渡部昇一先生のエピソード(33)~図書館に住み込む

 故・渡部昇一先生は、ドイツへの留学前と留学後のしばらくの間、新しくできたばかりの管理人室の付いた上智大学の図書館に管理人のような形で住み込んでおられたことがありました。大学が夜の7時頃に終われば、三階建ての図書館の窓が全部締まっているかをチェックし、玄関に錠をかければいいのです。仕事はそれだけで、他には何もありません。掃除も一切しなくていい。タダで住めることが報酬で、管理料は出ないのです。夜になると完全な静寂。夜中に一度か二度、シェパードを連れた警備員が回ってきて、この人に会うと挨拶をするだけです。この建物は完全に先生のお城となったのです。一日のいかなる時間でも、必要な本を見ることができる環境にありました。文字通り、図書館が我が家だったのです。当たりたい本があったり、調べたいことがあると、図書館の書庫に行けばすぐに解決します。昼間に本を借りようと思ったら、カードで検索をし、申込書を書いてカウンターへ持って行き、出庫してくれるのを待たねばなりません。時と場合によっては、「閲覧中」「貸し出し中」などと言われることもあります。ところが、図書館に住み込んでしまったら、書庫に行って自分で取り出しさえすればいい。誰も閲覧していないし、重要な本は貸し出し禁止ですから、見たい本は必ずあります。しかも同じ書棚に並んでいるもっといい本が眼に入ったりもするわけです。考え事をする時は、真夜中の図書館を一人こつこつと歩きました。こうして先生は、プラトン全集を読み、アリストテレスの相当の部分を読んでおられます。また三階まで吹き抜けになっている図書館の階段下のホールで、安物のステレオを廊下に出して、ベートーベンをかけたりもしました。実に壮大な音楽となりました。「図書館に住んでいるということは、何と便利なことであろうか。研究のはかどり方も違う。しかし、この図書館の本の9割9分以上は、私の関心と全く関係がない。関係があるものだけなら、もっと小さな図書館でも十分間に合う。将来、自分用の極小ライブラリーの中に住むわけにはいかないだろうか?」という思いが、自分の書斎を持とうと決心した理由の一つとなりました。「この図書館は全学部用の本が入っているから大きいけれど、私が関心のある分野だけであれば、この何千分の一の図書館でいい。そういう個人の図書館を持ちたい」と、先生の心の中で書斎のイメージがより具体化したのです。さらにもう一つの大きな要因は、旧制中学で英語を教えていただいた恩師・佐藤順太先生のお宅にお訪ねし、生まれて初めて見た本物の書斎が強烈なイメージとして焼き付いていました。「よし、オレもこういう書斎に入って、先生のように老いたい」と決意したのでした(佐藤順太先生については、「エピソード(26)~師との出会い」をご覧ください。⇒コチラ)

 公共図書館を利用しようという気にはなりませんでした。アメリカの大学図書館は閉館時間にしても、普通は夜の11時か12時、もし大学院が強力な大学であれば、午前2時ぐらいが閉館時間です。図書館は開架式ですから、特に貴重な本を除けば、自分の家の本のごとくに楽に取り出すことが可能です。その当時は、小さいタイプライター付きの個室もたくさんあって、あたかも自室のごとく使うことができました。しかし、日本の図書館では閉館時間はだいたい夜の7時で不都合極まりない。また、自室のごとく使える個室を備えた図書館も皆無でした。渡部先生は、書斎を持ち、そこに自分の関心のあるテーマに添った書籍や資料を極力集めるようにする、つまり私的ライブラリーを作りあげることがベストだという結論に達せられました。自分が欲しい情報をいつでも取り出すことができる空間を作り上げることができました。自分自身が関心を持っているテーマに対応した、それこそ重要な本に絞って、私的ライブラリーにどんどん加えていかれました。そうすることで、情報収集・活用のための時間を短縮でき、効率アップを果たした知的生活を送られたのです。こうして15万冊という個人では世界一の書斎が生まれたのです。♥♥♥

「これだけの質と量が揃ったプライベート・ライブラリーはイギリスでも見たことがない。」(ドゥ・ハンメル博士)

▲渡部昇一先生の書斎

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