10年振りにWOWOWで「風に立つライオン」(2015年)を観ました。実在の日本人医師をモデルにした、さだまさしの同名曲および同名小説を、大沢たかおの企画と主演で映画化したもので、アフリカ・ケニアの国境地帯で医療活動に尽力した日本人医師の献身を描いたものです。10年前の公開初日にイオン・松江東宝の映画館で教え子と一緒に観たのを思い出します。
アフリカで献身的な医療活動を行なった日本人医師・故・柴田紘一郎(しばたこういちろう)先生をモチーフにしたさだまさしさんの同名曲と同名小説をもとにした感動作です。当時楽曲に感銘を受けた俳優・大沢たかおさんがさださんに小説化を勧め、企画段階から関わって映画化実現にも奔走したというものでした。その熱意が実り、彼にとっては「解夏」「眉山」に続くさだ原作映画への出演となりました。劇中では少年兵が殺し合う紛争地の現実に衝撃を受け、物資も乏しい中での医療活動に志願する主人公を熱演しています。監督は「テラフォーマーズ」の三池崇史。共演は石原さとみ、真木よう子などが、味のある演技で脇を固めています。
ケニアの国境地帯で医療活動に尽力した日本人医師の献身的姿を描きます。1987年、大学病院に勤める医師の航一郎はケニアの医療施設に派遣されることになりました。シュバイツァー博士に憧れた彼にとって願ってもない話でしたが、それは一方で同じく医師の恋人、貴子との別れをも意味していました。ケニアへ赴いて半年、彼は国境近くの赤十字病院から協力を要請され、物見遊山のつもりで依頼を受けた彼でしたが、そこで目にしたものは、少年兵たちが麻薬を打たれて殺し合いをさせられる紛争地の現実でした。
映画の冒頭は、一人の黒人ケニア人が大震災と津波で瓦礫と化した宮城県・石巻市に立つシーンから始まります。手に持った袋から出された数々の白い球(とうもろこしの種)。エンディングもまたこのシーンに戻り、タネ明かしがなされます。「命のバトン」というこの映画のテーマが、まさに表現されたシーンであったことを最後になって知るわけです。
1987年、日本人医師・島田航一郎(大沢たかお)は、長崎大学熱帯医学研究所からケニアの研究施設に派遣されます。小さい頃、母に誕生日プレゼントとして渡されたアフリカ医療に生涯を捧げたシュバイツァー博士の自伝に感銘を受け医師を志した航一郎にとって、それは願ってもないチャンスでした。しかし同時に、それは恋人との別れも意味していたのです。病気の父の診療所を継ぎ、女医として離島医療に従事する恋人・貴子(真木よう子)を遠く日本に残さなければならなかったのです。理想を胸に研究と臨床の充実した日々を送っていた航一郎は半年後、現地の赤十字病院から1か月の派遣要請を受けます。彼は、銃や地雷で重傷を負って次々と運ばれてくる少年たちが、麻薬を注射され戦場に銃を持って立たされた少年兵である事実に愕然としながらも、この病院への転籍を志願します。過酷な状況の中でも生き生きと働く航一郎は、医療団からの信頼も厚く、子どもたちからも慕われるようになります。一方、同病院に看護師として派遣されてきた和歌子(石原さとみ)は、確かなスキルと手際の良さで、航一郎と時折ぶつかりあいながらも互いに認め合っていきます。そして、心に傷を抱えた少年たちをどんな時も「オッケー、ダイジョブ」と温かく包み込む航一郎は(「Mr.大丈夫」と慕われ)、いつしか少年たちの良き友であり、師となっていきました。そんなある日、病院に少年兵・ンドゥングが担ぎ込まれます。銃傷よりも、両親を目の前で惨殺され、麻薬でかき消された心の傷が甚大な彼に対して、航一郎は、そんな心の闇に真正面からぶつかっていこうとするのですが、なかなか心を開いてはくれません。徐々に心の傷が癒え始めた矢先、サンタクロースに扮した紘一郎に向かって、「俺は9人を殺した!」と自分を責める彼に、「生涯かけて10人の命を救え!」と教える紘一郎。戦士に銃で撃たれ手榴弾の爆発で命を落とした紘一郎(これは映画の演出)。病院内に孤児院を設立してガンに倒れた和歌子。二人の思いは医師ミケランジェロ・コイチロ・ンドゥングにしっかりと受け継がれ、冒頭のシーンへとつながって「命のバトン」のリレーが行われるのです。
泣きたくなるシーンが満載の映画でしたが、紘一郎が夜中にアフリカの大地に向かって「ガンバレッー!ガンバレーッ!」と大声で何度も何度も叫んでいる姿。そして「ガンバレっていうのは人に言う言葉じゃない。これは自分に言っているんだ」と語る紘一郎の言葉に納得します。新しい結婚生活に踏み出した昔の恋人・貴子に宛てた手紙のたった1行の感動的な文面。心が震えました。と同時に、傷が治癒したとしても、また戦いに戻って行くという少年患者もいるアフリカ・ケニアの厳しい現実に目をそらしてはいけないと思いました。正直言って重たい作品なのですが、そんな中にも、長崎でのじいさん・ばあさんたちの診療所でのやりとりに心が和みます。夜中に山を越えて往診をしてきた先生のほうが自分よりも熱が高かった、というエピソードがおばあさんの口から語られますが、あれはさださんの曲「八ヶ岳の野ウサギ」のモデル・鎌田 實(かまたみのる)先生のお話です。
そして、エンドロールで流れるさださんの9分37秒の「風に立つライオン」の壮大な歌声。特に最後の「アメージンググレース」の迫力は最高でしたね。映画の公開に合わせて、このさださんの映画フルバージョンの「風に立つライオン」も公開されました。盟友・渡辺俊幸(わたなべとしゆき)さんのアレンジでオーケストラをバックに、より雄大で荘厳なメロディーとなっています。
柴田先生が若い頃のガン患者の奥さんの話が映画の中にも出てきました。これ、実話です。肝臓ガンが見つかりすぐに処置しなければ危険な若い奥さんが、「大学病院にしか入らない」と言い張ります。当時大学病院のベッドが一杯で、ベッド一つ空けられないくらいのペーペーの頃の柴田先生は、自分の信頼する他の病院を世話しようと、再三再四、自宅に足を運んでまで入院を説得します。でも、その奥さん、頑なに「大学病院のベッドが空くまで待つ」と言い張り、二ヶ月経ち、三ヶ月経ち、半年が経ち、結局、手遅れで亡くなります。柴田先生は、周りの反対を押し切り、よせばいいのに、責任を感じ、その奥さんのお通夜に行くのですが、お焼香もさせてもらえません。悲しみに怒り狂う旦那さんが「お前が家内を殺した!」と罵倒、「力足らずで申し訳ありませんでした」としか言えませんでした。その重荷を生涯、ずーっと心に抱き続ける、そんな素敵なお医者さんです。
英語を教えていた松江北高二年生(当時)の安樂万智子(あんらくまちこ)さんを、中国ブロックの代表として、2013年8月22日(木)、宮崎市民ホールで開催された「第33回高校生英語弁論大会」(全国国際教育研究協議会主催)に引率しました(全国第4位)。そこで私は「運命的な出会い」をすることになります。この大会のゲスト講演講師に、この映画の医師のモデルとなったあの柴田紘一郎(しばたこういちろう)先生がいらっしゃったのです。さらに運命とは恐ろしいもので、安樂さんのお父さんは、当時「松江日赤」のお医者さんだったんですが、長崎大学の学生時代に、柴田先生に直接ご指導を受けておられたのです。こんな偶然って本当にあるんですね!そんな不思議なご縁で、私も柴田先生とお知り合いになることができました。宮崎から帰ってから、後日先生に講演のお写真をお送りしたところ、丁重なお礼状もいただくことができました。また、このブログも見ていただき、身に余るお言葉をいただくことができました:「先生のホームページも拝見させていただきましたが、英語科の教師としてすばらしい英語教育に、またあまたの一般事象への高いご見識を常に発信されている姿勢に感銘いたしました。」(柴田紘一郎) そんな先生が今年2月に旅立たれました(⇒私の追悼記事はコチラ)。♥♥♥




