ビッグ・バン・ベイダー死す!

 ビッグバン・ベイダー(本名レオン・ホワイト)が 6月18日、63歳の若さで亡くなりましたね。2016年11月に心臓病で余命2年と告げられ、先月からは肺炎を患い闘病中でした。彼は1978年にプロフットボール、NFLのロサンゼルス・ラムズにドラフト3位で入団しますが、度重なる膝の手術のために引退し、1985年に米国でプロレスデビューしました。日本マット界にビッグバンを起こした「皇帝戦士」ベイダー。190センチ、170キロの巨漢で空中殺法を炸裂させるプロレスラーは他に類例がありませんでした。煙の出る甲冑パーフォーマンスで人気を博しました。新日本プロレスマット登場から、UWFインター、全日本プロレス、プロレスリング・ノアで活躍し、日本マット界に歴史を刻みました。IWGPヘビー級王座3冠ヘビー級王座の両タイトルを獲得した唯一の外国人レスラーです。WCW世界王座にも三度、UWFインターでもプロレスリング世界ヘビー級王者に輝いています。ニックネームは「皇帝戦士」でした。

 やはりベイダーを振り返る時、一番の思い出は、1987年12月27日両国国技館でのデビュー戦ですね。私もテレビで見ていました。当時人気絶頂にあったお笑い芸人のビートたけし「たけしプロレス軍団」(TPG)を立ち上げて、アントニオ猪木に挑戦状を叩きつけ、新日本プロレスに乗り込んできます。参謀役にマサ斎藤を迎え、彼がスカウトしてきた無名レスラーが「ビッグバン・ベイダー」でした。AWAやCWAで活躍はしていたものの、まだ無名戦士です。ビートたけといえば人気絶頂のスター。しかし両国国技館は殺気に満ちた「帰れコール」が巻き起こります。ビッグバン・ベイダーは甲冑に身をまとって登場しました。最初は「藤波辰巳、木村健吾VSマサ斎藤、ビッグバン・ベイダー」のタッグマッチがベイダーの新日デビューのカードでした。ところがマサ斎藤がリングで「猪木! この男と闘え!」と迫ります。しかしメインイベントは、すでにアントニオ猪木VS長州力「IWGPヘビー級選手権」が決まっており、ファンも猪木と長州の一騎打ちを観に来ているのです。リング上は、猪木、長州、斎藤、TPG、そして素顔を甲冑で隠したビッグバン・ベイダー。さらには新日本プロレスの主力選手や若手セコンド陣が皆上がっており、場内は騒然とします。前田日明の「顔面襲撃事件」から1ヶ月の復帰戦となる長州力がキレました。心の師であるマサ斎藤に猛然とつかみかかる。斎藤もこれは誤算だったのか、必死に長州をなだめるが怒りは止まりません。長州力には焦りがあったのです。もう猪木は、ストロング小林ボブ・バックランドと熱闘を繰り広げていた頃の全盛期の姿ではありません。年齢的にも強さのピークを過ぎていたのは明らかで、今が猪木を超えるギリギリのチャンスでした。すなわち、「強いアントニオ猪木」に勝たなければ猪木超えにはならない。こんなところでベイダーに譲っている暇はないのです。しかし、猪木がベイダーとの一騎打ちをやると言ってしまったので、今度は長州は猪木に殴りかかろうとしてセコンド陣に止められます。ファンも納得しません。暴動寸前の危険な雰囲気になっていました。藤波・木村組の試合相手が長州・マサ斎藤組に変更され、場内は「やめろ!」コールで騒然です。試合が終わっても長州は猪木と「やらせてくれ!」とマイクアピールです。ミスター髙橋『新日本プロレス伝説完全解明』(宝島文庫、2009年)で、この時の舞台裏を明かしています。私はこの当時、こんなことが裏で行われていることなど全く知らずに、純粋に応援していました。

髙橋「猪木さん!見たでしょう。長州ととにかくやってくださいッ!そうしなければまず
いことになりますよ」
猪木「・・・・・・・」
髙橋「会場はおさまりません!」
猪木「分かった。どうすればいいんだ」
髙橋「卍でお願いします。最後は馳に乱入させましょう、あとはアドリブで何とかしま
す!」

 こうしてわずか5分にも満たない猪木―長州戦が行われ、筋書き通りに、リング中央でがっちりと卍固めが決まり、ギブアップしない長州を救出するために、が乱入して試合が終了しました(反則負け)。ファンの不満・怒りはさらにヒートアップします。


 上の映像を私なりに解説してみたいと思います。再びマサ斎藤がマイクを持って「猪木! この男と闘うか? どうする!」猪木はもちろん受けて立ちます。ベイダーが例の甲冑を取ります。その瞬間猪木が背後から襲いかかり、ここでゴング。場内は騒然としたざわめきがずっと続いており、ファンはこの対戦に全く納得していないのです。マスクをしていない素顔のベイダーが、ヒグマのように両腕を上げて強さ・大きさを誇示。ベイダーが猛攻。ベイダーハンマー連打で猪木が卒倒します。ベイダー猪木をいとも軽々と持ち上げてリフトアップして怪力を誇示!猪木をリフトアップした状態でリングをぐるぐると回り、コーナーに叩きつけ、上からベイダーハンマーを振り下ろし、猪木をコーナーで逆さ吊りにします。反対のコーナーに離れたベイダーは、宙づりの猪木にフットボール・タックル!ダウンした猪木が何とか立ち上がりますが、もう一回タックルで場外に吹っ飛ばされます。猪木は防戦一方。やはり長州力と一試合闘ってスタミナは残っていないのでしょうか?リングに戻ったところをハイアングルのブレーンバスター。ベイダーが170キロの全体重を浴びせたジャンピングエルボードロップ!今度はハイアングルのジャンピングエルボードロップ!何もできない猪木。ロープに飛ばしてラリアット。ベイダー猪木を抱え上げてのアバランシュ・ホールド!わずか2分49秒、まさかのカウント・スリー。ベイダーの前に猪木は成す術もありませんでした。再び怒号と大ブーイングが巻き起こりました。猪木は半失神状態で立てません。ベイダーはセコンド陣を蹴散らし、猪木にストンピング。観客はこんな試合を観に高い入場料を払って来たわけではありません!ついに怒りが頂点に達したファンが、大暴動を起こしました。怒号と野次、物が投げ入れられます。とうとう猪木が出てきてマイクを握ると、観客に向かって「みんな、今日はありがとう!!。この空気を読まないノー天気な言葉がさらなる怒りを呼び、枡席のパイプは毀され、座布団は破られ、椅子席が破壊されます。この騒ぎで、日本相撲協会は新日本プロレスに対して、両国国技館の使用禁止を言い渡しています。

 ベイダー自身は「あの日は、藤波と試合だと聞かされていたが、藤波にアイツは嫌だと言われてね(苦笑)。試合は中止だと思い、控え室でビールを飲んでいると、マサ斎藤が走ってきて、急いでコスチュームを着てリングに上がれ、と言う。私は慌てて着替え、何がなんだかわけもわからず、目の前の猪木を倒した」と回想しています。ここら辺の事情は、レフリーだったミスター高橋『流血の魔術最強の演技~すべてのプロレスはショーである』(講談社、2001年)で暴露しておられます。ベイダーを売り出すために、デビュー戦で、藤波に「負け役」(ジョブ)を猪木が依頼します。これを藤波が断ったために、「じゃあオレがやればいいんだろうッ!!」と、猪木が激しい怒鳴り声をあげたとのことです。

 後日、たけしさんも、からくりを暴露しておられます。あれはね、実はビッグバン・ベイダーをどう売り出すかだったんだよ」と。 「たけしのアイデアは凄い。あの発想法はプロレス界も取り入れるべきだ」と評価する猪木と、東京スポーツから「たけしさんの力で盛り上げてくれないか」と、無名の外国人レスラーの売り出しについて相談されます。そこでまず、たけしさんが、「東京スポーツ」<プロレス団体、たけしプロレス軍団(TPG)設立!>とぶち上げて、新日本対TPGが開戦することとなったわけです。全て猪木の描いたアングルだったわけです。1984年6月の猪木とホーガンの再戦中に長州が乱入して混乱し、暴動に。1987年3月猪木対マサ斎藤戦に正体不明の海賊男が乱入して暴動に(⇒私の解説記事はコチラ)。そして12月にこの暴動。ファン・観客の見たいプロレスと、猪木が見せようとしたプロレスが、大きくズレており、何をやっても仕掛けに失敗し、会場のファンたちを怒らせていた時代でした。♣♣♣

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