スカパーの「ミュージックエア」で、「おんがく白書」というシリーズ音楽番組をやっています。1960年~1970年代にデビューし、現在でも活動を続けているベテラン音楽家を毎回1組取り上げて、インタビュー&最新ライブを紹介するドキュメンタリー番組です。最近、私の好きな元・「ふきのとう」の細坪基佳(ほそつぼもとよし)さんが登場したので観ました。横浜赤レンガ倉庫で収録された最新ライブ、ふきのとう時代のヒット曲「白い冬」「春雷」から、ソロ時代の名曲まで聞くことができました。音楽との出会い、「ふきのとう」のデビュー時代から解散、そしてソロ活動まで本人自ら語りおろしたロング・インタビューと合わせて楽しみました。「ふきのとう」は、共に北海道出身の山木康世さん(同じ大学の2年先輩)と細坪基佳さんの2人組で、1974年のデビュー曲「白い冬」がヒットしました。デモテープを作った段階で、CBSソニーがシングル用に提示してきた3曲の1つが「白い冬」でした。自分たちとしては別の曲(「夕暮れの街」)に自信があったのですが、当時さだまさしさんたちグレープの「精霊流し」がヒットしていたので、それとは別の路線でロックっぽい「白い冬」を売り出すのがレコード会社の戦略だったのでした。編曲は中島みゆきさんの曲を担当した瀬尾一三さん、ギター演奏は石川鷹彦さんと超豪華な録音布陣です。とても緊張したと言います。1992年に解散するまでの18年間で「雨降り道玄坂」、「風来坊」、「春雷」など記憶に残る素敵なメロディーを世に送り出しました。私は細坪さんのハイトーンボイスと曲のメロディーが大好きで、若い頃にはよく聴いていました。この番組の画像が公開されています。
「ふきのとう」として活躍した細坪基佳さんが、昨年デビュー45周年を迎えました。ふきのとうとして18年間、その後はソロのシンガー・ソングライターとして、昭和・平成・令和と時代を越え、多くの人々にその歌声を届けてきました。昔から変わらない温かみのあるメロディーから、疾走感のあるロックチューンまでさまざまな楽曲を歌っておられます。その多彩な楽曲に、「ふきのとう」時代から定評のあるハイトーンボイスが冴えわたり、年齢を重ねて、肉体の衰えとのギャップに苦しむアーティストが多い中、デビュー時よりも力強さを増した、つややかで張りのある歌声を聴かせてくれました。
今から45年前の1974年、札幌のライブハウスでアマチュアで歌っていたところ、細坪さんの元に、東京のレコード会社のスタッフが現れ、その誘いを受け、軽い気持ちで上京しました。9月にはふきのとうとしてデビューし、「白い冬」「風来坊」「春雷」「やさしさとして想い出として」などのヒット曲を次々と発表していく中、1984年に行った日比谷野外大音楽堂でのコンサートには、定員をはるかに上回る数万人の応募があるほど大人気を博し、1986年には日本武道館でコンサートを開催。1992年に解散するまでの18年間、日本の音楽史に大きな影響を与えてきました。そんな細坪さんに歌手人生の大きなポイントを挙げてもらうと、「ふきのとう」解散後ソロで活動し始めた頃を挙げてくれました。
歌手としてデビューして、それが仕事になってくると、当然のどに負担がかかってくる。若いころはそれを無理やり力でねじふせて、声を出していた時期もありました。声出なくても、リハーサルやれば大丈夫だったし、またそれで酒飲んで、大声出して盛り上がって(笑)。朝になって『声出ないなー』って思っても、またリハやって声出して…って生活を繰り返していて。でも、そのうちだんだん治りが遅くなっていくし、どうも自分の描いた歌い方と違うし。グループを離れソロになってみるとそれが顕著になってきて、のどを痛めて声が出なくなる時期があったんです、その時に初めてその後(歌手として活動)できなくなる可能性があると思ったんです。それで自分ののどに対して意識を持ったんです。『お前(のど)のおかげで俺は(歌手として)生きているんだ』って。それが、酒だタバコだ、夜更かしだって、何をやっているんだという話ですよ(笑)。活動始めて20年くらいたってからかな……。遅すぎますよね。
歌手として長く歌っていきたいという思いは、のどのケアだけではなく、自身の表現方法にも大きな変化をもたらしています。
のどへの意識が変わると同時に、歌声の表現や発声にもより意識がいくようになったんです。まず、周りから私のハイトーンを褒められる機会が多いんだけど、もっと深みを出すために、低音を磨くことにしたんです。例えばAメロってサビに向かうメロディーだから、低く歌って、サビでスコーンと突き抜ける曲が多い。それまでは、『自分の売りはハイトーンだから、サビでスコーンと掴めばいい。この辺(Aメロ)はどうでもいいや』って思いがどっかであったかもしれない。でもそのAメロを低音できちんと聴かせられると、サビで今まで以上に『おっ』と思わせることができる。世界が広がったんですね。そのことに気付いてからは、表現がより面白くなったんだよね。今まで歌ってきた歌も、違うアプローチで表現してみたら面白かったり。それまでトレーニングとかケア、研究的なことをやってこなかったのが、急にやり始めて歌ってみると違う世界が見えてきて、表現の幅を広がりましたね。より音楽にのめり込みました。
僕を応援してくれるファンの皆さんは、僕と同年代が多い。歌い始めたころは、みんな少年少女だったけど、今はもう70歳近く(笑)。地方に行って僕が歌うのであればまだ来られると思うんですけど、野音に全員集合っていうと今の年齢がギリギリだと思ったんです。元気なうちに『今までここまでやってきたな俺たち』と振り返ると同時に、ここからもう一歩なにか踏み出すきっかけにもしてほしい。だから誤解を恐れずに言えば、僕のことを知らない若い人たちに訴えていこうという気はあまりないんです。老人たちの希望になってやるって思っています(笑)。音楽を通して、共通の思いを抱いて生きてきたファンの方々が全国にいらっしゃると思います。そういう方々と一緒にお祭りをやって、また明日に向かってそれぞれの道へ散っていく。そういうイベントにしたいと思います。自分でもワクワク、ドキドキしています。でも心配はしていない。なぜなら、失敗しても言わなきゃわからないってことを45年間で学んできたから(笑)。会場で会えるのを楽しみにしています。
(45年間の集大成とも言えるこのライブが終わった後)僕はどうなるのかわからない。終えてみて、『よし、次』というモードになるのか、『ここらで一息入れるか』となるのか。ただ、今は目の前の野音に全力で臨みたい。
私の大好きな曲「春雷」(しゅんらい)は、メンバーの山木康世さんの実母が病に倒れ、病気回復の願いを込めて制作された曲です。当初は男女の別れをテーマにした歌詞でしたが、マネージャーが「メロディーは文句なし。でも詞はこれじゃない」と却下されました。当時の山木さんは、実母がガンで死期が迫っていることに頭がいっぱいであり、歌で恩返ししたいという意味合いを込めて、現在の歌詞になりました。私は詞の至る所に母を思う気持ちを感じています(下線は八幡)。下のコンサート画像は、私の大好きな「春雷」からデビュー曲の「白い冬」に歌い継ぎます。1992年の解散コンサートの一場面です。♥♥♥
春雷 作詞・作曲 山木康世
突然の雷が 酔心地 春の宵に
このままじゃ夜明けまで野ざらし ずぶ濡れ
春の雷に 白い花が散り
桜花吹雪 風に消えてゆく
過ぎた日を懐かしみ 肩組んで涙ぐんで
別れたあいつは 今 寒くないだろうか
春の雷に 帰るあてもなく
桜花吹雪 家路たどるふり
声なき花の姿 人は何を思うだろう
まして散りゆく姿 この世の運命を
春の雷に散るな 今すぐに
桜花吹雪 命つづくまで
春の雷に散るな 今すぐに
桜花吹雪 命つづくまで


