「誇りの鏡」

▲JR九州の起点駅として独特の雰囲気を放つ  八幡の大好きな駅です

▲ホームにはベンチも自動販売機もない。大正時代からほとんど変わっていない

 1914年(大正3年)に建設されたJR門司港駅は、1988年(昭和63年)に鉄道駅として初めて国の重要文化財に登録され(東京駅出雲大社駅の三つのみ)、今もJR九州の起点駅として独特の存在感を放っています。先人たちが守った心意気を残すため、大正時代の創建時の姿に復元することを基本方針として、2012年から保存修理工事が始まり、約6年半にわたる大改修工事を経て、2019年(令和元年)にグランドオープンを迎え、私も期待感を持って訪ねてきました。日本の近代化を支えてきた門司港駅は、今年2月1日に開業110年を迎えました。19世紀前半、欧州で始まったネオ・ルネサンス様式で建築された木造2階建ての駅舎は、当時のハイカラさを今に伝えています。正面からは「門」のように見え、九州と本州、中国の大連を結ぶ場所にふさわしい意匠で、門司に住む人々にとっての誇りであり、愛すべき存在と言えるでしょう(写真上)。

 そんな門司港駅のギャラリースペースには、「誇りの鏡」と呼ばれる大きな鏡が展示されています(写真上)。楕円形のような形をしていて上下左右に装飾が施されたおしゃれな鏡ですが、この鏡には、福岡県の道徳の教科書に載ったことがあるぐらい、地元では有名な話が残っています。物語は約80年前、敗戦直後の門司港駅まで遡ります。

 1945年8月、終戦によって外国で過ごしていた日本人が続々と門司港駅へと船で帰ってきていました。本数の少ない列車に乗るべく、順番を待っていたりすると、それはもう何日も経ってしまうこととなり、門司港駅のホームには疲れ果てた人たちで溢れていました。8月20日、疲労困憊の引き揚げ者でごった返す門司港駅に、朝鮮半島の釜山から故郷の茨城県に向かう小さな子供の手を引く池田うた子さんの姿がありました。臨月を迎えていたうた子さんでしたが、午後9時を過ぎたころ、陣痛が始まりました。駅員の土屋重利(つちやしげとし)さんが異変に気付きましたが、すでに病院の診察時間も終わっています。「一刻の猶予もない。このまま放っておくわけにはいかない」土屋さんは小さな子を背負い、リヤカーに乗せた女性を励ましながら、病院に向かいますが、夜も遅く医師たちはみんな帰ってしまった後でした。疲れ切った女性の足では別の病院まで歩いていくのは難しいと考えた土屋さんは、近くにある自宅にうた子さんを連れていき、近所に住む女性に助けを求め、翌21日の早朝、無事に男の子が生まれました。それから12日目の朝、うた子さんは門司の恩を忘れないようにと、「左門司(さもんじ)」と名付けられたその男の赤ちゃんと、同じく朝鮮半島から引き揚げてきた夫とともに、門司港駅から故郷に向かって旅立っていきました。

 年月を経て、左門司さんは成人してやがて結婚することとなりました。左門司さんはかつてより聞かされていた自身の出生のエピソードから、自分の恩人でもある駅員を結婚式に呼ぶために苦労して何とか探し出しました。土屋さんは「当たり前のことをしただけ」と最初は固辞していましたが、航空券まで用意して熱心に誘ってくれる左門司さんの熱意に動かされ、結婚式に出席したのでした。

 昭和46年6月、左門司さんの父親から結婚式の記念品として、門司港駅に楕円(だえん)形の大きな鏡が届きました。その来歴に感銘を受けた第36代駅長の荻原幸雄さんは、「国鉄職員の誇りである」として「誇りの鏡」と命名。かつては駅の事務室にかけられ、日々駅員が身だしなみを整える際に使われていたといいます。門司港駅が2019年にグランドオープンしたことを機に、一般公開されることとなりました。今も由来が添えられた「鏡」の前󠄂には、私のように多くの人が足を止め、昭和の「人情話」に浸る姿が後を絶ちません。「誇りの鏡」というのには、このように命を繋ぐエピソードがあったのです。私はこの門司港駅の大ファンで何度も訪れています。♥♥♥

 

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