この度の一ヶ月にわたる入院生活を支えてくれた曲が2つあります。もうそれはベッドの上で毎日聴いておりました。聴く度に勇気と元気をもらい、動かない右足を奮い立たせておりました。そんな2曲の思い出を書いてみようと思います。2曲とも、詩を書いたのはさだまさし さんです。梶井基次郎 が好きだった若い頃のさだ さんに、「梶井ときみの詩には共通点がある。それは透明感とやさしさだね」 と喝破したのは作家の森敦先生 でした。
2019年のカウントダウン・コンサートの最終盤に、さだ さんはこんな言葉を語りました。
こんなに頑張っているのに、なかなか評価されない。こんなに頑張っているのに、誰も褒めてくれない。でも、自分がいるじゃないか、と僕は言いたいんですよね。自分だけは、ちゃんと自分のことを分かっているから。
こうした自己肯定のエールを背景に、あー、さだ さんらしい曲だなと一番に気に入った曲が、「 柊の花」(ひいらぎのはな) でした。さだ さんは、去年の秋、澤 和樹先生 (当時:東京藝術大学学長/バイオリニスト)と藝大の「奏楽堂」 でコンサートをする機会があって(「 さだまさしの名によるワルツ」 という名曲が誕生しました)、その時澤先生 に、「 澤さん、僕の歌でもバイオリンを弾いてくれませんか?」 とお願いしました。「やります」 と言ってくださったので、澤 さんの名器“ガルネリ・デル・ジュス” ( 1732年製の名器「アークライト」) が鳴ることを前提として書いたのが、「 柊の花」 なんです。素晴らしかったですね、澤 さんの演奏は。技量はもちろん、音色も本当に美しくて、音楽をやる人間として、心ときめく瞬間だった、とさだ さんは語ります。子どものときの自分に「将来、藝大の学長がお前の歌でバイオリンを弾いてくれるぞ」 と言いたいですよ。たぶん信用しないでしょうけど(笑)、と。実にぜいたくないい曲です。さだ さんは、澤先生 の凄みを見せつけてくれるフレーズが3小節くらいあればいいなと思っていましたが、編曲者の盟友・渡辺俊幸(わたなべとしゆき) さんは、澤先生 が弾いてくださるのだからと、腕によりをかけて難しい譜面を書いてきました。またそのややこしいことを、普通の顔でスラっと弾いてしまうところがこの人のすごいところです。NHKの生歌番組「うたコン」 に出演した二人の演奏には、もう鳥肌がたちましたね。さださんがお礼のメールを送ったところ、澤先生 から『私のこころが解き放たれた。その責任をとてもらわないと』 と返信があったそうです。あんなバイオリンの音色、初めて聴きました。むずかしい歌だけど、とても癒されます。生きる力が湧きます。まさに歌の力です。さださん、ありがとうございます。間奏のバイオリンのすごさに、ただただ震えておりました。
柊の花 作詩・作曲 さだまさし
宵闇の手探りの中でこそ
仄かに匂う柊の花
見せかけの棘にそっと隠した
その麗しくゆかしき花
その花の名前を呟くとき
美しさとは何かを思う
誰も居ない末の秋に咲いて
冬とすれ違いに行く花
愚かしい過ちの数々を
一つ一つ胸に並べている
あなたはそれでもこんな私を
許してくれるだろうか
終列車が鉄橋を渡る音
秋風の気紛れなカデンツァ
明日は木枯らしが吹くらしいと
遠い窓の灯りが言う
辛い夜を過ごすあなたに
いつか本当のさいわいを
届けることが出来ますように
私に許されますように
宵闇の手探りの中でこそ
仄かに匂う柊の花
▲澤和樹先生のバイオリンが泣ける
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さてもう一曲は、2007年のクリスマスに放送されたTBS「クリスマスの約束」 がきっかけで制作された、小田和正 さんとの幻のコラボレーション音源(さだまさし作詞・小田和正作曲 ・TBS番組共演楽曲「たとえば」 )です。ファンにとっては夢のようなコラボでした。しかし所属レコード会社の関係もあってか、なかなかリリースされることはありませんでした。今回小田 さんもさだ さんもTBSも「この曲をそのままにしておくのはダメだよね」 ということになって、当時のテレビの音源を小田 さんがリミックスし直し、それをさだ さんがさらにリミックスを重ねて完成させたのがこの曲「たとえば」 です。小田 さんにも「もっと良くなったね」 と言ってもらいました。
「 たとえば」
小田和正・さだまさし共作
話したいことが 幾つもある あの頃の僕に会えたら
たとえば 迷いながら選んだ道の 辿り着く場所について
伝えたいことは 他にもある あの頃の僕に会えたら
たとえば 信じていたことの正しさと その過ちについて
それから不安を胸に映し 怯えたあの夜の闇も
たとえば ありもしない夢に紛れて逃げたことも
あの頃の僕に告げたいのは
ひたすら そこから ひたすら 歩き続けること
あの頃の歩幅でいいから
ひたすら ただ ひたすら 生きてゆくこと
尋ねたいことが幾つもある 未来の僕に会えたら
たとえば 傷ついたり愛された この命の重さや
尋ねたいことは他にもある 精一杯生きたかどうか
たとえば 奇跡的にめぐり会えた 愛しい人のことを
ここからの僕に言えることも
ひたすら このまま ひたすら 歩き続けること
今のままの歩幅でいいから
ひたすら ただ ひたすら 生きてゆくこと
ひとつだけ言えることは 全ては今日のために
たいせつなことはひとつだけ 全ては今日のために
話したいことが幾つもある あの頃の僕に会えたら
話したいことが幾つもある 未来の僕に会えたら
「クリスマスの約束」 番組中で、2007年10月19日に、さだ さんが、崇拝する小田 さんの事務所に打ち合わせにやって来たところが放送されました。「あの頃の若かった自分に向けてメッセージを贈るのはどう?」という話になったとき、小田 さんがとても興味深いことを言っていました。「 あの頃の自分に、お前それでいいんだ、そのままでいいんだって声をかけてやりたい」 と。出来上がった詩は、作詩家としてのさだ さんの面目躍如たるすごい詞でした。
さだ さんは高校生のとき、ノイローゼで眠れず、108時間眠らなかったことがありましたし、28歳のときに映画『長江』 で28億、金利も入れると35億の借金を背負ったときが「怯えたあの夜の闇」 でしょうか?幾度の苦渋の三叉路を選んで来たさだ さんですが、子どもの頃から修行してきたヴァイオリンを諦める決心をして、その後、「 グレープ」 を経てソロになり、叩かれ続けた紆余曲折ある音楽人生。それが「迷いながら選んだ道の たどり着く場所」 ということでしょうか。「あの頃の 歩幅でいいから」 とは、走り疲れたら歩き、歩き疲れたら休めばいい、という哲学でしょうか。「ただひたすら 生きてゆくこと」 とは、あたりまえに、ささやかでいいから、前のめりに生きたい、ということか?そんなことを思いながら、さだ・小田 さんの詩、メロディー、歌声に魅せられました。さだ さんのコメントです。「本作「たとえば」は自分の生命や生きた道へのエールだ。決して後悔ではない」 (ライナーズ・ノーツより)
小田さんと初めて会ったのは1974年か75年頃だと記憶してます。僕も小田さんたちが出場したヤマハのライトミュージックコンテストに出たこともあって、オフコースは憧れの存在でしたね。『クリスマスの約束』は何度も観てたので、声をかけてもらった時は“楽しみだなぁ”と思いました。そこで“一緒に曲を作りたい”と言われて、もちろん僕も歌作りをしている人間ですから、小田さんと一緒に歌作りをするのを、とても楽しみにしてました。が、いきなり『今から作ろう!ほれ、とりあえず詞を書いてみろ!』というノリには正直焦りましたね(笑)。いや、でも素晴らしい曲が出来ました。二人寄れば文殊の知恵ですなぁ。アッハハ。次回作は何時やりますか?この調子なら10日もあればアルバムができますなぁ(笑)。 ―小田和正会報「FAR EAST CAFE PRESS」Vol.354(2020年4月)
この詩に感情移入しながら、自分の過去、未来の姿に思いを馳せながらベッドの上で聞いていました。少しずつ少しずつ動かなかった右足が動くようになり、1日1日回復していくことに勇気をもらい、リハビリに励んだ1カ月でありました。その入院生活を支えてくれたのが、今日ご紹介した2曲です。♥♥♥
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