ノーモアヒロシマ

 今から約30年前、イギリスの小・中・高等学校を訪問して回っていた時のことです。ある小学校の授業を参観させてもらった後で、日本からやってきた先生方に聞いてみたいことはないか?と担当の先生が振られると、一人の女子児童が手を挙げて、私たちに「広島に落ちた原爆と、長崎に落ちた原爆は、どこがどう違っていたのですか?」と尋ねました。ガーン!!私も含めて誰も答えることができませんでした。教室の後ろには、平和教育を学習する中で、児童たちが調べた戦争や原子爆弾に関するポスターがいっぱい貼ってあります。イギリスの子どもたちが戦争や原爆にこれだけ興味を持っているというのに、唯一の被爆国である肝心の日本人の私が原爆のことについて全く無知であったことをとても恥ずかしく思いました。日本に帰ってすぐに調べたものです。

▲イギリスの小学校にて

 人類史上、実戦で核兵器が使用されたのは、1945年8月6日に広島へ投下された原子爆弾(以下、「原爆」)と、1945年8月9日に長崎へ投下された原爆だけです。広島原爆長崎原爆の両者を比較すると、使用された燃料や爆発時の破壊力、被害状況などが異なり、破壊力の大きい原爆が使われたのが長崎原爆、被害が大きかったのが広島原爆でした。

◎《広島型原爆》 コードネーム:リトルボーイ 爆弾の燃料:ウラン「235」砲身型  爆発威力(TNT換算):約15キロトン 爆撃機:B-29(エノラ・ゲイ) 当時の人口:約35万人 死者数:約14万人

◎《長崎型原爆》 コードネーム:ファットマン 爆弾の燃料:プルトニウム爆縮型  爆発威力(TNT換算):約21キロトン 爆撃機:B-29(ボックスカー) 当時の人口:約24万人 死者数:約7.4万人

 広島の約1.5倍の爆発エネルギーの威力を持つ原爆が使われた長崎の方が被害が少なかったのは、長崎市は山で囲まれた地形で、山によって熱線や爆風が遮断されたためと言われいます。広島は比較的平坦な市街地が広がっていたため、爆風や熱線が広範囲に伝わり、市街地全体に非常に大きな被害が出ました。広島では、原爆は市街地中心部に近い相生橋付近を目標として投下されました。一方、長崎の第一目標は小倉でした。ところが、8月9日の小倉上空はモヤや濃い煙などで視界が悪く、爆撃機は小倉への投下を断念して長崎へ向かいました。ここら辺の煙の正体に関する事実の詳細は、最新刊の三山秀昭『ヒロシマ、ナガサキ隠された真実』(文春新書、2026年)で証言とともに明らかにされておりとても勉強になりました。「悲惨だった」というイメージだけですませてしまい、単純な事実さえ十分に知らないのではないかという問題提起の書です。なぜ京都は投下候補から外されたのか?なぜ長崎浦上天主堂は保存されなかったのか?なぜ原爆に落下傘がついていたとされたのか?なぜ被爆者団体が11もあるのか?オバマ大統領(当時)の広島訪問を働きかけた著者が教えてくださいます。そして長崎でも雲のため、当初予定していた地点からずれた場所で投下されました。この偶然も被害の分布に大きく影響しました。爆弾の威力だけでなく、爆心地/地形/人口密度/建物/気象条件/投下時刻/避難状況などが複雑に作用して被害が決まったのです。

 さて、日本語では標語として「ノーモアヒロシマ」と言いますが、これをNo more Hiroshima.と言ってしまうと、「広島なんてもうたくさんだ」という意味になってしまいます。適切なのは “No More Hiroshimas です。

No More Hiroshima広島という都市・出来事を一つの固有名詞として捉える表現。意味は通じますが、「広島を二度と」という標語としてはやや不自然です。 “No More Hiroshima” と単数形にすると、「広島という都市をこれ以上失うな」「広島をもうこれ以上傷つけるな」 という意味にも読めてしまい、「広島のような惨禍を二度と起こすな」という意図が弱くなるため、標語としてはあまり使われません。No More Hiroshima は、文法的に絶対に間違いというわけではありませんが、ニュアンスとして「(都市としての)広島をこれ以上増やさない/存在させない」のように聞こえてしまうことがあり、標語としては不自然に受け取られることがあります。そのため、原爆被害の防止や平和を訴える文脈では No More Hiroshimas を使うのが最も適切です。

No More Hiroshimas「広島のような惨禍を二度と繰り返さない」という意味になります。英語では、広島を「悲劇・核攻撃の象徴」として複数形にする用法です。英語では 都市名を複数形にして「同種の悲劇・事件」を指す比喩的用法 がよくあります。No more Hiroshimas → 「第二の広島のような惨禍を繰り返すな」 → “Hiroshima” を「広島のような核惨禍」という抽象名詞として扱い、その複数形を使います。同じ構造の英語表現は他にもあります。

No more Vietnams.(第二のベトナム戦争を起こすな)

We don’t want another Chernobyl.(チェルノブイリのような事故を繰り返すな)

このように、固有名詞を複数化して「同種の悲劇の再発」を示すのは英語の自然なレトリックです。したがって、平和運動などの標語として「ノーモア・ヒロシマ」を英訳するなら、No More Hiroshimasが最も自然です。ちなみに、より明確に「広島と長崎のような核兵器による惨禍を二度と起こさない」という意味を出すなら、“No More Hiroshimas, No More Nagasakis” という表現も使えます。

 国際的な平和運動・核廃絶運動では、英語の標語として “No More Hiroshimas” が長年使われています。 広島市の英語資料でも “No More Hiroshimas” が標準的に採用されています。「広島のような悲劇」を指す表現になる 都市としての「広島」は世界にひとつですが、固有名詞を複数形にすることで「広島で起きたような惨事・被爆体験」という概念や現象を表します。英語の定番スローガンとして定着している 「二度と繰り返してはならない」というメッセージを込めて、No More Hiroshimas, No More Nagasakis(ヒロシマ・ナガサキの悲劇を二度と繰り返すな)という形で世界的に広く使われています。

 広島では平和教育が盛んです。ここでは広島大学の特徴的な取り組み「平和学」をご紹介しましょう。

●被爆地の国立大学として平和教育を大学理念に組み込む・・・全国的にも珍しい
●全学共通科目に平和科目群を設置・・・「平和学を学ぶ機会を全学生に開く」という
姿勢が明確
●実践的な平和教育・・・平和祈念式典、国際会議、フィールドワークなど、広島なら
ではの学びがある

 広島大学は、建学以来の理念の一つとして、「平和を希求する精神」を掲げ、平和教育を教養教育の中に組み込んでいます。「平和理念都市」である広島に位置する大学として、平和の維持や社会的課題の解決に貢献できる人材(「平和を創出する平和サポーター」)を育てる目的で、全学的な取り組みとして実施されているので、広島大学「平和学」は、広島という被爆地を基盤にしながら、原爆・核兵器だけでなく、紛争、貧困、人権、国際関係、倫理などを多角的に考える学問として捉えて実践しています。そのため、一般的な大学の教養科目とは別に、「平和科目」というカテゴリーが設けられています。2026年度のカリキュラムでは、1年次前期に平和科目の中から1科目・2単位を選択必修としています。つまり広島大学における平和学は、「一部の学生が専門的に学ぶもの」というだけでなく、全学生が平和について考える機会を持つための教養教育という性格も持っています。

 広島大学「平和学」は、「原爆について学ぶ授業=平和学」ではありません。例えば広島大学には、

・「平和の人類学」

・「平和共生論」

・「平和と紛争研究」

・「戦争と平和の応用倫理学」

・「紛争解決論」

・「平和構築論」

・「国際安全保障論」

といった関連科目があります。原爆や戦争の歴史だけでなく、核兵器、紛争、国際情勢、環境問題、貧困・飢餓、人権、多文化理解、安全保障、テクノロジーと社会など、幅広いアプローチから「平和」を考える授業が開講されているのです。したがって、平和を「戦争がない状態」だけではなく、紛争はなぜ起こるのか、貧困や差別は平和とどう関係するのか、人権をどう守るのか、国家間の対立をどう解決するのか、核兵器をどう考えるのか、といった幅広い問題として研究します。どの授業を選んだ場合でも、共通の必須課題として、平和に関する施設やモニュメントの見学や映像学習を行い、自ら平和について考えを深める「平和を考えるレポート」の提出が求められます。広島大学に進んだ卒業生たちが、この授業についていろいろと教えてくれました。❤❤❤

 
 
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