コンビニ「セブン・イレブン」の生みの親で名誉顧問の鈴木敏文(すずき・としふみ)さんが5月18日、心不全のためにお亡くなりになりました。93歳でした。私の尊敬する経営者です。鈴木さんは、1932年長野県生まれ。1956年(昭和31)に中大経済学部卒業後、東京出版販売(現トーハン)に入社。1963年にヨーカ堂(現イトーヨーカドー)に入社。米国で展開されていたコンビニエンスストアに着目し、1973年11月に米サウスランド社とエリアサービス、ライセンス契約を締結。翌1974年5月に、東京都江東区の豊洲にセブン-イレブンの1号店(東京都江東区・豊洲店)をオープンしました。「商店街のある日本でコンビニが成功する訳がない!」として、親会社だったイトーヨーカ堂からも反対の声が強かったといいます。1975年には、福島県郡山市・虎丸店で24時間営業を始めて導入し「あいてて良かった!」が、広く知られるキャッチフレーズとなりました。1978年にも、業界初となる、おにぎりの販売に挑戦。家庭で作ったおにぎりを目指しながら、パリパリののりという差別化で大ヒットに導きました。同年にはセブン-イレブン・ジャパンを立ち上げ、社長に就任。日本にコンビニを根付かせた「コンビニの父」と言われます。1991年には米国のセブン-イレブン(サウスランド社)を傘下に収め、世界最大のコンビニチェーンへと成長させました。1992年にはイトーヨーカドー社長、セブン-イレブンジャパン会長、2005年にセブン&アイ・ホールディングスを立ち上げると、会長兼CEOに就任しました。「まねはしない」信念を貫き、時代や社会の「常識外」を次々と積み重ねました。挑戦の連続から生まれた自信は、決してブレることはありませんでした。
グループの拡大路線を推し進め、2006年には当時の西武百貨店とそごうを傘下に持つミレニアムリテイリング(現そごう・西武)を完全子会社化。祖業であるイトーヨーカ堂も含め、コンビニを核とする巨大流通企業を率いました。一方、「カリスマ」として長年君臨した結果、社内の反発を招くことにもつながりました。2016年4月7日、鈴木氏が主導し、当時セブン―イレブン・ジャパン社長だった井阪隆一氏を退任させる人事案を取締役会に提案するも、社外取締役らの反対で、これが否決され、創業家の理解も得られなかったため、鈴木氏は混乱の責任を取る形でセブン&アイHDの会長兼最高経営責任者(CEO)を辞任し、経営の一線から退きました。一種のクーデターでした。
かつて、アエラムックの企業研究として、セブン・イレブンが取り上げられたことがあります
。『強さの法則 勝ち続ける7つの理由』(朝日新聞出版)がそれです。コンビニ業界で独り勝ちを続け、躍進の著しかったセブン・イレブンを解剖した本です。私は中身はもちろんのことですが、付録についていた「鈴木敏文会長の名言集」が気に入りました。「成長を続けるには変化を恐れるな」「変化があるからチャンスがある」「「できない」という前に「できない理由」になっていないか考える」「皆が反対することはたいてい成功し、良いということは概して失敗する」などは、コンビニ業界だけでなく、教育現場の世界でも十分通用する法則です。私が知る鈴木会長の哲学を考えます(下線は八幡)。
「私はいまコンビニをめぐる環境が非常に厳しくなっていると危機感を持っています。必要なのは、部分的な”改善”ではなく”改革”です」と鈴木会長はおっしゃいます。「世の中はどんどん変化する。しかも真っ直ぐな道ばかりではないんですね。経営とは、アクセルとブレーキの繰り返し操作のようなもので、無理をしてスピードを出したり、脇見をしてうっかり踏み間違えれば重大事故につながる。必ず階段には踊り場があるように、経営も次のステップを踏み出す前に息切れしないように立ち止まれる踊り場が必要だということです」「安くすれば売れると考える人は恐らく過去の成功体験に縛られているんでしょうが、それこそ一番楽なやり方です。お客様は質を求めているのです」総括して「成功する秘訣は、簡単にいえば、皆がやろうとすることをやると失敗する、逆に皆が無理だということをやれば成功する、ということです。セブン・イレブンを立ち上げた時もそうです。周囲の人たちは『日本では絶対に成功しない』といって猛反対しました。それでも私は事業化に踏み切った。皆がダメだといって参入しないことに挑戦することに意義がある。それを実現させれば、他社が簡単に追随できない独自のビジネスモデルを作ることができるわけですからね」「まずは視点を変え、挑戦する価値があるかどうかを考える。そして、自分の中で6~7割、実現できる可能性が出てきたら挑戦する」 セブン・イレブンの強さの秘密を問われて、鈴木会長は「仕事に「これでいい」という、終わりなんてありません。奇をてらわず、やるべきことをコツコツ地道にやっていれば、結果は後からついてくる。継続は力なり。人生挑戦あるのみです」と答えました。なるほど。
コンビニという業態がない時代に、どうしたらお客様に喜んでもらえるか?に、お客さん目線で知恵を絞り、汗をかいたのが鈴木さんでした。鈴木さんは1970年代後半以降、なじみのなかった24時間営業で来店機会を増やすとともに、販売時点情報管理システム(POS)を活用し、品揃えや仕入れの最適化を図りました。こうした先進的な取り組みで、「近くて便利」なコンビニを消費者に浸透させ、おにぎりや温かいおでんなど、消費者のニーズを掘り起こして大ヒットを飛ばしました。2001年2月期にはチェーン全店売上高が2兆円を突破し、当時のダイエーを抜いて国内の小売業でトップとなりました。2001年にアイワイバンク(現セブン銀行)を設立し、銀行業にも参入しました。この時も経営は成り立たないと金融業界からは冷たい目で見られましたが、「無理だと言うのはいつも専門家で、利用する客は無理とは言ってない」と一蹴しました。店舗内に現金自動預け払い機(ATM)を設置しました。2007年にはプライベートブランド(PB)「セブンプレミアム」を発売。安さが売りになりがちなコンビニ商品と一線を画す「ちょっとしたぜいたく感」で消費者をつかみ、コンビニの成長を加速させました。現在の国内店舗数は業界最多の約2万2千店を展開します。
鈴木さんが第一線を引いたその後のセブンイレブンは、苦戦が目立っています。セブンイレブンは足元のコンビニ事業がさえません。鈴木さん自身も現状にはため息をついておられました。消費者が何を求めているのかを捉えた新たな革新が必要でしょう。セブンイレブンを日常的に利用する消費者の視点でこの2年間のセブンイレブンの「変化」のようなものを表現すると、気づくことが二つあります。「全体的にずいぶん高くなった」ということと「中身が減った」という感覚です。ひとつは競合するファミリーマートとローソンが意図的に「増量キャンペーン」を仕掛けていることもあるでしょう。消費者感覚としては依然、セブンイレブンは相対的に中身が少ないように見え続けているのです。そしてもうひとつの視点は、そもそも物価が上がっていることです。セブンイレブンが悪いのではなくそもそも世の中全体で物価が上がったことで消費者が苦しんでいる。苦しい中で見ると、もともと相対的に価格が高いコンビニがより高いように見えてしまうということです。
国内コンビニチェーンの明暗がはっきりと分かれてきました。ファミリーマートとローソンは過去最高益を達成したものの、王者セブンイレブンの国内コンビニ事業はまさかの減益。多額の広告宣伝費を投じてはいるものの、主力の加盟店売上が伸び切らず、利益が下押しされています。2025年度、セブンイレブンの国内コンビニ事業は、営業利益が5.8%の減少でした。一方のファミリーマートは17.9%増、ローソンが7.0%増と好調に推移しています。ファミリーマートは日商が54カ月連続で前年を超え、加盟店の利益は3年連続で過去最高を更新しました。ローソンも加盟店の利益は7年連続で増加しています。 ファミリーマートは2025年3月に大谷翔平選手を起用した「おむすび二刀流」キャンペーンを打ち出しました。その際、3月4日から25日までのおむすびカテゴリーの売上が前年同期間比で20%増を達成しています。この時、大谷選手の起用にばかりに目が向きましたが、ファミリーマートはおむすびの価格帯を低・中・高の3カテゴリーに分類し、コメの価格が高騰する中でも一部の商品は低価格路線を維持していました。 キャンペーン期間中は、低価格帯のおむすびの具を増量。さらに老舗おむすび専門店「ぼんご」や総菜の名店「柿安」監修のおむすびをラインナップし、高価格帯の商品に厚みをつけました。さらに「大谷選手ファミマおむすび割」を実施。ホームランか勝利投手となった翌日にクーポンを発行してお得感を醸成したのです。 その後もファミリーマートは「ぼんご」の作り方を参考にした「ふわうま製法」を開発。再び大谷選手を起用してキャンペーンを実施しました。コンビニのおむすびは、価格の高騰によってネガティブなイメージが染みついていましたが、ファミリーマートは価格帯に色をつけて分かりやすく提供し、商品のブラッシュアップも図りました。コストパフォーマンスを高めていたのです。 ローソンは、からあげクンやおむすび、スパゲッティなどが50%増量になる「盛りすぎ」キャンペーンが好評を博しました。やはり、お得感とコストパフォーマンスの醸成に成功しています。多くの消費者は、安さだけを求めているわけではありません。価格に見合った価値が得られるかどうかを慎重に判断しているのです。各コンビニの明暗はその差が出たようにも見えます。鈴木さんの口癖は「まずは良い商品を開発することを重視」でした。かつてと比べてセブンイレブンはそこら辺が緩んできているのだと感じています。「まねは常に人の後を追うだけ」「挑戦を中途半端にしない」「不便と思うから、反対されてもやる」90歳を超えてもなお、「限界はない。新しいことに常に挑戦してほしい」と、革新に熱意を傾けておられました。合掌。♥♥♥
関連