梅 謙次郎

 松江北高が、竹下 登、若槻礼次郎と、2人の総理大臣を輩出した希有な学校であることは有名ですが、他にも数多くの有名人がおられます。在校生諸君にはあまり知られていないようなので、今回取り上げることにしました。

 北高に着任した年に担任をした高橋達充(たつみ)君(平成18年卒業、東京大学に進学)からの便りで、「この国で最も偉大な法学者の一人、民法典の起草者・梅 謙次郎は松江北高の出身です」と教えてもらいました。わが国「民法の父」そして「空前絶後の立法家」「先天的な法律家」といわれる梅 謙次郎DSCN0134博士は万延元年(1860)、出雲松平侯の侍医の次男として灘町に生まれます。幼少時より俊秀の誉れ高かったが、明治維新後、士族の廃止により一家は零落。上京後は大道の夜店で足袋や手拭いなどを売りながらカンテラの灯りで書見に励み刻苦精勤し、東京外国語学校仏語科(現東京外国語大学)を最優等で卒業。その後司法省法学校も首席で卒業しました。卒業後は、司法省御用掛・文部省御用掛を経て東京法学校(官立)教員に就任。フランス留学、ドイツ留学を経て、帝国大学法科大学教授に就任。その後、今の法政大学の総理(=総長)に就任し、以来、51歳で急逝するまでの20年余、多忙の中を割いて法政大学のために働き続け、その間、給与等は一切受け取らなかったといいます。あのJAL再建の陣頭指揮に、無給で乗り出した稲盛和夫さんを彷彿させますね。地歴公民科の引野先生から、松江市・灘町に彼の生誕の記念碑があることを教えてもらい、早速出かけてみました。現在は別の方が住んでおられますが、ひっそりと石碑が建っています。

 梅 謙次郎(うめ けんじろう)、法律の勉強を志す生徒諸君は、その名前を知っておいてよい先生です。

 以前、コミック雑誌の「ビジネスジャンプ」で連載された「島根の弁護士」という、弁護士過疎問題に苦しむ島根県が描かれたマンガが話題になったことがありました。その当時は、わずか26人しか所属弁護士がいませんでした。現在は、島根県弁護士会所属の弁護士は69人にまで増えました。しかし、松江市42人 出雲市10人 浜田市9人 益田市6人 隠岐の島町2人と、依然として島根県西部にはほとんど弁護士がいない、という深刻な問題があります。ぜひ志のある生徒諸君に、これを解消してもらいたいと切に要望します。

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