ジョフリー・アーチャー追悼

 イギリスを代表するベストセラー作家のジェフリー・アーチャー(Jeffrey Archer)は、「小説家」と「政治家」、そして「スキャンダルと服役」という三つの顔を持った、非常に数奇な人生を送った作家です。2026年10月5日、ロンドンの自宅で86歳でお亡くなりになりました。しかも驚くべきことに、最後の小説『Adam and Eve』の刊行予定日のわずか1日前でした。出版社によると、「執筆の合間に突然かつ穏やかに」亡くなられたとのことです。ジェットコースターのような波乱万丈の人生(成功と転落の両方)を経験した稀有な人物でした。私の大好きな作家です。

 一言でいうと、「とにかくページをめくらせる」(英語ではpage-turnerと言います)ことに長けたストーリーテラーでした。アーチャー自身も、自分を「文学者」というよりstoryteller(物語を語る人)と位置づけていました。1976年のデビュー作が、『Not a Penny More, Not a Penny Less』(『百万ドルをとり返せ!』)です。そして1979年の、『Kane and Abel』(『ケインとアベル』)で世界的なベストセラー作家になりました。文学評論家たちからは文章が平易すぎる、と批判されることもありましたが、一般読者からは圧倒的な支持を受け、著書は世界119か国・49言語で翻訳され3億部以上売れています。50年にわたる作家生活で、40冊以上の本を発表しました。

 最大の代表作は『ケインとアベル』で、アーチャーを語るなら、まずこれです。

Kane and Abelは1918年、同じ日に生まれた二人の男、

ウィリアム・ケイン――ニューヨークの裕福な銀行家の家に生まれる

アベル・ロスノフスキー――ポーランドの貧しい家庭に生まれる

という、まったく対照的な人生を描きます。二人はやがて巨大な富を築き、銀行とホテルというそれぞれの帝国を作りながら、宿命的なライバルになっていきます。いわば、「二人の男の一生を、世界史を背景にして描く大河小説」です。この作品は世界で5,000万部以上売れたと報じられています。日本でもアーチャー人気を決定づけた作品です。

 デビュー作『百万ドルをとり返せ!』(Not a Penny More, Not a Penny Less)も見逃せません。4人の男が、自分たちから100万ドルをだまし取った詐欺師から、「一銭も余計に、一銭も足りずに」100万ドルを取り返すという話です。面白いのは、主人公たちが警察に頼るのではなく、「自分たちで詐欺師を詐欺にかけ返す」というところでした。アーチャー作品の特徴である、大金、富豪、詐欺。復讐、知恵比べ、国際的な舞台、意外な逆転、最後のどんでん返しが、最初から全部入っています。私はこの作品でアーチャーの大ファンになりました。

 アーチャーは「超ベストセラー作家」ではありますが、いわゆる純文学の作家として評価されたわけではありません。むしろ、「文学賞を狙う作家ではなく、読者を楽しませる職人」という位置づけです。本人もそのことをよく理解していました。アーチャーが重要視したのは、「次のページを読ませること」でした。つまり、「文章が美しいか」「思想が深いか」よりも、「読者が途中で本を閉じないか」を重視するタイプです。そのため、文学界からはしばしば軽く見られましたが、読者には圧倒的に支持されました。

 彼は保守党(Conservative Party)の政治家として1969年、29歳で下院議員になりました。かなり若い政治家でした。その後、マーガレット・サッチャー時代には保守党の副議長を務めるなど、政界の中心に近いところまで進みました。ところが、1974年、投資詐欺に遭って巨額の損失を出し、借金を抱えることになります。そこで議員を続けることを断念し、「借金を返すために小説を書く」という方向へ転じました。これが結果的に、世界的作家への転機になりました。普通なら、ここで小説家として生きていくでしょう。ところがアーチャーは政治を諦めることはありませんでした。1980年代には保守党副議長となり、1992年にはジョン・メージャー首相らの支持も受けて一代貴族(life peer)となり、Lord Archer of Weston-super-Mareの爵位を得て、上院議員になりました。つまり、政治家 → 借金 → 小説家 → 大ベストセラー → 政界復帰 → 貴族院議員という、とんでもない波乱万丈の人生です。

 ところが、アーチャーの人生はここからさらに劇的になります。1987年、タブロイド紙 Daily Star が、アーチャーが売春婦に金を払って性的関係を持ったと報じました。アーチャーは新聞社を名誉毀損で訴え、裁判で勝訴。なんと50万ポンドという当時としては巨額の賠償金を得ました。ところが後になって、この裁判でアーチャーが偽証していたことが発覚します。2001年、偽証および司法妨害で有罪となり、懲役4年の判決を受けました。実際には約2年間服役し、2003年に釈放されています。そしてその刑務所生活まで「小説の材料」にしてしまいました。ここが、いかにもアーチャーらしいところです。普通なら、「刑務所に入ったことは人生最大の汚点」として隠したくなるところです。しかしアーチャーは違いました。服役中の体験を、『A Prison Diary』という3部作のノンフィクションにしてしまいました。つまり、「自分の人生の失敗すら、作品に変える」のです。これはアーチャーという作家を理解する上で非常に象徴的です。政治・財界・刑務所など、自身が実体験したリアルな裏舞台の描写が物語に強い説得力を与えていました。

 後期の代表作として非常に重要なのが、『Clifton Chronicles』です。全7巻の大河小説で、第一次世界大戦後から現代まで、ハリー・クリフトンという一人の男性とその一族の人生を描きます。これは、『ケインとアベル』をさらに大規模な一族物語にしたような作品と考えると分かりやすいでしょう。また晩年には、スコットランド・ヤードの刑事ウィリアム・ウォーウィックを主人公にしたシリーズも執筆しています。

 今回の訃報でもっとも印象的なのがこれです。アーチャーは最後の小説、『Adam and Eve』を2026年10月6日に刊行する予定でした。本人は執筆開始時から、「これを最後の小説にする」と編集者に伝えていたそうです。そして10月5日に亡くなり、翌10月6日に本が刊行されたのです。なんともアーチャーらしい、劇的な幕切れです。

 アーチャーという作家を一言で表すなら、私は、「人生そのものがジェフリー・アーチャーの小説のようだった」というのが一番近いと思います。小説の中で彼が好んだものは、大金、権力、野心、成功、失敗、復讐、詐欺、政界、富豪、男女、裁判、刑務所、そして大逆転。ところが、それらが実際の彼の人生にも出てきます。そして何より面白いのは、「政治家として成功する」→失敗する→「小説家として成功する」→再び政治家として成功する→スキャンダルで失脚する→刑務所に入る→その経験を本にして再びベストセラーを書くという循環です。その意味では、アーチャーは単なる「ベストセラー作家」ではなく、20世紀後半から21世紀初頭の英国の「成功と失敗」を自分自身で体現したような人物だったと言えるでしょう。「とにかく読者を先へ先へと引っ張っていく大衆小説作家」でした。彼自身の人生が、まるで彼の小説のような劇的な展開に満ちているため、「現実の方が小説より面白い作家」と評されることもありました。

 ジョフリー・アーチャーはロンドンに生まれ、幼少期をウェストン=スーパー=メアで過ごしています。ウェリントン・スクールからオックスフォード大学へ進み、在学中はビートルズを呼んでチャリティ・コンサートを開いたり、短距離走の選手として大学記録を打ち立てたりと活躍しました。卒業後にアロー・エンタープライズを設立、ロンドンに住みます。1967年より、大ロンドン議会議員を務めました。1969年12月、シリル・オズボーンの死去にともなう庶民院(下院)議員補欠選挙にて、保守党から立候補し、最年少議員として当選を果たします。以降、1970年6月の総選挙、1974年年2月の総選挙と、ラウス選挙区で連続当選を果たします。しかし、1973年に北海油田の幽霊会社に投資したことから財産を全て失い、1974年10月の総選挙を機に政界を退きます。まさに激動の人生を送っておられます。  その時の実体験を描き、1976年に発表した処女作 Not a Penny More, Not a Penny Less (日本語版タイトル『百万ドルをとり返せ!』)が大ヒットし、借金を完済します。作家活動の一方、1985年には政界復帰し、党副幹事長などを務めますが、翌1986年にスキャンダルをすっぱ抜かれ、そのタブロイド新聞を訴えて勝訴しました。その後、一代貴族爵位「カウンティ・オブ・サマーセットにおけるマークの、ウェストン=スパー=マーレのアーチャー男爵」(Baron Archer of Weston-super-Mare, of Mark in the County of Somerset)に叙され、貴族院議員に列します。ロンドン市長選挙の保守党候補に決まり、三たびの政界復帰を視野に活動していた1999年には、友人がスキャンダルでのアリバイ証言を嘘だったと告白し、偽証罪に問われ、2001年7月に裁判で実刑が確定しました。服役後、2003年7月に保護観察となり、A Prison Diary (『獄中記』)を出版、その後社会復帰しました。出獄後初の短編集であるCat O’nine Tales(『プリズン・ストーリーズ』)は、12作の短編小説のうち9つが、アーチャー自身が獄中で聞いた話を小説にしたという形をとっていました。短編の名手としても名高く、数々の傑作短編集を残しています。

 一人または複数の主人公の生涯を描きだす長編小説(サーガ)、サスペンスやミステリー形式の作品、および短編集と3種類の形態で作品を発表してきました。これらの作品の中でジェフリー・アーチャーは、複数の登場人物の観点から出来事を記載する手法をよく用いていました。特に、同じ出来事を別人物の観点で描くことにより、登場人物の性格を一層浮き立たせたり(『チェルシー・テラスへの道』)、物語の奥行きを深める効果(『ケインとアベル』と『ロスノフスキ家の娘』)を持たせていました。

 私は教員に成り立ての頃、彼のデビュー作『百万ドルを取り返せ!』(新潮文庫)を読んで、いっぺんにファンになりました。訳者の永井 淳さんのファンだったこともあり(アーサー・ヘイリーなど、当時のベストセラー作品はほとんどが永井さんの翻訳によるものでした)、ひたすらのめり込んでいきました。大物詐欺師で富豪のハーヴェイ・メトカーフの策略により、北海油田の幽霊会社の株を買わされ、合計百万ドルを巻きあげられて無一文になった四人の男たち。天才的数学教授を中心に医者、画商、貴族が専門を生かしたプランを持ちより、頭脳のかぎりを尽して展開する絶妙華麗、痛快無比の奪回作戦で、新機軸のエンターテインメントとして話題を呼ぶ「コン・ゲーム小説」の大傑作でした。すっかり魅せられた私は次々と作品を読破していきます。まさに“page-turner”(この表現、米国週刊誌で覚えました)ともいうべき作品たちでした。巧みな伏線回収、スピーディな展開、野心・権力・金・人間関係を描く壮大なドラマ、読みやすさを重視したストーリーテリング、そして最後に用意された鮮やかなどんでん返しが大きな魅力でした。合掌。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す