西村先生、奥様とのなれそめ

 9月11日(月)放映のTBS「月曜名作劇場」で、西村京太郎サスペンス・十津川警部シリーズ3「伊豆踊り子号殺人迷路、同じく10月16日(月)の西村京太郎サスペンス・十津川警部シリーズ4「愛と裏切りの伯備線」と二作連続で、西村京太郎先生ご夫妻が、ドラマに出演なさいました。散歩中の西村先生ご夫妻が、捜査中の十津川警部に声をかけるという場面でした。ほんのちょっとの出演でしたから、気がつかなかったり、見逃した人も多かったことと思います。私は冒頭からテレビに釘付けになり、目を凝らして画面を今か今かと見入っていました。先生は9月6日に、87歳の誕生日を迎えておられます。創作意欲は益々旺盛で、年間12冊の新作長編小説の刊行に加え、今年は、最後の陸軍幼年学校入学生の体験を踏まえて世に問うた、異色の『十五歳の戦争』が評判を呼び、新聞・雑誌のインタビューやテレビ出演にと多忙をきわめておられます。今日のテーマは、そんな西村先生の奥様とのなれそめです。

 西村先生は、70歳の時に奥様と結婚しておられます(初婚)。最近手に入れた日垣 隆『日本一有名な作家直撃・西村京太郎さん公開インタビュー』(2016年6月改訂版、Kindle版)には、お二人のなれそめが語られていました。日垣さんが西村先生と奥様に質問をぶつけておられます。意外な事実がいっぱい出てきて興味深いので、ご紹介してみましょう。

日垣: 興味のある方もいらっしゃると思うので、奥様とのなれそめからお聞きしてよろしいでしょう か。
奥様: え、なれそめ?
日垣: ええ。西村さんが脳血栓で倒れられ て、修善寺か湯河原での治療を勧められて 湯河原に来なければ出会えなかったのですよね。*
西村: それはそうですよね。
日垣: 奥様は足のマッサージをされて――。
奥様: 私は、松の実の油からできた入浴剤を扱う会社にいたものですから、偶然に先生が先生が足湯につかるときにその品物を使っていて、それで私が先生のリハビリのお手伝いをすることになりました。その時に、京都に帰っても気候が悪いから、湯河原にマンションを購入したいとお話されていて。その時は(山村)美紗先生はお亡くなりになっていました。それで「僕の秘書的な仕事を手伝ってくれないかな」と言われたのがきっかけ です。
日垣: ご快諾されたのですね。(笑顔 で)その 時に下心はなかったのですか。
奥様: ないないないない。先生はすごく人見知りをする方なんです。私はね、半年で音を上げちゃったんですよ。しんどくて。
日垣: 聞いたお話なのですけれども、秘書時代にきつくてやめ たいと西村さんにおっしゃったら、「いいよ」と言わ れて、その後に「その代わり自分は書くのを辞める」と言われたらしいのですけれども。
奥様: そうなんです。もう、強烈ですよね。
日垣: それは、「いいよ」ではないですよね(笑)。
奥様: 私は、辞めると言ってもすぐに身をひいてしまうのではなくて、「代わりの人が入るまではちゃんとお手伝いさせていただき ます」と言ったのです。「辞めるなら、君の人生なのだから止めないよ」とおっしゃってくれたので、わかってくださったんだなあと。ちゃんと退職金も決まっていました。「先生はこれからどうなさるの」と尋ねたら「僕は病院 へ戻るから、もう人は入れなくていい」とおっしゃっる。病院 なら食事のことから全部やってくださるでしょ。ましてやお 部屋は特別室の個室ですからね。書斎 も応接間はある。安心じゃないですか。「じゃあそうしてくださいね」と言ったら最後の一言 が「僕はこれ以上ペンを持たない」と。今ならもちろん、辞めなさい、ありがとうございますと言えるけれど、その当時はまだ60代です からね。出版社の方に恨まれ ちゃいますよ。
日垣: それは辞めて欲しくないという気持ちの表れ だっ たのですよね。
西村:よくわかんないんだよ。
日垣: だんだん力関係が分かってきたような……。
奥様: それからね、ずるずる一緒にやっていたのですが、私は秘書の立場だったので何かと一歩下がっていなくてはいけないわけですよ。ある 時、(略――)ということが あって、それを見ていて先生は気の毒に思っていたのではないかな。「福井さん、籍入れようよ」とおっしゃって。
日垣: それはプロポーズだったわけですね。
奥様: それがプロポーズでしたね。
西村: いやいや、プロポーズという感じがあまりしない。
日垣: それがプロポーズでなければ 何 だったのでしょう。
西村: あの時、僕は70歳で10歳下だったから、お互いちょうどいいじゃないかと思った のですね。こっちが還暦で僕が古希だったから、記念になるのじゃないかと。それで、 役所に行きました。
奥様: 先生の仕事をしているのだから離れられないわけでしょ。どうせ秘書をして一歩下がっているのなら、妻の座に入るのも同じかなと。妻の座なら一歩下がる必要もなく、 言いたいことも言える、そういう立場が楽じゃないですか。
日垣: 自分の妻から「先生」と言われているのはいいな、と今、思いましたけれども。
奥様: 私だって名前で呼ばれたことはないですから。旧姓の「福井さん」ですもの。
日垣:「先生」「福井さん」なんですか。
西村: そうそう。
奥様:「お父さん」とも「あなた」とも言ったことがないんです。
日垣: 出会った 時のままの 呼び方で。
奥様: 秘書の時代からずっと同じなんですね。 籍を入れた時に「どうしよう、今度君の呼び方を変えなくちゃいけないね」と言われたんですよ。でも、この年になって、「あなた」や「お母さん」ていうのも。出版社の方も「福井さん」で通っているのだからこのままでいいと思っています。
日垣:「おい」と言うことはないんですか。
西村: あんまり言いたくないね。
奥様: なんかあると「福井さーん、福井さーん」呼びますよ。
日垣: 西村先生は初婚ですよね。
西村: 初婚です。いいですよ。みなさんもねえ、大丈夫ですよ、70歳で結婚しましたからね(会場笑)。―日垣 隆『日本一有名な作家直撃・西村京太郎さん公開インタビュー』より引用

 どうです?ベストセラー作家の口説き方、意外で面白いでしょ? ❤❤❤

 *(補足) 西村先生は京都に住んでいた時に、脳血栓で倒れて府立病院に入院してリハビリをやっておられました。主治医の医者が「今後は温泉に行って療養しなさい。湯河原か修善寺なら紹介できる」と言われ考えます。京都に住んでいた西村先生は、新幹線の停まる町のほうが便利だと思って、湯河原を希望します。新幹線の停まる熱海駅がすぐ近くにあります。修善寺もいいと思ったけれど、新幹線が停まらない。湯河原で健康器具を紹介する仕事をしておられた奥様に、入院中(平成8年)たまたま足湯で温めるマッサージをしてもらったのが奥様との出会いでした。車の運転を頼んだり、通いで秘書的な仕事をやってもらうようになりました。健康管理から食事の世話まで全て面倒みてもらっていたので、毎日通うのも大変で時間のムダなことから、同じマンションの一室を買って、そこを秘書専用の宿舎とします。大変な仕事で奥様は一年で音を上げられます。「そろそろ身を引かせてください」と。編集者はしょっちゅう来るし、気疲れやらストレスも相当溜まっていたのでしょう。「いいよ、君には君の人生があるんだからいいよ。その代わり、ぼくは二度とペンを持たない」と西村先生(一種の脅迫ですね(笑))。そのときは思いとどまってもらいますが、しんどいことには変わりがなく、ある日また「辞めたい」と今度は決意も固く言い出します。「籍入れちゃおうよ」これがプロポーズでした。最初は「とんでもない!」と断られます。財産目当てで結婚したみたいに言われることは、目に見えていますから。「なんだかんだ言われても弁明することはない、「はいそうです」って言えばいい」と説得しました。こうして入籍はしましたが、二年近くこのことは伏せていました。お互いに若くないし(西村先生70歳、奥様60歳、古希と還暦です)、改まって発表するのも照れくさいし。ところが、ある出版社の人が再婚して、人間ドックで入院していた西村先生の所へ報告に来ます。相手が女優さんだってあまりに自慢するもので、つい「ぼくだって結婚してるんだよ」と漏らしたのが、パーッと広まったというのが真相です。♥♥♥

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