「ひふみん」逝く

 将棋棋士としての姿とお茶の間に親しまれるギャップの大きさは、余人をもって代えがたい器の大きさを感じた。  (1月27日通夜にて 羽生善治九段)

 将棋界で最高齢勝利、現役勤続年数、通算対局数など数々の記録を持ち「重戦車」「一分将棋の神様」、晩年は「ひふみん」の愛称で親しまれた、将棋棋士の加藤一二三(かとう・ひふみ)さんが1月22日、肺炎のため86歳で静かに息を引き取りました。大真面目なのにどこかしらユーモラスな国民的おじいちゃんでした。将棋を愛し、みんなに愛された棋士で私も大ファンでした。人の目を気にしない性格で、無性の負けず嫌いでした。私は若い頃は、加藤さんの矢倉将棋が大好きでした。その時々の流行戦法に左右されることなく、一つの戦法(矢倉・棒銀)を貫き詰めるスタイルに憧れました。福岡県出身。1940年(昭和15年)生まれ。名前の由来は1月1日生まれで、1940年が日本の皇紀でいう紀元2600年にあたり、この2の数字を間に三男であったことから「一二三」と名付けられたといいます。戦前生まれ最後の名人経験者だったレジェンドでした。小4の時に目にした新聞の将棋観戦記と詰将棋に影響を受け、1951年に南口繁一門下として関西奨励会入り。「福岡のダイヤモンド」と称され、1954年8月に四段昇級でプロ棋士になった加藤さん。14歳7カ月での快挙で史上初の中学生棋士となりました。これは、2016年に14歳2カ月で四段に昇段した藤井聡太さんが更新するまで、62年間にわたり維持された記録でした。妻は中学時代の同級生。棋士となり、学校を休みがちの加藤さんに授業ノートを貸してくれたことが縁で20歳の時に結婚しました。愛妻家として知られ、引退の対局では最初に妻に礼を言うために感想戦もなく帰宅。その後の引退会見では「長年にわたって私とともに魂を燃やし、ともに歩んでくれた妻に深い感謝の気持ちを表したい」と話していました。

 1958年4月に18歳3カ月でA級八段となり(最年少記録)、「神武以来(じんむこのかた)の天才」と呼ばれ、将棋界の「元祖天才」でした。1973年九段に昇段。棋風は正統派の居飛車党を貫き、数々の定跡の発展に貢献。自身が良いと思った戦型を採用し続け、時の流行りの戦型にはあまり左右されませんでした。タイトル戦は名人、棋王など獲得合計8期(歴代10位タイ)。2017年に引退するまで、歴代1位の現役勤続年数62年10カ月を誇り、通算成績は対局数2,505(歴代1位)で1,324勝(同4位)1,180敗(同1位)。勝利数もすごいですが、負けの数がすごいですね。「負けは財産です」が人生訓でした。気迫で塗り固めた道の上に立つ金字塔です。1950年代から2000年代まで、各年代で唯一A級に在籍した棋士でもあります。現役最終盤の2017年1月には、最年長現役棋士記録、対局記録、勝利記録(丸太祐三九段の76歳11ヶ月)を、それぞれ77歳0ヶ月で更新しました。「精一杯将棋を指して、立派に名局の数々を生み出すことができました。これが私の人生における最上の誇りです」。引退後はテレビのバラエティー番組にも数多く出演し、軽妙でユーモアあふれるおしゃべりやしぐさ、速射砲のように多弁かつ独特なキャラクターで、テレビなどメディアに引っ張りだことなり、「ひふみん」の愛称で人気を得ていました。2000年には紫綬褒章を授章、2018年には旭日小綬章、2022年には文化功労者に選ばれています。引退後は仙台白百合女子大客員教授を務めました。

 加藤さんは数々の名勝負とともに、独特な早口(マシンガントーク)と柔らかで親しみやすい口調の解説で、将棋の魅力を伝えました。中でも語り草なのが、2007年NHK杯将棋トーナメント2回戦の、羽生善治王座・王将と、中川大輔七段(いずれも当時)の一戦。加藤さんは中盤まで、羽生が苦戦の情勢と解説し「指す手がなくなった」などと、厳しい見立てを示していました。ただ、羽生が相手陣内の深くに銀を打ったタイミングで、加藤さんは突如「あれ?あれ? あれ? あれ? 待てよ、あれ? おかしいですね?」と、トレードマークの甲高い声が動揺した様子に。「もしかして頓死?えっと、こういって、あれれ、おかしいですよ」「歩が3歩あるから、頓死なのかな?えー」と、自身の頭の中で、大逆転の道筋への計算をそのまま口にしました。その後も「大逆転ですね、たぶん」「NHK杯史上に残る大逆転」と大興奮。細かい説明はそっちのけで「歩が3歩あるから」と繰り返し、「ヒャー! 驚きました」と感情あらわにして叫ぶ場面もありました。この解説ぶりで見せた親しみやすさが、後年も動画サイトなどで大人気になり、加藤さんの人柄を示す一幕として今でも語り継がれています。羽生も後年の特集番組でこの一戦と加藤さんの解説を回想し、敗北を覚悟していたことを明かすと「一応王手をかけていったら、何か(相手が)危ない、というのが分かって。加藤先生が『あれ?』と言ってましたけど、まさに私の心情を言っていただいたような感じでした」と回想しました。司会者から「羽生さんも心の中で『ヒャー!』と言った?」と聞かれると、羽生は笑いながら「ヒャーとまでは言ってないですけど、あれ?とは思っていました」と、加藤先生に心中を代弁されたことを語っていました。

 時は1982年の名人戦。相手は9連覇中の中原誠名人加藤先生は20連敗したことも)。3勝3敗1持将棋(2千日手)の史上稀に見る4ヶ月にわたる10番勝負。形勢不利にもかかわらず必死に食らいつき、死闘の末最終盤に詰みを発見。「あ、そうか!ウヒョー!」対局中ではあり得ない奇声に、中原名人が腰から崩れ落ちたといいます。悲願の名人位獲得でした。

 あの天才・藤井聡太六冠のデビュー戦の相手を務めた(62歳差対決)ことから、知名度は飛躍的に上昇し、活躍が注目されるたび取材に応じ、視聴者に将棋の面白さを伝え続けてきました。藤井聡太という究極の天才の誕生に加え、加藤一二三というスポークスマンの存在が不可欠でした。「趣味は藤井聡太」とも語り、藤井さんの対局を全て観戦し、「日刊スポーツ」で名物コラム「ひふみんEYE」を担当しました。告別式ではこのコラムの担当記者が感動的な弔辞を読み上げました。亡くなる直前にも病院のベッドで、藤井さんの対局に注目して棋譜を並べ、一つの対局を数日かけてじっくり研究していたといいます。

 14歳で棋士になり、20歳で名人に挑戦。「将来の名人は確実」と目されましたが、その後スランプに陥ります。「指し手に自信が持てず、このままではトップに立てない」と行き詰まっていた1970年。転機となったのは30歳で受けたカトリックの洗礼でした。「努力をするなかで限界を突破し、飛躍させるために」と信仰を持ちました。「敵と戦う時は勇気を持って戦え。弱気を見せてはいけない。慌てないで落ち着いて戦え」との「旧約聖書」の言葉を実践し、「それまでは対局中に迷いがあったが、自分が考えた手を指せばいいと思えるようになった」。名人を始め数多くのタイトルを獲得できたのは、その30代後半から40代半ばにかけてのことでした。敬虔なカトリック教徒で、1986年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を授与されるなど、熱心に活動しておられました。対局中の控え室では、賛美歌を口ずさむこともあり、対局中によくスーツの内ポケットから教皇の写真を出して眺めておられました。

 加藤先生には、己の信念の強さを感じさせる、盤上・盤外での微苦笑を誘うさまざまなエピソードが残っています。▲スーツ姿での対局時は、ネクタイを床までつくほど長く結び、立ち上がると、ネクタイの先端がベルトよりも約20センチ下になりました。▲タイトル戦の会場検分で、対局場付近に人工の滝が設置されていたのを、「耳に障る」うるさくて集中の妨げになるとして、滝を止めさせたことが複数回ありました。水車も止めました〔笑〕。▲相手側の駒を何度も触り、注意を受けたことも。▲勝負が佳境に入ると、立ち上がって相手側の後に回り込んで、相手の目線から盤上を見ることがしばしばあり、「ひふみんアイ」と名付けられました。やや不作法とされましたが、加藤九段に限っては大目に見られました。のちに同名の曲で歌手デビューを果たしておられます。▲将棋会館での対局では、40年間いつも昼も夜も「うな重」を注文し、勝負メシとした大食漢ぶりを発揮しました。背広の左右のポケットにその代金を入れていました。「カキフライ定食」と「グリルチキン定食」の2セットを注文。みかん20個や桃8個、バナナ一房をペロリ。板チョコは8枚重ねてバリバリ食べました。ラストの対局時の夕食休憩もカキフライ定食とてんぷら定食を注文してましたが、カキフライが品切れで、てんぷら定食とトマトサラダに変更しています。現役最後の対局の時は、用意してあったモスグリーン系の座布団を、自ら青い座布団に替えられました。後で理由を聞くと、「モスグリーンは平和の色、青は闘志をかきたてる色」とおっしゃいました。▲猫好きで知られ、NHKで「ひふみんとニャンぶらり」という番組が放送されたこともありました。2008年12月、自宅のある集合住宅の庭などで、野良猫にエサをやり続けてきたことで、猫による被害が起きているとして、近隣住民から訴訟を起こされました(餌やり禁止の判決)。▲対局中のおやつ(みかん)を、故・米長邦雄日本将棋連盟会長と張り合ったことがあります。お皿にいっぱいと頼んだひふみんに対し、「加藤さんと同じものを。量は加藤さんのより多くしてね」と、2時間近く二人とも食べ続けていました。▲月刊誌『家の光』で1959年9月号から続けた詰め将棋連載は、「同一雑誌におけるボードゲームパズル作者としての最長キャリア」として、2024年11月、ギネス世界記録に認定されました。詰め将棋原稿の文字は「あの字がよく解読できますね」と周囲から言われるほどでした。▲2505局中、体調不良などによる不戦敗はゼロ。健康法は「よく眠ること」でした。▲告別式が行われた東京・聖イグナチオ教会では、夫妻で40年ほど前から結婚相談を開設し、相談されたカップル数は300組にも及ぶといいます。♥♥♥

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