中村俊郎さんと中村ブレース

 島根県大田市大森町(世界遺産・石見銀山)に拠点を置く中村ブレース株式会社」は、義肢装具の世界において「技術」と「志」の両面で非常に高い評価を受けている世界的企業です。その歩みは、単なる企業の成長記録にとどまらず、過疎化が進んでいた門前町の再生の歴史でもあります。

 創業者の中村俊郎(なかむらとしろう)氏は、1948年島根県生まれの「中村ブレース」の創業者です。高校卒業後、姉の紹介で、京都にある老舗の義肢装具製作所に勤務。約6年にわたる下積み時代の中で、義肢制作技術の基礎を身に付けました。やればやるほど義肢製作に魅せられた中村さんは、より高いレベルを目指して、24歳の時に単身渡米しました。1974年、カリフォルニア州キャンベルという田舎町にある義肢装具会社で3年間修行。当時の最先端技術を学びました。自身もアメリカで大きな事故に遭い、命を落としかけたことも、中村さんの使命感をより強固なものにしました。1982 帰国後、日本人としては初めての米国准装具士ライセンスを引っ提げて、故郷である過疎化の激しいさびれた島根県大田市大森町「中村ブレース」を創業。当初は周囲から「なぜこんな不便な田舎で?」と疑問視されましたが、中村氏は「良いものを作れば、世界中から人が集まってくる」という信念を持っていました。実家の納屋を改装してたった一人でのスタートでした。夢を持って看板を掲げたものの、当初は全く売り上げのない苦しい状況が続きます「場所じゃない。いいものを作れば、必ず評価してもらえるはず。何よりも再起不能に見えたこの町を、私が一歩頑張ることで明るくしたい」との決意から、研究に打ち込みます。「売り上げなんて期待できない。ともかく、誰か一人に喜んでもらえばいい、喜んでもらえるいい品物を作ろう」「一つの製品でいいから、誰かが喜んでくれれば、そこから希望が見えるはずだ。希望につながればそれでいいじゃないか」会社は技術の確かさもあって、次第に軌道にのり、地元の若者を積極的に雇い入れます。私の以前勤めていた大田高校からも、卒業生を受け入れていただきました。中村社長のモットーは「ビジネスの前に、人に喜んでもらえる仕事がしたいんですよ」です。「人と同じことはやらない」を基盤に事業展開しておられます。島根県の山の中に本社を置き、日本企業が盛んに生産拠点を海外に移し空洞化が進んだときも全くそのブームには乗りませんでした。「みんなで一緒に」が嫌いなんです。2008年テレビ番組「カンブリア宮殿」に取り上げられた時の、中村社長の金言は「モノづくりで人の心を温かくしたい」「利益だけで満足してはいけない」「経験を若者に伝えればいつか花咲く」の三つでした。

『できない』というのは、みんな頭の中で思っているだけで、本当にそうなのかどうかは、やってみないとわからない。(中村俊郎)

 中村ブレースを世界的に有名にしたのは、高度なシリコーン加工技術です。事故や病気で失われた指、耳、鼻などを、本物と見紛うほど精巧に再現する技術を確立。一人ひとりの肌の色や血管の浮き出方まで再現するこの技術は、多くの患者の心の救済にも繋がりました。外反母趾用の足指クッションや、軽量な義足・コルセットなど、患者のQOL(生活の質)を向上させるヒット製品を次々と開発しました。

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 そんな中村さんに、故・澄田信好知事(当時)より、島根県教育委員の就任要請があります。委員会において、中村さんは「試験の点数ではなく、本当に子どもが好きな人を教員として採用してください。心底先生になりたいと思っている人を採用してください。」と強く主張されました。点数の高さだけで採用された教師の中には、教師として適性の疑わしい人がいる、というのが中村さんの実感だったのでしょう。教育委員長として大森から松江まで2時間かけて通う生活を5年間で400回も続けられます。島根県の全ての県立高等学校の図書館に、雑誌『PHP』(PHP出版)を毎月長年(平成20年1月号―平成25年1月号)贈り続けていただいたことは、島根の生徒の「心の教育を」という、中村さんの熱い想いからでしょう。有り難いことでした。

 中村氏の歴史を語る上で欠かせないのが、本拠地である大森町の再生です。倒壊寸前だった古い町屋や役場跡を次々と買い取り、自費で修復。それらを社員寮や工房、カフェ、パン屋(ベッカライ コンディトライ ヒダカ)として活用しました。地元の廃屋になりかけた近隣の家々を、私財を投入して買い取り、修繕して社員寮や工場に活用したりして、保存に努めておられます。地元への深い愛情を感じますね。石見銀山世界遺産に登録されるずっと前から、町並み保存に尽力しておられ、現在の美しい景観があるのは同社の貢献が非常に大きいと言われています。2007年には、古い酒蔵を改築した「大森座」というオペラハウスを誕生させました。人口数百人の町に世界的な音楽家を招き、文化的な発信地としての役割も担っています。「地方にいても一流の文化に触れられる環境」を作ることで、若手社員の定着や町の活性化に繋げています。

 現在は長男の中村哲郎氏が社長を引き継ぎ、創業者の精神を継承しながら、デジタル技術(3Dスキャニングや3Dプリンタ)を活用した次世代の義肢装具開発にも力を入れています。「100人の村で100人を雇う」ような地域共生型のビジネスモデルを掲げ、「地方の小さな会社が、世界を変えることができる」この言葉を体現しているのが、中村ブレースの歩んできた歴史そのものです。♥♥♥

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