稲葉喜美子さん

 横浜出身のシンガーソング・ライター稲葉喜美子(いなばきみこ)さんは、詞、曲、ヴォーカルともに個性的で一級品のアーティストでした。学業などの傍稲葉喜美子ら、14歳から市内のライブハウスに出演し音楽活動を徐々に本格化させました。高校卒業後就職、会社員として働いていましたが、1979年「ライオン・フォーク・ビレッジ関東地区大会」でグランプリを獲得。しかしまもなく大病を発症し、療養に専念、プロデビューは三年後の1982年です。シングル「願ひごと~公園於、アルバム『愛しき人へ』をリリースしました。コンサート活動、FMパーソナリティ、他の歌手へ曲を提供する作家活動、と活動の幅を広げます。しかし、本人がたびたび健康を害し(大の酒・煙草好きだったと噂されました)、休養と充電を重ねました。歴代の所属事務所が弱小な上、当時、演歌偏重の社風だった日本コロムビアはニューミュージック部門には力を入れていませんでした。ヒット曲・タイアップにも恵まれず、東宝の映画の主題歌に内定されたものも、取り消しとなるなど不運な歌い手でした。1993年アルバム『倖せの隣り』をリリースした後、全く公式の活動(リリース・ライブ等)を行っておらず事実上の引退となっています。出したCDも全て絶版で、今聞くことはできません。手元には、当時の彼女のファンクラブの会報ENCORE Vol.1がありますが、ここからも実に地味な活動であったことがうかがえます。でも歌は一級品でした。

 「第二の中島みゆき」などと云われたのは、彼女の歌の世界感の重さからでしょうか。ハスキーな声と独特な節回しで、ディープな世界を、よりはかない情景として唄う稲葉喜美子の世界には、男についていない女、男と女の駆け引きや、男の下心を見通した女、そして、堕ちてしまった女たち、などドロドロしたものが居ついていました。それが彼女の魅力でもありました。あの当時、彼女の圧倒的なボーカルで歌い上げた「セレナーデ」という曲を好んで、生徒たちに紹介していたのを思い出しました(⇒コチラで聴くことができます)。今はこういう力のあるボーカリストが少なくなりましたね。

     春、ゆううつ
              稲葉喜美子 
母さん 口ぐせ いつも いつでも
”早くしなさい、急ぎなさい”って。

私が道で 花を見てたり、
鉛筆くわえて ぼんやりしてると、
カミソリみたいな声だして云う。

”早くしなさい、急ぎなさい”って。

どうしてそんなに 何んでもかでも
急がなけりゃ いけないの?

暗いだけだった 土の間から
春がちょこんと 芽を出したのも
気付かないふりしてればいいの?

私はときどき うなってしまう。
巡る季節の バトンタッチを
指のすきまからしか見れないことに
私はこの頃 疲れてしまう

 『毎日新聞』「落書きとおせんぼ」と題して連載された何篇かの彼女の詩が、最近ファイルの中から出てきました。イラストも彼女自身が描いています。才能あふれるシンガーで応援していたんです。大昔の変色したこの切り抜きが出てきたので、懐かしく思い出して取り上げてみました。やはり私の大好きだった「電話」という曲をお聞きください。

カテゴリー: 私の好きな芸能人 パーマリンク

コメントを残す