松井稼頭央と茶髪

 昔、プロ野球のパリーグ・西武ライオンズが黄金時代でめっぽう強かった頃、松井稼頭央(まついかずお)という名ショートがいました。盗塁王にもなった、茶髪・金髪で奇抜な格好をしては、注目を集めていた選手です。日本人内野手として初のメジャー挑戦ということで、大リーグ(メッツ)に活躍の場を求め(3年総額約26億7,000万円で契約)ましたが、結局、芽が出ず期待ほどの活躍はできずに(それでも日本人内野手最長の7年間プレー、メッツ⇒ロッキーズ⇒アストロズ)、楽天に戻りプレーしていました。日米通算で2705安打で、MVP、トリプルスリーも達成したレジェンド選手です。

 その彼が、まだ西武時代に、突如として、トレードマークである茶髪をばっさりと切って黒髪にしてきたことがありました。大事件です!これは息子の非行に悩む、ある主婦からもらった一通の切実なファンレターがきっかけでした。

 髪を金髪に染めた松井さんの姿を見て、子供が不良になりました。卒業式に金髪、私服姿で出席するなど、もう親の手に負えません。もう少し松井さんが与える影響を考えていただけませんか。

 この言葉にはさすがの松井選手自身も、身につまされました。マスコミへの露出度増加による自らの社会的影響力の大きさを痛感させられると同時に、青少年たちへの間違ったイメージが伝わることへの罪悪感に思い悩んだそうです。そしてバッサリとカットして、黒髪に染めあげました。「髪が黒いぞ!」「あれれ、茶髪じゃない!」と、選手間・報道陣にどよめきが起こりました。「僕が黒くすれば、少しは青少年の役に立つかなと思って」松井選手。こうして改心したはずでだったんですが、またしばらくすると元の奇抜な格好に戻ってしまいました。人間、本性はそう変わらないということを如実に物語っている話ですね。

 私の尊敬する故・野村克也(のむらかつや)さんは、以前こんなことを書いておられます:

 評論家の草柳大蔵さんに聞いたところでは、「髪の毛は毛細血管であり、そこには人間の心理が表れる」という。髪型で自分を主張しようとするのは自己顕示欲の表れと言っていい。仕事に対する姿勢は、まず服装や態度に表れる。野球選手にかぎらず、ろくに仕事のできない者ほど外見で目立とうとする。仕事や生き方に自信が持てないから、外見で自分の存在を認めてもらおうとするわけだ。野球選手はプレーで目立てばよろしい。プレーで自分を主張できるようにならなければならないのだ。「心技体」とよく言われるが、よい仕事をするためには体力・技術・気力のバランスがとれていることが大切だ。自分では個性と思っているのか知らないが、奇抜な髪型をするのは「心」が乱れている証拠なのである。むろん、髪型やファッションに気を遣うこと自体は悪いことではない。しかし、それはきちんとTPOをわきまえた、人に不快感を与えない清潔なものでなければならない。プロ野球選手は、子どもが憧れる存在だ。スター選手がだらしない格好をしていれば、子どもたちが真似をしてしまう。  ―野村克也『強打者列伝』(角川oneテーマ、2014年)

 わたしは監督時代、選手に対して「茶髪や金髪のような意味のないことはするな」と身だしなみに対して口を酸っぱくしていった。「身だしなみまで監督が注意する筆よがあるのか?」と疑問に思う人もいるかもしれないが、わたしにいわさえれば大いにある。グラウンド上で「さすがプロだな」という感動を与えるのが野球選手ではないか。ファッショやスタイルが売り物の芸能人であれば、そうした身だしなみはいいだろうが、プロ野球選手に芸能員と同じスタイルなど必要ない。ある心理学者によると、茶髪や金髪にしたがる若者の心理は「自己顕示欲」なのだという。「これだ!」と自身を持って目立てるものがないから、服装や髪の毛でごまかしてしまう。野球以外の部分で目立とうとするのは、二流の証拠だ。 ―野村克也『野村克也全語録』(プレジデント社、2022年)

 松江北高でも、3学期の終業式後に行われる「離退任式」には、体育館会場に、二週間前に卒業したばかりの卒業生たちが沢山押しかけて参列してくれるのですが、この人たちの格好を見ると、情けない人たちがいかに多いことか!!大学の合格発表と同時に、髪を異様な色に染め上げ、奇抜な格好をしてやって来ます。はたから見ていて不快感を覚えます。「この人たちは本当に大学に勉強しに行くんだろうか?!」と疑念を抱いてしまいます。教育の何かが間違っているのでしょう。スタートをゴールと勘違いしているのかもしれません。私がサッカーが大嫌いなのは、こういう勘違いをしたちゃらちゃらした選手が多いからです。本当にすごい選手は、プレーそのもので魅了してくれます。「いや、外見と内面は無関係だ」と主張する人もいるでしょう。大好きなさだまさしさんが、ファンクラブ(「まさしんぐワールド」)会員に向けて、意見には個人差があります」というタオル(今治製)を販売されたんですが、この問題もそうなんでしょうね。でも私自身は、外見や格好ではなく、中身で目立ちたいと思っています。「仕事で勝負する」ということです。♥♥♥

【補足】 数年前に西武の二軍監督の松井稼頭央が次期監督になることが決定的、と報道がなされました(誤報でした)。西武球団内にあった「FAで出て行った人間には二度と敷居をまたがせない」という古い慣習が改められるきっかけとなったのが、松井二軍監督の帰還作業でした。2019年から、西武の2軍監督として指揮を執り、今年はヘッドコーチに就任していましたが、辻 発彦監督の退任(3年連続V逸)に伴い、来季からは監督を務めることが決まっています。ただ選手時代にレジェンドであった人たちが、ことごとく新人監督としては失敗していることを考え合わせると、前途多難であることが予想されます。「名選手、必ずしも名監督ならず」。巨人の高橋由伸監督しかり、広島の野村謙二郎監督、阪神の金本知憲監督など。

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知識・見識・胆識

 東洋古典に通じた陽明学者の安岡正篤(やすおかまさひろ)先生(「平成」の元号の発案者でもある)がよく語られた言葉に、「三識」というものがありました。識」には三つあると。「知識・見識・胆識」の三つです。この三つを意識することが大切です。

 「知識」とは、理解と記憶力の問題で、一般的に本を読んだり、人からお話を聞いたりすれば知ることのできる、大脳皮質の作用によるものです。平たく言えば、「情報の集まり」、つまり全ての学びの出発点ですね。さまざまな情報やデータを理性のレベルで知っているということです。しかし、いくら知識をたくさん持っていても、それだけでは単なる物知りというだけで、あまり意味がありません。「知識」は、その人の人格や体験あるいは直観を通じて「見識」となります。

 「見識」は、現実の複雑な事態に直面した場合、いかに判断するかという判断力の問題だと思います。「見識」を養うには、歴史や古典から学ぶことが効果的です。安岡先生に学んだ多くの政財界の要人は、『論語』や『史記』など、中国古典の教えを学びました。長年読み継がれてきた古典的な書物は、人類の知恵の宝庫です。「知識」に、自分の考え方を付加価値としてプラスしたものです。「知識」が信念にまで高まったものであり、自分が信じているということです。分かりやすく言えば、「知識」が生野菜であるのに対して、「見識」はそれを素材にしてサラダや炒め物にして美味しく食べられるようにしたもの、と言っていいと思います。

 この料理を美味しく味わい、栄養分を自分のものにするところに「胆識」が生まれます。つまり、「胆識」とは、「見識」に勇気・決断力と実行力が加わった能力です。「胆識」は、肝っ玉を伴った実践的判断力とでも言うべきものです。困難な現実の事態にぶつかった場合、あらゆる抵抗を排除して、断乎として自分の所信を実践に移していく力が「胆識」ではないかと思います。せっかく優れた「見識」を持っていても、意見を言うだけで実行力がなければ、ただの「評論家」で終わってしまいます。特にビジネスの世界では、実行力がなければ成果は上がりません。「胆識」を養うには、苦労・挫折の体験が一番の肥やしのようです。魂のレベルで固く信じているがために、何ものも恐れないという状態です。

 「知識」というのはデータそのものです。「見識」とは、「知識」プラス自分なりのものの考え方。分かりやすく言えば、生野菜としての情報を豊富に揃えると同時に、それをうまく調理して食べやすくすること。要するに知識を昇華して自分のものとすることです。限りなく「知恵」に近いものと言うことができます。最後の「胆識」とは、「見識に決断力と実行力を付け加えたもの」と定義できるでしょう。そういう意味では、集団の指導者(リーダー)に必要なのは、「知識人」「見識人」ではなく、「胆識者」であるということです。「百聞は一見にしかず。百見は一考にしかず。百考は一行にしかず」です。このような「胆識」が備わって初めて、いかなることが現れようと、正しい判断を下し、敢然と目指す方向へ組織の舵取りをすることができるのです。♥♥♥

◎《教訓》「胆識」を磨け!!

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八幡復帰第1弾講演会!!

 「共通テスト」が終わりました。指導にあたられた先生方、受験生のみなさんはお疲れ様でした。さあ、ここからが勝負です。結果に一喜一憂することなく、志望校を目指して努力を重ねて下さいね。リーディングリスニングも昨年から大きな形式変更はありませんでした(リスニング4問Aのイラストの並べ替えが消えた)。「共通テスト」の直前に私はこのブログで、「今年は難化」「終わった後はネット・マスコミでデマが飛び交うので注意」とアドバイスしました。今回の「英語リーデイング」に限って見ても、直後に、駿台・ベネッセ→【やや易化】、河合塾→【昨年並み】、代々木ゼミナール→【やや難化】、東進ハイスクール→【昨年並み】 と、各社まちまちの難易度予想を公表していました。第6問Bの問題は非常に読みづらく、解答根拠もバラバラであったため、思わぬ時間を食った受験生も多かったと予想します。総語数も多く、最後まで行かなかった生徒も多くいたはずです。決して簡単な試験ではありませんでした。引っかけのワナや、見事な「言い換え」が随所に盛り込まれた問題に解きながら感心することしきりでした。

 さて、先生方にお知らせです。ZOOMによる八幡「共通テスト」の講演会「2024大学入学共通テストに求められるチカラとは ~2023大学入学共通テストの問題分析の報告と指導事例の講演~」(ラーンズ主催)が、1月28日(土)午後2時より開催されます。1ヶ月にわたる右股関節の手術・入院からの「八幡復帰第1弾!」のお届けとなります。試験終了間もないのですが、ホカホカのレポートをお届けするつもりでおります。次の3点に絞ってお話をさせていただきます。

①「2023年共通テスト」の問題分析~八幡バージョン

②その効果的な対策とは?~八幡の指導実践事例より

③今後の展望~注意すべきポイント

 種々の最新資料を提示させていただくと共に、指導事例の効果的なプリント類のダウンロード・サービスを実施いたします。ご覧頂いた先生方には、特典として「共通テストの解き方の流れ」&「生徒が苦手とする共通テスト特有の問題の迫り方  Ver.2」の資料をお届けしますので、明日の授業から「共通テスト」対策にすぐにでもお使いいただけることと思います。

(1)日時:2023年1月28日(土)14:00~16:00  ZoomでのLIVE配信・動画視聴

(2)テーマ: 「2024大学入学共通テストに求められるチカラとは ~2023大学入学共通テストの問題分析のご報告と指導事例の講演~」 

(3)講師: 島根県立松江北高等学校非常勤講師&勝田ケ丘志学館講師 八幡成人

(4)申し込み:ラーンズのホームページよりお申し込みください⇒コチラです

 そしてこの講演をご覧いただいた最後には、先生方にビッグなプレゼントを準備しておりますので、是非お申し込みいただいて、お付き合いいただきますようご案内申し上げます。♥♥♥

★★★プレゼントが・・・!!

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叶匠壽庵

◎週末はグルメ情報!!今週は和菓子

 私の好きな和菓子のお店に「叶匠壽庵」(かのうしょうじゅあん)があります。「叶匠壽庵」は、1958年創業の老舗和菓子店で、総本店は滋賀県の大津市にあります。創業64年で、革命的な和菓子を次々に生み出す、注目されている和菓子メーカーさんです。テレビ東京の『カンブリア宮殿』で、村上 龍さんも絶賛していましたね。「叶匠壽庵」は、菓子作りの理想の象徴を「梅林」であると言っておられます。梅花の一弁一弁に言葉を当てはめ、「五弁の思想」という和菓子の世界観を持っているのです。お店の名前には次のような思いが込められています。

叶…お客様のお口に叶いますように。

匠…新たな感性と伝統の技を融合させることで一つの菓子へ と表現する職人芸を日々磨きをかける。

壽…いのち永く生きることをことほぎ歓ぶおもてなし。

庵…湖と川と里山の自然に抱かれた小さな菓房。

 創業者の故・芝田清次さんは、「お客様をお見送りするとき、お客様の姿が見えなくなるまで、感謝の気持ちを込めてお見送りする」と言っておられました。私の尊敬する故・松下幸之助さんも、会社を訪れたお客様が帰られるときは、いつもその姿が見えなくなるまで見送り、最後に深々とお辞儀をしておられましたね。

 1958年に開店した滋賀県大津市の小さな和菓子屋「叶匠寿庵」は、15年後には日本の菓子業界を代表するブランドになっていました。1971年に、看板商品となる「あも」を発売。1973年に「阪急うめだ本店」のデパ地下に出店すると、ブームに火がつきます。その後、西武池袋本店と日本橋高島屋等にも出店し、1977年頃には、その3店舗で、全国すべての百貨店における菓子売り場の売り上げベスト3を占めるまでになりました。

 創業者の芝田清次さんは、39歳の誕生日を迎えるまで、まったく和菓子づくりとは無縁の仕事をしていました。18歳の時に徴兵され、日中戦争に従軍して中国に派遣され、歩哨に立っていた時に、銃撃を受けて左目を失いました。帰国後は警察官になりますが、留置場に勤務していた時に同僚との間でトラブルがあり、大津市役所へ転職します。市役所では、観光課で観光主任のポストを任せてもらえたのですが、しばらくすると「今ひとつ仕事として刺激が足りない」と感じるようになっていました。辞める決意を固めた頃には、「激しく未知の可能性への挑戦に己を賭けてみたい」と思うようになっていたといいます。

 1958年、芝田さんは家族の反対を押し切り、満39歳の誕生日に市役所を辞し、生まれて初めての和菓子づくりをスタートしました。餡炊きなどの基本は、友人の菓子屋の職長から10日間だけ教わったものの、最初はかなり苦労しました。炊いた餡は全体の7〜8割しか売り物にならない。それでも、明日の餡炊きに必要な丹波小豆を仕入れるために、毎日売り続ける必要がありました。雨の日も、風の日も、雪の日も、琵琶湖の近くにある「圓満院門跡」の駐車場に止まる観光バスの乗客に向かって、窓の下から窓の下へと「お菓子いりまへんか、買うておくれやす」と、声をからしながら売りさばきました。そうこうして、何とか和菓子をつくり続けて半年ぐらい経った頃のある日、店の前に立派な外車が停まり、運転手さんがうやうやしく後部座席のドアをあけました。当時、お客様の9割は近所か地元の人だったので、とても驚いたといいます。降りてこられたのは背の低い小柄な、精力的な風貌の、いかにも頭脳明晰な感じの眼の輝きをおもちの中年紳士でした。ただ、暑い盛りの夏の日ではあったにしても、その身なりはいかにも無雑作でした。開襟シャツはともかくとして、下はなんと縮みのステテコ姿だったのです。靴は一見して最高級とわかる上等の皮靴。つまり相当な地位のお方が、たまたま暇をみてふらッとお立寄りになった、いわゆる“お忍び”の感じでした。その方に続いて立派な奥様がお降りになりました。

「いや実はな、このあいだ知人からあんたのとこの最中をもろうてな。なんともいえん純な味わいに感心したんや。わしもこれ(奥様)もあの味が忘れられんようになってな」

 そのお客様は、なんと1万円分の最中を買ってくれたといいます。現在の貨幣価値では、5万円はくだらない額です。特に指示したわけでもないのに、家族全員が店の前までお見送りに出ました。

 ふと見ると、老いた両親は、胸の前に両手を合掌させながら、まるでお念仏を唱えるように「有難うございました、有難うございました」と呟きつづけています。二人とももう顔中、涙でくしゃくしゃになっています。その顔を見た途端、私も、それまでこらえにこらえていたつもりの涙がこらえきれず、堰を切ったようにほとばしらざるをえませんでした。脇の家内も泣いています。そしてふとうしろを振り返ってみると、小学生の息子と娘までがポロポロポロポロ涙をこぼし、しきりにしゃくりあげているではないですか。

 去ってゆく外車からは奥様が、後の窓に手をつけて振ってくださっています。ご主人はご主人で窓を開け、顔を突き出され「いつまでも頑張れよーッ、応援してやるぞーッ」と、車が見えなくなるまで励ましのお声をかけつづけてくださいました。

 その時の光景は、家族全員、生涯忘れられないものとなったはずです。失礼にあたると思い、そのとき芝田さんは相手の名前を聞きそびれたそうですが、わずか10日ほど後に、再び来店してくださったので勇気を出して聞いてみたといいます。「わしか、わしは伊藤忠の越後や」その人物こそ、伊藤忠の“中興の祖”と称される元社長、越後正一だったのです。

 竈(かまど)の前に座り、「竈さん、竈さん、いい和菓子を作れますように」と祈り、中学校を卒業したばかりの若者を中心に採用して、まさにゼロからの出発でした。作った和菓子を近くにある三井寺に行商に行き、観光バスの客相手に売って歩きました。雪が降るある冬の日、観光バス客に売って歩いていた時、肩に積もった雪を払ってくれる人がいました。「一生懸命やっていれば、道が開けてくる」三井寺の住職でした。これで元気を取り戻したといいます。

 次第に有名になり、今では「高級和菓子」の地位を獲得できるようになりました。京都銀閣寺では、和服姿の女性店員が、お客様の姿が見えなくなるまで、笑顔でお見送りをしておられます。♥♥♥

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『青春の読書』

 尊敬する故・渡部昇一(わたなべしょういち)先生の、若かりし頃の読書体験(~大学院時代)を綴った大著『青春と読書』(ワック出版、2018年)を、入院した日赤の病室のベッドで読み返していました(本を山ほど持ち込んで、リハビリの時間以外はひたすら読んでいました)。同社のWiLL創刊10周年記念出版の本です。表紙の文字の手触りを味わい、614ページの「厚さ」の重みを感じ、読み終わった後の達成感も味わうことができます。「知の巨人」と謳われ、溢れ出る知識の持ち主が、どのようにしてその知識を蓄えたのか?決して強制されたのでもなく、必要に迫られてのものでもなく、ひとえに「貪欲な読書」によるものだということがよく分かる内容です。ただただ本を「愉しんでいた」様子が、ひしひしと伝わって来る文章で、渡部先生が学ばれた人生を読書遍歴中心に振り返った本です。山形での幼少時代から英語を学んだ大学、ドイツ留学時代、そして上智大学での教鞭。この間に読んだ本が膨大で滅茶苦茶幅が広い。英語文法に拘った点が多いのですが、俗っぽい本から古典、哲学書、そして何よりも原書の読書体験が多く語られます。また真の歴史、語学の古典を知っている本物の恩師との出会いと感謝の気持が熱く語られているのです。影響を受けた大量の本の紹介に加え、御自宅の15万冊の蔵書に囲まれた様子がカラー写真でも見ることができます。まさにこの本自体が「渡部昇一図書館」でした。なお、渡部先生の書斎を写した写真が本書の中にも色々あって、これ、本当に個人の書斎なの?イギリスの由緒ある古書店の写真とかじゃなくて?って感じです。

 本の中にふんだんに出てくる、先生の圧巻の書斎の写真を見れば(個人の蔵書(15万冊)としては世界一と聞きました)、本好きの最終ゴール地点を実感することができます。その存在はあまりにも巨大ですが、「本を愛する気持ち」を共有できることが嬉しい一冊です。私の退職にあたって、ねぎらいのお手紙(写真上)を渡部先生からいただいたことは、何よりも嬉しかったものでした。

 私は『Will』(ワック出版)誌に連載中から、この先生の記事を毎号楽しみに読んでいました。先生はご自分でも書いておられますが、「遅進児」であったといいます。先生の並みの人間と隔絶した才能は、とにかく根気よく、継続して、咀嚼力を以て本を消化し、血や肉として自分の体に取り込んでゆく点にあります。一つ一つのものを確実にマスターしていく力にはただただ感嘆あるのみです。また先生は、学問の楽屋裏を正直に開示してくれる稀有の人です。講談社のキングや富士などの家庭向き大衆雑誌を、繰り返ししゃぶるほど読んだなどと、書く人はあまりいないと思います。旧制中学入学当初、英単語のスペリングなどというものは、暗記すべきとはつゆ思ってはおらず、赤点をとったという、楽しいエピソードも聞かせてくださいます。故・山本夏彦氏が、渡部先生が戦後意識して無視されていた徳富蘇峰を再評価し、近世日本国民史は、歴史に残る名著・労作であり、「これがあれば、たいていの時代小説を、書くことができ、多くの著述家は、蘇峰の本をネタ本として利用しているのに、そのことを表に出そうとしない。」と述べたことを、激賞した文を書いておられました。その時、山本さんは、「誠に、正直な人」と褒めたのです。渡部先生には、佐藤順太先生という憧れのお手本がそばにおられました。自分の経験からしても、「この先生の様になりたい。」と思う師匠に出会ったとき、ひたむきに頑張ることができるものです。この本を読んだ人にはぜひ、故・谷沢永一(たにざわえいいち)氏さんの雑書放蕩記・読書連弾などと読み比べて楽しんでいただきたいものです。稀有な二人の読書人の書いたものから得られる物が多いことは、保障します。

 本書『青春の読書』で特に力を入れているのは、鶴岡第一高等学校時代から上智大学時代にかけてずっと恩師であった、英語の佐藤順太先生という方のことでした。結局、本書は、佐藤順太先生を始めとする渡部先生の数多い恩師たちに捧げる「先生とわたし」本と言えましょう。渡部昇一先生は、習った先生の影響をやたらに受けまくる「素直なスチューデント」という印象です。で、素直なスチューデントだけに、人間だけでなく本の影響も受けまくる。本書はそうした、恩師・恩書へのオマージュで満たされた614ページでした。

 この本は、読書好きにとっては、一気に読むことのできる、楽しい本です。♥♥♥

 
 

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「共通テスト」を前にして

 何とか「共通テスト」にギリギリ間に合って退院することができ、松江北高補習科、理数科、勝田ケ丘志学館でそれぞれ2時間授業をすることができました。「共通テスト」を直前に控えて、次のようなことを生徒達に伝えました。私の長年の知恵と体験に基づいたアドバイスです。参考にしてください。♥♥♥

①今年の英語は「難化」の可能性が高いこと。

②問題が配られたら、必ず第1問から第6問までをパラパラと眺めておくこと。昨年の本番問題や日頃の模擬試験とは、微妙に変わった傾向の問題が出る可能性もあるので、一応確認しておくと心強い。変化がなければそのままやればよいし、違う傾向の問題が出ている場合はそれを頭に入れてから解き始めること。

リーディングが終了したら、ただちに音源を耳にして、リスニング試験が始まるまで「耳慣らし」をしておくこと。決してリーディングの答え合わせなどをしてはならない。

④期待した得点が取れなかったからといって、「もう今年はダメだな」などと自分勝手に判断してはならないこと。特に荒れた入試の年ほど、意外な結果が出るものだ。昨年の結果を見れば明らかだ。

⑤正解の選択肢は「言い換え」、誤りの選択肢は「スリ替え」だ。

⑥リーデイング、リスニング共に、ワークシートが与えられている問題は、まずワークシートに目を通してから始めること。「本文はこんな風に進んでいきますよ」ということを教えてくれるのだ。

⑦自己採点後、ネットやマスコミで流れる情報はデマが多いこと。右往左往してはならない。

⑧自己採点後公表される各社判定システムの判定画面で、Aだ、Bだ、Dだ、などと騒ぐのは全くのナンセンスであること。それはなぜか?

⑨リーディング、リスニング共に、長文問題のテーマには「SDGs」「Society 5.0」のトレンドワードが狙われる可能性が高いこと。

⑩(自分の志望校の学部学科の昨年の合格最低点)-(自分の傾斜得点)=合格に必要な二次得点(目安に)を自分で算出し、自分の二次力と照らし合わせておくこと。二次試験で挽回ができるのは二次配点の10%と知ること。

 受験生のみなさんが全力を尽くし、自己ベストを発揮されることを節に願っています。頑張ってください。♥♥♥

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characterとpersonality

   日本語の「性格」を英語で言うとき、 character personalityという二つの英単語があります。この二つの単語はいったいどこがどう違うのでしょうか?

 「character」は、ギリシア語の charakter「刻みつけられた印」から英語に入りました。「印刻」から「記号」となりさらに「性格」の意味になったものです。それに対して、「personality」は、ラテン語の personalis 「個人の」から英語に入りました。personality の -ity は「性質、状態、程度」などを表す語尾です。personality は、「個人の性質や状態」から「個性、性格、人格」という意味になりました。

 「character」は、その人の持つ特徴や人格、品位など道徳的な性格を表す語。一緒に使われる語には、 bad, good, great, noble などの形容詞があります。必ずしも、個人について用いられるとは限らず、集団・国民性・動物・非生物に関しても用いられます。一方「personality」は、他人への振る舞い方や印象を表す人柄、性質を表す語で、一緒に使われる語には、pleasant, warm, lively, violent, quiet などの形容詞があります。

 「character」は基本的に「変わらない」部分で、あなたの内面そのものを表す単語です。それに対して「personality」は、態度や振る舞いとして現れる部分の性格です。状況や判断される人々によって変わりうるものです。周囲に与える影響や関係をかもし出す「性格」です。

 私はこの両者の違いに関して、若い頃にいろいろと調べて、次のような【類義語】解説を『ライトハウス英和辞典』(研究社)に書きました(この辞典の【類義語】欄は故・竹林 滋教授の命で私が全部執筆したものです)。特にその用例が参考になるでしょう:

【類義語】 character  道徳的・倫理的な観点からみた人格・特性  personality 人柄・個性といった意味での特性:Professor Smith has character but no personality. スミス教授は立派な人だが、おもしろ味がない。 

 このような両者の違いを、尊敬する故・渡部昇一先生と故・谷沢永一先生のお二人が、歌人の石川啄木(いしかわたくぼく)を例に出して語っておられました(『人生行路は人間学』(PHP研究所、1997年))。金田一春彦先生石川啄木のことを、あんな嘘つきはいない、と言って激怒しておられたというのです。啄木の破廉恥のために両親がどれだけ困らされたことか、啄木がどれほど親不孝であったかを、さんざん見ておられます。父・金田一京助先生石川啄木は、同じ岩手県渋民村出身で、小中学校の先輩と後輩関係になり、唯一無二の親友同士でした。実は、伝記を読むと、啄木という男は、お金にルーズで、女性にもルーズなダメ男でした。あれだけ立派な歌を作った啄木がです。最も有名なところでは、「たはむれに 母を背負いてそのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」などの感動的な歌がありますね。彼は親不孝をしながら、自分は親不孝だと思っていました。本物の親不孝には、反省がないので歌は作れません。彼は友人の金田一京助先生をだまして、なけなしのお金をとっては吉原に直行します。心の中では悪いと思いながらも、次にまた同じことを繰り返します。そんな破廉恥な行動を起こすエネルギーがあって、それを反省するセンサーもあって、表現力があって、はじめてあの感動的な作品ができるわけです。啄木には、このような二重人格のようなところがあったというのです。お金を貸してくれと言われれば、自分の蔵書を売ってお金を工面します。奥さんの嫁入り道具の着物まで質屋に入れて、啄木のためのお金を作っています。住むところがないと言えば、下宿に一緒に住もうと言い出したりもしました。characterというのは、修養してだんだん固めていく形、つまり能面のようなものです。対してpersonalityは、固まらない状態のまま、豊かに湧き出てくるものです。啄木は友人の金田一京助夫妻から金を借りる時は、これで生活を建て直そうと思うのでしょうが、人格が固まっていないわけですから、金を手にした途端にフニャフニャとなって、遊郭の方へ行ってしまうのです。金田一家に金を借りに行っている瞬間には、その金で吉原へ遊びに行こうという計画はなかったと思います。そこまでの悪ではありません。ところがいったん金を握ってしまうと、前後の見境がなくなって人格が変わってしまうのです。せっかく金があるのに、これをむざむざ生活費になし崩しに使ってなるものか、一発パーッとやろう!ということになるのです。わがままで見栄っ張りな借金王なのですが、その実、明るく素直でさっぱりとした性格でもありました。両親の苦労をさんざん見ていた金田一春彦さんが、今もって啄木を許せないのは当然かもしれません。♥♥♥

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入院生活を勇気づけてくれた曲

 この度の一ヶ月にわたる入院生活を支えてくれた曲が2つあります。もうそれはベッドの上で毎日聴いておりました。聴く度に勇気と元気をもらい、動かない右足を奮い立たせておりました。そんな2曲の思い出を書いてみようと思います。2曲とも、詩を書いたのはさだまさしさんです。梶井基次郎が好きだった若い頃のさださんに、「梶井ときみの詩には共通点がある。それは透明感とやさしさだね」と喝破したのは作家の森敦先生でした。

 2019年のカウントダウン・コンサートの最終盤に、さださんはこんな言葉を語りました。

 こんなに頑張っているのに、なかなか評価されない。こんなに頑張っているのに、誰も褒めてくれない。でも、自分がいるじゃないか、と僕は言いたいんですよね。自分だけは、ちゃんと自分のことを分かっているから。

 こうした自己肯定のエールを背景に、あー、さださんらしい曲だなと一番に気に入った曲が、柊の花」(ひいらぎのはな)でした。さださんは、去年の秋、澤 和樹先生(当時:東京藝術大学学長/バイオリニスト)と藝大の「奏楽堂」でコンサートをする機会があって(さだまさしの名によるワルツ」という名曲が誕生しました)、その時澤先生に、澤さん、僕の歌でもバイオリンを弾いてくれませんか?」とお願いしました。「やります」と言ってくださったので、さんの名器“ガルネリ・デル・ジュス”1732年製の名器「アークライト」) が鳴ることを前提として書いたのが、柊の花」なんです。素晴らしかったですね、さんの演奏は。技量はもちろん、音色も本当に美しくて、音楽をやる人間として、心ときめく瞬間だった、とさださんは語ります。子どものときの自分に「将来、藝大の学長がお前の歌でバイオリンを弾いてくれるぞ」と言いたいですよ。たぶん信用しないでしょうけど(笑)、と。実にぜいたくないい曲です。さださんは、澤先生の凄みを見せつけてくれるフレーズが3小節くらいあればいいなと思っていましたが、編曲者の盟友・渡辺俊幸(わたなべとしゆき)さんは、澤先生が弾いてくださるのだからと、腕によりをかけて難しい譜面を書いてきました。またそのややこしいことを、普通の顔でスラっと弾いてしまうところがこの人のすごいところです。NHKの生歌番組「うたコン」に出演した二人の演奏には、もう鳥肌がたちましたね。さださんがお礼のメールを送ったところ、澤先生から『私のこころが解き放たれた。その責任をとてもらわないと』と返信があったそうです。あんなバイオリンの音色、初めて聴きました。むずかしい歌だけど、とても癒されます。生きる力が湧きます。まさに歌の力です。さださん、ありがとうございます。間奏のバイオリンのすごさに、ただただ震えておりました。

     柊の花       作詩・作曲 さだまさし

宵闇の手探りの中でこそ
仄かに匂う柊の花
見せかけの棘にそっと隠した
その麗しくゆかしき花

その花の名前を呟くとき
美しさとは何かを思う
誰も居ない末の秋に咲いて
冬とすれ違いに行く花

愚かしい過ちの数々を
一つ一つ胸に並べている
あなたはそれでもこんな私を
許してくれるだろうか

終列車が鉄橋を渡る音
秋風の気紛れなカデンツァ
明日は木枯らしが吹くらしいと
遠い窓の灯りが言う

辛い夜を過ごすあなたに
いつか本当のさいわいを
届けることが出来ますように
私に許されますように

宵闇の手探りの中でこそ
仄かに匂う柊の花

▲澤和樹先生のバイオリンが泣ける

 

 さてもう一曲は、2007年のクリスマスに放送されたTBS「クリスマスの約束」がきっかけで制作された、小田和正さんとの幻のコラボレーション音源(さだまさし作詞・小田和正作曲・TBS番組共演楽曲「たとえば」)です。ファンにとっては夢のようなコラボでした。しかし所属レコード会社の関係もあってか、なかなかリリースされることはありませんでした。今回小田さんもさださんもTBSも「この曲をそのままにしておくのはダメだよね」ということになって、当時のテレビの音源を小田さんがリミックスし直し、それをさださんがさらにリミックスを重ねて完成させたのがこの曲「たとえば」です。小田さんにも「もっと良くなったね」と言ってもらいました。

      たとえば」
                 小田和正・さだまさし共作

話したいことが  幾つもある  あの頃の僕に会えたら
たとえば  迷いながら選んだ道の  辿り着く場所について
伝えたいことは  他にもある  あの頃の僕に会えたら
たとえば  信じていたことの正しさと  その過ちについて
それから不安を胸に映し  怯えたあの夜の闇も
たとえば  ありもしない夢に紛れて逃げたことも

あの頃の僕に告げたいのは
ひたすら  そこから  ひたすら  歩き続けること
あの頃の歩幅でいいから
ひたすら  ただ  ひたすら  生きてゆくこと

尋ねたいことが幾つもある  未来の僕に会えたら
たとえば  傷ついたり愛された  この命の重さや
尋ねたいことは他にもある  精一杯生きたかどうか
たとえば  奇跡的にめぐり会えた  愛しい人のことを

ここからの僕に言えることも
ひたすら  このまま  ひたすら  歩き続けること
今のままの歩幅でいいから
ひたすら  ただ  ひたすら  生きてゆくこと

ひとつだけ言えることは  全ては今日のために
たいせつなことはひとつだけ  全ては今日のために

話したいことが幾つもある  あの頃の僕に会えたら
話したいことが幾つもある  未来の僕に会えたら

 「クリスマスの約束」番組中で、2007年10月19日に、さださんが、崇拝する小田さんの事務所に打ち合わせにやって来たところが放送されました。「あの頃の若かった自分に向けてメッセージを贈るのはどう?」という話になったとき、小田さんがとても興味深いことを言っていました。あの頃の自分に、お前それでいいんだ、そのままでいいんだって声をかけてやりたい」と。出来上がった詩は、作詩家としてのさださんの面目躍如たるすごい詞でした。

 さださんは高校生のとき、ノイローゼで眠れず、108時間眠らなかったことがありましたし、28歳のときに映画『長江』で28億、金利も入れると35億の借金を背負ったときが「怯えたあの夜の闇」でしょうか?幾度の苦渋の三叉路を選んで来たさださんですが、子どもの頃から修行してきたヴァイオリンを諦める決心をして、その後、グレープ」を経てソロになり、叩かれ続けた紆余曲折ある音楽人生。それが「迷いながら選んだ道の たどり着く場所」ということでしょうか。「あの頃の 歩幅でいいから」とは、走り疲れたら歩き、歩き疲れたら休めばいい、という哲学でしょうか。「ただひたすら 生きてゆくこと」とは、あたりまえに、ささやかでいいから、前のめりに生きたい、ということか?そんなことを思いながら、さだ・小田さんの詩、メロディー、歌声に魅せられました。さださんのコメントです。「本作「たとえば」は自分の生命や生きた道へのエールだ。決して後悔ではない」(ライナーズ・ノーツより) 

 小田さんと初めて会ったのは1974年か75年頃だと記憶してます。僕も小田さんたちが出場したヤマハのライトミュージックコンテストに出たこともあって、オフコースは憧れの存在でしたね。『クリスマスの約束』は何度も観てたので、声をかけてもらった時は“楽しみだなぁ”と思いました。そこで“一緒に曲を作りたい”と言われて、もちろん僕も歌作りをしている人間ですから、小田さんと一緒に歌作りをするのを、とても楽しみにしてました。が、いきなり『今から作ろう!ほれ、とりあえず詞を書いてみろ!』というノリには正直焦りましたね(笑)。いや、でも素晴らしい曲が出来ました。二人寄れば文殊の知恵ですなぁ。アッハハ。次回作は何時やりますか?この調子なら10日もあればアルバムができますなぁ(笑)。 ―小田和正会報「FAR EAST CAFE PRESS」Vol.354(2020年4月)

 この詩に感情移入しながら、自分の過去、未来の姿に思いを馳せながらベッドの上で聞いていました。少しずつ少しずつ動かなかった右足が動くようになり、1日1日回復していくことに勇気をもらい、リハビリに励んだ1カ月でありました。その入院生活を支えてくれたのが、今日ご紹介した2曲です。♥♥♥

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「丁賞感微名の法則」

 「人間関係の達人」に、「どうしたら、そんなふうになれるのですか?」と訊いたところ、「何も特別なことはしていませんよ」との答え。「けれど、“丁賞感微名”だけは心がけています」と言います。社会的な地位や収入などとは関係なしに、人を人として本質的に認めることのできる心根の持ち主、そこから自然に謙虚な態度というものが生まれてきます。その態度とは具体的にどのようなものでしょうか?これを、「丁賞感微名(ていしょうかんびめい)の法則」と呼んでいます。商業関係では賞感微名」と呼んだりもしています。

 人間関係をスムーズにする秘訣は、お互いを認め合うことです。相手を受け入れ、自分を理解してもらうことは、親子でも夫婦でも、恋人や友人でも、仕事においても、すべての人間関係に当てはまることでしょう。では、お互いを認め合うにはどうすればよいのでしょうか。それが、「人間関係の達人」が心がけているという、次の「丁賞感微名の法則」なのです。

 丁:どんな人にも寧に接する  低:どんな人にも姿勢で接する
 賞:人の良いところをみつけ、心から賛する
 感:どんなに小さなことでも、どんな人にもいつも謝を忘れない
 微:笑を絶やさない
 名:相手の名前をよく覚え、人と会話をしている間に、必ず相手の前を呼ぶ

 真に実力のある人ほど、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」の諺通り、おのずと腰が低いものです。人を褒める時は「事実」と「誠意」に基づいていなければなりません。お世辞では逆効果になる場合もよくあります。英語でも、compliment(心のこもった敬意)とflattery(お追従)を使い分けています。常に「感謝」の気持ちを持つことは言うまでもないでしょう。

▲新 将命さん

 私の尊敬する経営コンサルタント新 将命(あたらしまさみ)さんは、(株)ジョンソン&ジョンソンの社長時代、出社するとまずトイレに行って、鏡に自分の顔を映し、「微笑みした顔」「普通の顔」の練習をしてから、自分の部屋に入ったそうですよ。

 名前についても、欧米人から学ぶところが多くあります。とにかく彼らは、会話の中に嫌みにならない程度に、相手の名前を差し挟むのが実にうまいんです。人間にとって、自分の耳に一番心地よく響く音は、自分の名前だと言われていますからね。うまく相手の名前を呼ぶことができれば、会話の成功は間違いなしです。

 「なんか、あの人いい人だなあ」「誰からも好かれる人だなあ」という人は、いつもこの5つを実践しています。人は誰でも自分が大切ですし、自分に関心を持たれると、誇らしい気持ちになるものです。ですから、「丁賞感微名」を自分に向けられると、その相手から認めてもらったと感じることができるのです。認められていると実感すれば、その相手のことも尊重します。つまり、「丁賞感微名」は、相手を認めつつ、自分のことも認めてもらう掟なのです。「丁賞感微名の法則」は、信頼関係を築きたい相手、大切に思っている相手にこそ真価を発揮するのです。♥♥♥

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ニニピーペン

▲松江・田和山「ぶんぶん堂」にて

 松江・田和山今井書店センター店」の中に、文房具専門店「ぶんぶん堂」があります。ここには時々珍しい文房具が入荷していることがあって、私は今井書店に行くたびに必ずのぞいてみるんです。今日も面白いペンを見つけました。サンスター文具から出ている、1つのペン先にペンとマーカーが一体化した、特許申請中の新機能ペン『Ninipie(ニニピー)』(220円)です(2020年12月発売)。手に持ちながら、クルッと回転させるだけで簡単に使い分けることができます。ペン先にペンとマーカーの2本をを1つにするという、発想はあったのでしょうが、実際にそれをやってしまうサンスター文具はすごい!攻めてますよね。

 「ペンで書く「マーカーで引く機能を1つのペン先に集約させることで、持ち替える手間・煩わしさを解消した全く新しい新機能ハイブリッドペンです。最大の特徴は、ペン部分が少し傾いているところ。この傾きがあることで、書く時にマーカー部分がノートなどに付くことがなく、またマーカーを引く時にペン部分がノートに触れることがないのです。ペン先は、細かい文字が書きやすいニードルペン(0.5mm)と、大事なところを目立たせることができるマーカーペンの2種類が一体化し、手に持ちながらクルッと半回転させて向きを変えるだけで、簡単に使い分けることができます。絶妙な角度です。見た目には普通のマーカーペンとほとんど一緒です。2本のペンが1つになっていますが、ペンの太さはそこまで太くなってはいません。ペン先が一体化することで、ニードルペンとマーカーペンを別々に持つ必要がなく、ペンの数を減らして持ち歩くことができるため、ペンを複数使いたい方や、スリムタイプのペンケースを使う方にはオススメでしょう。2回キャップを外す時間のロスを埋めて、一度にできるのはありがたいですね。

 白を基調とした本体に、カラーバリエーションも豊富で、ライトピンク×ピンク、ライトイエロー×イエロー、ライトブルー×ブルー、グレー×ブラック、ライトグリーン×ピーチピンク、ライトバイオレット×ネイビーの、選べる6色展開です。「グリーン×ピーチピンク」だけ全く異なる色の組み合わせですが、そのほかは、同系統の組み合わせでした。ニードルペンとマーカーペンでインク色が異なるので、マーカーを引いた上からペンで文字を書き込む際にも見やすい仕様です。ロゴの「Ninipie(ニニピー)」の部分をよく見ると、マーカーとニードルペンのインク色で描かれているところなど、ちょっと手が込んでいます(写真右)。クルッと回すだけで2パターン使えるペン先のマーカーが便利なので、勉強シーンで活躍すると思います。ただペンの書き心地(ちょっと違和感を感じることがあり)自体はそこまで感動レベルではないので、どこまで普及するでしょうかね。私の評価では、アイデア賞といったところでしょうか。♥♥♥

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