『寝台特急殺人事件』

 私は2022年3月3日に91歳でお亡くなりになったミステリー作家・西村京太郎先生が大好きで、住んでおられた湯河原を何度か訪問しています。先生は生前に著書を「634冊を超えたい」と言っておられましたが(東京スカイツリーの634mを1つでも超えたい!!)、なんと648冊を残されました。

 先生は作家として社会派ミステリーや本格推理物を中心に執筆しておられましたが、全然売れませんでした。どうしても初刷りが売れ残ってしまうのです。出版社は初刷りの冊数を減らすのですが、それでも売れ残ってしまいます。自分でもいい作品が書けたと思うのに、本にすると売れないのです。「西村さんのは良い小説だけど売れません」(光文社編集者)。そんな時に、唯一嬉しかったのは、生まれて初めて読者からファンレターを貰ったことでした。絵葉書に、作品は面白いと書かれ、今年の夏休みに北海道旅行を楽しんできました、とありました。ゴム印が押してあり、山村美紗という名前と、京都の住所と電話番号が記されていました。後にあの大ベストセラー推理作家となる山村美紗先生の若かりし頃の有名なエピソードです。ここから山村先生との付き合いが始まります。

 仕事の方は、一向に上手くいきませんでした。いくら初版を少なくしても売れ残ってしまうので、一つの出版社がしびれを切らして「今までは西村さんの書きたいものを書いて貰っていましたが、これからは、まず案ができたら話してください。こちらで売れそうなものだけオーケーを出しますから」と宣告されてしまいます。屈辱でしたが、出版社も慈善事業ではありませんから仕方のないことでした。いろいろと考えて二つの案を作ります。一つは1932年(昭和7年)の浅草が舞台のミステリーでした。もう一つは、当時子どもに人気のあったブルートレイン(夜行寝台列車)が舞台のミステリーです。1970年代後半、ブルートレインは単なる交通機関ではなく、子どもから大人までが憧れる「人気商品」のような存在でした。先生ご自身は浅草の方を書きたかったのでしたが、担当編集者からは一言の下に「浅草は売れません。ブルートレインの方なら、何とかなるかもしれません」と言われてしまいます。取材のために東京駅へ行ったところ、ブルートレインの写真を一生懸命に撮る熱狂的な子どもたちが大勢いるのを見て、「これは相当人気があるんだな。これをミステリーに使えないか?」という発想が生まれました。先生は、東京駅から「ブルートレイン富士」の個室寝台に乗って、取材することになります。ところが、助手につけてくれた若い編集者がお酒好きで、東京駅で買ったウィスキーのポケット瓶を列車を待っている間に飲み出し、乗った直後に寝入ってしまいました。仕方なく先生は、翌日終点の西鹿児島駅に着くまで、一人で列車内を取材し、乗員がどの駅で交代するのか、深夜どの駅から何人くらいが乗ってくるのか、翌日の新聞はどの駅から載せるかなど、一つ一つ手帳に書き留めていきました。おかげで翌日は眠くて仕方なかった、と回想しておられます。先生としてはあまり手ごたえのある作品ではありませんでしたが、この『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』(光文社カッパノベルス)が売れたのです。1978年、先生が48歳の時でした。この長編推理小説が、西村京太郎先生を「トラベルミステリーの第一人者」へと押し上げた最大の出世作となります。京都の料亭で出版のお祝いをしてもらっていた時に、東京の出版社からどんどん電話がかかってきて、その度に同席した編集者が電話に出て「今、5万部増刷したそうです」「これで15万部になりました」とか、嬉しそうに先生に伝えるのでした。「増刷って??」それまで一度も増刷を経験しておられなかった先生にはピンときませんでした。こんなに嬉しげな編集者の顔を見るのは初めてのことでした。それほどご本人にとっても予想外の出来事だったわけです。当時の先生は、すでに推理作家として活動しておられましたが、現在のように「十津川警部」「鉄道ミステリー」の作家として知られていたわけではありません。先生のデビュー作は『四つの終止符』(1964年)で、社会問題を扱う社会派ミステリーを書いておられました。実は、十津川警部を主人公とするトラベル・ミステリーの第1作が、この『寝台特急殺人事件』でした。作家として40冊目の著書でした。講談社の編集者も「トラベルミステリーの第1作こそ『寝台特急殺人事件』」と回想しています。売れない頃は、小さな広告が1回新聞にのるだけだったのが、この時は、新しくて大きな広告がのり、「20万部突破のベストセラー」とか「50万部突破、全国一位」の言葉が並びました。どの出版社からも、トラベルもの、鉄道物の注文が来るようになりました。年収は幾何級数的に増えていきました。それまでは400万から500万円ぐらいが平均で、時には税務署から還付金が戻っていたりもしたのですが、500万は一千万になり、五千万になり、一億円になり、二億円、三億円(!)と増えていきました。関西地区では長く司馬遼太郎さんが作家部門の一位だったのを追い越して、ついには全国一位になりました。それまで社会派ミステリーや本格推理を中心に執筆していた西村京太郎先生が、鉄道のトリックを本格的に取り入れ、空前のブルートレインブームと合体してどんどんメガヒットを連発していったのです。

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・夜、東京を出発する

・列車の中で一夜を過ごす

・翌朝、遠く離れた地方に到着する

・途中駅・時刻・乗車区間が明確

・乗客が限られている

という特徴があります。これはミステリーの舞台として非常に具合がいい。特に西村京太郎先生が得意としたのが、「犯人はこの列車に乗っていたはずなのに、なぜその時間に別の場所で殺人を行えたのか?」という時刻表を利用したアリバイ・トリックです。列車の発着時刻、停車駅、走行経路、乗り換え、所要時間、車内構造などを組み合わせることで、「物理的には可能だが、普通には気づかない」というアリバイを作ることができます。謎を解く鍵を提供してくれます。後の西村作品の最大の特徴となる方法論が、この時期から本格化していったのでした。つまり、「ブルートレイン=舞台」ではなく、「ブルートレイン=巨大な謎解き装置」になっているのです。「人気のブルートレイン+殺人事件+時刻表を使った謎解き」という組み合わせが非常に強かったからでしょう。読者は、「この列車に乗ってみたい」という旅行的な興味と、「犯人はどうやってこの場所まで死体を運んだのか?」というミステリー的興味を、同時に満たすことができました。さらには、「時刻表を調べれば、自分でも謎が解けるかもしれない」という読者参加型の楽しさもあったのです。この『寝台特急殺人事件』では、

◎時刻表・鉄道トリックの本格導入:松本清張の『点と線』など先例はありましたが、本作では「時刻表」「ダイヤグラム」「運転停車(客扱いはしない機関士交替等の停車)」など、鉄道独自の仕組みを密室トリックやアリバイ崩しの核に据えました。

◎空前の「ブルートレインブーム」に乗戦: 刊行された1970年代後半は、空前のブルートレイン(青い寝台列車)ブームの渦中でした。移動手段としてだけでなく「憧れの旅の舞台」だったブルートレインを作品の主役にしたことで、ミステリーファンだけでなく鉄道ファンや一般読者まで一気に惹きつけました。

◎「十津川警部シリーズ」の型が確立: 本作によって「十津川警部 & 亀井刑事」の名コンビが全国的に知られるようになり、後に「列車名(駅名)+殺人事件」という西村京太郎の黄金パターン(『北斗星殺人事件』『終着駅殺人事件』など)が誕生する揺るぎない礎となりました。十津川警部の初登場作品はは1973年の『赤い帆船』です。つまり、十津川警部が先に存在し、1978年の『寝台特急殺人事件』で一気に人気が爆発したという流れです。

 その次の作品は『夜間飛行殺人事件』で、舞台は鉄道ではなく航空機でした。ところが、鉄道を舞台にした作品のほうが読者に支持されるものだから、3作目以降は、鉄道ミステリーを中心に書くようになったと、講談社の編集者が回想しています。大御所となった西村先生は、出版社の編集者に、「今度はトラベルミステリーじゃなくて、こういうものを書きたいんだよね」と打診すると、「いやぁ、先生。それは非常におもしろいお話ですね。でも他の出版社でやってください!」と言われてしまい〔笑〕、結局は、トラベルミステリーしか書けなくなってしまいました。それでも晩年は、「十津川警部シリーズ」の中に、「戦争」をテーマにした実話を盛り込むことで、精一杯の抵抗を示しておられます〔笑〕。

 まとめると、この長編推理小説の誕生は、「苦境→偶然→編集者の判断→取材→時代の波」という流れで、累計120万部の大ベストセラーとなったのです。❤❤❤

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