再びbe willing to~

 3年生「7月進研模試」の英作文問題に「私には尊敬している祖父がいる。かつて銀行に勤めていた祖父は、今、地元で活躍している。…」という出題がありました。進研の「解答解説」には、「「地元の活動に進んで参加する」と読み替えて、be willing to take part in local activitiesなどと表現できる。」と解説しています。どうやら解説者はbe willing to~を「喜んで~する、進んで~する」と理解しておられるようです。不適切です。

 このbe willing to Vという成句の誤解については、私は各所で何度も述べてきました決して、私が高校時代に習ったような「喜んで~する」という意味ではありません。この成句は、やってもいい、異存はない、いとわない」程度の意味で、積極性は含まれず「本当はやりたくないけれど…」という気持ちを暗に示しています。尊敬するデイビッド・セイン先生は、be willing to …ifと、後ろにifの条件文がついていると考えるとよい、と的確なアドバイスをしておられました。そのことは、OALD(第10版)の定義“not objecting to doing something; having no reason for not doing something”(あることをするのに反対しない。あることをしない理由はない)からも明らかです。

 ただ残念ながら、まだこの成句を「喜んで~する」意味だと誤解しておられる現場の先生方がたくさんおられます。自分が高校時代に習ったことを、何の疑問も抱かずにそのまま生徒に伝えてしまっています。ちょっと気をつけて英文を読めば、間違いに気がつくはずなのですが…。このような誤解はまだかなり現場に蔓延しているように感じています。In fact(実は), be familiar with~(~をよく知っている), After all(結局) などはその代表選手です。

 実は、今年の「共通テスト本試験」リスニングの第1問問1にこの成句が取り上げられました(44.3%と正答率がとても低く、第1問の最初からこんな難しい問題かよ、と話題になりました)。英語を聞き、それぞれの内容に最もよく合っているものを、四つの選択肢(①~④)のうちから一つずつ選びなさい、という問題です。

(読み上げられた問題文)Fred loves dancing, so he never hesitates to 
perform for his classmates.
① Fred dislikes dancing for his classmates.
② Fred is willing to dance for his classmates.
③ Fred's classmates never see him performing.
④ Fred's classmates often perform for him.

 正解はもちろん②ですが、読み上げられた英文と選択肢②の間にはニュアンスの差が見られます。問題文は、「フレッドは踊るのが大好きだから、クラスメイトの前で踊るのをためらうことがない」→“ためらわない”という積極性・即行動のニュアンスが強く感じられます。大好きだからこそ、躊躇なく「ノリノリで」「速攻で」行動に移すという、積極的で肯定的な行動を表しています。一方選択肢の②は、「フレッドはクラスメイトのために踊るのをいとわない」→“やる気はある”という受け入れの姿勢を示しますが、積極的に自分から進んでやるということではありません。「(嫌がらずに)~する気がある」「(頼まれれば)~しても構わない」という消極的肯定(「嫌ではない」レベル)のニュアンスです。つまりnever hesitatesは「積極的にやる」「ためらいゼロ」、is willing to~は「やる気はある(少なくとも拒まない)」という差があるのです。しかしこの問題を論理的に考えると、「躊躇なくノリノリでやる(never hesitate)」人は、当然「やる気がある/嫌がらずにやる(willing)」という範囲の中にすっぽり含まれます。「大好きなんだから、嫌がるわけがない(=willingである)」という包含関係が成り立つため、矛盾しない選択肢となります。この同意文問題は意味の核心が一致しているかどうか(情報内容の一致)が基準であり、積極性の度合いまでは問いません。本文より少し控えめな表現に言い換えられるのは共通テストリスニングでよく用いられるテクニックです(performdance)。要旨を把握して適切な言い換えを選ぶ力という観点では、正解として妥当な組み合わせと言えるでしょう。しかし英語学の観点で同義かと問われれば、完全な同義ではありません。完全に同じ意味ではないが、「共通テスト」の同意文としては十分同じ内容と判断できる、というのが私の評価です。

 私が読書の際に集めた数々の用例からも感じられることですが、ネイティブ・スピーカーたちがこの表現にどのような感じを抱いているかは、次の証言からも明らかでしょう。

 I’m willing to help.  willingも多くの日本人に誤解されている言葉です。辞書にもwillingの項には“喜んで、快く~する」という意味だけが掲載されていることが多いのですが、これでは説明不足というしかありません。be willing to…というフレーズが出てきたら、be willing to…ifと、後ろにifの条件文がついていると考えてください。例えば、I’m willing to help.の場合には、I’m willing to help if you let me use your car.(自動車を貸してくれるのなら、喜んで手伝いますよ)といった何らかの条件をネイティブは想定しながら話をしているのです。   ―デイビッド・セイン『ネイティブに嫌われる英語』(アスコム)

 辞書や参考書の中には、”be willing to do”は「喜んで~する」と書いてあるものがありますが、この表現にはそうした能動的な積極性はなく、「~するのは苦ではない」というニュアンスで用いられるのがふつうです。古い日本語に「~するのもやぶさかではない」という表現がありますが、それにぴったりなのが”be willing to do”なのです。 ―キャサリン・クラフト『先生、その英語使いません!』(DHC)

 従来be willing toは「喜んで…する」という意味を表すと考えられてきましたが、これは正しくありません。というのは、この表現はbe glad [happy] toほど積極的な意味ではなく、「…しても構わない」というやや消極的な意味を表すからです。―柏野健次『英語教師のための語法ガイド』(大修館、2025年)

 私は、『ライトハウス英和辞典』(研究社)の編集作業の中で、M.アルトハウス先生(津田塾大学)の指摘で、このことに改めて気づかされました。そこで私は、『ライトハウス英和辞典』、「語法 be ready to…ほど積極的な気持ちはない:If you’d like me to go with you, I’m quite willing. (もしいっしょに行ってほしいのならお供してもいいですよ)/We were disappointed by the outcome of the election, but we’re willing to accept it.(我々は選挙の結果に失望したがそれを受け入れる気だ)」のような記述を残しました。他にもbe ready toなどと違い、自分から積極的にしたいというのではなく、特に反対する理由もないので同調の態度をとる時に用いる。ただし、willingが名詞を修飾する場合、また副詞形のwillinglyやwillingnessは、「喜んで」という積極的な意味を持つ」(『ジーニアス英和辞典』第6版)中でも最も丁寧な記述は、尊敬する山岸勝榮先生の『スーパーアンカー英和辞典』(学研)に見られます。「(1)be willing to doは通例必要なこと・頼まれたことなどを他人の希望に添うようにするときに「してもかまわない」という意味合いで用い、積極的な気持ちは希薄。(2)be ready to doはそのような場合にも、自発的に快くやる場合にも用いる」という語法記事だけでなく、コラム英作の落とし穴  喜んで…します」として「喜んでお手伝いします」を(×)I’m willing to help you.という人がいる。willing は積極的な気持ちは表さず、手を貸すのが務めだから手伝う、くらいのニュアンスになる。ほんとうに「喜んで」という気持ちであれば、I’d be glad to help you.とする。」と懇切丁寧な注記が添えられています。

 さて、意味に関してはそれぐらいにしておいて、赤野一郎先生古希記念論文集編集委員会(編)による『言語分析のフロンティア』(金星堂、2019年)という論文集があります。英語学、語法研究、辞書学、コーパス言語学など、学会を多岐にわたり牽引してこられた赤野一郎(あかのいちろう)先生の古希をお祝いするために編まれた論文集です。巻頭には、赤野先生の英語研究の歴史が「私の英語への旅路」というエッセイ(実は論文!)にまとめておられ、面白く読みました。私も赤野先生の論文には若い頃からお世話になって、勉強させていただいております。その論文集の中に、衛藤圭一先生「Be willing toに関する意味論的・語用論的一考察」という実に面白い論文が掲載されています。みなさんにもぜひご一読をお薦めします。willとの意味的差異がwillingnessにあることを提示した上で、話し手の意思に積極性が見られないことを示しておられます。この成句の意味論を論じたものは幾つかありますが、「語用論」にまで踏み込んだ考察というところが、この論文の優れた点です。(1)交渉を有利に進める条件はif節と共起して表す、(2)全面的に納得できない要因はbut節と共起して表す、(3)疑問文の場合、控えめな依頼の意味はWould you be willing toという形式を通じて表す、という語法上の特徴が3点観察された、と結論づけておられました。これで、意味だけでなく、実際の場面での使われ方が明らかとなりました。

 ついでですが、willingly副詞になると、喜んで」という意味になることには注意しておきたいと思います。英語は一筋縄ではいかない、実に奥が深い!!♥♥♥

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「松江ちゃんぽん」~らーめん茶屋てまり

◎週末はグルメ情報!!今週はちゃんぽん

 ラーメン茶屋てまり」(11:00~22:00)松江市黒田町にある老舗ラーメン店で、店内にはカウンター席、テーブル席のほかに小上がりの座敷があるなど、昔ながらの大衆中華店のようでアットホームな雰囲気で賑わうお店です。このお店の名物として知られているのが、寒くなると食べたくなるファンも多い「松江ちゃんぽん」です。琴の音が流れる店内には、座敷もあるほか、子ども用のイス、さらには子ども用のメニューまで用意。学割も用意されているなど、老若男女問わず気軽に幅広く利用できそうなお店です。私は今回が二回目の訪問です。

  こちらが名物の「元祖!山陰ちゃんぽん」。私は(小)(935円)をいただきました。もはや地元のソウルフードともいえるこちらのちゃんぽん。熱々のスープにはとろみがあり、あっさりとした醤油ベースで、キャベツやモヤシ、キクラゲ、エビやうずらの卵など野菜や魚介がたっぷり入っていて、トロトロあんかけスタイルの食べ応えも充分です。鶏や豚、魚介ベースのコク深いスープにエビや地産地消の野菜が踊ります。地元産小麦を使ったもちもちの麺に、うま味たっぷりのあんがよく絡み◎です。食べた後、体もポカポカになるイチオシのラーメンです。スープにとろみはありますが、比較的緩めで、とろみがなくなると、味と見た目はタンメンのような感じです。野菜たっぷりのアツアツとろとろの“あん”がかかった、ボリューム満点のご当地ラーメンです。ツルリとしたのど越しの太麺は、こだわりの自家製麺で二日間寝かせたシコシコ熟成玉子麺です。豚・鶏・あごを使った“あん”は、コクがあるのに後味がスッキリとしています。ベースとなる醤油ダレも、もちろんお店のオリジナル。一度食べたらクセになる美味しさで、ぜひ親子でシェアしながら食べて欲しいイチオシのメニューです!♥♥♥

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『ダ・ヴィンチ』休刊!

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▲『ダ・ヴィンチ』6月号

 KADOKAWAから毎月発行されている月刊誌『ダ・ヴィンチ』が、2026年11月号(2026年10月6日発売)をもって、休刊することとなりました。休刊が発表されると、「読書の幅を広げてくれた雑誌だった」「時代の変化を感じる」「寂しい」といった惜しむ声が数多く見られました。作家やクリエーターからも、作品や作家を読者につなぐ貴重な場だったとの声も寄せられています。長年同誌を定期購読をしてきた私は、突然の発表にビックリ仰天しました。1994年4月、本の情報誌として株式会社リクルートで創刊され、その後、株式会社メディアファクトリーへの移管を経て、2013年以降は株式会社KADOKAWAから刊行を続け、現在に至っていました。「創刊から32年、時代とともに誌面の特色を変化させながらも、『本の楽しさを伝える』という一貫した役割を担い、常に読者と作品との新しい出会いの場を創出すべく邁進してまいりました」と紹介し、「しかしながら、昨今の出版市場の劇的な変化や、読者の情報摂取スタイルの多様化を背景に、今後は紙媒体としての役割に一つの区切りをつけ、これまで培ってきた編集力とブランドを次なるステージへと継承・発展させるべく、今回の決定となりました」と、休刊のいきさつを伝えています。

 『ダ・ヴィンチ』は1994年に創刊され、単なる新刊紹介にとどまらず、文芸・マンガ・ライトノベル・エッセイなど、ジャンルを横断して“本の魅力”を伝えてきた雑誌です。 作家インタビューや特集の独自の切り口で、本好きから絶大な支持を集めており、「この雑誌で新しい本に出会った」という読者も多かったはずです。

 そんな雑誌が休刊に至った背景としては、出版社のKADOKAWAは2つの点を挙げています。読書情報や作家情報を得る手段が雑誌中心だった時代から、WebサイトやSNS中心の時代へ移行したことが大きな背景です。

①紙媒体の役割の変化

 創刊当時はまだインターネットが一般化する前で、本の情報をまとめて得ることのできる雑誌の価値は高かったのです。ところが、スマートフォンの普及やSNSの台頭により、読者が本の情報を得るスピードや方法が劇的に変化してきました。リアルタイムで手軽に作家情報・レビューや新刊情報を追えるネット環境が整ったことで、紙媒体の月刊誌で情報を届ける役割が、時代とともに厳しくなっていったのです。近年の出版不況に加え、紙の雑誌の市場全体が縮小傾向にあります。

②Web版「ダ・ヴィンチWeb」の成長 

 特にWeb版は月間4,500万PVを超える大きなメディアに育っており、出版社としても“紙からWebへ”という流れを強めている印象です。 雑誌としての役割が薄れてきたこと、制作コストとのバランスなど、さまざまな要因が重なって今回の決断に至ったのだと思います。なお、姉妹メディアであるWEBサイト「ダ・ヴィンチWeb」については、「今後も継続して運営してまいります」とし、「雑誌『ダ・ヴィンチ』が大切にしてきた思いや求められる役割を継承し、今後はWebならではの機動力を活かし、より一層充実したコンテンツの提供に努めてまいる所存です」と綴っています。デジタルならではの機動力を活かして発展させていこうという選択と集中の経営判断です。紙からWebへ軸足を移すという性格の強い休刊と思われます。

 出版業界全体では、(1)雑誌市場の縮小 (2)紙・印刷・物流コストの上昇 (3)書店数の減少 (4)SNSやWebメディアへの読者流出 が続いています。私はこの雑誌を30年近く定期購読してきましたが、時々掲載されるお気に入り作家の深掘りインタビュー記事や特集記事に注目していました。それとその月に発刊される新刊新書・文庫のリストは毎月チェックして、その月に買うべき本を手帳に記入しておくというのが長年のルーティーンでした。老舗『週刊現代』の隔週刊化といい、雑誌が売れなっている厳しい出版事情の昨今、次々と休刊・廃刊が続くのは寂しい限りですね。32年間続いた「単なる雑誌の休刊」というより、本の情報を紙で届ける時代の一区切りとして受け止められている面が大きいようです。♥♥♥

▲『ダ・ヴィンチ』最新号

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学校は勉強の仕方を学ぶところ

 友人の長谷 剛先生が主催する「志桜塾」(しおうじゅく)が、毎年この時期に中央から講師の先生を招いて夏期特別講座をやっておられます。今年は米子コンベンションセンターで行われました。英語の講師は山下りょうとく先生(河合塾)でした。私は久しぶりに先生に会いに行ってきました。いつもながらに膨大な量の資料を惜しげもなく受講生に配布し、「勉強の仕方」のエッセンスを解説しておられました。その中で「熟語の覚え方」を取り上げられ、look after(〜の世話をする) take after(〜に似ている)を例として取り上げられました。どちらも動詞(look / take)と前置詞(after)の組み合わせですが、ここでafterが持つもともとのコア・イメージを理解すると、なぜその意味になるのかがすっきりと繋がることを見事に解説しておられました。

1.look after~(〜の世話をする)

理由: 「離れていくものの後ろ(after)を視線で追いかける(look)」から

afterには「〜の後ろを追って」「〜の後について」というイメージがあります。

look = 見る・視線を送る

after = 〜の後ろを追って

これを合わせると、「(子供やペットなど)動き回る対象の後ろを、視線を切らさずにずっと追いかけて見守る」という場面が浮かびます。チョロチョロと動く子供の後ろ姿を「目を離さずに追っている(look after)」様子、そこから「事故がないように見守る、世話をする」という意味になりました。

2.take after~(〜に似ている)

理由: 「先を行く親の後ろ(after)について、性質や容姿を受け継ぐ(take)」から

ここでもafter の「〜の後ろを追って」(特に「親や先祖」という時系列の後ろ)というイメージが効いています。

take =(性質・特徴・血統などを)受け取る、自分のものにする

after =(先を行く親などの)後について、〜を追って

親が先に道を歩いていて、その「後を追うように(after)」子が生み出され、親の容姿や性格の型を「そのまま引き継いで受け取る(take)」という感覚です。親の遺伝子や特徴を、後から生まれた子が「追いかけるように受け取る(take after)」というイメージです。そこから「(血縁関係のある親などに)面影や性格が似ている」という意味になりました。ここで注意しておきたいことは、そのためにtake afterは、「親や祖父母など、自分より前の世代の血縁者に似ている」場合にのみ使われます(友達同士で「似ている」と言うときには使いません)。

どちらもafter〜(〜の後ろを追って) がカギになっていますね。

◎look after = 対象の後ろ姿(after)に視線を注ぎ続ける(look)→ 世話をする

◎take after = 先を行く親の後ろを追って(after)特徴を受け継ぐ(take) →(親などに)似ている

単なる丸暗記ではなく、「後ろを追いかける」というイメージと組み合わせると脳に定着しやすくなります。句動詞の「勉強の仕方」を教えてもらいました。

 私の授業で、subjectという単語が出てきました。単語集にはたくさんの意味がダラダラと書いてあります。主題、②科目、③家臣、④服従させる、⑤~を受けやすい、などです。他にも、⑥被験者、⑦主語、といった意味もありますね。多義語には要注意!」と、私が授業で何度も繰り返すポイントです。こういうたくさんの意味を、丸暗記しようとする生徒が多いんです。でもそれではすぐ忘れてしまいますね。どうしたらよいか?これらの数多くの意味の間には必ず繋がりがあるのです。やはり原点に返って、sub(下に)+ject(投げる)→上から下に投げつけるイメージ、に注目することです。上の者が下の者にテーマを投げかける→主題、学生にとって目の下に投げられたものが→「教科」、君主にとって目の下にあり自由にできる対象が→「家臣、相手を下に投げる→服従させる、支配下にある→~を受けやすい」、実験を上からやらされる人たち→被験者、文章の下に投げられた「主語」というふうに理解するのです。ついでに、語幹のjectを含んだ単語群project(or), reject, eject, object, jetなども紹介しておくと、発展性がありますね。こんなふうに勉強するのが、英単語の勉強には効果的です。ぜひこうした方法で、単語力の増強を図りましょうね!こういった「勉強の仕方」を教えるところが学校という場所です。大好きなシンガーソング・ライターのさだまさしさんは著書やコンサートで「学校は勉強するところではない、勉強の仕方を学ぶところだ!」とおっしゃっておられますが、まさにその通りです。私は講演会や各所で「学校は勉強の仕方を学ぶところ」と力説しています。

 このことをさださんが学んだとされるのは、高校時代の担任国語教師二年十組・安本衛先生の最初の古典の授業でした。ホームルームでは別段何事もない、少し声が大きいだけの平凡な教師に見えましたが、最初の古典の授業でこのクラス(68人!)を手中に収めました。安本先生は、休憩時間が終わっても私語によるざわめきの止まらない教室に入ってくると、ただ両手を腰に当てて、黒板の前を檻の中の熊のように右往左往するだけで、5分も経つと、生徒たちは教師の行動の異様さに少しずつ静まってきます。頃合いを見計らって先生は立ち止まり、「もういいのか」と聞きます。固唾を呑んでいると、彼は「では」と一同を見回し、「これから諸君らと古典文学、いわゆる古文を学んで行く訳だが、授業に入る前に一つ言っておく。俺はな、諸君に古典のなんたるかを教えるほど古典を知らない。」ときっぱり言い放ちました。巧いつかみでした。「だが、諸君はその、ロッカーに隠しているであろう少年マガジン、少年サンデー、はたまたプレイボーイ、平凡パンチを読むが如く、傍らに古語辞典さえあればすらすらと古典文学を読めるようになりたいと思ったことはないか?」すっかり彼の術中に落ちます。「俺はな、古文のなんたるかなど知らんが、諸君が将来古典文学を読めるようになるためのイロハだけはきちんと教えてやるから、黙って俺についてこい」これでみんなすっかり彼の子分になりました。またある時、安本先生はこうも言いました。「諸君は学校を“勉強する場所だ”と思っている。だから学校を出たら勉強は終わると思っている。それは間違いだ。何故なら実は学校とは“勉強する方法を教わる場所”に過ぎないのだ。学校を出たあとやっと、諸君は人生を懸けて自分の勉強をするのだ。だから学校にいる間にしっかりと“勉強する方法”を学べ、そしてそこで学んだ方法で、一生を懸けて自分のために勉強しながら生きろ」と。今でもこの言葉はさださんの人生を支えているといいます。学習とは一生を懸けてするものだ、という恩師の叫びは今でも胸に生きているといいます。❤❤❤

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渡部昇一先生のエピソード(47)~冠婚葬祭

▲渡部先生の本を読む際にはこうやって付箋だらけに!

 冠婚葬祭に関して、故・渡部昇一先生『人生の出発点は低いほどいい』(PHP研究所、2007年→2014年に復刊)の中に書いておられました。誰にとっても、冠婚葬祭とどう付き合うかというのは難問ですが、物書きの場合は特にそうです。先生は原則として、ごく親しい家の場合のみ出ることにしておられました。というのは、自分の子供の結婚式などがあると、呼ばれた時は行かないのに自分の時だけは来てもらいたい、では収まらないからです。お子さんがいない人は自分の家の婚礼に呼ぶことはないから、その点、原則無視という生き方も通るかもしれません。心情的に言うと、自分の家の冠婚葬祭に来てくれた人には、恩に着るものなのです。先生も、行けば喜ばれると分かっていても、教え子の学生の場合はきりがないから、仲人を頼まれた時だけは出る、ということを原則としてやってこられました。仲人を頼まれると断ることはできません。それに、もう十何組も仲人をやられましたが、幸いに壊れたカップルは一組もなく、子供が生まれなかった夫婦もありませんでした。

 先生は披露宴の席ではよく、「うちの夫婦の真似をしろ、俺もわがまま、女房もわがまま、それでもいまだにもってるのはなぜか?」というスピーチをされました。そして、「私の結婚式の時に国文学の先生が言ってくれた、一番いいスピーチを君たちにも伝えよう。結婚する以上、ご両人とも単に好きだというだけではなく、相当に相手のことを調べるでしょう。ご両親から大切に育てられ、友達からは信頼されているご両人が、悪い人間であるわけがありません。ところが、結婚すると、けっこう喧嘩になるものです。その時、相手の人格を批判してはいけません。というのは、結婚する前に立派な人だとお互いに確認し合ったわけでしょう……。どちらも良い息子と良い娘だったのです。ですから喧嘩になった理由はどちらの人格にもなく、そのちょうど中間が悪い。つまり中(仲)が悪いのです。私は女房としょっちゅう喧嘩しているけれど、女房の人格までは立ち入らないし、向こうも立ち入ってこない。だからしょっちゅう喧嘩するのは中が悪い、仲を調停しなさい」と、このように一席ぶつことにしておられました。

 「相手の人格に立ち入ることはしない。中を取り持て」という教えです。実に参考になりますね。客観的に言えば、結婚前、相手にもちゃんと友達や家族がいて、その人たちに好かれて、人気もあって一人前にちゃんとやっていた。もちろん自分もそうであった。それなのにそんな二人がいがみ合っているとする。お互いにそう悪い人間であるはずがないのに、うまくいかないのはどうしてか?それは“中(=仲)”が悪いのだ。これはいいえて妙なたとえです。“なか”が悪いのである、そこを調整すればいい、相手を責めないで中を考えろという訳ですね。このことは、職場などでもあてはまる教訓かもしれません。嫌いな人間がいても、その人はその人なりに仕事はきちんとできて、彼なりの友人もいる、それで自分とそりが合わないのは、相手が悪いわけでも自分が悪いのでもない、“なか”が悪いのだ、と悟れば、調整のしようがあろうというものです。

 よく「性格の不一致」で離婚などいうことがあります。しかし性格が一致するなどということは実際にはあり得ないのでは、と渡部先生はおっしゃいます。ましてや結婚したばかりの時は、みんな性格は不一致です。渡部先生の場合も、奥様とは性格が非常に違っておられます。しかし何十年も安定して生活してこられたのは、お互いに別れないという点に関して、強い意志を持っているからだと言われます。この根底のところで意思が一致さえしていれば、「性格の不一致」ということ自体が、逆にいいバランスをとってくれるものです。もし完全に夫婦の性格が一致しているということであったら、夫の欠点はそのまま妻の欠点ということになって、夫婦がそれぞれの足りない部分を補って、助け合っていくという美点がなくなってしまうことでしょう。

 思想信条や知的レベルや支払い能力に差があり過ぎると、老いての友情は維持し難いというのが渡部先生のお考えでした。「夫婦もそう。うちは家内と毎日夕食だけ一緒にとる、定年後奥さんとギクシャクする人は会い過ぎなんです〔笑〕。お互い寝る時間も別々ですし、僕は年を取っても朝起きるのがツライくらいの生活がいいと思う。毎日晩酌を楽しむも結構、ただそれでは満足できない人間もいて、ふと気づくと午前3時4時まで本を読み耽っている夜更かし老人も、悪くないものです〔笑〕。」

 先生は仲人をする以外には、普通のパーティにはほとんど出られることはありませんでした。先生の恩師は、入学試験の時だけは飲みに連れていってくださいました。入学試験は共同作業ですから、一杯飲んで「お疲れさま」です。だから、酒がおいしいのです。普通の日には、同僚たちとの飲み会の付き合いはありませんでした。というのも、上智大学には神父さんがたくさんおられましたが、聖職者は、夜の祈祷などで忙しいのです。上智大学はその点、付き合いに厄介なことのないありがたい大学でした。お酒は大好きだった先生でしたが。♥♥♥

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月刊『致知』とは?

 創刊48年(1978年~)を迎える月刊雑誌『致知』(ちち、致知出版社)は、なぜここまで読者の支持を集めているのでしょうか?11万8,800部という発行部数は、教養雑誌としては異例の発行部数です。一般の書店には流通せずに、直販の定期購読のみという販売スタイルでありながら、口コミや紹介を中心に購読者を伸ばし続けています。発行人の藤尾秀昭(ふじおひであき)さんは、『致知』の創刊理念が良かったからではないかと分析されていました。時代の変化に流されず、人生について、仕事について真剣に取り組もうという姿勢。ただ知識ばかりため込ん致知で、偉くなった気になって、人に嫌われてしまうような「ニセの学問」ではなく、「人間学」という本物の学問を伝えようという理念、これが感動を呼んでいるのではないか、とおっしゃっておられました。藤尾さんは人間学の体現者だ―。」 私の尊敬する故・渡部昇一先生(上智大学名誉教授)はそう断言しておられましたが、これほどまでに読者の支持を集めている理由は、渡部先生、そして藤尾さんご自身の「人間学」にこそあるのかもしれませんね。いつの時代でも、仕事にも人生にも真剣に取り組んでいる人たちの糧になる雑誌を創ろうとされたのです。有名な人、無名な人を問わず、どんな世界でも各界で一所懸命に生きている真実の人たちがいる。そういう本物の人を見つけ出し、その方たちの体験という英知に学ぼうというのです。人間のあるべき原理原則と同時に、様々な世界で強く生きた人、深く生きた人、やさしく生きた人、そういう人たちの生き方から学ぶべき「人間学」を探究して、時代に流されることなく、ブレずに雑誌を作り続けたのがよかったのでしょう。副題には「人間学を学ぶ月刊誌」とあります。この雑誌を使った勉強会「木鶏会」(もっけいかい)が全国に138か所もできています(島根県は出雲市・益田市)。ついには「国会」の中にもできたそうですよ。

 私は一人のリーダーを待望するよりも、むしろ意識ある日本人の総合力こそが日本を変革していく原動力になっていくと思います。それを牽引する一つの媒体が他ならぬ『致知』だと思っています。この月刊誌の読者が増えることは、日本をよくすることに確実に繋がっていくでしょう。『致知』の購読者が20万人、30万人と増え、代表的国民雑誌として定着することを期待してやまない理由もそこにあります。(渡部昇一談)

 多くのビジネス誌がノウハウや最新の経済動向、スキル論を扱うのに対し、『致知』「どう生きるか?」「人間としての器をどう磨くか?」という本質的なテーマ(人間学)に特化しています。時代が変わっても色あせない「原理原則」を学ぶことができます。政治、経済、スポーツ、教育、伝統芸能、学術など、多種多様な分野で結果を出し続けてきたトップリーダーや一流の人物が登場します。単なる華やかな成功物語ではなく、苦難や逆境・挫折をどう乗り越えたか、どのような信念で仕事や人生に向き合ってきたか、という「生きた体験談」が綴られており、深い感銘を与えます。分野を超えて、「人格形成」「志」「感謝」「誠実さ」「努力」といった普遍的なテーマを扱っており、そのため流行に左右されにくく、何年か後に読み返してみても価値のある記事が多いと評価されています。編集部が時間をかけて取材・編集したロングインタビューが中心で、短いニュース記事では伝わらない人生哲学や経験談を深く味わうことができるのです。

 この雑誌を創刊する時に、藤尾さんは当時の大御所、扇谷正造(おうぎやしょうぞう)さんのところへ、アドバイスをもらいに行ったそうです(扇谷さんは『週刊朝日』を10万部から150万部にまで伸ばした名編集者で「週刊誌の鬼」と呼ばれました)。すると「こんな難しい雑誌は売れないよ」とおっしゃる。それでも何とか、と食い下がると、「致知」などという難しい名前ではなく「ようこそ、こんにちは」というタイトルにしなさい、と言われます。さすがにそれはないだろうと思いましたが、扇谷先生の言葉をむげにすることはできず、創刊3号までは「ようこそ、こんにちは、致知です」と刷り込んだそうです。面白いエピソードですね。この『致知』という名前は東洋の古典『大学』にある「格物致知」に由来しています。とかく現代人は、知識や情報にばかりとらわれがちですが、人間本来の叡智とは、実際に物事にぶつかり体験することによって初めて生きる力になると考えられます。頭で分かっているだけの知識ではなく、実践(体験)を通して本物の叡智を身につける、という意味を込めて、誌名を『致知』と名付けたのです。

 私もこの雑誌、毎月届くのを楽しみにしています。隅から隅まで目を通します。「チーム八ちゃん」の会員の先生方の中にも熱狂的な読者がたくさんおられます。書店では求めることはできず、定期購読のみで毎月12万部近くも出る、驚くべき雑誌です。企業の社員教育にも広く採用され、全国1,380社以上が研修教材として利用しています。感想を共有し合い、相手を褒める・認める取り組みを通じ、会社の社風改善やベクトル合わせに役立てられているのです。

 2024年3月4日(月)の『朝日新聞』には、月刊誌『致知』の全面広告が載り、その表紙が大好きなさだまさしさんでビックリしました。翌3月5日(火)の『読売新聞』『産経新聞』にも同じ広告が掲載されました。そしてその日のうちに雑誌の現物4月号が届けられました。

 1978(昭和53)年、人間学を学ぶ月刊誌『致知』は呱々の声をあげました。高度成長からバブル経済へと、経済大国への道をひた走る当時の日本にあって、人間の生き方を問う硬派な『致知』の内容は、「こんな堅い雑誌を読む人などいない」と創刊当初から酷評されていました。しかしそうした中にあって、編集部が変わらず信じてきた一つの想いがありました。それは「いつの時代にも、仕事にも、人生にも、真剣に生きている人はいる。そういう人たちの心の糧になる雑誌を創ろう――」というものでした。創刊理念に掲げたその想いに呼応するかのように、『致知』は心ある読者に支えられて、10年、20年、30年、40年と号を重ねてきました。そして創刊48周年。今では、雑誌の到着を心待ちにしている読者が全国に11万人以上を数えます。この雑誌は書店では求めることはできず、年間定期購読のみです。私はもう20年以上購読してきました。

 『致知』が追究するのは、いつの時代にも問われる「人間の生き方」です。諸々の世界において、強く生きた人、深く生きた人、やさしく生きた人、そういう人たちの生き方、そこから学ぶ「人間学」を追究してきました。そして2024年4月号では、デビュー50周年を迎えた日本を代表するシンガー・ソングライターのさだまさしさんの特集「運命をひらくもの」のトップ対談で、10頁にわたる読み応えのある記事でした。「精霊流し」「無縁坂」「秋桜」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「風に立つライオン」「いのちの理由」など幾多のヒット曲を生み出し、これまでに積み重ねてきたソロコンサートは通算4,623回(対談当時)と、前人未到の日本記録を塗り替え続けておられます(現在4,764回)。小説家としても数々のベストセラーを手掛け、そのほとんどが映画化される他、被災地支援のチャリティーコンサートなど社会貢献活動にも力を注いでおられます。

 2時間に及ぶ白熱の対談は、デビュー50周年を迎えての感慨に始まり、国語教育への警鐘、さだ家の家庭環境と音楽との出逢い、挫折と苦悶の日々からデビューに至る経緯、誹謗中傷や借金生活を支えたもの、4,600回超のソロコンサートを成し遂げられた要因、日本の未来を開く若者たちに伝えたいメッセージ、運命をよくする秘訣~運命を開く人と開けない人の差など、さださんの人生観・仕事観に迫る読み応えのある「人間学」談義に興味は尽きませんでした(誌面10ページ、約13,000字の記事)。対談の主な小見出しは下記の通りです。

◎チャリティーコンサートは恩返しのため   ◎50周年の節目を迎えて いま心に抱く思い   ◎「国とは国語なり」国語こそ教育の要   ◎人生で一番惨めだった20歳の挫折体験   ◎故郷へ逃げ帰って 僅か1年後にデビュー   ◎17歳でノイローゼに  その自分への返事を書く   ◎常に明るく愚痴を言わず 信じてくれ母の存在   ◎映画制作で多額の借金30年かけて完済   ◎「偉大な人は批判者の数で高さを測ることができる」   ◎スピードとポジティブマインド

 その中から特に面白いと思ったポイントを、ここでは二つほど取り上げます。さださんは20代の時に「あいうえお理論」というのを思いつきました。まず「あ」「案」、アイデアでしょう。「い」「因」、きっかけですよね。「う」はそれを救う「運」「え」はそれを広げてくれる「縁」「お」はそのことに対して「恩」を感じてお返しする。よし、これからの人生、「案、因、運、縁、恩」で行こうと決意しました。それ以降は神社に行ってもお願い事をしなくなりました。「ありがとうございます」しか言わないと。これがさださんの運命を開いた一つの要因です。24歳の時に会社をつくり、今まで何十人という社員がいて、その家族も含めて皆を食べさせてきました。これは運がないとできません。映画『長江』の制作で、28歳の時に28億円の借金を背負い込んで、潰れることなく30年かけて利子も合わせて35億円を完済できたのも満員のお客さんがコンサートに足を運んでくれたから、と感謝の念を忘れません(ピーク時には年間186本のコンサートをやっています)。挫折や苦難をいかに乗り越えていくか。出逢いやご縁をいかに育んでいくか。運命をいかにひらいていくか。私たちの仕事や人生を発展させていくためのヒントが満載でした。

 二つ目。さださんがソロデビューして出す曲全てがヒットしていた時に、マスコミや評論家からさんざん袋だたきにあったことは有名です。妬みもあって悪口轟々でした(⇒例えば私の記事のコチラをお読み下さい)。「あいつは計算ずくだ」「あんな歌を聴くやつがいるのか」とか毎日言われ続けました。大きなプロダクションに所属していれば会社が守ってくれるのでしょうが、さださんは個人事務所でしたから言われ放題です。さすがに凹みました。そんな時、中国に撮影に行く時に通訳を務めてくださった年輩の女性にこの話をしたところ、「あなたに伝えたい中国の格言があります」と言って、こんな言葉を教えてくれたそうです。「高い塔はその影の長さで、偉大な人はその批判者の数で、高さを測ることができる」批判者が多いということは必ず賛同する人もたくさんいる、そう信じなさいということです。この言葉はとても胸に残って嬉しかった、と回想しておられます。肝に銘じておきたい名言ですね。挫折や苦難を乗り越え、運を開いていくためのヒント満載の、実に勉強になる対談記事でした。♥♥♥

 僕はこれまで4,623回のコンサートを重ねてきて、手抜きをしたことは一度たりともありません。きょうできることはきょうしかできない。明日もできる保証はありません。ですから、僕は「惜しむな、惜しむな」って自分に言い聞かせながら、すべてのステージは一回しかないという思いで立っています。特に70歳を過ぎてからは体力の衰えも感じますし、身近な人が亡くなる経験もしていますので、このコンサートが俺の最後のコンサートかもしれない。恥ずかしくないように、出し惜しみせず一所懸命やろうと心懸けてきました。これからもその姿勢を貫いていきたいと考えています。  ―さだまさし談 

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孫 正義さんの予言

 あのフトバンクを創業し巨万の富を築いた、孫 正義(そんまさよし)さん。その資産は2兆円を超すと言われる、誰もがうらやむ日本を代表する名経営者です。そのさんに大きな影響を与えたとされるのが、日本マクドナルドの故・藤田 田(ふじたでん)さんでした(松江北高の卒業生です)。さんは高校時代に、藤田 田さんの著書『ユダヤの商法』を読んで感動して、著者にどうしても会いたいという気持ちが湧き起こります。高校生だった孫少年は、何度も断られながらも、執念深く連絡を続け、強引に面会の機会をとりつけます。KKベストセラーズが復刊した『勝てば官軍』の中で、当時のやりとりが、藤田さん自身の言葉で語られていました。

 


 九州から16歳の少年がわたしに会いたいと上京してきた。わたしは、忙しくて時間がないと断ったのだが、彼は一週間、毎日会社を訪ねてきた。その熱意にほだされてわたしは彼に会った。彼は、「わたしは九州鳥栖の出身で、これからアメリカに行って勉強したいのですが、なにを勉強したらいいでしょうか。自動車とか飛行機とか石油とか、学びたいことはいろいろあるのですが」といった。わたしは「今はこの部屋くらい大きなコンピュータを使っているが、遠からずハンディなものになるだろう。アメリカに行って勉強するならコンピュータしかない。コンピュータだけ勉強してらっしゃい」とアドバイスした。「わかりました」といって少年は、アメリカでコンピュータを勉強して帰国、日本ソフトバンクという会社を創った。ソフトバンクは94年に上場して50円の株が一挙に1万9,000~2万円になるほど急成長した。少年の名は孫正義―といえば、「ああ、あのひとか」と思い当たることだろう。(藤田 田『新装版 勝てば官軍』より)


 「コンピュータだけ勉強してらっしゃい!」 決定的な言葉が、高校生だった少年に突き刺さりました。さんはその後カリフォルニア大学で、ネットワークコンピューティングに触れます。それが“原体験”であると、YAHOO JAPANでのインタビューでも語っています。藤田さんのアドバイスこそが“原体験”を生んだのでした。帰国するや、1981年コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を設立、日本ソフトバンクの創業につなげていきます。その後の大躍進は誰もが知る所ですが、さんは一貫して“コンピュータ”、そして“テクノロジー”の未来を信じて事業を進めてきました。「ヤフー株式会社」を設立し、日本人にコンピュータでのネットサーフィンの習慣を植え付けたのです。「ボーダフォン」を買収して、携帯電話事業に乗り出してからは「iPhone」を初めて日本に持ち込み、“小さなコンピュータ”を爆発的に普及させました。数々の事業での大成功。日本人の行動習慣を変えたインパクトは、すさまじいものがあります。そしてその全てのきっかけとなったのは、1974年に藤田 田さんがさんにかけたあの言葉だったのではないでしょうか。

 孫正義(そんまさよし)さんは、1981年に今のソフトバンクの前身の会社を立ち上げました。創業初日、さんはミカン箱の上に立って、二人のアルバイトを前にして途方もない夢を語ります。

 諸君、我が社は売り上げが5年後に100億円、10年後に500億円になります。そして30年後には、豆腐屋のように、売り上げを一丁(1兆円)、二丁(2兆円)と数えるような会社にします。

 それを聞いていた二人のアルバイトは、ぽか~んと口を開けて「何を言ってんだよ、この人は?」といった顔をして、2日後には辞めていったといいます。確かにこのアルバイトのほうがいたってまともでしょう。さんが無茶苦茶な話をしたとみるのが普通の考え方でしょう。しかし、現実の結果は、さんの予言した通りになりました。創業から30年後、すなわち2011年度のソフトバンクグループの決算を見ると、なんと売り上げが3兆2,000億円、営業利益が6,700億円です。一丁、二丁ではなく三丁です。大きな豆腐屋になりました〔笑〕。ちなみに、2026年3月期の売り上げは7兆387億円です。最終利益は5兆22億円と過去最高記録でした。日本一の企業です。

 さんは言います。「これまでの会社経営で一番学んだことといえば、やはりまず志を大きく持つこと。それを非常に強く真剣に思って、なおかつそれに向かって努力していけば、方法論や道はおのずと開けてくると実感しています。思いの大きさ、強さ、方向性、それが一番大切です」

 最近、私は勝田ケ丘志学館の生徒たちにこんな話をしました。故・渡部昇一先生から聞いた、私のお気に入りのネタなんです。

 鉄砲撃ちの名人に、ある人が「地面にいる鳥と、高い枝に止まっている鳥、どちらのほうが撃つのが難しいですか?」と尋ねました。すると、名人は、こう答えたと言います。「地面にいる鳥も、高い枝に止まっている鳥も、どちらとも撃つには同じくらいの集中力と技術がいる」 素人考えで見ると、地面にいる鳥の方が楽に撃てそうですが、実際に要する集中力と労力・技量は同じだと言うのです。つまり、一見難しそうな目標であっても、そこへ到達するのに必要な努力は、一見容易そうな目標とさして変わらないということです。逆に言うならば、一見たやすそうに見える目標も、難しそうな目標を達するくらいの努力が必要だということです。要するに、目標が高かろうが、低かろうが、必要な努力は同じだということなのです。ならば、高い目標を掲げたほうが得策ですね。

 このことは、チョット考えてみれば分かりますね。平凡な人生、平凡なサラリーマンとは言っても、会社では上司から、部下から、同僚からそれ相当のプレッシャーを受け、取引先からはいろいろと無理難題や苦情を持ち込まれ、家では家族の問題もあるに違いありません。リストラの心配だってあるでしょう。自分一人の身ではありませんから、しっかりとした収入源も確保しなくてはなりません。これは特段楽でも何でもない、苦労の多い人生と言えるでしょう。では、一見すぐには叶いそうにない、大きな目標を持って生きていく人の場合を考えてみましょう。乗り越えなくてはならないことは、たくさんあります。しかしその達成感たるや、平凡な生活を求めていろいろなことに小突き回される人生よりも、格段に大きいものではないでしょうか。むしろ自分が本当にやりたいことのための苦労ですから、この方がやり甲斐や生き甲斐があるし、楽チンなのです。努力なんかまっぴらで楽な生き方をしたい、と言う人もいます。楽な生き方とは、本当に簡単で苦労知らずなのでしょうか?家事をやってみたら分かると思いますが、案外細々とした日常的なことで、心労に悩まされることになります。心労なく楽しく生きるのにも努力はついて回るものなのです。ならば高い目標を掲げて、それを目指して苦労するのは、自分で進んでやる苦労ですから、辛抱のし甲斐もあります。目標を達成した時の喜びも格別です。どっちみち苦労するのですから、ならば高い目標を持ったほうが得策だというわけです。

 人は、理想や目標を掲げ、それを目指して生きていこうとします。しかし、目標が高すぎて失敗するのではないか、という不安にかられたり、紆余曲折の中で目標を見失ったりしがちです。そんな時には、この「鉄砲撃ちの名人」の話を思い出すことにしましょう。一見難しそうな目標を持っても、実はそこへの到達はそれほど困難というわけではなく、逆に、簡単そうな道も楽々行けるわけではないということです。目標が高かろうが、低かろうが、必要な努力は同じだと思えば、一見難しそうな目標に対して、くじけることもなくなることでしょう。 

 AIロボットが10億体生まれると予測し、「24時間働けるわけだから、人間に直すと30億人分の仕事ができるようになる。人間よりはるかに速く、正確で、緻密かつ賢い作業ができるヒューマノイドは、一体で10人分の働きをする。実質的な労働人口が30億人程度の現在において、ヒューマノイドが100億人相当の仕事をこなす。これは人類史上初めて、肉体労働の主眼が人間からロボットへ完全に交代することを意味している」と述べました。これらの数字や未来予測に対して、さんは「若干外れるかもしれないが、私なりに自信がある。なぜかと言うと、(未来について)ずっと考えてるから。このことを毎日考えている」と強調しました。自らの人生を懸け、実際にデータセンターやチップ、モデルといったインフラに巨額を投資し、逃げることなく毎日計算し、考え抜き、調べ尽くしているといいます。「魔法のように予言できるのではない。考え、調べている」という言葉には、誰よりも深く未来への解像度を上げようとする思いがにじみ出ています。

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dean

 精神科医の和田秀樹(わだひでき)さんが、『産経新聞』に我が国の大学教育改革の課題を取り上げた文章で、こんなことを書いておられました。私はこのディーン(Dean)の部分が気になりました。

たとえば、教授選考にしても、アメリカではディーンというスカウト係が研究費を集められ、学生の人気を得そうな人を呼んでくる。

 結論から言うと、この記述はやや不正確です。特に「ディーンというスカウト係」という説明は、アメリカの大学制度を単純化しすぎています。ディーン自身がスポーツのスカウトマンのように直接街中を駆け回って人を探すわけでなく、システムや権限の面で「スカウトの総責任者」として動くのです。

 dean(ディーン)とは、日本語では通常「学部長」あるいは「大学院研究科長」にあたる役職です。日本の大学の学部長と大きく違うのは、「お金(予算)」「人事」に関する権限が圧倒的に強い点です。役割は次のようなものです。

●学部・大学院の運営責任者・・・予算管理、戦略立案、研究方針、学生支援などを統括。「(例)今後5年間で我がビジネススクールを全米トップ10に入れるにはどうすべきか?」といった学部のブランディングや戦略を立てます。

●教員の採用・昇進への関与・・・採用委員会が候補者を選び、Deanが承認する仕組みが一般的です。誰を新しく採用するか?どの教授を終身雇用(テニュア)にするか?について最終的な決定権を担っています。

●予算と資金調達・・・大口寄付者との交渉や研究環境整備のための資金集め。アメリカの大学経営において、外部からの研究資金を獲得できる教員は極めて貴重な存在です。ディーン(Dean)は自分の学部の財政を潤し、評価を上げるために、他大学から「資金獲得能力の高いスター教授」を多額の給与や研究環境を提示して、文字通り引き抜いてきます。

●教育・研究方針の策定

●外部との関係構築・・・学部の向上や学生募集のための広報活動。

などです。

 アメリカでは、大学教授の採用は一般に次のように進みます。

(1)学科(Department)が募集を行う。

(2)Search Committee(教授選考委員会) が候補者を探し、面接を行う。

(3)学科の教授会が推薦する。

(4)Dean が予算や人事の観点から承認・交渉する。

(5)大学上層部(ProvostPresidentなど)が最終決済する場合もある。

つまり、候補者を探す「スカウト係」は通常 Search Committee であり、Deanありません。

 「研究費を集められ、学生の人気を得そうな人を呼んでくる」は、少し意味を補う必要があります。Dean

・外部資金(研究費や寄付)を獲得できそうな研究者

・優秀な学生を集められる著名な研究者

・教育力が高く学生から人気を得そうな教員

を採用したいと考えることがあります。Deanが強い大学では、「この分野を強化したいからこういう人物を採りたい」と学科に指示することはあります。そのため、Dean が有力研究者を積極的に勧誘(recruit)することはあります。しかし、「Dean=スカウト係」という表現は正確ではありません。戦略的な人事方針を立てるのです。「どの分野の、どれくらいの大物を、いくらの予算(年俸)で引っ張ってくるのか?」の最終決定権と予算・交渉権を握っているのがDeanです。そのため、実質的なスカウトの総責任者と言えます。

 例えば、冒頭の文章は次のように書くと実態に近くなります。

「たとえば教授選考にしても、アメリカでは学部長(Dean)が採用方針や予算に大きな権限を持ち、研究費を獲得できる研究者や学生を惹きつけられる研究者の採用を積極的に後押しする。」

あるいは

「教授の候補者は、主に選考委員会(Search Committee)が探すが、Dean も有力な研究者の勧誘や採用の最終段階で重要な役割を果たす。」

 したがって、冒頭の記述は、Dean が採用に重要な役割を果たすという点では一理ありますが、「Dean=スカウト係」という理解は正確ではないと言えます。実際の「スカウト」に最も近い役割を担うのは、通常は学科のSearch Committeeです。Deanは学部のトップとして、予算・人事・戦略を統括する管理職なのです。♥♥♥

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神戸プリン

◎週末はグルメ情報!!今週はプリン

 1993年2月、「神戸プリン」は洋菓子の街・神戸が培った伝統と技術を結集して誕生しました。トーラク株式会社が発売しました。卵と乳製品、砂糖のシンプルな素材の組み合わせに、深いコクとなめらかな食感、柑橘系リキュールのさわやかな後味、なめらかな口どけ。「神戸プリン」は、神戸を代表するお土産の一つとして今や多くの方に愛されていますね。「深いコク×なめらかな食感×柑橘の爽やかさ×常温保存OK」という唯一無二の特徴を持つ神戸の定番土産です。私は神戸・大阪に出たら必ず買って帰ります。

 発売当時、「神戸の街にふさわしいお土産を作りたい」「今までにない画期的なものを作りたい」という開発者の熱い想いと共に、3年間の試行錯誤を繰り返し、満を持して発売したのが「神戸プリン」でした。卵と生クリームなどの乳製品、砂糖に柑橘系リキュールを加えて、作った「神戸プリン」。素材の組み合わせ自体はシンプルですが、こだわりの製法で実現したなめらかな口どけ、優しい甘さ、そしてコクがありながらも後味は爽やかな柑橘系、という独自の味わいで舌の肥えた神戸っ子達から最初に火が付きました。商品パッケージは、神戸の伝統と技を結集した洋菓子である「神戸プリン」にふさわしく、ノスタルジックな異国情緒をコンセプトに表現しています。別添えのカラメルソースは、自分でかけて食べる特別感があり、甘さとほろ苦さのハーモニーを楽しむことができます。専用容器と加熱工程により、崩れにくく常温保存OK(賞味期限は約6ヶ月)でお土産にも最適です。

 「神戸プリン」は、発売当初から当時の味を変えていません。久しぶりに買ったり、もらったりして食べた時に「そうそう、この味!この味!」と思い出します。ふとよみがえる記憶や、懐かしさ。思い出話に花が咲く。そんなふうに思い出をつなぐのも、「神戸プリン」の使命です。これからも、ずっと、いつまでも。「おいしさ」と「よろこび」をつないでいきます。2024年度のモンドセレクションにおいて、「神戸プリン4個入」は12年連続最高金賞を受賞しています(2013年~2024年)。大変な名誉ですね。

 お味の方はというと、とってもなめらかで深いコクが口の中でとろけます。卵と生クリームのコクのなかにも ほんのりと柑橘系の香りでとっても爽やかなテイストです。特製のカラメルソースがさらにプリンを引き立ててくれます。別添されているので、お好みの量をかけていただきます。スプーンも環境に優しい紙製です。それから、「神戸プリン」の魅力の一つ、オリジナルの手提げ袋が付いてきますよ!こちらも嬉しいサービスですね。「神戸プリンの日」は、「神戸プリン」の発売日であった1993年2月1日を記念した日で、日本記念日協会に認定されています。♥♥♥

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浦田俊輔選手の活躍

 巨人のワークマン・浦田俊輔選手(うらたしゅんすけ、23歳、年俸1,200万円推定)。アマチュア時代に3季連続で盗塁王を獲得したその高い走塁技術は、プロ2年目を迎えて一軍の舞台でも完全に開花したと言えるでしょう。現在盗塁王(29個)。リードが大きい、スタートがいい、足も速い、スライディングでスピードが落ちない、タッチをかいくぐる身のこなし、全てが集約されています。守備も俊足を生かして、離脱中の名手・吉川尚輝選手に見劣りがしません。浦田選手のお父さんは、元高校球児で近代五種でアトランタ五輪を目指しておられ、100mを10秒台で走っていたそうです。小さい頃から坂道ダッシュでフォームなどを頻繁に教わっていたとか。さらにお母さんも、高校時代バレー部の主将を務めインターハイ優勝に導くなどアスリート一家だそうです。アスリートのDNAと、お父さんの熱心な指導が今の田選手の足の速さ(50m5秒8)につながっていました。

 単に単独での盗塁成功に留まらず(現在29個)、相手バッテリーに警戒網を敷かれた中での鋭いスタートや、高い確率での成功率は、チームの機動力・得点力を大きく引き上げています。この走力は、今年のジャイアンツの得点創出における強力な起点となっています。浦田選手が出塁し、即座に盗塁で二塁へ進むことにより、クリーンアップを中心とした後続の打者に対して、単打一本で先制点や追加点を奪える状況を頻繁に作り出しています。さらに、その足が相手投手へ与えるプレッシャーが、配球を甘くさせる副次的な効果も生んでおり、出塁から生還に至るまでのプロセス全てにおいて、チームの得点効率を高める極めて重要な役割を果たしています。今までになかった今年の巨人のアピールポイントです(セリーグ盗塁最多)。

 2024年のドラフト2位で、九州産業大から巨人に入団した浦田選手。2年目の今季は前半戦だけで80試合に出場し、チームトップ打率.274をマークしています。1番バッターとしての起用も増加する中、出塁率.333をマーク。塁に出ては持ち味の俊足を生かし、現在リーグトップタイとなる29盗塁をマークするなど、チャンスメイクに貢献しています。

 5回2死一塁、盗塁を決める浦田俊輔(カメラ・中島 傑)

 1番バッターとしての役割については「試合を左右する打順」と肝に銘じ、「凡退の仕方も、ライナーのいい当たりを打てば、次のバッターもいいイメージで入れるので。出塁するだけが全てじゃない。いっぱい投げさせて、次のバッターにつなげる役目もある。そこを意識してやっている」と、試合での狙いについて語ります。

 昨季は機動力の高さのみが注目されていた浦田選手でしたが、今季は打撃面でも安定感を披露しています(打率.274。セリーグ5位)。バッティング向上のワケを聞かれると、阿部慎之助前監督からの助言が生きたことを明かしています。その内容については「今までのバッティング練習は、ライナーを打つのを意識しただけだったんですけど。指導を受けて、実戦に近いバッティング練習をするようになって、それが試合でもできるようになった」と語りました。阿部前監督には、昨年たくさん怒られたと言います。「逆方向に打球を飛ばせばもっと打率上がるよ」「いかに実戦に近い練習をするか、それで結果が変わってくる」と、プロとして野球に対する姿勢を学ばせてもらったと言います。その阿部前監督は、昨シーズン終盤スタメンに定着していた浦田選手「新人王」の資格を残したいから、60打席以上立たないように外そうと言って、残り2試合の142試合目で先発を外し、最終的に60打席ちょうどで終わらせました。「新人王」の資格は前年まで61打席未満だと翌年にも残ることから、「新人王」の可能性を信じての慧眼でした。

 オールスター戦でも2試合で3盗塁の大活躍を見せた浦田選手は、東京ドームでも自慢の快足を発揮しました。この日は守備です。7月31日のDeNA戦。2回先頭のエンカーナシオンが放ったフライが右翼へ飛びました。二塁手の浦田選手はきびすを返すようにして背走すると、落下地点へと猛ダッシュ。右翼エリアまで一気に駆け抜け、背走のままで見事にボールをグラブに収めました。彼の応援歌も完成し、この日から場内にこだましています。巨人の韋駄天(いだてん)スピードスターが、後半戦もファンを沸かします。

 打撃練習が他の選手とは全く異質だと言います。徹底的に逆方向へ低い打球を打っているそうです。「変態的な打撃練習ですよ。それが実際にゲームに生きてますよね。自分の特性を理解して、ああいう練習を取り入れることによって対応力がどんどん上がって数字も上がった。ああなると成長は速いですよね」と、橋上監督代行は喜びを語ります。♥♥♥

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