「言葉にできない」の背景

 昨年度末の小田和正さんの音楽番組、「クリスマスの約束」のオープニングは、「言葉にできない」の圧巻のピアノ弾き語りで始まりましたね。「終~わるはずのない愛が途絶えた~」と小田さんが歌い始めると、まさに会場は水を打ったように静まり返り、その澄んだ歌声に酔いしれます。この曲は、1982年2月1日に発売された「オフコース」通算23枚目のシングル曲です。発売当初はそんなに反響はありませんでした(オリコン最高位は37位止まり)。それが、1999年に、「明治生命」(当時)のCMソングとして流れ、小田さん自身がセルフカバーして、お茶の間に広まっていきました。幅広い層が小田さんに興味を持つキッカケを作った楽曲です。「小田和正ブーム」とも呼ばれる現象をこの歌が牽引し、ソロになって以降、ステージで幾度ととなく歌われ、コンサートの重要なレパートリーの一つとなっていきました。今では、小田さんと言えばこの曲、というぐらいに代表曲となっていますね。

★ある男性に向けて書かれた曲だった!!

 こうして、今や小田さんの看板代表曲となった「言葉にできない」ですが、この歌の元々の由来を知る人も少なくなってきました。私は、オフコース時代から、ずっと小田さんを追いかけている熱狂的なファンなので、これがある男性に向けて書かれた曲だという背景もよく承知しています。1981年12月1日にリリースされ、オリコン1位を獲得したオフコースのアルバム『over』で、「言葉にできない」は世に出ました。そして翌1982年2月1日に、アルバムからのセカンド・シングルとしてカットされたのでした。

 しかしこの曲は、1982年6月のオフコース日本武道館10日間公演の、正にカギを握る1曲となったのです。5人のオフコース最後となった6月30日の公演は、ソフト化され、NHKのBSでも放送されましたが、寡黙でクールなイメージだった小田さんが、この曲で涙し、途中から歌えなくなった場面は、当時大きな反響を呼びました。歌い出した小田さんが急に言葉に詰まり、ピアノを弾きながら無言となったのです。女性ファンの黄色い悲鳴のような歓声が鳴り響いた瞬間です。前の曲「心はなれて」でずっとこらえていたものが、ここに来てグッとこらえきれなくなった、と回想しておられました。曲の後半では、舞台一面にひまわりの映像が映し出され、そこに1980年の前作アルバムのタイトル『We are』、そして『over』、更に「Thank you」という文字がスクリーンを飾りました。このメッセージの意味するところは、「僕たちは終わりました。ありがとう」ですね。オフコースを小田さんと共に立ち上げ、長い不遇の時代も(デビュー10年間は全く売れませんでした!)共に歩んできた鈴木康博(すずきやすひろ)さんは、絶頂期を迎えていたオフコースを、このツアーを最後に脱退することになっていました。そう、「言葉にできない」は、その鈴木さんに向けて書かれた曲でした。冒頭の「終~わる筈の無い愛が途絶えた~」という歌詞は、そういう意味あいなんですね。オフコースは解散するのではなく、残る4人で活動を続ける道を選びましたが、5年足らずで解散となりました。その解散公演が1989年2月26日に東京ドームで行われた “The Night with Us”です。コンサート中盤、「言葉にできない」が始まります。あの武道館以来、実に7年振りのことです。曲の性格上、それまで4人のオフコースで歌われなかったのは当然のことでしょう。しかし次の瞬間、正に想定外のことが起こりました。小田さんがまた涙で歌えなくなったのです。事情を知る周りの人は皆もらい泣きしていました。7年経っても、小田さんの心の整理はついていなかったのですね。4人のオフコースの解散コンサートでしたが、そこには、鈴木康博さんも確かに “いた” のでした。

 ソロになってからの小田さんは、オフコース時代の曲と一定の距離をとります。それはちょうどポール・マッカートニーが、ビートルズ解散後、なかなかビートルズ・ナンバーを歌わなかったことにも通じるものがあります。「言葉にできない」も歌われなくなりました。私的な強い想いが込められた曲では、なかなか取り上げられる機会が無かったのは当然のことでありましょう。この曲が再び歌われるには、9年の歳月を待たねばなりませんでした。1998年2月3日、東京国際フォーラムホールAで行われた、小田和正4つめのソロツアー “THRU THE WINDOW” の追加最終公演。アンコールでこの曲が歌われると、周りの観客は、見事なまでに皆涙していました。ステージの小田さんだけが、9年前とも16年前とも異なり、涙すること無く、しっかりと最後までこの曲を歌い切りました。そしてこの日、「言葉にできない」は完全復活したのです。以上が、名曲「言葉にできない」の歴史です。では次に、曲の起源を。

 この歌が生まれたのは、渋谷駅から道玄坂を登っていき、旧山手通りを右折したあたりにあった、『マック・スタジオ』というところです。1980年代にはプロのミュージシャンたちがリハーサルに使う場所としても有名で、RCサクセションサザンオールスタ−ズオフコースなども使っていました。そのスタジオで、他のメンバーはみんな帰ってしまい、ぽつんと一人、小田さんだけが残ってピアノの前に座っていました。当時制作中だったアルバム『over』の、「核になる曲が欲しいなと思って、一人でピアノを弾いている」とき、ふと浮かんだのがこの作品のモチーフでした。「“歌詞のない歌がいいな”と思って、“La La Laで曲が書けないかな?”って思いついたんだ」と語っています。“歌詞がないほうが強い”だなんて、なぜそう思ったのでしょうか?あの伝説の武道館10日間コンサートで、この作品がスクリーン一面のひまわりの映像とともにパフォーマンスされたことを思い出しましょう。あの映像は、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主演した、映画『ひまわり』から一部の版権を買い取って使用されたものです。映画のテーマ曲を書いたのはヘンリー・マンシーニ。小田さんが影響された作曲家のひとりです。そしてこの『ひまわり』のテーマ曲は、後半にコーラスというか、ハミングの声は入っているものの、具体的な歌詞は全くありません。この楽曲に限らず、広く映画音楽にも親しんでいた小田さんは、“歌詞がないほうが強い”例を、他にもたくさん知っていたので、この考えに及んだ、と想像できます。この楽曲「言葉にできない」が誕生した時のことを、インタビューで小田さんは、次のように回想しています。

 当時はツアーのリハだけじゃなく、レコーディングのリハっていうのやってたんだよ。バンドだから、“せーの”で録ってたから。で、あの曲を書いたのは、スタジオの中だったんだ。 アルバム作ってて、“もう一曲核になる曲が欲しいな”って思って、で、みんなが帰ったあ と、ひとり、残ってね。たしか、渋谷の『マックスタジオ』ってとこだったと思うんだけど、 そんな状況だったことは覚えてるなあ。でも、そこから先の、もっと細かいことになると、 忘れちゃった。でもとにかく、何しろ“♪ラ~ラ~ラ~”でいこうというのはアイデアとして あって。ただ、そこにたどり着くまでの過程があってね。歌なんてもしかしたら、“歌詞が ないほうが強いんじゃないか?”って思ったのかな。その前の段階で、“歌詞、書くのイヤ だな”って、そう思ってたのが、だんだん“歌詞がないほうが…”ってなっていったのかなあ…。 いや、ともかく“♪ラ~ラ~ラ~”って歌っているうちに、“このままのほうがシンプルで強い”って確信してったんだよ。ちょうどそれが当時のバンドのテーマだったからね。でも次 の日、“♪ラ~ラ~ラ~”って歌って聞かせたとき、みんなちょっと戸惑ってたなあ。
 で、循環コードを弾きながら、“♪ラ~ラ~ラ~”って、歌いながらメロディをちょっとずつ直していったんだと思うよ。“じゃあメロディはこんな感じでいいかも”ってだいたい作って、そうすると今度は、この“ラ~ラ~ラ~”はいいけど、“他はどうなんだろうなあ”ってね。“ラ~ラ~ラ~”のあと、“言葉にできない”が先か“悲しくて”が先か、どっちだったか忘れちゃったけど、でもこのふたつが前後して浮かんだと思うんだよ。とにかく、そこのブロックが最初にできたのは覚えてる。“♪悲しくて言葉にできない~”ってとこがね。そしたら“言葉にできない”って歌詞と”♪ラ~ラ~ラ~”っていうのは、とってもつじつまが合うじゃない?
 そしたら、“悲しくて”だけじゃなく、“悔しくて”っていうのも、“言葉にできない”や”ラララ”ともつじつまが合う。でも、その時点ではとっても否定的な方へいくのよ。で、途中で、“否定的な、暗いまま終わるのはイヤだな”っていうことで“嬉しくて 言葉にできない”というさ、“それで締めればいいんだ”みたいな(笑)。そう思いついたときに、“ああ、そうか!”“これで解決。ハッピー、ハッピー”って。この展開は、素晴らしいな、とね。
 その日、ひとりでスタジオに残ってやった時点で、ほとんどできてたね。ただ、出だしの“終わるはずのない~”のとことか、それは覚えてないんだよなあ。もう、そこで既に作っちゃったのか、あとから作ったのか…。ああ、忘れちゃった。人間てのは、時間が経つと忘れるんですよ、こうやって(笑)。  ―小貫信昭『小田和正インタビュー~たしかなこと』(ソニーマガジンズ、2005年)

 最新インタビューではこのことを、「“La La La”が代表するような感情ってどういうもんだろう?って考えたら、それは悲しかったり、嬉しかったり、悔しかったりすることだろう」ということで、あくまで起点は“La La La”のまま、そこから広げていきました。この作品のオリジナル・ヴァージョンは、“La La La”で始まっていますね。ひとしきり歌った後、“終わる筈のない”という、歌詞の一行目が出てきます。この順番が重要です。“La La La”だけでも聴く人を説得出来るというのが、最初のアイデアだったのです。まずそれを果たし、その後、歌詞を歌い始めたのだと思えば、辻褄も合います。La La Laの後、「言葉にできない」が先か「悲しくて」が先か、どっちか忘れたけれど、この二つの言葉が前後して浮かんだと小田さんは回想shちえいます。時は経って、小田さんはこの歌を、冒頭の“La La La”からではなく、“終~わる筈のない”から歌い始めることが多くなります。これはピアノの弾き語りでパーフォーマンスすることが増えたからです。冒頭の“La La La”は、バンドギターの演奏、特にこの曲のあの印象的なイントロダクションあってこその演出です。改めてオリジナル・ヴァージョンを聴くと、もう最初から、楽器の音が“La La La”と奏でていますね。❤❤❤

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