謝罪

 かつて、とても面白い出来事がありました。米メジャーリーグのレンジャーズで、ダルビッシュ有投手(現・パドレス)が大活躍していた頃のことです。そのダルビッシュ投手が、ある年の春のマリナーズ戦で投球に生彩を欠き、四回でマウンドを降りました。ちなみに、マリナーズはあのイチロー選手が所属していたチームで、そのイチロー選手に痛打されての敗戦です。 「申し訳ない気持ちです」。試合後のインタビューで、ダルビッシュ投手はこう謝罪しました。降板後のベンチでも、ワシントン監督に同様に謝罪したといいます。しかし、指揮官は反省しきりの彼に、こう言いました。「野球ではこういう時もある。もう絶対に謝るな!」

 なるほど、やはり日本とは違いますね。これが日本の野球界だったら、どうでしょうか?「気にするな、次はがんばれよ!」 「おまえだけが悪いわけじゃない」「今日はついてなかっただけだ。次がんばってくれ!」 そう言って慰めるのではないでしょうか。わずかな違いのようですが、この差は大きいのです。なぜなら、日本では「謝罪を受け入れたうえで」励ますのですが、アメリカでは「謝罪そのものを拒否して」励ましているのです。「謝るな」というのです。これは、罪という概念を持つキリスト教が背景にあり、さらに契約というシステムが徹底しているアメリカと、そうではない日本との違いのようにも思えます。古英語の時代には、言葉で他者に謝る習慣はありませんでした。「悔恨」「後悔」に近い表現はあったのですが、これらも自分の心の中で悔い改めるものであって、決して誰かに対して「ごめんなさい」と謝る社会的な行為ではありませんでした。謝罪表現が英語史に出てくるのは中英語以降で、神に対して罪を告解するという、キリスト教的な文脈から始まったと考えられ、その後宮廷などで、人間に対しても謝罪表現を使うようになり、徐々に階層が下がり、一般の人々にも広まっていきました。そんな精神性が現代にも受け継がれているのかもしれません。英語の場合、相手に謝るよりも、自分が反省するのが先、ということのようです。「おまえは全く悪くない。『罪』なんか犯していない」。指揮官であるワシントン監督は、アメリカ社会で罪を認めることの重さを念頭に、そう話しているようでした。自分の非を認めて謝罪するのは、彼らにとってなかなかきついことなのです。

 ダルビッシュ投手謝罪の流儀は、他人への思いやりに満ちている日本の土壌、日本人のモラルから来るものでしょう。このことは、決して悪いことではありません。日常生活において日本流の謝罪は、人間関係の潤滑油として大いに役立つ場合も少なくありませんから。ダルビッシュ投手のエピソードは、アメリカと日本の文化の違いを象徴しているものですから、彼の態度がいけないというわけではありません。しかし、簡単に「ごめんなさい」といってはいけない場合もあります。特にビジネスの場面では、軽く口にした謝罪が命取りになります。「アイ・アム・ソーリー」(I am sorry.)は禁句なのです。特にアメリカでは、交通事故でもこれを言った方が裁判に負けると言われています。かつてアメリカで、トヨタ自動車の欠陥による事故が指摘された時にもこれが問題になりました。事故原因の究明がなされる前に、アメリカ議会の公聴会で「apologize(謝罪する)」という言葉を豊田章男社長が口にしたことで、トヨタは過失を認めたことにされかけました。後になって、ドライバーの操作に過ちがあったとされて、大きな補償は免れましたが、特に海外では、謝罪の言葉はTPOを心得ないと命取りになりかねないのです。sorryの歴史は意外と新しく、謝る文化はキリスト教と共に広まっていきました。cf. 井上逸兵・堀田隆一『英語のなぜ?』(ナツメ社、2025年11月) 

 企業による「謝罪」の件数は、ここ数十年の間に激増しています。これは日本だけに限らず、世界的な傾向でもあると言えるでしょう。インターネットや内部告発の影響で、不祥事やスキャンダルが発覚しやすくなっていることに加え、企業の社会に対する説明責任が重視されるようになってきたことが大きく関係しています。企業が公に謝罪を行うのは、消費者を含む社会からの信頼が損なわれた時、または損なわれる恐れのある時、信頼をつなぎ留め、それ以上悪化するのを防ぎ、さらに信頼を回復するためです。企業による「謝罪行動」は、日本と米国の間では違いがあると多くの人が指摘しています。例えば、日本では、企業は日本独特の「謝罪会見」を開き、社長や幹部が深々とお辞儀をしてお詫びの言葉を述べる。そこに参加したマスコミのカメラは一斉にフラッシュをたき、記者たちは厳しい質問を浴びせかける。ここで企業幹部が対応を一歩間違えれば、その企業の評判は著しく損なわれ、そのダメージはしばらくは回復しません(例えば、ビッグモータの謝罪会見⇒コチラ 最近ではフジテレビの不祥事がその典型例です)。ひどい場合には企業が立ちゆかず、潰れてしまう場合さえもあります。これに対して、たとえばアメリカ企業の幹部は、マスコミや株主の前で公に謝罪することを極力避けようとし、その代わりに何とか釈明して理解を得ることに努力するケースが多いようです。

 日本人は個人としても、きわめて頻繁にお詫びをして、頭を下げることで知られている、ある意味、世界の中でも特異な民族と言えます。まず始めに後悔や悔恨の念があり、次に相手に対して謝罪を行い、最後に二度としないという誓いを立てる、という三点がセットになっています。それに比べると、例えばアメリカ人は、日本人ほど明白な形で謝罪せず、代わりに自らの立場や状況を懸命に説明、釈明しようとする傾向にあります。ヨーロッパや中国の様相も、日本よりはアメリカ型に近いものがあります。日本には「謝る」という動作をとても大切にする文化があると言っていいでしょう。例えば、けんかをしたら謝って仲直りをしますよね。会社の不祥事があれば、重役が謝罪会見をしているところをニュースで見たことがあるはずです。あの謝罪会見、見ていて「みっともない」と思う人もいる半面、実際は謝ることに重点を置いている人が多いのも事実です。もし、何か嫌なことをされたら、何はともあれ「謝ってほしい」と思いませんか? 不祥事のあった会社が、謝罪もせずに解決策に乗り出そうとしたら「まずは謝罪することが大事」と思う人が多いのです。「謝るまでは先に進めない」くらいの考え方ですね。我々日本人にとって「謝ること」「非を認めること」というのは、とても大切なことなのでしょう。アメリカでは、会社の大きな不祥事に代表者が謝罪文を発表することはあります。でも、日本のように、カメラの前で謝罪するというような光景はあまり見たことがありません。顧客や消費者に何らかの被害が及んだ場合、アメリカだと、謝罪を飛び越え、さっさと示談交渉していたりもします。カメラの前で、公に謝罪するかしないかは、日本ほど大きな問題ではないんですね。英語では“I’ll never do it again.”(二度としない)ではなく、“It’ll never happen again.”(二度とそれは起こりません)という表現を使います。「謝罪」を表すapologyという単語は15~16世紀頃、ギリシャ語から取り入れた外来語です。「謝る」という慣習ができたものの、それを言い表す英語がないので、ギリシャ語から拝借した、本来は法律用語でした。apologize(謝る)という動詞が使われるようになったのはさらに後のことです。

 そんな国際間の「謝罪」に対する考え方の違いから、数々の深刻なトラブルが発生しています。例えば今から25年前、日本でも2001年2月にハワイ・オアフ島沖で発生して、教員5人、生徒4人が死亡した「えひめ丸」の潜水艦衝突・沈没事故がありました。犠牲者遺族が事故を引き起こした潜水艦グリーンビル」の責任者に謝ってほしい、と強く要望していたのに対して、スコット・ワドル艦長は遺族の前に一切姿を現さず、遺族や一般の日本人の米海軍に対する不信感は日に日に増大していきました。こうしたすれ違いも、日本人とアメリカ人の間で公的な「謝罪」のイメージが大きく食い違っていたことが原因にあったと考えられます。

 このような謝罪行動をめぐる日米間の違いは、一体どこから生まれて来たのでしょうか?不祥事と謝罪をめぐり、日米間でしばしば文化的、コミュニケーション的な、そして時に非常に深刻な衝突が起きていることを考えれば、日本のビジネス社会にとって、あるいはコミュニケーションの領域に携わる人々にとって、このテーマの重要性は明白でしょう。今、英文読解の授業で読んでいる、自治医科大学の入試問題にある英文の「具体例」として私が挙げたのが、この「謝罪」の問題でした。“Differences in cultural values, logic, and thought patterns are often reflected in the very different ways Americans and Japanese organize and present information, ideas, and opinions. These differences lie at the root of many communication problems and exert a powerful influence on the process of persuasion, negotiation and conflict resolution.”(文化的価値観、論理、思考パターンの違いは、アメリカ人と日本人が情報、考え、意見をまとめたり発表したりするときに大きな違いとして現れることが多い。これらの違いは多くのコミュニケーション問題の根底にあり、説得、交渉、紛争解決の過程にも強い影響を及ぼす)こうした難解で抽象的な英文を読む時は、その具体例を考えることで、理解が大きく前進する、と日頃から強調しています。♥♥♥

〔追記〕 もう一つ興味深い日米の文化の差を感じる野球記事を読みました。カブス今永昇太投手(32歳)が、日本流の「謙遜」を捨て、メジャー流のポジティブ変換を取り入れた、と明かしていました。今永投手は渡米後、メンタルの持ちようを変えたと言います。「自分を下げなくなった。日本語にしかない表現で『謙遜』。自分を下げることで相手が上がるシステム。アメリカ人には全く理解されなかった」と。ある日のブルペンの出来事です。真ん中に投げてしまった際に、「しまった。今のはホームランだったな」。軽いジョークで言ったつもりが、ブルペン捕手ら周囲がドン引き。「なんでそんなこと言うんだよ」と、シリアスな雰囲気になってしまったと言います。導いた結論は「自分を卑下する、下げることによって生まれるものは多分ない」でした。編み出した技がポジティブ変換。「雨が降ってきたら『これで山、木が育つな』『この服、めっちゃ洗いたかったから、ちょうどいい』とか」。どんな状況も悲観することなく、前向きに捉えるのが、メジャー2年間で24勝を挙げた今永投手の、米国流リフレーミング(捉え直し)術でした。ポジティブ変換で、野球に限らず、人生を豊かにすることを学びました。「自分がもしネガティブになったら、絶対にポジティブな人は周りに寄って来ないと思う。今永に寄っても、自分もなんかネガティブな気持ちになりそうで嫌だなと思われると思う」。昨季はリーグワースト2位の被本塁打31本でしたが、9勝を挙げました。こうしたこと全てを糧にして、未来に向かいます。

 またこんな話もあります。大学で行われた授業で、同じクラスにいた日本人の留学生がこう言いました。I’m sorry my English is very poor.(英語が下手でごめんなさい。)この留学生は、何か発言する度に必ず口癖のように「英語が下手でごめんなさい」と言っていました。そして、仲の良かったアメリカ人の友達にはこう言われました。“Why he always “sorry”? I can’t understand him.”(なんで彼はいつも「ごめんなさい」なん?理解できない。)自分の英語力に自信がないあまり、日本人が出過ぎてしまったんですよね。「僕の言ってる事わかる?伝わらなかったら僕が英語が下手なだけなんだ!ごめんね!」って事ですもんね。あなたの英語力を誰も気にしていません!これが仮にビジネスの場だとしたら相手は絶対にこう思うでしょうね。は?知らんがな。ビジネスの場で相手の前でへりくだると交渉が一気に決裂する可能性もあります。むしろ日本でウザがられるくらいの態度が普通なのです。

 日本人として外国人と会話していると空気が止まる瞬間が何度もあります。私たち日本人からしたら「謙遜してくれないから」だし「日本人じゃありえないリアクションだから」です。日本だったらウザがられるくらいの方が海外のスタンダードなんですよね。インスタに料理を載せたら大体「美味しそう!料理上手だねー!」って言われます。そこで、「そんな事ないよー見た目だけで味は大した事なかったよー」などと言ったら絶対にダメです。「ありがとう!めっちゃ美味しかった!今度作ってあげるね!」ぐらいがアメリカ流です〔笑〕。考え方や価値観の違いを経験すると、最初はびっくりしますけれど、自己肯定感の高いコミュニケーションこそがまさにグローバルスタンダードな訳です。謙遜の心を持つというのは日本人として美徳なので忘れる必要は一切ありませんが、アメリカではその美徳は無になるということだけは覚えておかないといけません。日本人は海外で謙遜することをやめましょう!自分に自信を持ちましょう。褒められたら素直にありがとう!と言いましょう、ということです。♥♥♥

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