run in the family

 2009年のセンター本試験の筆記の第2問Aの問10に、次のような選択問題が出題されました。正答率は滅茶苦茶低く、先生方の中にもご存じない方も結構おられました。

問10  “You never seem to gain weight! How do you stay so slim?”
“Just lucky, I guess. It (     ) in the family.”
comes   ② goes   ③ runs   ④ works

(訳)「あなたは全然太らないようですね。どうやってそんなにほっそりした体型を維持しているのですか?」―「たぶん、運がいいだけでしょう。家系がそうなんです」

 私は学生時代にアメリカの“Ann Landers”の悩み相談コラムを毎日読んでいて、しょっちゅうこの表現を見ていました。もちろん、③のrunsが正解です。run in the family は、文字どおりには「家族の中を走る」ですが、ここでの run は「走る」ではなく、「(特徴・性質などが)ある範囲に広がっている、代々続いている」という意味です。「家族の中を走る」→「家族に共通している」という風に考えると分かりやすいでしょう。たとえば、Diabetes runs in my family.(糖尿病は私の家系にあります)という言い方をします。ここで run は、血液や水などが「流れる」というイメージに近いものです。

Water runs through the pipe.→ 水がパイプの中を流れる

A river runs through the valley.→ 川が谷を流れている

This trait runs in the family.→ この特徴が家族の中に受け継がれている

つまり、ある性質が家系の中を「流れるように」代々伝わっているというイメージです。

 重要なのは、run in the family は必ずしも「遺伝する」という意味だけではないことです。たとえば、Musical talent runs in the family.(音楽の才能はその家系に受け継がれている)。これは遺伝的な才能とも考えられますが、親が音楽好きで子供も音楽を習う、という環境による継承の場合にも使えます。同様に、

A bad temper runs in the family.→短気なのはあの家系の特徴だ。

などとも言えます。したがって、日本語では文脈に応じて、次のように訳し分けるのが自然です。

run in the family
→「家系に代々見られる」
→「家族に共通している」
→「家系的に受け継がれている」
→「遺伝する」

 英語では昔から、血・性質・特徴などが人から人へ「流れる」という発想があります。そのため、It runs in his blood.それは彼の血に流れている)という表現もあります。また、It runs in the family.なら、

「それは家族の中を流れている」
→「その家系に代々見られる」
→「遺伝的に受け継がれている」

という意味になった、と考えると非常に分かりやすいでしょう。ちなみに run in the family は現在でもごく普通に使われる表現です。古臭いイディオムではありません。

 なお、run in the familybe hereditary(遺伝性である)には微妙な違いがあるので、そこも比較すると英語の感覚がよく分かります。run in the family は、基本的に「家族・家系の何人かに同じ特徴が見られる」という表現です。必ずしも「遺伝子によって受け継がれた」という意味ではありません。例えば、Musical talent runs in my family.(私の家系は音楽の才能に恵まれている)これは「音楽の才能が遺伝している」とも考えられますが、親が音楽好きで、子供も音楽を習っているという可能性もあります。つまり、

run in the family = 家系に共通して見られる という、かなり幅の広い表現です。

 一方、hereditary はもっと科学的・医学的な言葉です。

a hereditary disease(遺伝性疾患)

The condition is hereditary.(その病気は遺伝性です)

ここでは「遺伝によって受け継がれる」という意味が中心です。したがって、

Diabetes runs in my family.

なら、「私の家系には糖尿病になる人が多い」という意味で、必ずしも「糖尿病が遺伝する」と断定しているわけではありません。これに対して、

It is a hereditary disease.

なら、「それは遺伝性の病気だ」と、遺伝的な性質をはっきり述べていることになります。

run in the family の面白いところは、医学的な遺伝だけでなく、性格や癖にも使えることです。たとえば、

A good sense of humor runs in the family.(ユーモアのセンスは家系に共通している)

Being stubborn runs in the family.(頑固なのは家系の特徴だ)

He has a temper. It runs in the family.(彼は短気なんだ。家系的にそうなんだよ)

この場合、「頑固さ」や「短気」が遺伝子によって遺伝する、と科学的に主張しているわけではありません。「親もそうだし、子供もそうだ。どうもこの家系はそういう傾向がある」という、ややくだけた言い方なのです。

ここでの run は、英語の非常に面白い用法です。

 「run = 走る」だけではありません。

Blood runs through his veins.
血が彼の血管を流れている。

The river runs through the town.
川が町を流れている。

A tradition runs in the family.
ある伝統がその家系に受け継がれている。

Diabetes runs in the family.
糖尿病がその家系に多く見られる。

つまり、「あるものが一つの場所から別の場所へ流れていく」→「ある特徴が人から人へ受け継がれていく」という意味の広がりです。このため run in the family は、直訳的な「家族の中を走る」から考えるより、「家系の中を流れている」とイメージすると非常に覚えやすい表現です。

  辞典を見ると、runには数多くの意味が見られます。「走る」よりも「流れる・動き続ける」と捉えるといいと思います。そうすると、

run の用法 共通するイメージ
run fast 速く走る 人が動き続ける
water runs 水が流れる 水が流れ続ける
engine runs エンジンが動く 機械が動き続ける
time runs 時間が進む 時間が進み続ける
road runs along the coast 道路が海岸沿いに延びる 道路が伸び続ける
run a business 経営する 事業を動かし続ける
run a program プログラムを実行する プログラムを動かす
run for president 大統領選に出馬する 選挙という競争に参加する
meeting runs for two hours 会議が2時間続く 会議が続く
run out of money お金を使い果たす お金が流れ出てなくなる

というように、かなり多くの用法が一つにつながってきます。そしてもう一つの重要な感覚で、run には、「ある状態・場所から別の状態・場所へ、連続的に移っていく」という感覚もあります。そのため、

run → 流れる → 広がる → 続く → 運営する → 実行する

という意味のネットワークが形成されています。「run=走る」「run=経営する」「run=流れる」と別々の単語として覚える必要はない、というのが多義語のポイントです。バラバラに暗記するのではなく、共通するコアを押さえることで理解が深まるのです。またrunには「(ストッキングの)伝線」という意味もあるのですが、このことも説明がつきますね。❤❤❤

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「ジェシカおばさんの事件簿」裏話

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 『ガス燈』などの作品で3度もアカデミー賞にノミネートされ、2014年には大英帝国勲章」を授与された名女優・故・アンジェラ・ランズベリーが主演する名作ミステリードラマ『ジェシカおばさんの事件簿』(原題:Murder, She Wrote が、現在、NHK BS4Kにおいて、金曜日に放送されています。一見すると穏やかで上品なおばさんなのですが、行く先々でなぜか殺人事件に遭遇します。そこで、①警察が見落とした証拠に気づく→②関係者の話の矛盾を見抜く→③人間関係から犯人の動機を推理する→④最後に犯人を追い詰める という具合に、作家ならではの観察力と推理力で事件を解決していきます。素人探偵のジェシカが、知性・魅力・粘り強さで事件を解決していく、観察して、質問して、推理して、最後に犯人を論理的に追い詰める、犯人を殴ったり、銃を撃ったりはしない、「殺人事件なのに見ていて安心できる」ことが気に入っていて、私は毎週ハードディスクに録画して楽しんで見ています。暴力や流血を前面に出さない知的パズルのようなミステリーです。殺人事件なのに、見終わった後で、嫌な気分にならないのです。これは最大の武器でした。1984年9月から1996年5月までアメリカユニバーサルテレビジョンが製作したテレビドラマで、アメリカCBSテレビにおいて全12シーズン放映された、アンジェラ・ランズベリー2022年10月に96歳で死去)演じるミステリー作家ジェシカ・フレッチャーが、様々な難事件を解決する素人探偵モノのミステリー・ドラマです。米メイン州の架空の町キャボット・コーヴを舞台に、推理作家で素人探偵のジェシカ・フレッチャーが、殺人事件を次々と解決する名作ミステリーです。

 私はシーズン1の初期からずっと見ていますが、面白い変化に気づきます。初期のジェシカ・フレッチャーは、「・自転車に乗る ・ロブスターをゆでる ・近所の美容院に行く ・地元の人と世間話をする ・古い手動タイプライターで原稿を書く」というかなり古風で素朴な女性でした。ところがシリーズが進むにつれて、「・ニューヨークのマンションを持つ ・服装も洗練されていく ・コンピューターを使う」と変化していきます。「キャボット・コーヴのおばさん」から「世界的ベストセラー作家」へと変貌を遂げ、かなり華やかになっていったのです。また、ご長寿シリーズということもあって、あるエピソードでAという人物を演じた俳優が、別のエピソードでは全く別の人物として登場することもありました。「あれ?この人、前に殺されてなかったっけ?」〔笑〕。有名ゲスト俳優の再登場が多いため、俳優は同じ、でもキャラクターは別人、という現象が起こるのです。

 大人気だったテレビドラマ『刑事コロンボ』のクリエイターであるリチャード・レヴィンソンウィリアム・リンクが、同作の脚本家ピーター・S・フィッシャーと共同クリエイターを担当、彼らの他にもロバート・バン・スコイクジャクソン・ギリスが脚本を執筆と、『刑事コロンボ』の制作陣が勢揃いしたドラマが『ジェシカおばさんの事件簿』でした。だから、「なんとなくコロンボっぽい」という印象は、単なる気のせいではありません。日本では今から38年前の1988年に初放送されました。シリーズ全体で264話(286件の殺人、1,400人以上のゲスト出演者)、さらにTV映画版も4作品作られた人気作品です。『ジェシカおばさんの事件簿』『刑事コロンボ』には、制作面・作品構造の両方でかなり面白い関係があります。ゲストに多彩な豪華俳優が出演しているのも『刑事コロンボ』との共通点で、『ロミオとジュリエット』オリビア・ハッセー『ER救急救命室』ジョージ・クルーニー『史上最大の作戦』メル・ファーラー『ターミネーター』シリーズのリンダ・ハミルトンらが参加。そうした著名ゲストの一部のほか、ジェシカの友人であるセス・ハズリット医師役のウィリアム・ウィンダムジェシカの甥グレイディ・フレッチャー役のマイケル・ホートンといった、ジェシカを支える周りの人々にも『刑事コロンボ』出演者がいます。

 普通の推理ドラマは、殺人発生 → 捜査 → 犯人探し → 犯人判という「犯人当て」が中心です。ところが『刑事コロンボ』は全くの逆で、最初に犯人が殺人を実行するところを見せる → コロンボがどうやって犯人を追い詰めるかを見るという設定です。『ジェシカおばさんの事件簿』にも、この倒叙ミステリー(inverted detective story)の形式が使われています。つまり、「誰が犯人なの?」ではなく、「ジェシカはどうやって、この人が犯人だと証明するの?」という楽しみ方ができるのです。ここが『コロンボ』好きの人が『ジェシカおばさん』を好きになりやすい大きな理由でもあります。ただし、ジェシカのドラマの大半は、①殺人発生→②犯人候補が何人も登場→③視聴者も推理する→④ジェシカが手掛かりを集める→⑤最後に犯人が判明、という昔ながらの「犯人当て」です。つまりコロンボの方は「犯人は分かっている。どうやって捕まえる?」に対して、ジェシカの方は「犯人は誰だ?」で、犯人を最後まで隠す「閉じたミステリー」(closed mystery)です。

 アンジェラ演じる主人公は、メイン州の架空の小さな田舎町のキャボット・コーヴ(人口3,500人)に住む推理小説家のジェシカ・フレッチャー。彼女が鋭い観察力とウイットに富んだ謎解きで、次々と難事件を解決していく痛快ミステリーです。鋭い洞察で真犯人をあぶり出す彼女の捜査は、頭の固い刑事たちをしのぐ痛快さもあり大人気を博しました。アメリカの海沿いの小さな街に住むジェシカ・フレッチャー、通称「ジェシカおばさん」は、夫を失った悲しみを埋めようと小説を書き始めたところ大ヒット。人気ミステリー作家になり、町の保安官から、頻発する事件へのアドバイスを求められるようになります。謎解きに対する旺盛すぎる好奇心もあってか、ジェシカおばさんは地元や旅先で殺人事件に自ら巻き込まれ、持ち前の観察眼と論理的な思考力で次々と難事件を解決に導いていきました。「キャボット・コーヴでばかり殺人事件が起きる」と思われがちですが、実際には彼女はかなり旅行をして、ニューヨーク、ロサンジェルス、大学、ホテル、劇場、海外など、本当にあちらこちらで殺人事件に遭遇しています。そしてその度に、「ジェシカさん、あなたが来るところでは必ず人が死ぬ」「死体がジェシカを追いかけてくる」〔笑〕ような構造が、作品のユーモアにもなっているのです。ジェシカおばさんの人柄と素人探偵ならではの、のんびりとした空気感が魅力の、時代を重ねて今見ても色褪せることのない作品です。英国が生んだ“ミステリーの女王”アガサ・クリスティーを彷彿とさせるキャラクターに起用されたアンジェラは、同作が始まる4年前の1980年に、クリスティの原作を基にした『クリスタル殺人事件』ミス・マープルに扮したこともありました。アンジェラは同作の演技でゴールデン・グローブ賞エミー賞候補となり、前者では4度受賞しています。好奇心旺盛で困っている人を放っておけないジェシカの声を当てている声優は、あの故・森光子(もりみつこ)さんでした。さんの声によって、「親しみやすい、品のある、ちょっとお節介だけど頭の切れるおばさん」というキャラクターが、日本では非常に強く定着しました。

 現代版の刑事ドラマであれば、「一般人は捜査現場から離れてください」となるところですが、ジェシカ「ちょっと見せていただけます」とスーッと入っていきます。しかも警察官も「ああ、ジェシカさんならいいいでしょう」といった雰囲気です。考えてみるとこれは異常な世界ですね。これはジェシカが単なる一般人ではなく、有名なミステリー作家であり、警察関係者からも信頼されているという設定で説明可能です。

 私は若い頃、東京の洋書店でこのテレビドラマ作品のペーパーバック版Murder, She Wrote(Signet Book)を見つけて(『殺人、彼女は書いた』なる原題を日本では『ジェシカおばさんの事件簿』という親しみやすいタイトルにしたことがビッグヒットでした)、次々と出る続編を英語の勉強に読み漁っていました。面白い英語表現を見つけてはカードに記録して、辞典の編集にもずいぶん役立てたものです(写真下)。

 日本では「ジェシカおばさん」の印象が圧倒的ですが、主演のアンジェラ・ランズベリーはもともと映画・舞台で非常に評価の高い女優さんでした。『ジェシカおばさんの事件簿』が始まった1984年、ランズベリーはすでに59歳。しかも、それ以前に映画ではアカデミー賞候補になり、ブロードウェイでは『Mame』などで大成功を収め、トニー賞を何度も受賞していました。後には5度のトニー賞受賞者となっています。つまり、「無名の女優がテレビで大ブレイクした」というより、「すでに大スターだった女優が、60歳近くになってテレビシリーズの主役を引き受けた」という作品なんです。実は、制作陣が最初にジェシカ役として考えていた女優は、ジーン・ステイプルトンだったと言われています。最初はランズベリー「毎週テレビに出続ける」のには乗り気ではありませんでした。しかしこれが大正解!はまり役となりました。

 ジェシカは元高校の英語教師で、人気ミステリー作家。つまり、警察でも探偵でもありません。なのに殺人事件が起きると、警察より先に真相を見抜いてしまう。しかも、「私は作家ですから、こういうことには敏感なんです」くらいの自然な顔をしている(笑)。彼女が事件を解決できる理由は、腕力でも捜査権限でもなく、人間観察と文章を書くことで培った洞察力なんですね。これは当時としても珍しい「高齢女性を主人公にした知的な探偵ドラマ」でした。近年も、ジェシカ・フレッチャーというキャラクターが「年齢を重ねた知的な女性」を肯定する存在だったことが評価され、ファンの間で半ば伝説になっています。ジェシカの故郷、キャボット・コーヴ。人口の少ない穏やかな町なのに……とにかく人が死ぬ。「こんなに殺人事件が起きる町、絶対に住みたくない」というジョークが成立するレベルです。実際、作品の魅力としても「人口の少ない架空の町なのに異常なほど殺人が起こる」という点は長年ネタにされています。しかもジェシカ本人は、「また事件ですか?」くらいの落ち着き。現実だったら、「ジェシカさんが来たぞ! 戸締まりしろ!」となっていてもおかしくありません〔笑〕。ジェシカは有名作家なので、ホテルに泊まれる、有名人と知り合い、大学に呼ばれる、舞台関係者とも交流がある、警察関係者とも話ができる、海外旅行にも行く、という舞台設定にできます。だから、「なぜ普通のおばさんが、そんなところにいるの?」という問題をかなり自然に処理できる。さらに「作家だから人の心理を読むのが得意」という、推理能力の説得力まで生まれてきます。

 1984年に始まり、1996年まで12シーズン・264話という12年間も続いた超長寿シリーズになりました。ところが、最終シーズンになると番組を取り巻く状況が一変します。特に印象的だったのが、放送曜日の変更。長年の日曜日夜から別の曜日へ移されたことで視聴率がガタ落ちし、最終的にシリーズは終了することになります。そのため、ファンの間では、「もっときちんとした最終回が見たかった」という不満が今でも残っています。特に、最後くらいキャボット・コーヴの仲間たちを全員集めて欲しかった、という声は根強くありました。実は、これはテレビ局側の「視聴者が高齢すぎる」という判断でした。広告主は若い18~49歳層を重視するため、総視聴者数が多くても若者が少ない番組は広告収入の上で不利だったのです。そこでテレビ局CBSは、長年の日曜夜8時という「定位置」から番組を移し、若者向けの強力な番組『Friends』とぶつけました。すると視聴順位が急落。その結果12シーズンで終了することになりました。ところが面白いことに、最後の数回を再び日曜日に戻したところ、視聴率が回復しました。つまり、「人気がなくなったから終了」したのではなく、「テレビ局が欲しい視聴者層と違ったから終了」だったのです。

 テレビシリーズ自体は1996年に終了してしまいましたが、ジェシカ・フレッチャーはそこで完全に消えたわけではありません。その後もテレビ映画・スペシャル版が制作され、アンジェラ・ランズベリージェシカを演じ続けました。最後のテレビ映画は2003年に放送されています。つまり、1984年から2003年まで、約20年間にわたってジェシカ・フレッチャーを演じ続けたということになります。アンジェラ・ランズベリー自身は、2022年に96歳で亡くなりましたが、ジェシカ・フレッチャーというキャラクターは復活の動きがあります。現在、ジェイミー・リー・カーティス主演の映画版リブートが進められており、現時点では2027年12月22日公開予定と報じられています。つまり、森光子さんの声で日本人の記憶に残ったジェシカアンジェラ・ランズベリーの代表作となったジェシカ、新世代のジェシカへ、という、かなり長い歴史を持つキャラクターになっています。❤❤❤

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グランドイリュージョン:ダイヤモンドミッション

 「ユメタウン出雲」内のtジョイ出雲にシリーズ第3弾(5月8日全国公開)となる「グランドイリュージョン ダイヤモンドミッション」(原題 Now You See Me: Now You Don’t)を観に行ってきました(シニア割引で1,300円)。松江イオン日吉津イオンでも上映していないので、出雲までわざわざ出かけてきたんです。イリュージョン(大がかりなマジック)を駆使して不正や犯罪で私腹を肥やした富裕層の悪を暴き、金品を奪い、世間に還元する正義のスーパーイリュージョニスト集団「フォー・ホースメン」。前作から約10年ぶりに再集結した彼らの任務は、ダイヤモンドビジネスで武器商人や犯罪者の資金洗浄などに手を染めるバンダーバーグ社所有の史上最高価値の大きなダイヤを盗み、一族の腐敗を暴くことでした。全世界を舞台に(ニューヨーク・南アフリカ・アントワープ・フランス・アブダビ)、新世代のマジシャン3人を加え、世界を股にかけた大胆な強奪劇が繰り広げられます。度肝を抜くマジックと小気味よい台詞が売りの、痛快な犯罪エンターテインメント作品です。マジックと犯罪映画の融合、「どうやった?」と思わせるトリック、観客まで騙すドンデン返し、スタイリッシュな映像とテンポなどがこのシリーズの魅力です。単なるアクション映画ではなく、「謎解き」と「騙し合い」を楽しむ作品です。前作以上にスケールアップしたマジックと、二転三転する予測不可能なストーリーが魅力でした。

 本作の原題は、1作目(2013年)&2作目(2016年)のタイトル“Now You See Me”に、“Now You Don’t”が加わりました。マジシャンが使う定番の決まり文句「ほら、見えますね。さあ、消えました」です。観客の視線を引きつけ、一瞬で状況を一変させるマジックの醍醐味を表しています。見せかけのイリュージョンやミスディレクションを象徴するタイトルです。でもこれをそのまま邦題にしてもお客さんは呼べません。その点「グランドイリュージョン/ダイヤモンドミッション」はさすがです!ロビーに置かれた立て看板には、プロモーションに協力している日本のマジック会社「テンヨー」が企画デザインした写真スポット「誰でもマジシャン!?トリックフォトスポット」がありました(写真下)。

▲誰でもマジシャン!?トリックフォトスポット

 映画冒頭でマジシャンの一人が、こう切り出したのが印象的でした。“In the world of magic, everything that disappears, reappears. Well, at least if the trick is done right.”(マジックの世界では、消えたものは再び現れる。トリックがうまくいけばの話だが)。10年ぶりのフォーホースメンが復活のマジックショー満員の会場で自己紹介後、暗号通貨の悪徳企業家から資産を奪い参加者に分配。しかしそれこそがイリュージョンで偽物でした。実行した新星マジシャンのチャーリー、ボスコ、ジューンの3人組はアジトへ戻ると本物のダニエルと遭遇。ダニエル(ジェシー・アンゼンバーグ)は組織アイからカードを受取り、新3人と共に南アフリカの悪徳ダイヤ企業家ヴェロニカ・ヴァンダーバーグ(ロザムンド・パイク)からハートダイヤモンドを盗むミッションへと向かいます。アイに指令されたメリット、ジャック、ヘンリーも合流し見事に強奪。4つのカードからフランス古城ルシヨン城(部屋ごとにさまざまな仕掛けが)に導かれ、伝説のマジシャンのサディアス(モーガン・フリーマン)とも再会。古城ではヴァンダーバーグ家がナチス残党の資金洗浄していた事実が明るみに。そこへ警官隊が突入し、メリットは捕まり、サディアスは流れ弾で死亡してしまいます。

 逃げのびたダニエルたちに元フォーホースメンのルーラも合流。ヴェロニカはメリットとハートダイヤの交換を要求。無事にメリットは奪還しますが、ヴェロニカの策でハートダイヤを奪われたファイブ・ホースメンと思いきや、ヴェロニカに射殺されたチャーリーは起き上がり、まさにイリュージョンでした。そしてその場所自体がマジック会場で満席の客。チャーリーの正体は、ヴェロニカの父の不倫相手の子。チャーリーは母を殺害したヴェロニカに復讐しハートダイヤを観客と南アフリカに分配。ファイブ・ホースメン集結のカードもアイではなくチャーリーが送ったものでした。ファイブ・ホースメンと新星3人組はチャーリーの見事な手腕を祝います。そのアジトに、ロシア投獄中のディラン(マーク・ラファロ)から新星アイ結成の申し出が送られてきます。マジックの本質である驚きをラストまで見せてくれ一安心。出番の少なかったチャーリーがまさかのヴェロニカの義弟!そしてファイブ・ホースメンを集結させて操ったのはThe Eye/アイではなく全てチャーリーが仕組んだこととは!

 最終シーンに、飲み会パーティーでの仕掛けも忘れていないのが「グランド・イリュージョン」らしいところです。投獄されているはずのディラン(マーク・ラファロ)の再登場で、エイト・ホースメンによる続編も保証されたのかもしれません。

 これまでの第1弾、第2弾の映画を経て、今回の最新作に対して、超魔術のMr.マリックさんは、「よりマジシャンらしい、リアルなマジックが数多く出てきた」と太鼓判を押しました。 「今までは映画用に不思議なことをタレントにやらせて、『そんなことできるはずないだろう』という映画用のマジックだったのが、よりリアルになりました。トランプを体の周りでギュッと飛ばしたりするような、我々が普段ショーで実際にやっているものを役者にやらせているところが、同じ同業者としてものすごくリアルだったわけです」  俳優陣が実際にマジックを習得して撮影した背景には、実際に超一流のマジシャンたちのサポートがあったことが、映画のエンドロールに出てくるスタッフ一覧を見ると分かります。「アメリカの『マジックキャッスル』という、最先端の人たちが集まったサークルが全面協力しているんですよ。今、CGとかAIとか言われているものを払拭できるように、超一流が裏で協力していたことにびっくりしましたね」と舌を巻きました。第1・2弾では世界的イリュージョニストのデビッド・カッパーフィルドが監修し、大掛かりなショーが展開されましたが、今作では身近にあるマジックがたくさん出てきました。「日常、普通にマジシャンができるものをやらせているからリアルですよね。マジックをやっている人はたまらないと思いますよ」と興奮気味に語りました。役者たちもすっかりマジシャンになりきっていました。ホースメンのメンバーがリレーのように次々とマジックを披露するシーンが印象的でした。劇中で起こる不可能に見える現象も、後半で「どうやってやったのか?」が解説され、その緻密な仕掛けに脱帽です。

 本作は自他共に認めるマジック・オタクのルーベン・フライシャー監督がメガホンを取り、アメリカマジシャンたちの聖地「マジックキャッスル」の世界的イリュージョニストチームがマジック監修として参加しています。「本職のマジシャンたちも納得する映画にすること」をゴールに、映画界×マジック界の屈指のチームが結集し、徹底的にリアリティにこだわって製作されました。Mr.マリック「マジックのシーンはワンカットでずっと撮っていて、CGが入るスキがないので、より生で見ている感覚になりました。しかもこの映画はマジックの裏側もみせてくれるので、そこにも驚きました」と語り、劇中で繰り広げられるイリュージョンの数々に太鼓判を押しました。映画館で購入した作品パンフレット(1,000円)には、日本のマジックグッズメーカー「テンヨー」のクリエーター3人の視点で読み解くインタビュー記事が2ページにわたって収録されていて興味深く読みました。♥♥♥

▲購入した作品パンフレット

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寝返り

 私は三年前に右股関節の手術をしてもらった際に、痛みもなく普通に歩けるようになったことが嬉しかったのはもちろんですが、何よりも夜、ベッドの上で「寝返り」が打てるようになったことが望外の喜びでした。それまでは動くと痛くて痛くて、真上の天井を見ながら仰向けでしか寝ることができませんでした。これは実に辛い。「寝返り」は、単に寝姿勢を変える動作ではなく、睡眠中に体を守るための重要な生理的機能なんです。人間は一晩に20~30回程度の「寝返り」を自然に行います。これは「眠りを妨げる動作」ではなく、むしろ眠りを護るための自律的な調整なのです。

1.同じ場所に圧力がかかり続けるのを防ぐ

 仰向けで長時間じっとしていると、後頭部・肩・背中・お尻・かかとなどに体重が集中してきます。同じ姿勢が長く続くと身体の一部に負荷が集中します。寝返り」を打つことによって圧迫される場所が変わるため、

  • 血流が悪くなるのを防ぐ

  • 筋肉や関節への負担を分散する

  • 皮膚への圧迫を軽減する

という効果があります。特に自力で「寝返り」ができない高齢者や病人では、「褥瘡(床ずれ)」につながるため、非常に重要です。

2.筋肉や関節を休ませる

 同じ姿勢を続けると、首・肩・腰などの筋肉が緊張したままになりやすくなります。「寝返り」をすると身体の荷重のかかり方が変わるので、一部の筋肉や関節に負担が集中することを避けられます。「朝起きると体が痛い」という場合、寝具だけでなく、寝ている間の姿勢や「寝返り」のしやすさも関係します。

3.体温調節にも役立つ

 睡眠中は体温調節も行われています。布団の中で暑くなれば自然に姿勢を変えたり、掛け布団から体を少し出したりします。「寝返り」は、こうした熱のこもりを防ぐための自然な調節行動の一つでもあります。

4.睡眠の質を保つ

 意外なのですが、「寝返り」は「睡眠を妨害する動作」というより、睡眠を維持するための動作と考えたほうがよいでしょう。睡眠中、人間は完全に静止しているわけではありません。無意識のうちに細かな体動を繰り返しています。したがって、「一晩に何回も寝返りをする=眠りが浅い」とは限りません。むしろ、適切に「寝返り」ができることは、身体への負担を調節しながら眠るために必要です。

5.では「寝返りが多すぎる」のは?

 ここは少し注意が必要です。「寝返り」そのものが多いことよりも、「寝返り」のたびに目が覚めてしまうほど落ち着かない場合は、睡眠環境に問題がある可能性があります。例えば、

  • マットレスが柔らかすぎる・硬すぎる

  • 枕の高さが合っていない

  • 暑すぎる

  • 寝具が体にまとわりつく

  • 腰や肩などに痛みがある

といった原因です。逆に、マットレスが極端に柔らかいと、体が沈み込んで「寝返り」そのものがしにくくなることがあります。「寝返り」が少なすぎると、肩こり・腰痛の悪化、血流の滞りによるしびれ、寝起きの身体の重さ、熟睡感の低下、いびき・無呼吸の悪化、などが起こりやすくなります。特に高齢者は「寝返り」が減りやすく、床ずれリスクが上がるため、医療現場でも「寝返り」は重要視されているのです。

 健康な人の場合、理想的なのは「寝返りをしないこと」ではなく、必要なときに無理なく「寝返り」ができることです。その意味では、「寝返りをしないで朝までぐっすり眠れる=良い睡眠」という考え方は必ずしも正しくありません。むしろ、睡眠中に自然に姿勢を変えられることは、身体の圧力・筋肉の緊張・体温などを調整するうえで重要です。「寝返り」は身体の負荷を軽減し、血液・体温・筋骨格を調整し、睡眠の質を守るための重要な生理的行動なのでした。この「当たり前」がいかに有難いことであるかを、自分の体験で実感した八幡でした。❤❤❤

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セブンイレブンの「あずき練乳氷」

◎週末はグルメ情報!!今週はアイスクリーム

 2020年以降、夏の定番商品として親しまれてきた赤城乳業「セブンイレブンプレミアム あずき練乳氷」(181円)北海道十勝産小豆の粒あんを使用し、すっきりとしながらも濃いあずきの風味と練乳の甘さを感じられる仕立てのかき氷です。美味しくいただいていましたが、昨年は中の“粒あん”がリニューアルされ、より一層あずきの風味を楽しめる美味しさに変わりました。「ガリガリ君」で知られる赤城乳業が製造を手掛ける夏の人気かき氷アイスです。

 パッケージのフタはまさにあずきカラーとも言える赤茶の背景で、和の雰囲気を感じます。練乳と小豆がたっぷりかかった山盛りのかき氷がどーんと大きくプリントされていて、見ているだけで贅沢な気持ちになってきますね。シックな和の雰囲気が漂うデザインは、本格的な味わいが楽しめそうな予感が漂います。実に美味しそうです。特にどこが気に入っているのかと言うと、ミルク感が味わえるところ、練乳氷のど真ん中にれんが入っているところ。練乳なのにわりとスッキリ目なところ、あんこがつぶつぶなところ。小さくてもホクッとした食感と張りの有る皮が最高です。

 天面には、見た目からして柔らかそうな粒あんがたっぷりとかかっています。冷凍状態でも柔らかくトロリとした触感が楽しめ、小豆のホクホク感もしっかりと残っています。その下からチラッとのぞくのは、ふわふわの練乳かき氷。実にテンションの上がるビジュアルです!それでは早速いただいてみましょう。ひと口食べると、あずきの風味と氷の甘みが口いっぱいに広がっていきました。さっぱりした口あたりで、どんどん口へ運んでしまいます!噛むとホロホロくずれていくあずきの食感がたまりません。豆そのものの甘味がやさしい和の雰囲気を感じさせてくれて、なんだか気分をリラックスさせてくれます。まずは粒あんをひとくち。北海道十勝産小豆を使用したあんは、とろっとなめらかで優しい甘さで、心がホッとするような味わいです。続いて練乳かき氷を口に運ぶと、ほんのりミルキーさはありながらもさっぱりとした甘さは控えめで、粒あんと一緒に食べることで絶妙なバランスになります。さらに、かき氷の中から甘い練乳ソースがとろ〜り登場します。この練乳ソースが加わることでまろやかさがプラスされているんです。練乳かき氷と練乳ソースが合わさることで、さらに粒あんの美味しさが強調される印象。まさに三位一体の美味しさにうっとりです。シャリシャリとした氷の歯ざわりと濃厚な練乳の相性が抜群です。冷たいあずきスイーツが恋しくなるこの季節にぴったりの一品でした。粒あんのとろける甘さと、練乳氷のすっきり感が織りなす和スイーツ系かき氷です。あずき好きはもちろん、和菓子が好きな方にもおすすめです。他社からもあずき系かき氷がたくさん発売されているので、食べ比べてみるのもいいかもしれません。私はこれが一番だと思っています。セブンプレミアムの魅力はやはり何と言っても、その美味しさにあります。♥♥♥

▲これが実に美味しい!八幡家の冷蔵庫に買い置きです

 今年もこのかき氷がセブンイレブンの売り場に並びました(192円)。

 私は東海道新幹線の最新型車両「N700S」に初めて乗った時に、車内のワゴン販売員の方から新型車両の記念グッズを何点か購入したのですが、その中の一つに、ロゴや車両イラストがデザインされたアルミのアイスクリーム用のスプーン「N700Sアルミアイスクリームスプーン」がありました。2020年12月26日に発売されたこのスプーンは、東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」の車内のみで販売していました(最近はオンラインでも)。お値段は税込み600円でした。私はアイスを食べる時はいつもこのスプーンを愛用しています。

 「N700Sアルミアイスクリームスプーン」は、かたいアイスクリームも少しずつ溶かしながらすくえるように、熱伝導率の高いアルミ製にして、スプーンを持つ手から体温が伝わるように工夫しました。手の熱が伝わることで、アイスクリームが溶けやすくなるのです。かつて東海道新幹線の車内で販売していた「スジャータアイスクリーム」は、スプーンが入らないほどカチカチに冷えていることで知られ、インターネット上などでは「シンカンセンスゴイカタイアイス」などと呼ばれて親しまれていました。室温で溶かしてから食べる、少しずつ削って食べるなど、“食べ方”が話題になることも多いアイスクリームですが、車内販売を行う同社自らが、食べ方の方法の一つを「特製スプーン」という形で提案した格好となりました。私はこのスプーンでアイスクリームをいただいています。 ♥♥

 

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列車の揺れ

 今朝、JR松江駅での話です。通勤電車から降りてこられた年配の男性が、列車のステップとホームの隙間に片足を踏み外して落ちそうになられました。すぐに立ち直って大事には至りませんでしたが、一つ間違えば大きな事故になりかねない出来事でした。電車とホームの間には、場所によっては数センチから十数センチ程度の隙間(ホームと車両の間のすき間)があります。特に、カーブしているホーム車両とホームの高さが異なる場所、古い駅舎によっては床面の位置が違う場所などでは、隙間が大きくなることがあります。乗り降りする時に、足を踏み外して片足がホームと車両の間に入り込むことがあります。これは大人でも起こり得ますし、子どもや高齢者、視覚に障害のある方などは、特に注意が必要です。

・バランスを崩す

・ホーム側へ転倒する

・乗り降りする他の乗客と接触する

・最悪の場合、線路側へ転落する

という二次的な危険があります。そのため駅では、「足元にご注意ください」「列車とホームの間が広く空いている箇所があります」などの注意喚起のアナウンスが流れることがあります。毎日通勤電車を利用している私も気を付けないといけない、と実感しました。

 今日は列車の座席の話です。私は通勤電車特急列車の中央部付近に座ることにしています。鉄道車両で一番揺れが少なく乗り心地がいいのは車両の真ん中付近です。一番乗り心地が悪いのは連結寄り端部です。理由は、車両の揺れ方にあります。車両の中央付近は、前後の揺れや上下の揺れが比較的小さく、カーブやポイント(分岐器)を通過するときの振動も穏やかに感じやすいのです。長時間乗るなら最も快適なことが多いです。それに対して、車両の端(連結部・ドア付近)は、揺れが大きくなりやすく、車両同士のつなぎ目に近いので、振動や音を感じやすく、カーブでは左右への振られ方も大きくなります。私も満員の時には仕方なく端に座ることもありますが、それはもうひどい揺れです。今日は満席で列車の連結部に付近に座りましたが、それはもうすごい揺れでした。

 乗り心地が一番よいのは「車両の真ん中付近(台車から最も離れた部分)」です。 理由は、揺れの発生源である台車(車輪+サスペンション)が車両の端にあるため、そこから距離が離れるほどに揺れが減衰するからです。

●車両中央(台車と台車の間) → 縦揺れ・横揺れ・上下振動が最も少ない。

●車端(台車の真上付近) → 台車の動きをダイレクトに受けるために、揺れが強い。

●連結部付近 → 車端よりはマシだが、車両中央部よりは揺れる。

The Ultimate Guide to Understanding Train Parts Diagrams

 列車の揺れが最も少ないのは、車両の「中央付近」です。逆に、最も揺れが大きいのは車両の「端(連結部近く)」になります。なぜ中央部が揺れにくいのか、主な理由は3つあります。

1. 台車(車輪のパーツ)から最も離れているから

 列車は車両の両端近くに「台車」と呼ばれる車輪とサスペンションのセットが配置されています。 線路の継ぎ目やカーブやポイントで発生する衝撃や振動は、まず台車を通じて車両に伝わります。そのため、台車の真上にあたる車両の端っこが最も振動を直接受けやすく、台車から一番離れている中央部が最も影響を受けにくくなります。つまり、「揺れの発生源から距離があるほど乗り心地は良い」というシンプルな構造上の理由です。

2. てこの原理(ピッチング・ヨーイング)の影響

 列車は走っている時、上下に揺れる「ピッチング」や、左右に首を振るように揺れる「ヨーイング」という回転運動を起こします。 これらは回転の軸(重心)に近い中央付近は振り幅が小さく、軸から離れた端に行けば行くほど「てこの原理」で揺れ(振り幅)が大きくなるという性質があります。

3. 連結部の揺れから離れているから

 車両と車両の繋ぎ目(連結部)は、カーブを曲がるときや加減速の際に車両同士が押し引きをし合うため、不規則で複雑な揺れが発生しやすい場所です。中央部は連結部から最も遠いため、この影響を受けにくくなります。

 さらに快適に乗るためのワンポイントアドバイスとしては、

◎車両の位置(編成立体): 列車全体で見た場合、先頭車や尾ノ車(一番後ろ)は風圧や線路の曲がり始めの影響を受けやすいため、編成全体の真ん中の号車を選ぶとさらに安定します。

◎階数(2階建て車両の場合):2階席は眺めは良いですが、構造上振り子のように横揺れが大きくなります。揺れを抑えたい場合は1階席や平屋部分がおすすめです。

 揺れや乗り物酔いが気になる時は、ぜひ「号車も座席も中央付近」を意識して選んでみてください。

▲私は真ん中に座ります

 それでは、車両のどこら辺が“真ん中”なのかを考えてみましょう。一般的な通勤電車(20m級車両)では、台車は車両の両端から約3mほど内側にあり、台車間距離は約14m前後です。の台車間の中央付近(車両のほぼ真ん中)が最も静かです。座席で言えば、ロングシートなら 中央付近の席、クロスシートなら車両中央のボックス席 が乗り心地が良いようです。

 新幹線の場合は、もともと乗り心地が非常に良く設計されていますが、それでも車両の中央付近が快適と感じる人が多いようです。ただし、新幹線は台車の性能が高いため、車端でも在来線ほどの差は出ません。在来線では車両や線路の影響が大きいため、車両中央の座席と窓側・通路側はどちらでも構いませんが、ドアから離れた位置が比較的快適です。飛行機で翼の近くが揺れにくいのと少し似た考え方で、乗り物は「支えられている部分(台車や翼)」に近いほど大きな振れが少なくなり、全体としては中央付近が最もバランスのよい乗り心地になりやすいのです。♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(48)~読書こそが人生をひらく

 週に3回、米子・勝田ケ丘志学館に、市営バス・JR山陰線・境線と乗り継いで出かけます。電車に乗って、向かい側のシートや周りの座席に目をやると、腰掛けている高校生・大人がみんな下をうつむいてスマホの画面に見入って、ずっと何やらひたすらタッチしています。博労町駅・米子駅のホームでも、高校生たちがズラーっと並んで、スマホに見入っています。異様な光景です。他にすることはないのでしょうかね?

 私自身、ネット上で本を探したり買ったりすることもあるほどです。
 では、こうしたネット全盛時代に本を読むとはいったいどういうことなのでしょう。わ
ざわざ本を買って読まなくても、新らしい知識や情報はネット上で済んでしまうのに、な
ぜ本を読もうとするのか―。
(中略)
 そんな思いに捉われていたとき、たまたま友人が素晴らしいグレープフル-ツを送って
きてくれました。食べてみると、じつにジューシーで甘くおいしい。そんなグレープフル
ーツを食べながら私はこう考えました。
 このグレープフル-ツにはビタミンCがいっぱいだ。いい色がついているから、ひょっ
としたらベータ・カロチンも入っているかもしれない。果肉には食物繊維もあるだろう。
しかしそうした栄養素はサプリメントから、いとも簡単に摂取することができるではない
か。ビタミンCだってタブレットからであろうが粉末からであろうが、簡単に摂ることが
できる。カロチンだって摂れる。すべてはサプリメントで間に合うのに、どうしておれは
このグレープフルーツを感激しながら食べているのか?
 そこでハタと思い当たったのです。グレープフル-ツを食べてビタミンCを摂るのと、
サプリメントでビタミンCを摂ることの差が、「読書」と「インターネット情報」の差に
相当するにちがいない、と。
 栄養はすべてサプリメントから摂れることはわかっています。しかし私たちはやっぱり
食べ物を食べます。それはなぜかといえば、「おいしいから」というのがいちばんの理由
でしょう。栄養を摂るだけならサプリメントも要らないくらいで、点滴でも十分です。そ
れにもかかわらずおいしいものを食べたいと思う。それと同じように、情報だけならイン
ターネットで十分なのに本を読むというのは、読書にはインターネットから得る情報とは
別の要素があるからでしょう。インターネットよりももっと豊かな「何か」が読書という
体験には隠されているにちがいありません。
            ―渡部昇一『楽しい読書生活』(ビジネス社)

 尊敬する故・渡部昇一先生が、本とインターネットの違いについて気がつかれたことを、実に面白い「比喩」で説明しておられました。先生のご友人が素晴らしいグレープフルーツを贈ってきてくれたことがありました。実にジューシーで、甘くて美味しいグレープフルーツだったそうです。その時に先生が考えられたことは、「待てよ、このグレープフルーツにはビタミンCがいっぱいだ。いい色がついているから、ひょっとするとベータカロチンも入っているかもしれない。果肉には食物繊維もあるだろう。しかしそうした栄養素は今ならサプリメントから、いとも簡単に摂取することができるではないか。ビタミンCだって、タブレットからであろうが、粉末からであろうが、簡単に摂ることができる。カロチンだって摂れる。全てはサプリメントで間に合うのに、どうしておれはこのグレープフルーツを感激しながら食べているのか?」そこでハタと思い当たります。グレープフルーツを食べてビタミンCを摂るのと、サプリメントでビタミンCを摂ることの差が、「読書」「インターネット情報」の差に相当するに違いないと。栄養は全てサプリメントから摂れることは分かっています。しかし私たちはやっぱり食べ物を食べます。それはなぜかというと、「美味しいから」というのが一番の理由でしょう。全てこの中身は何かといったら、ビタミンCとクエン酸と糖分くらいのものです。こんなものはサプリメントですぐに摂れる。なのにどうして、グレープフルーツの皮をむいて、においをかぎながら食べるのか?いわゆる「食事」と「サプリメント」の違いは、「本」と「インターネット」の違いではないかと思うようになった、とのことでした。食べ物は、非常に無駄が多い。分かりやすい例を挙げれば、物を食べるとウンチが出ます。サプリメントだけならおそらく出ないと思います。しかし、人間はウンチを出すことによって、赤ん坊から子ども、子どもから大人になるのです。サプリメントだけでも栄養は足りるはずですが、それで成長するかといったら成長しないのではないか?やはり物をよくかんで食べ、そして無駄なものは出しつつ、という過程を経て成長があるのだと思われます。サプリメントは味もなく、即効性でよく効きます。ビタミンCが足りなければパッと飲めるし、できものができたらビタミンB2などを飲めば効き目があります。これはインターネットに喩えることができます。栄養を摂るだけなら、サプリメントも要らないくらいで、点滴でも十分です。それにもかかわらず美味しいものを食べたいと思う。それと同じように、情報だけならインターネットで十分なのに本を読むというのは、読書には、インターネットから得る情報とは何か別の要素があるからでしょう。インターネットよりももっと豊かな「何か」が、読書という体験には隠されているに違いありません。本を読むことで、「あ~、そうだったのか!」「感動した」といった何とも言えない感情を味わうことができるのです。「活字の海」へ漕ぎ出すことができます。

 食事には、サプリメントのように即効性のものではなくても、美味しいものを食べれば「美味しい!」という肉体的な快感のようなものがあります。それから、緩やかではあるけれども、食べた物が体を作ったりします。そこに大きな差があるのだ、と先生はおっしゃいます。体が出来上がった大人が、自分に合ったサプリメントを選んで摂るのは非常にいいことですが、まだ体のできていない人間が、サプリメントばかりやっていてもしょうがないのではないかと思うのです。

▲尊敬する新 将命氏

 ところが、スマホやインターネットの普及とともに、人々の読書時間はどんどん減っています。一週間の読書時間が二時間以下というのは、ほぼ読まないことに等しいので、日本人の三分の一はほとんど読書をしていないことになります。高校生・大学生にいたっては、1日の読書時間ゼロという人が半分以上います。若者たちは、本を買うお金を携帯電話代などに回していますから、読書時間はこれからも減る一方でしょうね。本は「精神の食べ物」です。本を読むことで、(1)論理的思考力や教養が身につく、(2)想像力が鍛えられる、(3)感情や感性が豊かになる、(4)体系的な知識を吸収できる、(5)信頼性の高い情報にリーチできる、(6)先人の知識・体験を追体験できる、(7)語彙が増える、(8)視野が広がり、人生のヒントをもらえる、などの数多くの恩恵が受けられます。安直な情報だけに頼っていたら、日本人の精神は痩せ細ってしまいます。このことに、私は非常に強い危機感をいだいています。尊敬する経営コンサルタントの新 将命(あたらしまさみ)さん(彼の本は片っ端から読了しました)は、「1日に4回メシを食え!」と主張されます。3回の食事と、1回は「活字のメシ」です。私は毎日「活字のメシ」を美味しく食べています。

 最近ではニュースもネットで見ることができることから、新聞を読む人もずいぶん減っているようですね。私が教えている生徒たちも全部スマホで見ていて、新聞を読みません。本も電子書籍が出ていて、読まなくなっています。次から次への雑誌の休刊、売れ行き不振などはまさにその影響をもろに受けたものと思われます。

 最近の若い先生方は、本当に本を読みませんね。私の若い頃の先輩の先生方は、本当に本をよく読んでおられました。授業で取り上げるテキストの話題に関連する本をよく貸していただいたのを覚えています。あ~、こうやって勉強するんだな、と後ろ姿で教えてもらった気がします。私が教員になりたての頃は、月に5,000円の本代をやりくりするのがやっとの給料でした。それでも、夏と秋のボーナスをもらう度に、親戚のある岡山市丸善紀伊國屋へ出かけて大量に買い込んでくるのが楽しみだったものです。なにせ洋書は今のようにネットで入手することなどできない時代ですから、大きな書店に行かないと手に入らなかったんです。(株)研究社で辞書の仕事をさせてもらうようになってからは、必要な英書・辞典類は全部入手して送っていただけたので、めちゃ楽チンになりました(今は各自でネット書店を利用です)。月に10万円くらい本代に使っていました。ハズレ本もいっぱいありましたが、時々ビッグ・ヒットに巡り会いますから、買わない訳にはいきません。❤❤❤

 読書というのは現実に得られない体験を広げてくれたり、ある時は人間を鼓舞してくれるものですが、わたしにとっては常に疑問を投げかけてくれるひとつの材料です。    ―平岩外四(東京電力会長)

 週に一度、本屋さんに行く人は必ず何かできる人です。 ―三笠書房ブックフェアにて

 本を読むのは、知らない街を訪れるのに似ています。とりわけ十代の半ばから二十歳過ぎぐらいまでに読んだ本は、いつまでも記憶に残って、その後の人生の地図みたいな役目を果たすでしょう。これからあなたがどこまで旅をできるかは、その地図の大きさにかかっています。細かな縮尺や方角の狂いは後からいくらでも修正が利きますが、地図全体を見渡す視野の広さは、意外と若いうちに決まってしまうものです。最初は余白だらけでかまわないし、気に入った街を何度も訪れるのもいいでしょう。どんな街もそれだけで孤立しているわけではなく、世界に向かって開かれているからです。遠く離れた国でも、旅する者にとって、街と街はつながっています。本を読むことがそうであるように。  ―法月綸太郎『松江北高 図書館報』第100号記念号  平成24年3月

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真正面から突っ込んでいく

 尊敬する現・JR九州相談役&一般社団法人・九州観光機構会長唐池恒二(からいけこうじ)さんの本は全て読んできました。JR九州のトップとして、鉄道事業の改革や事業の多角化を推進し、300億円もあった赤字を解消するばかりか、同社を東証一部上場へと導いた伝説のトップリーダーです。前作の『ななつ星への道』(PHP出版)で最後とおっしゃっておられましたが、最後の最後に集大成をと、新しい本が出版されました。『夢みる勇気』(リベラル社、2026年)です。夢を描き、夢に手足をつけ、夢が叶ったら、次の夢を描く。その繰り返しが人生を豊かにすることを、自身の数々のエピソードを交えて披瀝しておられます。

 今までの著書の中にも書いてありましたが、ここでも触れられている参考になる話があります。博多・釜山間に高速連絡船を作ることになり(近年、浸水を隠したまま運行していたことが発覚したため船舶事業から撤退することを決定しました)、JR九州船舶事業部が1989年4月に発足しました。そのナンバー2の企画課長に任命された唐池さんが、部長の大嶋良三さんから、教えていただいた人生の指針です。大嶋さんは国鉄時代に、岡山宇野高松を結んでいた宇高連絡船の経営にあたっておられた海運のプロ中のプロです。その尊敬してやまない「海の男」から、航行中の船が嵐に遭遇した時の操船の極意について教えてもらったことがあったそうです。押し寄せる高波に対して、船首を真正面に向けると船は絶対に転覆しません。5万トンのタンカーでも10トンの漁船でも、これは変わらない鉄則です。どんな大きな波が来ても船が正面から向かっていくなら沈没することはありません。ところが、高波に対し、船首を横に向けると、「横波」といって船の横から波がぶつかってくるからこれはもう船がもちません。荒波を怖がって波から逃げようと後ろの方向に船首を向けると、「追い波」と言ってどんな船でも転覆します。どんな最新鋭の機器を積んだ大型船でも「横波」「追い波」に抗する力はないのです。この話を聞いた時、大嶋さんの行動の原点が分かった気がしました。そうなんだ!このことは人生や仕事にも通じることなんだ!難局に直面しても逃げずに真正面から立ち向かうと必ず解決する。嫌なことから逃げたり、やっかいな仕事を直視しなかったり後回しにしたりすると、後で余計に問題が大きくなって取り返しがつかなくなるのです。「難局に直面したときには、逃げずに真正面から立ち向かう。」という教訓を学びたいですね。私も若い頃から、この精神で頑張ってきました。「逃げない!」という哲学ですね。これは生涯使える武器です。唐池社長もこの精神で、赤字が300億円もあったJR九州を黒字化するだけでなく、同社を東証一部上場にまで果たしています。

 私の大好きなシンガーソング・ライターのさだまさしさん(28歳)も、苦難を真正面から受け止めた人でした。父の夢を叶えるために、1981年に、中国の長江を舞台にした映画「長江」を自分の資金で制作、ヒットはしましたが、それ以上に制作費は膨れ上がり、28億円の借金を背負ってしまいました。29歳のさださんが選んだ道は「歌で返す」というものでした。年間100本以上のコンサートを継続し、30年かけて完済します。「関白宣言」「親父の一番長い日」「北の国から」など誰もが知る名曲を多数生み出し、これまで開催したコンサートは通算4700本を超えました(現在4,765回日本記録)。しかし、その大記録の裏には10ケタを超える「借金」という、やむにやまれぬ事情もあったのです。多額の借金を返し、たくさんのスタッフを食わせるためには懸命に働くしかなかったのですね。 

 金利を入れて35億円近い借金は、僕の会社ではなく、僕個人の借金ですから返さざるを得ない。でも、会社を維持し、社員に給料を払い、なおかつ税金も払いながらの返済ですので、かなり厳しかった。10日ごとに8千万円、5千万円、1億5千万円という手形を落とさなければならなかったわけですから…。負債額がわかったとき、破産宣言するよう勧めてくれた人もいました。「そうすればチャラになって楽になるから」と言って。このときは一晩考えましたね。その結果、貸した側の身になって考えてみよう、と。お金に関してはプロの銀行が融資してくれたのは「さだまさしなら返せる」と考えたからに違いない。だったら返せるんじゃないか。ここは“プロの勘”に懸けてみようと思ったんです。返済の過程で二度不渡りを出したことがありました。半年に二度不渡りを出すと銀行と取引停止になるんですけど、僕の場合は数年おいてでしたから会社はつぶれなかった。つぶれなかったことで「このままいけば返せるんじゃないか」と。そうすると勇気がわいてきて、それが「返そう!」というモチベーションになるんです。返済が終わったときは、ある種の脱力感に襲われたし、「ああ、これで返済に追われなくてすむ」と思いましたね。

 借金を返済する過程で感じたり、学んだことはいっぱいあります。ひとつは“人の情け”です。銀行の担当者をはじめおおぜいの人達が僕を助けてくれた。そういう意味では、僕はついていたし、本当に人に恵まれているな、と思ったことが何度もありました。それと、何事も最後の最後までわからない。だから、諦めてはいけないということも学びました。だから、僕は決して投げないですよ。そして何よりも僕のファンであり、コンサートに来てくださる方たちのパワーです。僕が莫大な借金を返済できたのも、前人未到のソロコンサート4千回を達成できたもひとえにファンのみなさんのおかげです。これからは、みなさんに恩返しをしなければいけない。ということは、僕は歌手をやめたくてもやめられないんですよ(笑)。   ―『女性自身』1月21日号

 当時、結婚したばかりの(奥様は島根県・浜田市出身)さださんは、1年以上家に給料は入れていません。同居していたお母さんの蓄えで暮らしていました。会社を解散しようかという話もあったそうですが、責任感の強い性格からか、ここで投げ出してしまえばお金を貸してくれた人に悪い、という思いがまず第一にあったし、その才能ゆえにどこかで「何とかなる」と思ってもいたようです。

 返済には1にも2にも、音楽という本業での稼ぎを充てるしかなかったのです。そして、さださんには、CD(当時はレコード)の売上もさることながら、コンサートへの集客力の高さという強みがありました。実際、借金直後の1982年には、年間162回!それ以降も、年間100本以上のソロコンサートを行うようになりました。もちろん、その合間に、曲づくりやレコーディング、テレビ・ラジオ番組の出演、さらには小説家として執筆作業もこなしながらです。いやはや、もう脱帽するしかありませんね。コンサートの集客のために行った、さださんならではの戦略とは?グレープ時代のヒット曲「精霊流し」「無縁坂」をはじめとして、ソロ歌手転向後も「雨やどり」、「関白宣言」、「道化師のソネット」、「防人の詩」、「秋桜」、そして「風に立つライオン」などなど、錚々たる名曲を生で聞くことができるコンサートは、もちろん魅力的なものです。しかし、そこに胡座をかくことなく、より魅力的に、よりリピーターや新規来場者を増やすために、さださんが行ったこと・・・それは「コンサートのバラエティ化」でした。次も来てくれるリピーターは今の半分。だから次も満員にするためには、その人たちにもう一人ずつ連れてきてもらうという「モットー」に基づいて、とにかく観客に徹底してサービスをします。こんなエピソードがあります。とある芸人さんは若手に対して「さださんのコンサートに行って、話術を勉強して来い」と命じたとのこと。また、さださん自身も「コンサートに来たお客さんから、曲はレコードで聞くから、もっとトークを聞かせてくれって言われちゃいました」というある種の自虐ネタを披露しておられます。これこそが、さだまさしのコンサートに来場者が絶えない理由と言っても過言ではないでしょう。3時間の公演のうち、楽曲演奏はもちろんのこと、合間のトークや、本格的な小噺(中学・高校時代には落研で磨いた)、故郷の思い出、ツアー先でのエピソード、寸劇なども取り入れ、持てるもの全てをお客さんに提供して心から楽しんでもらう。このステージ・トークだけを集めたCDや本まで出ているのは、日本広しといえどもさださんだけでしょう。「会場を満員にするにはどうしたらよいか?」を必死に考える、この姿勢があったからこそ、4000回以上ものコンサートを今まで続けてこられ、ひいては借金完済を実現できたのでしょう。ソロ歌手という言葉だけでは括りきれない、マルチな才能とはこのことです。58歳、およそ30年をかけての借金完済、そして父・雅人さんの死去。2010年、いよいよ、その日がやってきます。さださんは映画『長江』で背負った合計35億円の借金を58歳にして、完済。実に30年近い年月をかけ、凡人ではとうてい不可能なことをやってのけたのです。そして奇しくも、息子の借金完済をこの目で見届けてまもなく、父・雅人さんは静かに天国へと旅立っていきました。決して偶然ではない、何かのおぼしめしがあったのだと、つい思ってしまいたくなりますね。ただ父・雅人さんは生前、さださんに対して一度も礼や労い、侘びや謝意といった言葉を発したことはなかったそうです。

 「ひたすらライブやって一心不乱になって返しました。借金から逃れる気持ちはなかった。たかだかお金のことだから返せるか返せないかでしょう。今思えば、そこまで頑なに返済にこだわったのは、父の夢の後片付けだったからかもしれませんね。父が生きているうちに全額返済できてよかったです。」(さだまさし談)

 さださんは、完済後のインタビューにおいて、「借金を返せたのは、ひとえにファンの皆さんのおかげ。また助けてくれる仲間がいたから」と語ります。そして歌手生活50年以上を経てもなお、そうした皆さんに恩返しをするためにも、まだまだ引退することはできない」借金返済後も、「お客さんに育ててもらったのだから、お客さんに納得してもらえるまで走り続ける」とも宣言しておられます。親子三代にわたるファンも多く、エンターテイメントの世界において、さだまさしというビッグネームは、今後も当分の間、私たちを楽しませ、感動させ続けてくれることでしょう。

 1984年、ロサンゼルスオリンピックで直面した絶体絶命の危機について、山下泰裕(やましたやすひろ)さんが『読売新聞』「時代の証言者」に回想しておられました。2回戦のアルトゥル・シュナーベル選手(西独)との対戦で右ふくらはぎの肉離れという事態に見舞われました。準決勝でローラン・デルコロンボ選手(仏)との対戦で開始早々負傷した右足を狙われ大外刈りを仕掛けられた山下選は外国選手との対戦で初めて「効果」のポイントを奪われてしまいます。「負けるんじゃないか?」そう思って立ち上がったその瞬間、どこからともなく「何だお前は。お前が今まで一生懸命頑張ります、頑張りますと言っていたのはこの程度のものか。お前オリンピックに来て、こんな無様な試合をするために来たのか?」という天の声が聞こえてきます。いや違う、自分が今まで一生懸命頑張ってきたのは、ここで怪我をしてこんな無様な試合をするためじゃない、こんな怪我で負けてたまるか、と心の中で叫びながらすごい目つきをして、グッと向かっていくように相手を見据えていました。そこからはいつもの自分に戻り、合わせ技一本で相手を倒しました。ギリギリの状況の時に出る力こそが、その人の本当の力でしょう。窮地で、冷静に自分を客観視する自分がいたのです。状況を真正面から受け入れ、冷静に戦えるか、同時にそこに自分のやってきたことを全て懸ける集中力があるか、それにはそれだけの覚悟を持って取り組み準備をしてきたかが大きく影響します。そういったギリギリの勝負をしてきたことが、肝が据わるという意味で、その後の人生に生きてきたとおっしゃておられました。

 これらのエピソードから、私たちが学ぶべきことは?「難局に直面したときには、逃げずに真正面から立ち向かう」ことです。♥♥♥

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鯉とりまあしゃん

 ソフトバンク社長の孫正義(そんまさよし)さんに関する本を読むと、筑後川の大河童「鯉とりまぁしゃん」の話がよく出てきます。福岡県久留米市田主丸町に、かつて「鯉とりまぁしゃん」と呼ばれた伝説的なコイ素潜り漁の達人がいました。本名は上村政雄(1913~99)さん。冬の筑後川に潜り、両脇と口で一度に3匹捕ったといいます。まぁしゃんの漁法は独特でした。コイの漁期は真冬。そのため、鯉をとる数日前から大量の肉を食べて体力をつけ、当日は河原でたき火をして体を炙って温めます。そして裸のまま潜水して、水中に横たわってじっと待ちます。冷たい川底に身を潜めるコイが、静かに近寄ってくるのを抱き寄せる。すると、人の体温が心地よいのか、コイは無抵抗だったといいます。少年期から74歳まで漁を続けました。「鯉とりまぁしゃん」とは、福岡県久留米市田主丸町に実在した“伝説的な鯉の素潜り漁師”この上村政雄(うえむらまさお)さんの愛称であり、同名を継ぐ老舗川魚料理店「鯉とりまあしゃん 鯉の巣本店」(1955年~)のルーツとなった人物です。その人物像に魅了された芥川賞作家・火野葦平は、彼をモデルに小説『百年の鯉』を執筆しました。開高健の作品にも登場します。

 筑後川の伝説「鯉とりまあしゃん」の店 福岡市に進出|【西日本新聞me】

 あのソフトバンク孫正義さんも「交渉の極意は鯉とりまぁしゃんに学べ」と語った逸話が残っています。 「じっくりと準備し、相手が自然と合意したくなる状況をつくる」という姿勢を学んだとされています。ずっと前から入念に準備し、相手が自然ととこちらへ寄ってくるよう仕向けて、あとは難なく欲しいものを手に入れる、これはまさにさんの手法と同じです。焚火で体を温め→川底で静かに待ち→鯉が体温に引き寄せられてくるのを抱き寄せる、というまあしゃんの漁法そのものを、交渉の比喩として使ったものです。交渉前に徹底的に準備をし、相手が自然とこちらに寄って来る状態を作り、力で押すのではなく、相手が自ら合意したくなる状況を整えるのです。

 ソフトバンクの元社長室長だった三木雄信さんの著書『孫社長のYESを10秒で連発した瞬速プレゼン』(すばる舎、2017年)には、孫さんが「交渉術」の一つとして「鯉とりまあしゃん」を挙げていたことが紹介されています。考え方を簡単にすると、

<普通の交渉>
→ 相手を説得する
→ 相手を押す
→ 自分の条件を飲ませる

ではなく、

<鯉とりまあしゃん式>
→ 相手が欲しくなるものを用意する
→ 相手が近づいてきたくなる環境をつくる
→ 最後は相手のほうから寄ってきてもらう

ということです。

 さんの交渉術の本質は、「相手を動かす」のではなく、「相手が動きたくなる状況をつくる」というところにあります。たとえば大きな企業との提携や買収などでも、「私たちと組んでください」と真正面からお願いするだけではなく、「相手にとって、孫さん・ソフトバンクと組むことが魅力的に見える状態を先につくる」という発想です。これは「鯉を追いかけ回す」のと、「鯉が自然に寄ってくる場所で待つ」の違い、と考えると非常に分かりやすいです。さん自身も九州・佐賀県鳥栖市にルーツを持つこともあり、「鯉とりまあしゃん」は身近な九州の人物でした。そして、この話にはさんの経営哲学に通じるものがあります。力ずくで勝つのではなく、相手が自然に動く仕組みをつくる。これは経営だけでなく、営業、人材、採用、交渉、恋愛、人間関係、商売にも応用できます。たとえば営業なら、「この商品を買ってください」ではなく、「この商品が欲しくなる理由を相手の側に作る」ということですね。

 「鯉とりまあしゃん」を一言でいうと、こう表現すると分かりやすいと思います。「相手を追うな。相手がこちらに来たくなる場所をつくれ。」「交渉はテクニックではなく、相手に慕われるプロセスだ。」これが、孫正義さんが「鯉とりまあしゃん」から学んだ交渉術の核心・理想形です。私たちにもとても勉強になるお話です。❤❤❤

・準備の徹底→・相手が自然と寄ってくる環境づくり→・説得ではなく、慕われるプロセス

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「いのちの理由」

 8月15日(土)の「NHK夏の音楽祭うたであえたら2026」に出演したさだまさしさんが歌ったのが、名作「いのちの理由」でした。

   いのちの理由

           作詩・作曲 さだまさし

私が生まれてきた訳は
父と母とに出会うため
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため

春来れば 花自ずから咲くように
秋くれば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため

夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために 誰もが生きているんだよ
悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため

   「いのちの理由」は、さだまさしさんが2009年6月10日にリリースしたアルバム『美しい朝』に収録されている楽曲です。作詩・作曲はさだまさし、編曲は渡辺俊幸さんです。さださんは浄土宗から「法然上人の教えを現代の人にも伝わるような歌に」と依頼を受けこの曲を書き下ろしました。「法然上人800年大遠忌」(2009年)を記念する「法然共生(ともいき)イメージソング」として発表されました。そのため、宗教的な背景を持つ楽曲ではありますが、特定の宗教色を一切感じさせず、歌詞には普遍的な人間のテーマが込められており、宗教を超えて多くの人々に感動を与えています。さださんは、自身の楽曲制作においてしばしば人生や人間関係をテーマに取り上げますが、「いのちの理由」では特に「生まれてきた理由」という命題に焦点を当てています。発表時のコメントです。

 制作にあたって、法然上人に関する資料を読みながら、皆さんに分かりやすいように、自分なりに解釈しました。みんな救われたいなど、どう救われたらいいのかがわからないというのが実状ではないでしょうか。この曲を聴いていただいて、それをイメージしていただければありがたいです。もともと鎌倉仏教に興味がありました。当時、比叡山からすばらしいお坊さんが何人も輩出されましたが、その中でも法然上人は革命的な方だと思っていました。素晴らしい方の言葉は、短くて分かりやすくて力強い。なぜ生まれてきたのかという疑問を法然上人のお考えと組み合わせて自分なりに表現したつもりです。この曲の実際の制作時間は1ヵ月ほどですが、音楽活動をしてきた35年をかけて作ったといえるのではないでしょうか。今まで私が経験してきたことが全てこの曲に入っています。「幸せになるために誰もが生まれてきた」というフレーズは譲れません。(さだまさし談)

 彼は、私たち一人ひとりがこの世に生まれてきた意味を深く考える機会を提供したいという思いから、この曲を作り上げました。歌詞は、非常にシンプルで力強い問いかけから始まります。「私が生まれてきた訳は?」というフレーズが繰り返されることによって、聴く者は自分自身の存在理由について自然と考えさせられます。また、この曲を通して、人とのつながりや愛の大切さを伝えようとしています。家族や友人、そして大切な人との出会いがいかに人生を豊かにし、意味を持たせるのかが、歌詞の随所で語られています。こうしたテーマが、宗教的な枠を超えて広く共感を呼び起こしているのです。さらに、「いのちの理由」東日本大震災以降、多くの人々に支えや慰めを与える楽曲としても知られるようになりました。災害や困難な状況の中で「なぜ自分は生き残ったのか?」「命とは何か?」を自問自答する中で、この曲がラジオなどで流れ、多くの被災者や支援者の心を救いました。生きる意味を問い続ける人々にとって、この曲は心の拠り所となり、希望の光をもたらす存在となっています。東日本大震災の直後、さださんがあちこちの避難所で歌った際に、一番喜ばれたのがこの歌でした。「悲しみの海の向こうから」の後に「喜びが満ちて来るように」の部分が一番重い箇所でした。海辺で暮らして、海にあれほど酷い目に遭わされたというのに、決して海を恨んではいなかったのです。海は全てを奪い去ることがあるけれども、全てを与えてくれる存在でもあります。だから恩も畏れもあるけれども、それ以上に何より海を愛してきたのです。本当の「愛」とはそういうものなのだよ、と教わった気がしたさださんは、強烈な感動に震えます。さださんの温かくも力強いメッセージが込められたこの楽曲は、今後も多くの人々の心に深く響き続けることでしょう。普通なら「人は何のために生まれてきたのか?」という問いに対して「社会に貢献するため」「夢を実現するため」「何か偉大なことを成し遂げるため」などと答えそうです。「私が生まれてきた訳は 父と母に出会うため」「私が生まれてきた訳は 愛しいあなたを護るため」と、自分が存在する理由は、特別な功績を残すことではなく、もっと身近なところに答えを置いて「誰か(大切な人)に出会うため」であると説いています。家族、友人、そして未来に出会う「あなた」。人との繋がりこそが生きる理由であるという肯定感に満ちた歌です。私たちが人生の中で経験する「愛」「出会い」の重要性が深く刻まれており、この楽曲を通じて、私たちが生まれてくること自体が愛と出会いの連続であり、それこそが人間としての存在理由であると説いています。このメッセージは、現代社会においてもなお強く響くものであり、孤立感や疎外感に悩む人々に対して、温かく寄り添うような役割を果たしてくれます。

 サビのフレーズ「しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ」は、多くの人々の涙を誘います。悲しい出来事や苦しいことがあっても、それは「喜びの実」が実るための過程であり、全ての人は幸せになる権利を持って生まれてきたのだという、さださんらしい温かい眼差しが向けられています。「悲しいことがあっても、必ず良いことが起こる」と静かに肯定している歌です。さらに、歌詞の中で描かれる「愛しいあなたに出会うため」という一節は、愛の存在が人生における最大の喜びであり、そのために生きる価値があることを示しています。これは、個々の人間関係がどれほど大切かを改めて考えさせるものです。人生の中で多くの人々と出会い、愛を育むことで、私たちは自分自身の存在意義を確かめることができるのです。また、「愛しいあなたを護るため」という言葉に込められた意味も見逃せません。愛する人を守り、その人の幸せのために生きることが、人生に深い意味を与えるというメッセージは、家族や友人、パートナーなど、私たちが大切にする人々との関係を一層大事にすることを促しています。このように、「いのちの理由」の歌詞は、愛と出会いが私たちの人生にどれほど重要な役割を果たしているのかを、力強く、そして優しく語りかけてきます。人とのつながりが希薄になりがちな現代社会において、この歌詞は、私たちに再び愛と出会いの意味を深く考えさせるきっかけを与えてくれるのです。

 歌詞の中で「何処かの誰かを救うため」という言葉が出てくるように、人生の使命は自分自身だけのものではなく、他者に対しても影響を与えるものであるとされています。自分が生まれてきた理由は、他者との関わりを通じて社会に貢献し、誰かを支え、救うためであるという考え方は、さださんがこの曲で伝えようとした中心的なテーマの一つでした。これによって、個人の存在が周囲の人々にとっても意味を持つことが強調されています。さらに、「いのちの理由」は、人生が単に喜びや幸せだけで成り立っているわけではなく、悲しみや苦しみといった困難を乗り越える中でこそ、その使命がより鮮明になることも伝えています。困難な状況に直面した時、それを乗り越える力を与えてくれるのが、この曲の持つ強いメッセージです。私たちはそのような試練を通して成長し、より大きな使命を自覚していくのです。このように、「いのちの理由」は、私たちがどのように生きるべきかをじっくりと考えさせられる楽曲であり、人生における目的や使命を再認識させてくれる力強いメッセージが込められています。曲の後半では「誰かを傷つけ」「誰かに傷つけられ」「誰かに救われ」「誰かを救うため」という、人間関係の光と陰を含めた「いのちの循環」が描かれます。つまり人生には「出会い→幸せ」だけでなく、「傷つける→傷つけられる→救われる→誰かを救う」という循環もあるのです。ここにはかなり深い人間観があります。人間は完全に全量な存在ではありません。誰かを傷つけることもある。自分も傷つく。しかし、今度は誰かに救われる。そして自分も別の誰かを救う。この「人間同士の連鎖」そのものが生きるということなのだ、という考え方です。

 「いのちの理由」の歌詞は、そのシンプルでありながらも深いメッセージが、多くの人々の心に強く響きます。さだまさしの作品はしばしば、普遍的なテーマを取り扱いながら、聴く者に深い感動を与える力を持っていますが、この楽曲もその一例です。彼の歌詞は、日常的な言葉遣いの中に、誰もが共感できる深い意味を織り交ぜています。「私が生まれてきた訳は」という繰り返しのフレーズは、非常にシンプルですが、その後に続く言葉によって、個々の人生が持つ意味や価値を聴く者に強く意識させます。このシンプルさの中に込められた力強いメッセージこそが、さだまさしの歌詞の魅力です。

 また、さだまさしは、歌詞の中で大切なメッセージを繊細に伝える手法を用いています。例えば、彼は「愛しいあなた」という言葉を使って、特定の個人への強い愛情や絆を表現していますが、その言葉は誰にでも当てはまる普遍的な感情をも喚起します。これにより、聴く者は自分自身の大切な人を思い浮かべ、その存在の意味を再確認するのです。さらに、時に哲学的とも言える深い洞察を持ちながらも、押しつけがましくなく、聴く者に考えさせる余地を残しています。「しあわせになるために誰もが生きているんだよ」というフレーズは、人生の目的や意義について自ら問いかけ、答えを見つけ出すための手助けとなります。このように、彼の歌詞は単なる感情表現にとどまらず、聴く者の内面に働きかける力を持っているのです。そして、さだまさしの声とメロディがこの歌詞にさらに深みを与えます。彼の穏やかで温かみのある歌声は、歌詞のメッセージをより一層引き立て、聴く者の心にじんわりと染み渡ります。この音楽的な要素が、歌詞の魅力を最大限に引き出していると言えるでしょう。

 「生まれてきた理由」を探す→人との出会いに気づく→傷ついたり傷つけたりする→誰かに救われる→今度は自分が誰かを救う→最後に「愛しい人を護る」へ到達する、という歌の流れの中で、人生には、幸せもある、悲しみもある、人を傷つけることもある、傷つけられる頃もある、誰かに救われることもある、自分が誰かを救うこともある、その全てを含めて「あなたが生きていることには大きな意味がある」と肯定し、人生の意味を成功ではなく「人との出会い」の中に見つける歌です。「法然・浄土宗」という宗教的背景を持ちながら、最終的には宗教を超えて、親子・兄弟・友人・恋人・見知らぬ人、というごく普通の人間関係の歌でもあります。

 「いのちの理由」は、その深いメッセージと美しいメロディが多くの人々に感動を与え、さまざまなアーティスト(岩崎宏美さんやクリス・ハートさんなど)によってカバーされています。これによって、「いのちの理由」はさらに多くの人々に知られ、広がっていきました。それぞれのアーティストが持つ個性や感性によって新たな命が吹き込まれ、原曲とは異なる角度から、この楽曲の魅力が発信されています。また、カバーによってこの楽曲が新たな広がりを見せ、さだまさしのオリジナルバージョンも新たな世代に再認識される機会となっています。楽曲が持つ普遍的なメッセージは時代や文化を超えて共感を呼び起こし、カバーを通じてその影響力がさらに広がりを見せています。合唱曲や道徳の授業などでも親しまれていますね。

 この曲が広く支持されている理由は、シンプルで分かりやすい言葉、押し付けがましくない語り口で、誰の人生にも当てはまる普遍性にあります。特に、大切な人を亡くした時、人生に迷った時、自分を責めてしまいそうな時や、ふと孤独を感じた時に、自分の存在意義を考える時に聴くと、強く心に響く曲です。人は一人で生きているのではなく、意味を持って生かされている存在であるというメッセージを、静かに、しかし力強く伝える作品です。「出会いの奇跡」「愛する事、愛されること」「傷つき、癒されること」「誰かを護り、誰かに護られること」こうした日常の中に、すでに「いのちの理由」があるのだと気づかせてくれる歌です。そして、さださん自身も、「お前が生まれてきた訳はね、辛い思いをしている誰かの隣に、そっと腰かけて、小さく歌うことなのだよ」と強いメッセージをもらった気がしています。

 この歌の英訳付きリリックビデオが、つい最近公開になりました。心に響く素晴らしい曲です。世界中の人たちにぜひ聴いていただきたいものです。きっと感銘を受けることでしょうね。♥♥♥

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