「道」

 私は、故・東山魁夷(ひがしやまかいい)画伯の風景画が大好きで、画伯の「美術展」があると聞けば、全国どこにでも飛んで見に行くぐらいの熱狂的大ファンなんです。九州の太宰府にある「九州国立博物館」で、東山先生の代表作である「唐招提寺御影堂障壁画(床の間の絵及び襖絵全六十八面)」を見たときには、そのスケールの大きさに感動に打ち震えたものです。⇒私の感動の訪問記はコチラです  松江市に自宅を新築した時には、東山先生「緑響く」「白馬の森」2枚の絵を、清水の舞台から飛び降りた気で、大阪の画廊から購入しました。画伯の風景画に、突然登場したこの白い馬の絵(全部で18枚あります)が全部欲しいのですが、なにせ値段が値段なものですから……。東山先生の風景の中に人物が出てくることはまずありません。その理由は、東山先生の描くのは人間の心の象徴としての風景であって、風景自体がそもそも人間の心を語っているからです。そんな中、突然珍しく白い馬が、先生の風景画の中に登場しました。遠くに小さく姿を見せてはいるものの、白馬が主題であり、風景は全て背景としての役目で、白い馬の象徴する世界観を、風景が反映しているのです。この2枚の絵は私の家のリビングに飾ってあり、学校から疲れて自宅に帰ってまずこの絵を眺めると、心が癒やされるんです。

▲八幡家のリビングに飾られた東山作品

 私の大好きな風景画家・東山魁夷(ひがしやまかいい)画伯が画壇および社会から認められるようになった作品に「道」(1950年作)という「第6回日展作品」があります。画伯の初期の代表作の一つで、「道だけしか描くつもりはありませんでした。道にもひとつのイメージというものがあると思うのです」と画伯は回顧しています。敗戦のショックを乗り越え、未来へと歩み出そうとする心の象徴としての「道」を表現した作品です。「風景によって心の眼が開けた体験を、私は戦争の最中に得た。自己の生命の火がまもなく確実に消えるであろうと自覚せざるを得ない状況の中で、初めて自然の風景が、充実した命あるものとして目に映った。強い感動を受けた。それまでの私だったら、見向きもしない平凡な風景ではあったが―」(東山魁夷『日経ポケットギャラリー 東山魁夷』(日本経済新聞社、1991年)と、風景画家としての原点を回想しておられました。国民的画家の原点にして、自らの心象を投影した記念碑的名作とあたたかな愛情の伝わる童心の世界を描いています。松江北高の仕事から身を引いて少し時間的な余裕が生まれた今、この絵のように、これまでたどってきた我が「道」を振り返ってみているところです。

 この「道」という作品は昭和25年の作で、その数十年前に、青森県八戸種差海岸にある牧場でスケッチしたものが基になっています。制作に際して、もう一度あの場所へ行ってみたいと思い、上野を発ちました。十数年前の道はかなり荒れていたんですが、昔のままの姿を見せ、向こうの丘へと続いていました。「やはり来て良かった」東山先生は思わず声に出して言います。夏の朝早い空気の中に、静かに息づくような画面にしたいと思い、画面の中央をただ一本の道が通り、両側に草むらがあるだけの全く単純な構図で、筆を走らせます。どこにでもある風景ですね。しかしそのために、東山先生の中に秘められたる思い、そしてこの作品の象徴する世界がかえって多くの人の心に響きます。誰もが自分の歩いてきた道をある種の感慨を持って見るのでしょう。先生にとっては、この道は遍歴の果てでもあり、また新しく始まる道でもありました。絶望と希望を織り交ぜてはるかに続く一筋の道でした。国立公園や名勝と言われる風景は、それぞれが優れた景観と意義を持つものなのでしょうが、東山先生は、人はもっとさりげない風景の中に、親しく深く心を通わせ合える場所を見いだすはずだ、と考えておられました。極端に単純化された構図や色彩をもって新たに構成することで、自分の心象を風景に投影し、東山魁夷の芸術性の最も繊細で最も核心に触れる部分のみを抽出して、長い期間をかけてコツコツと積み上げるように仕上げた、まさに原点ともいうべきものです。思い入れも深く、晩年にいたるまで常に「この作品に何を加えたか?」を問い続けながら画業に励んだとされる、記念碑的作品です。

 私が数年前に訪れた、香川県・坂出市にある「香川県立東山魁夷せとうち美術館」への玄関アプローチは、まさにこの絵を模して作られていました(写真下)。⇒この美術館の訪問記はコチラです  ♥♥♥

▲「香川県立東山魁夷せとうち美術館」アプローチ 絵画にそっくりです!!

 種差海岸にある記念碑には、「東山魁夷『道』記念碑建立事業実行委員会」の名義でこう書かれていました:

 東山魁夷画伯(一九〇八年七月八日横浜市生まれ)は、四度この地を訪れております。
  一九四〇年の初夏、かねて聞いていた大平牧場を訪れてスケッチし、その後兵役や相次いで肉親を失うという苦難を経て、再び五〇年の夏にここに立ち『道』を描き、画壇での地位を確立されました。
六九年、文化勲章を受章。七五年に唐招提寺御影堂障壁画を完成。七八年と八三年の夏に画文集取材のため御来八され、道にまつわる心境や牧場での感動を深い感慨を込めて語り、長い画業のあゆみの方向を決定づけた道、全作品の道標となっている『道』とも表現しております。私共は、東山画伯のこの道への格別の愛着と、人生の道、芸術性・精神性の高い求道の道に昇華させたその事を語り継ぎ、美の究竟を求める真摯な画業と、悟りの境地にも比すべき清澄幽玄な画風を称え、ここに有志相集い記念碑を建立するものであります。

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