「金ピカ先生」逝く

 1980年代、コワモテの顔に金のネックレスの風貌でありながら、代々木ゼミナール東進ハイスクールなどの予備校で英語を教え、生徒から絶大な支持を受けていたカリスマ英語講師・佐藤忠志(さとうただし)さん、通称「金ピカ先生」が亡くなりました。68歳の若さでした。人気が高じてタレント業にも進出し、全盛期には年収2億円超えた」とも語り、華々しい生活を送っていました。1987年には秋元 康さんがプロデュースした「1度きりだぜ人生は―花の受験生応援歌―」で歌手デビューしたり、2001年に自民党公認で参議院選挙に比例区で出馬し落選、2009年、それまで一度も訪問したことがなかった鹿児島・種子島の西之表市長選に出馬して、本名よりも知られている「金ピカ先生」の名前で届け出たが、惨敗しました。その後は、2度の脳梗塞と心筋梗塞を患ったこともあり、表舞台から姿を消していました。2018年の「スポーツ報知」のインタビューでは、日本に1台しかないというクラシックカー(1億円?)を購入する車道楽や、暴力などが原因で、夫人とけんかし、2016年ごろから別居していることを告白、離婚調停中、子どももいませんでした。自らの生活については、隠居。生きる屍(しかばね)ですよ」と自虐的に話し、朝から酒をあおるなど、激ヤセして不摂生を続けていましたが、それまでの人生を「バラ色」とも語る日々でした。「もう私には趣味は無い。生きる甲斐、目標が無い」と語っていました。

 報道では、佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしだったが、関係者によると、地域包括支援センターからデイサービスを受けており、担当者がこの日、自宅を訪問したところ、返事がなく、警察官が立ち会いの下、室内に入ったところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したといいます。死因は不明で司法解剖が行われるとのことです。佐藤さんは、1951年5月4日、東京都生まれ。慶応大学法学部政治学科卒。筑波大学大学院地域研究科修士課程修了。1977年に代々木ゼミナール講師となり、旺文社の「大学受験ラジオ講座」を担当。1988年、東進ハイスクールへ移籍。「金ピカ先生」の愛称で知られ、40万部突破の『ズバリ!合格の英単語』など参考書、著書多数。タレントとしても派手に活動し、テレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!」やVシネマ、ドラマに出演。拓殖大では客員教授も務めました。

 私のまだ若い頃、代ゼミのカリスマ講師として名を馳せ、奇抜なファッションで着飾り、はったりをかましながら、集客力抜群の英語講師でした。彼が、代ゼミ横浜校で元日のオープン講義をしたときには、徹夜で並ぶ生徒たちが、校舎の周辺を三重に取り巻き、その列が横浜駅まで連なっていた言います。多くの生徒を集められる人気講師には、当然のように高い給料が支払われました。当時2億ぐらい稼いでおり、地元の長者番付に載るくらいすごかったと言います。パンチパーマに派手なスーツ、装身具で飾り立てたいで立ちに、日本刀を持って授業をする、という典型的なパフォーマンス講師でした。タレント講師の先駆けですね。私は彼のような外見を飾る教師を信用はしませんでしたが、彼が現在どんな生活を送っていたかという様子は、インタビューで詳しく読むことが出来ます。⇒コチラです  あれだけ名を馳せて絶大な人気を誇り、裕福で派手な生活を送っていた人が、生活保護を受けながら孤独死というのは、実にショックでした。やはり「地道にコツコツ」という人生が一番だということを教えてくれます。御冥福をお祈りします。

 尊敬する英語学者の山岸勝榮教授が、佐藤さんの思い出話を書いておられました。⇒コチラです

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