とか、学びたいことはいろいろあるのですが」といった。わたしは「今はこの部屋くらい大きなコンピュータを使っているが、遠からずハンディなものになるだろう。アメリカに行って勉強するならコンピュータしかない。コンピュータだけ勉強してらっしゃい」とアドバイスした。「わかりました」といって少年は、アメリカでコンピュータを勉強して帰国、日本ソフトバンクという会社を創った。ソフトバンクは94年に上場して50円の株が一挙に1万9,000~2万円になるほど急成長した。少年の名は孫正義―といえば、「ああ、あのひとか」と思い当たることだろう。(『新装版 勝てば官軍』より)


 「コンピュータだけ勉強してらっしゃい」 決定的な言葉が、高校生だった少年に突き刺さりました。さんはその後カリフォルニア大学で、ネットワークコンピューティングに触れます。それが“原体験”であると、YAHOO JAPANでのインタビューでも語っています。藤田さんのアドバイスこそが“原体験”を生んだのでした。帰国するや、1981年コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を設立、日本ソフトバンク創業につなげていきます。その後の大活躍は誰もが知る所ですが、さんは一貫して“コンピュータ”、そして“テクノロジー”の未来を信じて事業を進めました。「ヤフー株式会社」を設立し、日本人にコンピュータでのネットサーフィンの習慣を植え付けたのです。「ボーダフォン」を買収して、携帯電話事業に乗り出してからは「iPhone」を初めて日本に持ち込み、“小さなコンピュータ”を爆発的に普及させました。数々の事業での成功。日本人の行動習慣を変えたインパクトは、すさまじいものがあります。そのすべてのきっかけとなったのは、1974年に藤田 田さんにかけた言葉だったのではないでしょうか。

 そんな一冊、『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ)は、1972年(昭和47年)5月が初版です。創業者で担当編集者だった岩瀬順三さんが、1986年(昭和61年)に亡くなってからは、版を重ねることなく、「古本」市場で2万円近くの高値で取引をされるほどになっていました。ゆえに「幻のベストセラー」と言われ、復刊待望リクエストを多くの読者からいただいていた本です。初版1万2,000部。ネットを中心に「あのユダヤが復刊!」の噂がまたたく間に口コミで広がり、果たして発売解禁後に、アマゾンでは在庫3,000部部が一瞬でなくなり、総合1位となるとともに、リアル書店でも大都市部での売り上げがうなぎ登り、即日「重版決定」となったものです。それにしても、「昭和」に活躍した藤田さんの『ユダヤの商法』が、この「令和」の時代に、なぜこれほど売れているのでしょうか?いくつかの理由があるように思われます。

1.『ユダヤの商法』がすでに「伝説」だった!

 若い頃に、『ユダヤの商法』を経営の「バイブル」として読み、大きな影響を受けた経営者が多かったことが第一の理由です。特に、「ソフトバンク」創業者の孫正義さん、「ユニクロ」の柳井正さんなど、日本を代表する経営者が本書を若い時に読み、影響を受けたことを本人たちが告白しているのが大きいと思われます。『ユダヤの商法』に感化された当時、17歳の孫さんは、藤田さんに何度も面会を求め、断られながらも15分ほど面談したという「武勇伝」も残されています。そうした「伝説的名著」として噂が立っていたことが、追い風になっているのは間違いないと思われます。それはつまり、藤田さんの「言葉」が、“現役”の経営者の血肉として今なお「生きている」証拠でもあり、それが「口コミ」によって、特にウェブ上で広がったせいなのでしょう。

2.読んだ後、「元気が出る」「ワクワクする」

 『ユダヤの商法』の最大の魅力は、やはり、その「中身」にあることは紛れもない事実だと思われます。本書は、藤田さんが敗戦後、東大生の頃にバイトしたGHQで、進駐軍のユダヤ人下士官から「お金」に対する知恵を学んだ、どこまでも「藤田田の商売道」なのです。「商売人がやらなければならないことが全て書いてある」という「商法」に対する評価と、読んだ後に「元気が出る」、「ワクワク」するなど、読者を「何らかの行動」に誘う内容になっていることが、受けている理由ではないかと思われます。あのさん、柳井さんを「ワクワク」「ゾクゾク」させた本ですから、当然といえば当然のことなのですが。

3.商法の原理原則「仕事×時間=巨大な力」

 藤田さんの本は、今では「時代錯誤」なものも3分の1くらいはありますが、残る「3分の2」は未だに誰もが応用することのできるアイデアです。一言で言えば、「実行(仕事)し続ければいい」のです。別の言い方をすると、本人の努力次第、「継続する克己心」で何とかなるお話ばかり。で、それを「遵守」すれば、おおよそ成功できるような原理原則なのです。

 藤田さんの「商法」の原理原則の第一は、たった一つの方程式、「仕事×時間=巨大な力」に尽きると思われます。自身が40年間続けた10万円貯金(複利で2億円超!)も、1兆7千億円の資産も、藤田さんの「仕事×時間」、すなわち努力の延長上にあります。「女と口を狙え!」「金持ちから流行らせろ!」「必ずメモを取れ」などのアジテーションは、「地味な努力」を背景とした「金言」です。藤田さんの偽悪的で、露悪的な言葉の端々には、こうした「努力」が見え隠れするのです。誰もが「やれば出来る」のだけれど、なかなか「やれない」97個の成功法則が、常に開かれて「ある」ことが、本書の要諦なのでしょう。それを、やり通した人が、さんや柳井さんのような大経営者になれることを担保されている「約束の書」、そんなイメージが、この本にはあるように思われます。

4.仲間の戦死・敗戦・貧困ゆえの「人生カネやでーッ!」

 本書のタテ糸が「金儲けの法則」なのはもちろんですが、ヨコ糸としてあるのが、人生の痛みを盛り込んだ「義理人情の経営」です。本書が復刊を待たれた理由は、実はここにあるのではないかと思われます。「勝てば官軍」と徹底的に合理的な経営を行う藤田さんを動かすのは、実は極めて非合理な「人情」だと思えてくるのです。藤田さんは1926(大正15)年生まれ。最後の「大正世代」です。「7人に1人」が「戦死」した日本史上例を見ない世代。「ハンバーガーを和食にした」藤田さんの背景に、こうした敗戦、アメリカへの劣等感があることが、本書を読む読者に一種の「共感」を与えていると思います。たとえば、本書に登場するケネディ米大統領への直訴状のくだりは、自分の旧制松江高校時代の仲間が神風特攻隊で散華した話を盛り込み、「アメリカ悪徳商人」に対する日本人の真心が込められています。さらに、敗戦の原因、「持たざる国」の貧困と真摯に向き合った面も垣間見えます。

 藤田さんは、あるインタビューの中でこう語っています。♥♥♥


 「私はやはり、第二次世界大戦に日本が負けたというのは、米国の物量というかな。米国の経済力に負けたと。だからこれからは、やはり金が無かったら勝てないと。日本の精神、竹槍で米国に挑戦したって勝てないんでね。やはり経済力であり、物量であり、お金の力が無かったら勝てないと。「人生は金や」と。で、金も無いのに、いろんな事業を興すとか救国済民で、いろんな人を助けるとか、生意気なことを言ったって、金がなきゃ救国済民もならんですよね」  (1993年藤田田インタビュー録音記録 中村芳平取材)


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「ふくや」の明太子

◎週末はグルメ情報!!今週は明太子

 このうだるような暑さが続く中、白いご飯に「明太子」をかけて食べると、なぜかご飯が進むんですね。私はもう長年、「明太子」のお店は、博多の「ふくや」と決めています。昭和23年10月5日、福岡県・博多の中洲の一角に小さな食料品店が生まれました。店主は川原俊夫(かわはらとしお)。妻・千鶴子(ちずこ)と共に始めたこのちっぽけなお店が、今の「ふくや」の歴史の第一歩でした。1949年(昭和24年)1月10日、前年の「ふくや」の創業以来、研究を重ねてきた「明太子」を初めて店頭に並べ、福岡名産「からし明太子」が誕生したのです。「明太子」助宗鱈(介党鱈)の卵(鱈子)の塩辛で、元々は朝鮮半島に伝わる家庭の惣菜「明卵漬」(ミョンランジョ、たらこのキムチ漬け)を改良に改良を重ね日本風にアレンジしたもので、「味の明太子」と命名しました。これが日本初の「明太子」です。そういうわけで、この1月10日が「明太子の日」とされているのです。これを日本人の口に合うように味付けして、今までに誰も食べたことのない新しい味「からし明太子」が作り上げられ、その後、10年あまりの年月を経て、納得の味を完成させました。ここで、川原さんはこれを商標登録もせず、製造法特許も取得せずに、これから「明太子」を作ろうという地元の同業者へ、惜しげもなく製造方法を公開し、教え広めたため、様々な風味の「明太子」が生み出され、博多の名物として定着するきっかけとなったのです。現在、福岡でさまざまな形で展開して、全国のみなさんに親しまれているあの「明太子」の味は、この川原さんの情熱と熱い想いが原点となったものです。もう長年のお付き合いで、いつも福岡から送ってもらっています。今日も明太子で朝ご飯です。♥♥♥

▲博多の「ふくや」

 「明太子」の語源は、韓国語で明太(ミョンテ)がスケトウダラ。それで当時の日本人がタラコは明太の卵だからと、『子』をつけて、「明太子」という造語を作ったようです。味付きのタラコということで、『味の明太子』と呼びました。昭和24年1月10日から『味の明太子』を販売しましたが、当初はなかなか売れませんでした。調味液に隠し味を加えたり、唐辛子のブレンドを変えたりと、味の試行錯誤を繰り返し、ようやく売れるようになったのは、発売から10年後でした。そして今の人気にいたります。♥♥♥

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智恵の輪灯籠

 天橋立の名所・智恩寺(ちおんじ)のすぐそば、運河沿いに立つ灯籠が「智恵の輪灯籠」です。かわいらしい丸い形のユニークな形の灯籠で、江戸時代には、輪の中に明かりがともされ、闇を照らし文珠水道(天橋立水路)を行き来する船の標になっていたと言われています。上部が輪になっており、キーホルダーあるいは鍵を逆様にしたような形の石灯籠です。天橋立の伝説に出てくる龍神を呼び寄せるため、明かりを灯していたとも言われています。撮影スポットとしても人気の場所です。

 石造りの輪の石塔で「智恵の輪石灯籠」と呼ばれ、船の安全に備えたものなんですが、いつしかこの知恵の輪をくぐると文殊様の知恵を授かるご利益があると言われるようになったそうです。古くからの言い伝えで、この石の輪を3回くぐれば、文殊様の知恵を授かる、と言われているんです。言い伝えは「くぐる」なんですが、実際には、とてもくぐれませんね。というのも、石灯籠は約2.5メートルの高さがあり輪の部分も結構高い位置にあるんです。成人男性なら頑張れってよじ登ってくぐれるかもしれませんが、そんな事をした時には回りの人の冷ややかな視線と、地元の方が注意しに飛んで駆けつけることでしょう。ではどうしたら良いのか?頭だけを、輪に入れたり出したり3回すればいいのです〔笑〕。今では海に落ちないように、灯籠を時計回りに一回回れば賢くなるそうですよ。

 作られた時期は不明ですが、1726年刊行の「丹後興佐海名勝略記」巻頭を飾る「丹後興佐海天橋立之図」中、「天橋立之智恩寺」海岸に、すでにこの輪灯籠が見られます。知恵の神様の文殊菩薩を祀っている智恩寺。その智恩寺から観光船乗場のある天橋立桟橋に向かうと、乗り場付近にこの灯籠があります。

 この後、私は、天橋立桟橋から観光船で対岸に渡りましたが、渡った先の一宮桟橋にも「智恵の輪灯籠」がありました。

 傘松公園「天橋立」股のぞきで見学した後で(⇒私の紹介はコチラ)、歩いてJR天橋立駅に帰ってくると、駅の横にもこの灯籠がありました。掲示によれば、「智恵の輪  この石造りの輪を「智恵の輪」と言います。この「智恵の輪」は天橋立の水道「九世の渡」を通る船の安全を守る輪灯籠として人々に親しまれ智恵の文殊様の境内にあるところから、この輪をくぐり抜けると智恵を授かると言い伝えられています。」とありました。♥♥♥

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ディズニーシー「エレクトリックレイルウェイ」

  「東京ディズニーシー」「エレクトリックレイルウェイ」(定員42名)は、増え続ける路面電車と自家用車による交通渋滞を解消するために、20世紀初頭のニューヨークに登場したトローリー式の高架鉄道で、赤い車体に大きなアーチ形の窓が並びます。どこかしらレトロな雰囲気を感じさせる、2両編成の電動式トロリ-電車です。高い場所からのニューヨークの街並みと海の眺望を楽しみながら、「アメリカンウォーターフロント駅」(20世紀初頭のアメリカが設定のエリア)から「ポートディスカバリー駅」(100年前の人が想像した未来の港が設定のエリア)までの、時速15キロの鉄道の旅(2分30秒)を堪能します。ノスタルジックな2両編成の赤い車両が運行されています。小型蒸気船「トランジットスチーマーライン」と同じく、広いパーク内の移動手段としても大活躍していますよ。波が穏やかな未来のマリーナの風景や、大都市ニューヨークの街並みを眼下に見ながらノスタルジックな鉄道の旅を楽しむことにしましょう。

 線路は複線ですが、駅の構内では単線となっているため、運行車両数が多い場合や、車両同士の間隔が短い場合には、駅構内に車両が停まっているにもかかわらず、次の車両が来るときがあります。その時は駅の直前の複線から単線になる部分で一時停止し、駅から出発する車両とすれ違うようになっています。エレクトリックレイルウェイには、実は時刻表がありません。一方の駅を出発してもう一方の駅に到着したら、すぐに次のお客さんを乗せて出発するということを繰り返しているんです。電車と言いながら、線路の上には電線もなければ、車両の屋根にパンタグラフもありません。「第三軌条方式」といって、線路と並行に敷設された第三のレールに電流を流し、そこから電力を取り込んでいるのです。*

 乗り場の待ち列の両端の壁には、ポートディスカバリー」をイメージしたような絵が描かれているが、ここにはたくさんの「隠れミッキー」ががあり、それを探すのもゲストの楽しみの一つとなっています。

 赤を基調とし、屋根と裾は青という、2色に塗られた車体はノスタルジックな雰囲気を醸し出していますね。前面と乗降用の扉には“Electric Railway(エレクトリックレールウェイ)”の略である「ER」という文字が書かれたロゴが見られます。2両編成の電車が4本(車両番号は5591+1111、1022+2842、1783+5593、0214+4824)用意されています。列車の発車は、車内の運転台ではなく、駅のプラットホーム中央の操作盤にある緑色の発車ボタンで行われます。運転台の上の屋根には小さな鐘が設置され、乗務するキャストが発車時に紐を引いて2回鳴らします。前照灯は運転台下中央に1個。その両脇にカンテラ型の標識灯があります。1両につき乗降用扉は両側に前後2箇所ずつあり、乗客の乗車は連結面側扉、降車は運転台側扉と開業時から定義されています。

 「ディズニーシー・エレクトリックレールウェイ」の座席は、左右の窓側を向いて設置されていて、横長のベンチタイプになっています。左右どちらに座るかで、車窓から広がる景色(山側・海側)が全然違ってきます。ゲストは大きな車窓からの景色を、おもいっきり楽しむことができます。座っている人たちは、みな背中合わせに座るのです。S.S.コロンビア号もきれいに見ることができますよ。

 ポートディスカバリー駅の両側の壁には、100年前の人がイメージした未来の港の絵が大きく描かれています。その絵には、たくさんの隠れミッキーが!なんと、ポートディスカバリー駅だけで、10数個あると言われています。とってもレアな横顔のミッキーなどいろんな形のミッキーが隠れているので、スタンバイで並んでいる時に、ぜひみなさんで探して見つけてみてくださいね

 車体には、0214-4824とそれぞれ4けたの番号が書かれています。何か意味があるのかな?4けたも車両があるのかな?と思っていたのですが、実は最後の1けたが編成番号を表しているんです!エレクトリックレールウェイ」は全部で4編成あります。0214-4824で言えば、最後の1けたは「4」なので、「4」号編成という事になります。もちろん、最後の1けたが1~3の車体番号もありますよ。♥♥♥

*【追記】 私は英語の教師ですので、上で述べた「第三軌条」(the third rail)について考えておきたいと思います。英語のa[the] third railという表現には、「(電車に給電する高圧の)第三軌条」という意味の他に、比喩的に「扱いにくい[危険な]問題[話題]」という意味があります(安藤貞雄(編)『三省堂英語イディオム・句動詞大辞典』(三省堂、2011年))。

  Medicare has become the third rail of politics. 老人医療保険は政界のデリケートな問題になった。

 時として、政治生命に関わるほどの非常に論争的な問題を指すこともあります。起源は、第三のレールには高圧の電流が流れており、触れると感電死してしまいます。触れれば政治生命が終わってしまいかねない問題のことを、比喩的にthe third railと言うようです。東京ディズニーシーのエレクトリックレールウェイの線路では、第三のレールの上に、絶縁体の薄い緑色のカバーが取り付けられています。メンテナンスや緊急退避の際には、第三のレールの電流を切る安全措置が講じられると聞きました。

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渡部昇一先生のエピソード(16)~夫婦円満

 故・渡部昇一先生は、冠婚葬祭には、原則としてごく親しい家の場合のみに出ることに決めておられました。というのは、自分の子どもの結婚式などがあると、呼ばれた時は行かないのに、自分の時だけは来てもらいたい、では収まらないからです。学生の場合は、出席していたらきりがないので、仲人を頼まれた時だけは出る、ということを原則としてこられました。十何組もやられましたが、幸いに壊れたカップルは一組もなく、子どもが生まれなかった夫婦もありませんでした。

 その教え子の披露宴の席で、渡部先生は、自分の結婚式の時に恩師の先生が言ってくれた言葉を贈られます。すなわち、「うちの夫婦の真似をしろ、俺もわがまま、女房もわがまま、それでもいまだにもっているのはなぜか?」というスピーチをされます。そして続けて、「私の結婚式の時に国文学の先生が言ってくれた、一番いいスピーチを君たちにも伝えよう。結婚する以上、ご両人とも単に好きだと言うだけではなく、相当に相手のことを調べるでしょう。ご両親から大切に育てられ、友達からは信頼されているご両人が、悪い人間であるわけがありません。ところが、結婚すると、けっこう喧嘩になるものです。その時、相手の人格を批判してはいけません。というのは、結婚する前に立派な人間だとお互いに確認し合ったわけでしょう。どちらも良い子と良い娘だったのです。ですから喧嘩になった理由は、自分でもない、相手でもない、ちょうど2人の真ん中へんが悪いのだと思いなさい。つまり中(仲)が悪いのです。だからその中をよくしなさい。仲よくしなさい。私は女房としょっちゅう喧嘩しているけれど、女房の人格までは立ち入らないし、向こうも立ち入ってこない。だからしょっちゅう喧嘩するのは中が悪い、仲を調停しなさい。」と、一席ぶたれるのでした。

 「相手の人格に立ち入ることはしない。中を取り持て」という教えです。実に参考になりますね。客観的に言えば、結婚前、相手にもちゃんと友達や家族がいて、その人たちに好かれて、人気もあって一人前にちゃんとやっていた。もちろん自分もそうであった。それなのにそんな二人がいがみ合っているとする。お互いにそう悪い人間であるはずがないのに、うまくいかないのはどうしてか?それは“中(=仲)”が悪いのだ。これはいいえて妙なたとえです。“なか”が悪いのである、そこを調整すればいい、相手を責めないで中を考えろという訳ですね。

 このことは、職場などでもあてはまる教訓かもしれません。嫌いな人間がいても、その人はその人なりに仕事はきちんとできて、彼なりの友人もいる、それで自分とそりが合わないのは、相手が悪いわけでも自分が悪いのでもない、“なか”が悪いのだ、と悟れば、調整のしようがあろうというものです。

 よく「性格の不一致」で離婚などいうことがあります。しかし性格が一致するなどということは実際にはあり得ないのでは、と渡部先生はおっしゃいます。ましてや結婚したばかりの時は、みんな性格は不一致です。渡部先生の場合も、奥様とは性格が非常に違っておられます。しかし何十年も安定して生活してこられたのは、お互いに別れないという点に関して、強い意志を持っているからだと言われます。この根底のところで意思が一致さえしていれば、「性格の不一致」ということ自体が、逆にいいバランスをとってくれるものです。もし完全に夫婦の性格が一致しているということであったら、夫の欠点はそのまま妻の欠点ということになって、夫婦がそれぞれの足りない部分を補って、助け合っていくという美点がなくなってしまうことでしょう。

 思想信条や知的レベルや支払い能力に差があり過ぎると、老いての友情は維持し難いというのが渡部先生のお考えでした。「夫婦もそう。うちは家内と毎日夕食だけ一緒にとる、定年後奥さんとギクシャクする人は会い過ぎなんです〔笑〕。お互い寝る時間も別々ですし、僕は年を取っても朝起きるのがツライくらいの生活がいいと思う。毎日晩酌を楽しむも結構、ただそれでは満足できない人間もいて、ふと気づくと午前3時4時まで本を読み耽っている夜更かし老人も、悪くないものです〔笑〕。」♥♥♥

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▲故・稲盛和夫さん

 京セラ」を一代で世界的企業に育て上げ、経営破綻した日本航空も再建した、京セラ名誉会長の稲盛和夫(いなもり・かずお)さんが8月24日、老衰のため京都市内の自宅でお亡くなりになりました。90歳でした。私は教員成り立ての若い頃に、稲盛さんの著書を読み、衝撃を受けました。以来、ずっと稲盛さんの哲学を追いかけてきました。心からの感謝の気持ちを込めて、今日はちょっと詳しく稲盛さんの一生を振り返ってみたいと思います。

 鹿児島県出身で実家は印刷業。幼少時代は遊びに夢中なガキ大将でした。家族の生活は困窮を極めていたために、参考書も買えず図書館でひたすら勉強しました。空襲で財産を失い、父が作っていた紙袋の行商を手伝います。名門の旧制鹿児島中学の受験には二度失敗し、大阪大学医学部薬学科の受験にも失敗。初期の肺結核にもかかるなど、青年期は苦難・挫折の連続でした。稲盛さんは地元の鹿児島大卒業後、教授の紹介により1955年、京都の絶縁磁器部品の松風興業に就職します。希望とは違った高圧線の碍子をを作る小さな焼き物メーカーの会社でした(本命は帝国石油)。代表的な電子部品の材料であるセラミックの技術者となります。すぐに頭角を現しますが、上司と衝突し、1959年に27歳で京都セラミック(現京セラ)」(資本金300万円)を創業しました。仲間とたった8人でのスタートでしたが、セラミックを用いた電子部品で業績を伸ばし、本格的な成長軌道に乗り、一代で売上高1兆円超、グループ従業員約8万3,000人の世界的メーカーへ育て上げました。その経営手腕は松下幸之助さん、本田宗一郎さん、盛田昭夫さんらに勝るとも劣りません。経営の代名詞は「アメーバ経営」。会社の組織を小さな集団(アメーバ)に分け、部門ごとの採算性を高めるというものでした。京セラは創業以来、今に至るまで赤字のない超優良企業となりました。「ベンチャーの神様」「現代の松下幸之助」とうたわれる所以です。

 時代を見る眼力が発揮されたのは、情報通信分野への参入でした。無謀と言われながらも、日本電信電話公社(現NTT)が独占する通信業界への新規参入で、電話料金が安くなり、国民のためになると決断しました。「当時の日本の通信料金は世界的に見てもあまりに高く、国民に多大な負荷を与えているばかりか、日本の健全な経済発展を妨げていると不満を抱いていた」と述懐されます。ソニーや三菱商事から出資を取り付けたものの、発足した第二電電企画の社員はわずか20人。30万人以上の職員を擁するNTTに真正面から立ち向かい、NTTの独占状態に風穴をあける突破口となりました。稲盛さんは設立の決断については、「動機善なりや、私心なかりしか(動機は善か、私心はないか)」と自問自答を繰り返す毎晩だったといいます「国民のために長距離電話料金を少しでも安くしよう」とのスローガンの下、圧倒的な力を誇るNTTに果敢に挑んだ「稲盛イズム」が、国内通信業界の独占状態に風穴をあけたのです。

 「人として何が正しいのか」という根源的な問いに向き合い、生まれたのが経営哲学「京セラフィロソフィ」です。これには「全社員の物心両面の幸福を追求する」という経営理念が盛り込まれています。「人間として何が正しいか」を判断基準に、人として当然持つべき根源的な倫理観や道徳観、それに社会的規範にしたがって誰に対しても恥じることのない公明正大な経営や組織運営を行っていく重要性を説いたものです。2010年に政府の強い要請で、2兆円以上の巨額の債務を抱えて経営破綻した日航の会長を無給で引き受けた際にも(二回断り、三回目でとうとう引き受けた)、この哲学を貫きました。「マニュアル一辺倒でサービスが悪く、乗りたくない」と漏らす程の日航嫌いだった稲盛さんですが、更生に失敗すれば、日本経済に悪影響を及ぼす、全日空」との競争体制を維持しないと独占になってしまう、と考えました。「アメーバ経営」を移植し、不採算路線の撤退に加え、パイロットに配る弁当の内容にまで目を光らせました。約1万6,000人に上る人員削減も実施。日航の業績は急回復し、わずか2年8カ月で、東京証券取引所第1部への再上場にこぎつけました。

 スポーツ界の発展にも尽力しています。1994年に自ら会長となり京都パープルサンガ(現京都サンガFC)の運営会社を発足。著書『成功への情熱』は大リーグ、エンゼルスの大谷翔平投手(28歳)の愛読書としても有名ですね。200億円の私財を投じ創設した「京都賞」は、日本版ノーベル賞として定着しました(あのiPS細胞の山中伸弥先生、本庶佑先生「京都賞」受賞後にノーベル賞に輝きました)。

▲この機関誌を毎号岡山まで買いに行っていました

 「経営の神様」と称され、若手経営者向け勉強会「盛和塾」稲盛さんから直接学びたいと1983年にできた自主的な勉強会「盛友塾」に端を発する)には、国内外から約1万5,000人の塾生が参加しました。2019年に稲盛さんが高齢のために解散するまで、稲盛さんの経営哲学は世界に広がっていきました。次は稲盛さんの解散の言葉です。

 当初から、盛和塾は私一代限りにしようと言っておりましたが、何度も何度も考えた結果、この盛和塾は一代限りで終わらせるのが一番良いと判断いたしました。その理由として、組織を残すことになれば、いつかはこの組織を悪用したり、またこの組織の名前を汚したりする人間が出てくる可能性が考えられるということです。私の代わりに、誰かが「フィロソフィ」を解説しても、もうそれは稲盛哲学ではありません。語る人の考えが投影されてしまうからです。盛和塾が発足してから、私自身も研鑽を積み、京セラやKDDIを大きく発展させていくことができました。また、盛和塾の多くの方に助けられ、JALの再生を成し遂げることができました。盛和塾で私も多くの学びと勇気をいただいた事に、深く、深く感謝を申し上げます。是非、今まで学ばれた事を実践し、社員の方々を幸せにし、社会のために尽くされます事を切に望みます。皆さんが利他の心をもって、世のため人のために貢献されますことを祈っております。

 あの日本嫌いで有名な中国メディアでも、稲盛さんの死去を、相次いで速報しました。稲盛さんは中国でも著書が翻訳され知名度が高いのです。インターネット上には追悼の声が相次ぎ、短文投稿サイト、微博(ウェイボ)では関連情報の検索が、一時ランキング首位となりました。「偉大な経営者」「尊敬すべき日本人」「人生哲学も学んだ」などと称え、追悼する声が相次ぎました。通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)創業者の任正非氏や、電子商取引(EC)最大手、アリババグループ創業者の馬雲氏も、稲盛さんの経営哲学に学んだとされます。令和2年10月には著書の発行部数が国内外で2千万部を超えています。

 私は今まで稲盛さんの言葉から、数々の教訓を頂いていますが、その中でも一番大きなものが「人生の方程式」でしょう。稲盛さんは、「人生成功の方程式」というのを提唱しておられて、それは

(人生・仕事の結果)=(考え方)×(熱意)×(能力) 

というものです。私が教室でよく紹介する方程式です。掛け算であるところと、「考え方」が一番前に来ているところに注目しましょう。能力)は0点から100点まで(熱意)も0点から100点まで、(考え方)だけはマイナス100点からプラス100点まであります。(考え方)はその人の魂から発するもので、生きる姿勢ともいうべきもので、人間として正しい生き方がどうかが問われるのです。私利私欲に走る人が失敗するのは、ここに原因があると言えるでしょう。これは、教育の世界でも通用する方程式だと思っています。たとえ能力が劣っていても、熱意があればカバーできるのです。しかし「考え方」が正しくなければ、決して良い結果は得られません。むしろ能力、熱意があるだけに、社会には大きな害になると説きました。それほどまでに、心の姿勢を重視したのが稲盛さんでした。そんな稲盛さんの「考え方」で最も重要なものは、「利他の心」だと感じています。人のために自分に何が出来るかと自問してみる。見返りを求めない利他の心」、私が共感するところです。「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」(稲盛和夫) 私の人生哲学は「give and give」ですが、give and takeではなく、give and give」の精神で物事にあたっていると、必ずどこかで自分に返ってくるみたいですよ。私の好きな話を再録しますね。

 子猫が自分のしっぽをつかまえようとしているのを見て、大きな猫がこう尋ねた。「どうして自分のしっぽをつかまえようとするの」子猫が答えた。「猫にとって一番大事なのは幸せで、その幸せは僕のしっぽだってことがわかったんだ。だからつかまえようとしているの。しっぽをつかまえたら、きっと幸せになれるんだ」 するとその年取った猫が言った。「坊や、私もそういうことに関心を持ったときがあった。私も幸せは自分のしっぽにあると考えた。けれど、気がついたんだよ。しっぽは追いかけると決まって逃げていく。でも、自分の仕事に精を出していると、しっぽは私がどこへ行っても必ずついてくるみたいだよ」 (ウェイン・ダイアー博士)

 稲盛さんは1997年に禅寺で得度を受けています。得度を受けた後に修行道場に入門。真冬に托鉢も経験しています。「日本経済新聞」に連載された「私の履歴書」(2001年3月)で、当時の様子を語っておられました。

 戸口で四弘誓願文というお経をあげ、お布施をもらう。慣れない托鉢を続けていると、わらじの先からはみだした指が地面にすれて血がにじんでくる。道の落ち葉を掃除していた年配のご婦人が寄ってきて、『大変でしょう。これでパンでも食べて下さい』と百円玉を恵んでくれた。それを受けた時、私はなぜか例えようのない至福の感に満たされ、涙が出てきそうになった。全身を貫くような幸福感、これこそ神仏の愛と感動した。私は『世のため人のため尽くすことが、人間としての最高の行為である』と言い続けてきた。善きことを実践すれば良き結果を招く。悪いことをすれば悪い結果を招来する。

 稲盛さんはこう断言します。「利己、己の利するために、利益を追求することから離れて、利他、他人をよくしてあげようという優しい思いやりをベースにして経営していきますと、会社は本当によくなります」

 「企業経営者でも政治家でも官僚でも、偉くなればなるほど、率先して自己犠牲を払うべきなのです。自分が最も損を引き受けるというような勇気がなければ、人の上に立つ資格そのものがないといえます」と断言される稲盛さんは、高級料亭などは好きではなく、好きな食べ物が「牛丼」といたって庶民的です。心からご冥福をお祈りします。♥♥♥

投稿日: 作成者: teamhacchan | コメントをどうぞ