お金を追うな、仕事を追え!

 私が最近のぼせて読んでいる、経営コンサルタントの小宮一慶(こみやかずよし)さんの本によく出てくる言葉がこれ、「お金を追うな、仕事を追え」です。小宮さんの人生の師匠である故・藤本幸邦老師(曹洞宗・円福寺の住職を務めるかたわら、児童養護施設を設立するなど社会福祉に尽力された方)のお言葉です。お金を追いかけているうちは一流にはなれません。もちろん、お金を全く稼げないというのもまた一流ではありませんがね。「良い仕事をして、その結果、お金を稼ぐ」という気持ちを持つことが大切です。この順番が大切なんです。もっと言えば、お金を稼げるくらいの良い仕事をしなければならないのです。良い仕事を通じて周りの人に喜んでもらい、さらにそれをもっと工夫して、多くの人に喜んでいただく。そうすれば、仕事は間違いなく楽しくなってきます。それが仕事に対する正しい考え方だと私は思っています。良い仕事を一生懸命追いかけていれば、お金や地位や名声などは後からついてくるものです。私もその思いで、今までずっと誠心誠意仕事をしてきました。お金に執着することは一切ありません。私は人にご馳走することも多いのですが、本当に不思議なことに、おごった後は、思いもかけないところからお金が転がり込んだりします。とにかくいい仕事を追いかける。これに尽きます。お金に執着しないことです。

 「先義後利」もこれと同じ考え方です。これは中国の古典『孟子』に出てくる言葉で、人としてあるべき道義である「義」を何よりも先に考え、自らの利益となる「利」については後々考えよ、という意味です。ビジネスで言えば、良い商品やサービスを通じて「お客様第一」で社会に貢献するという義を追い求めれば、その結果として利益がついてくるということです。あの明治時代の大実業家・渋沢栄一は、この考え方に基づいて、500の営利法人、600の非営利法人を成功させています。 この「先義後利」ということですぐに思い起こされるのは、クロネコヤマトの創業主・小倉昌男(おぐらまさお)さんでした。彼は「サービスが先、利益は後」と喝破しました。百貨店など大口の荷物を運ぶのが物流企業の王道とされた当時、電話一本でドライバーが各家庭を回り、荷物を集めて、次の日には相手の手元に届ける宅配サービスを始めました。昭和51年1月23日のことでです。宅配事業に難色を示す社員が多くいる中、小倉さんは反対派をこう説き伏せたといいます。「これからは、箸でひとつずつ豆を移すんだね。それが宅急便だよ」「宅急便」初日に扱った荷物は、わずか11個でした。それが初年度には170万5195個もの荷物を配送することになります。小倉さんは「宅急便」の事業開始にあたって「サービスが先、利益は後」というスローガンを掲げました。百貨店配送の経験から、大和運輸は地域の住所を隅々まで把握しており、サービスの良さで他社を圧倒する自信があったんですね。事業は大成功、たちまちにして全国に展開します。今や国内全体で、荷物が年間50億個に届こうとしていて、年商1兆円の大企業に成長させました。「サービスが先、利益は後」すなわち「先義後利」ということですね。私はこの話を聞いてからというもの、宅急便クロネコヤマト」ひとすじです。

 「お金を追うな、仕事を追え」という言葉は、一見すると「稼ぐことを後回しにしろ」と言われているようで、綺麗事に聞こえるかもしれませんが、実は非常に合理的で現実的なキャリア戦略でもあります。経済の仕組みにおいて、お金は「提供した価値の対価」として支払われます。目先の利益や給料の額面だけに執着し、仕事の内容や質を軽視する。目の前の課題をどう解決するか、どうすればもっと喜ばれるかに集中する。結果として、高い価値を提供できる人(仕事を追った人)には、後から自然と大きなお金がついてくるという考え方です。現代において、お金よりも重要視されるのが「信用」です。「この人に頼めば間違いない」という評価(=仕事を追い求めた結果)が積み重なると、単価が上がったり、より大きなチャンスが舞い込んだりします。お金だけを追いかけて「手抜き」や「不義理」をすると、一時的には稼げても、長期的な資産である信用を失ってしまいます。「お金」を基準に選ぶと、今の自分が持っている能力でいかに楽に稼ぐかという発想になりがちです。一方で「仕事」を基準に選ぶと、自分が成長できる環境や、やりがいのある困難に飛び込むことになります。難しい仕事を完遂することでスキルが磨かれ、結果として「代わりのいない存在」になり、長期的にはより多くのお金を引き寄せることになります。結論として 「お金を追うな」とは、決してお金を否定することではありません。「お金の出処である『仕事の質』にフォーカスすることが、結局は一番の近道である」という、プロフェッショナルとしての成功法則を説いているのです。長く成功し続けている繁栄企業を見れば、そのことは明らかでしょう。

 何か仕事をする際に、いくらになるか?お金の計算ばかりしている人がいます。ちょっとそれは割に合わないと思えば、手を抜いたり、断ったりする。そういう人には、大きな仕事を任せようという気にはなりませんね。私が尊敬するパナソニック創業主の松下幸之助さんは、「仕事の喜びをお金に代えられると思っているうちは、本当の仕事の喜びを知らない」とおっしゃっていました。そして、とても逆説的ですが、お金に代えがたいほどの仕事の喜びを知った人の方が、お金を稼げるようになっているのです。お金云々ではなく、仕事をすることが好き。そして実際に良い仕事をしている。そういう人物のところに仕事は集まってくる、そしてその結果お金も稼ぐことができる。お金を稼ぐ人はお金を追わない。良い仕事に集中する。そうすれば、楽でない仕事も楽しくなる。お金はあくまでも結果なのです。

 多くの外国の英語学者の方とご一緒に仕事をしてきましたが、契約社会という文化の違いからか、お金のことにうるさい人が多かった印象です。事細かくお金の条件について「これをしたらいくらくれるか?」「支払いがないので、解答できない」「仕事の報酬はいくらだ?」と、辟易することも度々でした。プロだからお金にこだわるのは当然と言えば当然なんですが、あまりにもお金、お金と言われるとちょっと嫌になります。しかしただ一人だけ、例外がおられました。アメリカ言語学会の会長もなさった言語学者、故・Dwight Bolinger(ドワイト・ボリンジャー)博士です。若い頃から、幾たびと質問をするとすぐにお返事が返って来ます。私たちの『ライトハウス英和辞典』(研究社)の編集顧問にお迎えして、同辞典の記述を細かく見ていただきましたが、お金のことを言われたことは一度もありませんでした。本当に言葉の世界を愛しておられる、それを極めようとしておられる先生で、尊敬できる先生でした。⇒私とボリンジャ-先生の出会いの紹介はコチラです  今日は、「お金を追うな、仕事を追え!」というお話しでした。♥♥♥

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さださんの応援団

 8月6日の広島原爆投下の日に、同じ被爆地である長崎の空から歌うことによって、声高に「平和」を叫ぶことなく、集まった人々の心の中にある「平和」への想いを再確認する場にして欲しいとの思いから、歌手のさだまさしさんが、1987年に始めたのが「夏・長崎から」でした。長崎原爆忌は8月9日。しかしこの日には、全国各地から様々な人達が長崎に集まってきます。この日に狭い長崎の町でコンサートをやるのは、地元の人々にもいろいろと迷惑がかかるだろうと考え、それで8月6日、広島原爆忌の晩に想いを込めて広島の空へ向かって歌うことにしたのです。大きな借金苦の中で始めた無料コンサートでした。20年間にわたって彼がステージから言い続けてきたことはただ一つ。「このコンサートが終わるまでの間に、ほんの僅かな時間でよいから、あなたの一番大切な人の笑顔を思い浮かべて欲しい。そうしてその笑顔を護るために自分に何ができるだろうか、ということを考えて欲しい。実はそれが平和へのあなた自身の第一歩なのです。」

▲ナガサキピースミュージアムの五線譜モニュメント

 それを入場料無料で始めたのです。それは、広島原爆忌の晩に長崎で歌うという「平和を願う場所」は誰でも来ることのできる場所であるべきだ、という彼の強い思いからです。仮に1,000円でも入場料をとってしまえば、子どもや老人は留守番になる可能性があります。夕涼みがてらにみんなでやって来て音楽を聴く、これが「平和」の一つの姿であるという願いです。そういえば、やはりさださんが8年を要してグラバー邸下に建てた世界一小さな平和記念館「ナガサキピースミュージアム」(名誉館長 故・原田泰治)にある、空に高くそびえ立つ五線譜のモニュメントも、平和が無くなるとまず音楽から壊される、という思いからでしたね。意識して「平和コンサート」という表現を避けて「夏・長崎から」という名前にこだわった理由でもあります。しかし、心ない人たちは、「ただとは何か裏に別の意図があるのではないか?」「選挙に出るための事前運動か?」「偽善的な売名行為!」などと批判しました。気にならなかった訳ではありませんが、負けてはならぬ、と自分に言い聞かせてふんばりました。味方は少なく、何しろ手持ちのお金がありませんでした。ステージの建設費だけで一千万円近くかかる。舞台制作費、ゲスト、スタッフらの交通費・宿泊費を考えればざっと三千万円の赤字になります。映画「長江」の借金返済で苦しんでいた当時(28歳で金利を入れて35億円!)、この金額は決してたやすいものではありませんでした。途方に暮れたのは会社を仕切っていた弟(佐田繁理)さんやスタッフだったことでしょう。それでも血の出る思いで始めたのは、どうしても伝えずにはいられないさださんなりの「平和」への熱い思いがあったからだと思います。徐々に理解あるスポンサーも現れ始め(パナソニックなど)大規模になっていきます。それでも毎年費用1億円の半分近くはさださんの持ち出しでした。以降2006年まで、何と20年間も続きます。加山雄三さんはじめ、来生たかお、村下孝蔵、三波春夫、永六輔、笑福亭鶴瓶、谷村新司、南こうせつ、小田和正、堀内孝雄、泉谷しげる、森山良子、イルカ、白鳥英美子、都はるみ、前川清、松山千春、坂本冬美、山崎まさよし、はなわ、平原綾香、BEGIN、りんけんバンド、など錚々たるゲストの方々総勢171組がこのステージを飾ってくれ、観客動員もおよそ50万人に達し、20年かけてついに伝説のウッドストックを超えました。「広島原爆忌の晩に長崎で歌う」というさださんの思いを理解してくれたのは、NHKのプロデューサーと地元長崎放送。この「中継放送」を通しての「エール」をはじめ、長崎新聞社の援護射撃でした。

 孤軍奮闘。しかしそんな中で、たった一人だけ心強い味方がいました。長崎・新地中華街「江山楼」(こうざんろう)王國雄社長です。古い付き合いで、さださんは彼のことを「あんちゃん」と呼びますが、「あんちゃん」がこの時に言ってくれました。「借金苦のまさしがタダで歌を聞かせてくれるとに、市民が何もしないのは恥ずかしかけん。だからせめてゲストやスタッフの食事の面倒は俺がみる」と。以来20年間、70人から90人分の「前夜祭」のフルコース料理を毎年無料で提供し続けてくれました。私はそのことを聞いて以来、「江山楼」の大ファンになり、毎年絶品の「特上チャンポン」を食べに訪れています(⇒私の紹介記事はコチラ)。その「江山楼」が店を閉じた、という噂を聞きびっくりしました。新館は閉じたようですが、本館は相変わらずやっていると中華街のご主人からお聞きし、ホッとしました。フェイクニュースでした。

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IMG_8999 次第に味方は増え、さださんの背中を押してくれました。年々観客も味方もスポンサーも増え、状況は良くなり赤字の心配もほぼ要らなくなり、さださんにとってこのステージに立つことが「当たり前」に近くなってきました。たぶん観客の方もそうです。すると最初に歌った頃の「切実な叫び」が遠ざかった気がしました。さださんは自問します。

  • 最も借金していた頃に始めた思いはあれから20年を経て変化していないか?風化していないか?

  • 心の熱は下がっていないか?これが本当に必要なのか?

  • お客さんはどうなのか?これが本当に必要なのか?

  • 20年間訴えてきた平和への思いは伝わっているのか?あるいは無駄だったのか?

  • 子どもでも成人すれば(20年)親の手を離れてもいいのではないか?

  • 自分が永遠に続けられるものでもないだろう?

 これらを自分でもう一度客観的に見つめ直すために、一度現場を離れてみようという決意でした。長崎県は感謝状をさださんに贈ったり、稲佐山の野外コンサート会場を大規模ライブができるように改装したりの協力はしてくれていましたが、コンサート自体はさださん任せでした。長崎市民にとって夏の風物詩と言われるまでになった特別のイベントなのですから、行政ももっと協力してあげてもよかったのではないか?私はそんなことを思いながら、灼熱の太陽の下、長崎の街を後にしました。

 20年を支えてくれたのは多くの観客でした。スタッフでした。だからさださんは、心の中で彼らに「ありがとう、さようなら」と祈るように感謝しながら最後のステージを迎えています。あの苦しかった第一回の時から、おそらく毎年、今年が最後、という緊迫感の中で歌ってきました。長崎からの祈りや平和のメッセージは多くの人に届き、次の世代に必ずや生きるものと信じます。終演後、みんながさださんが「最終回」に何を感じたのかを聞きたがりました。この晩、観客の多くや出演者まで涙したのに、彼自身が歌いながら感極まったり泣いたりしなかったことが意外だったようです。もちろん、胸に去来するものは数え切れないほどありました。初めは疑念を持たれ、裹に何か意図がある、と。政治家になるための事前運動ではないか、あるいは偽善的な売名行為と。あの時、あの状況で、何故自分は歌い始めたのか?何を伝えたかったのか?その温度は変わっていないのか?エネギーは枯れていないのか?それを確認するために一度現場を離れることにしました。毎年、一曲目に飛び出してゆく時、ああ、今死んでも良い、という「覚悟」がありました。つまりさださんにとっては、毎回が最終回だったということです。それほど一所懸命に歌ってきたからこそ「最後だから」という感傷が無かったのでしょう。涙以上の何かを毎年流し続けてきました。だから泣く必要など無かったのです。翌21年目には、今度は長崎に原爆の落ちた日に、広島から(広島球場)平和への思いを歌い上げています。

 20年間続けたコンサート「夏・長崎から」の最終回を無事に終えました。深夜に及ぶ興奮の打ち上げの後、少し眠って、日常が還ってきました。あちらこちらに挨拶をして、夜、新地の「江山楼」へ行きました。現れたあんちゃんはいつもの笑顔で力強く僕の手を握り、「長い間、ありがとう」と言ってくれました。この時初めて涙が出ました。いつまでも止まりませんでした。「あんちゃん、本当にありがとう」と言おうとしましたが、言葉になりませんでした。さださんの「夏・長崎から」が終わりました。

 昨年の2025年には、被爆80年の8月6日、19年ぶりに平和の大切さを訴える無料コンサート「夏 長崎から2025」を、稲佐山公園野外ステージで再び開催しました。「今年で戦後80年、被爆80年という大きな節目ということに背中を押されて、あとで後悔してもいけないと思って、今年は強引にやる決意をしました」と、平和と生命の大切さを歌で届けるべく、2006年以来19年ぶりの復活です。戦後80年、被爆80年の節目に19年ぶりに復活させたさださんは、毎年たった一つのメッセージを繰り返してきました。「いま、あなたの大切な人の笑顔を思い浮かべてみてください。そして、その笑顔を守るために何ができるかを考えてみてください」この日は、それにあえて一言だけ付け加えました。「そして、自分が何をなすべきかが分かったら、そこへ向かって歩きだそうじゃないですか」。とても重い言葉です。分断と対立が続く今日の物騒な世界の中、自然と言葉に力がこもりました。♥♥♥

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中村俊郎さんと中村ブレース

 島根県大田市大森町(世界遺産・石見銀山)に拠点を置く中村ブレース株式会社」は、義肢装具の世界において「技術」と「志」の両面で非常に高い評価を受けている世界的企業です。その歩みは、単なる企業の成長記録にとどまらず、過疎化が進んでいた門前町の再生の歴史でもあります。

 創業者の中村俊郎(なかむらとしろう)氏は、1948年島根県生まれの「中村ブレース」の創業者です。高校卒業後、姉の紹介で、京都にある老舗の義肢装具製作所に勤務。約6年にわたる下積み時代の中で、義肢制作技術の基礎を身に付けました。やればやるほど義肢製作に魅せられた中村さんは、より高いレベルを目指して、24歳の時に単身渡米しました。1974年、カリフォルニア州キャンベルという田舎町にある義肢装具会社で3年間修行。当時の最先端技術を学びました。自身もアメリカで大きな事故に遭い、命を落としかけたことも、中村さんの使命感をより強固なものにしました。1982 帰国後、日本人としては初めての米国准装具士ライセンスを引っ提げて、故郷である過疎化の激しいさびれた島根県大田市大森町「中村ブレース」を創業。当初は周囲から「なぜこんな不便な田舎で?」と疑問視されましたが、中村氏は「良いものを作れば、世界中から人が集まってくる」という信念を持っていました。実家の納屋を改装してたった一人でのスタートでした。夢を持って看板を掲げたものの、当初は全く売り上げのない苦しい状況が続きます「場所じゃない。いいものを作れば、必ず評価してもらえるはず。何よりも再起不能に見えたこの町を、私が一歩頑張ることで明るくしたい」との決意から、研究に打ち込みます。「売り上げなんて期待できない。ともかく、誰か一人に喜んでもらえばいい、喜んでもらえるいい品物を作ろう」「一つの製品でいいから、誰かが喜んでくれれば、そこから希望が見えるはずだ。希望につながればそれでいいじゃないか」会社は技術の確かさもあって、次第に軌道にのり、地元の若者を積極的に雇い入れます。私の以前勤めていた大田高校からも、卒業生を受け入れていただきました。中村社長のモットーは「ビジネスの前に、人に喜んでもらえる仕事がしたいんですよ」です。「人と同じことはやらない」を基盤に事業展開しておられます。島根県の山の中に本社を置き、日本企業が盛んに生産拠点を海外に移し空洞化が進んだときも全くそのブームには乗りませんでした。「みんなで一緒に」が嫌いなんです。2008年テレビ番組「カンブリア宮殿」に取り上げられた時の、中村社長の金言は「モノづくりで人の心を温かくしたい」「利益だけで満足してはいけない」「経験を若者に伝えればいつか花咲く」の三つでした。

『できない』というのは、みんな頭の中で思っているだけで、本当にそうなのかどうかは、やってみないとわからない。(中村俊郎)

 中村ブレースを世界的に有名にしたのは、高度なシリコーン加工技術です。事故や病気で失われた指、耳、鼻などを、本物と見紛うほど精巧に再現する技術を確立。一人ひとりの肌の色や血管の浮き出方まで再現するこの技術は、多くの患者の心の救済にも繋がりました。外反母趾用の足指クッションや、軽量な義足・コルセットなど、患者のQOL(生活の質)を向上させるヒット製品を次々と開発しました。

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 そんな中村さんに、故・澄田信好知事(当時)より、島根県教育委員の就任要請があります。委員会において、中村さんは「試験の点数ではなく、本当に子どもが好きな人を教員として採用してください。心底先生になりたいと思っている人を採用してください。」と強く主張されました。点数の高さだけで採用された教師の中には、教師として適性の疑わしい人がいる、というのが中村さんの実感だったのでしょう。教育委員長として大森から松江まで2時間かけて通う生活を5年間で400回も続けられます。島根県の全ての県立高等学校の図書館に、雑誌『PHP』(PHP出版)を毎月長年(平成20年1月号―平成25年1月号)贈り続けていただいたことは、島根の生徒の「心の教育を」という、中村さんの熱い想いからでしょう。有り難いことでした。

 中村氏の歴史を語る上で欠かせないのが、本拠地である大森町の再生です。倒壊寸前だった古い町屋や役場跡を次々と買い取り、自費で修復。それらを社員寮や工房、カフェ、パン屋(ベッカライ コンディトライ ヒダカ)として活用しました。地元の廃屋になりかけた近隣の家々を、私財を投入して買い取り、修繕して社員寮や工場に活用したりして、保存に努めておられます。地元への深い愛情を感じますね。石見銀山世界遺産に登録されるずっと前から、町並み保存に尽力しておられ、現在の美しい景観があるのは同社の貢献が非常に大きいと言われています。2007年には、古い酒蔵を改築した「大森座」というオペラハウスを誕生させました。人口数百人の町に世界的な音楽家を招き、文化的な発信地としての役割も担っています。「地方にいても一流の文化に触れられる環境」を作ることで、若手社員の定着や町の活性化に繋げています。

 現在は長男の中村哲郎氏が社長を引き継ぎ、創業者の精神を継承しながら、デジタル技術(3Dスキャニングや3Dプリンタ)を活用した次世代の義肢装具開発にも力を入れています。「100人の村で100人を雇う」ような地域共生型のビジネスモデルを掲げ、「地方の小さな会社が、世界を変えることができる」この言葉を体現しているのが、中村ブレースの歩んできた歴史そのものです。♥♥♥

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今年の赤星は運がいい!

運がいいとか悪いとか 
人は時々口にするけど 
そういうことって 
たしかにあると 
あなたを見ててそう思う」    (さだまさし「無縁坂」)

 泥沼の連敗が続く巨人ですが、今年の巨人・赤星優志投手(あかほしゆうし、26歳)は実に運がいい投手です。昨年は開幕ローテーション入りして、6月までに自己最多の6勝を挙げるも、後半戦は全く勝てませんでした。右肩痛で離脱するまでは、エース・山崎伊織に次ぐ121イニングを投げ、クオリティースタート(6回以上自責3以下)12回と貢献しています。いいピッチングをしていながら、ここぞという時にホームランを打たれて逆転されてしまうという勝負弱さをいっぱい見たような気がします。いつも慎重になりすぎ、きわどいコースを狙ってカウントを悪くしては痛打されるイメージがありました。150キロ台の真っ直ぐを投げ、コントロールもいいのですが、失投もあります。特にカウントを悪くすると甘くなる傾向が強い印象です。今年はチーム事情もあり中継ぎで開幕を迎えましたが、「できることに集中してゼロで抑える。それが一番、チームにとってもいい」と淡々と仕事をしていました。そんな右腕だから野球の神様も味方してくれるのでしょう。

 中日戦、星がふってきました。リリーフで貢献を続ける赤星投手に、今季3登板目で初勝利が舞い込んできました。最後は代打・ビシエドを内角147キロで空振り三振。力で押し切りました。「勝てたのもありますし、タイミングも、はい。よかったなと思います」。2回無失点で2奪三振。父親の命日に「勝利投手・赤星」のアナウンスを響かせました。クールな男がこの日ばかりは燃えていました。3番手でブルペンを出たのは、同点に追いついた直後の5回から。最速149キロの直球、フォーク、カーブのコンビネーションでテンポ良く6つのアウトを重ねました。「その日その日で自信のある、一番確率の高い球を選択して投げている。ゼロで抑えられてよかった」。魂の39球で開幕から3試合連続無失点としました。2022年4月4日。プロ入団1年目に父・篤志さん(享年58)が天国へ旅立ちました。がんの闘病中も車いすで東京ドームに駆けつけてくれていた父。実家で仏壇の前に座ると、思うことがあります。「まだまだ自分を応援してくれている」。あれから4年。試合後にスマホを見ると家族からメッセージが入っていました。「勝てたことを、家族もすごく喜んでくれていました。僕も、父が喜んでくれていたらうれしいです」

 赤星は実に使い勝手がいい投手です。球も速いし、いろいろなボールをコントロール良く投げ分ける制球力も持っています。悪い言葉で言えば器用貧乏。本当はローテーションに入ってもいい経験と実績もあるのですが、現状は先発が早く降板した時のリリーフ要員。ちょうどWBCの時の第2先発的な役割です。でも今はこうやって我慢して頑張っていれば、また必ず先発ローテーションのチャンスが巡ってくるはずです。それだけの力は持っている投手です。

 4月8日は、1点ビハインドの8回に2番手で登板。2死一、二塁のピンチで踏ん張って追加点を阻止すると、9回に泉口が豪快に逆転2ランを放ち、思わぬ勝利投手が転がり込みました。野球の神様はこんなご褒美をくださるのですね。これで開幕から4試合連続無失点で、リーグトップタイの2勝目。試合後は「うれしいです」とチームの勝利を喜びました。巨人は開幕から6勝5敗ですが、そのうちの2勝は赤星の好リリーフで勝利につながっています。

 赤星優志投手が、運がいいと評される理由は、彼の投球内容や試合でのパーフォーマンスにあります。彼は、試合中に自分の投球内容を微調整し、確率の高い球を選択して投げていることが評価されています。また、試合の流れに応じて自信を持って投球を行っていることが、彼の成功に寄与しています。彼の投球内容や試合でのパーフォーマンスに加え、家族からの応援や、試合後のメッセージなど、外部からのサポートや影響力も大きいと考えられます。

 このように運に恵まれて勝ち星を挙げている赤星投手ですが、チームのひどいエラーが気になります。エラー数には注意が必要です。ヤクルト17 巨人15 中日22 DeNA17 広島9 阪神16。広島初戦の増田陸のファーストフライ、ピッチャーフライの二度の落球はいくら「フライが苦手」(本人談)とはいえ、プロのプレーではありません。キャベッジの落球や打球後逸のエラーは昨年からすでに織り込み済みです。5月8日の中日戦も悪送球から大量点を献上しています。9日もおよそプロとは思えないお粗末な本塁の挟殺プレーから失点しました。すぐ目の前にいる走者にタッチすればいいのに追いかけ回してキャッチボールをして、走塁妨害。一体何を考えているのか?「基本のキ」を疎かにしていると、運の女神も逃げていってしまいます。昨年のエラー数No.1で、守乱から失点するのが巨人の常道でした。

 その後リリーフで打ち込まれて1敗を喫しましたが(2勝1敗、防御率2.52)、5月5日「こどもの日」東京ドームで、ヤクルト戦に今季初先発した赤星投手は、5回3安打無失点で昨年6月29日のDeNA戦以来、310日ぶりの白星3勝目を挙げました。今季9試合は全て救援登板だったために63球で降板しましたが、好調ツバメ打線の勢いを止め、想定を上回る快投を見せ「中継ぎの気持ちで1イニングずつ投げた」と胸を張りました。これでヤクルト戦は昨季から自身4連勝です。果敢に内角をシュートで攻めたのが良かったように思いました。多少甘く入っても打ち損じてくれました。内角のシュートが効いていたのでしょう。5回無失点で降板した時には「なぜ?続投させないのか?」と思いましたが、まだまだ阿部監督の信頼がないのでしょう。「球威が落ちたように感じたので替えた」「次も行ってもらう」と。試合後のお立ち台では「こどもの日」企画として小学生がインタビューしました。「コントロールを良くするにはどうしたらいいですか?」と問われ「家の手伝いをしたらいいと思います」と回答し、東京ドームの大爆笑をかいました。「一番オモロイのは優志」と同僚たちが証言します。

 以下、赤星のヒーローインタビューです。チーム一のギャグのセンスの持ち主だそうです。実はこれは冗談ではなく、こういう気持ちで生活することが、運を呼び込むことにつながるのです。

―投球を振り返って。

「1イニングでも多く0で抑えることを目標にしていたので、なんとか抑えることができて良かったです」

―先発では今季初登板、どんな気持ちで投球したか。

「とにかく自分のピッチングに集中して投げました」

(ここから小学6年生の少年がインタビュー)

―投球のコントロールをよくするにはどうしたらいいですか。

「家の手伝いとかをして、したらいいと思います」(大爆笑)

―大きな割り算を得意にするためにはどうしたらいいですか。

「先生の話をしっかり聞いて家の手伝いもしたらいいと思います」(さらに大爆笑)

―ファンの子供たちへ。

「これからもジャイアンツの応援と、お父さんお母さんのお手伝いをよろしくお願いします」

 その後、大城卓三捕手が、ヒーローインタビューで子どもから質問を受け、さらに球場を沸かせました。両軍無得点の4回にチーム初安打となる先制3ランを放った背番号「24」。お立ち台に上がると「詰まり気味だったんですけど、自分も入ると思って走ってました」と試合を決めた一発を回想しました。「こどもの日」ということで、インタビューの途中からは小学6年生の少年が大城へ質問。「チャンスの時はどういう気持ちで打席に入っていますか?」と聞かれると「積極的にというのを心がけて。やっぱり積極的に行ったときは結果が出てるかな」とアドバイスを送った。ここで少年は続けて足が速くなるためにはどうしたらいいですか?と質問。まさかの展開に球場には大笑いが巻き起こり、大城本人も苦笑い。決して足が速くない“打てる捕手”は、数秒ほど考えた末に、赤星の発言を踏まえ「そうですね…お母さんお父さんの手伝いをすれば速くなると思います」と答えて、スタンドはほっこりした雰囲気に包まれました。♥♥♥

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かねすえ高松駅店

◎週末はグルメ情報!!今週はわらび餅

▲JR高松駅ホームの「かねすえ」

 夏を感じる涼菓「特選銘菓わらび餅」(1,300円)は、創業60年あまり、2014年にモンドセレクション銀賞を受賞した「松風庵かねすえ」の看板商品です。もっちりとした弾力感とコシの強さ、香ばしいきなこのハーモニーが絶妙な美味しさで、大人気商品になっているんです。そのままいただいても美味しいんですが、別売りのとろっとした黒蜜(200円)をかけていただくのも好評で、ひと味違った味わいを楽しむことができます。一見シンプルながらも、お店の人気商品ランキングNo.1を獲得する「特選銘菓わらび餅」。人気の理由は、本わらび粉を使用したわらび餅本来の味わいを堪能できることにあります。「松風庵かねすえ」では、今や大変貴重な食材となった本わらび粉を贅沢に使用しているので、そのようにもっちりとした食感と素材の風味を味わえるんです。私の大好物です。羽田空港にも支店があるので、飛行機を利用した時には(飛行機嫌いの私はめったにありませんが)買って帰ります。

 60年もの歳月をかけて生み出された極上のわらび餅です。わらび粉かねすえのために作られた専用のわらび粉を使用し、そこに独自の素材もブレンドされています。まろやかな風味が特徴の讃岐特産の「和三盆糖」「アルロース(希少糖)」で作られた糖蜜を入れています。材料だけでなく、作り方にもこだわりがあり、火にかけ練った後に、冷たい流水で40分間急速冷却するというもうひと手間を加えることで、他のわらび餅にはないはじけるように切れの良いプルプルの食感が生まれます。わらび餅の甘味を最大限に生かすために、きな粉には砂糖は入っていません。口当たりがひんやりして、モチモチプルプル食感で食べ始めたら止まりません。別売の「さぬきの国から和三盆蜜」(200円)をかけて食べるとひと味違うコクと風味を楽しむことができます。本わらび粉のこしの強さとたっぷりのきな粉のハーモニーが絶妙です。アッという間にペロリと平らげてしまう美味しさです。私はここのわらび餅、日本一だと思っています。

 今日、岡山「快速マリンライナー」に乗ってJR高松駅のホームに降り立つと、改札口の手前に「松風庵 かねすえJR高松駅店」さんを見つけました。「アッ、かねすえだ!!」私は興奮のあまり思わず叫んでいました。駅のホーム内にある小さなお店です。そういえばこのお店は香川県高松市が本店でしたね。なんでも、駅員さんにかねすえ」さんで買い物をしたいと伝えると、数分間限定で入場させていただけるそうです(混み合っている時は遠慮しましょう〔笑〕)。まだ松江駅前一畑百貨店が営業していた頃には、年に一回「全国うまいもの市」でよくやって来られ、いつも6階のエレベーターを降りた入り口の出店に大行列に並んで買い求めたものでした。一畑百貨店が閉店した今は、もう松江では食べることができなくなってしまいました。3年前に島根県松江市学園南にオープンした、わらびもち専門店の「とろり天使のわらびもち」は、残念ながらアッという間に潰れてしまいました(⇒コチラに私の紹介)。やはりリピーターが足繁く通ってくれるだけの美味しさが重要なんだと思います。♥♥♥

▲何度食べても美味しいわらび餅!日本一の美味しさだと思います

【補足】 今日は米子天満屋4階に「全国うまいもの味くらべ」(1月28日~2月2日)で、この「かねすえ」の実演販売をやっており(初出店)、買いに行ってきました(前回は「高島屋」でした)。あいにく雪が吹雪いており、お客さんは誰もおらず(!)、すぐに買うことができました。「かねすえ」わらび餅を行列もせずに買えたのは、今回が初めての経験でした。昨日、一昨日は大行列だった、と店員さんがおっしゃっておられました。天候はお店に大きな影響があるんですね。♦♦♦

【再補足】 この時に店員さんが、「今度また米子に来ますから、よろしく。今度は高島屋です」と教えて下さいました。5月のちょうど連休中です。私は勝田ケ丘志学館の授業を終えて、館長さんに高島屋まで送っていただいて、「全国うまいもの博」(4月29日~5月7日)の会場の4階催場に上がっていきます。やはり大行列でした。20分ぐらい行列してようやく手に入れました。ここのわらび餅は日本一ですから、いくら行列の嫌いの私でも、何分待ってでも買いたい逸品です。やはり美味しい!!♦♦♦

 

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錦織 圭引退!

 男子テニスで元世界ランキング4位の錦織 圭(にしこおりけい、36歳)選手=ユニクロ=が、今季限りでの現役引退を表明しました。近年は度重なるけがと手術に耐え、本来の姿に程遠かった中で、「全てを振り返ったとき、『やり切った』と胸を張って言える自分がいる」と記しました。2014年に全米オープンで日本勢初の四大大会シングルス準優勝。ツアー通算12勝をマークしました。彼は島根県松江市出身ということで、松江市では当日号外まで出ました!(写真下)。

 日本の第一人者として一時代を築いた錦織選手が、ラケットを置きます。2014年の全米オープンで日本勢初の四大大会シングルス準優勝し、2015年にコンピューターによる現行のランキング制度で、日本男子の史上最高位の4位。2016年リオデジャネイロ五輪のシングルスでは、日本勢として96年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得しました。

 「『世界で戦いたい』という思いだけを胸に走り続けてきた。トップ10という場所までたどり着けたことは、自分にとって大きな誇り。正直に言えば、今でもコートに立ち続けたい気持ちはある。それでも、これまでのすべてを振り返ったとき、『やり切った』と胸を張って言える自分がいる」

 13歳で米フロリダ州の名門アカデミーにテニス留学し、プロ転向翌年の2008年に、松岡修造に続く日本男子2人目のツアー優勝を果たしました。178センチ、73キロと男子テニスでは決して体格に恵まれたほうではありませんでしたが、それを補って余りある強烈なリターンや、硬軟織り交ぜた絶妙なショットを支える俊敏さを持っていました。2014年全米オープン準決勝では3時間に迫る熱戦の末、当時世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を撃破しました。2016年リオデジャネイロ五輪3位決定戦では、過去1勝9敗だったラファエル・ナダル(スペイン)にフルセットの末に勝利。ジャー・フェデラー(スイス)アンディ・マリー(英国)を含め、男子テニス界を席巻していた「ビッグ4」と堂々と渡り合いました。この頃が彼の全盛時代でしたね。

 宙に跳び上がって強打で敵陣を打つ代名詞の『エア・ケイ』に象徴されるように、華やかさを兼ね備えたプレーヤーでした。その半面、全身全霊でポイントをもぎ取るスタイルは負担が大きかったようです。2022年1月に股関節の手術を受け、2023年6月に下部ツアーで実戦復帰即優勝を果たしたものの、その後も左膝や右肩などを負傷するなど、度重なるケガとの戦いでした。最新の世界ランクは464位。四大大会出場は昨年の全豪オープンが最後で、今季は下部ツアーが主戦場でした。現在は休養中で、今後の出場予定は未定ですが、コートに立ち続けたいとの思いは今も残っており、「残りの試合も、一瞬一瞬を大切に、最後まで戦い抜く」と綴っています。

 松江市出身のスーパースターである錦織圭選手が大活躍していた頃、松江市役所には巨大な垂れ幕が掲げられ、市民全体で応援しようというフィーバーぶりでした。しかし市民みんなが応援に浮かれていた当時、私は「この選手は世界でトップには立てない」と断言していましたsじょ、生徒たちにも公言していたものです。私が応援する気に全くならなかったのは、彼は思うようなプレーができない自分に腹を立てて、ラケットに八つ当たりしては地面に叩きつけたり、投げつけたり、破壊することが日常茶飯事だったからです。こういう醜い姿を見るにつけ情けなくなっていたものです。ラケットが折れ曲がってしまうことも。このような精神状態でプレーする限りは、超一流プレーヤーの仲間入りをすることはまず無理でしょう、というのが私の見方でした。私も長くソフトテニスの監督を務めてきましたが、試合中にそのような行動をする選手で(ラケットに八つ当たりをする、相棒に罵声を浴びせる、審判に噛みつく)、上位に君臨した選手を知りません。いくら強い選手でも、途中で取りこぼして、負けていったように記憶しています。

 そこには自分のラケットを作ってくださった職人さんへの敬意は微塵もありません。ただの八つ当たりです。こういうプレーを若い選手はどう思うだろうと心配していました。同様に世界のトップを取ろうとしていた大坂なおみ選手も同様でした。こういう精神の人がトップに行くことは絶対にないと思っています。周りにいる指導者が教えてあげないといけないことです。引退したあのスーパースターのイチロー選手が、少年野球教室などで、小さい子どもたちから「強い選手になるにはどうしたらいいですか?」と質問を受けたときに、彼は何と答えたと思いますか?

 大事なバットを芝生の上に寝かせたりしないことです。ほんのわずかな芝生の湿り気が、バットのバランスを崩すこともある。バットを地面に叩きつけるなどはもってのほかです。地面にぶつかった衝撃で、重さや木目、密度のバランスが崩れるかもしれません。バットを作る樹は自然が長い時間をかけて育てています。バットは、この自然の樹から手作りされているのです。一度バットを投げたとき、とても嫌な気持ちになりました。それ以来、自然を大切にし、バットを作ってくれた人の気持ちを考えて、僕はバットを投げることも、地面に叩きつけることもしません。もともと道具を大事に扱うのは、プロとして当然のことです。ボールを投げたり打ったりする前に、まずはそういうところに気持ちをもっていかなければダメです。

 上の発言の中でも触れているように、実は、そのイチロー選手自身もかつて、1996年7月6日、近鉄戦で左腕小池秀郎投手にふがいない三振を喫して、思わずバットを叩きつけたことが一度だけありました。あれだけのバットを作ってもらって打てなかったら自分の責任ですよ」と、イチロー選手は反省し、その後、我に返って、バットを作っていただいた名工・久保田五十一さんに、謝罪のメッセージを送っています。「何人かの選手から、自分の手掛けたバットについてお礼を言われたことは過去にもありました。でも、バットへの行為そのものを謝罪されたのはあの一度だけですね」と、伝説的なバット職人・久保田さんは語りました。道具に対する意識の高さは、イチロー流準備の特徴です。フリー打撃を終えた選手たちが、それぞれのバットを芝生の上に平気で放り投げる中、イチロー選手だけが、バットをグラブでそっと包み、まるで眠った赤ん坊をベッドに横たえるように置いていました。彼は普段、特製のジュラルミンケースに入れて、バットを持ち歩いていました。ケース内には乾燥剤を入れるポケットがあり、湿気による重量増を防いでいるのです。それぐらいに道具への強い愛着・こだわりがあったんですね。私は個人的には現役時代のイチロー選手は好きになれませんでしたが(自分の成績にしか興味が無い)、この道具を大切にする姿勢だけは、みんな見習わなくてはいけないと感じています。

 「道具を大切にできない人は、いつかその道具に裏切られる」とは、プロゴルファーの青木 功(あおきいさお)さんが、週刊誌に連載したコラムに書いた言葉です。あの松下幸之助さんも、次のように言っていました。♥♥♥

 世間は誰ひとりとして、きみの成功を邪魔したりせんよ。出来ないというのは、外部の事情というよりも、自分自身に原因があるものなんや。外部のせいではない、理由は自分にあるんだということを、常に心しておく必要があるな。(松下幸之助)

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The thing is, …

 次の一節をお読み下さい。最近読んだアメリカの悩み相談の英語です。

 When I ask David for help, he says he’s exhausted and reminded me that he’s the one working full time. The thing is, I’m exhausted, too.(デビッドに助けをお願いすると、自分は疲れていると言って、フルタイムで働いているのは自分だと主張します。問題は、私も疲れているのです)

 The thing is, …は、英語でとてもよく使われる口語表現で、主に話の前置き(導入)として使われるフレーズです。直訳すると、「その事は…」ですが、実際には次のようなニュアンスを持ちます。

・本題に入る
・言いにくいことを切り出す
・相手の期待と違うことを説明する
・理由や背景を述べる前置き

日本語にすると、「実はね…」「というのも…」「問題はね…」「その…(ちょっと言いにくいんだけど)」「(あまり言いたくないけれど)実はね」「問題はそこなんだよ」「大切なのはこういうことなんだ」と核心に触れる際に使われる非常に便利な決まり文句です。上の文で、デビッドは「自分はフルタイムで働いているから疲れている(だから手伝えない)」と主張しています。それに対して話者は“The thing is…”を使って「(デビッドはそう言うけれど)実際のところ、私だって疲れ果てているんです」と、相手の言い分を認めつつも、見落とされている重要な事実(=自分の疲れ)を対比させて強調しています。いきなりI’m exhausted, too.と言うと、相手の言い分を否定しているように聞こえます。そこで“The thing is,”を挟むことで、対立を避けつつ、自分の立場も理解して欲しいというニュアンスを作っているわけですね。

直訳すると「問題(重要な点)は〜だ」ですが、実際にはもっと柔らかく、「実はね、〜なんだ」「要するに、〜ということなんだけど」「ここで大事なのは、〜なんだ」といったニュアンスになります。

■ 働き(どんなときに使うか)

主に次のような場面で使われます:

① 言いにくいことを切り出す→相手に少し伝えにくい内容をやんわり導入する

“I’d love to go, but the thing is, I have to work early tomorrow.(行きたいんだけど、実はね、明日朝が早いんだ)

② 問題…・言い訳・説明を始める→理由や背景を説明するとき

“The plan sounds great. The thing is, we don’t have enough budget.”(計画は素晴らしく聞こえる。問題は、予算が足りないことだ)

③ 話のポイントを強調する→重要な点をまとめる

“I know it’s cheap. But the thing is, we don’t actually need it.”(安いのはわかってる。でも重要なのは、僕らはそれを必要としていないってことだよ)

■ ニュアンスの特徴としては

カジュアルで会話的/少し「間」を作る感じ(考えながら話す印象)/相手に配慮しつつ話を切り出す

■ 他に似た表現との違い

Actually, …:「実は(意外かもしれないけど)…」単に事実を訂正・補足

The point is, …:「大切な点は、…」「要は、…」 論点・要点を明確に示す。より論理的・強調が強い

The thing is, …:やや柔らかく、人間的・会話的

To be honest,… : 「正直なところ、…」

 The thing is, …は、話しにくいこと・重要なことをやわらかく切り出すクッション表現として覚えると自然に使えます。「ちょっと言いにくいことを切り出す前のクッション」だと思うと理解しやすいでしょう。文頭で使うのが一般的ですが、本来はThe thing is that…と接続詞thatを補うこともありますが、口語ではほぼ100%省略されます。またThe thing is, …と言った後に一瞬「タメ」を作ることで、より「今から大事なことを言うぞ」という雰囲気が出ます。『ライトハウス英和辞典』(第7版)ではこの句を次のように記述しています。♥♥♥

[前の文を受けて]S その理由は、実は;問題は

“Why didn’t you do your homework?”  “I was going to, The thing is, I had a terrible headache.”(「どうして宿題をしなかったの?」「するつもりだったんですが、実は頭痛がひどかったんです」)

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sophisticatedの悪い意味

 形容詞のsophisticated「上品な」「洗練された」「教養のある」「あか抜けした」「精巧な」「高級な」「高度な」「知的な」という良い意味で普通褒め言葉として使いますが、文脈によっては否定的・皮肉的な意味になることがあることを、最新刊のキャサリン・クラフト『形容詞がわかれば英語がわかる』(ちくま新書、2026年)が観察しておられます。その場合には「(不必要に)複雑な/計算高い/(鼻につくほど)わざとらしい」などの意味になります。英和辞典には収録されていない意味です。

▲この本オススメです

 特に人(評価・性格描写)に対して使うと、「世間慣れしすぎていて、純粋さがない→ ずるい/計算高い/抜け目がない/冷めている/物事の裏をよく分かっている」「インテリぶっている」「気取っている」というニュアンスになることがあります。意味は「大人びている」ですが、やや否定的・心配する響きがあります。使用例をご覧ください。

He’s too sophisticated to believe that story.(彼は世慣れしすぎていて、そんな話を信じるような純粋さはない)

She’s a bit too sophisticated for a ten-year-old.(彼女は10歳にしては、少し大人びすぎていて(スレていて)可愛くない)

She’s very sophisticated in the way she deal with people. (彼女は人との付き合い方が洗練されている=打算的)

He’s so sophisticated enough to know when to stay silent.(彼は状況を読んで黙るだけの計算高さがある)[やや悪い意味]

I found the atmosphere of the party a bit too sophisticated for my liking.(そのパーティーの雰囲気は私には少し気取りすぎていて[上品すぎて]肌に合わなかった)

 また、皮肉として使われると、知的・都会的だが、人間味がない→ 冷淡、打算的という意味合いになります。否定的な語や評価語と一緒に使われた場合には、「計算高い」の意味がはっきりします。

He gave me a very sophisticated answer — no warmth at all.(彼はとても“洗練された”答えをくれたけど、まったく温かみがなかった)

That’s a very sophisticated way of avoiding responsibility.(責任逃れとしては、ずいぶん洗練されたやり方だね)

He’s sophisticated, but not sincere.(彼は洗練されているが、誠実ではない→計算高い)

That was a sophisticated move to protect his own interests.(自分の利益を守るための計算された一手だった)

 人ではなく方法・計画・技術・システムなどに使うと、「高度すぎて扱いにくい/実用的ではない」「無駄に複雑」という否定的評価になることがあります。

The plan was too sophisticated for such a simple problem.(その計画は、単純な問題に対して複雑すぎた)

This is a sophisticated excuse, but I don’t buy it.(これは手の込んだ言い訳だが、私は信用しない)

This system is so sophisticated that it often breaks down.(このシステムは複雑すぎてよく故障する)

The new software has a sophisticated interface, but it’s a nightmare to use.(その新しいソフトは精巧なインターフェースを持っているが、使いにくくて悪夢だ)

用法

ニュアンス

肯定的

洗練された、上品な、高度な

否定的(人)

世慣れしすぎ、ずる賢い、冷たい

否定的(物・方法)

無駄に複雑、小賢しい

皮肉

表面上は知的だが本質的に問題あり

 犯罪や不正行為に対しても使うことができます。「(詐欺などが)巧妙で悪質な」という意味ですね。

The scam was highly sophisticated and hard to detect.(その詐欺は非常に巧妙で見抜くのが難しかった)

 ただし重要な点として、「計算高い」という意味は sophisticated の中心的な語義ではなく、文脈依存・含意的(ニュアンス)であることです。あくまで「世慣れしている」「裏事情をよく分かっている」「感情より理性・戦略を優先する」という意味から、結果として「計算高い」と受け取られることがあるという位置づけです。もし明確に悪い意味で「計算高い」と言いたいのなら、calculating/ scheming/ cunning/ shrewdなどの語を使うのが自然です。

 sophisticated は、「高度で洗練された」という良い意味と、「複雑すぎる」「こねくり回した」「悪質に巧妙な」という悪い意味の両方を持つ語です。 文脈によって評価が大きく変わる語なので、使われ方に注意すると英語のニュアンス理解が一段と深まります。♥♥♥

[補足] sophisticatedの語源は、ギリシャ語の“sophist”(ソフィスト/詭弁家)にあります。もともとは「知恵のある人」を指していましたが、屁理屈をこねる人たちというネガティブな意味で使われるようになった歴史があります。そのため、現代でも「手を加えすぎて本来の姿(素朴さ)を失っている」というニュアンスが、皮肉の種として残っているのです。

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元谷外志雄会長亡くなる

 2月11日建国記念の日に、アパホテルを日本最大級のホテルチェーンに育て上げた創業者の元谷外志雄(もとやとしお)会長が82歳で逝去されました。

▲アパホテル金沢駅前

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▲アパホテル新宿御苑前

 元谷氏が1984年に金沢片町で第一号ホテルを開業した当時、日本のホテル業界は観光地中心の展開が主流でした。しかし同氏は、ビジネス客をターゲットにした都市型ホテルに特化する戦略を打ち出し、駅近の立地、コンパクトな客室、合理的な価格設定、当時としては異端とされたこれらのコンセプトが、後の出張文化の変化と完全にマッチしたのです。現在(4月28日時点)では1,148カ所、14万8,077室を超える日本最大級のホテルチェーンに発展しています。現在でも次々と新ホテルが開業しており、過去最高売り上げ、過去最高利益を更新しています。重要なのは、トレンドを追いかけたのではなく、自ら市場を創造した点でしょう。これは今の時代の経営者にも通じる視点です。

 元谷氏の真価が最も発揮されたのは、2008年のリーマン・ショックの時でしょう。多くの企業が投資を控え、不動産価格が暴落する中、「千載一遇のチャンス」と捉えて積極的な物件取得に動きました。周囲からは無謀との声もありましたが、結果的にこの判断が現在のアパホテルの優位性を決定づけることになります。バブル崩壊、ファンドバブル、リーマンショックという三度の経済危機を、すべて成長の機会に転換してきました。元谷氏から学べる最大の教訓は、「市場が悲観に包まれた時こそ、冷静に本質を見極める」という姿勢です。リーマン・ショック時、同氏は不動産の価値そのものが消えたわけではないと考え、一時的な価格下落は、むしろ優良物件を適正価格で取得できる好機だったわけです。この判断の背景には、ホテル事業の本質的な需要への確信がありました。また、妻の芙美子氏との二人三脚の経営スタイルも印象的でした。芙美子氏が広報や対外活動を担い、外志雄氏は戦略と実行を担うという役割分担は、パートナーシップ経営の理想形でしょう。芙美子さんは個性的なファッションで歌手活動も行うなど、メディアに多く露出し広報活動を担う一方で、外志雄さんも安倍晋三元首相らと親交を深めるなど、政財界に幅広い人脈を持ちました。また、同社で発行する月刊誌などで、保守的な思想を発信するなどしたことでも知られます。事業家としての顔とは別に、元谷氏は藤誠志のペンネームで言論活動にも力を注いでいました。「真の近現代史観」懸賞論文を主催し、田母神論文問題でも知られるように、保守派の論客としての一面も持っていました。月刊誌『Apple Town』へ社会時評エッセイを32年に亘って掲載したほか、『報道されない近現代史』、『誰も言えない国家論』、『誇れる祖国、日本』、『【増補版】理論 近現代史学』等の著書を出版し、日本人が自虐史観から脱し、正しい歴史認識を持ち、国に誇りを持てるよう、啓蒙活動を続け、公益財団法人アパ日本再興財団の代表理事として、「アパ日本再興大賞」表彰制度、「勝兵塾」を主催してきました。自分の信念を明確に示し、それを実践し続けました。経営者として成功した後も、自らが正しいと信じる歴史観や国家観を発信し続けたその姿勢は、単なる商売人ではない、真の事業家たる矜持だったのでしょう。ホテルの部屋には著書が置いてありました。

 元谷氏の功績は、単に大きなホテルチェーンを作ったことではありません。誰もが守りに入る局面で攻めに転じる勇気、自分の信じる戦略を貫く胆力、そして長期的な視点で事業を育てる忍耐力。これら全てを体現した経営者でした。「先を見る目」がありました。訃報に接し、改めて「経営者は常に市場の先を読み、逆境こそをチャンスに変える覚悟が必要だ」という言葉を噛み締めていました。元谷さんの残した名言をいくつか挙げてみましょう。

◎願望は自ら実現する
◎能ある鷹は爪を出せ
◎仕事を遊びに遊びを仕事に
◎出来ない約束はしない、した約束は守る
◎現状を肯定、持てる武器はすべて使い人生を勝ち取れ
◎若さは武器、若さの中に無限の可能性がある
◎勝ち取った物だけが残る与えられた物はいつか奪われる
◎人生どの一瞬を切り裂いても悔いのない、そんな人生を歩いてみたい
◎自分に見栄を張って生きろ
◎全体の中に部分があり、部分を集めても、全体とはならない
◎始める時から、終る時を考えろ
◎情報は発信する人に集まってくる
◎最善の一瞬の選択を求めて、百年常識を養う
◎常識を磨き人間力を高め誇りの持てる決断を
◎人間どう考えるかで人生は決まる
◎未知の領域への挑戦、それはロマンである
◎世の中、とにかく不条理なものである、めげず臆せず王道を歩め
◎自分に納得できる人生を歩め
◎全力で得た結果は総て最高である
◎全体を俯瞰して、部分を洞察せよ
◎気合い入れて、格好つけて、意識して生きろ
◎幸運は喜びと感動を顕にする人に廻って来る
◎時を選び勝てる所で勝て
◎劇的に興奮と感動の人生を演出して生きろ
◎好奇心があれば未来がある
◎今日の全力が明日の最善を作る
◎計画とは将来に対する意志である
◎演ずる自分を、監督する自分が評価できる人生を
◎全力で闘えば負けたとしても誇りは失われない
◎考えて、準備して、そして嵐を起こせ
◎常にドラマチックに年毎に楽しくなる人生を
◎誠実に忍耐強く勇気を持って決断実行
◎負けは小さくとどめ、勝てる時に大勝を目指せ
◎過去を知り現在を解析すれば未来が見えてくる
◎運命ではない意志の力で人生を勝ち抜け
◎人生は短い未来を闘う過程を楽しみ時間に負けるな

 私は職業柄、全国を飛び歩くことが多いのですが、大都市部では「アパホテル」に泊まることも数多くあるんです(大半は、その町一番の老舗ホテルに泊まりますが)。結構気に入って会員になっています。「アパホテルは部屋が狭い」とよく言われることがありますが、これは敢えて意図的に小さく作っているのです。だからこそ、料金が安くなり、面積当たり、あるいはゲスト1人当たりの環境負荷が小さくなるんです。炭酸ガスの排出量は、一般的な都市型ホテルの3分の1です。「アパホテル」は、シングルルームでもベッドは横幅140cmあって、寝心地も大変よく、テレビは50型と大きく見やすいんです。枕元に、照明等のスイッチや携帯電話の充電コンセントなど必要な機能をコンパクトにまとめてあるので、ベッドに寝ながらにして必要な操作が全部できるように作られています。浴槽は卵形でゆったり入れるのに(ビジネスホテルのお風呂は好きになれない八幡です)、湯量は通常の80%で済みます。浴槽に湯を入れるのも、一定量溜まると給湯が止まる定量止水栓で、湯をあふれさせるムダや心配がありません。中でも特筆すべきは、置いてある歯ブラシも超高級品で、私の一番のお気に入りなんです。⇒私の歯ブラシの感想はコチラをご覧ください

 ちなみに「アパホテル」の名称については、当時の社長の元谷さんが、米国ランドー社に依頼して出来上がったものです。Always Pleasant Amenity(いつも気持ちのよい環境を)の略で、環境への配慮もあり、Aから始まる覚えやすい親しみのある名前だし、英文字3文字で海外からのお客さんにも親しみやすいだろうということで一発で決まりました。平成9年には社名を「アパ(APA)グループ」に変更しています。「ジャパン(JAPAN)の真ん中」という意味です。「日本には優れたものがたくさんある」「誇れる国・日本を再興しよう」と訴え続けられました。

 1971年、夫・外志雄さんが「信金開発株式会社(現アパグループ)」を立ち上げます。起業当初、第一子を妊娠中だったが、経理や事務職をして手伝い、出産後は営業にも出ました。すると営業成績は、トップに。実力で取締役となります。その後、営業手腕を買われ、「ホテルでお客をもてなすのは女将や」と、代表である夫に指名され、1994年、アパホテル社長に就任します。そして、あの有名な元谷さんの広告が誕生するのです。「史上最悪の広告」「やめてくれ」「公共の福祉に反する」などと、ごうごうたる非難の抗議に沸きましたが、逆にそれだけの反響があった証拠で、世の中に浸透した結果と思った、と言います。元谷芙美子社長は派手な衣装に身を包み、「私が社長です」のコピーをひっさげ、看板や新聞広告や中吊り広告に一斉に登場します。あまりのインパクトに、「もっと違う人を使えや!」と、本社には苦情が殺到したらしいですが、元々それが狙いです。「アパホテル」の認知度は一気に上昇しました。「社長を広告塔にする」ことで、コスト削減(タレント使うとお金がかかる)&スキャンダル防止(なんせ自分ですから管理しやすい)という理由で、この広告戦略を取ったそうです。それが大ヒットします。

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 「アパホテル」は、ホテル業界では、種々の先駆けのサービスを提供することにより、他社との差別化を図ってきました。「ウィンドウズ95」が発売された平成7年にホテルのネット予約をスタートさせています。駅から徒歩3分以内で、宿泊料も安く、大浴場もあって、朝食が美味しい。評判もあって、着実に人気を重ねてきました。2007年、耐震強度不足問題が発覚した際の、複雑な心境も語っていました。京都のホテル2棟で勧告を受け、ホテルは営業停止。マスコミからは叩かれ、大騒動になりました。銀行からは融資の全額返済を要求されましたが、マンションの建設予定地をいくつも売却し、何とか危機を切り抜けます。その時「リーマン・ショック」が起き、資金繰りのために土地を売り余っていた資金で、今度は、都心の一等地を底値で買い入れて、ホテルを次々に作ります。これが現在の大躍進へのきっかけとなったわけです。今も、全国に次々と新しい「アパホテル」が誕生しています。

 二人の息子の母親である元谷さんの教育方針は、「勉強するな」です。難関大学に行っても大成しない。勉強はただ記憶力の強い子を作るだけ。トップの経営者になるには、人を引きつける魅力と精神力が必要だ、と教えてきた、と言います。一方、妻としての元谷さんの顔は…「夫婦喧嘩はしない」というもの。夫の意見には反対せず、夫を最大限に立てる。夜は「居酒屋ふみふみ」を開店し、手料理と、焼酎で夫をねぎらいます。仕事もプライベートも全力投球。小さな体から溢れ出る元谷さんのチカラの源が語られました。私が元谷さんの哲学で感心したのは、次のものです。

二兎を追うものは一兎も得ずと言いますが、一兎だけを追っていたら、どんなにがんばっても一兎しか得ることはできません。だから、たとえ難しくても二兎を追ってみる。そうすれば、二兎をを得るチャンスが広がります。  ―元谷芙美子『強運』(SBクリエイティブ、2017年)

 そういえば、私が赴任した頃の松江北高「二兎を追え、三兎を追え!」と、生徒たちに檄を飛ばしていましたっけ。最近では、そんな言葉を聞くこともなくなりました。新型コロナウィルス騒動が起こると、いち早く感染軽症者の受け入れを表明したのも「アパホテル」でした。懐が広いと感じます。世界的にも観光産業は新型コロナウィルスによる大打撃を受けておりますが、「アパホテル」では部屋を求める方がいる限り営業することが「ホテルの使命」と考え、休業せずに営業を続けました。また、安倍首相(当時)より「新型コロナウィルスの軽症者の受け入れ」要請の電話があり、即座に全面的に受け入れる意向がある旨を伝え、ホテル業界のリーディングカンパニーとして医療崩壊を防ぐために側面から貢献したいという一念から、いち早く受け入れを決めました。素晴らしい決断でした。

 2020年の2月に、金沢市「武家屋敷」を案内してもらっていた時に、ここが元谷さんの大邸宅だよと教えてもらいました(写真下)。♥♥♥

▲元谷邸

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elderlyの実態~辞書編集者の立場から

 今からもう30年以上も前のことです。ライトハウス英和辞典』(研究社)の第2版の改訂準備作業をしていた1988年頃の話で、当時、英語のelderlyという単語のゲラに《60歳前後》という注記が入っていたんです。これに対して、私たちの編集委員のMary Althaus教授(津田塾大学)から、30年前であれば、60歳はelderlyであっただろうが、現在はもう10歳~20歳は年上を言う言葉であろう」という書き込みがありました。これは当時の私にとって新発見でした。すぐに私たちの編集顧問の故ボリンジャー博士(Dwight Bolinger)に確認をとったところ、面白いエピソードを伺うことができました。平均寿命が65歳の時なら、60歳をelderlyとしてよいだろうが、現在の実態はそうではないことに注目すべきだ。博士が71歳の時、夜ジョギングしていたところ、警察官に呼び止められたというのです。おそらくは誰かに追いかけられていると心配に思って、この警察官は“elderly gentleman running”に対して、驚きを表したのでしょう。old と呼んだのでは失礼だろうから、丁寧にelderlyと呼ばれたのだろうが、71歳で“elderly”の範疇に入ると知って、ちょっと驚いた、と博士はおっしゃっておられました。結論的には、アルトハウス先生のご指摘に同意され、”You are as young as you feel.”だから、特定の年齢は明記しないほうがよい、とのアドバイスをいただきました。当時、松江北高のALTだったジェーン・ハンフリー先生(オーストラリア出身)も当時、個人的意見としながらも、70歳プラスと思う、と述べられました。ALTのエドワード先生とこの話題を話していて、「自分は75歳以上くらいだと思う」との意見でした。 “It is considered more polite to use elderly instead of old when describing a person : an elderly gentleman” (Cambridge Academic Content Dictionary)ということで、「しばしばoldに対する遠回しな語として用いられる」(『ライトハウス英和辞典』)としておきました。これが、今から30年前の実態でした。ライトハウス英和辞典』(第6版)をお持ちの方は、私の書いたold/elderly/aged「類義語」欄をご覧ください。しかし、あれからずいぶん時が経ちました。elderlyの実態は、当時からずいぶん変わってきたように感じています。

 尊敬する竹岡広信先生『改訂版LEAP必携英単語』(数研出版、2024年)elderlyにも 「年配の、年老いた(old, aged)の丁寧で遠回しな表現」とあります。残念ながら、これは現在の実態にあっていません。理由はelderly が「年齢」よりも「状態(弱っている・介護が必要)」を連想させる語になってしまっているからです。

 現在、アメリカでは、この問題は実にやっかいなようで、ニューヨークタイムズ紙が69歳の女性をelderlyと呼んでいます。別のアメリカの新聞は70歳をelderlyと呼んでいます。71歳の女性をelderlyと書いたところ、「あり得ない」という読者からの抗議の投稿があったそうです。ある読者は「自分は70歳だが、elderlyと感じることは絶対にない。elderlyは、少なくとも80歳以上、いや95歳もあり得るだろう」と述べました。どうやら20世紀前半にはold に対する婉曲語としてelderlyは受け入れられていたのですが、現在ではthe deafthe disabledなどと同じように、“politically correct”でないと受け止められているふしさえあります(cfCollins English Dictionary)。

Many people now think that this word is offensive but it is often used in talking about policies and conditions that affect old people  [Macmillan English Dictionary for Advanced Learners(2007)]

elderlyには弱々しく(weak)、自立できない(unable to care for oneself)、衰えている(frail)という含蓄が感じられるというのです。ウィズダム英和辞典』(第四󠄁版、三省堂、2019年)「もともとはoldの丁寧語であったが、現在では失礼な表現とされる場合もある」『グランドセンチュリー英和辞典』(第4版、三省堂、2017年)「しばしば遠回しにいう時にoldの代わりに用いられるが、失礼な言い方だと考える人も多い」と、『ジーニアス英和辞典(第6版、2023年)「元来old, agedの遠回し[ていねい]な表現だが、最近は失礼に響くと感じる人が多い」と記述しているのは、ここら辺を踏まえての観察と思われます。時代と共に英語が変容していく好例ですね。

 さて、ここからが今日のテーマです。最近のelderlyの使われ方を観察していると、事態はさらに進んでいる印象を受けています。Alpha」(7月17日号、2020年)の、James Tschudy先生の連載記事 “Odds & Ends”(やさしい英語の正しい使い方)に、面白いエピソードが出ていました。先生より8歳上のお姉さんがテレビで交通事故のニュースを見ていたところ、アナウンサーが“An elderly man of 70 was involved in an accident on Highway 50.”と述べたそうです。お姉さんは「ちょっと待って。私は70歳だけど、elderlyじゃないわ」と思わず口にしたそうです。お姉さんのelderlyという語に対するイメージは“old, weak, unable to care for oneself”だそうです。自分はまだ健康で、活動的なので、elderlyじゃないと言うのです。チューディ先生の語感も、お姉さんと全く同じだと言っておられました。もともとは丁寧語として登場したelderlyですが、現在はその使用には注意が必要です。ニュース記事で70歳の男性を“an elderly man”と書くのは、記者が敬意を払ったつもり、または(若者ではないという)客観的事実のつもりであることが多いのです。しかし、読者にとっては「俺をヨボヨボ扱いするな!」という侮辱に聞こえてしまうのです。70歳でも元気ならelderlyと呼ばれると反発されやすく、80歳でも元気なら避けられることもあります。年齢だけで決まる語ではなくなっており、当事者の感覚とは大きくズレているのです。

 かつてはold(老人)を避けるための「丁寧な婉曲表現」だったelderlyですが、現代のアメリカ英語では、「自立した生活が困難で、心身ともに衰えた高齢者」というネガティブな含みが強まっています。丁寧語から失礼な言葉へと転落していく現象です。現在の英語圏では、elderlyは年齢を示す中立語ではなく、弱々しさ・依存・衰えを連想させる語として忌避される傾向が強く、一般的には使わない方がよい語になっています。ネイティブスピーカーがelderlyという言葉から連想するのは、以下のような人物像です。

●Fraility(虚弱):足腰が弱く、杖や歩行器が必要な人。弱々しい。衰えている。

●Dependency(依存):介護を必要としたり、一人で身の回りのことができなかったり する人。自立ができない。他人の助けが必要。

●Vulnerability(脆弱性):犯罪の被害者になりやすい、あるいは病気のリスクが高い 「弱者」としての高齢者。体力・判断力が落ちており、社会的に保護の対象。

 年齢で区切る明確な基準はすでに崩れており、政策立案や医療の文脈で高齢者集団を指す時に限って使われることはあるものの、個人を指して“an elderly man/woman”と言うのは避けられています。国連では1995年にelderlyを避け、older personsを推奨しています。American Geriatrics Societyelderly, seniors, the agedを使わないように勧告しています。National Institute on Agingelderly「否定的なステレオタイプを助長する語」として使用を避けるように指示しています。相手を不快にさせず、かつ適切に年齢層を表現するために、現在は次のような言葉が選ばれています:seniors/ senior citizens/ older adults/ older people/ people in their 80s/ active seniros

 私たちの『ライトハウス英和辞典』(第7版、2023年)の次の記述の下線部分は、書き換える必要があると私は感じています。♥♥♥

【語法】 しばしばoldに対する遠回しな語として用いられるが、失礼と感じる人もいる。

【類義語】 中年以上の人に用いられる語で、しばしばoldやagedの婉曲表現として用いられるが、現在では失礼と感じる人もいる。

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