バカになる

 数学のノーベル賞と言われる「フィールズ賞」を受賞した広中平祐(ひろなかへいすけ)さんという偉大な数学者がおられます。フィールズ賞を獲ったくらいですから、数学界のたいへんな権威です。ある時、広中さんは、今までに誰も解いたことがない難しい問題に挑戦していたそうです。数学者というのは、それこそ一か月も二か月も三か月も、こうではないか、ああではないかと、一つの問題について真剣に考え続けるのだといいます。広中さんも何か月もその問題について考えに考え抜きましたが、なかなか解答に到達することができませんでした。そしてある時、同僚から一本の電話が入ります。「ドイツのだれだれという若い学者が、その問題を解いたみたいだよ」同僚も数学者ですから、解き方のアプローチを広中さんに説明しました。広中さんも一瞬にして、その解き方が正解だと分かったそうです。「そうだったのか。それか!!」何か月も、四六時中、この問題のことを考え続けていただけに、広中さんは悔しくて悔しくて、一晩中眠れなかったと言います。実は広中さんも、かつてその方法に近づいたことがあったのですが、何かのきっかけで、そのアプローチはやめて他の方法に行ってしまっていました。だからこそ悔しさは人一倍だったのです。でもそれを引きずってばかりはいられません。そこで広中さんは最後にこう思った、と言っていました。「自分はバカだから、あの命題が解けなかったんだ。だからもっと勉強しようフィールズ賞までとった大家が、「自分はバカだ」と反省する。この謙虚さこそが、成功する人のすごさです。何かの分野で「一番」のお墨付きをもらった人が、「自分はバカだ」とやすやすと言えるでしょうか?でも、広中さんはそう思ったそうです。そして自分の考えが足りなかったことを素直に認めて、「もっと勉強しよう!」と、前向きに己の気持ちを切り換えたのです。

 もしこれが悔しさだけで終わっていたらどうでしょうか。「ドイツの若造が自分を出し抜き、あの命題を解いたなんて許せん!」と悔しがっていただけでは、それ以上前に進むことはできません。悔しさや反発心だけでは、大きな成長は生まれないのです。もちろん悔しいと思ったり、「何くそ」と反発したりするのは決して悪いことではありませんが、それだけでは限界があります。悔しさや劣等感をバネにして、それをエネルギーにしている人は、バネの分しか伸びません。バネは縮んだ分しか伸びることはないからです。広中さんが悔しさだけをバネにして、「ドイツ人のあの若い数学者を負かしてやろう」と思っていたら、ドイツ人学者のレベルまでしかいけないのです。でもそれ以上伸びたいと思ったら、悔しさをバネにするのではなく、謙虚に省みて自分が足りないことを認め、どこをどう補えばいいかを反省しなければいけません。そして次へのステップにするのです。「自分はバカだ」と言えるのは、謙虚さの証です。謙虚だからこそ、自分の足りないところが分かる。自分はまだまだ至らないところがある、と思えるから、「自分はバカだ」と言えるのです。

 広中さんのようなフィールズ賞をとったほどの第一人者であっても、「自分をバカだ」とおっしゃる。何年同じ仕事に就いていようが、年齢を重ねていようが、どんな立場になろうが、謙虚に「自分はバカだ」と思えるかどうかです。さらに広中さんがすごいのは、何か月もずっと、一つの問題について考え続けたことです。そして問題解決の先を越されたと知って、悔しくて眠れなかった。これは見方によっては、「数学バカ」なのかもしれません。でも、この驚異的なまでの対象への取り組みが、広中さんを数学の権威者にしたゆえんであると思えてならないのです。バカになれる人は、バカではない。バカになれることは実に素晴らしいことなのです。

 漫画家の赤塚不二夫(あかつかふじお)さんがこんなことを言っておられました。

 「自分をバカだと思え。」そう思えば、自分の知らないことでも、人に聞くことも教えてもらうこともできます。いわゆるエリートは、これができない。新人なのにヒットやホームランばかり狙う。犠牲バントもできないのに。

 あのウォルト・ディズニーも言っています。「正直に自分の無知を認めることが大切だ。そうすれば、必ず熱心に教えてくれる人が現れる。」♥♥♥

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