「転石苔むせず」

 2024年3月4日に東京都内で開かれた大人の文化祭「朝日新聞ReライフFESTIVAL2024春」で、Reライフフェス初出演のシンガー・ソングライター、小説家でもあるさだまさしさんが、ギターによる弾き語りとトークショーで、集まった観客を魅了しました。この模様は4月7日付けの「朝日新聞」に掲載されました(写真上) 。母との思い出など、子どもの頃の話や、人生を後半をどう生きるかなどについて、笑いを交えながら語るとともに、「案山子(かかし)」「関白宣言」など代表曲5曲を披露しました。そこでさださんは、若者の「仕事観」に関して問題提起を行っておられます。

 いまは転職の時代です。僕らのように、どの仕事を選ぶかというときに、三つぐらいしか選ぶものがない人間は幸せでしたね。考えに考えてこっちを選んだら、それで一緒に生きていくっていう覚悟があったから。終身雇用であれば、自分の人生設計ができるわけです。

 いまはそんな時代じゃありません。自分がなぜこの仕事を選んだのかわからないっていう若者の時代です。もっと自分を生かしてくれるところへと転職する。どこにいても自分で自分を生かす努力をしなくなりました。これは問題ですね。僕が会社の社長だったとして、こいつは見どころがあるなと思ってガーッと鍛えて勉強させて、いろんな経験をさせて、よしこれからっていうときに、「すいません、もっと高く自分を買ってくれるところがありましたから出てきます」って言われてごらん。「チェッ!」って言いますよ。

 そういう時代ですからね、会社は自分のお金をためるばっかりになりますよ。昔は、この会社を選んでくれた、この会社で苦労してくれる、だから、もうかったからみんなで分けようじゃないか、という気持ちにはなったけども、いまはそういう時代じゃありません。

 テレビを見ていて、がくぜんとしたコマーシャルがありました。食える大人に育てるっていう言葉がテレビから流れてきたときに、この国はいよいよ終わりだなと思いました。食うことっていうのは、とても大切なことだけど、食えるということがすべてなのか。好きだから努力できるし、好きだから悪口言われて、好きだからボロボロに言われたときでも、そこに立っていられたのはそれが好きだから。好きだからって仕事を選べばいいのに。自分が何が好きかがわからないことが問題だと思うんです。

 さらにさださんは、「産経新聞」4月14日付けの「日曜コラム」においてこう述べておられます。

 頑張って働いても賃金が上がらないなら少しでもお金を多くくれる場所へさっさと転職する時代。人の技能や手腕は「我慢の上に咲く花」などという考え方はもう過去の遺物だろう。

 ここ20年、入社3年以内で離職する大卒者は3割を超えています。なぜ若者は就職活動で苦労してつかんだはずの仕事を簡単に手放してしまうのでしょうか?就職するときの「物差し」が間違っているのではないでしょうか。大学生の多くは、自分に向いているかどうかということではなく、その会社が知名度が高く有名だとか、給料がいいとか、親が喜ぶからとか、そういったことで会社を選びがちなのでしょう。このように会社を知名度や給料で選んだ学生は、入社してすぐに「自分には向いていない」ことに気づきます。これが「雇用のミスマッチ」です。そして「転職の時代」です。バブル時代を生きてきた方々には信じられないかもしれませんが、

①終身雇用が当たり前

②会社を大企業やブランドイメージで選ぶ

③貯金(年金)最強時代

④転職はネガティブなイメージ

といったことはもう過去の話なってしまいました。気に入らなければすぐに転職するのが当たり前と言われるようになった理由はこちらです。どんどん仕事を変わる時代になりました。

①終身雇用の崩壊

②転職がイメージ悪い時代は終わり!若者の転職に対するイメージUP

       ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

 私が教員に成り立ての若い頃、英語のことわざA rolling stone gathers no moss.「転石苔を生ぜず」に、二通りの解釈が存在するということがよく話題になっていました。すなわち(A)「落ち着きがなく転居や転職を重ねて動き回っていると財産も地位も身につかない」(悪い意味)(B)「常に活動的に動き回っているものはいつまでも古くならない」(良い意味)と、(+)(-)全く正反対の意味に取られるという興味深いものでした。同じ表現でも、「苔」の解釈一つで、これほどまでに受け止め方が異なるものか、と面白く思ったものです。当然、この問題はさまざまな研究書に取り上げられ、結論的には(A)はイギリス古来の解釈、(B)アメリカの新しい解釈、という扱いが一般的であったようです。いくつかの学習辞典の扱いを見てみましょう。

◎「職業や住居をしばしば変える人は、金がたまらず、友人ができない」の意味だが、転職 や転居に違和感をもたない人々の間では「活動的な人はいつも清新である」という解釈も一般的。〔スーパーアンカー〕
 ◎「職業や住まいを転々と変える人は金がたまらず、友人もできない」と「常に活動的な人 は新鮮である」との両方の意がある。〔ウィズダム〕
 ◎このことわざの本来の意味は、職業を変えてばかりいる人には金はできない、落ち着いて身を固めないと家庭の幸福は得られない、相手を変えてばかりいては本物の愛は手に入らな  いということ。「常に活動している人は沈滞しない」と、最近ではよい意味でも用いられる。
 〔ユースプログレッシブ〕
 ◎「職をよく変える人は成功し[金持ちになれ]ない」という「忍耐」を尊重するのが本来の意;《米》では「活動する人は常に新鮮である」の意でも用いる。〔ジーニアス〕

◎主に英国では、「たびたび転居や転職をする人は金がたまらない」、「技術や信用も身につかない」、あるいは「移り気な人は真の愛情が得られない」といった意味で使われるが、mobility(移動すること)に価値を置く米国では、「たえず積極的に活動している人は常に新鮮でいられる」と解されることが多い。〔アドバンストフェイバリット〕

 しかしながら、現代英語において、A=イギリス用法、B=アメリカ用法、といった割り切り方は危険だと思われます。現実の用法とはズレが観察されるのです。この二つの解釈に関して、かつてR.イルソン博士(ロンドン大学)は、興味深い事実を教えてくださいました。ロンドン大学のスタッフ(The Survey of English Usage)の中で、40歳以上の人たちは(A)の悪い意味に取り、40歳以下の人たちは(B)の良い意味に解釈するという傾向が見られた、というのです。少なくとも、イギリスでも両方の意味が存在しており、若い人たちの間では、(B)の良い意味の方が一般的という結論ですね。しかし若い人たちの間でも、(A)の悪い意味も消えてはいないとのことでした。

 今度は、アメリカでの実態を、J.アルジオ博士(ジョージア大学)に聞き取り調査していただきました。被験者は60人(大学教授、大学院生、英語専攻大学4年生)。

   (a) People who often move or change jobs will never succeed.
   (b) Active people don’t become bogged down or old-fashioned.
   (c) People who constantly move go through life without incumbrances.

 それによると、(a)と解答した人は15%、(b)または(c)のいずれかと解答した人は85%((b)と(c)はほぼ半分ずつに分かれた)でした。アルジオ博士ご自身も、”If you stay active doing things, you won’t get bogged down or become set in your ways” “If you keep up with things around you, you won’t get left behind by changing conditions.”という良い意味の解釈しか知らない、と答えられました。本校の前ALT・チェルシー先生も、エドワード先生(共に米国出身)も良い意味に受け取るとのことでした。アルジオ博士のジョージア大学の同僚に諺の専門家がおられ、文献をご教示いただき、もともとの悪い意味は英語本来の用法であり、良い意味はスコットランドの用法であり、その影響という歴史も学びました。

 というわけで、私たちの『ライトハウス英和辞典』(第7版)では、「以前は「しばしば職業や住居を変える人は成功しない」という意味に使われていたが、最近では「活動している[飛び回っている]人はいつも清新である」という意味に使う人が多い」という説明に落ち着いたのでした。以上、今日は辞典編集の舞台裏をご紹介してみました。そのことを、私の調査結果を踏まえて、「現代英語の語法観察(4)」(『研究紀要』第49号 島根県立松江北高等学校)の中で明らかにしました。⇒コチラで全文を読むことができます 

 同じ表現でも、「苔」の解釈一つで、これほどまでに受け止め方が異なるものか、と面白く思ったものですが、なぜそのような意味の違いを生んだのか?ということについては、どこにも解説が見当たらないようですので、ここで考えてみたいと思います。興味のある方は、外山滋比古『歯切れよく生きる人 知的な健康生活』(祥伝社黄金文庫、2017年)、『日本の英語、英文学』(研究社、2017年)を読まれるとよいでしょう。 日本もそうですが、雨の多い多湿のイギリスでは、コケは美しく好ましいものと感じられています。コケも生えないというのは貧しさを暗示するのです。コロコロ転がっていたら何も身につかない。その点では日本も同じで、コケを自慢する「コケ寺」があるくらいです。いかにも風情がありますね。日本の国歌の「さざれ石」も、コケがむすまでじっとしているのがよい、という意味ですね。絶えずあちこちに住居を変えたり、やたら仕事を変えたりする者はコケをつけない転石と同じである、成功しない、一つのことにじっとしろ、という意味で使われてきました。他方、アメリカでは、イギリスや日本に比べると気候が乾燥しています。湿地でないと育たないコケはむしろ不潔で邪魔な好ましくないもの、コケのつかないのは結構なことだ、となります。コケがアメリカではあたかもサビのように感じられるのでしょう。才能や能力のある人は、一カ所にじっとしていない、次々と仕事を変えて多忙で錆びついたりすることがない、コケもつかないという、転がる石はコケをつけなくていい、と考えるわけです。絶えず動き回っているのは優秀な人間で、動いていればコケのような余計なものがついたりはしない、いつも輝いている。日本における終身雇用のように一つの所にじっとしていたら、いつまで経っても飛躍は望めない、条件のいいところがあったら、どんどん転職していったほうがよい、活動的なアメリカ人は、転がる石をそう評価するのです。戦後の日本では、なぜかコケを美しいと感じない人が増えたようで、転がる石はいい石だというアメリカ的な解釈が、若い人を中心に広がったようですね。世界的ロック・バンド「ローリングストンーズ」(The Rolling Stones)の活躍・人気も、このことに拍車をかけたかもしれません。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す