「恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ」

 「100円ショップ」の先駆けとして知られ、現在国内外に約5,200店舗、売上高は5,800億円を超える業界最大手の「ダイソー」。29歳の時に広島県の雑貨移動販売からスタートし、今日の繁栄の礎を築いたのが故・矢野博丈(やのひろたけ)さんです。同社をゼロから立ち上げ、今日の繁栄へと導いてきた矢野さんは、2024年2月12日にお亡くなりになりました。80歳でした。人生の辛酸を嘗め尽くしたという氏の二十代の歩みと苦労を辿ることで、運命を切り拓く要諦を探ってみようという「産経新聞」のインタビューが続いている最中での訃報でした。2022年、100円ショップ「ダイソー」を手掛ける大創産業は、創業50周年を迎えました。行き当たりばったりの歩みを振り返り、よく潰れずにここまで来たなと感慨深いものが込み上げてくる、と矢野さんはおっしゃっておられました。人生はまさに波瀾万丈。大学在学中に結婚し、卒業後は妻のハマチ養殖場を継ぎますが、3年で倒産。兄から借りた多額の借金を踏み倒して、妻子を連れて東京へ夜逃げ。その後長続きする職業はなく、気がつけば転職を9回も重ねていました。行き着いたのが日曜雑貨の移動販売。なんと商売が軌道に乗りかけた時に、今度は自宅兼倉庫が火事にあいます。そんな苦難の末に行き着いたのが「100円ショップ」でした。大阪の問屋で鍋や文房具などを仕入れ、広島県内の神社や公民館の前で売りさばいていた時に、客からの値段の問い合わせに、面倒になって「全部100円」と答えたのが100円均一の始まりでした。当時の移動販売では、「安かろう悪かろう」の商品を扱う業者であふれていました。客からは「安物買いの銭失い」という言葉を浴びせかけられることも何度もありましたそこで「顧客第一主義とは、お客様が喜ぶということ。それを骨身に染みて理解できないと、会社を大きくできない」矢野さんの哲学でした。

 創業当初は、銀行や経営コンサルタントから「100円ショップでは儲からん。やっていけるはずがない!」と散々言われたものです。実際、絶えず倒産の二文字が頭から離れたことはなく、入社式では新入社員たちに「大創産業はあと5年で潰れます」と伝えていました。もちろん意図的に倒産させるつもりはありませんでしたが、本気でそう思っておられたのです。ただ、常に不安に駆られていたからこそ、決して安住することなく、「潰したくない」とその瞬間、瞬間を一所懸命生き抜きました。危機感が強く、常に変化と新製品を出し続けてお客さんを飽きさせることがありませんでした。この積み重ねが、今日のダイソーの繁栄を築いたのだと自負しておられます。八人兄弟の末っ子として、広島県で生まれ育ちました。開業医だった父親は、貧しい患者からは一切治療代を取らないことで知られ、たとえ夜中の12時であろうとお構いなしに、馬に乗って隣の村まで往診していました。そのため地元のバスに乗車した際、「お宅のお父さんは命の恩人です」と感謝された経験は一度や二度に留まりません。父親は貧しい家庭を多く診ていたこともあり、自分の子供には同じ苦労をさせたくなかったのでしょう。

 「夜逃げ、9回の転職の末に」「100円ショップは偶然の産物」「経営とは『経験の科学』」等、数多の艱難辛苦を乗り越え、独自のビジネスモデルを生み出した矢野さんの足跡には、道なき道を切り拓く要諦が詰まっています。矢野さんの20代は、恵まれたいという一心で必死にもがき続けた10年間でした。悲運続きで、運命の女神を恨み続ける日々でしたが、27歳の頃に参列したある結婚式で、京都のお坊さんがこんな話をしていました。「好むと好まざるとに拘らず、これからお二人には艱難辛苦が押し寄せてきます。それを乗り越えたら、きっといい人生が送れるでしょう。人生に無駄なことは一つもありません」と。その言葉を聞いた時、「何を馬鹿言うんだ。俺の人生無駄しかないじゃないか」と腹を立てましたが、帰りの電車でふと考えてみると、私は人一倍艱難辛苦を与えられたではないか。もしかすると運命の女神に見限られているのではなく、運がいいのかもしれない。そう思うようになってから、心の霧が晴れ始め、少しずついいことが起こるようになりました。

 以上の話を踏まえ、矢野さんが20代を生きる方々に伝えたかったのは、「苦労ほど有り難い恵みはない」ということです。幾多の苦労に見舞われるということは、もっと徳を積み、幸せになりなさい、という神様からのエールなのです。困難に揉まれ、人間が鍛えられた先に、回り回って徳や運が味方につき、自ずと運命は拓けていくのだと実感します。一方、恵まれることは不幸が訪れる序曲です。戦後日本は高度経済成長で発展したものの、現在は経済成長率を2%に乗せることさえ容易ではありません。現状に甘んじた瞬間から、国も会社も人も衰退の一途を辿りました。

 ダイソーでは商品開発と仕入れに注力し、今では毎月1,200を超える新商品を手掛けるなど、お客さんを飽きさせないように絶えず工夫を凝らしてきました。常に危機感を持ち続けることが、新たな知恵や挑戦に繋がり、思いがけない未来を形づくる糧になるのです。また、ダイソーでは各店舗への出荷作業を、障がいをかかえた人たちに任せています。障がい者雇用にも積極的に取り組んでいます。社内に飾られた絵画の多くは障がい者が描いたものだそうです。矢野さんは「障がい者の理想郷をつくる」と新しい夢を描いておられました。

 恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ。失敗するしか成功する方法はない──。これこそが、矢野さんの経験から伝えたかった教訓でした。大学で講演すると、必ずと言っていいほどこの「恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ」を話されます。運も才能にも恵まれないという弱さ、怖さ、おぞましさに打ち勝つために、何度も職を変え、目の前のことを試行錯誤しながら一生懸命頑張りました。決してうまく行った人生とは言えないほど、波瀾万丈で苦労をした恵まれない過去があったからこそ、今の成功があるのです。むしろ恵まれなかったことによって、学べることの方がたくさんありました。苦労ほど有り難い恵みはないということです。恵まれない状況にいるときこそ逆境を乗り越えようとするので、人として強くなる。幾多の苦労に見舞われるということは、もっと徳を積み、幸せになりなさいという神様からのエールなのです。困難に揉まれ、人間が鍛えられた先に、回り回って徳や運が味方につき、自ずと運命が開けていくのです。常に感謝・勤勉・誠実な姿勢であり続けたいですね。一方、恵まれることは不幸が訪れる序曲です。恵まれた状況になると、そこで安心、慢心してしまい、恵まれない方向に向かっても対処ができなくなるのです。心したい言葉ですね。

 矢野さんが残された言葉には、私の心に刺さるものがいくつもあります。「成長よりも会社が潰れないことが大切」「褒めるより叱る優しさが大切」「努力の結果は3年先5年先に出てくる」「運を良くすることをしよう。人の為になることをしよう。人様に役に立つことをしよう」♥♥♥

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