「人間は未来について考えることのできる唯一の動物である」?

  The human being is the only animal that thinks about the future.(人間は未来について考える唯一の動物である) 

 この英文は2008年度の東北大学の英語入試問題のテーマです。勝田ケ丘志学館で、このエッセイを一通り読んだ後で、果たしてこれは正しいのだろうか?と生徒たちに投げかけました。すると、「正しいと思う」と答える生徒がほとんどでしたが、カラスやシャチや猫の「将来を見越した賢い行動」を例に挙げ反対とする生徒もいました。英文を読みながら、果たしてこれは本当か?と自問しながら読むことが大切です。かつては「未来について考えたり、計画を立てたりできるのは人間だけ」と長年信じられてきましたが、近年の動物行動学や認知科学の研究によって、一部の動物にも未来を見据えた行動や計画性があることが分かってきています。

 「人間は未来について考えることのできる唯一の動物である」という言い方は、哲学や文学的な表現としては広く受け入れられていますが、現在の動物認知科学では正しいとは言い切れません。特に「未来を予測する」「将来に備えて行動する」という意味なら、かなりはっきりした反例があります。ただし、「人間のように、遠い未来を想像し、まだ存在しない状況を具体的に思い描き、計画を立てる能力」という意味なら、人間には非常に特殊な能力がある、と考えられています。

 代表的な反例としては、

1.カケス(scrub jay)

 かなり有名な例です。カケスは、後で食べるために餌を隠します。そして、どこに餌を隠したか、どんな餌を隠したか、後で何を食べたくなるか、などを考慮して、将来に備えて行動を変えることが実験で示されています。つまり、単なる「今、お腹が空いたから餌を隠す」という行動ではなく、「後で必要になるだろうから、今のうちに用意しておこう」という性質を持っているのです。

2.チンパンジー(chimpanzee)

 野生のチンパンジーにも将来を見越した行動があります。たとえば、石や棒といった道具を数時間後あるいは翌日に使うために持ち運んだり、将来の状況で使う物をあらかじめ選んだりします。有名なのが、「将来使う道具を今のうちに選んでおく」という実験です。サファリパークなどのチンパンジーが観光客に向けて投石するための石を事前に隠し持っていた事例もあります。過去の経験を基に数時間後や翌日の状況を予測して行動する能力が実験で示されているのです。これは「未来について全く考えない動物」というイメージとは合いません。

3.カラス類(crow)

 カラスも非常に興味深い動物です。自分が将来どのようなエサを欲しているかを事前に予測し、その日の夜や翌朝の好みに合わせて隠すエサの種類を選ぶ実験結果があります。道具を保存したり、複数の段階を経る問題を解いたり、後で必要になる状況に備えたりします。特にニューカレドニアガラスなどは、「今使うためではない道具を、将来の使用のために準備する」ような行動を示します。

4.その他

 東京大学の研究では霊長類のマーセモットが「音→少し後に報酬が出る確率」を学習し、その期待に応じて行動を調整する脳領域が確認されています。これは未来の出来事(報酬の到来)を予測して行動する能力の証拠です。強化学習の研究では、マウスが「相手の手を読む」「次の行動を柔軟に変える」といった戦略的行動を示すことが確認されています。これも単なる反射ではなく、未来の状況を見越した行動選択です。野生動物の行動予測研究では、イノシシなどが「人間の活動や環境変化を予測して行動を変える」ことが観察されています。これも未来のリスク(農地への人間の介入など)を見越した行動と解釈することができます。

 では冒頭の「人間だけ」というのは間違いなのでしょうか?ここが面白いところです。「未来について考える」をどこまで厳密に定義するかで答えが変わってきます。たとえば、「明日の朝、雨が降るかもしれない。だから傘を玄関に置いておこう」程度の未来への備えなら、動物にも見られます。一方、人間は、「10年後に会社を退職したら、田舎に家を買おう。そのために今から毎月5万円貯金しよう」というように、何年、何十年も先の、現在とはまったく異なる状況を想像して、現在の行動を組織することができます。さらに、100年後の社会、自分が死んだ後の世界、来世、宇宙の未来、数百万年後の地球、など、自分自身の生存期間を超えた未来まで想像することができます。この能力については、人間と他の動物との間にはかなり大きな隔たりがあります。

 ポイントは「未来を考える」の定義の違いです。つまり未来を「抽象的に」「長期的に」「言語で」考える能力は人間が突出しているけれども、未来を「予測し」「行動に反映する」能力は人間だけのものではないということです。

◎人間の未来思考
・抽象的、長期的な未来(老後、社会、文明)
・物語的・計画的な未来(計画、戦略、想像)
・言語による複雑な未来表象

◎動物の未来思考
・近未来の予測(報酬、危険、環境変化)
・行動戦略の切り替え
・条件づけや経験に基づく期待 

 もう一つ重要なのが「未来を想像する」ことです。心理学では、人間のこの能力をしばしばmental time travel(心的時間旅行)と呼びます。人間は、過去、「10年前、あの場所に行ったな」だけでなく、未来、「10年後、自分はどうなっているだろう」という、まだ経験していない出来事を「心の中で体験する」ことができます。そして非常に重要なのは、未来を想像することによって、現在の行動を変えることです。「将来こうなりたい」→「では今、何をすべきか」という逆算ができます。したがって、より正確な言い方なら、元の「人間は未来について考えることのできる唯一の動物である」より、「人間は、未来を想像し、長期的な計画を立て、想像した未来に合わせて現在の行動を組織する能力を、他の動物には見られないほど高度に発達させた動物である」くらいが妥当です。つまり、「未来を考える動物は人間だけ」ではありません。しかし「人間の未来思考は、規模・時間の長さ・抽象性において極めて特殊である」というのが現在の科学に近い理解です。

 なお、この問題にはさらに面白い論点があります。「動物が将来に備えているように見える行動」「動物自身が『未来』を意識して考えていること」は本当に同じなのか?という問題です。ここには「本当にカケスやカラスは未来を想像しているのか」という、かなり深い論争があります。

 人間は言語を用いて、「未来の今頃」「歴史的未来」「架空の未来社会」といった、現在からは切り離された高度に抽象的な時間軸を共有し、計画を立てることができます。冒頭の英文は動物が「未来を予測する能力を全く持たない」という意味では誤りですが、「人間ほど複雑に、抽象的かつ長期的に未来をシミュレーションして文化や社会に反映させる動物は他にはいない」という意味においては、依然として部分的な真理を含んでいると言えるでしょう。❤❤❤

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