岸 清一先生

 松江北高校の大大先輩に、「近代スポーツの父」と慕われる岸 清一(きしせいいち)先生(1867年~1933年)がおられます。やはり松江北高の卒業生で、総理大臣を務めた若槻礼次郎は同級生です。松江市・雑賀町の生まれで、身分の低い足軽だったため、貧しい環境の中で育ちました。東京大学卒業後、夢を叶えて弁護士になります。得意の英語を活かして、外国人関係の訴訟問題を手がけました。体が丈夫ではなかったこともあり、体育の効用と重要性を実感していた岸先生は、東大で運動会を開催し普及させます。在学中はボート選手としても活躍し、卒業後、日本漕艇協会(現日本ボート協会)を創立初代会長に就任しました。大日本体育協会(現日本体育協会)の創設にも尽力し、1921年に第2代会長に就任(初代は嘉納治五郎)。国内はもちろんのこと(東京・渋谷の岸記念体育館は有名ですね。岸先生は当時100万円、今のお金に換算すると28億円を寄付しました)、郷土・松江にも、私財をなげうって運動場やプールを整備するなど、スポーツの振興、近代化に終生力を尽くされました。勉強がしたくても貧しくて進学できない人のために奨学金を設けたり、旧制松江高校(島根大学)の誘致に尽力しました。1908年、英国に法律を学びに行った際に、盛大なロンドンオリンピックを目の当たりにし、日本のスポーツの遅れを痛感した岸先生は、日本にオリンピックを招致しようと奔走します。国際オリンピック委員会(IOC)委員となった岸先生の悲願が通じたのは、お亡くなりになった後の1936年、IOC総会でアジア初の五輪を1940年に東京で開催されることが決定します。しかし日中戦争のために幻となり中止になりました。念願の東京オリンピックは、1964年にようやく実現します。

 一度決めたことは最後までやり抜き、死ぬまで努力し続けた、岸先生のモットーは「至誠努力」という言葉でした。母校・雑賀小学校にはその書がかかっています。1911年郷里に帰省した際に、雑賀小学校の児童たちに「お父さん、お母さん、先生の言うことを聞いて、何でもいいから日本一の人間になりなさい」と話した、といいます。今は、島根県庁(松江市殿町)の正面に、岸先生の凛々しい銅像が立っています。

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