始末屋

 小さい頃、私の母が、苦しい日々の生活で、倹約してムダ遣いをしないことを「始末、始末」「始末しよう」と言っていたのを思い出します。「始末屋」というのは京都でよく使われる言葉で、いらないところではお金は使わないが、必要な場面では惜しまずにお金を使う人のことをいうほめ言葉だそうです。始末という言葉を、あまりいい意味に捉えない人もいるでしょうけれど、京都でいう「始末家」とは、「不要なお金は一切使わないが、要るお金はバーンと思い切って使う人」という、ある種のほめ言葉なんです。

 尊敬する永守重信(ながもりしげのぶ)さん(ニデック会長)が、この「始末屋」に関して懐かしい思い出を書いておられました。経営の先輩として、その背中をずっと追いかけてきた京セラの創業者故・稲盛和夫(いなもりかずお)さんから貴重な教えをいただいたときのことです。2003年に、日本電産が京都一の高さを誇るビル(100.6メートル)を建てるまでは、京都一高い建物は京セラの社屋でした(95メートル)。日本電産の本社ビルが完成し、その竣工式に稲盛さんをお招きしたときのことです。稲盛さんが「中の様子を見せてほしい。社長室も見たい」と言われます。普通はなかなか中まではお見せしないのですが、他ならぬ稲盛さんのご依頼ですから、社内をご案内しました。社内を歩いていると、ふと一つの植木の前で目を留めて立ち止まりました。「ここに植木が置いてあるけれども、なんでこんなところに置いてあるんだ?」と質問されました。私が「いや、これは別に買ったわけではなく、竣工式にもらったものですよ」と答えたところ、続けてこうおっしゃるんです。「いや、君はもらったと言うけれども、誰が毎日この植木に水を与えるのか。これが枯れたときは誰が捨てに行くのか。こんなムダをしていたら、君はいつまで経っても京セラを抜けないぞ。京セラに来てみなさい。そんな無駄は全くない!」 要は売値はマーケットプライスだけれど、原価は自分たちで決められる。原価が上がるようなことをしていたら駄目だ、という戒めなのです。植木に喩えて無駄のない健全な会社経営のあり方を教えてくださったんですね。その後すぐに、永守さんは、社内にある観葉植物をすべて人工樹木に取り替えられました。

 いただいたものであっても、そこからコストが発生するかどうかなどと考えもしなかった永守さんに、稲盛さんは活を入れて下さったのでした。こちらとしてはお祝いの品をもらって喜んでいただけで、そこからコストが発生するといった考えには至りませんでした。細かい話のようなんだけど、「ああ、なるほど」と思わずうなりましたね、と。帰り際にも「立派なものをつくると、だいたいその会社は駄目になる。よくよく注意しなさいよ」とおっしゃいました。竣工式に招かれたなら、普通は「おめでとう、よかったね」という通り一遍の言葉を掛けるものです。しかし、今思い返しても、言われたことは全部正しかった。本物の親切とはこういうことをいうのでしょうね。

    あらためてその徹底した考えに触れて、永守さんはうならされた、と書いておられました。稲盛さんも、素晴らしい「始末屋」でした。稲盛さんという人は結構、口が悪いんです。ただ、人の印象を悪くするような口の悪さではなくて、親しみのある口の悪さです。あまり飾り気がなく、親しい人間には思ったことをバンバンおっしゃる。だから、全く知らない人にはきつく聞こえることもあると思うんですが、そんな稲盛さんの言葉はひと言ひと言が、スーッと自分の中に沁み込んできました。冗談みたいに何かを話しておられると思ったら大間違いで、真剣に聞いていないと、その冗談の中にいっぱい学ぶものがあるんですね。♥♥♥

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